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成実論 (成實論)


四業品第一百七

四業品 第百七

問曰:經中佛說四種業,黑黑報業、白白報業、黑白黑白報業、不黑不白無報業。為滅盡諸業故,何者是耶?答曰:黑黑報業者,隨以何業生苦惱處,如阿鼻地獄及餘苦惱無善報處,若畜生、餓鬼少分。與此相違名第二業,隨以何業生無苦惱處,如色無色界及欲界人天少分。黑白雜名第三業,隨以何業生苦惱不苦惱處,若地獄、畜生、餓鬼、人天少分。第四業名無漏,能盡三業。若業二世所呵,今呵、後呵,是人為罪墮在黑闇。無有名聞故名為黑。及二世苦毒,今苦、後苦,故名為黑。

問い:経典の中で仏は四つの業を説かれています。黒黒報の業、白白報の業、黒白黒白報の業、不黒不白無報の業です。すべての業を滅し尽くすためには、どれを指すのでしょうか。

答え:黒黒報の業とは、どのような業によってであれ、苦悩の世界に生まれることです。たとえば阿鼻地獄や、その他の苦悩に満ちた善報のない世界、また畜生や餓鬼の一部がこれにあたります。

これと反対のものを第二の業といいます。どのような業によってであれ、苦悩のない世界に生まれることです。たとえば色界や無色界、そして欲界の人間や天人(諸天)の一部がこれにあたります。

黒白が混じり合ったものを第三の業といいます。どのような業によってであれ、苦悩する世界と苦悩しない世界とに生まれることです。たとえば地獄、畜生、餓鬼、人間や天人(諸天)の一部がこれにあたります。

第四の業は無漏といい、三つの業を尽くすことができます。その業が現世と来世の両方に呵責され、今も呵責され、後にも呵責されるならば、その人は罪のため黒闇の中に堕ちます。名声がなく、名聞もないので、これを黒といいます。また現世と来世の両方で苦毒があり、今も苦しみ、後にも苦しむので、これを黒といいます。

問曰:是業何者能生純苦惱處?答曰:相次為惡心無有悔,間無有善能消惡業,是名能生純苦惱處。又以邪見心而造諸惡。又於重人為惡,所謂父母及餘善人。又於眾生為惡無所遺惜,如殺眾生若盡奪財物、若閉牢獄而復斷食、若重考掠令無餘樂,如是等業生純苦處。白白報業者,若人純集諸善、無有不善,此二業勢力最大,餘無能勝。若受黑業報時不容白報,受白業報時不容黑報。所以者何?一切眾生皆集善不善,業力相障故不得並受。如負二人物,強者先牽。第三業弱,善不善雜故,並受報互相勝故。

問い:この業は、どのようなものが純粋に苦しみだけの世界に生まれる原因となるのでしょうか。

答え:次々と悪心を起こして悔いることがなく、その間に悪業を消し去る善が少しもなければ、これが純粋に苦しみだけの世界に生まれる原因となります。また、邪見の心によってさまざまな悪を行なう場合です。また、重んずべき人に対して悪を行なう場合です。すなわち父母やその他の善人に対する場合です。また、衆生に対して少しも惜しむことなく悪を行なう場合です。たとえば衆生を殺したり、財物をことごとく奪い取ったり、牢獄に閉じ込めてさらに食事を断たせたり、激しく責めさいなんで残る楽しみを一切なくしたりするような場合です。このような業は純粋に苦しみだけの世界に生まれる原因となります。

白い報いの業とは、人がもっぱら善のみを集めて不善が少しもない場合です。この二つの業は力が最も大きく、ほかのものはこれに勝つことができません。黒い業の報いを受けるときには白い報いを受け入れる余地がなく、白い報いを受けるときには黒い報いを受け入れる余地がありません。なぜでしょうか。すべての衆生は善と不善とをともに集めていますが、業の力が互いに妨げ合うため、同時に受けることができないからです。たとえば二人の荷を負うとき、力の強い者が先に引っ張るようなものです。第三の業は弱く、善と不善とが混じり合っているため、同時に報いを受け、互いに勝ち負けを争うのです。

問曰:有人言,若不善業受惡道報是名初業,色界繫善名第二業,欲界繫天人中雜受報業是名第三業,無礙道中十七學思是第四業。此義云何?答曰:佛自說此業等相,謂若人起罪身口意行,受苦惱身生苦惱處,所受諸受皆不隨意。故知隨令眾生生純苦處,是名初業。色無色界則純受樂,欲界天人亦有純受樂者,如經說:有樂人亦有六觸入,天所覺諸塵無不隨意,是第二業。黑白雜行是第三業。一切無漏業皆是盡諸業,以相違故,非但十七學思,名第四業。

問い:ある人々はこう言います。「不善の業が悪道の報いを受ける場合、これを初業と名づける。色界に繋がる善を第二業と名づける。欲界に繋がり、天や人の中で雑多な報いを受ける業を第三業と名づける。無礙道における十七の学思を第四業と名づける」と。この意味はどのようでしょうか。

答え:仏ご自身がこの業のあり方を説かれています。すなわち、人が罪となる身口意の行いを起こし、苦悩の身を受け、苦悩の場に生まれ、受けるところの諸々の感受がすべて思いのままにならないならば、それによって、衆生をして純粋に苦しみの場に生まれさせると知られます。これを初業と名づけます。色界と無色界では純粋に楽を受けます。欲界の天や人にも純粋に楽を受ける者がいます。経に説かれているとおりです。楽を受ける人にも六触入があり、天が覚知する諸々の対象は思いのままにならないものはありません。これが第二業です。黒白が混じった行いが第三業です。すべての無漏の業はみな諸々の業を尽くすものであり、相違するがゆえに、ただ十七の学思だけを第四業と名づけるのではありません。

問曰:無漏實白,何故名不白耶?答曰:此白相異,不同第二業白,是白最勝無相待故。如說轉輪聖王成就清淨過人天眼,實是人眼勝餘人,故名曰過人。此業亦爾,勝餘白業,故說不白。又有人言,應說名非黑白報業。此則無過。又泥洹名非白,是故此業應名非白。又亦應說非黑非白。所以者何?泥洹名無法,此業為泥洹,故名不黑不白。又世間貴重有漏善業故名為白,以第四業能捨此業故名不白。又此業無黑相故,亦無白相可得。又報白故業名白,是業無報故不名白。

問うて曰く、無漏は実に白であるのに、なぜ「不白」と名づけるのでしょうか。答えて曰く、この白はその相が異なり、第二の業の白とは同じではありません。この白は最も勝れており、相待することがないからです。たとえば転輪聖王が清浄にして人天を超える眼を成就したと説かれる場合、実は人の眼でありながら他の人々に勝れているため、「人を超える」と名づけられます。この業もまた同様で、他の白い業に勝れているため、「不白」と説かれるのです。またある人は言います。「非黒非白の報業と名づけるべきである」と。これならば過ちはありません。また泥洹は非白と名づけられるので、この業もまた非白と名づけるべきです。また「非黒非白」とも説くべきです。なぜでしょうか。泥洹は無い法と名づけられ、この業は泥洹のためのものであるから、「不黒不白」と名づけるのです。また世間は有漏の善業を貴重とするため、これを白と名づけますが、第四の業はこの業を捨てることができるため、「不白」と名づけます。またこの業には黒い相がないため、白い相もまた得ることはできません。また報いが白いため業を白と名づけますが、この業には報いがないため、白と名づけないのです。


106 三障品
108 五逆品

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