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菩薩従兜術天降神母胎説広普経 (菩薩從兜術天降神母胎說廣普經)


菩薩處胎經三世等品第五

菩薩処胎経・三世等品第五

爾時,坐中有菩薩名曰喜見——辯才無礙登躡十住,如來所行悉能總持——即從座起偏露右臂右膝著地,叉手合掌前白佛言:「善哉!世尊!今聞此法至未曾有,過去無數恒沙如來,有入涅槃不入涅槃。若入涅槃,欲界眾生云何得度?若如來不入涅槃,彼諸如來住何佛界?」

その時、座中に喜見という名の菩薩がいました。彼は弁才自在で十住の境地を極め、如来の行いをすべて体得していました。彼は座から立ち上がり、右肩を露わにし、右膝を地につけ、手を合わせて仏に申し上げました。

「尊き世尊よ。今この教えを聞き、まことに未曾有の思いです。過去の無数の恒河沙の如来には、涅槃に入られた方も、入られなかった方もおられます。もし涅槃に入られたなら、欲界の衆生はどうやって救われるのでしょうか。もし如来が涅槃に入られないなら、それらの如来はどの仏界にお住まいなのでしょうか。」

佛告喜見菩薩:「善哉,善哉!乃能於如來前作師子吼。諦聽,諦聽!善思念之!吾今與汝一一分別說之。」

仏は喜見菩薩に告げられた。「善きかな、善きかな。よくも如来の前で獅子吼をなした。よく聞きなさい、よく聞きなさい。善く思念しなさい。今、私があなたに一つ一つ分別して説こう。」

喜見對曰:「如是,世尊!願樂欲聞。」

喜見は答えて申し上げました。「はい、世尊。どうかお聞かせください。」

佛言:「過去恒河沙諸佛世尊,名字假號不可勝記,亦如眾生生生不滅,無邊無際亦無端緒,諸佛要集心如空界,涅槃者即眾生是也。是故如來不入涅槃。何以故?為眾生故。」

仏は言われた:「過去の恒河の砂の数ほどの諸仏世尊の、名前や称号を数え尽くすことはできない。それはちょうど、衆生が生まれ変わっては滅びることを繰り返し、際限も果てもなく、始まりも定かでないのと同じである。諸仏の要集は心が空の世界のようであり、涅槃とはすなわち衆生そのものである。それゆえ、如来は涅槃に入らない。なぜなら、衆生のためであるからだ。」

喜見菩薩白佛言:「過去多薩阿竭、阿羅呵、三耶三佛所度眾生,有滅度無滅度耶?」

喜見菩薩は仏に申し上げました。「過去の多薩阿竭、阿羅呵、三耶三仏がお救いになった衆生は、滅度した者と滅度していない者がいるのでしょうか?」

佛告喜見菩薩:「云何?喜見!汝從無數阿僧祇劫,承事諸佛禮事、供養、香花、幡蓋,頗見如來取般涅槃不?」

仏は喜見菩薩に告げられた:「どうだろうか、喜見よ。汝は無数の阿僧祇劫という長い間、数多くの仏に仕え、礼拝し、供養し、香や花、幡や蓋を捧げてきた。その中で、如来が涅槃を取る姿を見たことがあるか?」

對曰:「不也。」

いいえ、違います。

「云何?喜見!我號釋迦文多薩阿竭、阿羅呵、三耶三佛陀,今處母胎,為涅槃為非涅槃?」

「どうだろう、喜見よ。私は釈迦牟尼如来、阿羅漢、正等覚者と呼ばれ、今、母の胎内にいる。これは涅槃なのか、涅槃ではないのか?」

對曰:「不也。世尊!」

いいえ、世尊。

「云何?喜見!菩薩眾生受別當成無上正真道,是真實道非真實道?」

「喜見よ、どう思うか。菩薩が衆生を受け入れ、無上の真実の道を成し遂げようとするとき、その道は真実の道か、それとも真実ではない道か?」

對曰:「是道非真實道若真實道。何以故?有佛有說法見化眾生,以是故,是道非真實道。緣緣眾生是道,緣緣盡眾生是真實道。過去緣緣盡眾生,於現在非真實道。現在緣緣盡眾生,於過去非真實道。過去、現在緣緣盡眾生,於未來非真實道。未來緣緣盡眾生,於過去、現在非真實道。何以故?是道非真實道,過去緣緣盡眾生,現在緣緣盡眾生,未來緣緣盡眾生,是真實道。菩薩摩訶薩知而見之,不處不入。何以故?猶如九行不盡。所謂九行者,上上、上中、上下、中上、中中、中下、下上、下中、下下。上上緣盡,上中緣不盡,非真實道。上中緣盡,上下緣不盡,非真實道。上下緣盡,中上緣不盡,非真實道。中上緣盡,中中緣不盡,非真實道。中中緣盡,中下緣不盡,非真實道。中下緣盡,下上緣不盡,非真實道。下上緣盡,下中緣不盡,非真實道。下中緣盡,下下緣不盡,非真實道。下下緣盡,是真實道。菩薩摩訶薩於真實性,不取不捨,不住不不住,過去、當來、現在等,道等涅槃等,一等無有二。法性等、自然相等、眾生等、垢等、五陰等、緣等、癡行等,道行清淨不一不二。欲行緣盡,非色行緣盡;色行緣盡,非無色行緣盡;無色行緣盡,色行緣盡,欲界行緣盡,是謂菩薩等非一非二。」

答えて言いました。「この道は真実の道ではありません。もし真実の道ならば、なぜ仏が存在し、説法があり、衆生を教化するという見方があるのでしょうか。それゆえ、この道は真実の道ではないのです。縁によって衆生を対象とする道は、縁が尽きた衆生を対象とする真実の道とは異なります。過去の縁が尽きた衆生は、現在においては真実の道ではありません。現在の縁が尽きた衆生は、過去においては真実の道ではありません。過去と現在の縁が尽きた衆生は、未来においては真実の道ではありません。未来の縁が尽きた衆生は、過去と現在においては真実の道ではありません。なぜなら、この道は真実の道ではなく、過去・現在・未来の縁が尽きた衆生こそが真実の道だからです。菩薩摩訶薩はこれを知り見て、そこに留まらず、入り込みません。なぜなら、それは九つの行が尽きないのと同じだからです。九つの行とは、上上・上中・上下・中上・中中・中下・下上・下中・下下のことです。上上の縁が尽きても、上中の縁が尽きなければ、真実の道ではありません。上中の縁が尽きても、上下の縁が尽きなければ、真実の道ではありません。上下の縁が尽きても、中上の縁が尽きなければ、真実の道ではありません。中上の縁が尽きても、中中の縁が尽きなければ、真実の道ではありません。中中の縁が尽きても、中下の縁が尽きなければ、真実の道ではありません。中下の縁が尽きても、下上の縁が尽きなければ、真実の道ではありません。下上の縁が尽きても、下中の縁が尽きなければ、真実の道ではありません。下中の縁が尽きても、下下の縁が尽きなければ、真実の道ではありません。下下の縁が尽きて初めて、真実の道となります。菩薩摩訶薩は真実の性質に対して、執着も捨てることもなく、留まることも留まらないこともありません。過去・未来・現在は等しく、道も涅槃も等しく、一つであり二つではありません。法性も自然相も衆生も煩悩も五陰も縁も無明の行も、道の行は清浄であり、一つでも二つでもありません。欲界の行の縁が尽きても、色界の行の縁が尽きるわけではありません。色界の行の縁が尽きても、無色界の行の縁が尽きるわけではありません。無色界の行の縁が尽きても、色界の行の縁が尽き、欲界の行の縁が尽きるわけではありません。これが菩薩の等しさであり、一つでも二つでもないということです。」

爾時,佛告喜見菩薩曰:「汝欲知過去諸佛滅不滅剎土不耶?」爾時,世尊即以神力入無畏空界三昧,使一切眾盡見釋迦文身寂然無言身相具足。「菩薩當知我過去身,其數不可稱不可量。」即以神足入濕生界,眾相具足,與無數阿僧祇為濕識眾生說法,令彼濕識隨意所願各得解脫。復以神足入化生眾生,現身色相,與無央數阿僧祇眾生說法,令彼化識隨意所願各得解脫。爾時世尊即以神足入卵識眾生,現身色相,與無央數阿僧祇眾生說法,令彼眾生隨意所願各得解脫。爾時世尊復以神足現當來世界,人四生中現身色相,與無央數阿僧祇眾生說法,令彼四生眾生隨意所願各得解脫。

その時、仏は喜見菩薩に告げられた。「そなたは、過去の諸仏が滅することもなく、国土も滅することがないことを知りたいか?」その時、世尊は神通力をもって無畏空界三昧に入られ、すべての衆生に釈迦文仏の身が静寂で言葉なく、姿形が完備していることを見せられた。「菩薩よ、知るがよい。わが過去の身は、数えられず、量り知れないほどである。」そして神通力をもって湿生の世界に入られ、衆相を完備した姿で、無数の阿僧祇の湿識の衆生に説法され、彼らがそれぞれの願いに従って解脱を得られるようにされた。さらに神通力をもって化生の衆生の中に入られ、姿と色相を現し、無量の阿僧祇の衆生に説法され、彼らがそれぞれの願いに従って解脱を得られるようにされた。その時、世尊は神通力をもって卵識の衆生の中に入られ、姿と色相を現し、無量の阿僧祇の衆生に説法され、彼らがそれぞれの願いに従って解脱を得られるようにされた。その時、世尊はさらに神通力をもって未来の世界に現れ、四生の中の人間に姿と色相を現し、無量の阿僧祇の衆生に説法され、四生の衆生がそれぞれの願いに従って解脱を得られるようにされた。

「如我今日在母胎中,與諸十方神通菩薩,說不退轉難有之法,亦以神通入天四生,入地獄四生、餓鬼四生、畜生四生,於四生中胎、化二生盡漏疾,濕生、卵生盡漏遲;化生、胎生是利根人,濕生、卵生是鈍根人。」

今、私が母の胎内にいるように、十方の神通力を持つ菩薩たちと共に、不退転の稀有な法を説き、また神通力をもって天の四生に入り、地獄の四生、餓鬼の四生、畜生の四生に入ります。四生の中では、胎生と化生は煩悩を速やかに断ち切り、湿生と卵生は煩悩を断つのが遅いのです。化生と胎生は利根の人であり、湿生と卵生は鈍根の人です。

爾時世尊復以神足現寂寞世界,使彼大眾皆悉知見,亦無言教苦、集、滅、道之名。何以故?彼土眾生皆是胎化利根人。佛復以神足現下方照光世界,視彼眾生稟受讀誦,經歷劫數乃成道果,知此眾生濕生、卵生是鈍根人。佛復以神足現不死剎土,使彼大眾知彼眾生不聞死名,知此眾生大慈誓願利根中勝根。佛復以神足現中夭剎土,使彼大眾皆悉知見,見彼眾生有中夭者,由彼眾生自造苦本,本壽極長今壽轉短。彼世界王名曰除憂,剝死人皮以用作鼓,百歲一打使彼眾生皆知死名,壽命轉減至于百歲,時有出者。

その時、世尊は再び神通力を以って寂しい世界を現し、そこの大衆に皆が知見できるようにされましたが、苦・集・滅・道といった言葉による教えはありませんでした。なぜなら、その国土の衆生はすべて胎生や化生の利根の人々だからです。

また、仏は神通力を以って下方の照光世界を現し、そこの衆生が教えを受け、経典を読み誦し、長い劫数を経てようやく道果を成すのをご覧になりました。この衆生は湿生や卵生の鈍根の人々であることを知られたのです。

さらに、仏は神通力を以って不死の国土を現し、そこの大衆に、その衆生が死という名を聞くことのないことを知らしめられました。この衆生は大慈の誓願を立てた利根の中でも特に優れた根性の持ち主であると知られたのです。

また、仏は神通力を以って中途で夭折する国土を現し、そこの大衆に皆が知見できるようにされました。その国土には中途で命を落とす衆生がおり、それは彼ら自身が苦の原因を作ったためで、本来は極めて長い寿命が、今は短くなってしまっているのでした。

その世界の王は除憂という名で、死んだ者の皮を剥いで鼓を作り、百年に一度それを打ち鳴らして、そこの衆生に皆が死という名を知らしめました。寿命は次第に減り、百年ほどになったとき、そこから脱する者が出てくるのでした。

「吾今捨壽八十有四,出五濁世,胎生、化生是我利根分。汝等當知!命不久存,非佛神力所能留住,此身如泡勢不久立,是身如霧常亂人想,是身如夢增益瞋恚,是身如幻誑惑世人,是身如響求對無形。是身如影眼見不獲,如是我身於此滅盡更不復生。何者不生?不於此閻浮提生。復於十方三十二垓佛剎,遍滿彼剎施行佛事,此非過去者,以是之故緣緣盡,緣緣不盡無有涅槃者。」

我は今、八十有四の寿を捨て、五濁の世を出でんとす。胎生、化生はこれ我が利根の分なり。汝ら知るべし、命は久しく存せず、仏の神力をもってさえ留め置くことはできぬ。この身は泡のごとく、勢い久しく立たず。この身は霧のごとく、常に人の想いを乱す。この身は夢のごとく、瞋恚を増し加う。この身は幻のごとく、世人を誑かす。この身は響きのごとく、対する形を求めても得られず。この身は影のごとく、目に映れども捉えられぬ。かくのごとく我が身はここに滅し尽き、再び生まれることはない。何が生まれぬか。この閻浮提には生まれぬ。さらに十方の三十二垓の仏刹に満ち、その国々に遍く仏事を行じる。これは過去の者にあらず、このゆえに縁縁は尽き、縁縁が尽きぬれば涅槃なき者となる。

爾時,彌勒菩薩摩訶薩即從坐起,整衣服偏露右臂,右膝著地前白佛言:「甚奇,世尊!世界若干眾生不同,善惡行報各各別異,如來說法空無寂寞,不可思議入何三昧?威神感動如是難測。有識眾生咸可易化,山河石壁生樹草木,皆變人形,為有識眾生無識眾生?」

その時、弥勒菩薩摩訶薩は座より立ち上がり、衣を整え右肩をあらわにし、右膝を地につけて仏に申し上げました。

「まことに不思議なことです、世尊よ。世界にはさまざまな衆生がおり、善悪の行いによる報いはそれぞれ異なります。如来が説かれる法は空にして寂滅、思議すべからざる境地です。いかなる三昧に入られて、このように測り難い威神の力で感動を与えられるのでしょうか。有識の衆生は皆、容易に教化されるでしょうが、山河や石壁、生い茂る樹木や草木までもが人の形に変わるとは。これは有識の衆生のためでしょうか、それとも無識の衆生のためでしょうか。」

佛告彌勒:「汝昔與我共越山海,見一惡獸應食十住菩薩肉耶?」

仏は弥勒に告げられた:「かつて汝と共に山海を越えた時、一頭の悪しき獣が十住菩薩の肉を食らうべきか否かを見たであろうか?」

彌勒白佛言:「不也。」

弥勒は仏に申し上げました。「いいえ、違います。」

「何以故?正使三千大千剎土滿中惡獸,欲食菩薩肉者,是事不然。吾昔勸汝誰能先進,汝及文殊皆言不能當。吾爾時即以神力,以甘露味示彼飢獸,執意堅固得成無上正真等正覺。汝說權退在後,悉是有識教化,非無識教化。」

なぜなら、たとえ三千大千世界の国土に悪しき獣が満ちて、菩薩の肉を食おうとしたとしても、そのようなことは起こりえないからです。かつて私が誰が先に進むことができるかとあなた方に尋ねたとき、あなたも文殊も、それはできないと答えました。その時、私は神通力をもって甘露の味を飢えた獣たちに示し、その固い決意によって無上の正しい悟りを成し遂げました。あなたが一時的に退くことを語ったのは、すべて識ある者を教化するためであり、識なき者を教化するためではありません。

佛告彌勒:「汝豈不憶古昔無數阿僧祇劫,去此西北六十二恒河沙剎,佛名平等,其剎名無形,如今現在說法,無有辟支佛、聲聞乘,無有日、月、時節、劫數多少;彼佛教化盡一佛界,現界眾生盡得成佛,更不移處他佛世界。云何?彌勒!當名彼佛為過去、未來、現在耶?」

仏は弥勒に告げられた:「汝は覚えているか、遠い昔、数え切れぬ阿僧祇劫の昔、ここから西北へ六十二恒河沙の仏国土を隔てたところに、平等という名の仏がおられた。その国土は無形と名付けられ、今も説法を続けておられる。そこには辟支仏も声聞乗もなく、日も月もなく、時節や劫数の多少もない。その仏の教化は一仏界を尽くし、その世界の衆生は全てその場で仏となるのであって、他の仏世界へ移ることはない。さて、弥勒よ、その仏を過去・未来・現在のいずれと呼ぶべきであろうか?」

彌勒白佛言:「亦過去、現在、未來。何以故?皆從諸剎往至彼土,諸緣盡眾生盡得度脫故,現有現在。」

弥勒は仏に申し上げました:「過去も現在も未来も同様です。なぜなら、すべての衆生はそれぞれの世界からあの浄土へと赴き、縁が尽き、衆生が尽きて救済されるからです。それゆえに、現在が現れているのです。」

佛告彌勒:「汝今現在耶?」

仏、弥勒に告げたまわく、「汝、今まさに現前せりや。」

對曰:「不也。世尊!名雖現在行不現在,前行過去後行未至,識念思惟三事成就,是故無現在。」

お答えします。「いいえ、世尊よ。名前は今あっても、行いは今現れてはいません。前の行いは過ぎ去り、後の行いはまだ至っていません。認識と想念と思惟という三つのことがそろって初めて成り立つのです。ですから、『現在』は存在しません。」

佛即問彌勒:「心有所念,幾念、幾想、幾識耶?」

仏が弥勒に問いかけました。「心に何かを思うとき、その中にはいくつの念(おもい)があり、いくつの想(かんがえ)があり、いくつの識(はたらき)があるのだろうか?」

彌勒言:「拍手彈指之頃,三十二億百千念,念念成形,形形皆有識,識念極微細不可執持。佛之威神入彼微識皆令得度,此識教化非無識也。復次,微識極微細過於微塵,此微塵識不可覩見,如來威神入彼教化皆令得度。彌勒當知未有狐疑,此微塵識亦受四氣亦有四生。何以故?眾生無邊,邊亦無邊,如來亦無邊,道亦無邊,一切言有,有亦無有,無界、無處、無住,亦無教授化眾生者,此名逆順三昧。不住不不住一相無相,不著不縛亦無真際,修治道場淨佛境界,權變無數非下劣所及。」

弥勒菩薩が言われた。「手を打ち鳴らし指を弾くほんの一瞬の間に、三十二億百千もの念が生じます。その一つ一つの念が形となり、それぞれの形には識が宿っています。その識と念は極めて微細で、捉えることはできません。しかし、仏の威神力はその微細な識の中にまで入り込み、すべてを悟りへと導くことができます。この識を教え導く働きは、無意識のものではないのです。

さらに、この微細な識は、塵よりもさらに細かいものです。この微塵のような識は肉眼では見ることはできませんが、如来の威神力はその中にも入り込み、教えを説いてすべてを救済します。

弥勒よ、疑ってはなりません。この微塵の識もまた、四気(地・水・火・風)の影響を受け、四生(胎生・卵生・湿生・化生)として生まれるのです。

なぜなら、衆生には限りがなく、その限りがないこと自体にも限りがありません。如来にも限りがなく、道にも限りがないからです。すべてを『有る』と言っても、その『有る』という概念すらも実体はありません。境涯もなく、場所もなく、住むところもなく、衆生を教え導く者も実在しません。これを『逆順三昧』と呼びます。

この三昧は、とどまることもなく、とどまらないことにもとどまらず、一つの相もなく、相そのものもありません。執着もなく、束縛もなく、真実の際(きわ)もありません。仏の修行の場を整え、清らかな仏の境地を現し、無限の方便を用いることは、浅い智慧の者には及ばないのです。」

爾時世尊將欲解釋彌勒狐疑,即現身色柔軟色,無厭足色,內外清淨無瑕穢色。「吾從無數阿僧祇劫修眼清淨,內外無閡今獲色身,身亦無身色亦無色,知身空色空,身色俱空,知身色俱空者,此空空空。知無身空無色空,知無身無色俱空,知無身無色俱空者,此空空空。知過去身空,知過去色空,知過去身色俱空,知過去身色俱空者,此空空空。知未來身空,知未來色空,知未來身色俱空,知未來身色俱空者,此空空空。知現在身空,知現在色空,知現在身色俱空,知現在身色俱空者,此空空空。知過去無身空,知過去無色空,知過去無身無色俱空,知過去無身無色俱空者,此空空空。知未來無身空,知未來無色空,知未來無身無色俱空,知未來無身無色俱空者,此空空空。知現在無身空,知現在無色空,知現在無身無色俱空,知現在無身無色俱空者,此空空空。知欲界身空,知欲界色空,知欲界身色俱空,知欲界身色俱空者,此空空空。知色界身空,知色界色空,知色界身色俱空,知色界身色俱空者,此空空空。知無色界身空,知無色界色空,知無色界身色俱空,知無色界身色俱空者,此空空空。知欲界無身空,知欲界無色空,知欲界無身無色俱空,知欲界無身無色俱空者,此空空空。知色界無身空,知色界無色空,知色界無身無色俱空,知色界無身無色俱空者,此空空空。知無色界無身空,知無色界無色空,知無色界無身無色俱空,知無色界無身無色俱空者,此空空空。知緣緣身空,知緣緣色空,知緣緣身色俱空,知緣緣身色俱空者,此空空空。知緣緣無身空,知緣緣無色空,知緣緣無身無色俱空,知緣緣無身無色俱空者,此空空空。

その時、世尊は弥勒の疑惑を解こうとされ、柔和で見飽きることのない、内外清らかで汚れのない御身を示された。

「私は無数の劫(長い時間)にわたって、眼の清らかさを修めてきた。内も外も妨げなく、今、この色身(肉体)を得た。しかし、身も身にあらず、色も色にあらず。身は空であり、色も空であることを知る。身と色が共に空であると知る時、これを空空空という。無身も空、無色も空であると知る。無身と無色が共に空であると知る時、これを空空空という。過去の身は空、過去の色は空、過去の身と色は共に空であると知る。過去の身と色が共に空であると知る時、これを空空空という。未来の身は空、未来の色は空、未来の身と色は共に空であると知る。未来の身と色が共に空であると知る時、これを空空空という。現在の身は空、現在の色は空、現在の身と色は共に空であると知る。現在の身と色が共に空であると知る時、これを空空空という。過去に身がないことも空、過去に色がないことも空、過去に身も色もないことも共に空であると知る。過去に身も色もないことが共に空であると知る時、これを空空空という。未来に身がないことも空、未来に色がないことも空、未来に身も色もないことも共に空であると知る。未来に身も色もないことが共に空であると知る時、これを空空空という。現在に身がないことも空、現在に色がないことも空、現在に身も色もないことも共に空であると知る。現在に身も色もないことが共に空であると知る時、これを空空空という。欲界の身は空、欲界の色は空、欲界の身と色は共に空であると知る。欲界の身と色が共に空であると知る時、これを空空空という。色界の身は空、色界の色は空、色界の身と色は共に空であると知る。色界の身と色が共に空であると知る時、これを空空空という。無色界の身は空、無色界の色は空、無色界の身と色は共に空であると知る。無色界の身と色が共に空であると知る時、これを空空空という。欲界に身がないことも空、欲界に色がないことも空、欲界に身も色もないことも共に空であると知る。欲界に身も色もないことが共に空であると知る時、これを空空空という。色界に身がないことも空、色界に色がないことも空、色界に身も色もないことも共に空であると知る。色界に身も色もないことが共に空であると知る時、これを空空空という。無色界に身がないことも空、無色界に色がないことも空、無色界に身も色もないことも共に空であると知る。無色界に身も色もないことが共に空であると知る時、これを空空空という。縁によって生じる身は空、縁によって生じる色は空、縁によって生じる身と色は共に空であると知る。縁によって生じる身と色が共に空であると知る時、これを空空空という。縁によって生じる無身も空、縁によって生じる無色も空、縁によって生じる無身と無色も共に空であると知る。縁によって生じる無身と無色が共に空であると知る時、これを空空空という。」

「知胎生身空,知胎生色空,知胎生身色俱空,知胎生身色俱空者,此空空空。知胎生無身空,知胎生無色空,知胎生無身無色俱空,知胎生無身無色俱空者,此空空空。知化生身空,知化生色空,知化生身色俱空,知化生身色俱空者,此空空空。知化生無身空,知化生無色空,知化生無身無色俱空,知化生無身無色俱空者,此空空空。知濕生身空,知濕生色空,知濕生身色俱空,知濕生身色俱空者,此空空空。知濕生無身空,知濕生無色空,知濕生無身無色俱空,知濕生無身無色俱空者,此空空空。知卵生身空,知卵生色空,知卵生身色俱空,知卵生身色俱空者,此空空空。知卵生無身空,知卵生無色空,知卵生無身無色俱空,知卵生無身無色俱空者,此空空空。
「知未至禪身空,知未至禪色空,知未至禪身色俱空,知未至禪身色俱空者,此空空空。知未至禪無身空,知未至禪無色空,知未至禪無身無色俱空,知未至禪無身無色俱空者,此空空空。知初禪身空,知初禪色空,知初禪身色俱空,知初禪身色俱空者,此空空空。知初禪無身空,知初禪無色空,知初禪無身無色俱空,知初禪無身無色俱空者,此空空空。知中間禪身空,知中間禪色空,知中間禪身色俱空,知中間禪身色俱空者,此空空空。知中間禪無身空,知中間禪無色空,知中間禪無身無色俱空,知中間禪無身無色俱空者,此空空空。知二禪身空,知二禪色空,知二禪身色俱空,知二禪身色俱空者,此空空空。知二禪無身空,知二禪無色空,知二禪無身無色俱空,知二禪無身無色俱空者,此空空空。知三禪身空,知三禪色空,知三禪身色俱空,知三禪身色俱空者,此空空空。知三禪無身空,知三禪無色空,知三禪無身無色俱空,知三禪無身無色俱空者,此空空空。知四禪身空,知四禪色空,知四禪身色俱空,知四禪身色俱空者,此空空空。知四禪無身空,知四禪無色空,知四禪無身無色俱空,知四禪無身無色俱空者,此空空空。

未至定において、身(肉体)が空であると知る。未至定において、色(物質)が空であると知る。未至定において、身も色も共に空であると知る。未至定において、身も色も共に空であると知る——これを「空空空」という。 未至定において、身がないことが空であると知る。未至定において、色がないことが空であると知る。未至定において、身も色もないことが共に空であると知る。未至定において、身も色もないことが共に空であると知る——これを「空空空」という。

初禅において、身が空であると知る。初禅において、色が空であると知る。初禅において、身も色も共に空であると知る。初禅において、身も色も共に空であると知る——これを「空空空」という。 初禅において、身がないことが空であると知る。初禅において、色がないことが空であると知る。初禅において、身も色もないことが共に空であると知る。初禅において、身も色もないことが共に空であると知る——これを「空空空」という。

中間禅において、身が空であると知る。中間禅において、色が空であると知る。中間禅において、身も色も共に空であると知る。中間禅において、身も色も共に空であると知る——これを「空空空」という。 中間禅において、身がないことが空であると知る。中間禅において、色がないことが空であると知る。中間禅において、身も色もないことが共に空であると知る。中間禅において、身も色もないことが共に空であると知る——これを「空空空」という。

二禅において、身が空であると知る。二禅において、色が空であると知る。二禅において、身も色も共に空であると知る。二禅において、身も色も共に空であると知る——これを「空空空」という。 二禅において、身がないことが空であると知る。二禅において、色がないことが空であると知る。二禅において、身も色もないことが共に空であると知る。二禅において、身も色もないことが共に空であると知る——これを「空空空」という。

三禅において、身が空であると知る。三禅において、色が空であると知る。三禅において、身も色も共に空であると知る。三禅において、身も色も共に空であると知る——これを「空空空」という。 三禅において、身がないことが空であると知る。三禅において、色がないことが空であると知る。三禅において、身も色もないことが共に空であると知る。三禅において、身も色もないことが共に空であると知る——これを「空空空」という。

四禅において、身が空であると知る。四禅において、色が空であると知る。四禅において、身も色も共に空であると知る。四禅において、身も色も共に空であると知る——これを「空空空」という。 四禅において、身がないことが空であると知る。四禅において、色がないことが空であると知る。四禅において、身も色もないことが共に空であると知る。四禅において、身も色もないことが共に空であると知る——これを「空空空」という。

「知空處身空,知空處色空,知空處身色俱空,知空處身色俱空者,此空空空。知空處無身空,知空處無色空,知空處無身無色俱空,知空處無身無色俱空者,此空空空。知識處身空,知識處色空,知識處身色俱空,知識處身色俱空者,此空空空。知識處無身空,知識處無色空,知識處無身無色俱空,知識處無身無色俱空者,此空空空。知不用處身空,知不用處色空,知不用處身色俱空,知不用處身色俱空者,此空空空。知不用處無身空,知不用處無色空,知不用處無身無色俱空,知不用處無身無色俱空者,此空空空。知非想非不想處身空,知非想非不想處色空,知非想非不想處身色俱空,知非想非不想處身色俱空者,此空空空。知非想非不想處無身空,知非想非不想處無色空,知非想非不想處無身無色俱空,知非想非不想處無身無色俱空者,此空空空。」

「空無辺処において、身体は空であると知る。空無辺処において、色(物質)は空であると知る。空無辺処において、身体と色の両方が空であると知る。空無辺処において、身体と色の両方が空であると知る者、これを『空・空・空』という。 空無辺処において、身体がないことも空であると知る。空無辺処において、色がないことも空であると知る。空無辺処において、身体も色もないことの両方が空であると知る。空無辺処において、身体も色もないことの両方が空であると知る者、これを『空・空・空』という。 識無辺処において、身体は空であると知る。識無辺処において、色は空であると知る。識無辺処において、身体と色の両方が空であると知る。識無辺処において、身体と色の両方が空であると知る者、これを『空・空・空』という。 識無辺処において、身体がないことも空であると知る。識無辺処において、色がないことも空であると知る。識無辺処において、身体も色もないことの両方が空であると知る。識無辺処において、身体も色もないことの両方が空であると知る者、これを『空・空・空』という。 無所有処において、身体は空であると知る。無所有処において、色は空であると知る。無所有処において、身体と色の両方が空であると知る。無所有処において、身体と色の両方が空であると知る者、これを『空・空・空』という。 無所有処において、身体がないことも空であると知る。無所有処において、色がないことも空であると知る。無所有処において、身体も色もないことの両方が空であると知る。無所有処において、身体も色もないことの両方が空であると知る者、これを『空・空・空』という。 非想非非想処において、身体は空であると知る。非想非非想処において、色は空であると知る。非想非非想処において、身体と色の両方が空であると知る。非想非非想処において、身体と色の両方が空であると知る者、これを『空・空・空』という。 非想非非想処において、身体がないことも空であると知る。非想非非想処において、色がないことも空であると知る。非想非非想処において、身体も色もないことの両方が空であると知る。非想非非想処において、身体も色もないことの両方が空であると知る者、これを『空・空・空』という。」

佛告彌勒:「今當與汝說生義、根義。諦聽,諦聽!善思念之!云何生義?生者七九是也;根者連著義也。如來無所著,已知、未知、無知。已知根者,過去、當來、現在。未知根者,結、使、障礙。無知根者,如來、至真、等正覺,過去、當來、現在諸佛,成就此根分別諸根,無根亦不無根,無說無義,分別字義空無所有,是根義也。從初發意乃至坐樹王下,轉無上法輪集諸法門,行無行法門,思議法門,總持根法門,虛空法藏法門,此是諸佛要集三昧。彌勒當知!汝復受記五十六億七千萬歲,於此樹王下成無上等正覺。我以右脇生,汝彌勒從頂生。如我壽百歲,彌勒壽八萬四千歲。我國土土,汝國土金,我國土苦,汝國土樂。」
爾時世尊即說頌曰:

その時、世尊はすぐに偈を説かれました。

「如來十力尊, 虛空無邊際;
忍、慧、福業力, 誓願力最勝。
汝生快樂國, 不如我界苦;
汝說法甚易, 我說法甚難。
初說九十六, 二說九十四,
三說九十二。 我初說十二,
二說二十四, 三說三十六。
汝所三說人, 是吾先所化;
汝父梵摩淨, 將八萬四千,
非我先所化, 是汝所開度。
九十六億人, 受我五戒者;
九十四億人, 受持三歸者;
九十二億人, 一稱南無佛。
初說千比丘, 二十四億天,
三三十六億, 所度諸眾生;
汝樂我勤苦, 汝怠我清進。」

如来世尊の知恵の力は限りなく、 虚空のごとく果てしがない。 忍耐、智慧、福徳と業の力、 そして誓願の力が最も優れている。 あなたの生まれる国は楽しいかもしれないが、 私の世界の苦しみには及ばない。 あなたにとって説法は易しいが、 私にとって説法は非常に難しい。

初めに九十六億、次に九十四億、 三度目に九十二億の者たちを教えた。 私は初めに十二億、次に二十四億、 三度目に三十六億の者たちを教えた。 あなたが三度にわたって教えた人々は、 実は私が先に教化した者たちである。 あなたの父である梵摩浄は、 八万四千の者たちを連れてきたが、 それは私が先に教化したのではなく、 あなたが開き導いたのである。

九十六億の人々が私の五戒を受けた。 九十四億の人々が三帰依を受けた。 九十二億の人々が一度「南無仏」と唱えた。 初めに千人の比丘、二十四億の天、 三度目に三十六億の生きとし生けるものを救った。 あなたは楽を好み、私は苦しみに励む。 あなたは怠り、私は清らかに精進する。

當佛說此偈時,苦行眾生七十二億,即於座上不動,得不起法忍。

仏がこの偈を説かれた時、苦行に励む衆生七十二億が、その座の上で動かず、不退転の悟りの境地を得た。

菩薩處胎經卷第二

菩薩処胎経 第二巻


4 佛樹品
6 想無想品

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