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仏祖歴代通載 (佛祖歷代通載)


佛祖歷代通載序

『佛祖歴代通載』の序

浮圖氏之論世。動以大劫小劫為言。中國文字未通。蓋不可知也。摩騰竺法蘭至漢而後。釋迦佛之生滅。可以逆推其歲年。自是中國之人。得以華言記之。自天竺及旁近諸國東來者。莫盛於西晉。至于姚秦石趙等國。其人則鳩摩羅什佛圖澄那連耶舍曇無讖諸師。而東土卓絕奇偉之士。生肇融叡等相為羽翼。翻譯經義盡為華言。而佛理之精無不洞究。先覺之士至有逆知。其至理之未至者。佛學之行莫博於此時矣。彌天道安至於遠公辟地東南佛陀耶舍遠相從游而辟世。君子相依於離亂之世。乃若寶公雙林諸公起而說法。而佛學大盛於東南矣。若夫智者弘法華於天台。三藏開般若於唐初。清涼廣華嚴於五臺。密公說圓覺於草堂。宣公嚴律教於南山。金剛啟祕密於天寶。大小三乘唯識等論。專門名家豪分縷析。汗牛充棟。學者千百。有皓首而不能窮極者焉。達磨之來則有五傳其衣。五宗斯立。同源異派自梁歷宋。謂之傳法正宗。我

浮図氏が世を論じるときは、いつも大劫・小劫を以て言とします。中国の文字がまだ通じていなかったので、詳しくは知りようがありません。摩騰と竺法蘭が漢に来てから後は、釈迦仏の生滅について、その歳年を逆に推し量ることができます。それ以来、中国の人々は漢語によってこれを記すことができました。天竺および近隣諸国から東へ来た者は、西晋ほど盛んな時代はありません。姚秦・石趙などの国に至っては、その人々は鳩摩羅什・仏図澄・那連耶舍・曇無讖といった諸師であり、また東土の卓絶した奇偉の士である道生・僧肇・道融・僧叡らが互いに羽翼となって、経の義を翻訳してことごとく漢語とし、仏理の精髄をことごとく洞究しました。先覚の士の中には、その至理がまだ至っていないことを逆に知る者さえありました。仏学の行われたことは、この時ほど広博であったことはありません。弥天道安から遠公に至っては、地を東南に避け、仏陀耶舎は遠くから従って遊び、世を避けました。君子が離乱の世に相依ったのであります。宝公・双林の諸公が起って説法するに及び、仏学は東南において大いに盛んになりました。智者が法華を天台で弘め、三蔵が般若を唐初に開き、清涼が華厳を五台で広め、密公が円覚を草堂で説き、宣公が律教を南山で厳しくし、金剛が秘密を天宝に啓いたというがごときです。大小三乗・唯識などの論は、専門名家が豪分縷析し、汗牛充棟にして、学ぶ者千百あり、皓首になっても窮め極めることのできない者があります。達磨が来てからは、衣を伝えること五伝あり、五宗がここに立ちました。同源異派が梁から宋に至るまで、これを伝法正宗と称します。我

國朝祕密之興義學之廣。亦前代之所未有。此其大略也。記載之書昔有寶林等傳。世久失傳。而傳燈之錄僧寶之史。僅及禪宗。若夫經論之師各傳於其教。宰臣外護因事而見錄。豈無遺闕。近世有為佛祖統紀者。儗諸史記書事無法。識者病焉。時則有若嘉興祥符禪寺住持華亭念常。得臨濟之旨於晦機之室。禪悅之外博及群書。乃取佛祖住世之本末。說法之因緣。譯經弘教之師。衣法嫡傳之裔。正流旁出散聖異僧。時君世主之所尊尚。王臣將相之所護持。論駁異同參考訛正。二十餘年始克成編。謂之佛祖歷代通載。凡二十二卷。其首卷則言彰所知論器世界情世界道果無為五論。則我

近代において密教が興り、教学が広まることは、かつての時代にはなかったことです。これがその大まかな概要です。記録の書物としては、昔は宝林などの伝がありましたが、世の久しい間に失伝し、伝灯の録や僧宝の史は、ただ禅宗に及ぶだけです。経論の師たちがそれぞれの教えに伝えられ、宰臣や外護者が事に因んで記録されたとしても、どうして遺漏や欠落がないでしょうか。近世に『佛祖統紀』というものがありますが、史記などにならって事を記すのに法がなく、識者はこれを欠点としています。時に嘉興祥符禅寺の住持である華亭の念常は、晦機の室で臨済の趣旨を得て、禅悦のほかに広く群書に及び、佛祖が世に住された本末、説法の因縁、経を訳し教えを弘めた師、衣法を嫡伝する裔、正流から旁出した散聖や異僧、時の君主や世主が尊崇したもの、王臣や将相が護持したもの、論駁の異同や訛正を参考にして、二十余年を経てようやく編を成し遂げました。これを『佛祖歴代通載』といい、全二十二巻です。その首巻では、彰所知論の器世界・情世界・道果・無為の五論を述べています。すなわち我が

世祖皇帝時。

世祖皇帝の時代に。

發思八帝師對

発思八帝師に対する

御之所陳說。是以冠諸篇首。其下則以天元甲子。紀世主之年。因時君之年。紀教門之事。去其繁雜謬妄。存其證信不誣。而佛道世道污隆盛衰。可竝見於此矣。嗟夫十世古今不離當念。塵影起滅何足記哉。甞見溈山有問於仰山。每有年代深遠之對。則亦憫先覺之無聞者乎。而法華一經。前劫後劫十號無二。又曰。觀彼久遠猶古今日。則此書宜在所取乎。至正元年六月十一日。微笑菴道人虞集序。

私が述べるところは、これによって諸篇の先頭に置いています。その下では天元甲子によって世の主の年を記し、時の君主の年によって教えの門の事柄を記しています。繁雑で誤ったところを除き、証として信じられ偽りのないところを残しています。そうして仏道と世道の盛衰が、ここに併せて見ることができるのです。ああ、十世の古今も当念を離れず、塵の影の起滅など何ぞ記すに足りましょうか。かつて溈山が仰山に問い、年代の深遠を対するたびごとに、先覚の聞こえなきを憐れまれたのを見ています。そして法華経の一経には、前劫後劫も十号に二つはなく、また「彼の久遠を観ること、なお今日のごとし」と説かれています。それならばこの書は取るべきところにあるのではないでしょうか。至正元年六月十一日、微笑菴道人虞集の序です。


華亭梅屋常禪師本傳通載序

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