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  1. 成実論 (成實論)
  2. 第九 (第九)
  3. 集諦聚
  4. 煩惱論
  5. 122 貪相品
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成実論 (成實論)


貪相品第一百二十二

貪相品 第百二十二

論者言:是貪九結中通三界繫名為愛。於七使中分為二種,欲貪、有貪。所以者何?有人於上二界生解脫相,是故佛說是處名有,有名為生,若無貪則不生,是故別說有貪非但欲貪。或謂但欲貪是名煩惱,盡欲貪名得解脫,故佛說禪無色中亦有有貪。佛示彼中有微細縛,是故別說是貪。於十不善道及四縛中名為貪欲,貪欲名欲得他物。於五蓋及五下分結中名為欲欲,欲欲名欲。於五欲三不善根中名為貪不善根,貪不善根名能生長諸不善法。是貪若非法名為惡貪,如劫盜他物乃至取塔寺及眾僧物,若未死眾生欲食其肉,若欲婬母女姊妹師婦出家人及己妻非道,是名惡貪。若己物不欲捨是名為慳。即此貪,若實無功德欲令人謂有是名惡欲,若實有功德欲令人知是名發欲。若欲得多施多物是名多欲。若得少施少物,求好無厭,名不知足。若深著種姓家屬名色財富少壯壽等名為憍逸。若貪四供養,名為四愛。又是貪二種,一欲貪、二具貪。又有二種,一我貪、二我所貪,一緣內、二緣外,上二界貪一向緣內。又有五種,一色貪、二形貪、三觸貪、四威儀語言貪、五一切貪。又色聲香味觸貪名五欲貪。又於六觸生愛名六塵貪。又於三受中貪,樂受中有欲得貪、有守護貪,苦受中有不欲得貪、有欲失貪,不苦不樂受中有癡貪。又此貪有九分,如《大因經》中說。因愛求隨所欲事,如人為此事所苦則求異事,如說樂者不求、苦者多求。是貪增長名求。求時若得名為得。愛因得則籌量是可取是不可取,若心決定是名因籌量故欲愛,因欲愛故貪著,貪著名深愛,貪著因緣取,取名為受,因受生慳,因慳守護,因守護故備受鞭杖刀矟等,是名九分。又有九分,是貪隨時故,有上中下,下下下中下上、中下中中中上、上下上中上上。又此貪世間分為十種,如見好色初發心言是、次生欲、三發願、四念、五隨學所作、六忘慚愧、七常在目前、八放逸、九狂癡、十悶死,是名貪相。

論者は言います。この貪は、九結のうちでは三界すべてにわたって繫縛されるもので、「愛」と名づけられます。七使のうちでは二種に分けられ、欲貪と有貪です。なぜでしょうか。ある人々は上二界に生まれることを解脱の相と考えています。それゆえ仏は、その処を「有」と説き、「有」を「生」と名づけられました。もし貪がなければ生じることはありません。それゆえ、ただ欲貪だけではなく、別に有貪を説かれたのです。あるいは「ただ欲貪だけが煩悩という名であり、欲貪を尽くせば解脱を得たという名である」と言う人もあります。それゆえ仏は、禅や無色のうちにもまた有貪があると説かれました。仏は、その中に微細な束縛があることを示して、それゆえ別にこの貪を説かれたのです。十不善道と四縛のうちでは「貪欲」と名づけられ、貪欲とは他人の物を欲し得ようとすることです。五蓋と五下分結のうちでは「欲欲」と名づけられ、欲欲とは欲そのものをいいます。五欲と三不善根のうちでは「貪不善根」と名づけられ、貪不善根とは、もろもろの不善の法を生長させるものをいいます。この貪が法にかなわないものは「悪貪」と名づけられます。たとえば、他人の物を劫盗すること、さらには塔寺や僧衆の物を取ること、まだ死なない衆生の肉を食おうとすること、母や娘や姉妹や師の妻、出家者、あるいは自分の妻に対して道に外れた婬を行おうとすること、これらを悪貪と名づけます。もし自分の物を捨てようとしないなら、これを「慳」と名づけます。この同じ貪であっても、実際には功徳がないのに、あたかも功徳があるかのように人に思わせようと欲するなら「悪欲」と名づけ、実際に功徳があるのに人に知ってもらおうと欲するなら「発欲」と名づけます。多くの施しや多くの物を得たいと欲するなら「多欲」と名づけます。少ない施しや少ない物しか得られなくても、よいものを求めて飽きることがないなら「不知足」と名づけます。深く種姓や家属、名色や富、若さや寿命などに執着するなら「憍逸」と名づけます。四供養を貪るなら「四愛」と名づけます。また、この貪には二種あり、一つは欲貪、二つは具貪です。また二種あり、一つは我貪、二つは我所貪で、一つは内を縁とし、二つは外を縁とします。上二界の貪はもっぱら内を縁とします。また五種あり、一つは色貪、二つは形貪、三つは触貪、四つは威儀語言貪、五つは一切貪です。また、色・声・香・味・触に対する貪を五欲貪と名づけます。また、六触において愛を生じるのを六塵貪と名づけます。また、三受における貪として、楽受のうちには欲得貪と守護貪があり、苦受のうちには不欲得貪と欲失貪があり、不苦不楽受のうちには癡貪があります。また、この貪には九分があり、『大因経』に説かれるとおりです。愛によって欲するままの事を求めるとは、たとえば人がこの事によって苦しめられれば、異なる事を求めるようなものです。「楽者は求めず、苦者は多く求める」と説かれるとおりです。この貪が増長するのを「求」と名づけます。求める時に、もし得るなら「得」と名づけます。愛が得によって、これは取るべきか取るべきでないかと筹量し、もし心が決定するなら、これを「筹量のゆえに欲愛あり」と名づけます。欲愛のゆえに貪著し、貪著を深愛と名づけます。貪著を因縁として取があり、取を「受」と名づけます。受によって慳が生じ、慳によって守護し、守護のゆえに鞭や杖や刀や矛などを受けることになります。これを九分と名づけます。また九分あり、この貪は時によって上・中・下があり、下下・下中・下上、中下・中中・中上、上下・上中・上上です。また、この貪は世間では十種に分けられます。たとえば、よい色を見て初めに心を発して「これだ」と言い、次に欲を生じ、三に願を発し、四に念じ、五に随学して作すところがあり、六に慚愧を忘れ、七に常に目の前にあり、八に放逸となり、九に狂癡となり、十に悶死します。これを貪の相と名づけます。


121 煩惱相品
123 貪因品

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