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title: "六度集經 · 80 〔佛得禪〕"
description: "六度集经由三国时期吴国高僧康僧会编译，成书于公元3世纪。该经书主要辑录佛陀本生及修行故事，系统阐述大乘佛教的核心实践体系——布施、持戒、忍辱、精进、禅定、智慧六种度脱生死的方法。作为早期汉传大乘佛教的重要经典，它首次系统地将六度思想完整引入中土，对中国佛教伦理实践和菩萨道精神的形成具有奠基性作用。该经既是研究汉魏佛教传播的关键文献，也是修行菩萨道的重要指南。"
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### （八〇）

> （八〇）

佛行得小徑，其邊有樹，佛坐其下，與千二百五十比丘俱，一心入定。有五百乘車過，佛時盛渴，告阿難曰：「爾取水，吾欲飲之。」曰：「屬有五百乘車過，其水盛濁不可飲。」又重勅曰：「吾渴尤甚，爾駛取水來。」至再三。阿難曰：「有溪名鳩對，清澄且美，可浴可飲。」佛與阿難說斯未竟，時有一人名胞罽，師事逝心，逝心名羅迦藍。胞罽覩佛靈輝，身色紫金，相好甚奇，古聖希有，心喜踰溢，拱手直進，稽首而曰：「屬有五百乘車由斯行矣，世尊寧聞見乎？」曰：「不聞不見也。」胞罽曰：「世尊臥乎？」曰：「吾坐禪得一心定。」胞罽歎曰：「如來、無所著、正真覺，玄深之定，乃至斯乎？車向者震國，躬污塵埃，志道無猗不聞不見，乾坤可動，斯志難傾。吾師在時，亦於道邊樹下得禪，時，亦有五百乘車歷其前，有人問曰：『寧聞見乎？』曰：『不聞不覩。』其人曰：『子時臥出乎？』曰：『吾一其心得清淨定，故不聞。』其人曰：『羅漢道志深，乃如之乎？車歷前，身污塵而不覺。』其人覩彼志幽玄，師事終年。」胞罽曰：「佛寂定無猗之志猶吾往師，自今日始終命，奉佛五戒為清信士敢履眾惡。」佛告胞罽：「五百車聲孰如雷震之響。」對曰：「千車之聲，猶不比雨之小雷，豈況激怒之霹靂乎？」世尊曰：「吾昔處阿譚縣蓬廬之下，坐惟生死之本，暴風雨雹雷電霹靂，殺四特牛、耕者兄弟二人。其縣黎民，觀者甚眾。吾時出經行，有一人至吾所，吾問之曰：『眾將何觀乎？』其人如事說之。人曰：『佛時何之？』答曰：『獨在屋下。』人曰：『佛時臥乎？』曰：『不。』人曰：『焉有寤而不聞乎？志道甚深，自今之後，願師事世尊，奉五淨戒為清信士，終身守真。』」胞罽聞之，心開結解，其喜無量，顧勅從者曰：「內藏金織成衣有千領，擇取妙者來，吾欲上佛。」從者承命歸家取來，胞罽自手以衣被佛身上，退稽首曰：「自今願世尊屈影靈，之吾鄉諸清信士所，并顧下吾家，宗門巨細，各自親身供養於佛。畢天地之壽以至恭之心，奉養天龍鬼神蜎飛蚑行蠕動之類者，不如一日飯一沙門，豈況無上正真佛乎？願垂弘慈授吾無極之福。」世尊曰：「大善！」

> 仏陀は小さな道を歩んでおられた。その道端に木があり、仏陀はその木の下に座り、千二百五十人の比丘たちと共に心を一つにして禅定に入られた。そこに五百台の車が通り過ぎた。仏陀はその時ひどく喉が渇いておられ、阿難に告げられた。「水を取ってきなさい。私は飲みたい。」阿難は答えた。「先ほど五百台の車が通り過ぎましたので、その水はひどく濁っており飲めません。」仏陀は再び命じられた。「私は喉の渇きがさらにひどい。速やかに水を取ってきなさい。」これを二度三度繰り返された。阿難は言った。「鳩対という名の小川があり、その水は清らかで美しく、水浴びにも飲むにも適しております。」仏陀と阿難がこの話を終えないうちに、その時、胞罽という名の人がいた。彼は逝心（宗教家）に師事しており、その逝心の名は羅迦藍といった。胞罽は仏陀の霊的な輝きを目にした。その身の色は紫金のように輝き、相好（顔立ち）は非常に優れ、古の聖人にも稀なものであった。彼は心から喜びがあふれ、手を組んでまっすぐに進み出て、頭を地につけて礼をして言った。「先ほど五百台の車がこの道を通りましたが、世尊はお聞きになりましたか？ごらんになりましたか？」仏陀は答えた。「聞きも見もしていない。」胞罽は言った。「世尊はお休みになられていたのですか？」仏陀は答えた。「私は座禅をし、一心に定を得ていたのだ。」胞罽は嘆息して言った。「如来、無所著、正真覚（完全に目覚めた方）の深遠な禅定は、このようなものだったのですか？車は先ほど大地を震わせ、自らは塵にまみれていたというのに、道を志す心に執着がなければ、聞こえず見えない。天地が動くことはあっても、この志は動かし難い。私の師が在世の時も、やはり道端の木の下で禅定を得たことがありました。その時も五百台の車がその前を通り過ぎ、ある人が『お聞きになりましたか？ごらんになりましたか？』と尋ねました。師は『聞こえも見もしていない』と答えました。その人は『あなたはその時、横になってお休みだったのですか？』と尋ねました。師は『私は心を一つにして清らかな定を得ていたので、聞こえなかったのだ』と答えました。その人は『阿羅漢の道の志は深く、このようなものなのか。車が目前を通り過ぎ、身は塵にまみれたが気づかなかったとは』と言い、その人の志が幽玄であるのを見て、一年中師事しました。」胞罽は言った。「仏陀の寂静な定、執着のない志は、私の昔の師と同じです。今日より命の終わるまで、仏陀の五戒を受け持って清信士となり、あらゆる悪行を敢えて行いません。」仏陀は胞罽に告げられた。「五百台の車の音は、雷の響きと比べてどうだろうか？」胞罽は答えた。「千台の車の音でさえ、小雨の雷にも及びません。ましてや激しい怒りの霹靂（雷鳴）とは比べものになりません。」世尊は言われた。「私はかつて阿譚県の蓬廬（粗末な小屋）の下にいて、ただ生死の根本について坐禅していた。その時、暴風雨、雹、雷、電光、霹靂が起こり、四頭の特牛と、耕作していた兄弟二人を殺した。その県の民衆は、見物する者が非常に多かった。私はその時、経行（歩行禅）をして外に出ており、一人の人が私のところに来た。私は彼に尋ねた。『人々は何を見に行くのだろうか？』その人は事の次第を話した。その人は言った。『仏陀はその時どこに？』私は答えた。『ただ独りで小屋の下にいた。』その人は言った。『仏陀はその時お休みだったのですか？』私は答えた。『いいえ。』その人は言った。『どうして目覚めていながら聞こえないことがありましょうか？道を志す心が非常に深いのです。今日より後、願わくば世尊に師事し、五つの清らかな戒を受け持って清信士となり、一生涯、真実を守ります。』」胞罽はこれを聞いて心が開け、結び目が解け、その喜びは限りなかった。彼は従者に命じて言った。「内蔵にある金織成の衣が千領ある。その中から最も優れたものを選んで持って来なさい。私は仏陀に献上したい。」従者は命を受けて家に帰り持って来た。胞罽は自らの手で衣を仏陀の体の上に掛け、退いて頭を地につけて礼をし、言った。「今日より後、願わくは世尊がお姿の影を私の故郷の清信士たちのところにまでお運びくださり、さらに私の家にもお立ち寄りください。一族の老若男女が、それぞれ自ら仏陀に供養いたします。天地の寿命の限り、真心を尽くして天竜鬼神や、飛び回るもの、這うもの、動くものの類を供養するよりも、一日に一人の沙門（修行者）に食事を施すほうが優れています。ましてや無上の正真の仏陀に施すことはなおさらです。どうか広大な慈悲を垂れて、私に限りない福をお与えください。」世尊は言われた。「大いに善いことだ。」

菩薩禪度無極道志如是。

> 菩薩の智慧の完成（六波羅蜜の一つ）への道を志す心は、このようなものです。