ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 明州天童景徳禅寺宏智覚禅師語録 (明州天童景德禪寺宏智覺禪師語錄)
  2. 第一 (第一)
  3. 示衆 (示眾)
←と→
矢印キーでページをめくれます

明州天童景徳禅寺宏智覚禅師語録 (明州天童景德禪寺宏智覺禪師語錄)


示眾

示衆

示眾:「參學眼目須辨來端,莫認頑空便為自己,洞山五位曲為今時,不究根源妄生階塹。古德云:『莫將真際雜頑空。』又云:『心同虛空界,示等虛空法。』又云:『莫於中路事空王,策杖還須到本鄉。』正偏之旨妙在體前,五位君臣功勳王子名異體同,毫髮有差誤,萬劫繫驢橛。君為正位,臣為偏位。君視臣為正中偏,臣奉君為偏中正,君臣道合兼帶語也。如森羅萬象,日月星辰,乾坤大地,色空明暗盡屬今時,傍求妙協切忌當頭明顯玄旨,是正中來。交鋒兩刃不懼死生,泥牛吼月、木馬嘶風、火裡蓮花方有出身之路,是兼中至。直造玄宗,不坐他床榻,冥應眾緣不隨諸有,非染非淨、非正非偏,虛玄大道無著真宗,從上先德推此一位最妙最玄,是兼中到。朕兆未萌,會要借功明位;影響纔露,還須借位明功。分一句子,菊花紅蓼正芬芳;借一句子,月船親到水雲鄉。恁麼時、恁麼處、恁麼來、恁麼去。其來也內紹到家,其去也傍分借路。月色練鋪江曲,蘆花月映門頭,分明只是箇人,宛轉歸來舊處。」

皆さんに申し上げます。仏道を学ぶ人々は、ものごとの根本を正しく見極めなければなりません。意味もなく固まった空っぽの境地を、自分自身の悟りだと間違えてはいけません。

洞山禅師が示した五位の教えは、まさに現代の私たちのためのものです。しかし、その根本を探求せずに、ただ表面的な段階だけにこだわるのは誤りです。

古い導師たちは言っています。「真実の境地に、無意味な空っぽを混ぜてはいけない。」また、「心は虚空の世界と同じであり、虚空の教えを説くのだ。」そして、「途中で、空の王に仕えるのをやめて、杖を頼りに故郷へ帰りなさい。」

「正」と「偏」の教えの素晴らしさは、その理屈を超えたところにあります。「五位」の「君」と「臣」や「功勲」や「王子」という言葉は異なっていても、その本質は同じです。ほんのわずかな違いが、永遠の迷いを生むのです。

「君」は「正位」であり、「臣」は「偏位」です。「君」が「臣」を見るのは「正中の偏」、「臣」が「君」に仕えるのは「偏中の正」であり、「君」と「臣」の道が一つになるのが、「兼中帯」の言葉です。

この世のすべてのもの、太陽や月や星、大地、色や空、明るさや暗さ、すべてはこの「今」の世界に属しています。ですから、補助的な方法を用いて巧みに調和させることを求めなさい。大切なのは、正面からはっきりと教えの奥深い趣旨を示そうとしないことです。これが「正中来」です。

戦いの中で、死を恐れずに立ち向かうように、修行においても大胆に進みなさい。泥の牛が月に向かって吼え、木の馬が風に嘶くように、火の中の蓮の花のように、困難な状況にあってこそ、悟りへの道が開けるのです。これが「兼中至」です。

最高の悟りに直接至っても、他人の敷いた道に安住してはいけません。すべての因縁に静かに応じながらも、様々な存在に執着しません。汚れにも清らかさにもとらわれず、正にも偏にもとらわれません。この虚ろで奥深い大道こそが、何ものにもとらわれない真実の教えです。昔の優れた師たちは、この「兼中到」の位を最も素晴らしく、最も深遠なものと推しました。

まだ兆しすら現れていない時は、言葉の働きを借りて「位」を明らかにします。何かの影や響きが現れ始めたなら、「位」を借りて言葉の働きを明らかにします。

ある時には、一つの言葉を切り離して、菊や蓼の花が美しく咲き誇る世界を示します。またある時には、言葉を借りて、月のように静かな船で水と雲の故郷に実際に赴くのです。

このような時、このような場所で、このように来て、このように去る。その来る時は、内に受け継いで故郷に帰り着き、去る時は、外に現れて道を借りて歩みます。

月の光は川のほとりを白く照らし、芦の花は門の前に月明かりに映えています。はっきりと分かるのは、ただ一人の人物であり、巡り巡って古い場所へと帰ってくるのです。

天童宏智覺禪師語錄卷一

『天童宏智覚禅師語録 巻第一』


晚參
拈古

CBETA コード: JB272

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません