---
title: "法苑珠林 · 13 通力部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcy5aupg02zrl4045ec1yni9"
---

### 通力部第十三

> 神通の章 第十三

依樓炭經云。在欲色二界中間別有魔宮。其魔懷嫉譬如石磨。磨壞功德也。縱廣六千由旬。宮牆七重一切莊嚴猶如下天。上來七天具有十法。一飛來無限數。二飛去無限數。三去無礙。四來無礙。五天身無有皮膚體筋脈血肉。六身無不淨大小便利。七身無疲極。八天女不產。九天目不瞬。十身隨意。好青則青。好黃則黃。好餘色亦爾。又有十事。一飛行無極。二往還無極。三天無盜賊。四不相說身善惡。五無有相侵。六諸天齒等而通。七髮紺青色澤長八尺。八天人青色髮亦青色。九欲得白者身即白色。十欲得黑色身即黑色。起世經亦云。一切諸天有十別法。何等為十。一諸天行時來去無邊。二諸天行時來去無礙。三諸天行時無有遲疾。四諸天行時足無蹤跡。五諸天身力無患疲勞。六諸天之身有形無影。七一切諸天無大小便。八一切諸天無洟唾。九諸天之身清淨微妙。無皮肉筋脈脂血髓骨。十諸天之身欲現長短青黃赤白大小麁細。隨意悉能。並皆美妙端嚴殊絕。令人愛樂。一切諸天有此十種不可思議。又諸天身充實洪滿。齒白方密。髮青齊整。柔軟潤澤。身有光明。及有神力。騰虛飛游眼視無瞬。瓔珞自然衣無垢膩。如順正理論云。四天王眾升見三十三天非三十三天。升見夜摩天等然。彼若得定所發通。一切皆能升見於上。或依他力升見上天。謂得神通及上天眾引接。往彼隨其所應。或上天來亦能見。若上界地來向下時。非下化身下眼不見。非其境界故。如不覺彼觸故。上界地來向下時。必化下身為令下見地居天。立世阿毘曇論云。剡浮提人若離通力及因他功力。不能見障外等色。餘三洲人若離他功力。則不能見障外等色。六欲諸天若神通及他功力。於自處所不能通見障外之色。若遠觀時唯見鐵圍山內。不能見於山外之色。大梵天王於自宮殿。若離神通及他功力。不能得見障外等色。若遠觀時唯見一千世界之內。

> 『樓炭経』によれば、欲界と色界の間に魔王の宮殿がある。魔王は嫉妬深く、ちょうど石臼が人々の功徳をすり潰すかのように、善行を打ち砕く。その宮殿は広さが六千由旬あり、外壁は七重に巡らされ、その荘厳さは下界の天界に匹敵する。 この上の七天には十の特徴がある。 一、飛来する際に数の制限がない。 二、飛去する際にも数の制限がない。 三、去るのに障害がない。 四、来るのに障害がない。 五、天人の身には皮膚も筋も血管も肉もない。 六、垢や大小便などの不浄がない。 七、疲れることがない。 八、天女は出産しない。 九、天人の目は瞬きをしない。 十、身体は思いのままになる。青色を好めば青色に、黄色を好めば黄色に、他の色も同様である。 また、以下の十の事柄もある。 一、飛行に限界がない。 二、往来に限界がない。 三、天界には盗賊がいない。 四、互いに身体の善悪を語らない。 五、互いに侵し合うことがない。 六、諸天の歯は揃っていて通っている。 七、髪は紺青色で美しく艶があり、長さは八尺である。 八、天人は青色で、髪も青色である。 九、白い身体を望めば、すぐに白くなる。 十、黒い身体を望めば、すぐに黒くなる。 『起世経』にも、全ての天人には十の異なる法があると説かれている。 その十とは何か。 一、諸天が歩む時、来るのも去るのも果てしない。 二、諸天が歩む時、来るのも去るのも妨げがない。 三、諸天が歩む時、遅いとか速いといったことがない。 四、諸天が歩む時、足跡がない。 五、諸天の身体は疲労という患いがない。 六、諸天の身体には形があるが影がない。 七、全ての諸天に大小便がない。 八、全ての諸天に鼻水や唾がない。 九、諸天の身体は清らかで微細であり、皮や肉、筋、血管、脂、血、髄、骨がない。 十、諸天の身体は、長さや短さ、青、黄、赤、白、大きさ、細かさなど、思いのままに現すことができる。どれも美しく厳かでこの上なく優れており、人を愛しく楽しませる。全ての諸天には、このような十種の不可思議な性質がある。 また、諸天の身体は充実して豊かであり、歯は白く整って密である。髪は青色で整い、柔らかく潤いがある。身体には光明が輝き、神通力を持つ。虚空を飛び遊び、目は瞬くことがない。瓔珞は自然に身を飾り、衣服には垢や脂がない。 『順正理論』に説かれるように、四天王天の者たちは三十三天に昇って会うことができるが、三十三天の者たちが夜摩天などに昇って会うことは容易ではない。しかし、彼らが禅定によって神通力を得れば、皆、上の天に昇り見ることができる。あるいは、他者の力に依って上の天に昇り見ることもある。神通力を得た者や上天の衆生が迎えに来て、それぞれに応じてそこへ往くのである。あるいは、上天から来る者を、下の者が見ることもできる。 しかし、上界の者が下界に来る時、下の化身がその姿を見ることはなく、下の眼では見ることができない。それは、その者の境地ではないからであり、例えば、その者の接触を感じ取れないようなものである。上界の者が下界に来る時は、必ず下の身体に化身し、下の者に見えるようにする。地居天について、『立世阿毘曇論』ではこう説かれている。 閻浮提の人は、神通力や他者の力がなければ、障害の向こう側にある色などを直接見ることはできない。他の三つの大陸の人々も、他者の力がなければ、障害の向こう側の色などを直接見ることはできない。六欲の諸天は、神通力や他者の力があっても、自分自身の居場所にいるときは、障害の向こう側の色を普通には見通せない。もし遠くを見ようとするならば、ただ鉄囲山の内側だけを見ることができ、山の外側の色を見ることはできない。大梵天王も、自分の宮殿にいるとき、神通力や他者の力がなければ、障害の向こう側の色を見ることができない。遠くを見ようとするならば、ただ一千世界の範囲内だけを見ることができる。