華嚴經傳記卷第五
華厳経伝記 巻第五
京兆崇福寺僧沙門法藏集
長安崇福寺の僧、沙門法蔵が編んだ
- 書寫第九
- 雜述第十
書寫第九
第九品 書寫
- 魏安豐王延明中山王凞
- 釋德圓
- 釋法誠
- 釋修德
- 唐朝散大夫孫思邈
- 居士康阿祿山
魏安豐王延明中山王熙。竝以宗室。博古學文。俱立道場。齋講相續。以香汁和墨。寫華嚴經一百部。素書金字華嚴一部。皆五香厨。四寶函盛。靜夜良辰。清齋行道。每放五色神光。照耀臺宇。眾皆共觀。倍更發心。
魏の安豐王・延明と中山王・熙は、ともに皇族の一員でありながら、古い学問に通じ、文才にも優れていました。二人はそれぞれ道場を建て、斎戒を守り講経を絶え間なく続けました。香の汁で墨をすり、『華厳経』を百部書き写し、さらに金字で『華厳経』一部を浄書しました。これらの経典はすべて五種の香木で作られた厨子に納められ、四種の宝の箱に収められました。静かな夜や良い時には、清らかに斎戒して修行を行いました。すると、その経典から五色の神光が放たれ、堂宇を照らし出しました。人々は皆、その光をともに見て、ますます心を奮い起こしました。
釋德圓。不知氏族。天水人也。少出家。常以華嚴為業。讀誦禪思。用為恒准。周遊講肆。妙該宗極。欽惟奧典。希展慇誠。遂修一淨園。樹諸穀楮。并種香草雜華。洗濯入園。溉灌香水。楮生三載。馥氣𣱦氳。別造淨屋。香泥壁地。潔檀淨器浴具新衣。匠人齊戒。易服入出。必盥𠻳熏香。剝楮取皮。浸以沈水。護淨造紙。畢歲方成。別築淨基。更造新室。乃至材梁椽瓦。竝濯以香湯。每事嚴潔。堂中安施文柏牙座。周布香華。上懸繒寶蓋。垂諸鈴珮。雜以流蘇白檀紫沈。以為經案。并充筆管。經生日受齋戒。香湯三浴。華冠淨服。狀類天人。將入經室。必夾路焚香。梵唄先引。圓亦形服嚴淨。執鑪恭導。散華供養。方乃書寫。圓跪運想。住目傾心。纔寫數行。每字皆放光明。照於一院。舉眾同見。莫不悲感。久之方歇。復感神人執戟現形警衛。圓與書生同見。餘人則不覩焉。又有青衣梵童子。無何而至。手執天華。忽申供養。前後靈感。雜沓相仍。迄經二歲。書寫方畢。盛以香函。置諸寶帳。安彼淨堂。每申頂謁。後因轉讀。函發異光。至於潔敬。事絕今古。若茲徵瑞蓋亦罕儔。此經遽相付授。至今五師。後人入淨轉讀。時有靈應。今在西大原寺僧賢首處。守護供養焉。
釋徳圓という僧がいた。出自や氏族は詳らかではないが、天水の人であった。若くして出家し、常に『華厳経』を学びの中心としていた。読誦し、静かに坐して思惟することを、日々の修行の基準とした。各地の講席を巡り歩き、経典の奥義を見事に極めていた。深くこの尊い教典を敬い、ひたすら誠心を尽くして書き写そうと願った。
そこでまず清らかな園を設け、穀木や楮(こうぞ)の木々を植え、香草や雑華も一緒に植えた。水を汲んで身を清め、園に入っては香水を灌(そそ)いだ。楮が三年育つと、馥郁とした香気があふれるようになった。別に清らかな家を建て、壁や地面には香りのある土を塗った。清らかな檀材の器具や新しい衣も用意した。工匠たちは斎戒を行い、着替えをして出入りし、必ず手や口をすすぎ、香を焚いて身を清めた。こうして楮の皮を剥いで取り、それを沈水に浸し、清浄を保って紙を漉き上げた。一年を経てようやく紙ができあがった。さらに、新しく清らかな基壇を築き、新たな部屋を建てた。材木や梁、椽(たるき)、瓦に至るまで、すべて香湯で洗い清め、一々を厳かに清らかに整えた。
堂の中には、紋様のある黒檀の座を安置し、周りには香華を敷き詰め、上には綺羅の宝蓋(ほうがい)を張りめぐらせ、鈴や佩玉(はいぎょく)を垂らし、流蘇(たれかざり)や白檀・紫沈で経机を飾り、筆管もまた同様に荘厳した。経典を書写する日には、徳圓は斎戒を行い、香湯で三度身を清め、華で飾った冠をかぶり清らかな服をまとった。その姿はまるで天人のようであった。経堂に入る際には、必ず道の両側に香を焚き、梵唄(ぼんばい)を先に歌わせた。徳圓もまた姿形を厳かに清らかに整え、香炉を執って恭しく導き、華を散じて供養してから、ようやく書写を始めた。
徳圓は跪いて一心に思いを巡らせ、目は経文に留まり、心は傾け尽くした。わずか数行を書き写しただけで、一字ごとに光を放ち、堂の庭中を照らした。大衆が皆ともに見て、悲しみと感動に打たれない者はなく、その光はしばらくしてようやく消えた。また、神人が戟(げき)を手に現れ、身を護る姿に感応した。徳圓と書生は共にそれを見たが、他の人々には見えなかった。さらに、青衣を着た清らかな天人が、いつともなくやって来て、天の華を手に持ち、突然に供養をささげた。前後して、こうした霊妙な感応が次々と絶え間なく起こった。二年を経て、書写がようやく完成した。それを香の箱に納め、宝の帳(とばり)の内に安置し、清らかな堂に納めた。そして、毎日頂礼参拝を欠かさなかった。
後になって、経典を読誦しようとして箱を開けると、箱から異様な光が放たれた。その潔く敬うありさまは、古今に並ぶものがなかった。このような瑞兆は、おそらく類を見ないものである。この経典は次々と師から師へと受け継がれ、今に至るまで五人の師を経てきた。後人が清らかになってから読誦すると、しばしば霊験があった。現在は西大原寺の僧・賢首のもとにあり、大切に守り、供養されている。
釋法誠。俗姓焚氏。雍州萬年縣人。幼出家。每以誦華嚴為業。因遇慧超禪師。隱居藍谷。高山仰止。竊有庶幾。遂屏囂煩。披誠請益。後於寺南嶺。造華嚴堂。添潔中外。方就抄寫。其堂瓦及埿。并用香水。皆誠自𨀧踏。莊嚴既畢。乃潔淨圖畫七處八會之像。又訪召當時工書之人。弘文館學士張靜。每事清淨。敬寫此經。誠亦親執香鑪。專精供養。乃至一點一書。住目傾心。然施慧慇重。雨紙。酬錢五百。便感瑞鳥。形色非常。銜華入堂。徘徊旋繞。下至經案。復上香鑪。其經當寫未終。後方更續。更續之日。鳥又飛來。復造寶帳香函。瑩飾周修。自爾精心轉讀者。多蒙感祐矣。
法誠という僧がいた。俗姓は焚氏で、雍州万年県の人である。幼い頃に出家し、常に『華厳経』を読誦することを業としていた。ある時、慧超禅師に出会い、藍谷に隠棲することとなった。高山を仰ぎ見るような敬慕の念を抱き、俗世の煩わしさを捨てて、真心を尽くして教えを請うた。後に寺の南の嶺に華厳堂を建て、内外を清め整えて、ようやく写経に取りかかった。その堂の瓦や土は、すべて香水を用い、法誠自身が踏み固めたものである。荘厳が完成すると、清らかに七処八会の図像を描き、また当時、書に優れた者を招いた。弘文館学士の張静は、一事ごとに清らかにして、敬虔にこの経を写した。法誠も自ら香炉を執り、専心に供養した。一点一画に至るまで、目を留め、心を傾けた。施しの心は厚く、雨の日の紙代として五百銭を報酬として渡すと、瑞鳥が現れた。その姿や色は非凡で、華をくわえて堂に入り、徘徊し旋回し、経机の上に下り、再び香炉の上に上がった。その経は書き終わらないうちに、後にまた続けて書かれることとなったが、続けて書かれた日には、再び鳥が飛来した。さらに宝帳や香の箱を作り、飾りを整えた。それ以来、心を込めて読み継ぐ者は、多くが加護を受けたという。
唐定州中山禪師釋修德者。不知氏族。苦節成性。守道山林。依華嚴經及起信論。安心結業。攝念修禪。於永徽四年。蹄誠方廣。因發大心。至精抄寫。故別於淨院。植楮樹凡歷三年。兼之華藥。灌以香水。潔淨造紙。復別築淨臺。於上起屋。召善書人媯州王恭。別院齋戒洗。浴淨衣。焚香布華。懸諸幡蓋。禮經懺悔。方昇座焉。下筆含香。舉筆吐氣。每日恒然精勤無怠。禪師躬自入淨。運想燒香。筆翰之間。并專心目。因修若是。迄于終始。每寫一卷。施縑十匹。迄成一部。總施六百餘段。恭因發心。并皆不受。勞誠竭慮。筋力都盡。寫經纔畢。俄從永化。德以經成。設齋慶集。大眾同請。希心禮見。禪師於眾前。燒香散華。嚴發弘誓願。纔開經藏。放大光明。周七十餘里。照定州城。城中士女。并皆同見。中山齋眾。既覩希奇。得未曾有。投身宛轉。悲嘷懺悔。禪師又勒石。寫涅槃法華經各一部。初移入龕之際。石涅槃法華。并放光明。滿十餘里。舉眾咸覩。感悟無涯。
唐の定州・中山禅師、釋修徳という方は、その氏族は詳らかではない。苦行を身に刻み、山林に道を守り、『華厳経』と『起信論』によって心を安らかにし、業を結び、念を摂めて禅を修した。
永徽四年、誠を方広に捧げ、大いなる心を発して、精密に経を書き写すことを志した。それゆえ、別に清浄な院を設け、楮(こうぞ)の木を三年にわたって植え、花や薬を添えて、香水で灌ぎ、清らかに紙を漉いた。さらに別に清浄な台を築き、その上に屋を建て、書の上手な媯州の王恭を招いた。別院で斎戒し、身を洗い清め、衣を浄め、香を焚き花を散りばめ、幡や蓋を掲げて、経に向かって礼拝・懺悔し、ようやく座に昇った。
筆を下ろすときには香を含み、筆を上げるときには息を吐く。毎日、常にこうして精進し怠ることがなかった。禅師自ら浄めに入り、思いを巡らせ香を焚き、筆の動きの間も、心を集中し目を注いだ。このようにして修行を続け、終わりまで至った。
一巻を写し終えるごとに、絹十匹を施したが、経典一部が完成するまでに、総じて六百余段を施した。王恭は心を発して、すべてを受け取らず、労を尽くし心を傾け、筋力も尽き果てた。経を写し終えるや、間もなく他界した。
修徳禅師は経が成ったので、斎を設けて祝いの集まりを行った。大衆が共に請い、心から礼拝し見ることを願った。禅師は大衆の前で香を焚き花を散らし、厳かに大いなる誓願を発した。ようやく経蔵を開けると、大きな光明が放たれて周り七十余里に及び、定州の城を照らした。城中の男女は皆、共にそれを見た。
中山の斎の大衆は、この稀有なことを目にし、かつてない体験を得て、身を投げ出し転げ回り、悲しみ叫び懺悔した。
禅師はまた石に『涅槃経』と『法華経』をそれぞれ一部ずつ刻んだ。初めて龕に移した際、石の『涅槃経』と『法華経』がともに光明を放ち、十余里に満ちた。すべての大衆がこれを見て、果てしなき悟りを得た。
處士孫思邈。雍州永安人也。神彩高遠。儀貌魁梧。身長七尺。眉目疎朗。然學該內外。尤閑醫藥。陰陽術數星曆卜筮。無不該通。善養性好服食。嘗服流珠丹及雲母紛。肌膚光潤。齒髮不虧。耆老相傳云。百餘歲視其形狀。如年七八十許。義寧元年高祖。起義并州時。邈在境內。高祖知其宏達。以禮待之。命為軍頭。任之四品。固辭不受。後歷遊諸處。不恒所居。隨時利物。專以醫方。為事有來請問。無不拯療。常勸道俗諸人。寫華嚴經七百五十餘部。上元儀鳳之年。居長安萬年二縣之境。嘗與人談話。說齊魏人物及洛陽故都。城中朝士。并寺宇眾僧。宛然目擊。及將更問。便即不言。嘗撰古今名醫妙術。號曰孫氏千金方。凡六十卷。備窮時用。進上高祖。高祖賞以束帛。將授榮班。苦辭不受。時召入內。旬月不出待詔禁中。甚見優竉。帝嘗縱容顧問。修何功德。為最佳耶。邈對曰。天皇何不讀華嚴經。帝問何故。邈曰。天皇大人。須讀大典。譬如寶器函蓋宜相稱耳。帝曰。若論大經。近者玄奘法師所譯大般若凡六百卷。寧不大乎。邈曰。般若空宗。乃華嚴經中。枝條出矣。帝深信之。永淳前卒。邈有子曰行真又名元一。貞正該博。強記洽聞。深思法要。迴向一乘。繼習父風。亦以華嚴為業。知名當代。實為高信士焉。
雍州萬年縣人。康阿祿山。以調露二年五月一日。染患遂亡。至五日將殯載至墓所。未及下車。聞棺中有聲。親里疑其重活。剖棺視之。祿山果蘇。起載至家中。自說被冥道誤追。在閻羅王前。總有三十五人。共作一行。其中有新豐果毅并祿山等十五人。先有戒行。同於王所。披訴得還。甞時見東市藥行人阿容師。師去調露元年患死。為生時煮鷄子。與七百人。入鑊湯地獄。先識祿山。遂憑屬曰。吾第四子行證。稍有仁慈。君為我語之。令寫華嚴經一部。餘不相當。若得為寫。此七百人。皆得解脫矣。山後休健。往新豐。尋覓果毅。相見悲喜。猶若故交。各說所由。暗相符會。又往東市賣藥阿家。以容師之言。具告行證。證大悲感。遂於西大原寺法藏師處。請華嚴經。令人書寫。初自容師亡後。家人寂無夢想。至初寫經之夕。合家同夢。其父來喜暢無已。到永隆元年八月。莊嚴周畢。請大德沙門慶經設供。祿山爾日亦在會中。乃見容師等七百鬼徒。并來齋處。禮敬三寶。同跪僧前。懺悔受戒。事畢而去。山既備矚冥司深信罪業。遂屏絕人事。永棄俗緣。入太白終南。專務栖隱。後不知所終。
雍州万年県の人、康阿祿山という者がいた。調露二年五月一日、病にかかり、そのまま亡くなった。五日になって、棺を墓場まで運び、埋葬しようとしたところ、車から棺を下ろす前に、棺の中から音が聞こえてきた。親族や村人たちは生き返ったのではないかと思い、棺を開けてみると、案の定、祿山は息を吹き返していた。そこで家に連れ帰り、話を聞くと、冥界に誤って連れて行かれたのだという。
閻魔大王の前に、合わせて三十五人が一列に並ばされた。その中には新豊の果毅と祿山を含む十五人、戒律を守る行いがあった者が含まれており、共に王に訴えて還ってくることができたという。
その時、東市の薬商人、阿容師という者を見かけた。彼は調露元年に病で亡くなっていたが、生前、鶏の卵を煮ていたために、七百人と共に釜湯地獄に落ちていたという。容師は祿山の顔を知っていたので、「私の四番目の息子、行證という者は、少々慈悲深い。あなたが彼に伝えてほしい。『華厳経』一部を写経させなさい。そうでなければ、この七百人は救われない。写経できれば、皆が解脱できるのだ」と頼んだ。
その後、祿山は健康を取り戻し、新豊へ行って果毅を探し当てた。互いに話すうち、悲喜こもごも、まるで旧友のような気持ちになった。それぞれの体験を語り合うと、その内容は見事に符合していた。
さらに東市の薬商人の家を訪ね、容師の伝言を詳しく行證に告げた。行證は大いに悲しみ、感激し、すぐに西大原寺の法蔵師のもとへ『華厳経』を請いに行き、人に写経させた。
元々、容師が亡くなってからというもの、家族は夢も見ず静かな日々を送っていたが、写経を始めたその夜、家中の者が同じ夢を見た。それは、亡き父が喜び勇んで訪れる夢だった。
永隆元年八月、荘厳が整い、高僧の沙門を招いて経典の慶讃供養が行われた。祿山もその法会に参列していた。すると、容師と七百人の亡者たちが皆、斎場に現れ、三宝に敬礼し、僧の前にひざまずき、懺悔し戒律を受け、終わると立ち去っていった。
祿山は冥界の厳しさを目の当たりにし、罪業を深く信じるようになった。そこで世間のことをすべて断ち、俗世の縁を永遠に捨て、太白山や終南山に入り、ひたすら隠遁生活に専念した。その後、どうなったかは知られていない。