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弘賛法華伝 (弘贊法華傳)


弘贊法華傳卷第九

弘賛法華伝 巻第九

藍谷沙門慧祥撰

藍谷沙門慧祥撰

轉讀第七

第七章:転読

  • 外國蘭若比丘
  • 齊高宗明皇帝
  • 梁中宗元皇帝
  • 宋蓋州素寺釋智遠
  • 隋魏州刺史崔彥武
  • 唐巴州刺史蘇長妾
  • 唐蘇州嘉興縣令劉弘仁
  • 唐鄭州市辛老
  • 唐新羅國沙彌
  • 唐并州石壁寺鴿鶵
  • 唐洛陽白馬寺釋法眼
  • 唐雍州萬年縣劉時
大智度論云。昔有一國中一阿蘭若比丘。大讀摩訶衍。其國王。常解髮。令其蹈過。又有一比丘。乃語王言。此摩訶盧。不多讀經。何以大供養如是。王言。我一日。半夜欲見此比丘。即往到其住處。見此比丘在窟中。讀法華經。見一金色光明人。騎白象合掌供養。我來轉迴。便滅不現。我即問。大德。以我來故。光明人滅。何也。比丘言。此即遍吉菩薩。自言。若有人讀誦法華經者。我當乘白象來教導之。我誦此經故。遍吉自來。遍吉。即普賢也。

『大智度論』にはこうあります。

昔、ある国に一人の阿蘭若(あらにゃ)の比丘がいました。彼は大乗経典を熱心に読誦していました。その国の王は、いつも自分の髪を解いて、その比丘が踏んで通るようにしていました。

ところが、別の比丘が王に言いました。「この比丘はあまり多くの経典を読んでいません。どうしてこのような厚い供養をするのですか?」

王は答えました。「私はある日、真夜中にこの比丘に会いたくなり、彼の住まいに行きました。すると、この比丘は岩窟の中で『法華経』を読誦していました。そこに金色に輝く一人の人が、白い象に乗り、合掌して供養しているのが見えました。私が近づいた途端、その姿は消えてしまいました。私は比丘に尋ねました。『尊者よ、私が来たために、あの光り輝く人は消えてしまいました。それはなぜですか?』」

比丘は答えました。「あれは遍吉菩薩です。菩薩は自ら仰せられました。『もし法華経を読誦する人がいれば、私は白い象に乗って来て教え導こう』と。私がこの経を読誦しているので、遍吉菩薩が自ら来られたのです。」

(補足:遍吉とは普賢菩薩のことです。)

齊高宗明皇帝。諱鸞。字景棲。凝神覺海。思積耆山。灑一雨於群曚。潤三枝於庶物。造千金像。寫一切經。持六淨齊。口誦波若。造歸依寺。召集禪僧。常讀法華。亟淹寒暑。

斉の高宗明皇帝、諱は鸞、字は景棲。その心は悟りの海に沈潜し、想いは耆闍崛山に積もった。迷いの衆生に一雨を注ぎ、あらゆるものに三枝の潤いを与えた。千金の仏像を造立し、一切経を書写した。六種の清らかな斎戒(六浄斎)を保ち、自ら般若経を誦した。帰依寺を建立して、坐禅する僧侶たちを集めた。常に法華経を読誦し、その歳月は長きに及んだ。

梁中宗元皇帝。諱繹。字世誠。積善餘慶。家傳至德。宿奉勝因。懷深信。造天居天宮二寺。供養千僧。講成實論。學毘曇。於琰師。習分蓍於智上。手書聖僧。并書千佛名。誦藥王呪。又復勤求寶所。頂戴髻珠。轉讀法華。以為恒務。

梁の中宗である元皇帝、諱は繹、字は世誠。善行を積み重ねたその功徳は余すところなく、家には至徳の教えが伝えられていた。前世より優れた善因を備え、深い信心を抱いていた彼は、天居寺と天宮寺の二つの寺院を建立した。千人もの僧侶に供養を施し、『成実論』の講義を開き、『毘曇』を学んだ。琰師のもとで学び、智上からは蓍(めどぎ)の占いを習得した。自らの手で聖僧を描き、千仏の名を書き写し、さらに薬王呪を誦した。また、宝の在処を熱心に探し求め、髻の中の宝珠を大切に戴き、『法華経』を読み、転読することを日々の務めとしたのである。

釋智達。益州素寺僧也。行頗流俗。而善經唄。時誦法華。年二十三。宋元徽三年六月病死。身煖不斂。遂延二日。入息稍還。至三日旦。而能言。自說。始困之時。見兩人皆著黃布袴褶。一人立于戶外。一人徑造床前。曰。上人應去。可下地。達曰。貧道體羸。不堪涉道。此人復曰。可乘輿。而輿至。達既升之。意識恍然。不復見家人屋室。及所乘輿。四望極目。但覩荒野。途逕艱危。示道登躡。二人驅之。不得𠇾息。至一朱門。牆闥甚華。達入至堂下。堂上有一貴人。朱幘專床坐。姿貌嚴達。甚有威容。左右兵衛百許人。皆朱衣柱刀。列直森然。貴人見達。乃斂容正坐。謂曰。出家之人。何置多過。達曰。有識以來。不憶作罪。問曰。誦戒度不。達曰。初受具足之時。實常習誦。比遂廢講。恒事轉輕。故於誦戒。時有虧損。復曰。沙門而不誦戒。此非法。可且讀經。達即誦法華三契而止。貴人。勅所錄達人曰。可送置惡地。勿令大苦。二人引達將去。行數十里。稍聞轟磕橈聲沸天。而前路轉闇。次至一門。高數十丈。色甚堅黑。蓋鐵門也。牆亦如此。達心自念。經說地獄。此其是矣。乃大恐怖。悔在世時不修業行。及入門裏。橈聲轉壯。久久靜聽。方知是人叫呼之響。門裏轉闇。無所復見。時有火光。乍滅乍揚。見數人反縛前行。後有數人。執叉刺之。血流泉涌。其人乃達從伯母。彼此相見。意欲共語。有人曳之殊疾。不暇得言。入門二百許步。見有一物。形如米圌。可高丈餘。二人執達。擲置圌上。裏有火。爛燒達身。半體皆爛。痛不可忍。自圌墮地悶絕。良久。二人復將達去。見有鐵鑊十餘。皆煮罪人。人在鑊中。隨沸出沒。鑊側有人。以叉刺之。或有攀鑊出者。兩目潰突。舌出尺餘。肉盡折爛。而猶不死。諸鑊皆滿。唯一尚空。二人謂達曰。上人即時應入此中。達聞其言。肝膽塗地。乃請之曰。幸聽貧道一時禮佛。便至心稽首。願免此苦。伏地食頃。祈悔特至。既而四望。無所復見。唯覩平原茂樹。風景清明。而二人猶導達行。至一樓下。樓形高小。上有人裁得容坐。謂達曰。沙門受輕報。殊可欣也。達於樓下。忽然不覺。還就時身。

釋智達は、益州の素寺の僧であった。行いはやや俗に流れていたが、経を唱えることには優れており、常に法華経を誦していた。年二十三歳の時、宋の元徽三年六月に病死した。体が温かく、冷えなかったため、そのまま二日間安置した。すると息が次第に戻り、三日目の朝には話ができるようになった。

自ら語るところによれば、苦しみ始めた時、黄布の袴褶を着た二人の者を見た。一人は戸の外に立ち、一人は床の前に来て言った。「上人は行くべき時です。下におりなさい。」智達は答えた。「私は体が弱く、道を行くに堪えません。」するとその人はまた言った。「輿に乗りなさい。」輿が来たので、智達はそれに乗った。意識はぼんやりとし、家族や家屋、乗った輿も見えなくなった。四方を見渡すと、荒野が見えるだけで、道は険しく、登り降りを強いられた。二人に追い立てられ、休む暇もなかった。

朱塗りの門に至ると、壁や門は非常に華やかであった。智達が中に入り堂の下に至ると、堂上には一人の貴人がいた。朱色の頭巾をつけ、几帳のある床に座り、姿は厳かで、威厳のある様子であった。左右には百人ほどの兵士がおり、皆朱衣で刀を捧げ、整然と並び立っていた。貴人は智達を見ると、顔を引き締めて正座し、言った。「出家の者でありながら、どうして多くの過ちを置くのか。」智達は答えた。「物心ついて以来、罪を犯した覚えはありません。」貴人は尋ねた。「戒を誦することを行っているか。」智達は答えた。「最初に具足戒を受けた時は、常に習い誦していましたが、その後講義をやめ、常に軽いことのみを行っていました。ですから戒を誦することには、時に不足がありました。」貴人は言った。「沙門でありながら戒を誦しない。これは法に背く。ひとまず経を読みなさい。」そこで智達は法華経を三節誦して止まった。貴人は智達を録した者に命じた。「悪い場所に送り届けよ。大いに苦しめることはない。」

二人が智達を連れて行くと、数十里進むうちに、次第に轟々という騒音が天に響き、前の道は暗くなった。やがて一つの門に至った。高さ数十丈で、色は非常に堅く黒く、鉄の門であった。壁も同様であった。智達は心の中で思った。「経に地獄があると言うが、これがそれか。」と。そして大いに恐怖し、世に在る時に業行を修めなかったことを悔いた。門の中に入ると、騒音はさらに大きくなった。長く静かに聞いているうちに、ようやくそれが人間の叫び声の響きであるとわかった。門の中はさらに暗くなり、何も見えなくなった。時折、火の光が消えたり燃え上がったりし、数人が後ろ手に縛られて前に進んでいるのが見えた。後ろには数人がいて、叉を持って彼らを刺し、血が泉のように流れていた。その者たちは智達の従伯母であった。互いに見合い、話そうと思ったが、ある者が彼らを非常に速く引きずっていったため、言葉を交わす暇がなかった。門から二百歩ほど入った所に、米倉のような形をした物があった。高さは一丈余りであった。二人は智達を捕まえ、その倉の上に投げ置いた。中には火があり、智達の体を焼き焦がした。体の半分は爛れ、痛みは耐え難かった。倉から落ちて気絶したが、しばらくしてまた息を吹き返した。二人は再び智達を連れて行った。鉄の釜が十数個あり、いずれも罪人を煮ていた。人は釜の中で、湯とともに浮かんだり沈んだりしていた。釜の側には、叉で刺す者がいた。釜から攀じ出る者もいたが、両目は潰れて突出し、舌は一尺余り出ていた。肉は尽き、骨は爛れていたが、それでも死ななかった。全ての釜は満ちており、ただ一つだけ空いていた。二人は智達に言った。「上人はすぐにこの中に入るべきです。」智達はその言葉を聞いて、肝も臆も地に塗れる思いであった。そして懇願した。「どうか私に一時期、仏を礼拝させてください。」そして心を込めて頭を地に付け、この苦しみを免れるよう祈った。地に伏して食事をするほどの時間、祈り悔いは特に極まった。やがて四方を見回すと、何も見えず、ただ平原と茂る木々、清らかな風景だけがあった。しかし二人はなお智達を導いて行った。一つの楼の下に至った。楼の形は高く小さく、上には人がどうにか座れるほどの場所があった。その人は智達に言った。「沙門は軽い報いを受ける。実に喜ばしいことだ。」智達は楼の下で、ふと気づくと元の体に戻っていた。

博陵寉彥武。隋開皇中。任魏州刺史。因行部至一邑。愕然驚喜。謂從者曰。吾昔嘗在此邑中為人婦。今知家處。因乘馬入修巷。屈曲至一家。令叫門。主人公年老。出來拜謁。彥武入家。先升其堂。視東壁上。去地六七尺。有隆高處。謂主人曰。吾昔讀法華經。并金釵五侯。藏此壁中。高處是也。其經第七卷尾後一紙。火燒失文字。吾至今每讀此經。至第七卷尾。忘失不能記得。因令左右。鑿東壁。果得經函。開第七卷尾及金釵並如其言。主人涕泣曰。亡妻存日。常讀此經。釵亦是妻物。妻因產死。遂失所在。不謂使君乃知其處。彥武因指庭前槐樹曰。吾欲產時。自斛頭髮。置此樹空中。試令人探樹中。果得髮。於是。主人悲喜。彥武留衣物。厚給主人而去。

博陵の寉彥武は、隋の開皇の頃、魏州の刺史を務めていた。ある時、管轄の巡視で一つの町に着いたところ、驚き喜んで従者に言った。「私はかつてこの町で人妻であったことがある。今、その家の場所がわかった。」そこで馬で細い路地に入り、曲がりくねって一軒の家に着き、門を呼ばせた。主人の老人が出てきて拝礼した。彥武は家に入り、まず堂に上がり、東の壁を眺めると、地面から六七尺の高さに盛り上がった箇所があった。主人に言った。「私は昔、法華経を読んでおり、金の簪五本と共にこの壁の中に納めた。高いところがそれだ。その経の第七巻の終わりの一枚は、火に焼けて文字が消えている。私は今でもこの経を読むたびに、第七巻の終わりになると、忘れて思い出せないのだ。」そこで左右の者に命じて東の壁を掘らせると、果たして経箱が見つかった。開けてみると、第七巻の終わりと金の簪は、彼の言う通りだった。主人は涙を流して言った。「亡き妻が生きていた頃、いつもこの経を読んでいました。簪も妻の品です。妻は産褥で亡くなり、その行方がわからなくなりました。まさかあなた様がその場所をご存じとは。」彥武は庭先の槐の木を指して言った。「私が産気づいた時、自分の髪を梳いて、この木の洞に納めた。」試しに人に木の中を探させると、果たして髪が見つかった。そこで主人は悲しみ喜んだ。彥武は衣類や物を残し、手厚く主人に与えて去って行った。

蘇長。未測其居貫。武德中。任都水使者。出為巴州刺史。將家口赴任。渡喜陵江。中流風起船沒。男女六十餘人。一舟溺死。唯有一妾。常讀法華經。船中水入。妾頭戴經函。誓與俱沒。既而船沒。妾猶不沈。隨波汎濫。頃之著岸。遂載經函而出。開視其經。了無濕污。在楊州嫁為人婦。而逾篤信焉。

蘇長という人がいた。どこに住んでいたのかはわかっていない。武徳のころ、都水使者という役職に就き、その後、巴州の刺史として赴任することになった。家族を連れて任地へ向かう途中、喜陵江を渡っていたところ、川の真ん中で風が起こり、船が転覆した。男女六十人余りが、一艘の船とともに溺れ死んだ。ただ一人、いつも法華経を読んでいた妾だけが助かった。船に水が入ってきたとき、その妾は経典の箱を頭に載せ、この箱と一緒に沈もうと誓った。やがて船は沈んだが、妾はそれでも沈まなかった。波に漂い流され、しばらくして岸にたどり着いた。そして経典の箱を載せたまま岸に上がった。開けて経典を見てみると、少しも濡れ汚れていなかった。後に楊州で人の妻となり、ますます厚く信仰するようになった。

劉弘仁。年十八時。任國子學生。與同士十人。於相師處。求相吉凶。相師皆剋其富貴貧賤之時。天壽年月之數。謂弘仁曰。年至五十一。其年四月十一日必死。弘仁。時住蘇州嘉興縣令。其餘九人。皆如相者之說。禍福不差。及弘仁十八已來吉凶。皆驗。至今正年五十一矣。自度至期必死。以四月一日。遂詣州。與諸官寮取訣。時韓王元嘉。為蘇州刺史。問其所由。弘仁具陳其事。王教之修福。仁至四月八日。遂即遇疾甚篤。王請諸寺僧尼。為弘仁。轉法華經一千遍。至十一日。轉經數畢。諸僧又為弘仁。更讀一百遍。弘仁流汗𮦛霂。所患都愈。平復如常。信知福力誠不可量也。

劉弘仁は十八歳のとき、国子生であった。同じ学友十人とともに、占い師のところで吉凶を占ってもらった。占い師は皆、その富貴貧賤の時期、天寿の年月の数を言い当てた。弘仁にこう言った。「お前の年は五十一になる。その年の四月十一日にかならず死ぬ。」弘仁は当時、蘇州嘉興県令であった。残りの九人も皆、占い師の言ったとおりであった。禍福に違いはなかった。弘仁が十八歳になってからの吉凶も、皆よく当たった。今まさに五十一歳になった。自分で期限が来れば必ず死ぬと思い、四月一日に州に赴き、役人たちと別れを告げた。時に韓王元嘉が蘇州刺史であった。そのわけを問うと、弘仁は事の次第を詳しく述べた。王は彼に福徳を修めるよう教えた。弘仁は四月八日に至り、病にかかり非常に重くなった。王は諸寺の僧尼を招き、弘仁のために法華経を千遍読誦させた。十一日に至り、読経の数が終わった。僧たちはまた弘仁のために、さらに百遍読んだ。弘仁は汗を流し、患っていた病はすべて癒えた。もとのように平癒した。福の力はまことに量りがたいと信じ知ったのである。

有辛老者。失其名。年八十餘。住鄭州市西南角。常受持法華。專心清潔。自三十年來。每夜讀經。夜明如晝。不假燈燭。若捨經卷。還暗如常。不復見物。

年老いた辛という人がいた。名前は伝わっていない。八十余歳で、鄭州市の西南の角に住んでいた。いつも『法華経』を唱え、心を込めて清らかに保っていた。三十年このかた、毎夜経を読むと、夜が昼のように明るくなり、灯や蝋燭はいらなかった。経巻を置くと、またいつもの暗さに戻り、物は見えなくなった。

新羅國。有金果毅。生一男子。從小出家。樂讀法華經。至第二卷。誤燒一字。年十八。忽從夭喪。還生別處金果毅家。又得出家。即偏愛讀法華經。至第二卷。每於一字。隨問隨忘。夢有人云。小師前生。向其鄉某金果毅家生。亦得出家。在彼生時。讀誦法華。誤燒一字。是以。今生隨得忘。彼舊經現存。往彼自看。此小師。依夢向彼尋覓。果得其家。借問投宿。前生父母。依俙欲識。尋訪舊經。乃見第二。實燒一字。小師及前父母。悲喜交并。二家遂為親好。彼此無二。當即言及州縣。州縣奏聞。舉國傳詠。于今不息。即貞觀時也。

新羅の国に金果毅という人がいて、一人の男の子が生まれました。幼いころから出家し、法華経を読むことを楽しみとしていました。ところが第二巻に至って、誤って一字を焼いてしまいました。十八歳のとき、急に亡くなり、別のところの金果毅の家に生まれ変わりました。そこでまた出家し、ひたすら法華経を読むことを好みました。第二巻に至るたびに、その一字ごとに、問われるたびに忘れてしまうのでした。夢に人が現れて言いました。「小師よ、あなたは前世で、自分の郷の某という金果毅の家に生まれ、そこでも出家していた。その生のとき、法華経を読誦していたが、誤って一字を焼いた。それゆえ、今生では読むたびに忘れてしまうのだ。その古い経典が今も残っている。そこへ行って自分で見てみなさい。」この小師は、夢に従ってそこへ探しに行き、果たしてその家を見つけました。一夜の宿を借りようと尋ねると、前世の父母は、おぼろげながらも我が子と気づこうとしました。古い経典を探し求めると、第二巻に至り、確かに一字が焼けていました。小師と前世の父母は、悲しみと喜びが入り混じりました。二つの家はついに親しい付き合いをするようになり、互いに隔てがなくなりました。すぐにこのことが州や県に伝わり、州県が朝廷に奏上したところ、国中に語り伝えられ、今も絶えることがありません。それは貞観のころのことです。

有一老僧。失其名。住并州石壁寺。禪觀為業。貞觀年末。房楹上有二鴿鶵。老師每以餘食飼之。後雖漸長。羽翼未成。乃並學飛。俱墮地而死。僧因收葬。經旬日後。僧夜夢有二小兒。告曰。兒等。為先有少罪。遂受鴿身。比來聞師讀法華經。及金剛般若。得受人身。兒等。今於此寺側十餘里某村某甲家。託生為男。十月之外。當即誕育。僧乃依期。往視見此家。一婦雙生二男。因作滿月齊。僧呼二姟子曰。鴿兒。兩兒並應曰諾。一應之後。歲餘始言也。

ある老僧がいました。名前は伝わっていません。并州の石壁寺に住み、禅の修行をしていました。貞観の末ごろ、軒先に二羽の鳩のひながいました。老師はいつも食べ残しを与えて育てていました。やがて少しずつ大きくなりましたが、まだ翼が十分に育たないうちに、一緒に飛ぶ練習をして、そろって地面に落ちて死んでしまいました。僧はそれを葬りました。十日ほどたったある夜、僧の夢に二人の幼い子どもが現れて言いました。「私たちは、前世に少しばかり罪があったために、鳩の身に生まれました。先ごろ、師が法華経や金剛般若経を読むのを聞いて、人間の身に生まれ変われることになりました。私たちは今、この寺のそば十余里のある村のある家に、男子として生まれる約束をいただいています。十月が過ぎれば、まもなく生まれるでしょう。」僧はその時期になると、その家を訪ねました。一人の婦人が二人の男の子を双子として産んでいました。そこで満月の斎を行い、僧が二人の子どもに「鳩児よ」と呼びかけると、二人とも「はい」と答えました。一度そう答えてから、その後は一年あまりたって、ようやく言葉を話すようになったということです。

釋法眼。俗姓高。隋齊國公高顆曾孫也。俗字立敬。一名元懌。未出家時。貞觀中。與兄立覽。於他度寺僧明藏處。學讀法華波若。稍似精熟。敬後棄其所習。龍朔元年。征遼還。三年正月。往臺看勳。從順義門出。有兩騎追之曰。今捉獲矣。敬問曰。卿是何人。答曰。我是閻羅王使者。故來追卿。其人惶忙。走馬而出。欲投普光寺。使人曰。疾投寺門勿令入。入即得脫。及至寺門。乃見一騎投門。又西走欲入開善寺。又合騎投門。遂爾相從而奔。欲還本宅。宅在化度寺東。恐道遠。乃欲入醴泉坊。一騎在前。其人以拳擊之。鬼遂落馬。後鬼曰。此人大麁。急曳下。挽却頭髮。即被牽髮。如刀割狀。又有朱衣白馬人。以手柘敬胸。敬應時落馬顛仆。久之稍醒。若坐霧中。家人輿還。至曉穌云。備見閻羅王。云君何盜僧果子。何事說三寶過。遂依狀罪。無敢厝言。王言。盜果之罪。合吞鐵丸四百五十枚。四年受之方盡。說過之罪。合耕其舌。因放令出。遂穌。俄自見有人頭有雙角。棒一鐵丸。縛敬手足。令一一噉之。傍人不見鐵丸。唯見敬張口努目。通身赫赤。喉內熱氣上衝。蒸欝難近。經日方醒云。已一年吞百餘丸。其若無此經四日如此。吞丸云盡。即就會昌化度二寺。投誠懺悔至三月三日。又被前使追將見王。王曰。爾誹謗三寶。罪當耕舌。敬又見二人。以鉗拔舌。似長數百尺。又見二人。各執一耜刃。偶耕其上。勘案乃云。嘗讀法華金剛般若。因爾得蘇。親等視其舌上。若刀割處。為讀二經。所以不斷。敬後若思若說。戰怖流淚。因遂出家。名法眼。精厲倍常。住東都白馬寺。不知所終。
劉時。雍州萬年縣平康坊人。永隆二年六月患。經二日致死。死經六日。唯心上煖。其家已擇殯日。未敢襲斂。至七日平旦。忽然再穌云。當時。被一人引入大城。宮殿樓觀。壯麗異常。見閻羅王。云汝可具錄生時功德。遂答云。生時唯讀法華經兩卷。更無別功德。王遂索罪案。及業秤秤之。法華兩卷。乃重於罪案。王撿案云。其人合得九十年活。謂案典曰。汝何以錯追。大罪過。可放他還。因令得活。經二十許日。委頓方療。遂受戒。不飲酒食肉。造金字法華經。永充供養。
弘贊法華傳卷第九

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