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title: "法苑珠林 · 16 婚禮部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 婚禮部第十六

> 第十六章 婚礼の章

如起世經云。餘三天下悉有男女婚嫁之法。欝單越人無我我所。樹枝若垂男女便合無復婚嫁。諸龍金翅鳥阿脩羅等。皆有婚嫁男女法式。略如人間。六欲諸天及以魔天。皆有嫁娶。略說如前。從此已上所有諸天不復婚嫁。以無男女異故。四天下人若行欲時。二根相到流出不淨。一切諸龍金翅鳥等。若行欲時。二根相到。但出風氣即得暢適。無有不淨。三十三天行欲之時。根到暢適亦出風氣。如前龍鳥無異。夜摩天執手成慾。兜率陀天憶念成慾。化樂天熟視成慾。他化自在天共語成慾。魔身諸天相看成慾。並得暢適成其慾事。又立世論云。四天王天若索天女。女家許已乃得迎接。或貨或買。欲界諸天亦復如是。剡浮提人及餘三洲四天王天忉利天等要須和合成慾。夜摩天相抱為慾。兜率天執手為慾。化樂天共笑為慾。他化天相視為慾。西瞿耶尼人受諸欲樂。兩倍勝於剡浮提人。如是展轉乃至他化自在天受欲兩倍勝於化樂天。餘四洲人並有惡食者有胎長者。四天王處諸女天等。無有惡食無有胎長者。亦不生兒。亦不抱兒。男女生時。或於膝上。或於眠處。皆得生兒。若於女處者。天女作意。此是我兒男天亦言。此是我兒。則唯一父一母若於父膝眠處生者。唯有一父。而諸妻妾皆得為母。亦有修行至死無欲。四天王天生欲事無量無數。亦有修行至死無欲。一切欲界諸天亦爾。凡一切女人以觸為樂。一切男子不淨出時以此為樂。欲界諸天泄氣為樂。又新婆沙論云。引契經說。劫初時人無男女根。形相不異。後食地味男女根生。由此便有男女相異。色界離段食故無此二根。有說。男女二根欲界有用。非於色界。是故彼無鼻舌二根欲界有用非於色界。是故彼問。色界天眾為女為男。答應作是說。彼皆是男。雖無男根而有餘丈夫相。又能離染故說男。

> 『起世経』によれば、他の三つの大陸には男女が結婚する方法がある。しかし、鬱単越（うたんえつ）の人々には「我」や「我がもの」という執着がない。木の枝が垂れれば男女は自然に交わり、結婚の儀式はない。龍や金翅鳥（こんじちょう）、阿修羅などにも、男女が結婚する方法があり、大体人間と同じである。六欲天や魔天にも嫁娶（かしゅ）の儀式があるが、その詳細は先に述べた通りである。それより上の天には嫁娶はない。男女の区別がないからである。 四つの大陸の人々が性行為を行う時は、男女の器官が触れ合って不浄なものが出る。すべての龍や金翅鳥などが性行為を行う時も、器官が触れ合うが、ただ風気（ふうけ）が出るだけで快適さを得る。不浄なものはない。三十三天が性行為を行う時も、器官が触れ合って快適さを得ると風気が出る。先の龍や鳥と変わらない。 夜摩天（やまてん）は手を握り合って欲望を満たす。兜率陀天（とそつてん）は思いを巡らせて欲望を満たす。化楽天（けらくてん）はじっと見つめ合って欲望を満たす。他化自在天（たけじざいてん）は語り合って欲望を満たす。魔身諸天（ましんしょてん）は見つめ合って欲望を満たす。いずれも快適さを得て欲望の行為を成す。 また『立世論』には、四天王天が天女を求婚する時は、女方が承諾して初めて迎えに行く。物々交換や買い付けをすることもある。欲界の諸天もこれと同じである。閻浮提（えんぶだい）の人々や他の三つの洲、四天王天、忉利天（とうりてん）などは、和合して欲望を満たす必要がある。夜摩天は抱き合って欲望を満たす。兜率天は手を握って欲望を満たす。化楽天は共に笑って欲望を満たす。他化天は見つめ合って欲望を満たす。 西瞿耶尼（さいぐやに）の人々は様々な欲望の楽しみを受ける。その楽しみは閻浮提の人々の二倍である。このように次第に、他化自在天に至るまで、欲望の楽しみは化楽天の二倍となる。 他の四つの洲の人々には、悪食（あくじき）や胎長（たいちょう）のある者がいる。四天王の天女たちには、悪食も胎長もなく、子を産んだり抱いたりもしない。男女が生まれる時は、膝の上や寝床で生まれる。天女が「これは我が子」と思い、天男も「これは我が子」と言えば、父と母が一人ずつ決まる。もし父の膝や寝床で生まれれば、父は一人だが、妻たちは皆母となることができる。また、修行をして死ぬまで欲望を持たない者もいる。 四天王天の生き物の欲望は無量無数である。また、修行をして死ぬまで欲望を持たない者もいる。一切の欲界の諸天も同じである。すべての女は触れることを楽しみとし、すべての男は不浄が出る時にこれを楽しみとする。欲界の諸天は気を漏らすことを楽しみとする。 また『新婆沙論』には、契経（けいきょう）を引用して、「劫初（こうしょ）の時、人間には男女の根がなく、形相に違いはなかった。後に地味（ちみ）を食べて男女の根が生じ、ここに男女の相違が生まれた。色界（しきかい）は段食（だんじき）を離れているので、この二つの根はない。ある説では、男女の二根は欲界でのみ用があり、色界では用がない。故にそこにはない。鼻と舌の二根も欲界でのみ用があり、色界では用がない。故に問う、色界の天衆は女か男か。答えて曰く、彼らは皆男である。男根はなくとも他の丈夫（じょうぶ）の相がある。また、煩悩を離れることができるので男と言う。」とある。