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title: "根本說一切有部毘奈耶 · 4 使非親尼浣故衣學處"
description: "根本说一切有部毗奈耶是唐代高僧义净翻译的佛教律典，属于说一切有部的根本律藏。义净于7世纪赴印度求法，归国后系统译介有部律典，此部毗奈耶是其重要成果。内容涵盖比丘、比丘尼戒律条文及制戒因缘，详细规定僧团衣食住行等日常规范，是有部律学的核心文献。该典籍反映了印度佛教僧团的组织形态与戒律思想，对研究部派佛教及中国律宗发展具有重要价值，在汉传佛教律藏体系中占有权威地位。"
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### 使非親尼浣故衣學處第四

> 第四：非親比丘尼に故衣を洗わせること

爾時菩薩從覩史天下，託生劫比羅城淨飯王家，于時四方有大名稱，云釋迦族生太子。在雪山邊分鹽河側劫比羅仙人所住之處，去斯不遠有婆羅門仙人，名阿私多，善解占相。王召觀察，授記有二種瑞：若在家者，為轉輪王化四天下，為大聖主七寶具足，所謂輪寶、象寶、馬寶、珠寶、女寶、主藏臣寶、主兵臣寶，千子圓滿有大威力，勇健無雙能降怨敵，盡斯大地窮四海邊，無諸盜賊亦無酷罰，以法理人安隱而住。若出家者，剃除鬚髮以正信心，從家至非家當得成佛、應、正遍知，名聞十方弘濟群品。是時所有諸國大王皆悉聞知釋迦太子生在雪山，乃至名聞十方弘濟群品，各作是念：「我今宜往承事太子，當於後時受其福祿。」又作是念：「今我無緣能見太子，若我承事淨飯王者，即為承事太子身也。」時諸國王咸皆遣使，并持國信至淨飯王所。

> 時に菩薩は兜率天を下り、劫比羅城の浄飯王の家に生まれた。その時、四方に大いなる名声が広がり、「釈迦族に太子が生まれた」と言われた。 雪山の辺り、分塩河のほとり、劫比羅仙人が住むところから程近くに、阿私多という名の婆羅門の仙人がおり、占相に長けていた。王は彼を招いて観察させたところ、二つの瑞相があると授記された。すなわち、「在家のままであれば、転輪王となり四天下を治め、大いなる聖主となって七宝を具えるであろう。その七宝とは、輪宝・象宝・馬宝・珠宝・女宝・主蔵臣宝・主兵臣宝である。千人の子が円満にそろい、大いなる威力を持ち、勇健無比で怨敵を降伏し、この大地を尽くし四海の果てに至るまで、盗賊もなく酷罰もなく、法をもって人を治め安穏に住するであろう。出家するならば、鬚髪を剃り、正しい信心をもって家を出て家にあらざる者となり、正しく悟りを開き、応供・正遍知となるであろう。その名は十方に聞こえ、広く衆生を救済するであろう」と。 その時、諸国の大王たちは皆、釈迦太子が雪山に生まれたことを聞き知り、あるいは「名は十方に聞こえ、広く衆生を救済するであろう」ということも聞き及び、それぞれ考えた。「今こそ私は太子に仕え奉るべきである。そうすれば後にはその福徳を受けることができるだろう」。またこうも思った。「今、私には太子に直接お目にかかる縁がない。しかし、もし浄飯王に仕え奉るならば、それすなわち太子の身に仕えることと同じであろう」。そこで諸国の王たちは皆、使者を遣わし、それぞれ国の品々を添えて浄飯王のもとへ届けさせた。

後時菩薩養在深宮，年漸長大，由見老病死故，心懷憂惱，遂往林中，屏棄人事。時諸國王聞是事已咸作斯念：「我今所以事淨飯王者，意事太子。而今太子既往林中情求出離，我今何事徒為費損？」於是使人及諸國信悉皆斷絕。時憍薩羅國勝光大王與淨飯王國界隣近，信物雖絕使尚往還，於時時間遣使相問，所遣使人是國大臣名曰密護。是時密護至淨飯王所，論國事已便於大臣鄔陀夷舍而為停止。若淨飯王遣使往問勝光王時，便遣大臣鄔陀夷往。時鄔陀夷至室羅伐城，見勝光王論王事已，於密護舍而為停止。時密護有婦名曰笈多，顏貌端嚴人所樂見，是時鄔陀夷便與笈多共行非法。時彼密護聞婦與鄔陀夷私有交密，便作是念：「此二惡人當斷其命。」後更思念：「我若殺者擾亂王城為大驚怖，如何為此罪過婦女殺婆羅門耶？」即便捨而不問。後於異時密護身死，時勝光王以無子故，所有資財收入王庫。時鄔陀夷聞斯事已，便作是念：「我今存在，如何令彼笈多無所憑託？」便於夜中思利害事，曉便往詣淨飯王所，作如是白：「王與勝光王國界隣接，見有如是不穩便事，應遣使人往彼籌度，若不問者當招禍敗。」王便報曰：「若如是者，卿當為使往彼商量。」時鄔陀夷即便往詣室羅伐城，作如是念：「我今為當先見大王？先見臣耶？」作是念已復更思量：「求事之法理從下起。」即便往至國大臣所陳其本意，云：「我啟主欲取笈多，幸願仁恩助我言及。」大臣聞已然可其事。時鄔陀夷即便詣勝光王所共論國事，即白王曰：「幸願大王賜與停處。」王曰：「卿已曾來何處停止？」白言：「我先停在密護之舍。」王曰：「今者宜應還停彼處。」便白王曰：「密護身死。」王曰：「家主雖死，宅豈死耶？」鄔陀夷曰：「宅雖不死，產業皆無。」王命臣曰：「可覓停處安鄔陀夷。」鄔陀夷出已，臣白王曰：「豈鄔陀夷更無停處？然彼先與笈多交通，本意緣斯欲為啟白，王今若能攝受此人，即是攝受淨飯王矣。」時勝光王即令使者命鄔陀夷至，便告之曰：「鄔陀夷！我實不知卿與笈多先有交密，今以笈多與卿為婦，宅及財物亦並相供。」時鄔陀夷拜謝而去，是時笈多聞鄔陀夷來詣其舍，即出當門大聲啼哭。鄔陀夷至門問笈多曰：「何意啼泣？」笈多報曰：「我之所愛夫主身亡，仁豈於今亦當棄我？」鄔陀夷曰：「我本相為而來至此，已白王訖。汝及家資悉皆相與，汝為此住？為向劫比羅城？」笈多自念：「我今若往劫比羅者，婆羅門婦不存我命，我今宜應留住於此於其本宅。」是時鄔陀夷便有兩宅：一在劫比羅，一在室羅伐城。

> その後、菩薩は深い宮中で育てられ、年を重ねるにつれて老い、病、死を見て心に憂いを抱き、ついに林の中に入って俗世間のことを捨て去った。その時、諸国の王たちはこれを聞いて、「今まで私たちが浄飯王に仕えていたのは、太子に仕えるためだった。ところが今、太子は林に入って解脱を求めておられる。今さら何のためにむだな出費をする必要があろうか」と考え、使者や国への贈り物を全て絶った。そんな中、憍薩羅国の勝光王は浄飯王と国境を接しており、贈り物は絶えたものの使者のやり取りは続き、時折使いを遣わして互いの様子を尋ねていた。遣わされる使者は国の大臣で、名を密護といった。密護は浄飯王のもとを訪れ、国事を話し終えると、大臣の鄔陀夷の屋敷に宿泊した。また、浄飯王が勝光王に使者を遣わす時は、大臣の鄔陀夷を遣わした。鄔陀夷は室羅伐城に到着し、勝光王と国事を協議した後、密護の屋敷に滞在した。 密護には笈多という妻がおり、顔立ちが美しく人々の目を引いた。鄔陀夷はこの笈多と次第に密通するようになった。密護は妻が鄔陀夷と密かに通じていることを知り、「この二人の悪人は殺してしまおう」と考えた。しかし、さらに考え直して、「私が殺せば王城に騒動を起こし、大きな不安を招くだろう。この罪深い女のためにバラモンを殺すような真似をしてよいものか」と思い直し、そのまま見逃すことにした。 その後、ある時、密護が亡くなった。勝光王は密護に子がいなかったため、全ての財産を王庫に収めた。鄔陀夷はこれを聞いて、「私が生きているのに、笈多をどうして頼りないままにできようか」と考え、夜の間に得失を熟慮した。夜が明けると、すぐに浄飯王のもとへ行き、こう申し上げた。「王よ、勝光王と国境を接している以上、このような不安定な事柄があるならば、使者を遣わして彼の様子を探るべきです。もし問い合わせなければ、禍を招くことになりましょう。」王は「そうであれば、お前が使者となって彼のところへ行き、相談してこい」と答えた。そこで鄔陀夷はすぐに室羅伐城へ向かったが、「まず王に会うべきか、臣下に先に会うべきか」と考えた。さらに思案し、「物事を頼むなら、道理として下から始めるのが良い」と考え、まずは国の大臣のもとを訪れて本心を述べた。すなわち、「私は主に願い出て、笈多を娶りたいのです。どうかお助けいただき、王に話を取り次いでください」と頼んだ。大臣はそれを聞いて承知した。 そこで鄔陀夷は勝光王のもとを訪れ、国事について話し合った後、王に申し上げた。「どうか王よ、私に滞在先をお与えください。」王が「お前は以前、どこに滞在していたのか」と問うと、鄔陀夷は「私はかつて密護の屋敷に滞在しておりました」と答えた。王が「それなら、これからもそこに滞在するがよい」と言うと、鄔陀夷は「密護は亡くなりました」と告げた。王は「家主は死んでも、家までも死ぬわけがあるまい」と言った。鄔陀夷は「家は死にませんが、家財は何一つございません」と答えた。王は臣下に命じて「鄔陀夷に滞在先を探してやれ」と言った。鄔陀夷が退出すると、臣下が王に申し上げた。「どうして鄔陀夷に他に滞在先がないでありましょうか。しかし彼は以前より笈多と密通しており、その本心もまたそこにあります。今、王がこの者を引き受ければ、すなわち浄飯王をも引き受けることになります。」勝光王はすぐに使者を遣わして鄔陀夷を呼び寄せ、こう告げた。「鄔陀夷よ、私はお前と笈多が以前から密通していたことを本当に知らなかった。今、笈多をお前に妻として与えよう。家と財産も全てお前に供する。」鄔陀夷は拝礼して退出した。 やがて笈多は鄔陀夷が自分の屋敷に来たと聞き、門口に出て声高に泣き叫んだ。鄔陀夷が門前に到り、笈多に「なぜ泣くのか」と尋ねると、笈多は答えた。「私の愛する夫は亡くなりました。今やあなたも私を見捨てるおつもりですか？」鄔陀夷は「私はあなたのためにここへ来たのだ。すでに王に話は通してある。あなたと家財は全て私が引き受けることになった。ここに留まるか、それとも劫比羅城へ行くか」と尋ねた。笈多は考えた。「劫比羅城へ行けば、バラモンの妻たちが私の命を奪うだろう。ここに留まり、この家に住むのが良さそうだ。」こうして鄔陀夷は二つの屋敷を持つことになった。一つは劫比羅に、もう一つは室羅伐城にあった。

爾時菩薩於六年中，一無所有修苦行已，後便隨意欲受上妙飲食，即以飯食及諸蘇油遍塗身體，以暖湯水而為沐浴，遂便往詣勝軍聚落二牧牛女所：一名歡喜、二名喜力，受十六倍乳糜飽足食已，復詣善行男子所取吉祥草。時黑龍王讚歎菩薩，向菩提樹下手自布草不令聊亂，跏趺而坐，端身正意，心念口言：「若我諸漏未斷盡者，我終不解此跏趺坐。」是時菩薩未解跏趺眾惑皆盡。

> そのとき、菩薩は六年の間、何ひとつ持たず苦行を修めましたが、その後、自らの意思で上等な飲み物や食べ物を欲するようになりました。そこで、飯や各種の蘇油（ぎゅう）を全身に塗り、温かい湯で沐浴をしました。そして、勝軍（しょうぐん）の集落にいる二人の牧牛女のところへ赴きました。一人は歓喜（かんぎ）、もう一人は喜力（きりき）といいます。彼女たちから十六倍の乳糜（にゅうび）を十分に食べ、さらに善行（ぜんぎょう）という名の男子のもとへ行き、吉祥草（きちじょうそう）を受け取りました。そのとき、黒龍王（こくりゅうおう）が菩薩を讃嘆しました。菩薩は菩提樹のもとへ向かい、自ら草を敷いて乱れさせず、結跏趺坐（けっかふざ）を組み、身を正し、心をひとつにして、口にこう唱えました。「もし私の煩悩がまだ尽きていないならば、私は決してこの結跏趺坐を解かない。」このとき、菩薩が結跏趺坐を解く前に、あらゆる惑いがすべて尽き果てました。

爾時世尊降伏三十六億魔軍兵已，證一切智，受梵王請往婆羅痆斯，三轉十二行法輪度五苾芻。及以隨五苾芻已，即便行詣白㲲林中，度六十賢部令住見諦。又至勝軍聚落，度二牧牛女亦令見諦。又至烏盧頻螺林側，度千外道出家受具。又至伽耶山頂，現三神變教化令住安隱涅槃。又至杖林，令摩揭陀主頻毘娑羅王住於見諦，并度八十百千諸來天眾，無量百千摩揭陀國婆羅門等。次至王舍城受竹林精舍，亦與身子、目連出家受具。次往室羅伐城受逝多林給孤獨園，次至憍薩羅說《少年經》令勝光王得見諦已，住逝多林。

> その時、世尊は三十六億の魔軍を降伏し、一切智を証得された。 梵天の請いを受け、バラナシーに向かい、三転十二行の法輪を回し、五比丘を教化された。 続いて五比丘に従い、白い布の林へと赴き、六十人の賢者を教化し、真理を見させた。 さらに勝軍の村に赴き、二人の牧牛女を教化し、真理を見させた。 またウルヴェーラの林のほとりで、千人もの外道を教化し、出家して具足戒を受けさせた。 さらにガヤー山の頂上で、三種の神通変を示し、教化して安らかな涅槃に住まわせた。 次に杖林に行き、マガダ王ビンビサーラを真理に住まわせ、八十万の天部の衆や、無数百千のマガダ国のバラモンたちを教化した。 次にラージャグリハに入り、竹林精舎を受け、シャーリプトラとマウドゥガリヤーヤナを出家させ、具足戒を受けさせた。 次にシュラーヴァスティーに赴き、祇園精舎を受け取った。 次にコーサラ国に行き、「少年経」を説き、プラセーナジット王に真理を見させた後、祇園精舎に住まわれた。

時勝光王遣使持書往淨飯王所，白言：「大王！王今慶喜，太子已證無上正覺，亦令有情同飡甘露，今現住在逝多林中。」時淨飯王聞此信已，以手支頰懷憂而歎：「往日一切義成太子修苦行時，我常遣使問其安不？使者尋還報我住處。比令使問，竟無一還。今者云來逝多林內，其事如何？」

時大臣鄔陀夷前詣王所，便白王曰：「大王何故以手支頰懷憂而住？」王曰：「我今豈得不懷憂耶？往日一切義成太子修苦行時，我常遣使問其安不？使者尋還報我住處。比令使問，竟無一還。今有信云：『一切義成太子證無上正覺，亦令有情同飡甘露，來逝多林。』寧不憂也？」時鄔陀夷即白王曰：「若如是者，臣為使去持信還歸。」王曰：「卿今去矣，還於彼住亦不歸來？」鄔陀夷曰：「奉大王命，臣必重來。」時淨飯王自裁書曰：

「始從受胎後， 我養於世尊，煩惱火恒燒， 常希最勝樹。今既長成已， 徒眾數無邊，餘人受安樂， 唯吾獨辛苦。」

書了印訖與鄔陀夷。時鄔陀夷持王勅書往室羅伐，至世尊所奉上勅書。世尊受書便自披讀，時鄔陀夷白世尊曰：「世尊！能向劫比羅城不？」

佛告鄔陀夷：「我共汝去。」時鄔陀夷憶昔太子踰城出家，父王頻召竟不還國，重白佛言：「必若世尊不肯歸者，我今有力自強將去。」爾時世尊聞斯語已，即說伽他報鄔陀夷曰：

「生死愛網若全除， 此即誠無將導者；世尊威力無處所， 汝何方便能將去？生死愛網若全除， 此即誠無將導者；世尊境界無處所， 汝何方便能將去？」

## 根本說一切有部毘奈耶卷第十七