(四)
四
「昔者菩薩,時為逝心,恒處山澤,專精念道不犯諸惡。食果飲水不畜微餘,慈念眾生愚癡自衰,每覩危厄沒命濟之。行索果蓏,道逢乳虎。虎乳之後,疲困乏食,飢饉心荒,欲還食子。菩薩覩之愴然心悲,哀念眾生處世憂苦其為無量,母子相吞其痛難言,哽咽流淚。迴身四顧,索可以食虎,以濟子命。都無所見,內自惟曰:『夫虎肉食之類也。』深重思惟:『吾建志學道,但為眾生沒在重苦欲以濟之,令得去禍身命永安耳。吾後老死,身會棄捐,不如慈惠濟眾成德。』即自以首投虎口中。以頭與者,欲令疾死不覺其痛耳。虎母子俱全。諸佛歎德,上聖齊功,天龍善神有道志者,靡不愴然。進行或得溝港、頻來、不還、應真、緣一覺、有發無上正真道意者。以斯猛志,跨諸菩薩九劫之前,誓於五濁為天人師,度諸逆惡令偽順道。菩薩慈惠度無極行布施如是。」
昔、菩薩が修行者であった頃のことです。 常に山や沢に身を置き、ひたすら道を念じ、あらゆる悪を犯さずにいました。 果実を食べ、水を飲み、わずかな物も蓄えず、愚かさから自ら衰えていく生き物たちを慈しみの心で見つめていました。 危難に遭っている者を見れば、命がけで救いの手を差し伸べたのです。
ある日、食べ物を探して野を歩いていると、子虎を産んだばかりの雌虎に出会いました。 出産の疲れと飢えで心も荒み、我が子さえも食べてしまおうとしていました。 菩薩はそれを見て深く悲しみ、生きとし生けるものの世の憂いや苦しみがはかり知れないことを思いました。 親子が互いに食らい合う痛みは、言葉に尽くせないものがあります。 思わず涙があふれ、辺りを見回しましたが、虎に与えられる食べ物は何も見当たりません。
心の中でこう考えました。 「虎は肉食の生き物だ。 私は志を立てて道を学んでいるが、それは重い苦しみに沈む衆生を救い、災いから解き放ち、命を安らかにしたいからだ。 私はいずれ老いて死ぬ。その時、この身は捨てられるだけである。 ならば、慈しみの心で衆生を救い、徳を成すことに使おう」
そう決意すると、自らの首を虎の口に差し出しました。 頭を与えるのは、苦痛を感じる間もなく、早く死ねるようにと思ってのことです。 こうして、虎の親子はともに生き延びることができました。
諸仏はこの徳を称え、聖なる者たちもその功績を讃えました。 天龍や善神、道を志す者たちは、誰もが深く心を動かされたのです。 この行いによって、悟りへの道を歩み始める者、繰り返し生まれ来る者、還らずに至る者、真の悟りを得る者、縁によって目覚める者、そして無上の正しい道を志す者が現れました。
このような強い志によって、菩薩は九劫もの長い時を前にして、五濁の世にあって人々の導き手となることを誓い、逆らう者や悪しき者をも、偽りなき道へと導いていくのです。 菩薩の慈しみと恵みは限りなく、布施の行いはこのようなものでありました。