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大般涅槃経 (大般涅槃經)


大般涅槃經卷第二

大般涅槃経 巻第二

宋代沙門慧嚴等依泥洹經加之

宋代の僧侶慧厳らが『泥洹経』に基づいて加えた

純陀品第二

純陀品第二

爾時,會中有優婆塞,是拘尸𨚗城工巧之子,名曰純陀,與其同類十五人俱。為令世間得善果故,捨身威儀,從座而起。偏袒右肩,右膝著地,合掌向佛,悲感流淚,頂禮佛足而白佛言:「唯願世尊及比丘僧哀受我等最後供養,為度無量諸眾生故。世尊!我等從今無主、無親、無救、無護、無歸、無趣,貧窮飢困,欲從如來求將來食。唯願哀受我等微供,然後涅槃。世尊!譬如剎利,若婆羅門、毘舍、首陀,以貧窮故,遠至他國役力農作。得好調牛,良田平正,無諸沙鹵、惡草、荒穢,唯悕天雨。言調牛者,喻身、口七;良田平正,喻於智慧;除去沙鹵、惡草、荒穢,喻除煩惱。世尊!我今身有調牛、良田、耘除眾穢,唯悕如來甘露法雨。貧四姓者,即我身是,貧於無上法之財寶。唯願哀愍,除斷我等貧窮困苦,拯及無量苦惱眾生。我今所供雖復微少,冀得充足如來大眾。我今無主、無親、無歸,願垂矜愍如羅睺羅。」

その時、会座の中に優婆塞がいた。彼は拘尸那城の工匠の子で、純陀という名であった。彼は同類の十五人と共にいた。世間が善い果報を得られるようにと、彼らは身なりを整え、席から立ち上がった。右肩を袒ぎ、右膝を地につけ、手を合わせて仏に向かい、悲しみに涙を流し、仏足を礼拝して言った。

「どうか世尊、そして比丘僧の方々、哀れみをもって私たちの最後の供養をお受けください。無量の衆生を救うためです。世尊よ、私たちは今より主なく、親なく、救いなく、護りなく、帰る所なく、向かう所もありません。貧しく飢え苦しみ、如来に将来の糧を求めたいと願います。どうか哀れみをもって私たちのわずかな供養をお受けいただき、その後で涅槃に入ってください。

世尊よ、たとえば剎帝利や婆羅門、毘舎、首陀羅が貧しさゆえに遠く他国へ行き、農作業に従事するようなものです。よく調教された牛を得て、良く整った平らな田畑があり、砂や塩気、悪草、荒れ地などがなく、ただ天の雨を待ち望むようなものです。よく調教された牛とは、身と口の七つの行いをたとえ、良く整った田畑とは智慧をたとえ、砂や塩気、悪草、荒れ地を取り除くことは煩悩を除くことをたとえています。

世尊よ、私は今、調教された牛と良く整った田畑を持ち、様々な雑草を取り除きました。ただ如来の甘露のような法の雨を待ち望んでいます。四姓の貧しい者とは、この私自身であり、無上の法という財宝に貧しい者です。どうか哀れみをもって、私たちの貧しさと苦しみを取り除き、無量の苦しむ衆生をも救ってください。私の今の供養はたとえわずかであっても、如来と大衆を十分に満たすことができますように。私は今、主なく、親なく、帰る所もありません。どうか羅睺羅のようにお憐れみをお垂れください。」

爾時,世尊——一切種智、無上調御——告純陀曰:「善哉,善哉!我今為汝除斷貧窮,無上法雨雨汝身田,令生法芽。汝今於我欲求壽命、色、力、安樂、無礙辯才,我當施汝常命、色、力、安、無礙辯。何以故?純陀!施食有二,果報無差。何等為二?一者、受已得阿耨多羅三藐三菩提,二者、受已入於涅槃。我今受汝最後供養,令汝具足檀波羅蜜。」

その時、世尊——一切種智、無上の調御者——は純陀に告げられた。 「善いかな、善いかな。私は今、あなたのために貧しさを断ち切り、無上の法の雨をあなたの心田に降り注ぎ、法の芽を生えさせよう。あなたが今、私に寿命や色身、力、安楽、自在な弁才を求めているならば、私はあなたに永遠の命、色身、力、安らぎ、自在な弁才を授けよう。なぜならば、純陀よ、飲食の布施には二つの種類があり、その果報に違いはないからである。どのような二つか。一つは、供養を受けた者が阿耨多羅三藐三菩提を得ること。もう一つは、供養を受けた者が涅槃に入ることである。私は今、あなたの最後の供養を受け、あなたが布施波羅蜜を具足することを願う。」

爾時,純陀即白佛言:「如佛所說二施果報無差別者,是義不然。何以故?先受施者,煩惱未盡,未得成就一切種智,亦未能令眾生具足檀波羅蜜;後受施者,煩惱已盡,已得成就一切種智,能令眾生普得具足檀波羅蜜。先受施者猶是眾生;後受施者是天中天。先受施者,是雜食身、煩惱之身、是後邊身、是無常身;後受施者,無煩惱身、金剛之身、法身、常身、無邊之身。云何而言二施果報等無差別?先受施者,未能具足檀波羅蜜乃至般若波羅蜜,唯得肉眼,未得佛眼乃至慧眼;後受施者,已得具足檀波羅蜜乃至般若波羅蜜,具足佛眼乃至慧眼。云何而言二施果報等無差別?世尊!先受施者,受已食之,入腹消化,得命、得色、得力、得安、得無礙辯;後受施者,不食、不消,無五事果。云何而言二施果報等無差別?」

その時、純陀はすぐに仏に申し上げた。 「仏がおっしゃるように、二つの布施の果報に差別がないというのは、その道理にはなりません。なぜでしょうか。先に布施を受ける者は、煩悩がまだ尽きておらず、一切種智を成就しておらず、また衆生に檀波羅蜜を具足させることもできません。後に布施を受ける者は、煩悩がすでに尽き、一切種智を成就し、すべての衆生に檀波羅蜜を具足させることができるからです。先に布施を受ける者は、まだ衆生です。後に布施を受ける者は、天の中の天です。先に受ける者は、雑食の身、煩悩の身、最後の身、無常の身です。後に受ける者は、無煩悩の身、金剛の身、法身、常身、無辺の身です。どうして二つの布施の果報が等しく差別がないと言えるでしょうか。先に受ける者は、檀波羅蜜から般若波羅蜜までをまだ具足できず、ただ肉眼を得ているだけで、仏眼から慧眼までは得ていません。後に受ける者は、すでに檀波羅蜜から般若波羅蜜までを具足し、仏眼から慧眼までを具足しています。どうして二つの布施の果報が等しく差別がないと言えるでしょうか。世尊よ、先に布施を受ける者は、受け取ってそれを食べ、腹に入れて消化し、命を得、色を得、力を得、安らぎを得、無礙弁を得ます。後に布施を受ける者は、食べず、消化せず、五つの事の果報がありません。どうして二つの布施の果報が等しく差別がないと言えるでしょうか。」

佛言:「善男子!如來已於無量無邊阿僧祇劫無有食身、煩惱之身,無後邊身,常身、法身、金剛之身。善男子!未見佛性者,名煩惱身、雜食之身,是後邊身。菩薩爾時受飲食已入金剛三昧,此食消已即見佛性,得阿耨多羅三藐三菩提。是故,我言二施果報等無差別。菩薩爾時破壞四魔,今入涅槃亦破四魔。是故,我言二施果報等無差別。菩薩爾時雖不廣說十二部經,先已通達,今入涅槃,廣為眾生分別演說。是故,我言二施果報等無差別。

仏は言われた。「善男子よ、如来はすでに無量無辺の阿僧祇劫の間、飲食をとる身体も煩悩の身体もなく、最後の生を受けることもなく、常に存在する法身であり、金剛のように堅固な身体である。善男子よ、まだ仏性を見ていない者は、煩悩に満ちた身体であり、飲食に頼る身体であり、これが最後の生である。菩薩はその時、飲食を受けた後に金剛三昧に入り、その飲食が消化されると、ただちに仏性を見て、阿耨多羅三藐三菩提を得る。それゆえに、私は二つの布施の果報に差別がないと言うのである。菩薩はその時、四魔を破壊し、今、涅槃に入るにあたっても四魔を破る。それゆえに、私は二つの布施の果報に差別がないと言うのである。菩薩はその時、十二部経を広く説くことはなかったが、すでにその真理を通達しており、今、涅槃に入り、広く衆生のために分別して説き明かす。それゆえに、私は二つの布施の果報に差別がないと言うのである。」

「善男子!如來之身已於無量阿僧祇劫不受飲食,為諸聲聞說言:『先受難陀、難陀波羅二牧牛女所奉乳糜,然後乃得阿耨多羅三藐三菩提。』我實不食。我今普為此會大眾,是故受汝最後所奉,實亦不食。」

善きかな、男子よ。如来の身は、すでに無量阿僧祇劫の間、飲食を受けずにいる。しかし、声聞たちにはこう説いたのだ。『まず難陀と難陀波羅という二人の牧牛の女が捧げる乳粥を受け、その後、阿耨多羅三藐三菩提を得た』と。私は実際には食べていない。今、この会の大衆のために広く示すため、あなたが最後に捧げるものを受けるのであるが、実はそれも食べてはいないのだ。

爾時,大眾聞佛世尊普為大會哀受純陀最後供養,歡喜踊躍,同聲讚言:「善哉,善哉。希有,純陀!汝今立字,名不虛稱。言純陀者,名解妙義。汝今建立如是大義,是故依實從義立名,故名純陀。汝今現世得大名利,德願滿足。甚奇,純陀!生在人中,復得難得無上之利。善哉,純陀!如優曇花世間希有,佛出於世亦復甚難;值佛生信、聞法,復難;佛臨涅槃最後供養,能辦此事復難於是。南無純陀!南無純陀!汝今已具檀波羅蜜。猶如秋月十五日夜,清淨圓滿,無諸雲翳,一切眾生無不瞻仰。汝亦如是,而為我等之所瞻仰。佛已受汝最後供養,令汝具足檀波羅蜜。南無純陀!是故說汝如月盛滿,一切眾生無不瞻仰。南無純陀!雖受人身,心如佛心。汝今純陀真是佛子,如羅睺羅,等無有異。」

その時、大衆は仏世尊が広く会衆のため、哀れみをもって純陀の最後の供養を受けられることを聞き、歓喜して踊り上がり、声を合わせて賛嘆して言った。

「善きかな、善きかな。希有なるかな、純陀よ。汝が今立てる名は、虚しく称せられるものではない。純陀という名は、妙なる義を解することを意味する。汝が今、このような大いなる意義を立てたゆえに、実に従って義に基づき名を立てたので、純陀と名づけられたのだ。汝は今、現世において大いなる名声と利益を得、徳と願いが満たされた。実に奇なるかな、純陀よ。人間に生まれながら、さらに得難き無上の利益を得た。善きかな、純陀よ。優曇華が世に希有なるがごとく、仏が世に出られることもまた甚だ難しい。仏に遇い信を生じ、法を聞くこともまた難しい。仏が涅槃に臨まれる最後の供養を、よくこの事を成し遂げることは、それよりもさらに難しい。南無純陀よ、南無純陀よ。汝は今、すでに檀波羅蜜を具えている。あたかも秋の月の十五日の夜、清らかに円満し、雲や翳ひとつなく、すべての衆生が瞻仰せぬ者はないように、汝もまたこのようであって、我ら等のために瞻仰されるのである。仏はすでに汝の最後の供養を受けられ、汝に檀波羅蜜を具足させてくださった。南無純陀よ、それゆえに汝は月の盛りに満ちたるがごとく、すべての衆生が瞻仰せぬ者はないと説かれるのだ。南無純陀よ、人身を受けながらも、心は仏の心のようである。汝、今の純陀はまことの仏の子、羅睺羅のごとく、等しく異なることがない。」

爾時,大眾即說偈言:

その時、大衆は偈を唱えました。

「汝雖生人道, 已超第六天,
我及一切眾, 今故稽首請。
人中最勝尊, 今當入涅槃,
汝應愍我等, 唯願速請佛,
久住於世間, 利益無量眾,
演說智所讚, 無上甘露法。
汝若不請佛, 我命將不全,
是故應見為, 稽請調御師。」

あなたは人の身でありながら、すでに第六天を超えています。 私とすべての衆生は、今ここに頭を下めてお願い申し上げます。 人々の中で最も勝れた尊き方よ、今まさに涅槃に入ろうとされています。 どうか私たちを憐れんでください、ただただ早く仏にお願いしてください。 どうか長くこの世に留まり、数えきれない衆生の利益となってください。 智慧が称賛する、この上ない甘露の教えを説き示してください。 もしあなたが仏にお願いしなければ、私は命を保つことができません。 どうかそのことをお察しください、調御師(仏)にお願いを申し上げてください。

爾時,純陀歡喜踊躍,譬如有人父母卒喪,忽然還活;純陀歡喜亦復如是。復起禮佛而說偈言:

その時、純陀は喜び踊りました。 まるで、父母を亡くした人が、突然に生き返ったかのように。 純陀の喜びもまた、そのようでありました。 そして再び仏を礼拝し、偈を述べました。

「快哉!獲己利, 善得於人身,
蠲除貪、恚等, 永離三惡道。
快哉!獲己利, 遇得金寶聚,
值遇調御師, 不懼墮畜生。
佛如優曇花, 值遇生信難;
遇已種善根, 永滅餓鬼苦,
亦復能損減, 阿修羅種類。
芥子投針鋒, 佛出難於是。
我以具足檀, 度人天生死。
佛不染世法, 如蓮花處水,
善斷有頂種, 永度生死流。
生世為人難、 值佛世亦難,
猶如大海中, 盲龜遇浮孔。
我今所奉食, 願得無上報,
一切煩惱結, 摧破無堅固。
我今於此處, 不求天人身;
設使得之者, 心亦不甘樂。
如來受我供, 歡喜無有量,
猶如伊蘭花, 出於栴檀香。
我身如伊蘭, 如來受我供,
如出栴檀香, 是故我歡喜。
我今得現報, 最勝上妙處,
釋、梵、諸天等, 悉來供養我。
一切諸世間, 悉生大苦惱,
以知佛世尊, 今欲入涅槃。
高聲唱是言: 『世間無調御。』
不應捨眾生, 應視如一子。
如來在僧中, 演說無上法,
如須彌寶山, 安處于大海;
佛智能善斷, 我等無明闇,
猶如虛空中, 雲起得清涼;
如來能善除, 一切諸煩惱,
猶如日出時, 除雲光普照。
是諸眾生等, 戀慕增悲慟,
悉皆為生死, 苦水之所漂。
以是故,世尊! 應長眾生信,
為斷生死苦, 久住於世間。」

ああ、なんと幸せなことか!自らの利益を得、善く人身を得た。 貪りや怒りなどを除き去り、永遠に三悪道から離れる。 ああ、なんと幸せなことか!自らの利益を得、黄金の宝の集まりに遇い、 調御師(仏陀)に値遇し、畜生に堕ちることを恐れない。 仏は優曇華のごとく、値遇して信を生ずることは難しい。 遇い得て善根を種とし、永遠に餓鬼の苦しみを滅ぼし、 また阿修羅の種類をも損減することができる。 芥子を針の先に投げるよりも、仏の出現は難しい。 私は布施を具足し、人天の生死を度する。 仏は世の法に染まらず、蓮華が水の中にあるがごとく、 有頂天の種をも善く断ち、永遠に生死の流れを渡る。 世に生まれて人となることは難しく、仏の世に値遇することもまた難しい。 あたかも大海の中で、盲目の亀が浮き木の穴に出会うがごとし。 私が今捧げる供養が、無上の報いを得んことを願う。 一切の煩悩の結びを、堅固なものなく摧破せんことを。 私は今ここで、天界や人間の身を求めない。 たとえそれらを得たとしても、心は満足も楽しみもしない。 如来が私の供養を受けられたことで、喜びは量り知れない。 あたかも伊蘭華から栴檀の香りが出るがごとく。 私の身は伊蘭華のようであり、如来が私の供養を受けられることは、 栴檀の香りが出るようであり、それゆえに私は喜ぶ。 私は今、現世の報いとして、最も勝れた妙なる境地を得た。 帝釈天、梵天、諸天などが、皆来て私を供養する。 一切の世間は、皆大きな苦悩を生じている。 仏世尊が今、涅槃に入られんとすることを知って。 高らかにこの言葉を唱える:「世間に調御者は無し。」 衆生を捨てるべきではなく、一人の子のように見るべきである。 如来は僧伽の中にあって、無上の法を説かれる。 あたかも須弥宝山が大海の中に安らかに在るがごとく。 仏の智慧は善く私たちの無明の闇を断つ。 あたかも虚空中に雲が起こり、清涼を得るがごとく。 如来は善く一切の煩悩を除かれる。 あたかも日出ずる時、雲を除き光が普く照らすがごとく。 これらの衆生らは、慕い悲しみを増し、 皆、生死の苦しみの水に漂っている。 それゆえに、世尊よ!どうか衆生の信心を長くし、 生死の苦しみを断つために、久しく世間にお住まいください。

佛告純陀:「如是,如是。如汝所說:『佛出世難,如優曇花;值佛生信亦復甚難;佛臨涅槃最後施食能具足檀,倍復甚難。』汝今,純陀!莫大愁苦,應當歡喜,深自慶幸得值最後供養如來,成就具足檀波羅蜜;不應請佛久住於世。汝今當觀諸佛境界悉皆無常;諸行性相亦復如是。」

仏は純陀に告げられた:「その通りだ、その通りだ。お前が言うように:『仏がこの世に現れることは難しく、優曇華のようであり、仏に出会い信仰を起こすこともまた非常に難しい。仏が涅槃に入ろうとする時、最後の施しを捧げ、布施波羅蜜を完全に成就することは、さらに倍も難しい』と。今、純陀よ、深く悲しみ苦しむな。むしろ喜び、深く自らを慶べ。如来に最後の供養を捧げる機会を得て、布施波羅蜜を完全に成就することができたのだから。仏にこの世に長く留まるよう請願してはならない。今、お前はすべての仏の境地がことごとく無常であることを観じるべきだ。すべての行いの本質と現象もまた同じである。」

即為純陀而說偈言:

そこで純陀にむかって、この偈を説かれた。

「一切諸世間, 生者皆歸死,
壽命雖無量, 要必有終盡。
夫盛必有衰、 合會有別離、
壯年不久停、 盛色病所侵、
命為死所吞, 無有法常住。
諸王得自在, 勢力無等雙,
一切皆遷滅; 壽命亦如是。
眾苦輪無際, 流轉無休息,
三界皆無常, 諸有悉非樂,
有道本性相, 一切皆空無。
可壞法流轉, 常有憂患等、
恐怖、諸過惡、 老、病、死、衰惱,
是諸無有邊, 易壞怨所侵,
煩惱所纏裹, 猶如蠶處繭。
何有智慧者, 而當樂是處?
此身苦所集, 一切皆不淨,
扼縛、癰瘡等, 根本無義利;
上至諸天身, 皆亦復如是。
諸欲皆無常, 故我不貪著,
離欲善思惟, 而證真實法。
究竟斷有者, 今日當涅槃。
我度有彼岸, 出過一切苦,
是故於今者, 惟受上妙樂。」

この世のあらゆるものは、 生まれたものはすべて死に帰す。 寿命はたとえ無量であっても、 必ず終わりは訪れる。

栄えあるものは必ず衰え、 出会いには別れがある。 壮年は長くは続かず、 盛んな美しも病に侵され、 命は死に飲み込まれ、 常住なるものは何一つない。

自在を得た諸王も、 比類なき勢力を持つ者も、 すべては移り変わり滅びる。 寿命もまた同じである。

苦しみの輪は果てしなく、 流転は休むことを知らない。 三界はすべて無常であり、 あらゆる存在に真の楽しみはない。 あるがままの姿を観れば、 すべては空であり無である。

壊れるべき法は流転し、 常に憂いや患い、 恐怖やさまざまな過ち、 老い、病、死、衰えと悩みに満ちている。 これらには際限がなく、 壊れやすく、怨みに侵され、 煩悩に絡め取られては、 蚕が繭に閉じ込められるようだ。

どうして智慧ある者が、 このようなところを楽しもうというのか。

この身は苦しみの集まりであり、 すべては清らかではない。 枷や縛り、腫れ物や傷のように、 根本には何の意味も利益もない。 天上の身に至るまで、 すべて同じことである。

諸々の欲望はすべて無常ゆえ、 私はそれらに執着しない。 欲を離れ、善く思惟して、 真実の法を証するのだ。

有を断じ尽くした者は、 今日、涅槃に入る。 私は有の彼岸に渡り、 一切の苦しみを超え出た。 それゆえ今、 ただ最上の妙楽を受けるのである。

爾時,純陀白佛言:「世尊!如是如是,誠如聖教。我今所有智慧微淺,猶如蚊蚋,何能思議如來涅槃深奧之義?世尊!我今已與諸大龍象菩薩摩訶薩——斷諸結漏——文殊師利法王子等。世尊!譬如幼年初得出家,雖未具戒即墮僧數。我亦如是,以佛、菩薩神通力故,得在如是大菩薩數。是故,我今欲令如來久住於世,不入涅槃。譬如飢人終無變吐。唯願世尊亦復如是,常住於世,不入涅槃。」

その時、純陀は仏に申し上げました: 「世尊よ、その通りです、誠に聖なる教えの通りです。 今の私の智慧は微かで浅く、まるで蚊や蚋のようであり、 どうして如来の涅槃の深遠な意義を思いはかることができましょうか。

世尊よ、私は今や、すべての結びつきと漏れを断ち切られた 諸大龍象の菩薩摩訶薩たち――文殊師利法王子など――と共にいます。 世尊よ、たとえば幼くして初めて出家した者が、 まだ具足戒を受けていなくても僧侶の数に入るように、 私もまた同じく、仏や菩薩の神通力によって、 このような大菩薩たちの仲間に入ることができました。

ですから、私は今、如来が長く世に留まり、 涅槃に入られないことを願っています。 ちょうど飢えた人が決して吐き戻さないように。 どうか世尊もまた、常に世に住まわれ、 涅槃に入られませんように。」

爾時,文殊師利法王子告純陀言:「純陀!汝今不應發如是言:『欲使如來常住於世,不般涅槃,如彼飢人無有變吐。』汝今當觀諸行性相,如是觀行具空三昧,欲求正法應如是學。」

その時、文殊師利法王子が純陀に告げて言った。

「純陀よ、あなたは今、このような言葉を発すべきではありません。 『如来がこの世に常住し、涅槃に入られないことを願う。あの飢えた人のように、吐き出すことがないように』と。 あなたは今、すべての行いの本質とあり方を観じなさい。 このように観じ行うことで、空の三昧を具え、正しい法を求めるならば、このように学ぶべきです。」

純陀問言:「文殊師利!夫如來者,天上人中最尊、最勝。如是如來豈是行耶?若是行者,為生滅法。譬如水泡,速起、速滅,往來流轉猶如車輪;一切諸行亦復如是。我聞諸天壽命極長。云何世尊是天中天,壽命更促,不滿百年?如聚落主勢得自在,以自在力能制他人。是人福盡,其後貧賤,人所輕蔑,為他策使。所以者何?失勢力故。世尊亦爾,同於諸行。同諸行者,則不得稱為天中天。何以故?諸行即是生死法故。是故,文殊!勿觀如來同於諸行。

純陀が尋ねました。「文殊師利よ、如来は天界と人間の中で最も尊く、最も勝れたお方です。そのような如来が、はたして行(無常なるもの)と言えるでしょうか?もし行であるならば、それは生滅する法にほかなりません。まるで水の泡のように、速やかに生じ、速やかに滅び、車輪のように往来し流転する。一切の諸行もまた同じです。私は諸天の寿命が極めて長いと聞いています。どうして世尊は天の中の天でありながら、寿命はさらに短く、百年にも満たないのでしょうか?村の長が勢力を得て自在であるように、その自在の力で他人を制することができる。しかしその人の福が尽きれば、その後は貧しく賤しくなり、人々に軽蔑され、他人の指図を受けるようになります。なぜでしょうか?勢力を失ったからです。世尊もまた同じで、諸行と同様です。諸行と同様であるならば、天の中の天とは称されません。なぜなら、諸行はすなわち生死の法だからです。ですから、文殊よ、如来を諸行と同じと見なしてはなりません。」

「復次,文殊!為知而說、不知而說,而言:『如來同於諸行』?設使如來同諸行者,則不得言:『於三界中為天中天、自在法王。』譬如人王有大力士,其力當千,更無有能降伏之者,故稱此士一人當千。如是力士王所愛念,偏賜爵祿、封賞自然,所以得稱當千人者。是人未必力敵於千,但以種種伎藝所能能勝千故,故稱當千。如來亦爾,降煩惱魔、陰魔、天魔、死魔,是故,如來名三界尊。如彼力士一人當千,以是因緣成就具足種種無量真實功德,故稱如來、應、正遍知。文殊師利!汝今不應憶想分別,以如來法同於諸行。譬如巨富長者生子,相師占之有短壽相。父母聞已,知其不任紹繼家嗣,不復愛重,視之如草。夫短壽者,不為沙門、婆羅門等男女大小之所敬念。若使如來同諸行者,亦復不為一切世間人天眾生之所奉敬,如來所說不變不異真實之法亦無受者。是故,文殊!不應說言:『如來同於一切諸行。』

さらにまた、文殊よ。知っているから語るのか、知らないから語るのか、どうして「如来は諸行と同じである」と言えるのか。もし如来が諸行と同じであるならば、「三界の中で天の中の天であり、自在の法王である」とは言えなくなる。たとえば、人の王に大力の士がいて、その力は千人分に相当し、これに打ち勝つ者は他にいない。それゆえ、この士は一人で千人に当たると称される。このような力士は王に愛され、特別に爵禄を賜り、封賞を自然に受ける。だから、千人に当たると称されるのである。この人は必ずしも力で千人に敵するわけではないが、さまざまな技芸によって千人を打ち勝つことができるゆえに、千人に当たると称される。如来もまた同じで、煩悩魔・陰魔・天魔・死魔を降伏させる。それゆえ、如来は三界の尊と名づけられる。あの力士が一人で千人に当たるように、この因縁によって、如来は無量の真実の功徳を成就し具足している。だから、如来・応供・正遍知と称されるのである。文殊師利よ、汝はいま憶想分別して、如来の法が諸行と同じであると考えるべきではない。たとえば、大富豪の長者に子が生まれ、占い師が占って短命の相があると言った。父母はこれを聞き、この子が家を継ぐに足りないと知り、もはや愛し重んじず、草のように見なす。短命の者は、沙門や婆羅門など、男女大小の敬い念うところとならない。もし如来が諸行と同じであるならば、同様に一切の世間の人天衆生から奉られ敬われることもなく、如来の説く変わらず異ならない真実の法も受け取る者はいなくなる。それゆえ、文殊よ、「如来は一切の諸行と同じである」と言うべきではない。

「復次,文殊!譬如貧女,無有居家救護之者,加復病苦、飢渴所逼,遊行乞匃。止他客舍寄生一子,是客舍主驅逐令去。携抱是兒欲至他國,於其中路遇惡風雨,寒苦並至,多為蚊、虻、蜂螫、毒蟲之所唼食。經由恒河,抱兒而渡,其水漂疾而不放捨,於是母子遂共俱沒。如是女人慈念功德,命終之後生於梵天。文殊師利!若有善男子欲護正法,勿說:『如來同於諸行、不同諸行。』唯當自責:『我今愚癡、未有慧眼,如來正法不可思議。』是故,不應宣說:『如來定是有為、定是無為。』若正見者,應說:『如來定是無為。』何以故?能為眾生生善法故、生憐愍故。如彼貧女在於恒河為愛念子而捨身命。

さらにまた、文殊よ、たとえば貧しい女がいたとしよう。家もなく、守ってくれる者もなく、病苦や飢え、渇きに苦しみ、物乞いをしてさまよっていた。ある時、他人の宿屋に身を寄せ、そこで一子を産んだ。ところが宿の主人に追い出され、その子を抱いて他国へ向かう途中、激しい風雨に遭い、寒さと苦しみが同時に襲い、蚊や虻、蜂や毒虫に刺され、食い荒らされた。ガンジス河を渡ろうと子を抱いて川に入ったが、流れは速く、それでも子を放さなかった。こうして母子は共に水に沈んだ。この貧しい女の慈しみの心の功徳により、彼女は命終わった後、梵天に生まれたのである。

文殊師利よ、もし善男子が正法を護りたいと願うなら、『如来は諸行と同じである』とも『諸行とは異なる』とも言ってはならない。ただひたすら自らを責めよ。『私は愚かで、まだ慧眼を持たない。如来の正法は思いはかることのできないものだ』と。だから、『如来は必ず有為である』とも『必ず無為である』とも断言すべきではない。もし正しい見解を持つなら、『如来は必ず無為である』と説くべきである。なぜか。衆生に善法を生じさせ、憐れみの心を起こさせるからだ。あの貧しい女がガンジス河で、子への愛しみの思いから身命を捨てたように。

「善男子!護法菩薩亦應如是,寧捨身命,不說:『如來同於有為。』當言:『如來同於無為。』以說如來同無為故,得阿耨多羅三藐三菩提,如彼女人得生梵天。何以故?以護法故。云何護法?所謂說言:『如來同於無為。』善男子!如是之人,雖不求解脫,解脫自至,如彼貧女不求梵天,梵天自應。

「善男子よ。法を護る菩薩もまた、このようにあるべきです。むしろ身命を捨てても、『如来は有為と同じである』と言ってはなりません。『如来は無為と同じである』と言うべきです。如来は無為と同じであると説くことによって、阿耨多羅三藐三菩提を得ます。かの女が梵天に生まれたようにです。なぜでしょうか。法を護るからです。どのように法を護るのでしょうか。すなわち、『如来は無為と同じである』と言うことです。善男子よ。このような人は、たとえ解脱を求めなくても、解脱は自然に至ります。かの貧しい女が梵天を求めなくても、梵天が自然に応じたようにです。」

「文殊師利!如人遠行,中路疲極,寄止他舍。臥寐之中,其室忽然大火卒起。即時驚寤,尋自思惟:『我於今者定死不疑。』具慚愧故,以衣纏身,即便命終生忉利天。從是已後滿八十返作大梵王、滿百千世生於人中為轉輪王,是人不復生三惡趣,展轉常生安樂之處。以是緣故,文殊師利!若善男子有慚愧者,不應觀佛同於諸行。

文殊師利よ、たとえば、ある人が遠くへ旅に出て、道中で疲れ果て、他人の家に宿を借りたとしよう。眠りについたその時、部屋が突然、大火事に見舞われた。彼はすぐに目を覚まし、こう考えた。「今の私は、間違いなく死ぬに違いない」。彼は恥を知る心を持っていたので、衣で体を覆い、そのまま命を終えて忉利天に生まれた。それから後、八十回も大梵天王となり、百千もの世にわたって人間界に生まれ、転輪王となった。この人は二度と三悪道に生まれることはなく、常に安楽な世界に生まれ変わったのである。この縁によって、文殊師利よ、恥を知る心を持つ善男子は、仏を諸行と同じものと見なすべきではない。

「文殊師利!外道邪見可說如來同於有為,持戒比丘不應如是於如來所生有為想。若言如來是有為者,即是妄語,當知是人死入地獄,如人自處於己舍宅。

文殊よ!外道の邪見は、如来が有為と同じであると説くかもしれないが、戒を守る比丘は、如来に対してそのような有為の想いを抱いてはならない。もし如来が有為であると言うなら、それは妄語であり、その人は死んで地獄に堕ちることを知るべきだ。それは人が自らの家に居るがごとくである。

「文殊師利!如來真實是無為法,不應復言是有為也。汝從今日於生死中,應捨無知、求於正智,當知如來即是無為。若能如是觀如來者,具足當得三十二相,疾成阿耨多羅三藐三菩提。」

文殊師利よ、如来は真実、無為の法であり、もはや有為であるとは言えません。あなたは今日から、生死の迷いの中で無知を捨て、正しい智慧を求めなさい。如来は無為であることを知りなさい。もしこのように如来を観ることができれば、三十二相を具足し、速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就するでしょう。

爾時,文殊師利法王子讚純陀言:「善哉,善哉。善男子!汝今已作長壽因緣,能知如來是常住法、不變異法、無為之法。汝今如是善覆如來有為之相。如被火人為慚愧故以衣覆身,以是善心生忉利天,復為梵王、轉輪聖王,不至惡趣,常受安樂。汝亦如是,善覆如來有為相故,於未來世必定當得三十二相、八十種好,具足十八不共之法,無量壽命,不在生死,常受安樂,不久得成應正遍知。

その時、文殊師利法王子は純陀を称えて言った。「善いかな、善いかな。善男子よ! あなたは今、長寿の因縁を作り、如来が常住の法であり、変異することのない法であり、無為の法であることを知ることができた。あなたは今、このように如来の有為の相を善く覆い隠した。火傷を負った人が恥ずかしさの故に衣で身を覆うように、この善き心によって忉利天に生まれ、さらに梵天王や転輪聖王となり、悪趣に堕ちることなく、常に安楽を受ける。あなたもまた同じく、如来の有為の相を善く覆い隠した故に、未来世において必ずや三十二相・八十種好を具え、十八不共の法を備え、無量の寿命を得て、生死の輪廻に留まらず、常に安楽を受け、やがて正等覚(完全な悟り)を成就するであろう。」

「純陀!如來次後自當廣說,我之與汝,俱亦當覆如來有為。有為、無為且共置之,汝可隨時速施飯食,如是施者諸施中最。若比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷遠行疲極,所須之物應當清淨,隨時給與,如是速施即是具足檀波羅蜜根本種子。純陀!若有最後施佛及僧——若多、若少,若足、不足——宜速及時,如來正爾當般涅槃。」

純陀よ、如来はこの後、自ら広く説くであろう。私とあなたは共に、如来の有為の業を覆うことになる。有為や無為の議論はひとまず置き、あなたは今すぐに食事の布施をなさい。このような布施は、あらゆる布施の中で最も尊い。

もし比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷が遠くから疲れて来たならば、必要なものを清らかな心で、時を逃さずに与えなさい。そのような速やかな布施こそが、檀波羅蜜(布施の完成)の根本となる種子を具えるのです。

純陀よ、もし仏と僧に最後の布施をなすならば――多くても少なくても、十分でも不十分でも――速やかに時を逃さずに行いなさい。如来はまさに今、涅槃に入ろうとしているのだから。

純陀答言:「文殊師利!汝今何故貪為此食,而言多、少、足與不足,令我時施?文殊師利!如來昔日苦行六年尚自支持,況於今日須臾間耶?文殊師利!汝今實謂如來正覺受斯食耶?然我定知:如來身者即是法身,非為食身。」

純陀は答えて言った。「文殊師利よ、あなたはなぜ今、この食事を欲しがり、多いか少ないか、足りるか足りないかと言って、私にすぐに施すように求めるのですか?文殊師利よ、如来はかつて六年の苦行を耐え抜かれたではありませんか。ましてや今日のほんのわずかな間のことなど、どうということはないでしょう。文殊師利よ、あなたは本当に如来の正覚がこの食事を受けるとお考えですか?しかし私は確かに知っています。如来の御体は法そのものの身であり、食事を必要とする身ではないのです。」

爾時,佛告文殊師利:「如是如是,如純陀言。善哉,純陀!汝已成就微妙大智,善入甚深大乘經典。」

その時、仏は文殊師利に告げられた。「その通りである、純陀の言う通りである。善いかな、純陀よ。汝はすでに微妙なる大いなる智慧を成就し、深遠なる大乗の教えに善く入った。」

文殊師利語純陀言:「汝謂如來是無為者,如來之身即是長壽。若作是知,佛所悅可。」

文殊師利は純陀に言われた。「あなたが如来を無為の者であると考えるならば、如来の御身はすなわち長寿なのです。もしこのように理解するならば、仏は喜ばれるでしょう。」

純陀答言:「如來非獨悅可於我,亦復悅可一切眾生。」

純陀は答えて言いました。「如来は私だけを喜ばれるのではなく、すべての衆生を喜ばれるのです。」

文殊師利言:「如來於汝及以我等一切眾生皆悉悅可。」

文殊師利は言われました。「如来は、あなたや私たちすべての衆生に対して、皆、喜んでおられるのです。」

純陀答言:「汝不應言:『如來悅可。』夫悅可者,則是倒想;若有倒想則是生死;有生死者,即有為法。是故,文殊!勿謂如來是有為也。若言如來是有為者,我與仁者俱行顛倒。文殊師利!如來無有愛念之想。夫愛念者,如彼乳牛愛念其子,雖復飢渴,行求水草若足、不足,忽然還歸。諸佛世尊無有是念,等視一切如羅睺羅,如是念者即是諸佛智慧境界。文殊師利!譬如國王調御駕駟,欲馳驢乘令及之者,無有是處。我與仁者亦復如是,欲盡如來微密深奧亦無是處。文殊師利!如金翅鳥,飛昇虛空無量由旬下觀大海,悉見水性——魚、鼈、黿、鼉、龜、龍之屬——及見己影,如於明鏡見諸色像,凡夫少智不能籌量如是所見。我與仁者亦復如是,不能籌量如來智慧。」

純陀は答えて言った。「あなたは『如来は悦び楽しむ』と言うべきではありません。悦び楽しむというのは、すなわち倒錯した思いです。もし倒錯した思いがあれば、それは生死です。生死があるものは、すなわち有為の法です。ですから、文殊よ、如来を有為であると言ってはなりません。もし如来が有為であると言うならば、私とあなたは共に倒錯した行いをしていることになります。文殊師利よ、如来には愛執の思いはありません。愛執の思いというのは、あの乳牛が子牛を愛し思うようなもので、たとえ飢え渇いていても、水や草を求めて歩き回り、足りようと足りなかろうと、突然に帰ってくるようなものです。諸仏世尊にはそのような思いはなく、一切を平等に羅睺羅のように見られます。そのような思いこそが、諸仏の智慧の境地なのです。文殊師利よ、たとえば国王が駿馬を調教し、驢馬を駆ってそれに追いつかせようとするようなものですが、それはありえないことです。私とあなたもまた同じで、如来の微細で深遠な奥義を尽くそうとしても、それはありえないことです。文殊師利よ、金翅鳥が虚空に飛び昇り、無量の由旬の高みから大海を見下ろせば、水の中の様子——魚、鼈、黿、鼉、亀、龍の類——をすべて見ることができ、また自分の影をも見ることができます。まるで明鏡にさまざまな色や形が映るように。凡夫の少ない智慧では、このように見えるものを推し量ることはできません。私とあなたもまた同じで、如来の智慧を推し量ることはできないのです。」

文殊師利語純陀言:「如是如是,如汝所說。我於此事非為不達,直欲試汝諸菩薩事。」

文殊師利は純陀に言いました。「その通りです、その通りです。あなたの言う通りです。私はこのことを理解していないわけではありません。ただ、あなたが菩薩としての心構えを試したかったのです。」

爾時,世尊從其面門出種種光,其光明曜照文殊身。文殊師利遇斯光已,即知是事,尋告純陀:「如來今者現是瑞相,不久必當入於涅槃。汝先所設最後供養宜時奉獻佛及大眾。純陀當知:如來放是種種光明非無因緣。」純陀聞已,悲塞默然。

その時、世尊は眉間からさまざまな光を放たれ、その光は文殊菩薩の身を照らしました。文殊師利菩薩はこの光を受けられると、ただちに事の次第を知り、純陀に告げられました。

「如来が今このような瑞相を示されたのは、間もなく涅槃に入られる前兆です。あなたが用意された最後の供養を、今こそ仏と大衆に捧げるべき時です。純陀よ、知りなさい。如来がこのような種々の光明を放たれるのは、何の理由もなく行われたことではありません。」

純陀はこれを聞くと、悲しみに胸がふさがれ、黙ってしまいました。

佛告純陀:「汝所奉施佛及大眾今正是時,如來正爾當般涅槃。」第二、第三亦復如是。

仏は純陀に告げた:「そなたが仏と大衆に捧げる供養は、今こそまさにその時である。如来はまさに今、涅槃に入られようとしている」と。二度、三度と、同じように告げた。

爾時,純陀聞佛語已,舉聲啼哭,悲咽而言:「苦哉,苦哉。世間虛空。」復白大眾:「我等今者一切當共五體投地,同聲勸佛莫般涅槃。」

その時、純陀は仏の言葉を聞くと、声をあげて泣き出し、悲しみに咽びながら言いました。「悲しいことです、悲しいことです。この世は空しいものです。」そして再び大衆に向かって言いました。「私たちは今、皆で五体を地に投げ出し、声を合わせて仏に涅槃に入らないようお願いしましょう。」

爾時,世尊復告純陀:「莫大啼哭、自亂其心,當觀是身猶如芭蕉、熱時之炎、水泡、幻化、乾闥婆城、坏器、電光,亦如畫水、臨死之囚、熟果、段肉,如織經盡、如碓上下。當觀諸行猶雜毒食,有為之法多諸過患。」

その時、世尊はまた純陀に告げられました。

「あまりに嘆き悲しみ、自らの心を乱してはなりません。この身を観じなさい。それはまるで芭蕉の葉のようであり、陽炎のようであり、水の泡のようであり、幻のようであり、乾闥婆城のようであり、壊れやすい器のようであり、稲妻の光のようであり、また水に描いた絵のようであり、死に臨んだ囚人のようであり、熟した果実のようであり、切り分けられた肉のようであり、織物の糸が尽きるようであり、杵が上下するようであるのです。

諸々の行いを観じなさい。それは毒の混じった食物のようです。有為の法には、多くの過ちと苦しみがあるのです。」

於是純陀復白佛言:「如來不欲久住於世,我當云何而不啼泣?苦哉,苦哉。世間虛空。唯願世尊憐愍我等及諸眾生,久住於世,勿般涅槃。」

そこで純陀は再び仏に申し上げました。 「如来様がこの世に長くお留まりにならないのであれば、どうして私は泣かないでいられましょうか。悲しいことです、悲しいことです。この世は空しいものとなりました。どうか世尊、私たちとすべての衆生をお憐れみくださり、長くこの世にお留まりになり、涅槃に入られませんように。」

佛告純陀:「汝今不應發如是言:『哀愍我故,久住於世。』我以哀愍汝及一切,是故今日欲入涅槃。何以故?諸佛法爾,有為亦然。是故,諸佛而說是偈:

仏は純陀に告げられた:「そなたは今、このような言葉を発すべきではない:『我を哀れんで、長く世に住んでください』と。私はそなたと一切の衆生を哀れむがゆえに、今日、涅槃に入ろうとしているのだ。なぜならば、諸仏の法はかくのごとくであり、有為のものもまた同じであるからだ。それゆえに、諸仏はこの偈を説かれたのである:

「『有為之法, 其性無常。 生已不住,
寂滅為樂。』

「作り出されたものは、その本性が無常である。 生じたものは留まらず、 静かに滅することが安楽である。」

「純陀!汝今當觀一切行雜,諸法無我、無常、不住,此身多有無量過患,猶如水泡。是故,汝今不應啼泣。」

純陀よ、今こそ一切の行は雑多であり、すべての法には我がなく、無常でとどまることがないと観じなさい。この身には無量の過失と災いがある、水の泡のようだ。だから、今、泣き悲しむべきではない。

爾時,純陀復白佛言:「如是如是,誠如尊教。雖知如來方便示現入於涅槃,而我不能不懷憂惱;覆自思惟,復生慶悅。」

その時、純陀は再び仏に申し上げました。 「おっしゃる通りです。如来が方便として涅槃に入る姿を示されたことは承知しております。 それでもなお、私は憂いと悲しみを抱かずにはいられません。 しかし、深く考えてみると、同時に喜びの気持ちも湧いてくるのです。」

佛讚純陀:「善哉,善哉。能知如來示同眾生方便涅槃。純陀!汝今當聽:如娑羅娑鳥,春陽之月皆共集彼阿耨達池;諸佛亦爾,皆至是處。純陀!汝今不應思惟諸佛長壽、短壽,一切諸法皆如幻相,如來在中以方便力無所染著。何以故?諸佛法爾。純陀!我今受汝所獻供養,為欲令汝度脫生死諸有漏故。若諸人天於此最後供養我者,悉皆當得不動果報,常受安樂。何以故?我是眾生良福田故。汝若復欲為諸眾生作福田者,速辦所施,不宜久停。」

仏は純陀を讃えて言われた。「善いかな、善いかな。よく如来が衆生と同じ姿を示し、方便として涅槃に入ることを理解した。純陀よ、今よく聞くがよい。ちょうど春の陽光の月に、サラサ鳥が皆アナヴァタプタ池に集まるように、諸仏もまた同じく、皆この境地に至るのだ。純陀よ、今、諸仏の寿命が長いか短いかを思惟すべきではない。一切の諸法は幻の相の如く、如来はその中にあって方便の力をもって、何ものにも染まることがない。なぜならば、諸仏の法は本来そうであるからだ。純陀よ、私は今、汝の献げる供養を受ける。それは汝が生死の輪廻と一切の煩悩から解脱することを願うからである。もし人や天がこの最後の供養を私に捧げるならば、皆不動の果報を得て、常に安楽を受けるであろう。なぜならば、私は衆生の良き福田であるからだ。汝がさらに諸々の衆生のために福田となろうとするならば、速やかに施しを整え、長く留まるべきではない。」

爾時,純陀為諸眾生得度脫故,低頭飲淚而白佛言:「善哉,世尊!我若堪任為福田時則能了知如來涅槃及非涅槃。我等今者及諸聲聞、緣覺,智慧猶如蚊蚋、實不能量如來涅槃及非涅槃。」爾時,純陀及其眷屬愁憂啼泣,圍遶如來,燒香散華,盡心敬奉,尋與文殊從座而去,供辦食具。

その時、純陀はすべての衆生が救われますようにと願い、うつむいて涙を飲み込みながら仏に申し上げました。

「尊いお方よ、世尊よ。もし私が衆生の福田となる資格があるならば、如来の涅槃と非涅槃を理解することができるでしょう。しかし今の私たち、声聞や縁覚の智慧は、まるで蚊や蚋のように小さく、如来の涅槃と非涅槃を測ることなど、とてもできません。」

その時、純陀とその仲間たちは悲しみに沈み、涙を流しながら如来を取り囲み、香を焚き、花を散らし、心を尽くして敬い奉りました。そしてすぐに文殊菩薩と共に座を立ち、食事の準備をしに行きました。


1 序品
3 哀歎品

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