---
title: "六度集經 · 89 鏡面王經〔鏡面王本生〕"
description: "六度集经由三国时期吴国高僧康僧会编译，成书于公元3世纪。该经书主要辑录佛陀本生及修行故事，系统阐述大乘佛教的核心实践体系——布施、持戒、忍辱、精进、禅定、智慧六种度脱生死的方法。作为早期汉传大乘佛教的重要经典，它首次系统地将六度思想完整引入中土，对中国佛教伦理实践和菩萨道精神的形成具有奠基性作用。该经既是研究汉魏佛教传播的关键文献，也是修行菩萨道的重要指南。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmdztnm1e00vbl404fner5fpx"
---

### （八九）鏡面王經

> （八九）鏡面王経

聞如是：

> このように私は聞きました：

一時佛在舍衛國祇樹給孤獨園。眾比丘以食時持應器入城求食，而日未中，心俱念言：「入城甚早，我曹寧可俱到異學梵志講堂坐須臾乎！」僉然曰：「可。」即俱之彼，與諸梵志更相勞來，便就座坐。是時梵志自共爭經，生結不解，轉相謗怨：「我知是法，汝知何法？我所知合於道，汝所知不合道。我道法可施行，汝道法難可親。當前說說著後，當後說反前說，多法說非，與重擔不能舉，為汝說義不能解，汝空知、汝極無所有、汝迫復何？」對以舌戟，轉相中害，被一毒報以三。諸比丘聞子曹惡言如是，亦不善子曹言、不證子曹正，各起坐到舍衛求食。食竟藏應器，還到祇樹，為佛作禮，悉坐一面，如事說之。念是曹梵志，其學自苦，何時當解？

> ある時、お釈迦様は舎衛国の祇樹給孤独園におられました。多くの比丘たちは、食事の時間に鉢を持って街に入り食を乞うことになりましたが、まだ日は中天に達しておらず、皆こう思いました。「街に入るにはまだ早い。我々は異教の修行者たちの講堂に行き、しばらく座っていようではないか。」全員が「それが良い」と言い、共にそこへ向かいました。 彼らは異教の修行者たちと互いに挨拶を交わし、座につきました。その時、異教の修行者たちは互いに教えについて論争しており、理解の行き違いから解決できず、次第に非難や恨み言を言い合っていました。「私はこの法を知っている。お前は何を知っているというのか？私の知るところは道に適っているが、お前の知るところは適っていない。私の道の法は実践できるが、お前の道の法は親しみにくい。前で語るべきことを後で語り、後で語るべきことを前で語る。多くの法について誤ったことを言い、重い荷を背負いながら持ち上げられないように、お前のために義を説いても理解できない。お前はただ空しく知っているだけで、お前には全く何もない。お前は何を詰め寄っているのか？」互いに言葉の刃で争い、傷つけ合い、一度の毒に三度もの毒で報いるのでした。 比丘たちは、このような彼らの悪い言葉を聞き、彼らの言葉を善しとせず、彼らの正しさを証明することもなく、各自立ち上がって舎衛の街へ食を乞いに行きました。食事を終えて鉢をしまい、祇樹給孤独園に戻り、お釈迦様に礼拝し、皆そろって一方に座り、出来事をありのままに報告しました。そして思いました。「この異教の修行者たちは、その学問によって自ら苦しんでいる。いつになったら解き放たれるのだろうか？」

佛告比丘言：「是曹異學非一世癡冥。比丘！過去久遠，是閻浮提地有王，名曰鏡面，諷佛要經，智如恒沙。臣民多不誦，帶鎖小書，信螢灼之明，疑日月之遠見，目瞽人以為喻，欲使彼捨行潦遊巨海矣。勅使者，令行國界，取生盲者皆將詣宮門。臣受命行，悉將國界無眼人到宮所，白言：『已得諸無眼者，今在殿下。』王曰：『將去，以象示之。』臣奉王命，引彼瞽人將之象所，牽手示之。中有持象足者，持尾者，持尾本者，持腹者，持脇者，持背者，持耳者，持頭者，持牙者，持鼻者，瞽人於象所爭之紛紛，各謂己真彼非。使者牽還，將詣王所。王問之曰：『汝曹見象乎？』對言：『我曹俱見。』王曰：『象何類乎？』持足者對言：『明王！象如漆筩。』持尾者言如掃󰆠，持尾本者言如杖，持腹者言如鼓，持脇者言如壁，持背者言如高机，持耳者言如簸箕，持頭者言如魁，持牙者言如角，持鼻者對言：『明王！象如大索。』復於王前共訟言：『大王！象真如我言。』

> 仏が比丘たちに告げられた。「これらの異学の人々は、一世代だけの愚かさや暗闇によるものではない。比丘たちよ、遠い昔、この閻浮提（インド）の地に、鏡面という名の王がいた。彼は仏の重要な経典を学び、その智慧はガンジスの砂の数ほどもあった。しかし、臣民の多くは経典を誦せず、小さな書物にだけ頼り、蛍の灯火のようなわずかな明かりを信じ、日月の遠大な見識を疑っていた。そこで王は盲人を例えに用いて、彼らに小さな水たまり（行潦）を捨てて、大海（巨海）に遊ぶように導こうとしたのである。 王は使いの者に命じて、国中を巡り、生まれつきの盲人をすべて宮殿に連れて来させた。臣は命令を受け、国中の目の見えない者たちを宮殿に連れて行き、こう言上した。『目の見えない者たちを連れてまいりました。今、殿の下に控えております。』 王は言った。『彼らを連れて行き、象を見せてやれ。』 臣は王の命に従い、その盲人たちを象のところに連れて行き、その手を取って象に触れさせた。中には象の足を掴んだ者、尾を掴んだ者、尾の根元を掴んだ者、腹を掴んだ者、脇腹を掴んだ者、背中を掴んだ者、耳を掴んだ者、頭を掴んだ者、牙を掴んだ者、鼻を掴んだ者がいた。盲人たちは象のところで言い争い、それぞれが『自分こそが正しく、他は間違っている』と主張した。使いの者は彼らを連れ戻し、王の前に連れて行った。 王は彼らに尋ねた。『お前たちは象を見たか。』 彼らは答えた。『私たちは皆、見ました。』 王は言った。『象とはどのようなものか。』 足を掴んだ者が答えた。『明王よ、象は漆の筒のようなものです。』 尾を掴んだ者は、掃除用の帚のようだと言い、尾の根元を掴んだ者は杖のようだと言い、腹を掴んだ者は太鼓のようだと言い、脇腹を掴んだ者は壁のようだと言い、背中を掴んだ者は高い机のようだと言い、耳を掴んだ者は箕（み）のようだと言い、頭を掴んだ者は大きな臼のようだと言い、牙を掴んだ者は角のようだと言った。 鼻を掴んだ者が答えた。『明王よ、象は大きな綱のようなものです。』 彼らは王の前でさらに言い争った。『大王よ、象はまさに私の言う通りです。』」

「鏡面王大笑之曰：『瞽乎瞽乎！爾猶不見佛經者矣。』便說偈言：

> 鏡面王は大笑して言いました。 「愚かだなあ、愚かだなあ。 お前たちは、仏の教えを全く見ていないのだ。」 そして、こう偈（うた）で説かれました。

「『今為無眼曹， 空諍自謂諦，覩一云餘非， 坐一象相怨。』

> 「いまや、あなたがたは目がない者となって、むなしく争い、自分の見方こそが真実だと主張している。 ただ一本の像の一部を見て、他人の言うことは間違いだと言い、同じ一頭の象を巡って互いに憎み合っているのだ。」

「又曰：『夫專小書，不覩佛經汪洋無外、巍巍無蓋之真正者，其猶無眼乎！』於是尊卑並誦佛經。」

> さらに言う。「もし小さな書物（儒教の書物）だけに専念して、仏教の経典の広大で果てしなく、高く尊くて比べるものがないという真実のすばらしさを見なければ、それは目のない人のようなものである。」そこで、身分の高い人も低い人も共に仏典を読誦した。

佛告比丘：「鏡面王者，即吾身是。無眼人者，即講堂梵志是。是時子曹無智，坐盲致諍；今諍亦冥，坐諍無益。」

> 仏は比丘たちに告げられました。「鏡面王とは、このわたしのことである。目がない人々とは、あの講堂のバラモンたちのことである。その時、彼らには智慧がなく、盲目のままに争いを起こした。今も争いは暗闇の中にあり、争っても何の益もない。」

佛是時具撿此卷，令弟子解：「為後作明，令我經道久住，說是義足經。

> その時、仏はこの経典の一巻をとりあげ、弟子たちに理解させるために説かれました。 「後の世のための灯明とし、私の教えと道が長く世にとどまるように。」 こうして、『義足経』（ぎそくきょう）は説かれました。

「自冥言是彼不及， 著癡日漏何時明？自無道謂學悉爾， 倒亂無行何時解？常自覺行尊行， 自聞見行無比，已墮繫世五宅， 自可綺行勝彼。抱癡住望致善， 以邪學蒙得度，所見聞諦受思， 雖持戒莫謂可。見世行莫悉隨， 雖黠念亦彼行，與行等亦敬持， 莫生想不及過。是以斷後亦盡， 亦棄想獨行得，莫自知以致黠， 雖見聞但行觀。悉無願於兩面， 胎亦胎合遠離，亦兩處無所住， 悉觀法得正止。意受行所見聞， 所邪念小不想，慧觀法意見意， 從是得捨世空。自無有何所待？ 本行法求義諦，但守戒未為慧， 度無極終不還。」

> 「暗闇にいる者は『あの人は自分に及ばない』と思い込む。 無明に覆われ、漏れ出る煩悩の夜はいつ明けるのか。 自ら道なきものを学びと思い込み、 行いも乱れたまま、いつの日か悟りを得られるのか。 常にみずからの行いを省み、尊い行いをせよ。 見聞きしたことに基づき、比べることなく進め。 すでに世の五つの住まい（五欲）に囚われていても、 自ら飾り立てた行いが勝ると思い込むな。 無知を抱きながら「善きものよ来たれ」と待ち望み、 邪な学びで救われたと思うことなかれ。 見聞きしたことを誠実に受け止め、思慮せよ。 たとえ戒めを保っていても、それだけで十分と思うな。 世の中の行いをそのまま真似るな。 たとえ賢くても、それもまた世の行いだ。 行いと一つになって、敬い保て。 「自分は及ばない」と思う心を起こすな。 ゆえに、執着を断ち、残らず尽くせ。 執着の想いも捨て、独り歩む境地を得よ。 「自分は賢い」と知ろうとするな。 見聞きしても、ただあるがまま観察せよ。 両極端を望むことなく、 胎内と胎外（輪廻）を合わせて遠く離れよ。 両方の場所に執着せず、 あらゆる法を観察して、正しいとどまりを得よ。 心に見聞きした行いを受け止め、 邪な思いも小さな思いも抱くな。 智慧をもって法と心のありようを観察せよ。 そこから、この世の空しさを捨てるのだ。 自らに何ものもなければ、何を待つことがあろう。 本来の法に従い、真実の意味を求めよ。 ただ戒を守るだけでは、智慧とはいえない。 限りない悟りの彼岸に達し、ついに戻らざるを得よ。」