妙臂菩薩所問經分別數珠持心離障分第三
「復次,欲等煩惱與心合故,說為輪迴,根本煩惱若除,由如清淨玻胝迦寶,若離輪迴乃名解脫。又如水本清淨,於一剎那間塵能渾濁;亦如有情,心源本淨,於剎那頃被諸煩惱而為染污。
「復次,說於數珠乃有多種,所謂菩提子、金剛子、蓮花子、木槵子及與𤥭璖、諸寶錫鑞銅等,隨取一物為珠,數一百八,如是得已,持誦行人常保重之。凡持誦時於本尊前,依法安坐,調伏諸根,端身自在不得隈倚,繫念本尊及真言印契,收攝其心,勿令散亂,然取數珠,右手執持,左手仰承,每誦真言一遍,乃掐一珠,所持遍數恒須剋定,勿令少剩。持念之法,令脣微動,勿使有聲亦不露齒,一心專注勿令散動。有情之界,居凡夫位,心如猿猴,貪著諸境,樂而不捨,又如大海被風所激,生起波濤不能自息。凡夫覩境亦復如是,常須收攝,不令散動,勿令心源而有波浪。
さらに、数珠には多くの種類がある。すなわち、菩提子、金剛子、蓮花子、木槵子、そして瑠璃や水晶、さまざまな宝石、錫、銅などである。これらのうち、いずれか一つを選んで珠とし、108個揃える。そうして用意したならば、修行する人は常にこれを大切に扱わねばならない。
修行の際は、本尊の前で、教えに従って安座し、諸々の感覚を調え、身体をまっすぐにし、自由な姿勢で、壁などに寄りかかってはならない。本尊と真言・印契に心を集中し、心を一つに収め、散乱させてはならない。そして数珠を取り、右手で持ち、左手で支える。真言を一編唱えるごとに、珠を一つ繰る。唱える回数はあらかじめ決めておき、過不足があってはならない。
念誦の方法は、唇をかすかに動かし、声を出さず、歯も見せず、一心に集中し、散動させないことである。迷いの世界に生きる凡夫は、心が猿のように落ち着かず、あらゆる対象に執着し、楽しみに執着して手放せない。また、風に吹かれた海のように、絶え間なく波立ち、静まることがない。凡夫が外界の対象を見るときも、これと同じである。だからこそ、常に心を収めて散動させず、心の源に波を立ててはならないのである。
「持誦行人若是疲倦,將欲昏睡,恐其失念,即起經行或觀四方以適神思,或用冷水洗其面目,既得醒爽,復座持誦。行人若是怖於勞苦,心有移動,便作是念:『此身無主,因業所受,無依無定,隨業流轉,輪迴八苦,何處得免?至於寒暑、飢渴、蚤虱、蚊虻,如是苦惱處處皆有。』又復貪欲若盛,作白骨及爛壞不淨之觀;瞋恚若盛,作慈悲觀;無明若盛,作緣起觀。又復若遇冤家,觀如親友知識,或復親友知識忽作冤家。行者若是遇此冤親境時,莫起分別憎愛之心,當住平等無著正念。
「又出道場時,不得與婆羅門、吠舍、首陀等語,又復不應與不男之人、女人等語。何以故?蓋非樂法之侶。可與助伴同事等語。或是入觸便利等事,便須入水澡浴使其潔淨。或獻香花、燈塗讚嘆供養,乃至持戒精進持誦修行,一切善法皆悉迴向阿耨多羅三藐三菩提。譬如眾流皆歸於海,既入海已咸成一味,集諸善因總趣佛果,無量福聚自然相隨。譬如有人耕田種穀,唯望子實,不為藁幹,既豐子實,其於藁幹自然而有。求趣佛果亦復如是,一切福樂不求自至。
また、道場を出る時には、バラモンやヴェイシャ、シュードラなどと話をしてはなりません。また、不男(性機能がない人)や女人などとも話をしてはなりません。なぜなら、彼らは教えを喜ぶ仲間ではないからです。ただし、助け合う修行の仲間や、用事を共にする人とは話しても構いません。あるいは、排泄などの用を足した時には、すぐに入水して沐浴し、身を清めなければなりません。あるいは、香華や灯明、塗香を捧げて讃嘆し供養し、さらに戒を持ち、精進し、経を唱え、修行をするなど、あらゆる善い行いを、すべて無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)に回向しなさい。
例えば、多くの川の流れがすべて海に注ぎ込み、海に入ればすべて一つの味わいとなるように、あらゆる善い因を集めて、ひとえに仏の果報を目指せば、無量の福徳が自然と集まってくるのです。例えば、人が田を耕し穀物を植える時、ただ実りだけを望み、藁(わら)を求めることはありません。しかし実りが豊かになれば、藁も自然にできるものです。仏の果報を求める修行もまた、これと同じです。すべての福徳や楽しみは、求めずとも自然とやってくるのです。
「又,持誦人不應為小而妨於大。或若有人來有來請,便應答言:『待我自得長壽及其一切樂具。此心滿足,然後能滿一切有情之願。』
さらに、読誦する者は、小さなことに気を取られて大きな目的を妨げてはなりません。もし誰かが来て何かを求めるならば、こう答えるべきです。「まず私自身が長寿とすべての楽しい道具を得て、心が満たされてから、その後にすべての生きとし生けるものの願いを満たすことができるのです。」と。
「又復行人當要遠離世之八法,所謂善稱、惡稱、得利、失利、讚歎、毀謗、苦、樂等事。如是之法,不得在心,還如大海不宿死屍,乃至剎那亦不同處。又如室中然燈為防風故,飄鼓若免,光明即盛。如持誦人持誦真言亦須勤勇,加行若立,善法增長亦復如是。
「又,持誦人要在攝心,不得歌舞戲樂、我人憍慢、邪見邪染、嫉妬懈怠、懶惰睡眠及入喜會、迷醉邪論及無義論,以至瞋怒、惡口、兩舌,如是等事皆須遠離。又復不得喫供養殘食及鬼神殘食,行人唯得食三白及樹果、菜根、乳酪漿等,及大麥麵餅、油麻滓及種種麋粥等。
「又,持誦行人當須晝夜精勤如法持誦,常於諸佛、法、僧及遺身舍利,恭信珍重誠心懺悔,願一切先罪悉皆消滅。每持誦時,先依法請召,持誦了畢,依法迴向,發願訖,然後發遣。或至夜分將欲眠睡,於本尊側不近不遠地上敷吉祥草,於草上坐臥,坐定後然於一切有情起利樂心,作慈悲喜捨等觀,然後眠睡。