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title: "法句經 · 27 奉持品"
description: "法句经是佛教重要经典，由古印度高僧法救尊者编纂，三国时期维祇难等译师将其译为汉文。该经属于早期佛教典籍，收录了佛陀在不同场合宣说的偈颂，内容涵盖修行、道德、智慧等核心教义，以简洁诗偈形式阐述佛法真谛。作为佛教基础入门经典，法句经语言通俗易懂，在汉传佛教中具有广泛影响力，是了解原始佛教思想的重要文献。其短小精悍的偈颂便于记诵传播，对佛教伦理观念的形成与普及起到关键作用，至今仍被佛教徒奉为日常修持指南。"
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### 奉持品法句經第二十七十有七章

> 法句経 奉持品 第二十七 十七章

奉持品者，解說道義，法貴德行，不用貪侈。

> この教えを守り実践するとは、道の意味を理解することです。真理は徳のある行いを重んじ、貪りや贅沢を求めてはなりません。

好經道者， 不競於利， 有利、無利，無欲不惑， 常愍好學， 正心以行，擁懷寶慧， 是謂為道。 所謂智者，不必辯言； 無恐、無懼， 守善為智。奉持法者， 不以多言； 雖素少聞，身依法行， 守道不忘， 可謂奉法。所謂老者， 不必年耆， 形熟髮白，憃愚而已； 謂懷諦法， 順調慈仁，明遠清潔， 是為長老。 所謂端政，非色如花， 慳嫉虛飾， 言行有違；謂能捨惡， 根原已斷， 慧而無恚，是為端政。 所謂沙門， 非必除髮，妄語貪取， 有欲如凡； 謂能止惡，恢廓弘道， 息心滅意， 是為沙門。所謂比丘， 非時乞食， 邪行婬彼，稱名而已； 謂捨罪福， 淨修梵行，慧能破惡， 是為比丘。 所謂仁明，非口不言， 用心不淨， 外順而已；謂心無為， 內行清虛， 此彼寂滅，是為仁明。 所謂有道， 非救一物；普濟天下， 無害為道。 戒眾不言，我行多誠。 得定意者， 要由閉損，意解求安。 莫習凡人， 使結未盡，莫能得脫。

> 道を好む者とは、利を争わないことです。有利でも無利でも、欲がなく惑わず、いつも学びを慈しみ、心を正して行い、宝のような智慧を抱くこと、これが道というものです。 智者とは、必ずしも弁舌が巧みなことではありません。恐れもなく、怖れもなく、善を守ることが智です。 法を奉じる者とは、多く語ることではありません。たとえ普段はほとんど聞かなくても、身をもって法に従い、道を守って忘れなければ、これを法を奉じる者と言えます。 老人とは、必ずしも年が高いことではありません。体が衰え髪が白くても、愚かなだけなら老人ではありません。真理の法を心に抱き、柔らかく慈しみ深く、明るく遠く清らかであること、これが長老です。 端正とは、花のような見た目ではありません。物惜しみし嫉妬し飾り立てて、言葉と行いが食い違うことではありません。悪を捨て、その根を断ち、智慧があって怒りのないこと、これが端正です。 沙門とは、必ずしも髪を剃ることではありません。嘘をつき貪り取り、欲を持つことは凡夫と同じです。悪を止め、広く道を広め、心を静めて意を滅すること、これが沙門です。 比丘とは、定められた時以外に托鉢し、邪な行いをし、名ばかりのことではありません。罪も福も捨て、清らかに梵行を修め、智慧で悪を破ること、これが比丘です。 仁明とは、口で語らないことではありません。心が清らかでなく、外見だけ従うことではありません。心が無為で、内に行い清く虚ろで、自他ともに寂滅していること、これが仁明です。 道があるとは、一つのものを救うことではありません。天下を広く済い、害をなさないこと、これが道です。戒を守る者は多くを語らず、私は誠を重んじます。定意を得る者は、閉じて損することによってこそ、意を解き安らぎを求めるのです。凡夫の真似をしてはなりません。結縛が尽きていなければ、解脱は得られないのです。