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釈氏要覧 (釋氏要覽)


恩孝

恩孝

凡釋氏。晨暮祝香禮佛。乃至作一毫善事。皆回向四恩三有者。蓋是廣大心報恩申孝之至也。

仏教徒が、朝夕にお香をたいて仏を礼拝し、あるいは少しの善い行いをするに至るまで、すべてを「四恩」と「三有」に向けて回向するのは、実に広大な心で、恩に報い孝を尽くすことの極みである。

恩

恩

有四焉。一父母恩。二師長恩。三國王恩。四施主恩○大乘本生心地觀經。佛言。世間恩有四種。一父母恩。二眾生恩。三國主恩。四三寶恩。如是四恩。一切眾生。平等荷負父母者。父有慈恩。母有悲恩。若我住世。一劫說不能盡。二眾生恩者。無始已來。一切眾生。輪轉五道。互為父母。各有大恩故。三國王恩者。福德最勝。雖生人間。得大自在。三十三天。常以其力。護持國界。山河大地盡屬國王。是故。大聖王以正法化。能使眾生。悉皆安樂○後譯華嚴經云。國有君王。一切獲安。是故。人王為一切眾生安樂之本。在家出家精心道撿。皆依正國而得住持。演化流布。若無王力。功行不成。法滅無餘。況能利濟。是故。所修一切功德。六分之一。常屬國王。願王福山崇固難壞○薩遮經云。王者民之父母。以法攝護眾生。令安樂故○又禮佛時。常為諸天龍神願。風雨順時。文武百官。常居祿位者。西域記云。大臣者。國之重鎮。農務者人之命食國失鎮則危。人絕食則死。又佛法付囑國王大臣故。常須繫心祝願也。四三寶恩者。佛法僧寶。具足無量。神通變化。利樂有情。暫無休息○正法念經云。如來。三界最勝。度脫生死。此恩難報。若於佛法深心。得不壞信是名報恩○華嚴經偈云。如來無數劫。勤苦為眾生。云何諸世間。不報大師恩○報恩經云。父母者三界最勝福田○毘奈耶律云。父母於子。有大勞苦。護持長養。資以乳哺假使一肩持母。一肩持父。經於百劫徒自疲勞。或持七寶種種供養令得富樂。亦未報父母恩。若其父母無信者令起信心。若無戒者。令住禁戒。若性慳者令行惠施。若無智慧者。令起智慧。子能如是。方曰報恩○不思議光經云。非飲食及寶能報父母恩。引導向正法。便為供二親○彌沙塞律云。佛言從今聽比丘盡心盡壽供養父母。若不供養得重罪又云。我聽五處縱極破戒。應供養所謂父母親教師(受業和尚也)。軌範師。及病人。又云出家人。於父母應供養供給。於三衣外自餘物或從施主乞。或從僧得利。或僧所常食之分。減半供給。若常乞食亦與己所滿腹食內。應取其半。濟其父母○中心經云。佛言知師恩者。見師則承事。不見則思惟教誡。如孝子之念父母。如人念飲食等○大方廣不思議境界經云。當供養父母。和尚。及世間。曾致饒益。賴其恩者應念倍增報恩。何以故。知恩者。雖在生死。不壞善根。不知恩者。善根斷滅。是故。諸佛稱讚知恩報恩者○或問釋氏為俗人作疏子亦有云奉為四恩者。其國王父母可知。其師長施主何耶。答經不云。及世間曾致饒益。賴其恩者。若教授經書伎術事業。或令避惡從善者。皆師長也。夫師者教以道之稱也。若假借財本拯苦與樂者皆施主也。夫施者有三種。一財施謂與人財。二心施謂慈悲心與人樂。三法施謂說法利人等。

四つの恩があります。一つ目は父母の恩、二つ目は師長の恩、三つ目は国王の恩、四つ目は施主の恩です。 『大乗本生心地観経』で仏はこう説かれました。「世の中には四つの恩がある。一つ目は父母の恩、二つ目は衆生の恩、三つ目は国王の恩、四つ目は三宝の恩である。この四つの恩を、すべての生きとし生けるものが等しく受けている。父母については、父には慈しみの恩があり、母には哀れみの恩がある。たとえ私がこの世に長くとどまっても、一劫の間説き尽くすことはできない。二つ目の衆生の恩とは、遠い昔からすべての生きとし生けるものが、五つの道を巡りながら互いに父母となり、それぞれ大きな恩があるからである。三つ目の国王の恩とは、その福徳が最も優れていることである。人間として生まれながら、大きな自在を得て、三十三天の神々も常にその力をもって国土を守っている。山河大地はすべて国王のものである。それゆえ、大いなる聖王が正しい法によって人々を導けば、すべての生きとし生けるものが安らかに楽しむことができる。」 『後訳華厳経』にはこうあります。「国に君主がいれば、すべてのものが安らぎを得る。それゆえ、人王はすべての生きとし生けるものの安楽の根本である。出家した者も在家の者も、心を込めて道を守るのは、すべて正しい国に依って住み続け、教えを広め伝えることができるからである。もし王の力がなければ、修行の功績は成就せず、法も滅びて何も残らない。ましてや人々を利益し救うことなどできない。それゆえ、修行して積んだすべての功徳の六分の一は、常に国王のものである。願わくは、王の福という山が高く固く、壊れることのないように。」 『薩遮経』にはこうあります。「王は民の父母である。法をもって生きとし生けるものを守り導き、安楽にさせるからである。」また、仏に礼拝するときは、常に天の神々や竜神のためにこう祈る。「風雨が季節にかなって順調に降り、文武の百官が常に禄位にありますように。」と。 『西域記』にはこうあります。「大臣は国にとって重要な柱であり、農耕は人にとって命の糧である。国が柱を失えば危うくなり、人が糧を絶てば死ぬ。また、仏法は国王や大臣に託されているので、常に心を込めて祈り願うべきである。」 四つ目の三宝の恩とは、仏・法・僧の宝が、限りない神通力と変化の力をもって、生きとし生けるものを利益し楽しませ、少しの休みもなく行われていることである。 『正法念経』にはこうあります。「如来は三界の中で最も優れ、生死の苦しみから人々を救い出す。この恩は報いることが難しい。もし仏法に対して深く心を入れ、揺るがない信仰を得たならば、それを恩に報いるという。」 『華厳経』の偈にはこうあります。「如来は数えきれないほどの長い間、苦労して衆生のために尽くしてこられた。それなのに、なぜ世の人々は大師の恩に報いないのか。」 『報恩経』にはこうあります。「父母は三界の中で最も優れた福を生む田である。」 『毘奈耶律』にはこうあります。「父母は子に対して大きな苦労をし、守り育て、乳を与えて養う。たとえ一方の肩に母を、もう一方の肩に父を乗せて百劫もの間歩き続けても、ただ自分が疲れるだけで、あるいは七宝をもって様々な供養をして富み楽しみを与えても、まだ父母の恩に報いたことにはならない。もし父母が信仰を持たないならば、信仰の心を起こさせるように導き、戒律を持たないならば、戒律を守らせ、もともとけちな性格ならば施しを行うようにさせ、智慧がないならば、智慧を起こさせるようにする。子がこのようにできて、初めて恩に報いるという。」 『不思議光経』にはこうあります。「食べ物や飲み物、宝物で父母の恩に報いることはできない。正しい法に導くことこそ、両親に供養することになる。」 『弥沙塞律』にはこうあります。「仏はこう言われた。『今後、比丘は命の限り父母を供養しなさい。もし供養しなければ重い罪となる。』」また、「私は五つの場合、たとえひどく戒を破っていても供養すべきと認める。それは、父母、親教師(師事する和尚のこと)、軌範師、そして病人である。」ともあり、さらに、「出家した者は、父母を供養し世話をすべきである。三衣以外の自分の持ち物や、施主から乞うたもの、あるいは僧団から得た利益、僧団で常に配られる食事の半分を、父母に与えなさい。もし托鉢で食を得る者も、自分の満腹する食事の半分を取って、父母を救いなさい。」 『中心経』にはこうあります。「仏は、師の恩を知る者は、師に会えば仕え、会わなければ教えを思い、孝行な子が父母を思うように、人が食べ物や飲み物を思うようにせよと言われた。」 『大方広不思議境界経』にはこうあります。「父母や和尚、そして世の中で利益をもたらしてくれた人々、その恩に頼っている人々を供養し、その恩にますます報いるように心がけるべきである。なぜなら、恩を知る者は、たとえ生死の世界にいても善い根を失わないが、恩を知らない者は善い根を断ち切ってしまうからである。それゆえ、諸仏は恩を知り恩に報いる者を称賛するのである。」 ある人が問う。「仏教者が在家の人のために祈祷文を作るときにも、『四つの恩のために捧げる』と言います。その中の国王と父母は分かりますが、師長と施主とは何でしょうか。」 答え。「経典に『世の中で利益をもたらしてくれた人々、その恩に頼っている人々』とあるではないか。書物や技芸、仕事を教えてくれたり、悪を避けて善に従うように導いてくれたりする人が、皆、師長である。師とは道を教える者の呼び名である。また、財物を貸し与え、苦しみから救い楽しみを与えてくれる人が、皆、施主である。施しには三つの種類がある。第一に財施、人に財物を与えること。第二に心施、慈しみの心で人に楽しみを与えること。第三に法施、教えを説いて人々を利益することなどである。」

孝
爾雅云善事父母曰孝○諡法云慈愛忘勞曰孝○雜記云。養德順理。不逆於時曰孝○四天王經云。佛告諸弟子。慎汝心念。無受五欲。漱情去垢。無求為首。內以清淨。外當盡孝○梵網經云。佛初坐道樹。成無上覺初結菩薩波羅提木叉以孝順父母師僧三寶孝順至道之法孝名為戒○盂蘭盆經云佛令比丘為七世父母設盆供養佛及自恣僧(世人行孝只於一身釋氏行孝兼為七世父母可謂孝矣)○法苑云持戒即是行孝謂一切眾生皆曾為我父母宗親今持戒不殺生不偷盜等是名行孝。

『爾雅』には「善く父母に事うるを孝と曰う」とある。○『諡法』には「慈愛にして労を忘るるを孝と曰う」とある。○『雑記』には「徳を養い理に順い、時に逆らわざるを孝と曰う」とある。○『四天王経』には「仏は諸の弟子に告げたまわく、汝の心念を慎み、五欲を受けることなかれ。情を漱ぎ垢を去り、求むることをもって首と為すな。内には清浄を以てし、外には当に孝を尽くすべし」とある。○『梵網経』には「仏、初めて道樹に坐し、無上覚を成じ、初めて菩薩の波羅提木叉を結びたもう。孝順父母、師僧三宝をもって、孝順は至道の法なり。孝を名づけて戒と為す」とある。○『盂蘭盆経』には「仏、比丘に令して七世の父母の為に盆を設け、仏及び自恣の僧を供養せしむ」とある。(世の人の行う孝はただ一身のためなるも、釈氏の行う孝は兼ねて七世の父母のためなり。まことに孝と謂うべきかな。)○『法苑』には「持戒すなわち行孝なり。謂わく一切の衆生は、みな曾て我が父母・宗親たり。今、持戒して殺生せず、偸盗せざる等は、これを名づけて行孝と為す」とある。


三寶
界趣

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