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成実論 (成實論)


成實論卷第八

『成実論』巻第八

訶梨跋摩造

訶梨跋摩造

姚秦三藏鳩摩羅什譯

姚秦の三蔵鳩摩羅什訳

三報業品第一百四

三報業品 第百四

問曰:經中佛說三種業,現報、生報、後報業。何者是耶?答曰:若此身造業,即此身受,是名現報。此世造業,次來世受,是名生報。此世造業,過次世受,是名後報,以過次世故名為後。

問い:経典の中で仏は三種の業を説かれています。現報と生報と後報の業です。どれがそれにあたるのでしょうか。

答え:この身で業を造り、すぐこの身でその報いを受ける場合、これを現報と名づけます。この世で業を造り、次の世で報いを受ける場合、これを生報と名づけます。この世で業を造り、次の次の世を過ぎてから報いを受ける場合、これを後報と名づけます。次の次の世を過ぎるので、後と名づけるのです。

問曰:中陰報業在何處受?答曰:二處受。次第中陰業在生報處受,以生有差別名中陰故,餘中陰業在後報處受。

問い:中陰の報業はどこで受けますか。答え:二つの場所で受けます。次第中陰の業は生報のところで受けます。生有に区別があるので中陰と名づけるからです。残りの中陰の業は後報のところで受けます。

問曰:是三種業為報定耶?世定耶?答曰:有人言報定,現報業必現受報,餘二亦爾。雖有此言,是義不然。所以者何?若爾者,非但五逆名為定報,而六足阿毘曇說五逆是定報。又《鹽兩經》中亦說不定,有業應受地獄果報,是人修身戒心慧故能現受報。是故此三種業應當世定。現報業不必現受,若受則應現受非餘處,餘二亦如是。

問:この三種の業は、報が定まっているのでしょうか、それとも世(時期)が定まっているのでしょうか。 答:ある人は「報が定まっている」と言います。現報の業は必ず現世でその報を受け、残りの二つも同様である、と。しかし、このような説があっても、その意味は正しくありません。なぜでしょうか。もしそうであるなら、五逆だけが定まった報と呼ばれるのではなく、六足阿毘曇が五逆は定まった報であると説いていることになってしまいます。また『塩両経』の中でも不定であると説かれ、地獄の果報を受けるはずの業があっても、その人が身と戒と心と慧を修めることによって現世で報を受けることができるとあります。したがって、この三種の業は世(時期)が定まっていると考えるべきです。現報の業は必ずしも現世で受けるとは限りませんが、もし受けるならば現世で受けるのであって他の場所ではありません。残りの二つもまた同じです。

問曰:何等業能受現報?答曰:有人言,利疾業受現報,如於佛諸聖人及父母等起善惡業,是則現報。若業不利而重,是則生報。如五逆等亦利亦重則受後報,如轉輪王業、若菩薩業。又有人言,是三種業隨願得報。若業願今世受,是即現受。如末利夫人以自食分施佛,願現世為王夫人。餘二業亦如是。又隨業熟則先受。

問い:どのような業が現報を受けるのでしょうか。答え:ある人は言います。鋭く強い業は現報を受けます。たとえば、仏や諸々の聖人、父母などに対して善業や悪業を起こす場合、それが現報です。もし業が鋭くなくても重い場合、それは生報です。五逆などのように鋭くも重くもある場合は後報を受けます。転輪王の業や菩薩の業がそれです。またある人は言います。この三種の業は願いによって報いを得ます。もし業の願いが今世で受けることであれば、それは現世で受けます。末利夫人が自分の食事の分を仏に施し、現世で王の夫人となることを願った例がそれです。残りの二つの業も同様です。また業が熟する順に従って先に受けます。

問曰:過去業云何名熟?答曰:具足重相是名為熟。

問い:過去の業はどのようなものを熟したものと名づけるのでしょうか。答え:重い相を具足していること、これを熟したものと名づけます。

問曰:頗有一念起業,次念受報耶?答曰:無也,漸次當受。如種漸次生牙,業法如是。

問:一念で業を起こし、次の念でその報いを受けるということはありますか。答:ありません。次第に受けるのです。種が次第に芽を生じるように、業の法もそのようであります。

問曰:若處胎中及睡眠狂亂等人,能集業不?答曰:此等有思則能集業,但不具足。

問い:胎の中にいる者や、眠っている者、狂乱している者などは、業を積むことができるのでしょうか。

答え:これらの者も、思うことあれば業を積むことができます。ただし、それは十分に備わったものではありません。

問曰:若離此地欲,能起此地業不?答曰:有我心人皆集此業,若離我心則不復集。

問い:もしこの地の欲望を離れれば、この地の業を起こすことができるでしょうか。

答え:我執のある人は皆、この業を集めます。もし我執を離れれば、もはや集めることはありません。

問曰:阿羅漢亦禮敬修福等,此業何故不集耶?答曰:以眾生心故諸業則集,阿羅漢無我心故諸業不集。又阿羅漢心無漏,無漏心者不集諸業。又經中說:斷罪福業名阿羅漢。是人不集罪業福業及不動業,故業受畢,新業不造。

問:阿羅漢もまた礼拝し、福を修めるなどしますが、その業はなぜ集まらないのでしょうか。

答:衆生の心によるので諸々の業は集まりますが、阿羅漢には我という心がないので諸々の業は集まりません。また、阿羅漢の心は無漏であり、無漏の心である者は諸々の業を集めません。また経の中に説かれています。罪の業と福の業を断じた者を阿羅漢と名づける、と。この人は罪の業も福の業も不動の業も集めないので、すでに業の報いを受け終わり、新しい業を造りません。

問曰:學人集諸業不?答曰:亦不集也。所以者何?經說:是人散壞諸業,不積不集滅不然等。有論師言,是學人有我慢故諸業亦集,但以無我智力不必受報。

問い:学人はもろもろの業を集めるのでしょうか。答え:また集めることはありません。なぜでしょうか。経に説かれています。この人はもろもろの業を散壊し、積まず集めず、滅ぼさず、燃やさず、等しいということはない、と。ある論師は言います。この学人は我慢があるためもろもろの業をも集めるが、ただ無我の智慧の力によって必ずしも報を受けることはない、と。

問曰:是三種業於何界可造?答曰:三界中一切處可造。

問い:この三種の業は、どの世界で造ることができるのでしょうか。答え:三界の中のどこにおいても造ることができます。

問曰:不定業有耶無耶?答曰:有。若業或現報、或生報、或後報,是名不定,如是業多。

問い:不定業はあるのでしょうか、ないのでしょうか。答え:あります。ある業が現報であったり、生報であったり、後報であったりする場合、これを不定と名づけます。このような業は多くあります。

問曰:若知此三種業,得何利耶?答曰:若能分別是三種業則生正見。所以者何?現見有惡行者而受富樂、善者受苦,於中或生邪見,謂善惡無報。若知此三業差別則得正見,如說偈:行惡見樂,為惡未熟,至其惡熟,自見受苦。行善見苦,為善未熟,至其善熟,自見受樂。又《分別大業經》說:不斷殺者得生天上,是人若先世有福、若將命終時發強善心。能如是知則生正見,是故應知此三種業相。

問:この三種の業を知れば、どのような利益が得られるのでしょうか。

答:この三種の業を分別することができれば、正見が生じます。なぜでしょうか。現に悪行を行う者が富と楽しみを受け、善を行う者が苦しみを受けるのを見て、その中で邪見を生じ、「善悪に報いはない」と言うことがあります。この三つの業の違いを知れば、正見を得ることができます。偈に説かれているとおりです。

悪を行いながら楽しみを見るのは、悪がまだ熟していないからです。その悪が熟するに至れば、自ら苦しみを受けるのを見ます。 善を行いながら苦しみを見るのは、善がまだ熟していないからです。その善が熟するに至れば、自ら楽しみを受けるのを見ます。

また『分別大業経』には、殺生を断たない者が天上に生まれることがあると説かれています。その人は前世に福があり、あるいは命終の時に強い善心を起こしたのです。このように知ることができれば、正見が生じます。それゆえ、この三種の業の相を知るべきです。


103 繫業品
105 三受報業品

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