能爲
力を持つ
載營魄,(營魄,魂魄也。人載魂魄之上得以生,當愛養之。喜怒亡魂,卒驚傷魄。魂在肝,魄在肺。美酒甘肴,腐人肝肺。故魂靜志道不亂,魄安得壽延年也。)抱一,能無離乎,(言人能抱一,使不離於身,則長存。一者,道始所生,太和之精氣也。故曰:一布名於天下,天得一以清,地得一以寧,侯王得一以為正平,入為心,出為行,布施為德,摠名為一。一之為言,志一無二也。)專氣致柔,(專守精氣使不亂,則形體能應之而柔順。)能嬰兒。(能如嬰兒內無思慮,外無政事,則精神不去也。)滌除玄覽,(當洗其心,使潔淨也。心居玄冥之處,覽知萬事,故謂之玄覽也。)能無疵。(不淫邪也,淨能無疵病乎。)愛民治國,(治身者,愛氣則身全;治國者,愛民則國安。)能無為。(治身者呼吸精氣,無令耳聞﹔治國者,布施惠德,無令下知也。)天門開闔,(天門謂北極紫微宮。開闔謂終始五際也。治身之天門謂鼻孔,開謂喘息也,闔謂呼吸也。)能為雌。(治身當如雌牝,安靜柔弱,治國應變,合而不唱也。)明白四達,(言達明白,如日月四通,滿於天下八極之外。故曰:視之不見,聽之不聞,彰布之於十方,煥煥煌煌也。)能無知。(無有能知道滿於天下者。)生之、畜之。(道生萬物而畜養之。)生而不有,(道生萬物,無所取有。)為而不恃,(道所施為,不恃望其報也。)長而不宰,(道長養萬物,不宰割以為器用。)是謂玄德。(言道行德,玄冥不可得見,欲使人如道也。)
身体に魂と魄を宿しているが、この営魄とは魂と魄のことである。人はこの魂と魄を身体に宿して生きているのだから、これを大切に養うべきである。喜びや怒りは魂を失わせ、突然の驚きは魄を傷つける。魂は肝に宿り、魄は肺に宿る。美酒や美味い肴は、人の肝や肺を腐らせるものだ。だからこそ、魂を静かに保ち志を道に向ければ心は乱れず、魄が安らかであれば寿命を延ばすことができるのである。
「一」を抱きしめて、それから離れることがないだろうか。人は「一」を抱いて身体から離さなければ、長く生き続けることができる。「一」とは、道が最初に生み出したものであり、太和の精気である。だからこう言われる。「一」は天下にその名を広く示し、天は「一」を得て清らかになり、地は「一」を得て安寧であり、諸侯や王は「一」を得て正しく平らかになる。内に入れば心となり、外に出れば行いとなり、施し与えれば徳となる。これらを総称して「一」という。「一」の意味するところは、志を一つのことに定めて、二心がないということである。
精気を専らに守って乱さないようにすれば、身体はそれに応じて柔らかく素直になるだろう。
生まれたばかりの赤ちゃんのように、内には思い煩いがなく、外には仕事や用事にわずらわされることがなければ、精神は失われることがない。
心を洗い清めて、けがれのない状態にすべきである。心は玄妙で深遠なところにあり、すべての事を見通して知るので、これを「玄覧」という。
邪淫に染まらず、清らかであれば、きずや病のない状態にできるだろうか。
身体を治める者は、気を愛し養えば身体は全うされる。国を治める者は、民を愛し養えば国は安らかになる。
身体を治める者は、精気を静かに呼吸して、耳に聞こえるようにしてはならない。国を治める者は、恵みの徳を施し与えても、民に知られないようにするのだ。
天門とは北極紫微宮のことをいう。開闔とは終わりと始まり、五際のことをいう。身体を治めるにあたっての天門とは鼻孔のことである。開くとは息を吐くことであり、閉じるとは息を吸うことである。
身体を治めるには、めすの動物のように静かでいて柔らかく弱々しくあるべきであり、国を治めるにあたっても、変化に応じつつ、自分のほうから先んじて唱え出さず、調和していくようにするのだ。
明らかに理解し、四方八方に通じるというのは、日月のように明らかで、四方八方に通じ、天下の八隅の外まで満ち渡ることをいう。だからこう言われる。目で見ても見えず、耳で聞いても聞こえないが、十方の世界のすみずみにまで明らかに現れ、光り輝いているのである。
道が天下に満ちていることを知るものは、誰もいないのである。
道は万物を生み出し、それを育て養うのである。
道は万物を生み出しても、そこから何かを取って自分のものとすることはない。
道はさまざまなことを行っても、その報いを期待して恃みにすることはない。
道は万物を長養しても、それを切り刻んで自分の道具とすることはない。
これを玄徳という。道の行う徳は、深遠で闇のように見ることができない。人々に道のようにあってほしいと願うからである。