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大乗理趣六波羅蜜多経 (大乘理趣六波羅蜜多經)


大乘理趣六波羅蜜多經卷第五

大乗理趣六波羅蜜多経 巻第五

罽賓國三藏般若奉 詔譯

罽賓国の三蔵般若、詔を奉じて訳す

淨戒波羅蜜多品第六

第六章 浄戒波羅蜜多

爾時,佛薄伽梵於大眾中作師子吼,廣說布施波羅蜜多已。時慈氏菩薩摩訶薩合掌恭敬而白佛言:「大聖世尊已說修大乘者興大悲心行布施波羅蜜多,以何方便而能圓滿淨戒波羅蜜多?何名淨戒?防何過失?云何護持而得清淨?設護淨戒,現在未來有何果報?云何守護當證阿耨多羅三藐三菩提?唯願世尊分別廣說,利益安樂一切有情。」

その時、仏陀は大衆の中で獅子吼を上げ、布施波羅蜜多について広く説かれました。そこで慈氏菩薩摩訶薩は合掌し、敬意を込めて仏陀に申し上げました。「大聖世尊は、大乗を修行する者が大悲の心を起こし、布施波羅蜜多を行うことをお説きになりました。では、どのような方法で浄戒波羅蜜多を円満にすることができるのでしょうか。何を浄戒と呼ぶのでしょうか。どんな過ちを防ぐのでしょうか。どのように護持すれば清浄を得られるのでしょうか。もし浄戒を守れば、現在と未来にどのような果報があるのでしょうか。どのように守れば、阿耨多羅三藐三菩提を証得できるのでしょうか。どうか世尊が詳しくお説きいただき、すべての有情を利益し、安楽に導いてくださいますように。」

爾時如來、應供、正遍知、明行圓滿、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊讚慈氏菩薩摩訶薩言:「善哉,善哉!汝於無量百千億劫奉持淨戒,普為利益安樂有情問如是義。汝今諦聽,善思念之,吾當為汝分別解說。若有善男子、善女人修大乘者,若欲圓滿淨戒波羅蜜多,應當如是發廣大心:『普為憐愍一切眾生,所謂不怖地獄、不求生天、不為已身自求解脫護持禁戒。』復作如是正念思惟:『我於昔時已發誓願,若見有情毀禁戒者,誓當勸令堅持淨戒,以佛淨戒而為瓔珞莊嚴其身。若我不能護持戒者,云何以戒攝護有情?以是因緣勸令持戒?若不如是,云何能置一切有情於阿耨多羅三藐三菩提?所以者何?若諸凡夫自不清淨為毀戒者,雖說正法勸他持戒,終不信從反被輕呵:「若欲教他護持淨戒,何不自護而毀犯耶?」以是思之汝應持戒,汝若不持,汝口雖說自耳不聞,如是種種被他譏毀,何能勸人守護淨戒?』以是當知,先自檢身離諸放逸,堅持淨戒波羅蜜多,然後為人說正法要。有情聞已便能信受,既信受已護持佛戒,具足清白乃至得成阿耨多羅三藐三菩提。

その時、如来(応供・正遍知・明行円満・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊)は、慈氏菩薩摩訶薩を称賛して言われました。「善いかな、善いかな。汝は無量百千億劫もの長きにわたり、清らかな戒律を守り、あまねく生きとし生けるものを利益し安楽にするために、このような問いを立てたのである。さあ、よく聞き、よく心に留めなさい。汝のために詳しく説き明かそう。

もし善男子・善女人が大乗を修行し、清らかな戒律の完成(戒波羅蜜多)を願うならば、次のように広大な心を起こさねばならない。

『すべての衆生を哀れみ思うがゆえに、すなわち地獄を恐れず、天上に生まれることを求めず、自分のためだけに解脱を求めて戒律を守るのではない。』 そして、次のように正しく心をめぐらせなさい。

『私はかつてすでに誓いを立てた。もし戒律を破る有情を見たら、必ず彼らを戒め清らかに守るよう励まし、仏の清らかな戒律を宝飾としてその身を飾らせよう。もし私自身が戒律を守れないなら、どうして戒律によって有情を導き、救うことができるだろうか。そのような理由で、どうして彼らに戒律を守るよう勧められようか。もしそうでなければ、どうしてすべての有情を無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)に導くことができるだろうか。なぜなら、もし凡夫が自ら清らかでなく戒を破る者であるなら、たとえ正しい教えを説いて他者に戒律を守るよう勧めても、ついには信じ従わず、かえって軽んじられ嘲られるだろう。「戒を守れと教えるなら、なぜ自分は守らずに破るのか」と。このように考え、汝は戒律を守らねばならない。汝が守らなければ、口で説くことも自分の耳には聞こえず、あらゆる嘲りを受けることとなる。どうして他人に清らかな戒律を守るよう勧められようか。』 よって、まず自らを戒め、すべての放逸を離れ、清らかな戒律の完成を堅固に守り、その後初めて人々に正しい教えの要を説くべきである。有情はそれを聞いて信じ受け入れ、信じ受け入れたならば、仏の戒律を守り清らかに備え、ついには無上正等覚を成就するのである。」

「復次,慈氏!若有眾生發菩提心,普為一切五趣四生,乃至護持一禁戒者,亦得名為入佛淨戒波羅蜜多,能得無上正等菩提。

「さらに、慈氏よ。もしも生きとし生けるものがあって菩提心をおこし、あまねくすべての五つの迷いの世界(五趣)と四つの生まれ方(四生)のために、ただ一つの戒めであってもこれを護り保つならば、その人もまた『仏の清らかな戒めの波羅蜜多に入る者』と名づけられ、この上ない完全なる悟り(無上正等菩提)を得ることができるのです。

「復次,慈氏!菩薩摩訶薩修大乘者,見諸有情墮於惡趣,應當修習淨戒波羅蜜多,拔濟令出置於涅槃。然修行時有三大障:一者瞋恚,二者慳貪,三者染欲。其瞋恚者能退悲心,大悲心者一切菩提行之根本,以悲力故,於夢寐中不生殺想,況𭔏寤時斷命食肉。其慳貪者不能捨施,於己財物常生慳惜,於他財寶恒起貪求。是故菩薩摩訶薩見他財物,如覩毒虵不生貪著。其染欲者非清淨行,應當遠離五欲淤泥。然此貪欲諸苦根本,六波羅蜜之大障也,復能燒滅菩提之心。」

さらに、慈氏よ。大乗を修行する菩薩摩訶薩は、諸々の生きとし生けるものが悪い道に落ちるのを見たら、必ず清らかな戒めを完璧に実践する修行(浄戒波羅蜜多)を身につけ、彼らを救い出して、悟りの境地(涅槃)に導くべきである。 しかし、修行には三つの大きな妨げがある。第一は怒り、第二は物惜しみ、第三は欲に溺れることである。 怒りの心は、慈しみの心を弱らせる。この大きな慈しみの心は、あらゆる悟りへの行いの土台である。その慈しみの力によって、夢の中でさえも殺そうと思わないのである。ましてや、目覚めている時に命を絶ったり、肉を食べたりすることなど、なおさらない。 物惜しみの心がある者は、施しを行うことができない。自分の財産には常に惜しみ、他人の宝には絶えず欲しがる。だからこそ、菩薩は他人の財産を、まるで毒蛇を見るかのように貪りの心を持たないのである。 欲に溺れる心は、清らかな行いではない。五つの欲の泥沼から遠く離れなければならない。この貪りの欲は、あらゆる苦しみの根本であり、六つの完全な修行(六波羅蜜)における大きな妨げである。さらに、悟りを求める心(菩提心)までも焼き尽くしてしまうのである。

爾時薄伽梵而說頌言:

その時、世尊は次のように詩句を唱えられた。

「女性妖媚幻惑人, 如怨詐親不可近,
貪欲迷荒壞清淨, 如水瀑流摧石壁。
女人之性多諂曲, 如水隨流性不定,
恒懷異志背其夫, 智者諦思應遠離。
譬如靈山白象王, 鼻有力能拔大樹,
及見母象心昏醉, 引入陷穽被調伏。
如鹿食草飲清流, 復能遠陟諸山谷,
獵師能為誘鹿聲, 彼鹿尋聲來就死。
如魚沈潛深隱處, 游泳水中難可見,
為求其食吞鉤餌, 貪欲喪身亦復然。
譬如黑蜂貪其香, 醉象污流發香氣,
貪齅此香集象身, 象耳搖動撲皆死。
如燈無風焰熾然, 飛蛾為明競投赴,
由斯入火自焚燒, 貪愛亡軀亦如是。
五塵遍觸眾生身, 一一害人如毒藥,
受者如是諦思惟, 眾苦積聚非安樂。
炎火熾然猶可觸, 旋嵐猛風或能繫,
瞋恚毒虵易調伏, 女人之心難可禁。
無熱池中功德水, 流入大海不堪飲,
八味皆失同醎苦, 親近女人善法盡。」

「女は妖艶に人を惑わせ、 怨みのようでいて親しげに近づき、近づいてはならぬ。

貪欲は心を迷わせ清らかさを壊し、 まるで滝が岩壁を砕くかのようだ。

女の性はへつらいが多く、 水が流れに従って定まらないように、心が一定しない。

常に異心を抱き、夫に背く。 賢者はよくよく考えて、遠ざかるべきである。

たとえば霊山の白象の王は、 鼻の力で大木を引き抜くことができる。

しかし母象を見ると心が迷い、 罠にかかって飼いならされてしまう。

鹿が草を食べ清流を飲み、 さらに遠くの谷を越えても、

狩人が鹿の声を真似ると、 その声を追って死に赴く。

魚は深く沈み隠れ、 水中を泳いでいても見えにくいが、

餌を求めて針を飲み込む。 貪欲に身を滅ぼすのもまた同じである。

たとえば黒蜂が香りに貪り、 酔った象の汚れた流れが香りを放つと、

その香りに集まって象に止まり、 象が耳を振ると皆殺される。

灯に風がなければ炎は盛んに燃え、 蛾は明かりを求めて飛び込む。

それによって火に入り自ら焼かれる。 貪愛に身を滅ぼすのもまた同じである。

五つの感覚の対象はあらゆる生き物に触れ、 一つ一つが毒薬のように人を害する。

それを受ける者はこのように深く考えよ。 苦しみが積もり集まり、安楽ではない。

燃え盛る火にはまだ触れられる。 激しい風を縛ることもあるかもしれない。

怒りの毒蛇は調伏しやすいが、 女の心は抑え難い。

無熱池の功徳の水も、 海に流れ込めば飲めなくなる。

八つの味を失い、すべて塩辛くなる。 女に親しめば善い行いは尽きるのである。」

佛告慈氏:「以是因緣,當知女人不應親近,乃至夢中不應思想,況覺悟時而行欲事。

仏、慈氏に告げたまわく:「この因縁をもって、まさに知るべし、女人は親しむべきにあらず。夢の中においてすら想念すべきにあらざるに、まして覚悟の時にあって欲事を行わんや。」

「復次,菩薩摩訶薩離三障已,應當修習十種淨戒。云何為十?所謂身三淨戒、口四淨戒、意三淨戒。言身三者,離殺、盜、婬。云何不殺、若見有情被損害時,應以悲心往救其命,或以資財贖令得脫,設不免者以身代之;何況自殺。不偷盜者,菩薩摩訶薩於他財物,乃至夢中不生盜想,況於𭔏寤而起盜心。應於自財以清淨心,無所悋惜常行惠施,亦勸他人離不與取,恒行布施波羅蜜多。離染欲者,菩薩摩訶薩應當遠離五欲境界,亦為有情說欲過失,復令眾生離欲邪行,讚說出家無量功德,令多眾生捨家出家,拔濟有情離貪愛獄。是則名為身三善也。言口四者,謂離虛誑、離間、麤惡及無義語。云何虛誑?謂不見言見、見言不見,聞覺知等亦復如是。於此虛誑皆捨離之,作真實語,名離妄語。復次言離間者,於彼說此、於此說彼,令生乖諍。若能離此,常和合語,是則名為遠離間語。麤惡語者,謂出惡言令彼熱惱,所不欲聞而令聞之。若能離此,常以軟語令彼適悅,是則名為離麤惡語言。無義語者,以染欲心戲弄談謔,乃至邪論皆無義利。若能離此,為益有情實語時語,是則名為離無義語。菩薩如是若能離口四過,修習如來四種善語,常為有情說於妙語,令聞法者歡喜信受,如水清珠能清濁水,聞法信受亦復如是。

さらに、菩薩摩薩は三つの障りを離れた後、十種の清らかな戒めを修習すべきである。その十種とは何か。すなわち、身の三つの清らかな戒め、口の四つの清らかな戒め、意の三つの清らかな戒めである。

身の三つとは、殺生を離れること、盗みを離れること、婬欲を離れることである。殺さないとはどういうことか。もし生き物が危害を受けているのを見たら、慈しみの心をもってその命を救いに行き、あるいは財産を使って贖い助け出し、もしそれができないなら自分の身をもって代わるべきである。ましてや自ら殺すことなどなおさらである。盗まないとは、菩薩摩薩は他人の財物に対して、夢の中でも盗もうという考えを起こさず、ましてや覚醒時に盗む心を起こすことはない。自分の財物に対しては清らかな心で、惜しむことなく常に施しを行い、また他人にも与えられていないものを取らないことを勧め、常に布施波羅蜜多を実践する。婬欲を離れるとは、菩薩摩薩は五つの欲の境地を遠く離れ、また生きとし生けるものに欲の過ちを説き、さらに衆生に婬欲の邪行を離れさせ、出家の無量の功徳を賛嘆し、多くの衆生が家を捨てて出家し、生きとし生けるものを貪愛の獄から救い出すよう導く。これを身の三つの善と呼ぶ。

口の四つとは、虚偽の言葉、離間の言葉、荒々しい言葉、無意味な言葉を離れることである。虚偽とは、見ていないのに見たと言い、見たのに見なかったと言うこと、聞く、感じる、知るなどについても同様である。このような虚偽をすべて捨て離れ、真実の言葉を語ることを、妄語を離れるという。次に、離間とは、あちらでこれを語り、こちらでそれを語って、争いを生じさせることである。これを離れ、常に和合の言葉を語ることを、離間の言葉を離れるという。荒々しい言葉とは、相手を悩ませるような悪い言葉を発し、聞きたくないことを聞かせることである。これを離れ、常に柔らかな言葉で相手を喜ばせることを、荒々しい言葉を離れるという。無意味な言葉とは、婬欲の心でふざけたり冗談を言ったり、さらには邪な論を語るなど、すべて無意味なことである。これを離れ、生きとし生けるものの利益のために真実の言葉や時機にかなった言葉を語ることを、無意味な言葉を離れるという。

菩薩がこのように口の四つの過ちを離れ、如来の四種の善い言葉を修習し、常に生きとし生けるものに妙なる言葉を説き、法を聞く者を喜び信受させるならば、それは水を清める珠が濁った水を清めるのと同じであり、法を聞いて信受することもまた同じである。

「復次,慈氏!意不善業亦有三種,謂貪、瞋、癡。離貪嫉者,見他尊貴、多饒財寶起嫉妬心,應正思惟作如是念:『願一切有情得大富貴無所乏少,是諸有情勤苦艱難今乃獲得,云何於彼生嫉妬心?我於己財皆應奉彼,況彼自獲我應隨喜,云何乃反生嫉妬耶?』以是因緣,於彼有情不應嫉妬但生隨喜。若能如是除貪嫉者,是名菩薩持心淨戒。復次,離瞋害者,若菩薩摩訶薩被諸有情諸惡誣謗,無故打罵斷截支節。菩薩於彼離瞋害心,作是思惟:『我已發願,於諸有情不起瞋害。云何今日乃發是心?又我昔願,常以法藥蠲除有情瞋害之病。若於眾生起瞋害者,自疾不能救,何能救彼一切有情?復次,若諸有情瞋菩薩時,深自剋責以我有過,福德鮮薄令他生瞋,我若無過彼必不瞋。』

「さらに、慈氏よ。意の不善業にも三種がある。すなわち、貪り、怒り、無知である。

貪りや妬みを離れる者とは、他人が高貴で多くの財宝を持っているのを見て、妬みの心を起こすならば、こう正しく考えるべきである。『すべての生きとし生けるものが、大きな富と貴さを得て、何も欠けることがありませんように。これらの人々は苦労し困難を経て、今ようやくそれを得たのだ。どうして彼らに対して妬みの心を起こせようか。私は自分の財産さえもすべて彼らに捧げるべきである。ましてや彼らが自ら得たものを、私はむしろ喜ぶべきなのに、どうしてかえって妬みの心を起こすのか』と。

このような理由から、その人々に対して妬みを抱かず、ただ喜びを生じるべきである。このようにして貪りや妬みを除くことができれば、これを菩薩の心を清らかに保つ戒めという。

次に、怒りや害心を離れる者とは、菩薩が他の生きとし生けるものから様々な悪い誹謗を受け、理由もなく打たれたり罵られたり、手足を切断されたりしても、怒りや害心を離れて、こう思うのである。『私はすでに誓いを立て、すべての生きとし生けるものに対して怒りや害心を起こさないと決めた。どうして今日、このような心を起こすのか。また、私は以前、常に法の薬を用いて、生きとし生けるものの怒りや害心の病を取り除くと誓った。もし生きとし生けるものに対して怒りや害心を起こすならば、自分の病さえ治せないのに、どうして他のすべての生きとし生けるものを救うことができようか』と。

さらに、もし他の生きとし生けるものが菩薩に怒りを向けたならば、深く自分を責めて、『私に過ちがあり、福徳が少ないから、彼に怒りを起こさせたのだ。もし私に過ちがなければ、彼は怒らないはずだ』と考えるべきである。」

「復次,若菩薩摩訶薩見二有情互相瞋恨結怨不捨。菩薩見已,生悲愍心:『此之有情不捨瞋恨,當墮地獄火燒其身受大苦惱。是我之咎,應持法藥療此瞋病。我昔誓願,願與一切眾生除瞋恚病,云何今日不為斷除?此等眾生常為恚魔之所執縛不自覺知,以大猛火之所焚燒。既被魔執,設持利刀來殺害我,我知魔鬼不應生瞋,當於是人生大悲愍。』復次,離邪見者,一切眾生皆有邪見極為深厚。菩薩大悲,以正見炬作大照明令見三寶,又於佛法眾僧所有功德深生信樂。一切外道,一切眾魔作障礙者,不能破壞正見之心,於大乘行無能退屈。

また、菩薩摩ひじりが、互いに恨み合い、怒り合い、縁を切らずにいる二人の者を見たとする。それを見た菩薩は、哀れみの心を起こす。「この者たちは、怒りを捨てずにいるので、地獄の火で身体を焼かれ、大きな苦しみを受けるだろう。これは私の過ちである。私は昔、誓いを立てて、全ての者から怒りの病を除こうと願った。それなのに、どうして今、それを断ち切らせないでいられようか。この者たちは常に、怒りの魔物に捕らえられて、自分ではそれに気づかず、激しい火で焼かれている。魔物に捕らえられているのだから、たとえ鋭い刀を持って私を殺しに来ようとも、私は魔物に対して怒るべきではなく、その者に対して大きな哀れみの心を起こすべきである。」

また、誤った見解を離れることについて。全ての者は、誤った見解を持ち、それが極めて深く厚い。菩薩は大きな哀れみをもって、正しい見解の灯火を掲げ、大きな明かりをもって三宝を見せ、さらに仏法や僧の持つ全ての功徳を深く信じ、喜び楽しむようにさせる。あらゆる外道や、あらゆる魔物が妨害しても、正しい見解の心を打ち壊すことはできず、大乗の行いから退き屈することもないのである。

「復次,慈氏!菩薩摩訶薩行大乘者,欲令眾生離不善行,先當自身遠離十惡、修行十善。何以故?若諸菩薩自行十善,所有言教人皆信受。若自不行而教人者,譬如有人為水漂溺,語岸上人:『我能救汝。』無有是處。造十惡者亦復如是,自被十惡瀑流所漂,語諸眾生:『我當度汝。』亦無是處。菩薩如是於十善戒具足修習,復教他人如是展轉,名為修習淨戒波羅蜜多。」

また、慈氏よ。大乗を修行する菩薩摩訶薩は、衆生を不善な行いから離れさせたいと願うなら、まず自らが十の悪行を遠ざけ、十の善行を修めなければならない。なぜなら、もし菩薩が自ら十善を実践すれば、その教えを人々は皆、信じて受け入れるからである。もし自ら実践せずに他人に教えるならば、それは例えて言うなら、水に流されている人が岸上の人に向かって「私がお前を救ってやろう」と言うようなもので、そんなことはありえない。十悪を犯す者もまた同じであり、自らが十悪という激流に流されながら、衆生に向かって「私がお前たちを救済しよう」と言うのも、またありえないことである。菩薩はこのように十善戒を完全に修習し、さらに他人にも教える。このように繰り返し実践することを、清らかな戒めの波羅蜜多を修習すると名付けるのである。

時慈氏菩薩摩訶薩復白佛言:「世尊!如是有情,除斷十惡修十善者,當獲何果?」

その時、慈氏菩薩摩訶薩が再び仏に申し上げた。「世尊よ、このように十の悪を断ち、十の善を修める者には、どのような果報が得られるのでしょうか?」

爾時佛薄伽梵讚慈氏菩薩摩訶薩言:「善哉,善哉!善男子!汝今諦聽,善思念之,吾當為汝次第解說。此十善業,一一皆感四種果報。云何為四?一現在安樂,二煩惱怨賊勢力羸劣,三於當來世常得尊貴無所乏少,四精勤修習當得無上正等菩提。離殺四者,一者菩薩摩訶薩於一切眾生不起害心,能施無畏亦不恐怖,以無怖故,一切眾生親近供養尊重讚歎。菩薩於彼生憐愍心,由慈心故,過去所有一切怨恨自然心息。二者瞋恚害心悉皆羸劣,以慈甘露用塗其心,而能蠲除瞋等熱惱,睡眠安隱恒無惡夢。以慈心故,藥叉諸鬼、食血肉者捨離害心,及諸惡獸常相守護。三者於未來世獲三種果:一者壽命長遠常無中夭;二者所生之處常無病苦;三者大富饒財恒得自在。四者以不殺故得佛法分,於五趣中所生之處,於世自在隨意能住,乃至坐於菩提樹下,諸魔鬼神不能為障成等正覺,無量聖眾之所圍遶。慈氏!此即離殺四種果報。

その時、仏世尊は慈氏菩薩摩訶薩を称賛して言われた。「善きかな、善きかな。善男子よ、汝は今、よく聞き、よく思惟せよ。我は汝のために順を追って解説しよう。この十善業は、その一つ一つが四種の果報を感ずる。その四種とは何か。第一に現在の安楽、第二に煩悩という怨敵の勢力が弱まること、第三に来世において常に尊貴であり欠けるところがないこと、第四に精進して修行すれば無上正等菩提を得ることである。

殺生を離れる四つの果報について述べよう。第一に、菩薩摩訶薩は一切の衆生に対して害心を起こさず、無畏を施し、恐怖を与えない。そのため、一切の衆生は親近し、供養し、尊重し、讚歎する。菩薩は彼らに対して憐愍の心を生じ、慈心によって過去の全ての怨みは自然に息む。第二に、瞋恚や害心はすべて弱まり、慈悲の甘露で心を塗れば、瞋りなどの熱悩を取り除き、眠りは安稳で悪夢を見ない。慈心によって、薬叉や諸鬼、血肉を食う者たちも害心を捨て、悪獣でさえ常に守護する。第三に、未来世において三種の果報を得る。一つは寿命が長く中夭がないこと。二つは生まれるところに常に病苦がないこと。三つは大いに富み財があり常に自在であること。第四に、殺さないことによって仏法の分を得る。五趣に生まれるところにおいても世に自在であり、意のままに住むことができ、ついには菩提樹の下に坐れば、諸々の魔鬼神も障害とならず、正等覚を成じ、無量の聖衆に囲まれる。慈氏よ、これが殺生を離れる四種の果報である。」

「復次,離不與取亦四果報。一者於現生中得離貪嫉,身心安樂。二者以離貪嫉,一切眾生之所信向,委寄任用無復疑惑,與諸有情而作伏藏。三者於未來世得大富饒豪貴自在,所有珍財,王、賊、水、火無能侵奪。四者能與殑伽沙等一切諸佛主功德藏,所謂十八不共法等清淨法財,二乘之人耳尚不聞何況得見。慈氏!當知此即名為離偷盜業四種果報。

さらに、盗みを離れることにも四つの果報がある。第一に、現世において貪りの心から離れ、心身ともに安楽を得る。第二に、貪りの心を離れたことにより、すべての衆生から信頼され、物を預けられ任用されても疑われることがなく、生きとし生けるものにとっての隠れた宝蔵となる。第三に、未来世において大いなる富と繁栄、高貴で自在な身分を得、所有する財宝は王も盗賊も水も火も奪うことができない。第四に、ガンジス河の砂の数ほどのすべての仏陀の主たる功徳の宝蔵を得る。すなわち、十八の不共法などの清浄な法財であり、二乗の人々は耳にすることさえなく、ましてや見ることなどできない。慈氏よ、知るがよい。これが盗みを離れる行為の四つの果報である。

「復次,離欲邪行亦四種報。一者於現生中一切人天之所稱讚,亦無疑阻,人所敬重,遠離惡名。二者六根調善,令染欲火勢力微劣。三者於未來世所生之處,父母宗親妻子眷屬,孝友貞順純一無雜,離於女人所有過失,令諸眾生無復愛染。四者為離邪行而得馬王陰藏之相,乃至成就阿耨多羅三藐三菩提。慈氏!當知此即名為離於邪行四種果報。

また、邪淫を離れることにも四つの報いがあります。第一に、現世において一切の人や天に称賛され、妨げられることもなく、人々に敬われ重んじられ、悪い評判から遠ざかります。第二に、六根が調い整い、染欲の火の勢いが弱まります。第三に、未来世に生まれるところでは、父母や一族、妻や子、親族が、孝行で友愛に厚く、貞淑で素直であり、純一で混じり気がなく、女の過失から離れているため、すべての衆生はもはや愛染を抱かなくなります。第四に、邪行を離れることによって馬王の陰蔵の相を得て、さらには阿耨多羅三藐三菩提を成就するに至ります。慈氏よ、これがすなわち邪行を離れることの四つの果報であると知りなさい。

「復次,離虛誑語亦四種報。一者於現在世常行實語,離虛誑語,諸天憐念常共守護。二者既無虛誑,一切眾生信受其語,若說法時人皆諦受,無勞功力自然信行。設復有人自雖虛誑憎誑語人,見實語者心亦歡喜。以自妄語不信他實,若知真實深生敬重。當知實語為大利益,斷妄語者,一切惡業不復造作。何以故?以他問時如實答故。若在閑靜不起妄念。何以故?若人問我:『汝閑居時生妄念不?』若言無者是虛誑語,若言有者羞愧他人。以是因緣,能令妄心漸漸微薄。三者所生之處,口中常出青蓮花香、蘇曼那香,一切有情之所愛敬。自實語者不疑他人有虛誑語,亦令他人信己實語,能令眾生永斷疑網。四者所出言詞人皆信受,能令眾生聞法歡喜,乃至當得無上菩提。慈氏!當知此即離虛誑語四種果報。

また、虚偽の言葉を離れることにも、四つの報いがあります。 第一に、現世において常に真実の言葉を語り、虚偽を語らないので、天人が憐れみ念じて常に守護します。 第二に、虚偽がないので、すべての衆生がその言葉を信じ受け入れます。もし法を説くときには、人々皆がよく受け入れ、努力しなくても自然に信じて行います。たとえ自分は虚偽を好む者でも、偽りを語る人を憎み、真実を語る人を見れば心から喜びます。自分の虚偽の言葉ゆえに他者の真実を信じられなくても、真実を知れば深く敬い重んじます。真実の言葉が大いなる利益をもたらすことを知るべきです。妄語を断つ者は、一切の悪業を再び作りません。なぜなら、他者から問われた時に如実に答えるからです。もし閑静な場所にいても、虚妄の念を起こしません。なぜなら、「あなたは閑居する時に虚妄の念を起こしますか」と問われて、「いいえ」と言えば虚偽の言葉であり、「はい」と言えば他者に恥じ入るからです。このような因縁によって、虚妄の心は徐々に薄くなっていきます。 第三に、生まれるところでは、口から常に青蓮華の香りやスーマナ花の香りを放ち、一切の生きとし生けるものに愛され敬われます。自ら真実を語る者は、他者が虚偽を語ることを疑わず、また他者にも自分の真実の言葉を信じさせ、衆生の疑いの網を永遠に断ち切らせることができます。 第四に、発する言葉を人々皆が信じ受け入れ、衆生が法を聞いて喜ぶことができ、ついには無上菩提を得るに至ります。 慈氏よ、知るがよい。これが虚偽の言葉を離れることの四つの果報である。

「復次,不離間語亦四種報。一者現在世中能令自他和合無諍所在安樂。二者以和合故眾人愛敬,過去所有離間語罪悉得銷滅,於三惡趣心無憂懼。三者於未來世得五種果:一者能獲金剛不壞之身,世間刀杖無能損壞;二者於所生處得善眷屬,無諸乖諍,不相捨離;三者於所生處設不遭遇善友知識為說法者,自然覺悟無二法門,於佛法僧深生信向,無有退轉;四者令諸有情一心一事歡喜相向,速能證得慈三摩地;五者而能勸發一切有情修習大乘令不退轉。四者遠離間語,常和合語,得善眷屬隨順調伏,乃至涅槃不相捨離。慈氏!當知此即名為離兩舌語四種果報。

また、仲を裂く言葉を離れることにも、四つの報いがあります。第一に、現世において、自分と他人を和合させ、争いなく安楽に過ごせることです。第二に、和合するゆえに人々から愛され敬われ、過去に犯した仲を裂く言葉の罪はすべて消え去り、三つの悪道に対して心に憂いや恐れがなくなることです。第三に、未来世において五つの果報を得ます。一つには、金剛のように壊れない身を得て、世間の刀や杖でも損なうことができません。二つには、生まれるところで善き眷属を得て、諍いもなく、互いに捨て離れることがありません。三つには、生まれるところで、たとえ善き友人や知識に出会わず、法を説く者がいなくとも、自然に不二の法門を悟り、仏・法・僧に対して深く信仰し、退転することがありません。四つには、一切の有情を一心に喜びをもって向かい合わせ、速やかに慈三摩地を証得できます。五つには、一切の有情を勧発して大乗を習修させ、退転しないように導けます。第四に、仲を裂く言葉を離れ、常に和合の言葉を用いれば、善き眷属を得て、従順に調伏され、涅槃に至るまで互いに捨て離れることがありません。慈氏よ、これが両舌を離れる言葉の四つの果報であると知るべきです。

「復次,離麁惡語亦四種報。一者現在世中離麤染垢心常清淨。若於塵境妄起貪欲,瞋恚風塵集諸藏識。菩薩摩訶薩興大悲雲、降慈心雨,滅妄貪欲、止恚風塵令得清淨。二者軟語之人一切愛樂讚歎隨順,令麤惡者漸令調伏,六根清淨三業無染。三者以清淨故,於當來世所生之處,永離三塗常生善處。四者漸次能得無上菩提具梵音聲,說法之時隨其類音各解其義,而生念言:『今薄伽梵為我說法、不為餘人,所說妙法皆契我心,除我身心煩惱習氣。』慈氏!當知此即名為離麤惡語四種果報。

さらに、粗悪な言葉を離れることにも、四つの報いがあります。 第一に、現世において粗雑な汚れから離れ、心は常に清らかです。もし対象に対して誤って欲望を起こし、怒りの風塵が諸々の阿頼耶識に積もることがあっても、菩薩摩訶薩は大悲の雲を起こし、慈心の雨を降らせて、虚妄な貪欲を滅し、怒りの風塵を止めて清らかにさせます。 第二に、柔和な言葉を用いる人は、すべての者に愛され喜ばれ、称賛され従われます。これにより、粗悪な者も徐々に調伏され、六根は清らかに、三業は汚れなくなります。 第三に、清らかであるがゆえに、来世に生まれる場所では、永遠に三悪道を離れ、常に善い所に生まれます。 第四に、徐々に無上菩提を得て、梵音の声をそなえ、説法のときには、それぞれの衆生の種類の音に従って、その意味を理解させます。そして、こう思うのです。「今、尊き方が私のために説法しており、他の人のためではない。説かれた妙法はすべて私の心にかなっており、私の身心の煩悩や習気を取り除いてくださる」と。 慈氏よ、知るべきです。これが粗悪な言葉を離れることの四つの果報なのです。

「復次,離無義語亦四種報。一者現在世中智人讚歎,心無卒暴而得安樂。二者所出言教人皆信受,麁惡微薄。三者於未來世所生之處,恒聞種種如意音聲。四者漸次能得無上菩提獲無礙辯,設彼三千大千世界,所有一切天、龍、人非人等來詣佛所,同於一時各各別問自所疑事。時薄伽梵於一剎那以一言音悉能詶對,皆契本心斷除疑網。慈氏!當知此即名為離無義語四種果報。

さらに、無意味な言葉を離れることにも四つの報いがあります。 第一に、現世において賢者たちから讚嘆され、心に乱暴さがなくなり安楽を得られます。 第二に、発した言葉や教えを人々が皆、信じて受け入れ、粗悪さが薄れます。 第三に、未来世に生まれる場所で、常に様々な思い通りの音声を聞くことができます。 第四に、徐々に無上の菩提(悟り)を得て、自在な弁才を獲得します。仮に三千大千世界の、あらゆる天、龍、人間、さらには人間でない者たちが仏のもとに集まり、同時にそれぞれが各自の疑問を尋ねたとしても、その時、世尊(仏)は一瞬の間に一言の声で全てに応答し、それぞれの心に完全にかなって疑問の網を断ち切ることができます。 慈氏(弥勒菩薩)よ、知っておきなさい。これを無意味な言葉を離れることによる四つの果報と言うのです。

「復次,離貪嫉者亦四種報。一者現在世中見他富貴不生貪嫉,作是思惟:『彼人富貴皆宿福生,以我貪嫉豈能侵奪。以是因緣,應永斷除慳貪嫉妬,若不除斷常受貧窮無復威力。』以是義故,菩薩觀之除其貪嫉,於他富貴生隨喜心,不捨毫釐獲大功德。二者一切愛敬,身心安樂無復憂惱威德自在,能淨心中貪欲雲翳,猶如夜月眾星圍遶,貪嫉之心由斯微薄。三者所生之處常得端嚴,六根圓滿財寶豐足,眾人愛敬常行惠施,無礙辯才處眾無畏。四者乃至證得無上菩提,眾聖圍繞功德最上,一切眾生同受教命。慈氏!當知此即名為離貪嫉者四種果報。

また、嫉妬や貪りを離れた者には、次の四つの報いがある。

第一に、現世において他人の富貴を見ても貪り嫉妬せず、こう思う。『あの人の富貴はすべて過去の福によって生まれたものであり、私が貪り嫉妬したところでどうして奪い取ることができようか。この道理によって、貪りや嫉妬を永遠に断ち切るべきである。もし断ち切らなければ、常に貧しさを受け、力を持つこともない。』このような意味から、菩薩はこれを観察して貪り嫉妬を除き、他人の富貴に対して喜びの心を起こし、わずかな努力もせずに大きな功徳を得る。

第二に、すべての者から愛され敬われ、心身は安らかで楽しく、もはや憂い悩みはなく、威厳と自在の力を得る。心の中にある貪欲の雲を清め、それはちょうど夜の月が多くの星々に囲まれているかのようであり、貪り嫉妬の心はこれによって薄くなる。

第三に、生まれるところでは常に端正で荘厳であり、六根は円満で、財宝は豊かに満ち、人々から愛され敬われ、常に施しを行い、障りのない弁才を持ち、大勢の中にあっても恐れない。

第四に、ついには無上の悟りを証得し、聖者たちに囲まれて功徳は最も優れ、すべての衆生が等しくその教えを受ける。

慈氏よ、知るがよい。これこそが、貪り嫉妬を離れた者の四つの果報である。

「復次,離瞋恚者亦四種報。一者於現在世六根聰利,儀容可觀人所親附。瞋恚之人猶如枯樹,心中火然,所有枝葉悉皆乾盡。眾生亦爾,被瞋恚火熏習五根,儀相枯槁人所惡見。二者心無瞋恚,一切惱害打罵訶責盡皆不起。譬如有人持迦嚕羅呪,一切諸毒無能害之。以無恚怒增長慈心,以慈真言,令三十六俱胝天魔鬼神悉皆摧伏,奉慈真言無所損害。三者於未來世,以慈心梯上生梵天一劫安樂,令諸眾生斷惡修善。四者漸次能得無上菩提,具足莊嚴三十二相,八十種好熾然炳著,無量功德蘊集其身。慈氏!當知此即名為離瞋恚人四種果報。

さらに、怒りを捨てた者には四種の果報があります。 第一に、現世において六根が明瞭で鋭く、容姿は見るに堪え、人々は自然と親しみ寄ります。怒りに満ちた者は枯れた木のようで、心に火が燃え、枝葉はすべて乾き尽くしています。生きとし生けるものも同じく、怒りの火に五根が焼かれ、姿かたちは枯れ果て、人々に見苦しまれます。

第二に、心に怒りがなければ、あらゆる悩みや害、打つ・罵る・責めるといった行為は全く起こりません。例えば、迦嚢羅の呪文を持つ者は、いかなる毒も害することができないように、怒りがなく慈しみの心が増すことで、その慈しみの真言により、三十六俱胝の天・魔・鬼・神がことごとく降伏され、その真言を奉じる者を損なうことはありません。

第三に、未来世において、慈しみの心という梯子によって梵天に生まれ、一劫の間安楽に過ごし、すべての生きとし生けるものに悪を断ち善を修めさせます。

第四に、徐々に無上の悟り(菩提)に達することができ、三十二相・八十種好が燦然と輝き、無量の功徳がその身に積み重ねられます。

慈氏(弥勒)よ、知るがよい。これが怒りを離れた者の四種の果報である。

「復次,離邪見者亦四種報。一者若離邪見修行正見,於現世中離惡知識,親近善友聞法信受,未生不善令永不生,已生不善令盡除斷,未生善法修習令生,已生善法修令增長。此正見者,一切善法之根本也。二者能閉不善行門,於大眾中名稱普聞心無疑悔。三者於未來世,所生之處遇善知識、得善伴侶,順於正見,歸佛法僧更無異向。於菩薩行無退轉心,除滅罪愆增長福聚,有漏無漏、生死涅槃、過患利益能善分別,了達諸法無我我所,無有執著住法性空,正見力能究竟清淨。四者所有三乘勝妙功德人不能測,正見之力皆悉圓滿,能為眾生作歸依處,度脫有情出生死苦,悉皆安置無上大乘,乃至處於法王之位。慈氏!當知此即名為離邪見人四種果報。

さらに、邪見を離れる者には、四つの報いがある。

一つ目に、邪見を離れて正見を修行する者は、現世において悪知識から離れ、善き友に親しんで法を聞き信受し、まだ生じていない不善を永遠に生じさせず、すでに生じた不善は断ち尽くし、まだ生じていない善法を修行して生じさせ、すでに生じた善法は修行して増長させる。この正見こそ、すべての善法の根本である。

二つ目に、不善の行いの門を閉ざすことができ、大衆の中で名声が広く知られ、心に疑いや後悔がない。

三つ目に、未来世において生まれる場所で、善知識に出会い、善き伴侶を得て、正見に従い、仏・法・僧に帰依し、他に心を向けることがない。菩薩の行に対して退転する心がなく、罪過を滅し福徳を増し、有漏・無漏、生死・涅槃、過患・利益をよく分別し、諸法に我も我所もないことを了達し、執着なく法性の空に安住し、正見の力によって究竟清浄を得る。

四つ目に、三乗の勝妙な功徳は人が測ること能わず、正見の力によってすべてが円満となり、衆生の帰依処となることができ、有情を救い度して生死の苦しみから出離させ、皆を無上の大乗に安置し、ついには法王の位に至らせる。

慈氏よ、知るがよい。これがすなわち、邪見を離れた者の四種の果報である。

「復次,菩薩摩訶薩非唯護持十善淨戒功德無盡,乃至受持微細禁戒,清淨功德亦無有盡。何以故?凡夫眾生受持禁戒,取相果報一切有盡:外道諸仙所有禁戒,失通亦盡;人間十善,捨十善時戒亦隨失;欲界諸天壽盡戒失,色界諸天四靜慮中,無色界天三摩鉢底,捨生失定戒亦隨盡;二乘無學入涅槃時戒亦隨盡。若菩薩摩訶薩所受禁戒六十五種,隨一一戒究竟清淨功德無盡。云何名為六十五種?謂:不害眾生;不行偷盜;不侵他妻;不誑惑他;不兩舌語;忍麁惡言;不作綺語;不生貪嫉,見他安樂生歡喜心;不起瞋恚,惡言罵辱悉能忍受;不起邪見,尊重如來,不師外道。復次,歸信佛戒,心無疑濁故;歸信法戒,離欲真實故;歸信僧戒,和合最勝故。尊重父戒,生我身故;尊重母戒,養育我故;尊重和尚戒;生我法身故;尊重阿闍梨戒,教我軌則故;尊重大弟子戒,成我法身故。一心戒,輕重無差故;無破戒,於重不犯故;不缺戒,於輕不毀故。不習三乘戒,不求聲聞果故;不習二乘戒,不求獨覺果故。離惡生處戒,不生邪見外道家故;增長白法戒,以淨戒力隨願生故;富貴相戒,智者不嫌故;端嚴戒,其心不亂故;無毀呰戒,於一切處不被譏訶故。善護五根戒,勤不放逸故;名稱戒,善解諸法故;少欲戒,無所希求故;端直戒,眾善隨心故;如說修行戒,不違教命故。大慈戒,救度一切眾生故;大悲戒,拔一切眾生苦故;大喜戒;慶彼得樂故;大捨戒,離憎愛故。知己過戒,省察自心故;不見他過戒,護彼意故。布施戒,救貧乏故;攝持戒,攝一切善法故;忍辱戒,不害眾生故;精進戒,勇猛不退故;禪定戒,定支增長故;智慧戒,聞法無厭故。多聞戒,求法無倦故;近善知識戒,修集覺分故;離惡知識戒,避險惡道故。不惜身分戒,剎那無常故;不惜壽命戒,如救頭然故;不追悔戒,性本清淨故;不虛假戒,無變動故;無熱惱戒,內外清涼故;無人我戒,心謙下故;不掉舉戒;性安靜故;不諂曲戒,常質直故。知眾生心戒,善識物機故;調伏心戒;不濁亂故;寂靜戒,離諠雜故;右遶戒;順理行故。救拔眾生戒,行四攝法故;護正法戒;守護法財故;圓滿諸願戒,弘誓清淨故;如來戒,隨順如相故;佛三昧戒,圓滿一切佛法故。慈氏!當知此即菩薩摩訶薩六十五種清淨戒身。」

「また、菩薩摩いさつは、十善という清らかな戒めを守り続けるだけでも、その功徳は尽きることがありません。ましてや、細かな戒めをも守り、清らかな行いの功徳に至っては、さらに尽きることがないのです。なぜなら、日常を生きる凡夫が戒めを守っても、目に見える結果や報いを求めるため、その功徳には限りがあるからです。外道の修行者たちが守る戒めも、神通力を失えば消え去ります。人の世界での十の善行も、それを捨てれば戒めも失われます。欲界の天人が寿命を終えれば戒めは消え、色界の天人が四つの禅定に生きても、無色界の天人が三つの境地にあっても、その身を捨て定を失えば、戒めも共に尽きてしまいます。声聞や独覚の修行者が悟りを得て涅槃に入る時も、戒めは共に尽きるのです。

しかし、菩薩摩いさつが受ける戒めには六十五種あり、その一つ一つが究極まで清らかであり、その功徳は尽きることがありません。では、その六十五種とは何でしょうか。

生き物を害さないこと。盗みを働かないこと。他人の妻を奪わないこと。偽りで人を惑わさないこと。両舌で仲違いさせないこと。荒々しい言葉を忍ぶこと。飾った言葉を弄しないこと。貪りの嫉妬を起こさず、他人の安らぎを見て喜びの心を生じること。怒りの心を起こさず、悪口や罵倒にも耐え忍ぶこと。間違った見解を持たず、如来を敬い、外道を師としないこと。

また、仏を信じる戒め。心に疑いの曇りがないから。法を信じる戒め。欲望を離れ、真実に至るから。僧を信じる戒め。和合して最も優れているから。父を敬う戒め。この身を生んでくれたから。母を敬う戒め。私を養い育ててくれたから。和尚を敬う戒め。私に法の身を生んでくれたから。阿闍梨を敬う戒め。私に道の手本を教えてくれたから。大弟子を敬う戒め。私の法の身を完成させてくれたから。

一心の戒め。重い戒めと軽い戒めに差別がないから。破らない戒め。重い戒めを犯さないから。欠けない戒め。軽い戒めも破らないから。三乗を習わない戒め。声聞の果を求めないから。二乗を習わない戒め。独覚の果を求めないから。悪い生まれの場所を離れる戒め。外道の家などの邪見に生まれないから。白い法を増やす戒め。清らかな戒めの力で願いに従って生まれるから。富貴の相を備える戒め。智者に嫌われないから。端厳な戒め。心が乱れないから。非難されない戒め。どこでも嘲られたり咎められたりしないから。

五つの感覚器官をよく守る戒め。怠らずに努めるから。名声を得る戒め。諸法をよく理解するから。少欲の戒め。求めるものがないから。まっすぐな戒め。あらゆる善が心に従うから。説かれた通りに修行する戒め。教えの命令に背かないから。大いなる慈しみの戒め。全ての命を救い導くから。大いなる悲しみの戒め。全ての命の苦しみを取り除くから。大いなる喜びの戒め。彼らの楽しみを祝うから。大いなる捨ての戒め。好き嫌いを離れるから。

自分の過ちを知る戒め。自らの心をよく見つめるから。他人の過ちを見ない戒め。彼らの心を思いやるから。施しの戒め。貧しさや乏しさを救うから。保ち支える戒め。あらゆる善い行いを保つから。耐え忍ぶ戒め。生き物を害さないから。励む戒め。勇ましく退かないから。静かな思索の戒め。定めの要素を増やすから。智慧の戒め。法を聞くことに飽きないから。

多くを聞く戒め。法を求めて倦まないから。善き知識に近づく戒め。悟りの要素を修め集めるから。悪しき知識を離れる戒め。悪い道を避けるから。身分を惜しまない戒め。一瞬のうちに無常だから。寿命を惜しまない戒め。まるで燃える頭を救うように努めるから。後悔しない戒め。本性がすでに清らかだから。偽りのない戒め。変わり動くことがないから。熱悩のない戒め。内外ともに清らかで涼しいから。我と人の執着がない戒め。心が謙虚で下ることから。浮つかない戒め。本性が静かであるから。へつらい曲がらない戒め。常に正直であるから。

衆生の心を知る戒め。物の機微をよく見分けるから。心を調え伏する戒め。濁り乱れないから。静かな戒め。騒がしさから離れるから。右に回る戒め。道理に従って行うから。衆生を救い引き上げる戒め。四つの摂法を行うから。正しい法を守る戒め。法の財を守り保つから。全ての願いを満たす戒め。広大な誓いが清らかだから。如来の戒め。如の相に従うから。仏の三昧の戒め。あらゆる仏法を満たすから。

慈氏よ、知るがよい。これこそが菩薩摩いさつの六十五種の清らかな戒めの集まりなのである。」

佛告慈氏:「若諸菩薩持一一戒,能得如是無量功德,乃至捨所愛命不得缺犯佛之禁戒。應持此戒如護眼睛,守慎此戒如護賢瓶,不以五欲利斧而斬壞故。護微小戒如五逆罪,輕重等護心若金剛。不得起於貢高我慢,雖持此戒清淨如是,比於無始所造惡業如大千界所有微塵,此持戒善比彼惡業如一微塵。既知如是,云何持戒而生我慢?

仏が慈氏に告げられた。「もし諸々の菩薩が、一つ一つの戒めを守れば、このような無量の功徳を得ることができる。たとえ命を捧げることになろうとも、仏の禁戒を欠いて破ってはならない。この戒めを、あたかも目を守るかのように保ち、この戒めを、あたかも宝の瓶を守るかのように慎み深く守り、五欲の利斧で断ち切って壊してはならない。微細な戒めも、五逆の罪のように重んじて守り、軽重を問わず等しく護り、心を金剛のようにせよ。高ぶりや我慢の心を起こしてはならない。たとえこの戒めを清らかに保つことができても、無始以来造ってきた悪業は大千世界のすべての微塵のように多い。この戒を守る善は、その悪業に比べれば、わずか一つの微塵に過ぎない。この道理を知りながら、どうして戒を守ることに我慢を生じることができようか」

「復次,慈氏!菩薩見諸眾生毀破禁戒不生輕慢,而於自身更增持護,復作是念:『我昔誓願,令諸眾生堅住淨戒。雖諸眾生難可化度,我當勤加精進,以淨戒船度破戒者,出生死海到涅槃岸。』

また、慈氏よ。菩薩は、戒律を破る者たちを見ても軽蔑せず、かえって自らの戒めをより堅固に守る。そしてこう思うのだ。 「私はかつて、すべての生きとし生けるものを清らかな戒めに安住させる誓いを立てた。たとえ彼らを教化するのが困難であっても、私は精進を重ね、清らかな戒めという船によって、戒めを破った者たちを生死の海から救い出し、涅槃の岸へと導こう。」と。

「復次,慈氏!若諸眾生有此身者,須四種物。云何為四?一者飲食,二者衣服,三者房舍,四者醫藥。菩薩摩訶薩於此四事,如法營求不以非法,不自矜高多求無厭,應當少欲知足支身。譬如有人身患瘡苦,求善良醫,以藥塗附用衣裹之,處深密室臥軟敷具,但為治瘡非愛身故。菩薩如是,以八苦身,雖求良藥塗以飲食、假以衣服處於房舍,不樂此身色力壽命,為修勝法安樂眾生,除斷生死煩惱癰瘡。菩薩如是處大眾中,常省己過不毀他人,遠離名譽。若有讚歎之者,皆自思之:『如是名聞我皆無分,我今自測多諸𠎝犯,功德法中我無少分,眾生妄見言我有之。』菩薩以大悲心而為依止,以淨戒波羅蜜多而為伴侶。

「また、慈氏よ。もし衆生にこの身があるならば、四つのものを必要とする。何が四つか。第一に飲食、第二に衣服、第三に住まい、第四に医薬である。菩薩摩訶薩はこれらの四つの事柄を、正しい方法で求めて行い、非法によっては行わない。自ら高ぶって多くを求め過ぎて飽くことを知らず、むしろ少欲知足で身を支えるべきである。たとえば、ある人が身体に癰(はれもの)の苦しみを患い、優れた医者を求めて薬を塗り、布で包み、深く静かな部屋に横たわり柔らかな寝具を用いるのも、ただ癒ゆるためのみであって、身体を愛するためではない。菩薩もまた、この八苦の身をもって、良薬を求め飲食を施し、衣服を借りて住まいに居るとはいえ、この身の色や力や寿命を喜ぶのではなく、勝れた法を修め衆生を安楽にするためであり、生死の煩悩という癰を断ち除くためである。菩薩はこのように大衆の中にあって、常に自らの過ちを省み、他人を謗らず、名誉を遠ざける。もし褒め称える者がいても、皆自ら考えて言うべきである。『このような名声は、私には全く分け前がない。今、自らを省みるに、多くの過ちがある。功徳の法の中には、私には少しの分け前もないのに、衆生は誤って私にそれがあると言うのだ。』菩薩は大悲心を拠り所とし、清らかな戒の波羅蜜多を伴侶とする。

「復次,慈氏!有是淨戒非波羅蜜多,取相持戒不為最勝之所攝受,但名淨戒非波羅蜜多。何以故?但獲三界有漏果報,壽盡無故。若普為一切眾生護持禁戒,觀第一義空無我人相,而為有情護持禁戒,是則名為淨戒波羅蜜多,能令眾生速得無上正等菩提。又此淨戒波羅蜜多,與諸有情而為示導,復與一切無信有情生淨信故,能與有情作伏藏故,復與一切有情作無價寶珠瓔珞嚴身故,復與一切有情作上妙塗香故,復與一切有情作大名聞故。又此淨戒波羅蜜多,能與在家出家一切有情,若老若少平等端嚴故。不起我慢、增上慢,離諸過患,威儀清淨無諸怖畏,能得阿耨多羅三藐三菩提最勝法王。云何能知戒為第一?若有眾生能持淨戒,雖處卑賤而非族姓豪貴尊嚴,亦非自力能益他人,以是淨戒波羅蜜多,能令一切天、龍、藥叉、人非人等,國王、大臣、剎帝利、婆羅門、長者、居士,悉皆歸敬禮拜供養尊重讚歎。廝下之人受持佛戒,尚得如是恭敬尊重,況餘尊貴之人護持禁戒,成就圓滿淨戒波羅蜜多。當知護淨戒者,行住坐臥及經行處,其地吉祥,一切人天應取其土頂戴供養。以是當知,持淨戒者於諸眾中而為第一最高最上。是則名為淨戒波羅蜜多究竟圓滿。」

また、慈氏よ、これには「清らかな戒」があるが、「波羅蜜多」ではない。相に執着して戒を保つことは、最上の教えに導かれるものではなく、単に「清らかな戒」と名づけられても、「波羅蜜多」とは言わない。なぜか。それは、ただ三界における煩悩の報いを得るだけで、寿命が尽きれば無くなってしまうからである。もし、すべての衆生のために戒律を守り、第一義の空を観じて我や人の相がないと悟り、その上で生きとし生けるもののために戒を護るならば、これを「清らかな戒の波羅蜜多」と名づける。これによって、衆生は速やかに無上なる正しい悟りを得ることができる。また、この清らかな戒の波羅蜜多は、生きとし生けるものにとっての道しるべとなり、さらに、すべての信じる心のない者にも清らかな信を生じさせ、すべての者にとっての宝の蔵となり、すべての者にとっての無価の宝珠や瓔珞となり、身を飾るものとなり、すべての者にとっての最上の塗香となり、すべての者にとっての大きな名声となるのである。また、この清らかな戒の波羅蜜多は、在家や出家のすべての生きとし生けるもの、老いも若きも、平等にして端厳ならしめる。そして、我慢や増上慢を起こさず、あらゆる過ちや悩みを離れ、行いが清らかで何ものをも恐れず、無上なる正しい悟り、すなわち最勝の法王を得ることができる。

どのようにして、戒が第一であると知るべきか。もし、ある者が清らかな戒を保つならば、たとえ身分が低く貴い家柄でなく、豪族としての尊厳がなく、また自力で他を助ける力がなくとも、この清らかな戒の波羅蜜多の力によって、天、竜、薬叉、人々や人ならざる者、国王、大臣、刹帝利、バラモン、長者、居士など、すべての者がその人を敬い、礼拝し、供養し、尊び、讃嘆するのである。召使いのような身分の者が仏の戒を受けて保つことにより、すでにこのような尊敬と尊重を得られるのである。ましてや、もともと尊い身分の者が戒律を守り、清らかな戒の波羅蜜多を成就し円満にするならば、なおさらである。清らかな戒を保つ者は、歩くとき、立つとき、座るとき、横たわるとき、また歩行の道においても、その地は吉祥に満ち、すべての人や天人は、その地の土を頂戴し供養するべきであると知るがよい。このようにして、清らかな戒を保つ者は、あらゆる集まりの中で第一であり、最も高く、最も優れているのである。これを、清らかな戒の波羅蜜多の究極の完成と名づける。

大乘理趣六波羅蜜多經卷第五

大乗理趣六波羅蜜多経 巻第五


5 布施波羅蜜多品
7 安忍波羅蜜多品

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