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  1. 十二門論疏 (十二門論疏)
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  3. 5 観有相無相門(下本) (5 觀有相無相門(下本))
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十二門論疏 (十二門論疏)


十二門論疏卷下之本

十二門論疏 巻下 本

觀有相無相門第五
問:上門明有為無為二法俱無有相,此即破一切法體相皆盡。又上破有為相中有四門,破展轉義前後一時、破不展轉義到不到及已未門,此四能破門破有為相盡。破無為相亦有四門,一用有為破無為體門、二破無為相門、三無相有無為門、四無因待故無有無為門。若爾,能破所破一切相窮,何因緣故更說此門?答:所相是眾病之根。上破雖窮,今重以有無門更責有為無為相。汝必言有有為無為二種相者,此二法為前有相後以相相之、為前無相後將相相之?二門求不可得,云何言有為無為二種相耶?前門名為正破,此門名縱有,故更撿之。二者上破通相,謂生住滅通相一切有為法;今破別相,謂人瓶柱地各有於相。通別備窮,相義方盡。又前破隱相,一剎那中有生住異滅,此事微隱難以取悟;今破顯相如瓶柱等,即取悟為易,故說此門。又前破標相,三相能標別法體是於有為;今破體相,如熱為火體相。撿標體二相俱無,諸相乃盡。以一切相盡,則心無所取,故取相心斷。又心則是相,求一切相不可得故則無心相,無心相故無能取。此則於外無數、於內無心,彼已寂滅名為涅槃也。然相既無、無相亦無,亦相無相、非相無相亦無,故四境絕、四心斷、四言寂,則是實相法身佛性法界也。問:有無為是能破、為是所破?答:具有二種。若直執有相,則開有無二門責之,故是能破;若執有無,則有無是所破。問:用何破破有無耶?答:有二種。一借有破無、借無破有,謂對緣假破;二就有求有無蹤,名就緣假破。

問:前の段階では、有為法と無為法の二つの法について、どちらも相(固定的な形)がないことを明らかにしました。これはすべての法の本体と相を徹底的に破ったことになります。また、前の段階では有為の相を破るのに四つの方法があり、それらは「前後・一時」「到・不到」「已・未」という四つの観点から有為の相を徹底的に破りました。無為の相を破るのにも四つの方法があり、一つ目は有為法を用いて無為の本体を破る方法、二つ目は無為の相そのものを破る方法、三つ目は無相であるにもかかわらず無為があるとする矛盾を破る方法、四つ目は原因や条件がないのに無為があるとする矛盾を破る方法です。それならば、破る側と破られる側のすべての相がすでに尽きているのに、なぜさらにこの方法を説く必要があるのでしょうか。

答:相という考え方は、あらゆる迷いの根源です。前の段階で破り尽くしたとはいえ、今ここで「有」と「無」という観点から、改めて有為と無為の相を問い詰めます。もしあなたが「有為と無為の二種類の相がある」と主張するなら、この二つの法は、最初から相があって後から相が付けられたのか、それとも最初は相がなくて後から相が付けられたのか、どちらでしょうか。この二つの観点から探っても見つからないのに、どうして有為と無為の二種類の相があると言えるでしょうか。前の段階の破り方を「正破」と呼び、この段階の破り方を「縦有」と呼びます。つまり、仮に相があるとしても、それをさらに検証するのです。

第二に、前の段階では「通相」を破りました。通相とは、生・住・滅というすべての有為法に共通する相のことです。今ここでは「別相」を破ります。別相とは、人や瓶や柱や大地など、それぞれが独自に持っている相のことです。通相と別相の両方を破り尽くしてこそ、相という考え方は完全に否定されます。

また、前の段階では「隠れた相」を破りました。一瞬のうちに生・住・異・滅があるというのは、微細で隠れた事柄であり、理解するのが難しいものです。今ここでは「顕著な相」を破ります。瓶や柱などの目に見える相は、理解しやすいので、この方法で説くのです。

さらに、前の段階では「標識となる相」を破りました。生・住・滅という三つの相は、法の本体が有為であることを示す標識です。今ここでは「本体そのものの相」を破ります。例えば、熱さが火の本体の相であるようなものです。標識となる相と本体そのものの相の両方を検証して、どちらも存在しないことを明らかにすれば、あらゆる相は尽きるのです。

すべての相が尽きれば、心は捉える対象を失います。だから、相を捉えようとする心は断たれるのです。また、心そのものが相であるなら、あらゆる相を探しても見つからないので、心の相も存在しません。心の相がないので、捉える主体も存在しません。こうして、外には捉える対象がなく、内には捉える心もない状態が訪れます。そのような静寂な状態こそが涅槃と呼ばれるものです。

しかし、相がないなら、無相という考え方もありません。相も無相も、相でも無相でもないものも、すべて存在しません。だから、四つの対象(色・声・香・味)は絶え、四つの心(貪・瞋・癡・慢)は断たれ、四つの言葉(有・無・亦有亦無・非有非無)は静寂となります。これこそが、実相・法身・仏性・法界なのです。

問:有と無は、破る側なのでしょうか、それとも破られる側なのでしょうか。

答:両方の役割があります。もし単に相があると執着するなら、有と無という二つの観点から問い詰めるので、破る側になります。もし有と無そのものを執着するなら、有と無は破られる側になります。

問:では、何を使って有と無を破るのでしょうか。

答:二つの方法があります。一つは、有を借りて無を破り、無を借りて有を破る方法です。これは「対縁仮破」と呼ばれます。もう一つは、有そのものの中に有を求めても見つからず、無そのものの中に無を求めても見つからないことを明らかにする方法です。これは「就縁仮破」と呼ばれます。

此門亦三:一生起、二門體、三總結齊法。

この門もまた三つに分かれる:一に生起、二に門体、三に総結斉法。

偈上半開二門以破於相、下半攝法。有相無相不相者有二義:一者如柱,前已有圓相,不須更將圓相相之;二前已有相,更以相相,是則無窮。無相亦有二義:一者若無圓相,則無柱體,相無所相;二者物若無相,以相相之,終自不著柱。是有為既作二門責,無為亦作二門責之。下半攝法者,此二有故相有,二門無故相無。

偈の前半では二つの門を開き、相を破し、後半では法を摂めます。

有相と無相が互いに相しないことには二つの意味があります: 一つは、柱の例のように、すでに円相があれば、改めて円相でそれを相する必要はありません。 二つは、すでに相があれば、さらに相でそれを相すれば、それは無限に続いてしまいます。

無相にも二つの意味があります: 一つは、円相がなければ柱の本体もなく、相する対象がありません。 二つは、物に相がなければ、相でそれを相しようとしても、結局は柱に定着しません。

このように有為法に対して二つの門から問いかけ、無為法に対しても二つの門から問いかけます。

後半で法を摂めるとは、この二つ(有相と無相)があるから相が存在し、二つの門がないから相が存在しないということです。

長行釋上下半,即二。釋上半有無門即二。破有相中又二:一正破、二結破。初又二:第一作相無用破;「復次」下,第二重相破也。「是故」下,第二總結。

長い説明文は、上下の二つの部分に分けて解釈します。まず、上半分の「有無の門」についての解釈も二つに分かれます。そのうち「有の相を破る」部分はさらに二つに分けられます。一つは「正しく破る」、もう一つは「まとめて破る」です。最初の「正しく破る」はまた二つに分かれ、第一が「作られた相は無用であることを破る」で、「復次」以下が第二の「重ねた相を破る」です。「是故」以下が第二の「まとめて破る」にあたります。

「無相中」下,破無相中相義。就文為四:初總標無相中相不相。「何法名無相」下,第二責不見無相法。如《中論》無有無相法,以有為無為各有相,故有有為無為;若無相則無有為無為也。「如象有雙牙」下,第三出無無相法。「若離是相」下,第四結無無相法。

「無相の中」以下は、無相の中にある相という考えを破る。本文に沿って四段階に分ける。

第一段:まず全体的に、無相の中にある相は相ではないと示す。 「何法名無相」以下、第二段:無相という法が見えないことを問う。『中論』にあるように、無相という法は存在しない。なぜなら、有為も無為もそれぞれ相を持つから、有為と無為があるのである。もし無相ならば、有為も無為も存在しない。 「如象有雙牙」以下、第三段:無相という法が存在しないことを明らかにする。 「若離是相」以下、第四段:無相という法が存在しないことを結論づける。

「如是有相中」者,第二釋下半。

「このように相のあるものの中で」とは、第二に下半を釈したものである。

「是故相無所相」下,第三總結齊法。又為二:初別結無四法、次結三空。結無四法者,一明相無故可相無、二明相可相空故萬法空、三物空故則無物空、次明物無物空故有為空。文處易知。「有為空故」下,結歸三空。

4 觀相門(中末)
6 觀一異門(下本)

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