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title: "法苑珠林 · 3 降雨部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 降雨部第三

> 第三品 降雨

如分別功德論云。天及龍皆能降雨。何以取別。天雨細霧下者是。龍雨麁下者是。又阿脩羅共天鬪時。亦能降雨有二種。有喜雨。有瞋雨。若雨和調者。是歡喜雨。若雷電霹靂者。是瞋恚雨自外雲雨雷電等並如前日月篇說。

> 仏典『分別功徳論』にはこう説かれています。 天と龍は、いずれも雨を降らせることができますが、どのように見分けるのでしょうか。 天が降らせる雨は、細かい霧のように静かに降りそそぎます。 龍が降らせる雨は、粗く大きく降ってくるものです。 また、阿修羅が天と戦う時にも、二種類の雨を降らせることができます。 一つは歓喜の雨、もう一つは憤りの雨です。 もし雨が穏やかに調和しているなら、それは歓喜の雨です。 もし雷や電光、霹靂を伴うなら、それは憤りの雨です。 <note>これ以外の雲・雨・雷などについては、先に述べた日月の項と同じです。</note>

又增一阿含經云。佛言。如是世間不可思議。如龍界不可思議。云何此雨為從龍口出耶。答不從龍口出。為從眼耳鼻身出耶。亦不從此出。但龍意所念。若念惡亦雨。若念善亦雨。亦由根本而作此雨。如須彌山。腹有天名曰大力。知眾生心之所念。亦能作雨。然雨不從彼天口眼耳鼻出也。皆由彼有神力故而作此雨。

> また『増一阿含経』にはこう説かれています。 仏は言われた。「このように、世間のことは思い計ることができない。竜の世界もまた思い計ることができない。では、この雨は竜の口から出るのだろうか？」 答え。「竜の口から出るのではない。」 「では、眼・耳・鼻・身から出るのか？」 「それらからも出るのではない。ただ竜の心が思うところによる。もし悪を念じれば雨が降り、善を念じても雨が降る。また、根本の因縁によってこの雨は起こるのである。たとえば須弥山の麓に、大力天という名の天人がいて、衆生の心の思いを知り、雨を降らせることもできる。しかし、雨はその天人の口や眼や耳や鼻から出るのではない。すべてはその天人の神通力によって、この雨が降るのである。」

又華嚴經云。佛子。譬如大龍隨心降雨。雨不從內。亦不從外。如來境界亦復如是。隨心所念。於念念中出生無量不可思議智。彼諸智慧悉無來處。又言。佛子。一切大海水皆從龍王心願所起。如來智慧亦復如是。悉從大願力起。佛子。如來智海無量無邊。不可言說。不可思議我說少喻。汝今諦聽。佛子。此閻浮提內流出二千五百河水。悉入大海。俱耶尼內流出五千河水。悉入大海。弗婆提內流出八千四百河水。悉入大海。欝單越內流出一萬河水。悉入大海。佛子。此四天下內如是二萬五千九百河水。悉入大海。佛子。於意云何此水多少。答言。甚多。

> さらに『華厳経』にはこう説かれています。 「仏の子よ。例えば、大いなる龍が心のままに雨を降らせるように、雨は内からも外からも来ない。如来の境界もまた同じである。心のままに念じることで、その一念一念の中から無量の不可思議な智慧が生まれる。それらの智慧には、どこから来たという場所もない。」 また、こうも説かれています。 「仏の子よ。すべての大海の水は、すべて龍王の心願によって起こる。如来の智慧もまた同じで、すべて大いなる願いの力によって起こるのだ。仏の子よ。如来の智慧の海は無量無辺であり、言葉で語ることも、思いはかることもできない。そこで、私は簡単な譬えをもって説こう。あなたは今、よく聞きなさい。 仏の子よ。この閻浮提（南閻浮提）の内からは二千五百の川の水が流れ出て、すべて大海に入る。倶耶尼（西牛貨洲）の内からは五千の川の水が流れ出て、すべて大海に入る。弗婆提（東勝身洲）の内からは八千四百の川の水が流れ出て、すべて大海に入る。欝単越（北倶盧洲）の内からは一万の川の水が流れ出て、すべて大海に入る。 仏の子よ。この四つの天下の中で、このように二万五千九百の川の水が、すべて大海に入るのだ。仏の子よ。あなたはどう思うか。この水の量は多いだろうか。」と。 答えていわく、「非常に多いです。」

佛子。復有十光明龍王。雨大海中。悉過前水。百光明龍王雨大海中。復悉過前。如是等八十億龍王。各雨大海。展轉過前。娑伽羅龍王太子。名曰佛生。雨大海中復悉過前。

> 仏の子よ。さらに十光明竜王が大海に雨を降らせると、その水量は先のものをすべて超えた。百光明竜王が大海に雨を降らせると、またすべて先のものを超えた。このようにして八十億の竜王たちが、それぞれ大海に雨を降らせ、次々と先のものを超えていった。そして、サーガラ竜王の太子で、仏生と名づけられた者が大海に雨を降らせると、その水量もまたすべて先のものを超えたのである。

佛子。彼十光明龍王所住淵池。流入大海。復悉過前。百光明龍王所住淵池。流入大海。復悉過前。如是等廣說乃至娑伽羅龍王太子所住淵池。流入大海。復悉過前。

> 仏の子よ。あの十の光明を有する竜王の住む淵の池が大海に注ぎ込むように、さらにその先を進むと、百の光明を有する竜王の住む淵の池が大海に注ぎ込み、さらにその先を超えていく。 同じように、さらに詳しく説けば、さらにはサーガラ竜王の太子の住む淵の池が大海に注ぎ込むように、さらにその先を超えていくのである。

佛子。如彼八十億龍王乃至娑伽羅龍王太子。雨大海中。及其淵池。皆悉不及娑伽羅龍王所雨大海。娑伽羅龍王所住淵池。涌出流入大海。倍復過前。波涌流水青琉璃色。盈滿大海。涌出有時是故海潮常不失時。

> 佛子たちよ。例えば、あの八十億の龍王たち、そしてサーガラ竜王の太子たちが大海に降らせる雨や、その淵や池の水も、すべてサーガラ竜王が大海に降らせる雨には及ばない。サーガラ竜王の住む淵や池からは、水が湧き出して大海に流れ込み、その量はさらに以前を上回る。その押し寄せる流水は青瑠璃色で、大海を満たす。この水の湧き出しには一定の時があるため、海の潮も常にその時を失うことがない。

佛子。如是大海其水無量。珍寶無量。眾生無量。大地無量。佛子。於意云何。彼大海水為無量不。答言。實爾。其水深廣不可為喻。佛子。如是海水深廣無量。於如來無量智海。百分不及一。乃至不可為譬。但隨所應化為作譬喻。

> 仏の子よ、この大海の水は計り知れず、宝も計り知れず、生きとし生けるものも計り知れず、大地もまた計り知れない。 仏の子よ、どう思うか。あの大海の水は無量であると言えるか。 答えていう、「まことにその通りです。その水の深さと広がりは、譬えをもって語ることはできません」。 仏の子よ、このように大海の水が深く広くて無量であっても、如来の無量の智慧の海に比べれば、その百分の一にも及ばない。いや、それどころか、譬えをもって比較することさえできない。ただ、教え導くのにふさわしい者には、そのために譬えを用いるのである。