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  1. 集神州三宝感通録 (集神州三寶感通錄)
  2. 第一 (第一)
  3. 隋鄭州起化寺塔緣十五
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集神州三宝感通録 (集神州三寶感通錄)


十五鄭州起化寺塔者。在州西南百餘里密縣界。在縣東南十五里東大川西嵩嶽南歸山北又川。寺院東西五六十步。南北亦爾。塔在寺東南角。其北連寺。方十五步許。其寺塔基在淖泥之上。西面有五六泉。南面亦有。皆孔方三尺騰涌沸出。流溢成川灌溉遠近。泉上皆下安柏柱鋪在泥水上。以炭沙石灰次而重填。最上以大方石可如八尺床。編次鋪之。四面細腰長一尺五寸深五寸。生鐵固之。近有人試發一石。下有石灰乃至柏團。便抽出一團長三丈徑四尺見在。自非輪王表塔神功所為。何能辦此基搆。終古不見其儔也。今於上架塔三重。塔南大泉涌沸。鼓怒絕無水聲。豈非神化所致也。有幽州僧道嚴者。姓李氏。形極奇偉。本入隋煬帝四道場。後從俗服今年一百五歲獨住深山。每年七日來此塔上。盡力供養嚴。怪其泉流涌注無極。乃遣善水崑崙入泉討之。但見石柱羅列。不測其際。中有寶塔。可高三尺。獨立空中。四面水圍。凝然而住。竟不至塔所。考其原始莫測其由。時俗所傳。育王所立。隋祖已來寺塔見在。寺南歸山寺西嵩山。寺在川中地極污下。每年二山大水常東流注。繞寺北轉方始東逝。水漲寺高水減寺下。自古至今終不遭溺。泉初出孔文如蓮華。下打碾磑浪極恬靜。水中沙石綠色鮮明。國家見寺衝要欲造離宮。尋行有塔。將欲南徙。其基牢固遂休。近有僧於南夜坐。望見此塔光明殊異矣。

十五、鄭州の起化寺の塔について。州の南西百余里、密県の界にあり、県の東南十五里、東の大川の西、嵩嶽の南、帰山の北、また川のほとりにあります。寺院は東西五、六十歩、南北も同じくらいです。塔は寺の東南の角にあり、その北は寺に連なっています。塔の基壇は十五歩ほどの四方です。この寺と塔の基盤は泥の上にあります。西面には五、六つの泉があり、南面にもあります。いずれも孔は方三尺で、水が涌き沸き出て、流れ溢れて川となり、遠近を灌漑しています。泉の上にはみな柏の柱を下に据えて泥水の上に敷き、炭・砂・石灰を順に重ねて固く埋め、最も上には大方の石で八尺の床ほどのものを並べ敷いています。四面には細い腰があり、長さ一尺五寸、深さ五寸で、生鉄でこれを固めています。近ごろある人が試みに一つの石を起こしてみますと、下には石灰があり、さらには柏の団塊に至りました。そこで一団を引き抜くと、長さ三丈、径四尺で、今も現存しています。もとより転輪聖王が塔を表した神功によるのでなければ、どうしてこのような基盤の構築ができましょうか。終古、これに類するものを見ません。今はその上に三重の塔が架けられています。塔の南の大泉は涌き沸き、激しく鼓り怒っても、まったく水音がしません。まさに神変のいたすところではないでしょうか。幽州の僧、道厳という者がいます。姓は李氏で、その姿はきわめて奇偉です。もとは隋の煬帝の四道場に入り、のちに俗服に従い、今年百五歳で、ただ一人深山に住んでいます。毎年、七日にはこの塔の上に来て、力を尽くして供養します。道厳はその泉の流れが涌き注いで極まりないのを不思議に思い、そこで水に巧みな崑崙を遣わして泉に入り探らせました。ただ石柱が列なっているのを見るだけで、その際限を測ることはできません。中に宝塔があり、高さは三尺ほどで、独立して空中にあり、四面を水が囲み、凝然として住しています。ついに塔の所に至ることはできませんでした。その原始を考究しても、その由を測ることができません。時の世間に伝えるところでは、阿育王の建てたものといいます。隋の祖以来、寺と塔は現存しています。寺の南は帰山、寺の西は嵩山です。寺は川の中にあり、地はきわめて低く汚れています。毎年、二山の大水は常に東へ流れ注ぎ、寺を巡って北に転じ、そこで初めて東へ流れ去ります。水が漲れば寺は高くなり、水が減れば寺は低くなります。古今を通じてついに水没に遭ったことがありません。泉が初めに孔から出るとき、文は蓮華のようで、下には碾磑を打ち、浪はきわめて恬静です。水中の沙石は緑色に鮮明です。国家は寺が衝要にあるのを見て離宮を造ろうとし、まもなく塔があるのを行いましたが、南へ移そうとして、その基が牢固であるため、ついにやめました。近ごろ、僧が南で夜に坐していると、この塔の光明がきわめて殊異であるのを望み見ました。


隋益州晉源縣塔緣十四
隋懷州妙樂寺塔緣十六

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