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title: "法苑珠林 · 14 身光部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 身光部第十四

> 第十四章 身光の章

依智度論云。諸天業報生身光者。欲界諸天身常光明。以燈燭明珠等施及持戒禪定等清淨故。身常光明不須日月所照。色界諸天行禪離欲。修習火三昧故。身常出妙光明勝於日月及欲界果報光明離欲天。取要言之。是諸光明皆由心清淨故。得若論釋。佛常光面各一丈。諸天光明大者雖無量由旬。於丈光邊蔽而不現。

> 『智度論』によれば、様々な天人の業によって生まれた身体の光について述べられている。欲界の天人は常に身体が光り輝いている。それは燈明や真珠などを施し、戒律を守り、禅定を修めるなど清らかな行いの結果である。そのため、彼らの身体は常に光り、太陽や月の光を必要としない。色界の天人は禅定を修行して欲望を離れ、火の三昧を修めることによって、身体から常に素晴らしい光を放つ。その光は太陽や月、そして欲界の天人の報いとしての光よりも勝れている。要するに、これらの光はすべて心の清らかさによって得られるものである。仏の常光は顔の前後一丈（約三メートル）であるが、天人の光がどれほど大きく、無量の由旬（一由旬は約七〜十四キロメートル）あっても、仏の一丈の光のそばでは隠れてしまい見えなくなる。

又優婆夷淨行經云。佛告毘舍佉。如來有六種光明。何謂為六。一青光。二黃光。三赤光。四白光五紅光。六紫光。光色照明。是名如來六種光明。

> また、『優婆夷浄行経』にはこう説かれています。 仏が毘舎佉に告げて言われました。「如来には六種の光明がある。何を六種とするか。一つは青い光。二つは黄色い光。三つは赤い光。四つは白い光。五つは紅色の光。六つは紫色の光である。これらの光の色は明るく照らし出す。これを如来の六種の光明と名付ける。」

又長阿含經云。佛告諸比丘。螢火之明不如燈燭之明。燈燭之明不如炬火。炬火之明不如積火。積火之明不如四天王。四王宮殿。衣服身光不如三十三天。乃至展轉色究竟天光明。不如自在天光明。自在天光明不如佛光明。從螢光明至佛光。合集爾所光明不如苦諦集諦滅諦道諦光明。是故諸比丘欲求光明者。當求苦集滅道光明。又人有七色。云何為七。有人金色。有人火色。有人青色。有人黃色。有人赤色。有人黑色。有諸天阿須倫。有七色亦復如是。

> また、長阿含経にこう説かれている。仏は比丘たちに告げられた。「蛍の光は灯火の光に及ばない。灯火の光は松明の光に及ばない。松明の光は焚き火の光に及ばない。焚き火の光は積み重ねた火の光に及ばない。積み重ねた火の光は四天王の光に及ばない。四天王の宮殿や衣服や身体の光は、三十三天的な光に及ばない。このように順を追って、色究竟天の光までもが、自在天の光に及ばない。自在天の光は、仏の光に及ばない。蛍の光から仏の光に至るまで、それらの光をすべて合わせても、苦諦・集諦・滅諦・道諦の光には及ばない。それゆえ、比丘たちよ、光明を求めるならば、苦・集・滅・道の光明を求めなさい。」 また、人には七つの色がある。どのような七つか。金色の人、火色の人、青色の人、黄色の人、赤色の人、黒色の人がいる。天や阿修羅にも七つの色があり、それもまた同じである。

又立世阿毘曇論云。剡浮提眾生色身種種不同。東弗婆提。西瞿耶尼人。唯除黑色餘色同剡浮提人。北欝單越一切人民。悉皆白淨。四天王有四種色。有紺有赤有黃有白。一切欲界諸天色皆亦如是。云何諸天色有四種。如初受生時。若見紺華則紺色。餘皆如是。

> また『世阿毘曇論』にはこう説かれています。 閻浮提（えんぶだい）の衆生は、色身（しきしん）の種類が様々に異なっています。 東の弗婆提（ふばだい）と西の瞿耶尼（くやに）の人々は、黒色を除いては閻浮提の人々と同じです。 北の欝単越（うったんえつ）の人々は、皆、白く清らかです。 四天王（してんのう）には四種の色があります。青い色、赤い色、黄色い色、白い色です。 すべての欲界の天人の色も、また、このようになっています。 では、なぜ天人の色に四種があるのでしょうか。 それは、最初に生を受ける時、もし青い花を見れば青色になり、他の色についても皆、同じような理由によります。