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釈迦氏譜 (釋迦氏譜)


二序氏族根源

二序 氏族の根源

夫姓氏之興。本欲召其質也。故隨物類而命其形名焉。至如東夏姓源本惟有九。故云或因諡號。唐虞文武等是也。或因爵封。王侯宋衛等是也。或因官字。司馬司徒伯仲叔季等是也。或因居處則成郭園池。或因事有則陶丘巫卜。或因任職則三烏五鹿。末裔隨務流廣滋彰。即目自形不勞繁述。太夏種姓有四不同。謂剎帝利。婆羅門。毘舍。首陀羅也。剎利王種最為高貴。劫初以來相承不絕。餘之三姓非此所論。但明佛姓自分五別。一曰瞿曇。二曰甘蔗。三曰釋迦。四曰舍夷。五曰日種。言瞿曇者。如十二遊經云。昔者菩薩阿僧祇劫。初為國王。父母早喪讓位求道。師姓瞿曇因從氏焉。唐言瞿曇者星名也。如此張氏因星立姓故。涅槃經云。禰瞿曇姓自古相傳。言瞿曇者。此云泥土也。但是譯人取語輕重今問梵僧言瞿荼者泥土也。求曇者是星名也。故知因星得姓定非泥土。言甘蔗者。即如彼經。菩薩往於甘蔗園中。遊止修道。因園命氏。又名甘蔗故。佛所行讚云。甘蔗之苗裔者是也。于時菩薩於園念道。以宿業故為賊所得。貫在木上流血于地。大仙瞿曇天眼清淨。菩薩絕嗣後佛無由。從山飛來哀斂死屍。取土中血以泥團之。著兩器中還返所止。以神呪力滿足十月。左變為男右變為女。瞿曇仙氏遂復興焉。言舍夷者。如四分律云。佛舍夷種。亦云舍夷國。未審此名。言釋迦者。長阿含云。過去有王名曰懿摩(即第十輪王去菩薩身一百世也)。擯斥四子(第四子名莊嚴即白淨王所承)令遠出國。奉王命已到北雪山。住直林中。彌沙塞律云。居雪山北四方遐曠。菜果滋茂頓駕數年。歸德如市欝為強國。父思往召辭過不還。父王三嘆我子有能。因名釋種。本起云。錠光佛曰。汝於來世當成為佛。號釋迦文佛。釋迦為能文為仁也。准今唐譯與本起同。故此四子因能命氏。然釋迦姓經文單復。有類此方。方朔馬卿等也。彌沙塞云。住直樹林。又名為釋。今據梵音呼直為釋。天竺諸事一物多名。此又因林而命氏矣。若准別傳彼土有樹。名曰釋迦根幹茂盛。善相者云。必出國主。因移四子立國命氏(雖非經教聊附異聞)。言日種者。曇無德律云。父姓名為日也(未詳其緣)統明五異同宗一氏。隨事流變故有斯分。然釋一姓群籍多明。自餘出沒任緣而舉。故祐律師云。仰惟錠光授記表號釋迦。玄符冥契故記釋種。名出於未形之前。跡孚於既生之後。炤灼天人聯綿曠劫。其為源也邃矣乎。余尋瞿曇一氏父也。釋迦一氏母也。故五人隨菩薩者。名佛為瞿曇也。斯即子承父姓理路顯然。四分律云。父姓名為日。生處名釋迦。明知母姓也。瞿曇古仙取血藏器。後化男女遂有釋門。覈源一血後分二體。姻媾胎變支流遂廣。據本而談誠滔禮數。約緣徵事大義天乖。何者。案釋氏婚媾並絕族親。冥符此土周孔立教。以世紹輪王望高天下。分宗納娉不交卑族。計其二姓同祖古仙。胎血不殊理例難絕。至如東夏姓氏。多本五帝三王。今則交媾姻婭取別判無從矣。

姓氏の起源は、もともとその本質を呼び表すためにあります。そのため、物事の種類に従って形や名を付けました。例えば、東夏(中国)の姓の源は九つしかなく、次のように言われています。諡号によるもの(唐・虞・文・武など)、爵位や封土によるもの(王・侯・宋・衛など)、官職の字によるもの(司馬・司徒・伯・仲・叔・季など)、住居によるもの(郭・園・池など)、事績によるもの(陶・丘・巫・卜など)、職務によるもの(三烏・五鹿など)。子孫は状況に応じて広がり、その形は一目で分かるため、詳しく述べる必要はありません。

太夏(インド)の種姓には四つの違いがあり、刹帝利・婆羅門・毘舍・首陀羅と言います。刹利(刹帝利)は王族の種で最も高貴であり、劫の初めから受け継がれて絶えたことがありません。残りの三つの姓はここでは論じません。ただ、仏の姓に五つの区別があることを明らかにします。一つ目は瞿曇、二つ目は甘蔗、三つ目は釈迦、四つ目は舎夷、五つ目は日種です。

「瞿曇」について言えば、『十二遊経』にこうあります。「昔、菩薩は阿僧祇劫の初めに国王でした。父母は早くに亡くなり、位を譲って道を求めました。師の姓が瞿曇であったため、それに従って氏としました」。唐(中国)で「瞿曇」と言うのは星の名前です。例えば、張氏が星にちなんで姓を立てたようなものです。そのため『涅槃経』には「あなたの瞿曇の姓は古くから伝わる」とあります。「瞿曇」とは「泥土」の意味だと言う人もいますが、それは翻訳者が言葉の軽重を取ったものです。今、梵僧に尋ねると、「瞿荼」は泥土、「曇」は星の名前だそうです。したがって、星によって姓を得たのであって、泥土ではないことが分かります。

「甘蔗」について言えば、同じくその経典にあります。菩薩が甘蔗園の中に住み、修行していたため、園にちなんで氏とし、また甘蔗と呼ばれました。そのため『仏所行讃』に「甘蔗の苗裔(子孫)である」とあります。その時、菩薩は園で道を念じていましたが、宿業によって賊に捕まり、木に貫かれて地に血を流しました。大仙瞿曇は天眼が清らかで、菩薩の子孫が絶えれば後に仏が現れないことを見て、山から飛んできて亡骸を哀れみ集め、土の中の血を取り、泥の団子にして二つの器に入れ、元の場所に戻りました。神呪の力で満十月の後、左は男に変わり、右は女に変わりました。これにより瞿曇仙の氏が再び興ったのです。

「舎夷」について言えば、『四分律』に「仏は舎夷の種であり、また舎夷国とも言う」とありますが、この名の由来は詳しく分かりません。

「釈迦」について言えば、『長阿含経』にこうあります。「昔、懿摩という王がいました(これは第十の輪王で、菩薩の身から百世を経たものです)。四人の王子を追放しました(第四子は荘厳といい、白浄王の系譜に当たります)。遠く国を出るよう命じられ、北の雪山に到り、まっすぐな林に住みました」。『弥沙塞律』には「雪山の北、四方は広々とし、野菜や果物が豊かで、数年でにぎわい、徳に帰する者は市のようになり、盛んに強大な国となった。父王は彼らを呼び戻そうとしたが、過ちを詫びて戻らなかった。父王は三度嘆いて『我が子は能力がある』と言い、そのため釈種と名付けられた」とあります。『本起経』には「錠光仏が言った。『あなたは来世に仏となり、釈迦文仏と号すであろう』。釈迦は『能』、文は『仁』の意味である」とあります。現在の唐訳も『本起経』と同じです。したがって、この四人の王子は能力によって氏としました。ただし、釈迦の姓は経文によって単体であったり複合であったりし、この国の東方朔や司馬卿のようなものです。『弥沙塞律』には「まっすぐな樹林に住み、また釈と名付けた」とあります。今、梵音に従えば「直」を「釈」と読みます。天竺の事柄は一つの物に多くの名前があり、これも林にちなんで氏としたのです。もし別の伝記によれば、あの国に「釈迦」という木があり、根や幹が盛んに茂っていました。相者が「必ず国主が出るだろう」と言い、四人の王子を移して国を立て、氏としました(経典に基づくものではないが、参考までに異聞を添える)。

「日種」について言えば、『曇無徳律』に「父の姓名は日である」とあります(その由来は詳しく分からない)。以上、五つの異なる名称を統合すれば、同じ一つの氏に帰します。事情に応じて変遷したため、このような区分があるのです。しかし、釈迦という一つの姓については多くの典籍で明らかにされています。その他のものは因縁に任せて挙げられます。そのため祐律師は仰っています。「思うに、錠光仏の授記によって釈迦という称号が示され、玄妙な符契が暗に合致したため、釈種と記された。名はまだ形の現れない前に出て、跡は生まれた後に明らかになった。天と人を照らし、長い劫を連綿として続く。その源は実に深遠である」。私は調べるに、瞿曇は父の氏であり、釈迦は母の氏です。そのため、菩薩に従った五人の者は仏を瞿曇と呼びました。これは子が父の姓を継ぐことであり、道理は明らかです。『四分律』には「父の姓名は日、生まれた場所は釈迦」とあり、母の姓であることが明らかです。瞿曇の古仙が血を取って器に納め、後に男女となり、釈門が生まれました。源をたどれば一つの血が後に二つの体に分かれ、婚姻によって胎内で変化し、分流は広がりました。根本から言えば、確かに礼数を超えていますが、因縁をたどって事を調べれば、大義は天に背くように見えます。なぜなら、釈氏の婚姻は親族を絶っており、これはこの国(中国)の周・孔の教えに暗合します。世を継いで輪王となり、天下にその高さを望み、宗を分けて婚を納めるには卑しい族と交わらないからです。考えてみれば、二つの姓は同じ古仙を祖先とし、胎血は異ならないので、理屈としては絶つことが難しいです。例えば、東夏の姓氏は多くが五帝・三王に基づいていますが、現在では婚姻によって区別し、選択の根拠はありません。

上明姓氏所由。今明族源所起。長阿含云。大劫初成未有日月。光音諸天福盡下生。皆化為人歡喜為食。身光遠照飛行自在。無有男女尊卑親眷。自然地味狀如酥蜜。有試甞者遂生摶食。光滅通亡呼嗟在地。食多貌悴食少形澤。便興勝負地味便沒。又生地皮又生地膚。因食多少諸惡湊集。又生粳米眾味備美。有貪食者具男女根。如是展轉便為夫婦。遂始胎生。樓炭云自然粳米朝刈暮熟。中含云。米長四寸人競預取。如此相教。預取之處後更不生。祐律師云。澆風既動則淳源斯謝。精靈通感則霆擊為遲。竊承兩漢之日。東萊加租而海魚潛泳。合浦增賦而璣蜯遠移。以近方古有逾符契。不生粳米未足異疑。長阿含云。爾時眾生。既見粳米不重生故。各懷憂惱。互封田宅。以為疆畔。遂有自藏己米盜他田穀。由是事起無能決者。議立一人號平等主。賞善罰惡仍供給之。時有一人容質瓌偉。威嚴肅物眾所信伏。便共請知彼既受已。遂有民主名焉。樓炭云。眾人自言為我作長。號之曰王。以取租故名剎利(唐譯剎利名為田地主。以初分地日各有諍訟。乃立此主)時閻浮天下富樂安隱。地生青草如孔雀毛。八萬餘國聚落相聞。無有寒熱病惱之者。王以正治奉行十善。互相崇敬猶如父子。人壽極久不可量計。後有餘王不行正法。其壽遂減至十萬歲。如是漸減至今百年。上明釋氏所先。本於劫初創始為王。展轉相列轉輪粟散紹續之相。

上に姓氏の由来を明かした。今ここに一族の源の起こりを明かす。長阿含経に云く、大劫の初めにはまだ日月がなかった。光音天の諸天は福尽きて下生し、皆化して人となり、歓喜を食として、身の光は遠く照らし、飛行自在で、男女も尊卑も親族もなかった。自然の地味は酥蜜のようで、試しに尝めた者がいて、ついに摶食を生じた。光は滅し神通は失せ、呼嗟して地に伏した。多く食すれば容貌は衰え、少なく食すれば形は潤った。そこで勝負が起こり、地味は消えた。また地皮を生じ、また地膚を生じた。食の多少によって諸悪が集まった。また粳米を生じ、衆味は備わり美しかった。貪り食う者がいて男女の根が備わった。このように展転して夫婦となり、ついに胎生が始まった。楼炭経に云く、自然の粳米は朝に刈れば暮に熟した。中含経に云く、米の長さは四寸で、人は競って予め取った。このように相教え、予め取った所には後には更に生じなかった。祐律師の云く、澆風が既に動けば淳源はここに謝し、精霊の通感あれば霆撃は遅れる。窃かに両漢の日を承けるに、東萊で租を加えると海魚は潜み泳ぎ、合浦で賦を増すと璣蜯は遠く移った。近きをもって古を方ぶれば符契に逾えたものがあった。粳米の生じないことは、いまだ異と疑うに足らない。長阿含経に云く、その時、衆生は既に粳米が重ねて生じないのを見たので、各々憂悩を懐き、互いに田宅を封じて疆畔とした。ついに自ら己の米を蔵し他人の田穀を盗む者があった。これによって事が起こり、決することのできる者がなかった。議して一人を立てて平等主と号した。善を賞し悪を罰し、なお供給した。その時一人あり、容質は瓌偉、威厳は物を肅め、衆の信伏する所であった。便ち共に請い知らしめ、彼が既に受け終わると、ついに民主の名があった。楼炭経に云く、衆人は自ら言った、我がために長を作れと。これを王と号した。租を取るをもってのゆえに剎利と名づけた(唐訳では剎利を田地主と名づける。初めに地を分ける日に各々諍訟があったので、乃ちこの主を立てた)。その時、閻浮天下は富楽安隠で、地には青草が孔雀の毛のように生じた。八万余国は聚落相聞こえ、寒熱病悩の者はなかった。王は正しく治め十善を奉行し、互いに崇敬することは猶お父子のようであった。人の寿は極めて久しく、量り計ることはできなかった。後に余王ありて正法を行わず、その寿はついに十万歳に減った。このように漸く減じて今は百年となった。上に釈氏の先を明かした。本は劫初に創めて王となるに始まり、展転相列し、転輪・粟散が紹続する相を明かした。

初民主王號曰大人(出四分律餘出長阿含)

最初の民主王の名前は「大人」といいました。

第二王名珍寶(大人子)

第二の王の名は珍宝(大人子)です。

第三王名好味(珍寶子)

3人目の王の名は好味(珍宝子)といいます。

第四王名靜齋(好味子)

第四王の名は静斋(好味子)

第五王名頂生

第五の王の名は、頂生と申します。

第六王名善行

第六番目の王の名は善行といいます。

第七王名宅行

第七の王の名は宅行と申します。

第八王名妙味

第八の王の名は、妙味といいます。

第九王名味帝

第九の王の名は味帝(みてい)といいます。

第十王名外仙

第十王の名は外仙(げせん)といいます。

第十一王名百智

第十一の王の名は、百智といいます。

第十二王名嗜慾

第十二の王の名は、欲望に溺れる者。

第十三王名善慾

第十三番目の王の名は、善慾(ぜんよく)と申します。

第十四王名斷結

第十四の王の名は「断結」といいます。

第十五王名大斷結

第十五の王の名は、大いに執着を断ち切る者。

第十六王名寶藏

第十六の王の名は宝蔵(ほうぞう)といいます。

第十七王名大寶藏

第十七代の王の名は、大宝蔵(だいほうぞう)と申します。

第十八王名善見

第十八番目の王の名は善見と申します。

第十九王名大善見

第十九の王の名は、大善見と言います。

第二十王名無憂

第二十の王の名は、無憂と申します。

第二十一王名洲渚

第二十一 王名洲渚

第二十二王名殖生

第二十二代の王の名は、殖生(しょくしょう)といいます。

第二十三王名山岳

第二十三の王の名は、山岳(さんがく)といいます。

第二十四王名神天

第二十四の王の名は神天。

第二十五王名遣力

第二十五番目の王の名は、遣力(けんりき)といいます。

第二十六王名牢車

第二十六の王の名は、牢車(ろうしゃ)といいます。

第二十七王名十車

第二十七王の名は十車(じっしゃ)といいます。

第二十八王名百車

第二十八の王の名は、百車(ひゃくしゃ)といいます。

第二十九王名牢弓

第二十九番目の王、牢弓(ろうきゅう)

第三十王名十弓(牢弓子)

第三十王の名は十弓(じゅうきゅう)といいます。(牢弓子(ろうきゅうし)と読みます。)

第三十一王名百弓(十弓子)

第三十一 王の名は百弓(十弓子)

第三十二王名養收(百弓子)

第三十二の王の名は養收((百弓の子))と言います。

第三十三王名善思(養收子律名真闍)

三十三番目の王の名は「善思(ぜんし)」と申します。 <note>養收子の律名は「真闍(しんじゃ)」と申します。

自善思王後。有十族轉輪聖王相續(律中亦爾名或不同)。

善思王の後、十の王家が転輪聖王として次々と続きました(律においても同様で、名称が異なることもあります)。

第一輪王樓炭云。真闍王子名波延迦。有五轉輪聖王。

仏教の経典『楼炭経』によれば、最初の転輪聖王である真闍(しんじゃ)王の王子は波延迦(はえんか)という名で、その後、五人の転輪聖王が現れたとされています。

第二輪王樓炭云。多羅業王有五轉輪聖王。

第二の輪王に関する『楼炭経』(Lokasthāna-sūtra)には、多羅業王のもとに五人の転輪聖王がいると説かれています。

第三輪王樓炭云。阿波葉王有七轉輪聖王。

第三の輪王の経典(楼炭経)によれば、阿波葉王には七人の転輪聖王がいたとされています。

第四輪王樓炭云。揵陀利王有八轉輪聖王。

第四の転輪王について、『楼炭経』にはこう説かれている。揵陀利王には八人の転輪聖王がいる。

第五輪王樓炭云。迦陵伽王有九轉輪聖王。

第五の輪王について『楼炭経』に、カリンガ王には九人の転輪聖王がいたと説かれている。

第六輪王樓炭云。遮波瞻婆王有十四轉輪聖王。

第六の輪王について『楼炭経』に曰く、遮波瞻婆王の系統から十四人の転輪聖王が現れた。

第七輪王樓炭云。拘獵羅婆王有三十一轉輪聖王。

第七の輪王「楼炭」によれば、拘獵羅婆(クレイラバ)王には三十一人の転輪聖王がいたとされる。

第八輪王樓炭云。般闍羅王有三十二轉輪聖王。

第八輪王の楼炭(ろうたん)によれば、バンジャラ王には三十二人の転輪聖王(てんりんじょうおう)がいる。

第九輪王樓炭云。彌尸利王有八萬四千轉輪聖王。

第九の輪王である楼炭(楼炭経)には、「弥尸利王には八万四千人の転輪聖王がいた」と説かれています。

第十輪王樓炭云。壹摩彌王有百轉輪聖王(律云懿師摩)。

第十輪王、楼炭経によれば、 一摩弥王には百人の転輪聖王がいた。(律には「懿師摩」とある。)

此十輪王。經律互出名數大同。但恐凡聖有濫。今以事徵無容八萬。純是聖帝。止可十輪是正。餘胤是凡。如律所明。但云次第相承有王。約經並云聖帝。定是從本為聖。從流並是凡攝。又如第十輪云。百轉輪王則佛之父祖俱是聖也。今但菩薩現感有文是聖。自餘父族皆是凡王。可以例知。

この十輪王については、経典と律によって名称は異なりますが、その数はおおむね一致しています。しかし、ここで凡夫と聖者が混同されている恐れがあります。そこで事実に基づいて検証してみると、八万もの王が全て聖帝であるはずがありません。正しくは十輪のみが聖王であり、それ以外の子孫は凡夫であると考えるべきです。

律においては、単に「次第に相承する王が存在する」と述べられているのに対し、経典では全てを「聖帝」と呼んでいます。これは、根本(根源)にあるものを聖とし、そこから流れ出たものを全て凡夫として扱うという立場に基づくものです。

また第十輪に「百転輪王」とありますが、これは仏陀の父祖が全て聖者であることを示しています。しかしながら、実際には菩薩が現世に感応して現れるという記述がある場合にのみ聖者と見なし、それ以外の父系の一族は全て凡夫の王であると理解すべきです。このように類推して考えてよいでしょう。

序佛七世緣

仏七世の因縁(序)

第七世祖名大善生。四分律云。懿師摩次第百王。後有王名大善生。有人立此即摩之子也。今以為摩後第九十四世王也。故經云。最後王名大善生。斯為良證。

第七祖の名は大善生といいます。『四分律』には次のようにあります。懿師摩の次に百人の王が続き、後に大善生という王が現れました。ある人は、この大善生を懿師摩の子としています。今、ここでは懿師摩の後の第九十四世の王と見なします。経典に「最後の王を大善生という」とあるのは、これを確かな証拠としています。

第六世祖名懿師摩(經云烏婆羅)第五世祖名憂羅陀(淚婆羅)第四世高祖名瞿羅(尼求羅)第三世曾祖名尼浮羅。第二世祖名師子頰。

第六祖は懿師摩という。(経典には烏婆羅とも。) 第五祖は憂羅陀。(涙婆羅とも。) 第四の高祖は瞿羅。(尼求羅とも。) 第三の曾祖は尼浮羅。 第二祖は師子頬。

第一世菩薩父名淨飯(樓炭及律並云師子頰子名悅頭檀)。

第一世の菩薩の父の名は浄飯といいます。(『楼炭経』や律には、「師子頬(ししく)の子で、悦頭檀(えっとうだん)という」と記されています。)

金輪王名菩薩悉達。

金輪の王を、菩薩のシッダールタと名づく。

鐵輪王名羅睺羅。

鉄輪王の名を羅睺羅といいます。

已前依檢爰初宇宙。造化裁成肇建皇極。統維群品發源民主。迄于善思。系嫡相承三十三世。沿斯已後十代勃興。並是聖王俱稱帝種。同胤則可從正嫡。異緒或是支離。莫不受天明命。君臨寰㝢。長源遠嗣難以測知。至若兩漢諸帝非嫡者多。魏晉宋齊瓜葛承襲。以斯例彼理固然乎。

昔、この世界の初めに、天の定めにより宇宙が形作られました。その秩序の根本が築かれ、すべての生きとし生けるものを統べる君主が生まれました。善思王に至るまで、正統な血筋は三十三代にわたって受け継がれました。その後、十の王朝が興りましたが、いずれも聖王であり、帝王の種と称されました。同じ系統であれば正嫡を継ぐことができ、異なる系統であれば枝分かれしていきました。しかし、天の命を受けてこの世を治めたことには変わりなく、その長い系譜の源を詳しく知ることはできません。両漢の諸帝のように、正嫡でない者が多かった時代もあります。魏・晋・宋・斉などは、親類関係を頼りに位を継承しました。こうした例から考えれば、この道理は当然のことではないでしょうか。

今從初舉數。凡八萬四千二百五十三王。後至於菩薩(初三十三王粟散而已。次十輪種族。八萬四千二百一十。又加宗主十輪數則同矣)。

まず、最初に総数を挙げる。王は全部で八万四千二百五十三人いる。その後、菩薩に至るまでを説く。 (最初の三十三人の王は、ただの小さな国の王たちである。次の十人の王は種族を統べる輪王であり、八万四千二百十人の王がいる。さらに宗主である十人の輪王を加えると、その数は同じになる。)

菩薩祖。師子頰王有四子。

菩薩の祖である師子頬王には四人の王子がいました。

一名淨飯(本起云白淨有經但號淨者)

浄飯王と申します(【解説】初期の経典では「白浄」とも呼ばれていますが、ある経典では単に「浄」とだけ記されています)。

二名白飯(十二遊經無飯字四王亦爾)

二人目の名は白飯(はくはん)と言います。(十二遊経には「飯」の字がなく、四天王も同様です。)

三名斛飯

三人の名は、大飯(おおめし)という意味です。

四名甘露飯(經中亦云)

四名は甘露飯と呼ぶ(経典にもこう述べられている)

淨飯王有二子。長曰悉達(即菩薩也)。次名難陀。

浄飯王には二人の子がいました。長男はシッダールタ(後に悟りを開かれた方です)、次男はナンダといいました。

白飯王有二子。長曰調達。次名阿難。

白飯王には二人の子がいました。長男を調達、次男を阿難といいます。

斛飯王有二子。長名摩訶男。次名阿那律。

斛飯王には二人の子がいました。長男を摩訶男、次男を阿那律といいます。

甘露飯王有二子(一女)。長名娑婆。次名跋提(女名甘露味)。

甘露飯王には二人の息子がいた。(一人の娘もいた。)長男の名はサハ、次男の名はバッディ(バドリカ)である。(娘の名はカンロミである。)

十二遊經云。

『十二遊経』にはこう説かれています。

調達四月七日食時生。身長一丈五尺四寸(佛從兄弟二叔子)。

調達は四月七日の食時に生まれた。身の丈は一丈五尺四寸であった(仏の従兄弟で、二番目の叔父の子)。

菩薩四月八日明星出時生。身長一丈六尺。

菩薩は四月八日、明けの明星が出る時にお生まれになりました。身の丈は一丈六尺でした。

佛弟難陀四月九日生。身長一丈五尺四寸。

仏弟子のナンダは四月九日にお生まれになりました。身長は一丈五尺四寸でした。

阿難四月十日生。身長一丈五尺三寸(佛從弟兄是調達)。

阿難は四月十日に生まれました。身長は一丈五尺三寸です。(仏の従兄弟は調達(提婆達多)のことです。)


1 序所依賢劫者
3 序所託方土

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