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title: "法苑珠林 · 4 受生部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 受生部第四

> 第四部 受生の章

第一四天王天受生者。依長阿含智度論等。四天王天皆有婚嫁。行欲如人然受化生。初生如二歲小兒在其膝上依順正理論云。如五歲小兒別經云。男生坐母右膝女生坐母左膝上也兒來未久便知飢渴。自然寶器盛百味食。若福多者飯色自白。中者青色。下者赤色。若渴寶器甘露漿。如食之色。飲不留停如蘇投火。食訖便與諸天等量。初生出時憶昔往業。戲已忘念。第二忉利天受生者。依毘耶婆仙人。問佛經云。大仙當知。三十三天遊戲受樂。於樹林中行見彼天子天女同一處坐。心喜愛樂速生彼處。如線穿珠牽線珠走。不生異道。即於生時彼天婦女手華生。彼女見已自知有兒。即以此華授與夫言。若今得子可生歡喜。彼天見之喜心增上。必知其妻得天童子。二天心喜七日滿已長髮旋動。清淨無垢天衣具足。即彼天來生七日之中憶念我某處退生此天中某我父母我作善業極生喜。喜生已則心欲得即便行。往詣彼處如醉象行。臂如象鼻洪圓纖長胸則平正。臂如金色上下身麁中身則細。行則庠審深心勇健。腰如弓弝背骨平直。兩髀洪滿如芭蕉樹。善知天法髭鬚短細天香甚香。爪甲赤薄身體香潔。無主莊嚴取以嚴身。天無病苦。於宮殿中次第漸行。見無主天女見天童子。一切悉來圍遶而住。作如是言。聖子善來。此汝宮殿。我無夫主。久離夫主。獨有童子。我今年少。妙色具足。應相供養。乳若金瓶。面如蓮華開敷之色。如雲電行端正可喜。我是天女。今相供養奉給走使。此戲樂處。如是婦女而來近之奉給供養。彼三十三天有善法堂。天眾集處。有八萬四千柱。皆是眾寶所成。入者無諸惡觸蚊虻等過。亦無眠睡懈怠頻申等過。無量百千天女欲心戲笑。無有嫉心鬪諍等過。頰淨無垢如月鏡輪。天女之法以香彩色用點頰額以莊嚴面。天女詠聲共相娛樂。起世經云彼於天中。或在天子。或在天女。或於坐處。或兩膝內。或兩股間忽然而生。初生出時即如人間十二歲兒。若是天男即在天子坐處膝邊隨一處生。若是天女即在天女兩股內生。既出生已彼天即稱是我兒女。初生之時以自業故得三種念。一自知從某處死。二自知今此處生。三知彼生。是此業果是此福報。作是念已。便思念食。即於其前有眾寶器。自然盛滿天須陀味種種異色。有眾寶器其須陀味色最白淨。若報中者其色稍赤。若福下者其色稍黑。彼天子以手把取天須陀味。內其口中。即漸消融如蘇置火。即自消融無復形影。若有渴時即於其前有天寶器盛滿天酒。隨福上中下白赤黑色。略說如前。入口消融亦同前說。飲食既訖身遂長大。麁細高下與舊男女等無有異。此諸天子天女等。身既充足各隨意趣。或詣園苑看其樹。自然種種衣服瓔珞華鬘飲食音樂低垂。隨取無量億數。諸天玉女在此園中未見如是。以業熟故。了了分明。憶宿世事如視掌中。由見天女迷諸色故。正念覺智此心即滅。既失前念著現在欲。口唯唱言。此等皆是。天玉女耶。天玉女耶。此則名為欲愛所縛。順正理論云。諸天初受生時。身量云何。且六欲諸天初生。如次如五六七八九十歲人。生已身形速得圓滿。色界天眾。於初生時。身量周圓。具妙衣服。一切天眾皆作聖言。為彼言詞同中印度。然不由學自解典言。

> \*\*第一、四天王天に生を受ける者について\*\* 『長阿含経』『智度論』などによると、四天王天には結婚があり、欲の営みは人間と同じですが、化生（かしょう）で生まれます。生まれた時は、二年の幼児のように膝の上にいます。※『順正理論』には、「五年の子のようである」とあり、また別の経典には、「男児は母の右膝、女児は母の左膝に坐る」とあります。生まれて間もなく、飢えと渇きを知り、自然に宝の器に百味の食べ物が盛られます。福が多い者はご飯の色が白く、中の者は青く、下の者は赤くなります。渇けば宝の器に甘露の漿（しる）があり、食べ物と同じ色をしています。飲めば、バターを火に投じたように留まらず、食べ終わればすぐに諸天と同じ大きさになります。生まれた時、過去の業を思い出しますが、遊びのうちに忘れてしまいます。 \*\*第二、忉利天に生を受ける者について\*\* 『毘耶婆仙人問仏経』によると、「大仙よ、知るがよい。三十三天は遊戯して楽しみを受ける。林の中で歩み、かの天子と天女が同じ場所に座っているのを見ると、心に喜び愛楽し、速やかにその場所に生まれる。まるで糸で珠を通すように、糸を引けば珠が動き、異なる道には生まれない。生まれる時、彼の天女の手に華が生じる。彼女はそれを見て、子がいることを自ら知り、この華を夫に渡して言う。『今もし子を得たなら、喜びを生じなさい』と。彼の天はそれを見て喜びを増し、必ずや自分の妻が天の童子を得たと知る。二つの天の心は喜び、七日が満ちれば、長い髪は旋（めぐ）って動き、清らかで汚れがなく、天の衣がそろって与えられる。かの天は生まれてから七日の間、『私は某所で退き、この天に生まれた。某は私の父母であり、私は善業を作った』と、大いに喜びを生じる。喜びを生じれば、心は欲するままに、ただちに歩み行く。酔った象のように、腕は象の鼻のように丸く長く、胸は平らかで正しい。腕は金色、上下の身は太く、中ほどは細い。歩みは落ち着き、心は勇ましく、腰は弓の柄のようで、背骨は平らかで真っ直ぐ、両股はふくらんで芭蕉の木のようである。天の法をよく知り、ひげは短く細く、天の香りは大いに香ばしい。爪は赤く薄く、身体は香り清らかで、主のない荘厳を取って身を飾る。天には病苦がない。宮殿の中を次第に歩み、主のいない天女を見る。天の童子を見ると、全てがやって来て囲んで立ち、こう言う。『聖子よ、ようこそ。ここはあなたの宮殿です。私には夫がなく、長く夫を離れて、ただ独りです。私は若く、妙色をそなえ、あなたに仕えるべきです。乳房は金の瓶のよう、顔は蓮華の咲いたような色、雲や電光のように歩み、端正で愛らしい。私は天女です。今、あなたに仕え、お供いたします。ここは遊戯楽しい場所です。』このような婦女たちが近づいてきて仕え、供養する。 三十三天には善法堂がある。天の衆が集まる場所で、八万四千の柱があり、全て宝でできている。入る者には、悪い触れ合いや蚊や蝿などの過ちはなく、また眠りや怠け、あくびなどの過ちもない。無量百千の天女が欲の心で戯れ笑い、嫉妬の心や争いなどの過ちはない。頬は清らかで汚れがなく、月や鏡の輪のよう。天女の法として、香や彩色で頬や額を飾り、顔を荘厳する。天女は声を詠って共に楽しむ。 『起世経』には、彼らは天の中で、天子か天女か、あるいは座るところか、両膝の内が、両股の間かに、忽然として生まれるとある。初めて生まれる時は、人間の十二歳の子のようである。もし天の男であれば、天子の座るところや膝の辺りのどこかに生まれる。もし天の女であれば、天女の両股の内に生まれる。生まれた後、彼の天は『これは我が子、我が娘である』と言う。生まれた時、自らの業によって三つの念を得る。一つは、某所から死んだことを自ら知ること。二つは、今ここに生まれたことを自ら知ること。三つは、この生はこの業の果、この福の報いであることを知ること。このように念じた後、食べ物を思う。すると、その前に多くの宝の器が自然に現れ、天の須陀味（すぐあじ）が様々な色で満ちている。ある宝の器の須陀味は色が最も白く清らかで、報いが中の者は色がやや赤く、福が下の者は色がやや黒い。かの天子は手で天の須陀味を取り、口に入れる。するとすぐに溶けていき、バターを火に置いたようで、自ら溶けて形影がなくなる。渇きのある時は、その前に天の宝器に天の酒が満ち、福の上中下によって白赤黒の色がある。略して前の通り、口に入れば溶けるのも同様である。飲食が終われば、身は長大し、太さや高低は元の男女と等しく、異なるところはない。 これらの天子や天女は、身が満ち足りれば、各々の意のままに、あるいは園林に行き、樹々を見る。自然に様々な衣服、瓔珞、華鬘、飲食、音楽が木々に低く垂れており、取れば無量億数にのぼる。諸々の天女はこの園林にいまだ見たことがない。業が熟した故に、了了分明に、過去の世のことを掌中を見るように思い出す。しかし、天女を見て諸々の色に迷う故に、正念の覚智はこの心と共に滅する。過去の念を失い、現在の欲に執着し、口にただ唱えて言う、「これはみな天の玉女か。天の玉女か」と。これを欲愛に縛られると名づける。 『順正理論』には、諸天が初めて生を受ける時、身の量はどうか。六欲の諸天が初めて生まれる時は、順に五、六、七、八、九、十歳の人のようであり、生まれた後、身の形は速やかに円満となる。色界の天の衆は、初めて生まれる時、身の量は周円で、妙なる衣服をそなえている。全ての天の衆は聖なる言葉を話す。その言葉は中インドと同じである。しかし、学んで自ら解するのではなく、自然に典言（正しい言葉）を理解するのである。