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title: "法華傳記 · 6 無量義經序"
description: "法華傳記由唐代僧人僧詳編撰是一部重要的佛教史傳類著作該書匯集了諸多與法華經相關的靈驗感通故事及高僧大德的持誦事蹟生動反映了法華經在中國早期的傳播與信仰狀況全書內容豐富不僅記載了許多珍貴的歷史資料更展現了法華經作為大乘佛教重要經典其提倡的一佛乘思想和人人皆可成佛的理念對中國佛教各宗派尤其是天台宗的發展產生了深遠影響是研究法華經流傳史和中國佛教社會史不可或缺的重要文獻"
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### 無量義經序

> 無量義経序

荊州隱士劉虬作

> 荊州の隠士・劉虬の著作

無量義經者。取其無相一法。廣生眾教含義不貲。故曰無量。夫三界群生。隨義而轉。一極正覺。任機而通。流轉起滅者。必在苦而希樂。此叩聖之感也。順道示現者。亦施悲而用慈。即救世之應也。根異教殊。其階成七。先為彼利等說五戒。所謂人天善根一也。次為拘隣等轉四諦。所謂授聲聞乘二也。次為中根演十二因緣。所謂授緣覺乘三也。次為上根舉六波羅蜜。所謂授以大乘四也。眾教宜融。群疑須導。次說無量義經。既稱得道差品。復云未顯真實。使發求實之冥機。用開一極之由緒五也。故法華接唱顯一除三。順彼求實之心。去此施權之名六也。雖權開而實現。猶掩常住之正義。在雙樹而臨崖。乃暢我淨之玄音七也。過此以往法門雖多。撮其大歸數盡於此。亦由眾聲不出五音之表。百氏並在六家之內。其無量義經。雖法華首載其目。而中夏未覩其說。每臨講肆。未甞不廢。談而歎想。見斯文忽有武當山比丘慧表。生自著冑。偽帝姚略從子國破之日。為晉軍何澹之所得。數歲聰黠。澹之字曰螟蛉。養為假子。俄放出家。便勤若求道。南北遊尋。不擇夷險。以齊建元三年。復訪奇搜祕。遠至嶺南。於廣州朝亭寺。遇中天竺沙門曇摩伽陀耶舍。手能󰽦書。口解齊言。欲傳此經。未知所授。表便慇懃致請。心形俱至淹歷旬朔。僅得一本。仍還嶠北齎。入武當以今永明三年九月十八日。頂戴出山。見投弘通。奉覿真文。欣敬兼誠。詠歌不足手舞。莫宣輒虔訪宿。解抽刷庸思。謹立序。注云。自極教應世。與俗而差。神道救物。稱感成異。玄圃以東號曰太一。罽賓以西字為正覺。東國明殃慶於百年。西域辨休咎於三世。希無之與修空其揆一也。有欲於無者。既無得無之分。施心於空者。豈有入空之照。而講求釋教者。或謂會理可漸。或謂入空必頓。請試言之以筌幽寄。立漸者以萬事之成。莫不有漸。堅氷基於履霜。九成作於累土。學人之入空也。雖未圓符。譬如斬木去寸無寸。去尺無尺。三空稍登。寧非漸耶。立頓者以希善之功。莫過觀於法性。法性從緣非有非無。忘慮於非有非無。理照斯一者。乃曰解空。存心於非有非無。境智猶二者。未免於有。有中伏結非無。日損之驗。空上論心。未有入理之効。而言。納羅漢於一聽。判無生於終朝。是接誘之言。非稱實之說。妙得非漸。理固必然。既二談分路。兩意爭途。一去一取。莫之或正。尋得旨之匠。起自支安支公之論無生。以七住為道慧。陰是十住。則群方與能在迹。斯異語照則一。安公之辯異。觀三乘者始簣之日。稱定慧者終成之實。錄此謂始。求可隨根。而三入解。則其慧不二。譬喻亦去。大難既夷。乃無有三。險路既息。其化即亡。此則名一為三。非有三悟明矣。生公云。道品可以泥洹。非羅漢之名。六度可以至佛。非樹王之謂。斬木之喻。木存故尺寸可漸。無生之證。生盡故其照必頓。案三乘名教。皆以生盡照息。去有入空。以此為道。不得取象於形器也。今無量義。亦以無相為本。若所證實異。豈曰無相。若入照必同。寧曰有漸。非漸而云漸。密筌之虛教耳。如來亦云。空拳誑小兒。以此度眾生。微文接麁漸說。或允忘象得意。頓義為長。聊舉大較。談者擇焉出三藏記第九。

> 無量義経とは、その無相の一法を基盤として、無数の教えを広く生み出し、その含む意味は計り知れない。故に「無量」と名付けられた。三界の衆生は、それぞれの縁に従って教えを受けて変わり、一つの究極の正覚は、衆生の機根に任せて通じる。生死を流転し、迷いの世界に生滅する者たちは、必ず苦しみにあって楽しみを求める。これが聖者に触れる縁となる。道に従い、様々な姿を現して教え導く者は、慈悲を施し、哀れみを用いる。それが世を救う応化である。衆生の機根が異なれば教えも異なり、その階位は七つに分けられる。 第一に、彼ら（下根の者）の利益のために五戒を説く。これが人天の善根である。第二に、拘隣（コンニン）らに四諦を転じる。これが声聞乗を授けることである。第三に、中根の者に十二因縁を説く。これが縁覚乗を授けることである。第四に、上根の者に六波羅蜜を挙げる。これが大乗を授けることである。様々な教えは融和されるべきであり、多くの疑惑は導かれる必要がある。第五に、次に無量義経を説く。すでに悟りの位の違いがあると説きつつ、その真実はまだ明らかにされていないと述べ、人々に真実を求めようとする深い心を起こさせ、一つの究極（一極）への道筋を開くのである。第六に、法華経が続いて「一を顕し三を除く」と唱え、その真実を求める心に従い、権の教えという仮の名を取り去る。第七に、権の教えを開いて実の教えが現れたとはいえ、常住の正義はまだ覆われている。そこで、娑羅双樹の下で臨終の際に、我が浄く常楽であるという奥深い教えを説き明かすのである。 これ以降、法門は数多いが、その大切なところをまとめれば、この中に尽きる。これは、多くの音色が五音の枠を出ず、多くの学派が六家の内にあるようなものである。 この無量義経は、法華経の初めにその名が挙げられているものの、中国ではまだその教えを見ることができなかった。講義の席に臨むたびに、いつもそれを惜しみ、語り合いながらその経典を思い慕っていた。 ところがある時、この経典に巡り合うことができた。武当山の比丘、慧表という者がいる。彼は元々名門の出身で、偽の帝、姚略（姚興）の甥であったが、国が滅びた時、晋の軍の何澹之に捕らえられた。幼い頃から聡明で、何澹之は彼を「螟蛉」と名付け、養子とした。やがて出家し、熱心に道を求めた。南北を行き巡り、険しい道もいとわずに探し求めた。 斉の建元三年（481年）、再び珍しい教えを求めて遠く嶺南に至り、広州の朝亭寺で、中天竺の沙門、曇摩伽陀耶舎（ドンマガダヤシャ）に出会った。彼は手慣れた様子で経典を書き記し、中国の言葉を理解していた。この経を伝えたいと思っていたが、誰に授けるか決めかねていた。慧表は心を込めて懇願し、心身ともに尽くして幾月も過ごし、ようやく一巻の経典を得ることができた。 彼は嶺北に帰り、武当山に持ち帰った。そして、今の永明三年（485年）九月十八日、経典を頭の上に戴いて山を下り、私に示して広く世に伝えさせようとした。私はその真の教えを拝見し、喜びと敬いの念が心に溢れ、歌っても足りず、手を舞っても表現できないほどであった。そこで慎んで古の解釈を訪ね、自分の拙い考えを振るい落とし、謹んで序文を記す次第である。 註：至極の教えが世に現れて以来、世俗とは異なる。神の道は物を救い、縁に感じて異なる姿を現す。玄圃より東では「太一」と称し、罽賓（カピルヴァストゥ）より西では「正覚」と文字で表す。東の国では百年の間の禍福を明らかにし、西域では三世の吉凶を弁別する。無を願うことと空を修めることは、その根本は一つである。無を欲する者に、すでに無を得るという性質はない。心を空に施す者に、どうして空に入る智慧があろうか。 仏教を講究する者の中には、理にかなうことは漸進的に可能だと言う者もいれば、空に入るには必ず頓悟が必要だと言う者もいる。試しに言葉を述べて、その深い意味を明らかにしよう。 漸悟を主張する者は、万物の成就は全て徐々に進むものだと言う。堅い氷は霜が降りることに基づき、九重の楼閣は土を積み上げて作られる。修行者が空に入るのも、完全に一致しなくとも、例えば木を切るように、寸を除けば寸はなくなり、尺を除けば尺はなくなる。三空（我空・法空・倶空）に徐々に登るのは、まさに漸進ではないのか。 頓悟を主張する者は、善を願う功徳は、法性を観察することに勝るものはないと言う。法性は縁に従って生じ、有でもなく無でもない。有でもなく無でもないことへの思いを捨て、理を一つの智慧で照らすこと、これを空を解するという。有でもなく無でもないことに心を留め、境と智がまだ別々であるならば、それは有を免れていない。有の中で煩悩を抑えても、それは日々に減っていくという検証ではない。空について心を論じても、まだ理に入る効果はない。そして、「羅漢は一たび聞くことで悟り、無生を一瞬のうちに判断する」と言うのは、方便として引き付ける言葉であり、実際の教えとは言えない。妙なる悟りは漸進的ではなく、道理からして当然そうなのである。 この二つの説が分かれ道となり、二つの考えが道を争う。一方を取り、一方を捨てることは、どちらが正しいか定まっていない。 その宗旨を得た匠は、支遁（シトン）から始まる。支遁の無生に関する論は、七住を道慧の位とし、十住においては一切の方位に応じつつ、その跡に働きがあると説く。言葉は異なるが、智慧の照らしは一つである。道安の異なる見解の弁別は、三乗を観ずる者は初めの一歩の時であり、定慧を称する者は成就した最終的な実りである、と録す。これを初めと見なし、根機によって三つの解に分かれて入ることを求めても、その智慧は二つではない。たとえ話もまた不要となり、大きな難関がすでに過ぎ去れば、三つは存在しない。険しい道がすでに休めば、その教化もまた消え去る。これは「一」を「三」と名付けたものであって、「三」という悟りがあるわけではないことは明らかである。 生公（竺道生）は言う。「道品は泥洹に至らせることができるが、それは羅漢という名そのものではない。六度は仏に至らせることができるが、それは樹王（仏）という呼び名そのものではない。」木を切るたとえは、木が存在するからこそ寸法で段階を追って切ることができる。無生の証明は、生が尽きるからこそ、その智慧の照らしは必ず頓悟である。 考察するに、三乗の名目は、いずれも生が尽き智慧の働きが止まり、有を去って空に入ることをもって道としている。これを形象や物に求めてはならない。 今、無量義経もまた、無相を根本とする。もし証得する実が異なるなら、どうして無相と言えようか。もし入る智慧の照らしが必ず同じなら、どうして漸進があると言えようか。漸進ではないのに漸進と言うのは、密かに仕掛けた虚仮の教えに過ぎない。如来もまた「空拳で小児を欺く」ようにして衆生を度すると言われる。微細な教えで粗い教えを受け止め、漸進を説くこともある。忘れて象に意を得るのは、頓義が優れている。大体をここに述べ、議論する者はこれを選んでほしい。 <note>出三蔵記第九</note>