菩薩處胎經卷第二
菩薩処胎経 巻第二
姚秦涼州沙門竺佛念譯
姚秦涼州沙門竺仏念訳
佛樹品第四
仏樹品第四
爾時,世尊將欲入無餘涅槃界,集諸神通大德菩薩,神足變化說不思議法。「今我寧可化作七寶樹,度此長流永在生死沒溺者,令得解脫。」即入琉璃定無形三昧,東方去此忍界六十四億恒河沙剎,化作七寶樹遍滿其中,諸寶樹上莖、節、柯、枝、葉、果實,各各有七寶宮殿,宮殿有佛,諸佛各說四非常法。後園浴池眾鳥聚集,娛樂其中快樂難勝。其池水中生優鉢蓮華、須乾提花、末乾提花;於彼陸地生瞻蔔花、須曼羅花,牛頭栴檀、搗香、末香,天繒、幡蓋、懸處虛空。爾時,風神王名曰隨意,放大香風吹七寶樹葉,柔軟香熏枝葉相掁,皆出自然八種音響。「善哉!出大光明,如來八種音聲,將欲度未度者。誰現是瑞應,昔我不聞此亦復不現覩見,起滅無常相,將非幻化耶?」爾時樹葉上七寶宮殿中,諸如來、至真、等正覺發大音聲闡揚不思議難有之法,欲說八地中莊嚴諸佛剎。「猶如有人欲覩大海水,去海百由旬不見諸生木,遇見澇水甞之知海尚遠;即自辦入海之具,不見形相念定如空始至海岸,以無畏心自莊嚴身。『善哉!大聖!我所求者今乃獲之。』欣之樂之心無疲惓,即時捨所資生盡入海中,隨本所願皆悉在前。菩薩摩訶薩亦復如是,能斷一住至六住地,盡眾生結使永盡無餘。『今我成佛必然不疑。』是謂菩薩摩訶薩於胎中莊嚴佛樹。
その時、世尊は無余涅槃の境地に入ろうとされ、あらゆる神通力を持つ大徳の菩薩たちを集め、神足変化によって思議しがたい法を説かれました。
「今、私は七宝の樹を化現し、この長き流れに永遠に生死に沈み溺れている者たちを度し、解脱を得させよう」
すぐに瑠璃定無形三昧に入られ、この忍界から東方へ六十四億恒河沙の仏土を隔てたところに、七宝の樹を化現してその中に遍く満たされました。諸々の宝樹の上には、茎、節、枝、葉、果実のそれぞれに七宝の宮殿があり、宮殿には仏がおられ、諸仏はそれぞれ四つの無常の法を説かれました。
後園の浴池には多くの鳥が集まり、その中で楽しみ、喜びは計り知れませんでした。その池の水には優鉢蓮華、須乾提花、末乾提花が生じ、陸地には瞻蔔花、須曼羅花、牛頭栴檀、搗香、末香が生じ、天の織物や幡蓋が虚空に懸けられていました。
その時、風神王、名を隨意という者が、大いなる香りの風を放ち、七宝の樹の葉を吹き、柔らかく香り高い枝葉が触れ合って、自然と八種の音響を発しました。
「善きかな!大いなる光明を放ち、如来の八種の音声が、未だ度されざる者を度そうとされている。誰がこの瑞応を現したのか。昔、私はこれを聞いたこともなく、またこのように現れて見ることもなかった。生滅無常の相が起こり、まさか幻化ではないだろうか?」
その時、樹葉の上の七宝の宮殿の中にいる諸如来、至真、等正覚が、大いなる音声を発して思議しがたく稀有な法を闡揚し、八地の中における諸仏国土の荘厳を説こうとされました。
「ちょうど、ある人が大海の水を見ようとして、海から百由旬離れていると、生きている木々は見えず、たまたま濁った水に出会い、それを嘗めて海はまだ遠いと知るようなものである。そこで自ら海に入る準備を整え、形相を見ず、念定が空の如くになって初めて海岸に至り、無畏の心をもって自ら身を荘厳する。『善きかな、大聖よ!私が求めたものを今こそ得た』と喜び楽しみ、心に疲れを知らず、すぐに資生の物を捨ててことごとく海中に入り、本来願っていたものがすべて目の前に現れる。
菩薩摩訶薩もまた同じである。一住から六住地までを断じ、衆生の結使をことごとく永遠に断ち尽くす。『今、私は必ずや仏となるに違いない』と疑わない。これを菩薩摩訶薩が胎中において仏樹を荘厳するというのである」
「復次,菩薩摩訶薩欲自莊嚴身相,具足三十二大人之相,為真實不?從頂至足,足有千輪,輪有千輻,輻有千相,相有六度無極。
また、菩薩摩訶薩は自らの身相を荘厳し、三十二の大人の相を具足させたいと願う。それは真実であるか?頂から足まで、足には千の輪があり、輪には千の輻があり、輻には千の相があり、その相には六波羅蜜の極致がある。
「所成無見頂相者,破憍慢山得成肉髻相。
「無見頂相」とは、高慢の山を打ち砕いて、肉髻相を得たことを表しています。
「吾從無數阿僧祇劫得不犯婬欲果報,得陰馬藏相。陰馬藏相者壞彼邪見,放相光明遍滿十方恒河沙剎,一一光明皆有化佛,一一化佛皆坐七寶高座,發大音聲演說六度無極,如諸如來常所說法:苦、集、滅、道,施、戒、忍、精進、禪、般若波羅蜜,善巧方便解了諸法,空空、大空、無量空、內空、外空、最空、行空、相空、報空、滅三災空、三明報空、三慧空、三達空、三等空、三世空、三分法身空、三界寂滅空、過去當來現在空、自相空,是謂菩薩摩訶薩不犯婬報相。
私は無数の阿僧祇劫を経て、淫欲を犯さないという果報を得、陰馬蔵の相を成就しました。
この陰馬蔵の相は、邪見を打ち砕き、その光相は十方の恒河沙数の世界に満ちわたります。その一つ一つの光明の中には、みな化仏が現れ、その一つ一つの化仏は、七宝の高座に坐し、大いなる音声を発して六波羅蜜を説き明かします。それは、すべての如来が常に説かれる教えと同じです。
すなわち、苦・集・滅・道の四諦、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜、そして諸法を巧みに理解する方便。
さらに、空・大空・無量空・内空・外空・最空・行空・相空・報空・三災を滅する空・三明の報いの空・三慧の空・三達の空・三等の空・三世の空・三分法身の空・三界寂滅の空・過去・未来・現在の空・自相の空。
これらが、菩薩摩訶薩が淫欲を犯さないことによって得る功徳の相なのです。
「吾從阿僧祇劫常修口淨,不從彼聞此說,不從此聞彼說,得廣長舌相。遍滿十方阿僧祇恒河沙剎,放舌相光明;一一光明皆有化佛,一一化佛皆坐七寶座上,以清淨音聲演說無量口行,清淨報業真實所作,成辦四事無畏,曉了諸法無來無去,音響清淨,以度生死畏地無所罣礙,分別眾生一一音響,演說無量智慧辯才,度五道淵法法成就,以九解脫而自瓔珞,十力具足,空性無形不可沮壞,其聞法者悉皆信解,是謂菩薩摩訶薩口淨舌相果報。
私は無量の劫より常に口の清浄を修め、彼からこれを聞かず、これから彼を聞かず、広長舌相を得ました。その舌相は十方の無量恒河沙の国土に満ち、舌相の光明を放ちます。一々の光明には皆、化仏がおり、一々の化仏は皆、七宝の座に坐し、清浄な音声をもって無量の口行を演説し、清浄な報業の真実の所作を明らかにし、四事無畏を成し遂げ、諸法の来も去りもないことを悟り、音響は清浄で、生死の畏れを度し、何ものにも妨げられることなく、衆生の一々の音響を分別し、無量の智慧弁才を演説し、五道の深淵を度し、法法成就し、九解脱をもって自らを瓔珞とし、十力を具足し、空性は形なく沮壊されることなく、その法を聞く者は皆、信解します。これが菩薩摩訶薩の口浄舌相の果報です。
「吾從無數阿僧祇劫得音響相,遍滿三千大千剎土,柔軟和雅所說不麁,出言成就不從彼受,其聲音者無不悅滿;此音響中亦有無數清淨所說,如諸如來常所說法,十二因緣癡行生死,自觀其身觀他身觀內外身,息長亦知息短亦知,化彼眾生越次取證亦不住證,發聲響相光明,一一光明皆有化佛,一一化佛皆坐七寶高座上,普與眾生說無量法門。心趣解脫空無相願,觀了諸法悉無所有,常以四事慈、悲、喜、捨,四禪、四諦眾智法門,得總持法門、捷疾法門、應聲法門、辯才法門,無量法門常現在前;心常遊戲無量百千三昧,是謂菩薩摩訶薩音響相。
私は無数の阿僧祇劫を経て、音響の相を得ました。その音は三千大千の国土に満ち渡り、柔らかく優雅で、粗雑な言葉はなく、発する言葉は成就し、他から受けるものではありません。この音を聞く者は皆、喜びに満たされます。この音響の中にはまた、無数の清らかな説法があり、諸仏如来が常に説かれる教えの通りです。
十二因縁による無明の行いと生死の輪廻を観じ、自らの身を観、他者の身を観、内外の身を観ます。息が長いことも知り、息が短いことも知ります。衆生を教化し、順序を飛び越えて悟りを得ようとせず、また悟りに執着することもありません。
音響の相から光明を放ち、その一つ一つの光明には皆、化仏がいます。一つ一つの化仏は、七宝で飾られた高い座に坐り、広く衆生に無量の法門を説きます。
心は解脱へと向かい、空・無相・無願を観じ、すべての法が実体のないものであることを見極めます。常に四無量心――慈・悲・喜・捨――を実践し、四禅・四諦・衆智の法門を修め、総持の法門・捷疾の法門・応声の法門・弁才の法門など、無量の法門が常に眼前に現れます。
心は常に無量百千の三昧に遊び戯れます。これが、菩薩摩訶薩の音響の相であると言えます。
「吾從無數阿僧祇劫,恒修心清淨,所念專正所行慚愧,執心一向無他異想悉無塵垢,若有人毀不生憂慼,設當稱譽不以為歡心不移易,所行堅固難動如地,從無數劫承事諸佛,與諸眾生說微妙法,所行不偽一向趣道。有佛、法、僧處輒身往化,講論無量總持法門,所謂論者,施論、戒論、生天之論,欲是不淨、涅槃是樂,引導眾生入定三昧,分別苦諦去離四縛,蠲除集法滅大分結,道除雜糅不起法忍,住不退轉得清淨觀。知彼眾生心之所念,隨類開化得成道果,猶如新成白㲲易染為色,自常攝心不譏彼闕,常樂閑靜不處憒閙,入比丘眾威儀具足,若入禪定係意在明,經行往來心無懈慢,於大眾中能師子吼,分別空性悉無所有,是謂菩薩摩訶薩心清淨門。
私は無数の阿僧祇劫より、常に心を清らかに修め、念いを専ら正しくし、行いを慎み深くし、心を一筋に保ち他に異なる思いなく、すべて塵垢なく、もし人が毀れば憂い悲しまず、もし称え誉められても心を喜ばせず、心を移さず変えず、行いは堅固で地のように動かし難く、無数の劫より諸仏に仕え、諸の衆生に微妙な法を説き、行いは偽りなく一筋に道に向かう。
仏・法・僧のあるところには、身を往かせて教化し、無量の総持法門を講論する。いわゆる論とは、布施の論、戒の論、生天の論、欲は不浄、涅槃は楽であると、衆生を導き定の三昧に入らせ、苦諦を分別して四縛を離れ去らせ、集法を除き大分の結を滅し、道は雑糅を除いて法忍を起こさず、不退転に住して清浄観を得る。
かの衆生の心の念うところを知り、類に随って開化し、道果の成就を得させる。あたかも新たに成った白布が色に染まりやすいがごとく、自ら常に心を摂め、彼の欠けをとがめず、常に閑静を楽しみ、喧騒に住まず、比丘の衆に入れば威儀具足し、もし禅定に入れば心を明らかに繋ぎ、経行往来も心に懈慢なく、大衆の中にあって獅子吼をなし、空性を分別してすべて所有なきことを知る。これをもって菩薩摩訶薩の心清浄門と謂う。
「吾從無數阿僧祇劫,修總持法門不可沮壞,聞一得百、聞百得千、聞千得萬,諸佛所說句義、字義,皆悉總持而不忘失,是謂菩薩摩訶薩成就總持法門。
私は無数の阿僧祇劫より、総持の法門を修め、いささかも損なわれることがありません。一を聞いて百を得、百を聞いて千を得、千を聞いて万を得るのです。諸仏が説かれた句の意味、文字の意味を、すべて総じて保持し、忘れ失うことがありません。これが、菩薩摩訶薩が成就する総持の法門なのです。
「吾從無數阿僧祇劫,常自修習無常觀行,一切諸法皆歸無常生者有滅,在在處處興隆法樂淨治佛土,所說誠諦自識宿命所經歷處,為說法化心識堅固,神足無畏不可思議,從無數劫積諸苦行,所發誓願不違本行,遊戲諸法自在無礙,是謂菩薩摩訶薩成就總持法門。
私は無数の阿僧祇劫より、常に自ら無常の観行を修習し、一切の諸法は皆無常に帰し、生ずるものには必ず滅があることを観じてきました。あらゆる場所で法の喜びを興隆し、仏の国土を浄治し、誠実な言葉を説き、自ら宿命を識り、経験したところを説法して教化し、心識を堅固にし、神足の無畏不可思議を得てきました。無数の劫より苦行を積み重ね、発した誓願は本行に違わず、諸法を遊戯し自在無礙である。これを菩薩摩訶薩の成就した総持法門と謂います。
「吾從無數阿僧祇劫修眼神通,遍知十方眾生之類,有應空行不應空行,有定意無定意者,有亂意無亂意者,有金剛志無金剛志者,有思惟定無思惟定者,天道、人道、餓鬼道、畜生道、地獄道,以天眼悉見悉知見。此眾生趣有餘涅槃無餘涅槃者,亦知此眾生於中陰取涅槃,亦悉知之;知此眾生向須陀洹得須陀洹果,向斯陀含得斯陀含果,向阿那含得阿那含果,向阿羅漢得阿羅漢,果,向辟支佛得辟支佛果;亦觀眾生出家苦行不捨本誓,剃除鬚髮身被法服,入師子遊步三昧,在樹王下思惟觀樹,或一日、二日乃至七日;或一歲、二歲乃至七歲;或一劫、二劫乃至七劫;是謂菩薩摩訶薩成就天眼通。
私は無数の阿僧祇劫にわたり、眼の神通を修めました。十方のすべての衆生のありようを遍く知りました。空行すべき者と空行すべからざる者、定意ある者と定意なき者、乱意ある者と乱意なき者、金剛の志ある者と金剛の志なき者、思惟定ある者と思惟定なき者。天道、人道、餓鬼道、畜生道、地獄道、これらを天眼をもってことごとく見、ことごとく知り見ました。
また、この衆生の趣において、有余涅槃に至る者と無余涅槃に至る者を知りました。中陰において涅槃を取る衆生をも、ことごとく知りました。この衆生が須陀洹果に向かい、須陀洹果を得ることを知り、斯陀含果に向かい、斯陀含果を得ることを知り、阿那含果に向かい、阿那含果を得ることを知り、阿羅漢果に向かい、阿羅漢果を得ることを知り、辟支仏果に向かい、辟支仏果を得ることを知りました。
また、衆生が出家して苦行し、本誓を捨てず、鬚髪を剃り除け、身に法服をまとって、師子遊歩三昧に入り、樹王のもとで樹を観じて思惟するさまを観ました。ある者は一日、二日、あるいは七日。ある者は一歳、二歳、あるいは七歳。ある者は一劫、二劫、あるいは七劫。これをもって、菩薩摩訶薩が天眼通を成就したと申します。
「吾從無數阿僧祇劫修耳神通,遍聞十方眾生行報,黑有黑果報,白有白果報,不黑不白果報,有漏有漏果報,無漏無漏果報;聞彼眾生清淨音響,不男聲不女聲,不男不女柔軟聲,不長不短聲,不非人聲,梵聲清淨聲,伽羅毘羅柔和聲,不麁聲不細聲;復以天耳聞彼眾生除垢斷縛,不住有為相,不住無為相,不住過去、當來、現在相,住亦不住,不住亦不不住,吾我不住,不住亦不不住,成佛不成佛者,成道不成道者,生天不生天者,生人不生人者,生餓鬼不生餓鬼者,生地獄不生地獄者,生畜生不生畜生者,分別五道以天耳聽,悉聞知之;是謂菩薩摩訶薩成就天耳通。
私は無数の阿僧祇劫にわたり耳の神通を修め、十方の衆生の行いとその報いを遍く聞き知りました。黒い行いには黒い果報があり、白い行いには白い果報があり、黒くも白くもない行いにはその果報があります。有漏の行いには有漏の果報があり、無漏の行いには無漏の果報があります。
また、それらの衆生の清らかな音声を聞きました。それは男の声でもなく、女の声でもなく、男でも女でもない柔らかな声。長くも短くもなく、人の声でもなく、清らかな梵音であり、伽羅毘羅の優しい響き。荒々しくも細くもない声です。
さらに天耳をもって、それらの衆生が煩悩の垢を除き束縛を断つ様を聞き知りました。彼らは有為の相にとどまらず、無為の相にもとどまらず、過去・未来・現在の相にもとどまりません。とどまることもなく、とどまらないこともなく、自我にとどまることもありません。とどまることもなく、とどまらないこともなく。
仏になる者もならぬ者も、悟りを開く者も開かぬ者も、天に生まれる者も生まれぬ者も、人に生まれる者も生まれぬ者も、餓鬼に生まれる者も生まれぬ者も、地獄に生まれる者も生まれぬ者も、畜生に生まれる者も生まれぬ者も、五道を分別して天耳で聞き、すべてを知りました。
これこそが、菩薩摩訶薩が成就する天耳通であります。
「吾從無數阿僧祇劫修鼻神通,遍嗅十方無量眾生,悉知分別善香、惡香,麁香、細香,火香、水香,俗香、道香,乃至菩薩坐樹王下香;戒香、定香、慧香、解脫香、解脫知見香,教授眾生大慈無邊香,悲愍眾生香,喜悅和顏香,放捨周遍香,神足無畏香,覺力根本香,破慢貢高香,自然普熏香,莊嚴佛道香,趣三解脫門香,相相殊勝香,明行果報香,分別微塵香,光明遠照香,集眾和合香,五聚清淨香,持入不起香,止滅眾垢香,觀滅眾垢香,聞戒布施香,慚愧無慢香,仙人法勝香,說法無礙香,舍利流布香,封印佛藏香,七寶無盡香。」
私は無数の阿僧祇劫にわたり鼻の神通を修め、十方の無量の衆生の香りを遍く嗅ぎ分けてきました。善い香りも悪い香りも、濃い香りも細やかな香りも、火の香りも水の香りも、俗世の香りも道の香りも、さらには菩薩が樹王の下に坐す香りまでも。
戒の香り、定の香り、慧の香り、解脱の香り、解脱知見の香り。衆生を教え導く大いなる慈しみの限りなき香り、衆生を悲しみ憐れむ香り、喜びに満ち和やかな顔の香り、一切を放ち捨てて遍く行き渡る香り、神通力による畏れなき香り、覚りの力の根本となる香り、慢心や高ぶりを破る香り、自然に普く薫る香り、仏道を荘厳する香り、三つの解脱の門へと向かう香り、それぞれの相が殊勝なる香り、明らかな行いとその果報の香り、微塵を分別する香り、光明が遠くまで照らす香り、衆を集めて和合させる香り、五つの集まりが清らかな香り、持ち入って起こさない香り、止めて衆の垢を滅する香り、観じて衆の垢を滅する香り、戒を聞き布施する香り、慚愧して慢りのない香り、仙人の法に勝る香り、説法に碍りのない香り、舎利が流布する香り、仏の蔵を封印する香り、七宝の尽きることなき香り。
爾時,世尊便說頌曰:
その時、世尊は偈を説かれた。
「摩伽山所出, 花香及栴檀,
三界所有香, 不如戒香勝。
戒香滅眾垢, 往來入無間;
菩薩不退轉, 涅槃香第一。
譬如善射人, 仰射於虛空;
箭勢不盡空, 尋復墮于地;
德香遠無際, 終不有轉還。
今說佛身香, 戒、定、慧解度,
於億百千劫, 不能盡佛香;
若於千萬劫, 佛讚佛功德,
大聖不能盡, 佛身戒德香。
諸佛威儀法, 授前補處別,
口中五色香, 上至忉利天;
還來至佛所, 遶佛身七匝。
諸天散花香, 稱歎未曾有;
定香遠流布, 濟度阿僧祇。」
マガダ山から出る、 花の香りや栴檀の香りも、 三界のすべての香りも、 戒の香りには及ばない。
戒の香りはあらゆる汚れを滅し、 無間の世界にまで届く。 菩薩は退転せず、 涅槃の香りが第一である。
たとえば優れた射手が、 虚空に向かって矢を放つ。 矢は虚空を尽くすことなく、 やがて地に落ちる。
しかし徳の香りは果てしなく広がり、 決して戻ってくることはない。 今、仏の身から放たれる香りを説く。 戒・定・慧・解脱の香りは、 百千万劫の時を経ても、 尽きることはない。
たとえ千万劫の間、 仏が仏の功徳を讃え続けても、 大聖であっても、 仏の身の戒徳の香りを尽くすことはできない。
諸仏の威儀の法は、 次に仏となる者に授けられる。 口から放たれる五色の香りは、 忉利天にまで昇り、 再び仏のもとに戻り、 仏の身を七匝めぐる。
諸天は花を散らし、 未曾有のことを称歎する。 定の香りは遠くに流れ渡り、 無数の衆生を救い渡す。
爾時,世尊說此偈已,於彼會中十二那由他眾生,心識開悟皆悉發意,願樂欲生香積佛剎。
その時、世尊がこの偈を説き終えられると、その会座にいた十二那由他の衆生たちの心が開かれ、皆が発心して香積仏の浄土に生まれたいと願うようになりました。
「是謂菩薩摩訶薩成就鼻通。
これを菩薩摩訶薩の鼻通成就という。
「吾從無數阿僧祇劫修口神通,言教往來終不中滯,有所言說言則有光,脣脣有光、齒齒有光、舌舌有光,如來於大眾中說甚深法,所有法者,一名、阿,阿者無,有千萬義,無有千萬義中,取一無義度無量眾生。二名、羅,羅者除垢,除垢有千萬義,千萬義中取一除垢義,除無量眾生垢。三名、波遮,波遮名果熟,果熟有千萬義,千萬義中取一果熟義,使無量眾生皆悉果熟。四名、那,那者非常義,非常義有千萬義,千萬義中取一非常義,使無量眾生悉解非常義。五名、茶,茶者盡無,名盡無名,言有無有、言無亦無無,無盡義有千萬義,千萬義中取一無盡義,使無量眾生得解於盡,是為茶盡義。十方無量恒河沙諸佛,受食威儀,從閻浮提上至十八天,皆見如來食。從一住至四住菩薩,見如來身琉璃咽喉,不退轉菩薩乃至九地,見健疾天子接如來食,乃至他方施行佛事,是為如來神口果報。如來現食味,次第味味不動味,不哊咽不㗘㗱,世尊舉飯向口時,心念十方諸五道眾生等同此味,即如念皆悉飽滿,猶如比丘得九次第禪心軟美飽,是謂菩薩摩訶薩口通清淨。
私は無数の阿僧祇劫にわたり口の神通を修め、言葉による教えは往来して決して滞ることなく、語る言葉には光があり、唇々に光があり、歯々に光があり、舌々に光があります。如来は大衆の中で甚深の法を説かれます。その法には、第一に「阿」というものがあります。「阿」とは「無」を意味し、千万の意義がありますが、その千万の意義の中から一つの「無」の意義を取り、無量の衆生を救済します。第二に「羅」というものがあります。「羅」とは「垢を除く」ことで、垢を除くことには千万の意義がありますが、その千万の意義の中から一つの「垢を除く」意義を取り、無量の衆生の垢を除きます。第三に「波遮」というものがあります。「波遮」とは「果が熟す」ことで、果が熟すことには千万の意義がありますが、その千万の意義の中から一つの「果が熟す」意義を取り、無量の衆生をしてことごとく果が熟すようにします。第四に「那」というものがあります。「那」とは「常ならざる」意義であり、常ならざることには千万の意義がありますが、その千万の意義の中から一つの「常ならざる」意義を取り、無量の衆生をしてことごとく常ならざる意義を理解させます。第五に「茶」というものがあります。「茶」とは「尽きて無い」こと、「尽きて無い」という名であり、有と言っても有はなく、無と言っても無もない、尽きることのない意義には千万の意義がありますが、その千万の意義の中から一つの「尽きることのない」意義を取り、無量の衆生をして尽きることについて理解を得させます。これが「茶」の尽きる意義です。
十方の無量の恒河沙の諸仏は、食事の威儀を受け、閻浮提から上は十八天に至るまで、皆如来の食事を見ます。一住から四住の菩薩は、如来の身が瑠璃の咽喉であるのを見、不退転の菩薩から九地に至るまで、健疾天子が如来の食事を受け取るのを見ます。さらに他方に至るまで仏事を行い、これが如来の神口の果報です。
如来は食事の味を現じ、次第の味、味々動かざる味、嚥下せず咀嚼せず、世尊が飯を口に運ばれる時、心に十方の諸々の五道の衆生がこの味と同じであると念じられると、その念の通りにことごとく満腹になります。あたかも比丘が九次第の禅を得て心が柔らかく美しく満たされるがごとくです。これを菩薩摩訶薩の口通清浄と言います。
「吾昔無數阿僧祇劫修身神通,分別身中淨不淨想、不淨淨想,三十六物污露不真,髮、毛、爪、齒、骨、血、涕、淚,反復思惟;以己身法觀眾生身亦復如是。自化其身膖脹臭爛膿血流出;或復現身白骨灰色、青瘀色、燋黑色、與地同色,無量眾生見此身者,皆生苦、空、無常、無我想。復與眾生說身業報法,此身非身何者是身?一一分別從頭至足悉無所有,以無有身則無有識。眾生聞此,自思惟身穢惡不淨,猶如光音清淨天下觀閻浮提臭穢,惡氣上熏七千萬里,是以菩薩不生光音天。身通菩薩入金剛三昧碎身如塵,一一塵皆作化佛,濟渡無量阿僧祇眾生之類;現身色相,身上出火身下出水,身下出火身上出水,東踊西沒西踊東沒;現如來十八神變。眾生之類見如來變尋時覺悟,眾結永盡入無為道。微塵化佛現身教化,濟渡無量阿僧祇眾生,是為如來身密教化而不說法。
我は昔、無数の阿僧祇劫にわたり、身の神通を修め、身の中の浄と不浄の想いを分別し、不浄の中に浄を見、浄の中に不浄を見てきた。三十六の物は汚れ、露わで真実ならず、髪、毛、爪、歯、骨、血、涙、涕。繰り返し思惟し、己の身の法をもって衆生の身を観じれば、これもまた同じである。
自ら身を化して膨張し、腐敗し、膿血が流れ出る姿を現し、あるいはまた白骨、灰色、青瘀色、焦げた黒色、大地と同じ色の身を現す。無量の衆生がこの身を見て、皆、苦・空・無常・無我の想いを生じる。さらに衆生に身の業報の法を説く。この身は身にあらず、何をもって身となすか。一つひとつ分別して頭から足まで尋ねれば、すべて何もない。身がなければ識もない。衆生はこれを聞き、自ら身の穢れと不浄を思惟する。それはちょうど、光音天の清浄なる天下から閻浮提の臭穢を見下ろし、その悪気が七千万里にも上るのを見るがごとし。ゆえに菩薩は光音天に生まれない。
身通の菩薩は金剛三昧に入り、身を塵のように砕く。一つひとつの塵が皆、化仏となり、無量の阿僧祇の衆生の類を済度する。身の色相を現し、身の上から火を出し、身の下から水を出し、身の下から火を出し、身の上から水を出す。東から湧き出て西に没し、西から湧き出て東に没する。如来の十八神変を現す。衆生の類が如来の変現を見て、たちまちに覚り、一切の結縛が永く尽きて無為の道に入る。微塵の化仏が身を現して教化し、無量の阿僧祇の衆生を済度する。これが如来の身密による教化であって、説法をしないのである。
「吾從無數阿僧祇劫修習意識,成菩薩神通,攝意入定遊至無量諸佛剎土,猶如力人屈伸臂頃還來故處,意識菩薩亦入化生、胎生、濕生、卵生,現不思議神變教化,即於彼處成無為道。意識菩薩於諸通中最上最勝,非辟支佛、阿羅漢所能思議。何以故?非彼境界。」
私は無数の阿僧祇劫にわたり意識を修習し、菩薩の神通力を成就しました。意を収めて定に入り、無量の諸仏国土に遊行するも、あたかも力ある者が腕を屈伸するほどの間に故郷に戻るがごとくです。意識菩薩はまた、化生・胎生・湿生・卵生の衆生の中に入り、思議すべからざる神変を示して教化し、そのままその場で無為の道を成就します。意識菩薩は諸々の神通の中でも最も優れ、最も勝れており、辟支仏や阿羅漢の思い量り得るものではありません。なぜならば、それは彼らの境界ではないからです。