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海龍王経 (佛說海龍王經)


無焚龍王受決品第十三

第十三章 無焚龍王の授記

於是無焚龍王白佛言:「一切諸法皆無所住,亦無有人。何有受決者?誰當成至無上正真道,為最正覺乎?」

そこで無焚龍王が仏に申し上げました:「一切の法はどれも留まる所がなく、また人もいません。どうして授記を受ける者がいるでしょうか?いったい誰が無上正真の道を成じて、最も正しい覚りを得るのでしょうか?」

佛言:「如是!如仁所言:『一切諸法皆無所住,亦無有人。』一切諸法亦復如是。凡夫愚人處於顛倒,住吾我人,無人起人想。菩薩發大哀為除顛倒,去吾我人,被覺德鎧。此正士等,曉了諸法無吾我人,開化誘立吾我人命。屬仁所云:『誰受決者?』諸仁等解人空無我,則為受決;一切法等觀諸法寂則為受決;諸佛國等而無所取,心淨無垢,則為受決;慧觀諸佛等諸佛道不壞法界,則為受決;於諸魔眾等一切魔,於塵無塵了心本已,則為受決;無名無相,無應不應,無念不念,不受不捨,則為受決。」

仏は言われた。「その通りです。あなたが言われるように、『一切の諸法はどれも住むところがなく、人も存在しない』のです。一切の諸法もまたこの通りです。凡夫の愚かな人々は倒錯した状態にあり、『我』や『人』という概念に執着し、人ではないものに人の想いを抱きます。菩薩は大いなる慈悲を起こし、この倒錯を取り除き、『我』や『人』という概念を離れ、覚りの徳という鎧を身にまとうのです。これらの正しい修行者たちは、諸法に『我』も『人』もないことを悟り、『我』や『人』という命の在り方に迷う者を導き立ち上がらせます。あなたが『誰が授記を受けるのか』と問われましたが、皆さんが人も空であり『我』がないことを理解すれば、それが授記を受けることです。一切の法を平等に見て、諸法が寂静であると観じれば、それが授記を受けることです。諸仏の国土も等しく、何も取ることなく、心が清浄で汚れがなければ、それが授記を受けることです。智慧をもって諸仏を観じ、諸仏の道と法界を損なうことなく保てば、それが授記を受けることです。一切の魔衆に対し、塵にあっても塵に染まらず、心の本質を悟れば、それが授記を受けることです。名もなく相もなく、応じることも応じないこともなく、想うことも想わないこともなく、受け取らず捨てなければ、それが授記を受けることです。」

佛語龍王:「其心意識無所住立,則為受決。諸法如是,以無因緣諸法本諦,覺了諸法平等無異,則成無上正真之道。究竟求本,無有受決及成佛道,若受決者,若受決已。所以者何?諸法無形,本末悉斷,皆無有主。一切諸法從因緣轉,諸法如空,無從生相故;諸法無從生相,無所至相故;諸法無所從來,計本空故;諸法無所至,未發起故;諸法無所住,不可得處故;諸法悉空,用無身故;諸法無著,用無猗故;諸法無所猗,不可動故;諸法不可動,無處所故;諸法皆愚,用自然故;諸法自然,無言教故;諸法無言教,無色像故;諸法無色像,用無念故;諸法無念,無因緣故;諸法無因緣,無所行故;諸法無所行,用寂然故;諸法寂然,無受陰故;諸法無受陰,本淨空故;諸法脫相,用無二故;諸法無二,用本一故;諸法本一,離若干故;諸法等無差特,用等覺故。」

仏は龍王に告げられた:「心と意識がどこにもとどまらなければ、授記を受けることになる。すべての法はこのようであり、因縁なくして諸法の根本真実を悟り、すべての法が平等で異ならないことを覚知すれば、無上正真の道を成就するのである。根本を究極的に求めれば、授記を受けることも、仏道を成就することもない。授記を受ける者も、授記を受けた後も。なぜならば、すべての法は形がなく、始めも終わりも断たれ、すべて主となるものがないからである。すべての法は因縁によって転じる。諸法は空の如く、生じる相がないからである。諸法に生じる相がないのは、至る相がないからである。諸法に来るところがないのは、根本が空であるからである。諸法に至るところがないのは、まだ起こっていないからである。諸法に住するところがないのは、得られる場所がないからである。諸法はすべて空であるのは、身がないからである。諸法に執着がないのは、よりどころがないからである。諸法によりどころがないのは、動かすことができないからである。諸法が動かせないのは、場所がないからである。諸法はすべて愚かであるのは、自然であるからである。諸法が自然であるのは、言葉の教えがないからである。諸法に言葉の教えがないのは、色や形がないからである。諸法に色や形がないのは、念いがないからである。諸法に念いがないのは、因縁がないからである。諸法に因縁がないのは、行くところがないからである。諸法に行くところがないのは、寂然であるからである。諸法が寂然であるのは、受ける陰がないからである。諸法に受ける陰がないのは、本来清浄で空であるからである。諸法が相を脱するのは、二つがないからである。諸法に二つがないのは、本来一つであるからである。諸法が本来一つであるのは、さまざまなものを離れているからである。諸法が平等で差別がないのは、平等に覚知するからである。」

佛語龍王:「解諸法等,無受決者、不成等覺。且觀于是,如來堅固,興無極哀,及諸菩薩勸樂之力,諸法如是,以無央數為人解說,合會有數。於諸法觀無解脫人、法亦不度。人如法者,人亦如也,道亦如也,佛亦如也,決亦如也,諸法亦如也,故曰如來。了於本無,住本無故,而不可動,故曰本無。本無像、本無壞,解了本無,故曰如來。以如來故,等住本無,諸法如是等如本無住,是為如來等住之地。其有菩薩聞是說者,不恐不怖,不畏不難,以是如來等住之地,為人解說。」

仏陀は龍王に言われた。 「一切の法が平等であることを理解し、受け取る者も決める者もなく、完全な覚りを成さない。まずこれを見よ、如来は堅固であり、限りない慈悲を起こし、諸菩薩の励ましと喜びの力によって、諸法はこのようである。無数の人々に解き明かし、会合するにも数がある。諸法を観察しても、解脱する人はなく、法もまた渡さない。人とは法の如く、人もまた如く、道もまた如く、仏もまた如く、決もまた如く、諸法もまた如くである。故に如来と説く。本無を明らかにし、本無に住するがゆえに、動かすことができない。故に本無と説く。本無には形がなく、本無は壊れない。本無を理解し明らかにするがゆえに、如来と説く。如来であるがゆえに、本無に平等に住する。諸法はこのように平等に本無に住する。これが如来の平等に住する境地である。もし菩薩がこの説を聞いて、恐れず、怖れず、畏れず、難じないならば、この如来の平等に住する境地を人々に解き明かすであろう。」

佛說是時,三千菩薩皆得法忍,阿耨達龍王歡喜踊躍,以白珠瓔珞價當是世,而覆佛上。

仏がこう説かれた時、三千の菩薩たちは皆、法忍を得ました。阿耨達龍王は歓喜して踊り上がり、この世の価値に相当する白珠の瓔珞を、仏の上に覆いかけました。


12 燕居阿須倫受決品(三)
14 女寶錦受決品(三)

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