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title: "增壹阿含經 · 6"
description: "增壹阿含經是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于早期佛教阿含部经典，以数字递增方式组织教义，从一到十逐层阐述佛法要义，涵盖四圣谛、八正道、因果业报等核心思想。经文内容包含佛陀开示、弟子问答及修行指导，体系完整，是研究原始佛教的重要文献。作为汉传佛教根本经典之一，增壹阿含經在佛教史上具有崇高地位，为后世禅修与教理研究提供了重要依据，对东亚佛教发展影响深远。"
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### （六）

> （六）

聞如是：

> このように私は聞きました。

一時，佛在舍衛國祇樹給孤獨園。

> ある時、お釈迦様は舎衛国の祇園精舎におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「有四事終不可思惟。云何為四？眾生不可思議；世界不可思議；龍國不可思議；佛國境界不可思議。所以然者，不由此處得至滅盡涅槃。

> ある時、世尊は比丘たちにこう告げられました。「四つの事柄は、考え尽くすことができない。何がその四つか。第一に、生きとし生けるもののあり方は思い計りがたい。第二に、この世界の成り立ちは思い計りがたい。第三に、竜の国は思い計りがたい。第四に、仏の国・悟りの境地は思い計りがたい。なぜなら、これらのことをいくら考えても、そこから煩悩を滅し尽くした涅槃の境地に至ることはできないからである。」

「云何眾生不可思議？此眾生為從何來？為從何去？復從何起，從此終當從何生？如是，眾生不可思議。

> 「なぜ、衆生は不可思議なのでしょうか。この衆生は、どこから来たのでしょうか。どこへ行くのでしょうか。また、どこから生じ、ここで終わった後、どこに生まれるのでしょうか。このように、衆生は思い測ることができないのです。」

「云何世界不可思議？諸有邪見之人：世界斷滅、世界不斷滅，世界有邊、世界無邊，是命、是身，非命、非身，梵天之所造，諸大鬼神作此世界耶？」

> 「世界とは何か、不可思議であるとはどういうことか？誤った見解を持つ人々はこう言う——世界は滅びる、世界は滅びない、世界には果てがある、世界には果てがない、これが命であり、これが身体である、命でもなく身体でもない、梵天が創造した、大きな鬼神たちがこの世界を作ったのだ、と。」

爾時，世尊便說此偈：

> そこで、世尊はこの偈を説かれました。

「梵天造人民， 世間鬼所造，或能諸鬼作， 此語誰當定？欲恚之所纏， 三者俱共等，心不得自在， 世俗有災變。

> 梵天が人々を作り出したとか、 世の中のすべては鬼が作ったとか、 あるいは様々な鬼神が造ったなどと、 そうした言葉を、いったい誰が確かに決められようか。 欲望や怒りに絡め取られ、 この三つ（貪・瞋・痴）がすべて同じようにはたらくならば、 心は自由を得られず、 この世には苦しみと災いが起こるのだ。

「如是，比丘！世間不可思議。

> 「このように、比丘たちよ。世の中というものは、思い巡らせてはならない、測り知れないものなのです。」

「云何龍界不可思議？云何此雨為從龍口出耶？所以然者，雨渧不從龍口出也。為從眼、耳、鼻出耶，此亦不可思議。所以然者，雨渧不從眼、耳、鼻出，但龍意之所念，若念惡亦雨，若念善亦雨，亦由行本而作此雨。所以然者，今須彌山腹有天，名曰大力，知眾生心之所念，亦能作雨，然雨不從彼天口出，眼、耳、鼻出也。皆由彼天有神力故，而能作雨。如是，比丘！龍境界不可思議。

> 「竜の世界の不思議さとはどのようなものでしょうか。この雨は、竜の口から出ているのでしょうか。しかし実際には、雨粒は竜の口から出ているわけではありません。では、目や耳や鼻から出ているのでしょうか。これもまた不思議なことです。なぜなら、雨粒は目や耳や鼻から出ているわけではないからです。ただ、竜の心にある思いによって、悪を思えば雨が降り、善を思っても雨が降るのです。また、過去の行い（業）によって、この雨はもたらされるのです。 なぜなら、須弥山の麓には「大力」という名の天人が住み、生きとし生けるものの心の思いを知り、雨を降らせることができます。しかし、その雨も、その天人の口や目、耳、鼻から出るわけではありません。すべてはその天人の神通力によって雨を降らせることができるのです。 このように、比丘たちよ、竜の世界というものは、人の思いを超えた不思議なものなのです。」

「云何佛國境界不可思議？如來身者，為是父母所造耶？此亦不可思議。所以然者，如來身者，清淨無穢受諸天氣。為是人所造耶？此亦不可思議。所以然者，以過人行。如來身者，為是大身，此亦不可思議。所以然者，如來身者，不可造作，非諸天所及。如來壽為短耶？此亦不可思議。所以然者，如來有四神足。如來為長壽耶？此亦不可思議。所以然者，然復如來故興世間周旋，與善權方便相應。如來身者，不可摸則，不可言長、言短。音聲亦不可法則，如來梵音，如來智慧、辯才不可思議，非世間人民之所能及。如是佛境界不可思議。

> 「では、仏の世界がなぜ思いもよらないのか？ 如来の身体は、父母から生まれたものなのか？ これも思いもよらないことだ。なぜなら、如来の身体は清らかで汚れがなく、天の気を受けたものだからだ。人間が作り出したものなのか？ これも思いもよらない。なぜなら、人間の業（わざ）を超えているからだ。如来の身体は大きな身体なのか？ これも思いもよらない。なぜなら、如来の身体は作られるものではなく、天の者たちでさえ及ばないからだ。如来の寿命は短いのか？ これも思いもよらない。なぜなら、如来には四つの神足（神通力）があるからだ。如来の寿命は長いのか？ これも思いもよらない。なぜなら、如来はあえて世の中に現れて活動し、巧みな方便（手段）と調和しているからだ。如来の身体は形で捉えられるものではなく、長いとも短いとも言えない。その声も決まった形では捉えられず、如来の梵音（清らかな声）、如来の智慧、弁才（弁舌の才能）は思いもよらず、世の中の人民が及ぶところではない。このように、仏の世界は思いもよらないのである。」

「如是。比丘！有此四處不可思議，非是常人之所思議。然此四事無善根本，亦不由此得修梵行，不至休息之處，乃至不到涅槃之處，但令人狂惑，心意錯亂，起諸疑結。

> そうなのです、比丘たちよ。これら四つの事柄は、人の思い及ぶところではなく、凡夫の考え及ぶものではありません。しかし、これらの四つには善い根本がなく、これによって清らかな修行が完成することもなく、心の安らぎに至ることもなく、さらには涅槃に至ることさえもありません。ただ人を狂わせ、心を混乱させ、様々な疑いの結び目を生じさせるだけなのです。

「所以然者，比丘當知，過去久遠，此舍衛城中有一凡人，便作是念：『我今當思議世界。』是時，彼人出舍衛城，在一華池水側，結跏趺坐，思惟世界：『此世界云何成？云何敗？誰造此世界？此眾生類為從何來？為從何出？為何時生？』是時，彼人思議，此時便見池水中有四種兵出入。是時，彼人復作是念：『我今狂惑，心意錯亂，世間無者，我今見之。』時，彼人還入舍衛城，在里巷之中作是說：『諸賢當知，世界無者，我今見之。』

> 「なぜかというと、比丘たちよ、知っておきなさい。遠い昔、この舎衛城に一人の普通の人がいました。その人はこう考えました。『今こそ、この世界について思い巡らせてみよう』と。そこで、その人は舎衛城を出て、ある華の池のほとりで、足を組んで坐り、世界について考えました。『この世界はどのようにして成り立つのだろうか、どのようにして滅びるのだろうか、誰がこの世界を作ったのだろうか、この生きとし生けるものはどこから来て、どこから現れ、いつ生まれたのだろうか』と。その時、彼が考えていると、池の中に四種の軍隊が出たり入ったりするのが見えました。そこで、その人はさらにこう思いました。『今、私は惑い狂い、心が錯乱している。世の中に存在しないものを、今、私は見てしまった』と。その時、その人は舎衛城に戻り、街路でこう言いました。『皆さん、知ってください。世の中にないものを、今、私は見ました』と。」

「是時，眾多人報彼人曰：『云何世間無者，汝今見之？』時，此人報眾多人曰：『我向者作是思惟：「世界為從何生？」便出舍衛城，在華池側，作是思議：「世界為從何來？誰造此世界？此眾生類從何而來？為誰所生？若命終者當生何處？」我當思議，此時，便見池水中有四種兵出入，世界無者，我今見之。』是時，眾多人報彼人曰：『如汝實狂愚，池水之中那得四種兵？諸世界狂愚之中，汝最為上！』

> この時、多くの人々がその男に言った。「『世の中にないもの』を、お前が見たと言うのか？」 するとその男は答えた。「私は先ほど、『世界は何から生まれたのか』と考えて、舎衛城を出て、花の池のほとりでこう思い巡らせていた。『世界はどこから来たのか？誰がこの世界を造ったのか？この生きとし生けるものはどこから来て、誰によって生まれたのか？もし命が終われば、どこへ生まれるのか？』そう考えていると、その時、池の水の中に四種の兵隊が出入りするのが見えた。世の中にないものを、今、私は見たのだ。」 そこで多くの人々はその男に言った。「お前は本当に愚かで気が狂っている。池の水の中に、どうして四種の兵隊があるものか。あらゆる狂人や愚か者の中でも、お前が一番だ。」

「是故，比丘！我觀此義已，故告汝等耳。所以然者，此非善本功德，不得修梵行，亦復不得至涅槃處。然思議此者，則令人狂，心意錯亂。然比丘當知，彼人實見四種之兵。所以然者，昔日諸天與阿須倫共鬪，當共鬪時，諸天得勝，阿須倫不如。是時，阿須倫便懷恐怖，化形極使小，從藕根孔中過。佛眼之所見非餘者所及。

> 「だからこそ、比丘たちよ、私はこの意味をよく見極めた上で、あなたがたに告げるのです。なぜなら、これは善い根本や功徳とはならず、清らかな行いを完成することもできず、涅槃の境地に至ることもできないからです。しかし、これを思い巡らそうとすれば、人は狂い、心は乱れてしまいます。比丘たちよ、知っておきなさい。かの者は実際に四種の兵を見たのです。なぜなら、かつて天人会と阿修羅が戦い、その戦いにおいて天人会が勝ち、阿修羅が負けたことがありました。その時、阿修羅は恐れを抱き、姿を極めて小さく変えて、蓮根の穴を通り抜けたのです。これを仏の眼で見たことは、他の者には及ばない事柄なのです。」

「是故，諸比丘！當思議四諦。所以然者，此四諦者，有義、有理，得修梵行，行沙門法，得至涅槃。是故，諸比丘！捨離此世界之法，當求方便，思議四諦。知是，諸比丘！當作是學。」

> 「ですから、修行者の皆さん、この四つの真理について深く考えなさい。なぜなら、この四つの真理には意味があり、道理があり、清らかな行いを修め、修行者の道を歩み、涅槃に至ることができるからです。ですから、修行者の皆さん、この世の執着を離れ、努めて四つの真理を考えなさい。このように、修行者の皆さんは、学ぶべきなのです。」

爾時，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んで受け入れ、実践しました。