明正入道場三七日修行一心精進方法第三
明正入道場三七日修行一心精進方法第三
(正入道場用六齋日。此日太子四天王使者等。諸天善神下來人間。檢校善惡。見修善者。即注善簿。安慰守護。為現瑞相。令行者心生歡喜。增益善根故)。
(正道場に入るには六斎日を用います。この日には太子や四天王の使者など、多くの天の善神が人間の世界に降りてきて、善悪を調べます。善行を積む人を見ると、すぐに善行の帳簿に記し、慰めて守り、吉兆を現して、修行する人の心に喜びを起こさせ、善根を増やさせるのです。)
行者初欲入道場之時應自安心。我於今時乃至滿三七日。於其中間當如佛教一心精進。所以者何。若心異念即雜諸煩惱。名不清淨。心不淨故。豈得與三昧正道相應。是故自要其心不惜身命。一心精進。滿三七日。問曰。眾生心相隨事異緣。云何能得一心精進。答曰。有二種修一心。一者事中修一心。二者理中修一心。事中修一心者。如行者。初入道場時即作是念。我於三七日中。若禮佛時當一心禮佛。心不異緣。乃至懺悔行道誦經坐禪。悉皆一心。在行法中無分散意。如是經三七日。是名事中修一心精進。二者理中修一心精進。行者。初入道場時應作是念。我從今時乃至三七日滿。於其中間諸有所作常自照了。所作之心心性不二。所以者何。如禮佛時心性不生不滅。當知一切所作種種之事。心性悉不生不滅。如是觀時見一切心悉是一心。以心性從本已來常一相故。行者能如是反觀心源心心相續。滿三七日不得心相。是名理中修一心精進法。
修行者が初めて道場に入ろうとするときは、自ら心を落ち着けるべきです。私は今から三七日が満ちるまでの間、仏の教えのままに一心に精進しよう、と。なぜでしょうか。もし心に別の思いが生じれば、たちまちさまざまな煩悩が混じり合います。これを不清浄といいます。心が清らかでなければ、どうして三昧の正道と相応できるでしょうか。ですから自ら心を戒めて、身命を惜しむことなく、一心に精進し、三七日を満たすのです。
問います。衆生の心はあり方に従って異なる縁に走ります。どうして一心に精進することができるのでしょうか。
答えます。一心を修める方法には二つあります。一つは事において一心を修めること、二つは理において一心を修めることです。
事において一心を修めるとは、修行者が道場に入る最初に、こう思うことです。私は三七日の間、仏を礼拝するときは一心に仏を礼拝し、心を他の縁に走らせない。懺悔や行道、読経、坐禅に至るまで、すべて一心に行い、その行いの中に散った心を持たない。こうして三七日を過ごすことを、事において一心精進を修めるといいます。
理において一心精進を修めるとは、修行者が道場に入る最初に、こう思うことです。私は今から三七日が満ちるまでの間、なすことすべてを常に照らし見る。なす心の本性は二つではありません。なぜでしょうか。仏を礼拝するとき、心の本性は生じもせず滅しもしません。すべてのさまざまな行いについても、心の本性はみな生じもせず滅しもしないと知るべきです。このように観るとき、すべての心がただ一つの心であると見えます。心の本性はもとより常に一つのあり方だからです。修行者がこのように心の源を振り返って観て、心から心へと続け、三七日を満たしても心のすがたを得ないなら、これを理において一心精進を修める法といいます。