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title: "六度集經 · 75 〔比丘得禪〕"
description: "六度集经由三国时期吴国高僧康僧会编译，成书于公元3世纪。该经书主要辑录佛陀本生及修行故事，系统阐述大乘佛教的核心实践体系——布施、持戒、忍辱、精进、禅定、智慧六种度脱生死的方法。作为早期汉传大乘佛教的重要经典，它首次系统地将六度思想完整引入中土，对中国佛教伦理实践和菩萨道精神的形成具有奠基性作用。该经既是研究汉魏佛教传播的关键文献，也是修行菩萨道的重要指南。"
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### （七五）

> 第七十五節

「昔者比丘，飯畢澡漱，入深山丘墓間樹下坐，叉手低頭，一心滅念。內意心中消去五蓋，五蓋滅後，其心煚然，冥退明存。顧愍天人蜎飛蚑行蠕動之類，傷其愚惑懷斯五蓋，遏絕明善之心。消去五蓋諸善即強，猶若貧人舉債治生，獲利還彼餘財修居，日有利入，其人心喜。又如奴使免為良民，困病獲瘳，九族日興，牢獄重罪逢赦得出。又如重寶渡海歷險，還家見親其喜無量。心懷五蓋猶斯五苦，比丘見諦去離五蓋，猶彼凡人免上五患，蓋退明進，眾惡悉滅，道志強盛即獲一禪。自一禪之二禪，凡有三行：一曰勤仂，二曰數念，三曰思惟。自斯三事得成四禪，以一禪至二禪，以二禪之三禪，以三禪之四禪。四禪勝三禪，三禪勝二禪，二勝一。第一之禪，十惡退，五善進。何謂十惡？眼樂色、耳音、鼻香、口味、身好，并上五蓋，謂之十惡。何謂五善？一計、二念、三愛、四樂、五曰一心。斯五善處內。第二之禪不計、不念，制心內觀，善行在內，不復由耳目鼻口出入，善惡二行不復相干，心處在內唯有歡喜也。三禪之行除去歡喜，心尚清淨，怕然寂寞，眾祐各佛應儀曰：『諸能滅欲淨其心者，身終始安。』第四之禪喜心去，得寂定。一禪耳為聲亂，二禪心為念亂，三禪心歡喜亂，四禪心為喘息亂。一禪耳聲止，進至二禪，二禪念滅，進至三禪，三禪歡喜滅，進至四禪，四禪喘息滅得空定。菩薩禪度無極一心如是。」

> 昔、ある比丘が食事を終え、口をすすぎ、身を清めた後、深い山の中にある墓場へと入っていきました。そして木の下に座り、両手を合わせてうつむき、心を一つに集中して、あらゆる思考を消し去りました。 内なる心から五つの障り（五蓋）を取り除きました。五蓋が滅び去った後、その心は清らかに光り輝き、闇は退き、光明が現れました。彼は天や人々、飛び回る虫、這う虫、動くものたち全てを哀れみ、彼らが愚かさと迷いによってこの五蓋を抱き、それによって明るく善なる心を閉ざしてしまっていることを悲しみました。 五蓋を消し去れば、様々な善行はたちまち強まります。例えるなら、貧しい人が借金をして商売を始め、利益を得て借金を返し、残ったお金で家を修繕し、日々利益が入ってくるので、その人の心は喜ぶようなものです。また、奴隷が身分を解放されて自由な市民となり、長い病から回復し、一族が日々繁栄し、重い罪で牢獄につながれていた者が恩赦を受けて出られるようなものです。また、貴重な宝を持って危険な海を渡り、無事に帰宅して家族に会う喜びは計り知れません。 心に五蓋を抱えることは、これらの五つの苦しみを抱えるのと同じです。しかし、比丘は真理を見極めて五蓋を離れるのです。あたかも凡人たちが上述の五つの患いから逃れるように、五蓋が退き、智慧の光明が進み、あらゆる悪は消え去り、道を求める志が強まります。そうして第一禅を得るのです。 第一禅から第二禅に進むまでには、三つの段階があります。第一に励み精進すること、第二に繰り返し心に留めること、第三に深く思索することです。この三つの修行によって、四禅に至ります。すなわち、第一禅から第二禅へ、第二禅から第三禅へ、第三禅から第四禅へと進みます。第四禅は第三禅に勝り、第三禅は第二禅に勝り、第二禅は第一禅に勝ります。 第一の禅では、十の悪が退き、五つの善が進みます。十の悪とは何でしょうか？目が美しい色を好むこと、耳が音を好むこと、鼻が香りを好むこと、舌が味を好むこと、身が快適さを好むこと、そして先に述べた五蓋です。これらを合わせて十の悪といいます。五つの善とは何でしょうか？第一に観察すること、第二に心に留めること、第三に愛着しないこと、第四に楽（安らぎ）であること、第五に心を一つに集中すること、です。これらの五つの善は内側にあります。 第二の禅では、もう「観察すること」と「心に留めること」はしません。心を制御して内観します。善い行いは内側にあり、もはや耳や目や鼻や口を通して出入りすることはありません。善悪の二つの行いはもはや互いに干渉せず、心は内側にあって、ただ歓喜のみがあるのです。 第三の禅の修行では、歓喜さえも除去します。心はさらに清らかになり、静かで寂然としています。多くの尊い方々や阿羅漢たちはこう言いました。「欲望を滅し、その心を清らかにできる者は、この身が終わるまで安らかである」と。 第四の禅では、歓喜の心も去り、寂静な定を得ます。第一禅では、耳は音によって乱されます。第二禅では、心は思考によって乱されます。第三禅では、心は歓喜によって乱されます。第四禅では、心は呼吸によって乱されます。第一禅では耳の音が止み、第二禅へ進みます。第二禅では思考が滅し、第三禅へ進みます。第三禅では歓喜が滅し、第四禅へ進みます。第四禅では呼吸が滅し、空の定を得ます。 菩薩の波羅蜜（完成された修行）である禅定は、このようにして心を一つにすることなのです。