No. 257-A圓覺經集註序
No. 257-A 円覚経集註 序
潼川沙門居簡 述
潼川沙門居簡 述
覺而不圓者有矣,夫未有圓而不覺者也。圓而不覺者有矣,夫未有覺而不圓者也。昭昭日用之間而不知也。一性圓具,不知故不覺也。性之所具曰圓。圓也者,凡愚不虧,聖神不盈,自本自根,與生俱生。圓同太虗而無欠無餘,太虗同受而與之俱化。良由習與性離,情與智違。背大明處,即大闇室。悠悠長瞑,不了此覺。縱復亦了,覺而不圓。惟其不圓,其證亦爾。遂有修證之目為三種,行證之所以別也。所修者何?修此者也。所證者何?證此者也。所修不同,所證則一也。所覺不同,所圓則一也。故曰:一切眾生,皆證圓覺。非覺之以妙覺,則止於其所覺。非圓之以至圓,則止於其所圓。自四十一地以前,皆止於其所止,而不知其所由止也。不修何以達其證?不證何以明其修?亡證而亡修,而妄冀夫所謂圓覺者,是今日適越而昔至也。修而後能證,證而後能忘,則十二大士未始有問也,十萬大眾未始有聞也。六塵不濯而清淨,四病不藥而瘳也。靜幻寂,非一而非三。單複圓,無前無後也。如是乃至圓裹三世,清淨平等,皆光明藏也。圭峯發明此經,造疏數萬言,反約於廣博浩繁之中,略為別本。由唐至今,廣略並行。西南學徒,家有其書。於戲盛哉!江淮荊蠻,稍若不競。天台再造於五季糺離之際,鼓行吳越間,作者輩出,巉然見頭角。由是二家之言,肝膽楚越,咫尺雲壤。彼所宗尚,我得排斥。我所宣演,彼得指議。異己之卓識,與共𡑡堵,必羣而咻之,務其說之不售。同己之固陋,遠在萬里,必引而嗾之,欲其喙之必信。使二家之道,不淪於必爭之口者幾希。此吾古雲粹師,所以憤悱慨慷,集註此經,而示其同也。以本宗之義,發他示之言。以他宗之奧,揭本宗之玄。本諸其理,不本諸其宗。參諸其心,不參諸其人。黨非其同,伐非其異。平持其衡,婉立其言。俾滯於一曲者,知夫師子手足一金也,江河淮濟一水也。毋求異於圭峰,亦毋以求同也。異其所異,而同其所同也。後五百世,有自圭峰而得古雲,或自古雲而得圭峰者,天也,非一人之私所能也。
悟っているが円満でないことはあり得る。 しかし、円満でありながら悟っていないことはない。 円満だが悟っていないこともあり得るだろうか? しかし、悟っていながら円満でないことはない。
日々の生活の中で、ありありと目の当たりにしているのに、私たちはそれに気づいていない。 本性には円満な働きが備わっているのだが、気づかないから悟らないのである。 本性に備わっているものを「円」と言う。 この「円」は、凡夫や愚か者にも欠けることがなく、聖人や神にも満ち足りることがない。 自らを根源とし、生まれながらにそなわっているのである。 「円」は太虚のように広大で、欠けることも余ることもない。 太虚もまた同じく受け入れ、いっしょに変化していく。 まことに、習慣が本性から離れ、感情が智慧に背くことによって、 大いなる光明の在り処に背を向けて、大いなる暗闇の部屋に入ってしまう。 長い間、闇に閉ざされ、この「覚」を理解しない。 たとえ理解しようとしても、悟っていても円満ではない。 円満でないから、その悟りの境地もまた不完全である。 そこで修行と悟りの段階を三種に分け、行と証を区別するのである。
修行するものは何か? この「覚」を修するのである。 悟るものは何か? この「円」を証するのである。 修行の方法は異なっても、悟るものは同じ一つである。 悟りの内容は異なっても、円満の内容は同じ一つである。 だから言う、「すべての衆生は、みな円覚を証する」と。 しかし、妙なる覚によって覚らなければ、その覚のとどまるところで止まってしまう。 至極の円によって円らなければ、その円のとどまるところで止まってしまう。 四十一地以前の位は、みなその止まるところに止まって、なぜ止まるのかを知らないのである。
修行しなければ、どうして悟りに至れるだろうか? 悟らなければ、どうして修行を明らかにできるだろうか? 悟りも修行もないと否定して、勝手に「円覚」と呼ぶことを望むのは、今日「越」に行こうと言いながら、昨日すでに到着していると言うようなものである。 修行してから悟ることができ、悟ってから修行も忘れることができる。 そうであれば、十二大士は最初から問いを発しておらず、十万の大衆も最初から聞いていなかったことになる。 六つの感覚器官をわざわざ洗わなくても清らかであり、四つの病(作・任・止・滅)も薬を必要とせずに治るのである。 静・幻・寂は、一つでありながら三つではなく、三つでありながら一つである。 単・複・円は、前も後もない。 このようにして、三世を包み込み、清らかで平等な、すべてが光明の蔵となるのである。
圭峰禅師(宗密)はこの経典を解明するために、数万言に及ぶ注釈書を作った。そして、広大で浩瀚な著述の中から要点を抽出し、簡略な別の版本を作った。 唐の時代から現在に至るまで、広版本と略版本が並んで流布している。 西南地方の学徒は、どの家にもその書物を備えている。なんと盛んなことか! しかし、長江・淮河流域や荊州・蛮地域では、やや振るわない。 天台宗は、五代の混乱の時代に再興され、呉越の地で勢力を振るい、優れた学者が次々と現れ、頭角を現した。 ここに、両宗(華嚴宗と天台宗)の言説は、肝と胆のごとく近くありながら楚と越のように遠く離れ、咫尺の間も雲と泥の差となり、 互いに相手の説を排斥し合い、私が宣揚するものを彼が非難し、彼が唱えるものを私が論難するという有様となった。 自分の意見と異なる優れた見解に対しては、たとえ隣同士でも群がって騒ぎ立て、その説が受け入れられないように謀る。 自分の意見と同じすぐ無い考えに対しては、万里の彼方であっても引き入れてけしかけ、その主張が必ず信じられるように欲する。 これにより、両宗の道が、争う口舌によって廃れないことは、ほとんどないと言ってよい。 これが、私の師である古雲和尚が、憤り悲しみ、慷慨してこの経典の集註を作り、両派の同一性を示そうとした理由である。
自宗の義をもって、他宗の言葉を明らかにする。 他宗の奥義をもって、自宗の玄妙を明らかにする。 その道理に基づき、宗派に基づかない。 その心を参究し、その人に参究しない。 味方するのも、自分と同じという理由からではなく、非難するのも、自分と異なるという理由からではない。 公平にバランスを保ち、言葉を婉曲に整える。 これにより、一つの立場に固執する者が、獅子の手足もすべて同じ金であり、長江・黄河・淮河・済水もすべて同じ水であることを知るのである。 圭峰と異なることを求めるな、また同じことを求めるな。 異なるものは異なるものとして認め、同じものは同じものとして認めよ。 五百年後、圭峰の教えから古雲の教えを得る者、あるいは古雲の教えから圭峰の教えを得る者がいるだろう。 それは天の計らいであり、一人の人間の私意で出来ることではない。