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title: "正法念處經 · 3"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
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## 正法念處經卷第二十七

> 正法念処経 第二十七巻

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品第六之六三十三天之三

> 観天品第六の六<note>三十三天の三</note>

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：第七地名曰雜殿。眾生何業生於彼處？若有眾生見故塔寺，或惡國王、邪見大臣斷僧田業；如是眾生不畏王禁，施僧田物，向此惡王說佛功德，善言嘆佛。是人命終生雜殿處。生此天已，五樂音聲歌舞戲笑受種種樂。復有異業生於此天：不殺、不盜，於屠兒所，以財贖命；自不作惡，不教他人；若有造惡，心不隨喜。云何不盜？自為國主或為大臣，不枉稅奪，亦教他人令其住戒。以此二業，生雜殿處。其林縱廣三千由旬，種種宮殿天子遊戲，故名雜殿。諸天子等，一一宮殿莊嚴奇妙，金色蓮華香氣第一，毘琉璃蜂出妙音聲。其蓮華林一切雜生，一一華池種種蓮華，或有華池赤寶蓮華、雜琉璃華。或有華池生諸蓮華，金華琉璃二華雜生。一一蓮華各有百葉，或有金葉或赤寶葉。復有雜華毘琉璃葉，金色眾蜂遊戲其中。復有華池生諸蓮華，赤寶眾蜂以為莊嚴。復有華池生諸蓮華，毘琉璃莖，真金為華。或有華池生諸蓮華，真金為莖，白銀為華。或有華池生諸蓮華，車𤦲為莖，白銀為華。復有華池生諸蓮華，摩羅伽多為莖，閻浮檀金為華。種種色蜂出妙音聲滿蓮華間。譬如閻浮提中香樹之華，眾蜂滿中，雜殿華池亦復如是。譬如畫師、若畫師弟子於閻浮提所曾聞事，以眾雜彩畫種種像，其雜殿林亦復如是。復有雜色種種眾鳥，頭足雜色，其身胸腹亦復如是。或有眾鳥金臆銀翅，赤寶為背，目如赤寶。或有眾鳥白銀為臆，真金為翅，青毘琉璃以為兩目，赤寶瞳華、雜寶為背，以七寶色種種眾鳥以為莊嚴。雜殿林中復有山峯，青寶珠玉、車𤦲毘琉璃寶、赤寶真金，光明普照遍滿林中，互相間錯旋流宛轉滿此林中，莊嚴奇特，甚可愛樂。雜殿林中，復有雜蔓互相交錯，毘琉璃莖，赤寶為鬚以為纏蔓，果實莊嚴；白銀為莖，青寶為鬚光明圍遶。車𤦲為枝，真金纏遶；赤寶為枝，白銀纏絡。如是二色互相纏裹。是雜殿林，復有三色莊嚴樹枝以為幃帳，毘琉璃枝，真金赤寶以為纏遶；如是赤寶為枝，金銀為纏；白銀為枝，車𤦲赤寶以為纏遶。是一一枝、一一枝纏絡雜殿林中。復有雜華，真金為枝，一毘琉璃華；若以銀枝，因陀色華；若金枝，赤寶為華；車𤦲為枝，毘琉璃華。生眾色果亦復如是。雜心所起，作諸雜業，雜因集故，得種種報。以業因緣於雜殿林受雜果報，因果相似，如種種子，得相似果。如其業力，隨其所作，隨其時節，隨心雜生。如是作業，得如是報，如印印物。天中樂果非無因生，地獄苦報亦復如是，非是我作、他人受報。

> さらに、比丘よ、業の報いを知り、三十三天の住むところを観察せよ。彼は聞慧によって見る。第七の地は「雑殿」と名づけられる。いかなる衆生が、どのような業によってその处に生まれるのか。 もし、古い塔寺を見て、あるいは悪王や邪見の大臣が僧の田業を断つようなことがあっても、そのような衆生は王の禁令を恐れず、僧の田の物を施し、この悪王に向かって仏の功徳を説き、善い言葉で仏を讃える。この人は命終して雑殿に生まれる。この天に生まれてからは、五楽の音声、歌舞、笑い戯れ、種々の楽を受ける。 また、異なる業によってこの天に生まれる者もある。それは、殺さず、盗まず、屠殺者のところで財をもって命を贖い、自ら悪を作さず、他人にも教えず、もし悪を造る者があっても心から喜ばないことである。どのように盗まないのか。自ら国王となり、あるいは大臣となって、不正に税を取り立てず、また他人をも教えて戒に住まわせる。この二つの業によって、雑殿に生まれる。 その林は縦広三千由旬、種々の宮殿があり、天子たちが遊戯する。ゆえに雑殿と名づける。諸々の天子たちは、それぞれの宮殿が荘厳で奇妙であり、金色の蓮華は香気第一であり、毘瑠璃の蜂が妙なる音声を出す。その蓮華林はすべて雑多に生えている。それぞれの華池には種々の蓮華があり、ある華池には赤宝の蓮華、雑瑠璃の華がある。ある華池には金華と瑠璃の二種の華が雑え生えている。それぞれの蓮華には百の葉があり、あるいは金の葉、あるいは赤宝の葉がある。また、雑華と毘瑠璃の葉があり、金色の多くの蜂がその中で遊戯している。また、華池には赤宝の多くの蜂を荘厳とする蓮華が生えている。また、華池には毘瑠璃の茎、真金の華の蓮華が生えている。ある華池には真金の茎、白銀の華の蓮華が生えている。また、華池には車磲の茎、白銀の華の蓮華が生えている。また、華池には摩羅伽多の茎、閻浮檀金の華の蓮華が生えている。種々の色の蜂が妙なる音声を出し、蓮華の間に満ちている。たとえば閻浮提の香樹の華に多くの蜂が満ちているのと同様に、雑殿の華池もまたそのようである。たとえば画師あるいは画師の弟子が、閻浮提でかつて聞いたことをもとに、多くの雑彩で種々の像を描くように、雑殿の林もまたそのようである。 また、雑色の種々の鳥がいる。頭や足は雑色であり、その身、胸、腹もまたそのようである。ある鳥は金の胸、銀の翅、赤宝の背、目は赤宝のようである。ある鳥は白銀の胸、真金の翅、青毘瑠璃の両目、赤宝の瞳、雑宝の背を持ち、七宝の色の種々の鳥が荘厳となっている。 雑殿の林の中にはまた山峰があり、青宝の珠玉、車磲、毘瑠璃宝、赤宝、真金が光明を放ち、林の中に普く満ち、互いに入り交じり、旋回流転してこの林に満ちている。荘厳は奇特であり、非常に愛楽すべきものである。 雑殿の林の中には、また雑蔓が互いに入り交じっている。毘瑠璃の茎、赤宝の鬚をもって蔓とし、果実が荘厳となっている。白銀の茎、青宝の鬚は光明に囲まれている。車磲の枝には真金が纏わり、赤宝の枝には白銀が絡まる。このように二色が互いに纏わり合っている。 この雑殿の林には、また三色の荘厳な樹の枝があり、これを帷幄とする。毘瑠璃の枝には真金と赤宝が纏わり、赤宝の枝には金と銀が纏わり、白銀の枝には車磲と赤宝が纏わる。これらの一つ一つの枝、一つ一つの枝が絡まり合い、雑殿の林の中にある。 また、雑華がある。真金の枝に一の毘瑠璃の華。銀の枝には因陀色の華。金の枝には赤宝の華。車磲の枝には毘瑠璃の華。様々な色の果実を生じるのもまた同様である。 雑なる心によって起こされ、諸々の雑なる業を作る。雑なる因が集まる故に、種々の報いを得る。業の因縁により、雑殿の林において雑なる果報を受ける。因果は相似であり、種々の種子を蒔けば、相似の果実を得るのと同じである。その業の力の如く、その所作に随い、その時節に随い、心に随って雑多に生じる。このように業を作れば、このような報いを得る。それは印が物を押すようなものである。天の中の楽果は因なくして生じるのではない。地獄の苦報もまたそのようであり、我が作りて他人が報いを受けるというのではない。

「復次，比丘知業果報，觀雜殿林。云何眾生造業生於三十三天？若諸世間有諸眾生行於非法，不孝父母，不敬沙門、婆羅門及諸長宿，不近善友，不信業果，行於邪見。如是之時，魔王歡喜。行非法時，於此世間有四天眾。何等為四？一名鬪諍魔使；二名荒亂魔使，為法行人而作亂心，令聽法者惛濁睡眠；三名貪癡魔使，令諸施主心生貪惜，作如是念：『若我以物施諸福田沙門、婆羅門，我之妻子當如之何，衣食自濟？』四名離正念魔使，令出家人離於正念，是為初惡。若人入於城邑市肆，見諸女人酒肆鬪諍，互相撾打，夢行破戒，是名四種魔使。若閻浮提人行於非法，作此惡時，四種魔使心生歡喜，白魔王言：『損減正法，增長魔軍，甚可慶悅。』魔王聞之，問使者言：『云何世間增長我法，減損正法？』時魔使者白魔王言：『閻浮提人行於非法，不孝父母，不敬師長、沙門、婆羅門。聽正法者我令惛睡；令出家者還入凡俗，捨離法服；或出家人、或有持戒、或梵行人，於其夢中作婦女身，令其心亂；令諸施主貪惜財物，慳貪覆心，戀著妻子；令出家者習學種種販賣鬪諍，互相撾打。我作如是種種方便，令魔增長，正法損減。』時魔聞之，即遣使者，告羅睺、勇健、毘摩質多羅阿修羅、鉢摩梯惱亂惡龍：『汝等今日應生歡喜，佛之正法今已損減，魔軍增長。』如是魔使即詣水底，至毘摩質多阿修羅所，廣說上事時，阿修羅聞之歡喜，即告惱亂惡龍王等。富樂城中惡龍聞之，生大歡喜，為世間人而作惱亂，如上所說。

> また、比丘よ、業の報いを知り、雑殿林を観察せよ。どのような衆生が業を造り三十三天に生まれるのか。 世の中に、法に背き、父母に孝行せず、沙門や婆羅門、長老たちを敬わず、善き友に近づかず、因果の道理を信じず、邪見に陥る人々がいる時、魔王は喜ぶ。このような非法が行われる時、世には四種の魔の使いが現れる。四種とは何か。第一は争いを起こす魔の使い。第二は心を乱す魔の使いで、正しい教えを聴く者の心を惑わし、眠りに陥らせる。第三は貪りと愚かさをもたらす魔の使いで、施し主に惜しみの心を起こさせ、「もし福田である沙門や婆羅門に施しをすれば、妻子はどうやって衣食をまかなうのか」と思わせる。第四は正念を失わせる魔の使いで、出家者を正しい心から遠ざける。これが最初の悪である。 人が町や市場に入り、女たちの酒場での争い、互いに打ち合う姿、夢の中で戒を破る行為を見ることも、これら四種の魔の使いの働きである。 閻浮提の人々が法に背き、これらの悪を行う時、四種の魔の使いは喜び、魔王に告げる。「正しい教えは衰退し、魔の軍勢は増えています。まことに喜ばしいことです。」魔王はこれを聞き、使いに問う。「どのようにして世の中に我が法を増やし、正しい教えを減らしているのか。」魔の使いは魔王に答える。「閻浮提の人々は法に背き、父母に孝行せず、師長や沙門、婆羅門を敬いません。正しい教えを聞く者には眠りをもたらし、出家者を俗人に戻し法衣を捨てさせます。また、出家者や戒を守る者、清らかな行いをする者の夢に女の姿を現して心を乱します。施し主には財物を惜しませ、貪りと吝嗇で心を覆い、妻子に執着させます。出家者には様々な商売や争いを教え、互いに打ち合うことをさせます。私はこれらの様々な方法で魔の勢力を増やし、正しい教えを減らしているのです。」 魔王はこれを聞き、使いを遣わして羅睺、勇健、毘摩質多羅阿修羅、鉢摩梯、そして悩ませ悪龍たちに告げさせる。「今日、汝らは喜ぶがよい。仏の正しい教えは今や衰退し、魔の軍勢は増えている。」魔の使いは水底に行き、毘摩質多羅阿修羅のもとに至り、このことを詳しく告げる。阿修羅はこれを聞いて喜び、悩ませ悪龍王たちに告げる。富楽城の悪龍はこれを聞いて大いに喜び、世の中の人々を悩ませる。先に述べた通りである。

「時天帝釋聞毘留勒天王說如是語，入雜殿林與三十三天，共論斯事：『護世天王來白我言：「魔天大力，及阿修羅、毘摩質多惱亂惡龍。汝應集諸天眾悉來至此，我當至彼寶莊嚴山與阿修羅鬪。」』諸天聞之，答言：『如是！』各還本宮而自莊嚴。雜殿天眾亦還本宮，種種音聲歌舞戲笑入雜殿林。時天帝釋與諸天眾捨雜殿林，詣於餘地。此雜殿林所住天子所受之樂，乃至愛善業盡，命終還退，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若生人中，成就快樂，莊嚴端正，從少至終常愛雜色，種種莊嚴，好種種語，眾人所愛；若行出家，昇師子座為說法師，解種種語，聞之知足。以餘業故。

> 時に帝釈天は、毘留勒天王がこのように語るのを聞いて、雑殿林に入り三十三天と共にこの事を話し合った。すなわち、「護世天王が私のもとに来て言うには、『魔天は大いなる力を持ち、阿修羅や毘摩質多は邪悪な龍を悩ませています。あなたは天の衆をすべてここに集め、私が宝荘厳山へ行き阿修羅と戦うべきです』と」と。天の衆はこれを聞いて、「その通りにしましょう」と答えた。各々が自らの宮殿に戻り、身を飾った。雑殿の天の衆もまた自らの宮殿に戻り、種々の音声や歌舞、遊びや笑いを楽しみながら雑殿林に入った。時に帝釈天は天の衆と共に雑殿林を離れ、他の地へと向かった。この雑殿林に住む天子たちが受ける楽は、愛着や善業が尽きるまで続き、寿命が終われば退いて、業に従って流転し、地獄・餓鬼・畜生に堕ちる。もし人間に生まれれば、快楽を成就し、端正で美しく、幼い頃から生涯にわたって雑多な色を愛し、様々な飾りを好み、多様な言葉を愛し、人々に愛される。出家すれば、師子座に上がり説法師となり、様々な言葉を解し、聞いて満足する。これは残余の業によるものである。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：三十三天第八地處名歡喜園。眾生何業生於彼處？彼以聞慧見：此眾生善心深心，不殺不盜，亦教他人令不殺盜。若見殺者，勸令不殺，不教人作，見作不喜。若有所犯，尋即悔過，離惡知識。云何不殺？見鳥殺害，救令放捨。自不作惡，設作即悔，受不殺戒。以財贖命，令其得脫，復教他人令助歡喜。云何不盜？云何偷盜？一切官人，王所勅令，持國理民——聚落城主、若放牧主、若邊戍主，有所勅令取牛羊等，是人護戒而不肯取。以是因緣，命終之後生歡喜天，三十三天歡喜之園。復有聽法，得聞法會，六齋之日，聽法受法，一心聽法。是法會主命終之後，生於天中。一切施中，法施第一，以此因緣，命終生於三十三天歡喜之園。生彼天已，成就無量百千天樂，不可譬喻，當說少分。其林縱廣三千由旬，七寶林樹以為莊嚴。其歡喜天不詣餘園，是故名曰歡喜園林。自功德名。其林皆是如意之樹，隨天所念，皆從樹出。若天生念，欲須宮殿，念已欲上，即見樹林是七寶殿，有一百柱，一一殿柱或以金銀琉璃、頗梨赤寶車𤦲，用如是等一切眾寶以為殿柱。復作是念：『欲得柔軟階道昇此殿堂。』隨念即見階道成就。既入宮殿，復自思惟：『今此宮殿生蓮華池。』隨念即生諸蓮華池，七寶之色，鵝鴨鴛鴦以為莊嚴。復作是念：『我此堂中應有天女歌舞戲笑。』隨念即有天女來赴，隨心戲笑歌舞供養。復作是念：『我今應得天眾伎樂。』隨其所念，風吹樹葉互相𢾊觸出妙音聲，勝諸天樂。復作是念：『今此宮殿應生飲食。』隨其心念，樹枝割裂流出飲河，色香味具。復作是念：『我今應得須陀之味。』隨其念已，即生上味須陀之食，色香味具，天子食之乃至充足。復與天女遊戲娛樂入歡喜園，歡喜園中所住天子成就如是勝妙之樂。從殿而下，於此地中即生蓮華，毘琉璃莖，真金為葉。其莖柔濡，見者愛樂。色香具足，舉足下足，蹈華而行。如是步步成就天樂，隨其念念受五欲樂，一切諸根於自境界不知厭足。所謂眼常貪色，種種瞻視愛樂不息，令眼悅樂，見如是色猶不厭足；耳聞妙聲不知厭足。如是鼻香，若嗅諸香，生大愛欲，不知厭足。舌貪美味不知厭足。如是愛觸不知厭足。如是所念皆是愛念，愛樂自身遊戲林中，受欲無厭。境界為母，諸根為攢，憶念風吹，自高為薪，欲火熾然。欲無厭足，以愛欲心於歡喜園遊戲受樂。

> また、比丘たちは、業の報いを知り、三十三天の住む場所を観察する。彼らは聞くことによる智慧で見る。「三十三天の第八の地は、歓喜園と名づけられる。どのような業によって、衆生はそこに生まれるのか？」彼らは聞くことによる智慧で見る。「この衆生は善心と深い心を持ち、殺さず、盗まず、また他人にも殺生や盗みをさせない。もし殺す者を見れば、止めるよう勧め、人に殺生させず、その行為を見ても喜ばない。もし過ちを犯せば、すぐに悔い改め、悪い友人から離れる。どのように殺さないのか？鳥が殺されるのを見て、救って放し、自ら悪を行わず、もし行ってもすぐに悔い、不殺の戒めを受ける。財を使って命を救い、その者を逃がし、また他人にもこれを勧めて喜ばせる。どのように盗まないのか？どのような盗みがあるのか？すべての役人、王の命令を受けて国を治め民を統べる者——村の長、牧場の長、辺境の長などが、牛や羊などを取るよう命令しても、この者は戒めを守り、それを受け取らない。この因縁により、命終の後、歓喜天、三十三天の歓喜の園に生まれる。また、法を聞き、法会に参加し、六斎の日には法を聴聞し受持し、一心に法を聞く。この法会の主催者は命終の後、天に生まれる。一切の施しの中で、法の施しが第一であり、この因縁により、命終の後、三十三天の歓喜の園に生まれる。その天に生まれてから、無量の百千の天の楽しみを成就し、譬えようもないが、少しばかりを説こう。その林は縦横三千由旬あり、七宝の林の木々が飾り立てている。その歓喜天は他の園には行かず、ゆえに歓喜園林と名づけられる。自らの功徳の名である。その林はすべて如意の木であり、天の念じるままに、すべて木から現れる。もし天が『宮殿が欲しい』と念じ、さらに『その上に登りたい』と思えば、すぐに林が七宝の殿となり、百本の柱がある。一本一本の殿の柱は、金・銀・瑠璃・玻璃・赤宝・車渠など、あらゆる宝で作られる。 さらに『柔らかな階段が欲しくて、この殿に登りたい』と念じれば、念じた通りに階段が現れる。宮殿に入ると、さらに『この宮殿に蓮華の池を生じさせよ』と自ら思う。念じた通りに諸々の蓮華の池が生まれ、七宝の色をし、鵞鳥・鴨・鴛鴦が飾る。さらに『この堂の中には、天女が舞い歌い笑うべきだ』と念じる。念じた通りに天女が来て、心のままに戯れ、舞い歌い、供養する。さらに『今、私は天の衆の伎楽を得るべきだ』と念じる。その念じるままに、風が木の葉を吹き、互いに触れ合って妙なる音を出し、諸天の音楽に勝る。さらに『今、この宮殿には飲食を生じさせるべきだ』と念じる。その心のままに、木の枝が裂けて飲み物の河が流れ出し、色・香り・味が備わる。さらに『今、私は須陀の味を得るべきだ』と念じる。その念じた通りに、すぐに上味の須陀の食べ物が生まれ、色・香り・味が備わり、天子はこれを食べて満足する。そして天女と共に遊戯楽しみ、歓喜園に入る。歓喜園に住む天子は、このような勝れた楽しみを成就する。 殿から下りると、この地に即座に蓮華が生じ、瑠璃の茎、真金の葉を持つ。その茎は柔らかく、見る者を愛楽させる。色と香りを完全に備え、足を上げ下ろすごとに、華を踏みながら歩く。このように一歩一歩が天の楽しみを成就し、その刹那ごとに五欲の楽しみを受けながら、すべての感覚器官は、それぞれの対象に対して満足することを知らない。すなわち、眼は常に色を貪り、様々に見つめて愛楽を止めず、眼を悦ばせ、そのような色を見てもなお飽き足らない。耳は妙なる音を聞いても飽き足らない。鼻は香りを嗅げば、大きな愛欲を生じ、飽き足らない。舌は美味を貪って飽き足らない。触れる楽しみも同様に飽き足らない。このような想念はすべて愛の念であり、自らの身体を愛楽し、林の中で遊戯し、欲を受けて飽きることがない。境界を母とし、諸根を錐とし、憶念の風に吹かれ、高慢を薪として、欲の火が盛んに燃える。欲には飽き足ることがなく、愛欲の心をもって、歓喜園の中で遊戯し楽しみを受ける。」

「釋迦天主於雜寶聚山破阿修羅，得大名稱，如上所說。復來入於歡喜林中，告諸天曰：『汝等天眾當生歡悅，入歡喜園受五欲樂，遊戲自娛，我亦自當於歡喜園遊戲受樂。已破魔軍毘摩質多羅及惡龍等。一切天眾及諸天女皆可至吾遊戲之處受五欲樂，滿夏四月，五欲自娛。』時天帝釋向三十三天說是語已，心大歡喜，告白象王伊羅婆那言：『汝今莊嚴，吾欲與汝共諸天眾，并諸天女遊戲娛樂於歡喜園。汝當化身，令諸天眾乘汝頂上牙頂之上，向於遊戲華池園林山峯之中，如先所化。』

> 釈迦提婆（帝釈天）は、雑宝聚山で阿修羅を破り、大きな名声を得た。これは先に述べた通りである。その後、再び歓喜の林に入り、天の人々に告げて言った。「お前たち天の衆よ、喜びを起こし、歓喜の園に入って五欲の楽しみを受け、遊び戯れよ。私もまた、歓喜の園で遊び楽しもう。すでに魔軍である毘摩質多羅や悪龍などを打ち破った。天の一切の衆や天女たちは、皆、私の遊び楽しむ場所に来て、夏の四月の間、五欲の楽しみを受けて自ら楽しむがよい。」その時、帝釈天は三十三天に対してこのように語り終え、心から大いに喜び、白象王の伊羅婆那に告げて言った。「お前は今、厳かに飾りなさい。私はお前と共に、あらゆる天の衆や天女たちと、歓喜の園で遊び楽しみたい。お前は化身して、天の衆を皆、お前の頭の上や牙の頂上に乗せ、遊戯のための華やかな池や園林、山々の峰へ向かいなさい。以前に変化したように。」

「爾時，白象伊羅婆那聞天主教，即化大身，身有百頭，頭有十牙，一一牙端有百浴池，一一浴池有千蓮華，一一蓮華皆有千葉，七寶所成，一一葉端皆有千數七寶眾蜂，一一葉間有千天子。其象頂上有諸天女不相妨礙，作天伎樂，乘虛而遊到歡喜園。其象兩脇化二園林：一名喜林；二名樂林。於其林中河池蓮華皆悉具足七寶意樹，諸天子等，遊戲其中受五欲樂。天子天女充滿林中。時伊羅婆那大白象王譬如第二須彌山王，詣歡喜園。其象背上化作大城，平正柔軟，其城街巷，七寶宮殿、園林莊嚴，猶如第二善見大城。如是化殿七寶所成，有一百柱以為莊嚴。殿有華池，帝釋天王與諸天女遊戲其中，作天伎樂。憍尸迦天王坐於大殿向歡喜園，其身不動如須彌頂。其象耳中復生華池，其池縱廣滿十由旬，其第二池十一由旬。一名甚深；二名清淨。八功德水充滿其中，池中生華，名優鉢羅，毘琉璃莖，赤寶為華，眾蜂莊嚴，天香具足。其華開敷優鉢羅華，天子天女坐華鬚上遊戲娛樂。或有天子以水遊戲，或有天子蓮華遊戲，不知白象為行為住。其象鼻端化作樓殿，廣五由旬，種種眾華、曼陀羅華悉遍莊嚴，眾蜂妙音，牛頭栴檀葉以覆樓殿。復有金樹種種眾華以覆其上，有諸天女坐華鬚上，歌眾妙音讚歎天王。如是象鼻所化長殿於白象王蓮華之中，化生蓮華，廣一由旬，有百千葉。其葉廣長，香氣第一，滿十由旬。一一葉中天子天女遊戲其中，各不相見，如是遊戲不相妨礙，與天王釋向歡喜園，皆不覺知象之行住，猶如住於須彌山頂。於象頂上，復化大山，名界莊嚴，以種種界而為莊嚴，天樹河池、園林蓮華莊嚴之處遊戲受樂，是名象王頂化大山。其白象王於其牙上化作園林，如一億月，多有眾華。其地白淨如須陀色，多有眾蜂俱翅羅音充滿其中。無量眾鳥眾寶莊嚴，孔雀、命命，如是無量種種眾鳥從牙化生。其白象王身量廣大，天眾圍遶，大身大力行步平正而不搖動，向歡喜園。其白象王從鼻兩孔化作河流，如閻浮提恒河之水、閻牟那河水從池流下，其水清淨，涼冷不濁，從上而下，白象鼻中所出河流亦復如是。於四天下，人所住處，林樹藥草，亢旱炎熱，穀麥增長，草木葉上有水相現，名之為露。其象鼻水從空而下，去地遠故，為風所吹，散而氣燥，故令露少。三天下中名之為露。

> その時、白象のエーラーヴァナは帝釈天の言葉を聞くと、たちまち巨大な体に変化し、その体には百の頭があり、各々の頭には十本の牙があった。一本一本の牙の先端には百の浴池があり、各々の浴池には千の蓮華があり、各々の蓮華には千の葉があった。それらは全て七宝で作られ、葉の先端にはそれぞれ千匹の七宝の蜂がおり、葉の間には千人の天子がいた。 象の頭頂には、互いに妨げ合うことのない多くの天女たちがいて、天の音楽を奏でながら虚空に乗って遊び、歓喜園へと向かった。 象の両脇には二つの林園が化現した。一つは喜林、もう一つは楽林と呼ばれる。その林の中には、川や池、蓮華が全て完全に備わり、七宝の意樹があった。多くの天子たちはその中で遊戯し、五欲の楽しみを受けた。林の中は天子や天女で満ちあふれていた。 その時、この大白象王エーラーヴァナは、まるで第二の須弥山王のように、歓喜園へと向かった。象の背中には大きな城が化現した。平らかで柔らかく、その城の街路や巷、七宝の宮殿、林園は壮大に飾られ、まるで第二の善見大城のようであった。 このように化現した殿舎は七宝で作られ、百本の柱が荘厳していた。殿には華池があり、帝釈天王は多くの天女たちとその中で遊戯し、天の音楽を奏でた。憍尸迦天王は大殿に坐したまま歓喜園に向かい、その身は須弥山の頂のように動かなかった。 象の耳の中からもまた華池が生じた。その池の広さは十由旬、第二の池は十一由旬であった。一つは甚深と名づけられ、二つ目は清浄と名づけられた。八つの功徳を持つ水が満ち溢れ、池の中には優鉢羅華が生じ、その茎は毘瑠璃であり、赤い宝が花となり、多くの蜂が荘厳し、天の香りが完全に備わっていた。その花は咲き誇り、天子や天女は花の蕊に坐して遊戯し楽しんだ。ある天子は水で遊び、ある天子は蓮華で遊び、白象が歩いているのか止まっているのかも気づかなかった。 象の鼻の先端には、楼閣の殿舎が化現した。広さ五由旬で、様々な花や曼陀羅華が全てを荘厳し、多くの蜂の妙音が響き、牛頭栴檀の葉が楼閣を覆った。また、金の木があり、様々な花がその上を覆い、多くの天女が花の蕊に坐して、様々な妙音を歌い天王を讃嘆した。このように象の鼻が化現した長殿は、白象王の蓮華の中にあり、そこからさらに蓮華が化生した。広さ一由旬、百千の葉があった。その葉は広く長く、香りは第一で、十由旬に満ちた。一枚一枚の葉の中では天子や天女が遊戯していたが、互いに見えることはなく、このように遊戯しても互いに妨げ合うことはなかった。彼らは天王の帝釈と共に歓喜園へ向かい、象が歩いているのか止まっているのかも全く気づかず、まるで須弥山の頂に留まっているかのようであった。 象の頭頂には、さらに大山が化現した。名を界荘厳という。様々な世界の荘厳をもって飾られ、天の樹木や河川、池、林園、蓮華の荘厳された場所で遊戯し楽しんだ。これを象王の頭頂に化現した大山という。 この白象王は、その牙の上に林園を化現した。それは一億の月のように多くの花々があった。その地は白く清らかで、須陀の色のようであり、多くの蜂の俱翅羅の音が満ちていた。無量の鳥たちは衆宝に飾られ、孔雀や命命鳥など、このように無量の様々な鳥たちが牙から化生した。 この白象王の身体の大きさは広大であり、天の衆に囲まれ、大きな身体と大きな力を持ち、歩く足取りは平らかで揺らぐことなく、歓喜園へと向かった。 白象王はその鼻の二つの穴から、川を流れ出させた。それは閻浮提の恒河の水や閻牟那河の水が池から流れ落ちるようであり、その水は清らかで冷たく濁らず、上から流れ下る。白象王の鼻から出る河の流れもまた、全く同じであった。 四天下において、人間の住む場所では、林や樹木、薬草は干ばつや炎熱に悩まされていたが、穀物や麦は成長し、草木の葉の上には水の相が現れ、これを露と名づけた。象の鼻から出る水は、空から降り注ぐが、地面から遠いため風に吹かれて散り、乾燥して気を帯びたため、露の量は少なくなった。三天下においてこれを露と名づけた。

「復次，天白象王若放霧氣，墮行天中，世人觀之，其色則白，外道說為因陀天王所行之道，復有說言白象王道。如實白水，風持不墮，在於空中猶如陽焰，直以遠故見之不了。其象頭上大山之頂，寶幢華蓋懸以寶幡，毘琉璃輪，真金為蓋，其光明曜猶如日光。於其幢上懸以長幡，於其幡中出大光明。大海之中諸阿修羅見是事已，各相謂言：『帝釋天王勝幡已現，乘白象王向歡喜園。』時天帝釋遙見園林，告諸天曰：『汝見此林甚可愛樂。釋迦天主破阿修羅，既得勝已，遊戲此林。如此林樹，甚可愛樂。與三十三天，夏四月時，於此林中遊戲受樂。』時諸天眾白帝釋言：『隨王所勅，我當奉行。』說是語已，近歡喜林。歡喜林中先住諸天受五欲樂，見天勝幢及白象王，心大歡喜，出迎帝釋，禮拜供養，合掌頂上，作天伎樂歌舞遊戲入歡喜林。時天帝釋即下白象，與諸天眾入歡喜園，一切天眾亦皆下象。如是象頭鼻端及象兩脇一切天眾，皆捨白象，入歡喜林遊戲受樂。歡喜林中先住諸天及與天主，伐阿修羅諸天眾等，於夏四月受天快樂。釋迦天王共諸天眾受樂自娛。如此時間，若諸天子善業將盡，乃至愛善業盡，命終還退，墮於地獄、餓鬼、畜生。若生人中，常受安樂，種種解了，端正第一，眾人所愛，山林河池可愛樂處而生其中，主大國土，富樂自在。以餘業故。

> 「また、白い象の王が霧を吐き出すと、その霧は行天の中に落ちていきます。世の人々がそれを見ると、その色は白く、外道はそれをインドラ神の通る道であると言い、あるいは白象王の道であると説きます。実際は白い水が風に支えられて落ちず、空中に陽炎のように漂っているだけであり、遠くから見るために明瞭に見えないのです。その象の頭上の大きな山の頂上には、宝の幢や華蓋が飾られ、宝の幡が掛けられ、瑠璃の輪、黄金の蓋があり、その輝きは日光のようです。その幢の上には長い幡が掛けられ、その幡の中から大いなる光が放たれます。大海の中の阿修羅たちはこれを見て互いに言います。『帝釈天の勝幡が現れた。白象王に乗って歓喜園に向かっている。』すると天帝釋は遥かに林を見て、天の者たちに告げます。『あなたたちはこの林を見なさい。非常に愛らしい。釈迦天主は阿修羅を破り、勝利を得た後、この林で遊んでいる。この林の木々は実に愛らしい。三十三天と共に、夏の四ヶ月間、この林で遊び楽しむのだ。』その時、天の者たちは帝釋に申し上げます。『王の仰せのままに、従い行います。』こう言って、歓喜林に近づきました。歓喜林に先にいた天の者たちは五欲の楽を受けており、天の勝幡と白象王を見て、心から大喜びし、帝釋を出迎え、礼拝し供養し、合掌して頭上に置き、天の伎楽を奏で、歌舞遊戯をして歓喜林に入りました。その時、天帝釋は白象から降り、天の者たちと共に歓喜園に入り、すべての天の者たちもまた象から降りました。このように、象の頭、鼻の先、象の両脇にいたすべての天の者たちは、白象を離れて歓喜林に入り、遊び楽しみました。歓喜林に先にいた天の者たちと天主、阿修羅を討った天の者たちは、夏の四ヶ月間、天の楽しみを受けました。釈迦天王は天の者たちと共に楽しみ自ら楽しみました。このような時に、ある天の子たちの善業が尽きようとし、愛善業が尽きると、命終わり退き、地獄、餓鬼、畜生に堕ちます。もし人間に生まれるならば、常に安楽を受け、様々に理解し、端正で第一であり、多くの人に愛され、山林や河池などの愛らしい場所に生まれ、大国を治め、富み楽しく自在となります。これは余業の故です。」

「復次，比丘知業果報，觀伊羅婆那大龍象王，以何業緣，成就大身、大神通力，與阿修羅鬪，得大名稱？以何業故受畜生身？彼以聞慧見：此眾生天中壽命滿七萬歲，過去之世，毘陀論部，名不羅那，有婆羅門大修福德，好行布施貧窮盲冥苦惱之人。以善心故，常樂施與，利益眾生。爾時，有王名曰善見，於節會日出宮遊戲如諸天眾。與八萬四千大白象王，金網彌覆，寶鈴莊嚴，猶如如來。一切金鈴以為莊嚴，八萬四千婇女而為圍遶，八萬四千妓樂之音，向遊戲處園林之殿。是善見王第一威德，受大樂果。時婆羅門具足威德，詣善見王遊戲之處。是婆羅門名三摩多，見此大王具足威德，王有白象名曰雲聚，寶鈴莊嚴，真珠金網以為瓔珞，善巧工匠之所成就莊嚴白象，種種歌戲，詣遊戲處，端正第一。時三摩多婆羅門心自念言：『此白象王第一快樂，我當願生為天帝釋作白象王。』以布施力及願力故，命終生天，為天帝釋作白象王。

> さらに、比丘よ、因果の道理を知り、イラーヴァナという大龍象王が、なぜあのような巨大な身体、大いなる神通力を持ち、阿修羅と戦って大いなる名声を得たのか、その因縁を観察せよ。また、なぜ畜生の身を受けたのか。（彼は）聞慧によって次のように見る。この衆生は天界で寿命七万歳であったが、過去世において、ヴェーダの一派であるノーラナというものがあり、そこにバラモンがいた。彼は大いに福徳を修め、貧しい人、盲人、悩み苦しむ人々に喜んで施しを行い、善心から常に布施を楽しみ、衆生を利益していた。その時、スダルシャナという王がおり、節会の日に民に花を撒きながら、天人の群れのように宮殿を出て遊楽に向かった。八万四千の大きな白象王たちを従え、金の網をかけ、宝の鈴で飾り立て、それはあたかも如来のようであった。すべての金の鈴で飾られ、八万四千の女官に囲まれ、八万四千の楽器の音が響く中、遊楽のための園林の殿堂へと向かった。このスダルシャン王は第一の威徳を持ち、大きな楽の果報を受けていた。その時、サマタという名のバラモンがいて、十分な威徳を備えていた。彼はスダルシャン王の遊楽の場に赴いた。このバラモンはサマタといい、この大王の十分な威徳を見た。王はメーガと言う名の白象を持ち、宝の鈴で飾られ、真珠や金の網を瓔珞とし、巧みな工匠によって作られた白象で飾り、様々な歌や踊りを伴いながら遊楽の地へ向かった。その姿は端正で第一であった。その時、サマタ・バラモンは心中でこう思った。「この白象王は最も楽しみである。私は来世、帝釈天の白象王として生まれたいものだ。」こうして布施の力と願いの力によって、命終の後に天に生まれ変わり、帝釈天の白象王となったのである。

「比丘觀已，而說頌曰：

> 比丘はこれを観じて、次のように詩句を唱えた。

「『如此業畫師，處處業所牽，心王力甚大，造作種種報。勝因緣所轉，處處心所使，在在一切處，行於三界道。一切眾生業，自在使心行，是故調伏心，能至不退處。輕轉難調伏，處處妄攀緣，若善調伏心，調伏則安樂。若能調伏心，則能斷眾過，勇者離過惡，不復受諸苦。若此世苦惱，若未來世苦，一切不調伏，輕心因緣故。天龍阿修羅、地獄鬼羅剎，心常為導主，如王行三界。心將詣天上，復行於人中；心將至惡道，心輪轉世間。心輪轉壞人，境界癡所誑，愛漂諸眾生，現得無邊苦。一行常隱覆，大力難調伏，害而不可見，輕動速流行。若人有智慧，調伏如是心，其人離魔網，則能到彼岸。憶念邪諂曲，深而極輕動，是心惡險岸，將人至惡道。如是離眾惡，不為諸根使，不著諸惡法，得至不滅處。心從因緣生，所須從心得，緣轉速流注，如是流轉行。如是作諸業，得種種果報，微細心流行，一念常不住。行處不可知，常無有形色，將人至何所？行於何等道？到已住何處？身為業所作，見心所作業，作者不可見。此心難調伏，其形不可見，遍害諸眾生，無目速造業。是心性如幻，從惡得惡報；是心性如幻，行處甚難知，能將一切人，無量生死處。非刀所能割，火亦不能燒，是心雖無目，燒害一切人。業繩甚堅牢，縛諸苦惱人，受百千生死，將去不可見。須臾作善業，須臾起不善，心作善不善，調伏則得樂。六根緣境界，多貪無厭足，不覺心將至，惡道受苦惱。』

> 「まさにこの業の画家は、あらゆる場所で業に引きまわされる。 心王の力は非常に大きく、様々な報いを造り出す。 すぐれた因縁に導かれ、あらゆる場所で心に使われ、 全てのところで、三界の道を歩む。 一切の衆生の業は、自在に心を動かし行わせる。 それゆえ心を調伏すれば、退転しない境地に至ることができる。 軽く動き、調伏しがたく、あらゆる所で虚妄に攀じ縁る。 もし上手く心を調伏すれば、調伏は安楽をもたらす。 もし心を調伏できれば、様々な過ちを断ち切ることができる。 勇者は過ちや悪を離れ、再び苦しみを受けることはない。 この世の苦しみも、未来の世の苦しみも、 全ては心が調伏されず、軽んじることが因縁となって生じる。 天、龍、阿修羅、地獄の鬼や羅刹も、 心が常に導き主となり、王が三界を行くように。 心は天庭へと導き、また人間の中を歩む。 心は悪道へと導き、心は世の中を輪廻する。 心の輪廻は人を壊し、境涯の愚かさに惑わされる。 愛欲が諸々の衆生を漂わせ、今まさに限りない苦しみを得させる。 一つの心は常に覆い隠し、大力で調伏しがたく、 害を与えても見えず、軽く動き速やかに流れる。 もし人に智慧があって、このような心を調伏すれば、 その人は悪魔の網を離れ、彼岸に至ることができる。 心は邪なこびへつらいや曲がりを憶え、深くて非常に軽やかに動く。 この心は険しい岸のような悪であり、人を悪道へ導く。 このように様々な悪を離れ、諸々の感覚器官に使われることなく、 様々な悪い法に執着せず、滅びない境地に至る。 心は因緣から生じ、必要なものは心から得られる。 縁が回り速やかに流れ注ぐように、このように流れ巡り行く。 このように様々な業を造り、様々な果報を得る。 微細な心は流れ行き、一瞬もとどまることがない。 その行く先は知ることができず、常に形や色もない。 人をどこへ導くのか？どのような道を歩むのか？ 到着したらどこに留まるのか？身体は業によって造られたものであり、 心が造る業は見えても、造り手は見ることができない。 この心は調伏しがたく、その形は見ることができず、 全ての衆生に害を広げ、目がないまま速やかに業を造る。 この心の性質は幻のようであり、悪から悪い報いを得る。 この心の性質は幻のようであり、その行く先は非常に知りがたく、 全ての人を無量の生死の場所へ導くことができる。 刀でも切ることができず、火でも焼くことができない。 この心は目がなくとも、全ての人を焼き苦しめる。 業の縄は非常に堅固で、苦しむ人々を縛り、 百千の生死を受け、導かれて行く先は見えない。 一瞬で善い業を造り、一瞬で不善を起こす。 心は善と不善を造り、調伏すれば安楽を得る。 六つの感覚器官は境涯に縁り、多く貪り満足することがなく、 心に導かれて悪道に至り、苦しみを受けることに気づかない。」

「如是比丘觀婆羅門作大善業，其願狹小，見己思惟，自誡其心。如是善業，或得天身，或離生死，為心所使。墮畜生中，心願力故。

> このように、比丘は婆羅門が大きな善行を積んでも、その願いが狭いものであると観察する。それを見て、自らの心を戒める。このような善行は、あるいは天の身を得ることもあれば、あるいは生死を離れることもあるが、いずれも心に支配されている。畜生道に堕ちるのも、心の願いの力によるのである。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：第九地名曰光明。眾生何業生於彼處？彼見聞知：若人持戒，轉教他人，自不作惡，不教他作，見作勸捨，自護禁戒，教人護戒堅固不缺，悉令清淨，不殺不盜。云何不殺？若見有地多有眾生，為持戒故，不自穿掘，不教人掘。若蠍、若蟻、蝦蟆黃𭷻種種眾生，知此眾生所居之處，不自穿壞，教他不作。或受禁戒或不受戒，若見為惡，教令懺悔。云何不盜？若是他地，若陶師處、若復餘人，乃至泥土，自不盜取，不教人取，令他住戒。見他盜者，不生隨喜，勸令不作。是名不殺不盜。是持戒人命終之後，生光明天，心常歡喜，歌舞戲笑遊戲受樂，其身光明常照天眾。多有天人園林遊戲，第一持戒生此天處作善業人，受斯樂報。所有園林金網彌覆，寶鈴妙音、毘琉璃鈴，善業所成。遙見天子鈴中歌頌說如是言：『善來天子！修善之人。』以寂靜偈而作頌曰：

> また、比丘は業の果報を知り、三十三天の住む地を観察する。彼は聞慧によって見る。第九の地は「光明天」と名づけられる。衆生はどのような業によってその地に生まれるのか。彼は見聞して知る。もし人が戒律を保ち、さらに他の人々に教え、自ら悪を為さず、他人にも為させず、悪を見ては勧めて捨てさせ、自ら禁戒を守り、他の人にも戒律を守らせ、堅固にして欠けることなく、すべてを清浄にし、殺さず、盗まない。どのように殺さないのか。もし土地に多くの衆生がいるのを見て、戒律を守るために、自ら掘り返さず、他人にも掘らせない。蠍や蟻、蛙や土竜など様々な衆生がいる場合、これらの衆生の住む場所を知り、自ら壊さず、他人にも壊させない。あるいは戒律を受けている者も、受けていない者も、もし悪を為すのを見たら、懺悔するよう教える。どのように盗まないのか。もし他人の土地、陶工の場所、あるいは他の者、たとえ泥土であっても、自ら盗み取らず、他人にも取らせず、彼らを戒律に住まわせる。他人が盗むのを見ても喜ばず、為さないよう勧める。これを不殺・不盗と言う。この戒律を守る人は命終の後、光明天に生まれる。心は常に喜び、歌舞や遊戯を楽しみ、その身の光明は常に天の衆を照らす。多くの天人と共に園林で遊戯し、第一の戒律を守る者がこの天の処に生まれ、善業を為す人はこの楽しい報いを受ける。すべての園林は金網で覆われ、宝の鈴が妙なる音を響かせ、毘瑠璃の鈴は善業によって作られる。遠くから天子を見ると、鈴の中から歌が聞こえてくる。『よく来た天子よ、善を修める人よ』と。そして寂静の偈をもって次のように歌う。

「『善寂靜心護持戒，持戒清涼今受樂。善持禁戒種種行，後得涅槃或樂報，或遮惡道至善處，是故持戒後清涼。持戒之人臨終時，其心安隱不恐怖，我無惡道之怖畏，以持淨戒能救護。汝以持戒善護持，今至天中莫放逸。』

> 「よく心を静め、戒を護り持てば、 戒を護るゆえに清らかで、今、安らぎを得る。 戒をよく保ち、さまざまな行いを実践すれば、 後には涅槃（ねはん）か、あるいは楽しい報いを得る。 あるいは悪道を防ぎ、善い場所へ至る。 ゆえに戒を持てば、後に清らかな安らぎがある。 戒を守る人は、命終わるとき、 その心は穏やかで、恐れることがない。 『私には悪道への怖れはない。 清らかな戒を守ったことが、私を救ってくれる。』と。 あなたは戒をよく保ち、よく護ってきた。 今、天界に至ったなら、怠りなくあれ。」

「如是天子以善業故，鈴網之音演說偈頌，覺悟其心，令離放逸。有諸天子久於先世持戒來者，聞是法已，少時持戒，不入放逸。若天持戒不經多世，則入放逸，不自覺知，雖聞法音，即入放逸，遠離鈴網覺悟之音，更詣餘林。七寶莊嚴光明林中，其林廣長三千由旬，唯除四地及善見城，餘無勝者。其林四維有四如意毘琉璃樹，善淨無垢，其光普照滿一由旬，光明如日，五千由旬悉皆見之。天子天女在於樹枝遊戲受樂，隨心所念，從樹得之。四樹之中有光明林，金銀琉璃為蓮花池，莊嚴林樹如融金聚，處處皆有須陀之味，善淨無垢，清潔香美大力自然須陀之味。復有眾鳥，視之可愛，其音美妙以為莊嚴，真金為首，白銀為翅，毘琉璃胸，赤寶為嘴，蓮華色寶以為其目。如是眾鳥以為莊嚴，銀葉樹上有真金鳥；黃金樹上有白銀鳥；毘琉璃樹赤蓮華鳥；赤蓮華樹青寶王鳥。一切眾鳥飲酒食果，有七寶樹七寶色鳥遊戲其上。復有眾蜂如赤寶華，作種種業之所受身，於蓮華中遊戲受樂。如是樹中一切功德影皆悉具足，天子天女於此樹上遊戲自娛。其林具足諸天功德，若天、阿修羅共鬪之時，釋迦天王告諸天眾：『速疾莊嚴！阿修羅軍惱亂樂見山頂所住諸天。』三十三天聞是語已，向光明林一切天眾，共天帝釋入四樹間光明林中。毘琉璃樹淨如明鏡，自見其相，知鬪勝否？若損身分，具悉見之。如是樹中，自見其身，若打若害若見被割，壞已復生；若見斷首斷腰，即時逝沒。於此樹中皆具見之。如其所見，告諸天子，當避橫死，甚為大利。阿修羅鬪，害此天子。帝釋聞已，告言：『大仙！汝勿鬪戰，必當衰害，非時夭壽。』

> 「こうして、天子たちは善業の力により、鈴の網が奏でる偈頌の音を聞いて心を目覚めさせ、放逸から離れていきました。過去世に長く戒律を守ってきた天子たちは、この教えを聞くと、しばらくの間戒律を保ち、放逸に陥ることはありませんでした。もし戒律を長い世にわたって守っていない天子ならば、放逸に陥り、それに気づかず、法の音を聞いてもすぐに放逸に身を委ね、鈴の網の目覚めの音から離れて、他の林へと赴いてしまいます。 七宝で飾られた光明林という林があります。その林は広さ長さが三千由旬に及び、四地と善見城を除いては、これに勝るものはありません。林の四方には、四つの如意珠でできた瑠璃の樹があり、清らかで汚れがなく、その光は一由旬にわたって普遍に照らし、太陽のように明るく、五千由旬の場所からもすべてが見えます。天子や天女たちは木の枝で遊び楽しみ、心に思い描くままに、その木々から欲しいものを得ることができます。 四つの樹の間には光明林があり、金や銀や瑠璃でできた蓮の池があり、林の木々は溶けた金が集まったように輝いています。至る所に須陀の味わいがあり、清らかで汚れがなく、清潔で香り高く、力強い自然の須陀の味わいです。また、見るからに愛らしい多くの鳥たちがいて、その美しい声で林をさらに飾り立てています。それらの鳥は、純金の頭、白銀の翼、瑠璃の胸、赤い宝の嘴、蓮華色の宝の目を持っています。このような美しい鳥たちが飾られています。銀の葉をつけた木には黄金の鳥が、黄金の木には白銀の鳥が、瑠璃の木には赤い蓮華の鳥が、赤い蓮華の木には青宝王の鳥がいます。あらゆる鳥たちは酒を飲み果実を食べ、七宝の木々と七宝の色をした鳥たちがその上で遊んでいます。 また、赤い宝の花のような多くの蜂たちがいて、様々な業の結果としてこの身を受け、蓮の花の中で遊び楽しんでいます。このように、林の中にあるあらゆる功徳の影はすべて完全にそなわっており、天子や天女たちはこの木々の上で遊び楽しんでいます。 この林には天の諸々の功徳が満ちています。もし天と阿修羅が戦う時が来ると、釈迦天王は天の大衆に告げます。『急いで武装せよ！阿修羅の軍が楽見山頂に住む天たちを悩ませている。』三十三天はこの言葉を聞くと、光明林へと向かい、すべての天の大衆は天帝釈と共に、四つの樹の間にある光明林の中に入ります。 瑠璃の樹は鏡のように清らかで、そこに映る自分の姿を見て、戦いに勝つか負けるかを知ることができます。もし身体に傷を負えば、そのすべてが明らかに見えます。このような樹の中に、自分の姿が映ります。打たれたり、害されたり、切り裂かれたりしても、破壊された後は再び元に戻ります。首を切られたり腰を断たれたりするのが見えれば、その天子はすぐに消え去ります。この樹の中では、そのすべてが明らかに見えます。天子たちは見た通りに互いに告げ、不意の死を避けることは非常に大きな利益であると話し合います。阿修羅との戦いで、この天子は害されるだろうと。帝釈はこれを聞くと、こう言います。『大仙よ、戦ってはいけません。必ず衰え害されます。時ならぬ若死にとなりますから。』」

「比丘思惟觀天樹中，見衰沒相，以聞慧知：若人悲心，見屠殺者欲殺眾生，令其得脫。以是果報，於光明林，自見身相。諸天復詣光明林中，名曰雜林，住光明林，如意之樹以為莊嚴。入此林已，各自思惟：『天、阿修羅，誰力增勝？以何力故，天得增勝？以何力故，阿修羅勝？』時天帝釋告諸天眾：『修行法者，生諸天中。閻浮提人於劫初時，行十善道，或教他人自勅身口，持七種戒，不缺不漏，堅固不諂。如是眾生命終生天。譬如皮囊滿中盛沙，不繫其口，有大力人瀉之速出。劫初之時，生諸天中亦復如是。是故諸天勢力增長，阿修羅眾其力減少，樂見山頂所住諸天能遮阿修羅。復於後時，人行不善，缺漏不堅，行少善業。閻浮提人命終生天。譬如菴羅果欲熟之時，有大力人搖動其樹，其果少墮，生於天中亦復如是。復於異時，行雜垢業，不持身戒、不持口戒，不堅不淨，不常修習。是人命終少生天中。譬如毘羅大樹之果，其果未熟，少力之人雖復搖之，不能令動；設得動之，果落甚少。若有熟者，其果則墮；若未熟者，則不墮落。如是劫初眾生多生天上，後世眾生生天甚少，亦復如是，以其雜垢破禁戒故。汝等諸天莫行放逸，若行放逸，增益阿修羅，減損諸天眾。今世眾生多行非法，無有戒法，不持七種身口之戒，誑惑他人令生熱惱，不孝父母、不敬師長，不順法行。是人命終墮於地獄。譬如皮囊滿中盛沙，不繫其口，有大力人瀉之速出。今世眾生行不善業，墮阿修羅亦復如是。若諸眾生有半持戒，或身或口，是人命終生阿修羅中，或生天中。譬如菴婆羅果樹，有大力人搖動其樹。若果熟者，隨搖則墮；若未熟者，搖之不落。雜業眾生亦復如是，或生天中或墮地獄，或有生於阿修羅中。若諸世間盡行不善，不孝父母，不順法行，不敬師長、沙門、婆羅門，不持身戒及以口戒。是人命終墮於地獄或復墮於阿修羅中，是故令諸阿修羅軍增長大力，天力減少。雖復如是，我今能勝阿修羅軍，非餘天眾。汝當思惟，行於法行，若於今世、若未來世守護正法。一切力中，法力最勝，餘無及者。汝當思惟，憶念正法，勉力勤加，破阿修羅。』時諸天眾聞天帝釋說如是教，白帝釋言：『如天王教，我當奉行。』說是語已，向鉀冑林，從樹出生不可壞鉀，以自莊嚴。著此鉀者，無能為敵，其光照曜譬如日出憂陀延山，其光明曜亦復如是。向樂見山，欲與阿修羅列陣大戰，如前所說。光明林中所住諸天互相娛樂，受五欲樂，心意放逸。於毘琉璃林、黃金樹林、赤寶林中華果具足，種種眾鳥出妙音聲。

> 比丘たちが樹の中にある天界を観想して考えた。衰退や滅びの相を見て、聞慧によって知った。「もし人が慈悲の心を持ち、殺戮者が生き物を殺そうとしているのを見て、それを救い出させるならば、その報いによって、光明林において自分の姿を見る。諸天たちはさらに光明林に赴き、これを雑林と呼ぶ。光明林に住み、如意の木をもって荘厳としている。この林に入ると、それぞれが思う。『天と阿修羅、どちらの力が勝っているのか。何の力によって天が勝ち、何の力によって阿修羅が勝つのか』」。 その時、帝釈天が諸天に告げた。「法を修行する者は、諸天の中に生まれる。閻浮提の人々は劫の初めに十善道を行い、あるいは他人を教え、自らの身と口を戒め、七種の戒を持ち、欠けも漏れもなく、堅固で偽りがない。そのような人々は命終わって天に生まれる。たとえば、皮の袋に砂をいっぱいに入れ、その口を結ばずに、大力の者がそれを素早く出すようなものである。劫の初めに諸天の中に生まれるのもまた同じである。それゆえ、諸天の勢力は増長し、阿修羅の衆はその力が減少する。楽見山の頂に住む諸天は阿修羅を遮ることができる。 しかし後の時代になると、人は不善を行い、戒は欠け漏れ、堅固ではなく、わずかな善業を行う。閻浮提の人々は命終わって天に生まれる。たとえば、アーシュマ樹（アンラ果）が熟そうとする時、大力の者がその木を揺すれば、その果実はいくつか落ちるように、天に生まれるのもまた同じである。 さらに別の時になると、雑な垢の業を行い、身の戒も口の戒も持たず、堅固でも清らかでもなく、常に修習しない。そのような人は命終わって、わずかに天に生まれる。たとえば、ヴィラ（ビロ）の大いなる樹の果実がまだ熟していない時、力の弱い者がいくら揺り動かしても動かせず、たとえ動かしても果実はほとんど落ちない。熟したものは落ち、熟さないものは落ちないのである。このように、劫の初めの衆生は多く天に生まれたが、後の世の衆生が天に生まれることは非常に少ない。これもまた同じである。なぜなら、雑な垢によって戒を破るからである。 あなたがた諸天は放逸に行を施してはならない。もし放逸を行えば、阿修羅を増長させ、諸天の衆を減損させることになる。今の世の衆生は多くが非法を行い、戒法がなく、七種の身・口の戒を持たず、他人を惑わし熱悩を生じさせ、父母に孝行せず、師長を敬わず、法の行いに従わない。そのような人は命終わって地獄に堕ちる。たとえば、皮の袋に砂をいっぱいに入れ、その口を結ばずに、大力の者がそれを素早く出すようなものである。今の世の衆生が不善の業を行い、阿修羅に堕ちるのもまた同じである。 もし諸々の衆生の中に、半分だけ戒を持ち、身か口かの戒を守る者がいれば、その人は命終わって阿修羅の中、あるいは天の中に生まれる。たとえば、アーシュマ樹（アンメ(梻)果）の木を、大力の者が揺り動かすようなものである。熟した果実は揺れに従って落ちるが、熟さないものは揺れても落ちない。雑業の衆生もまた同じで、あるいは天に生まれ、あるいは地獄に堕ち、あるいは阿修羅の中に生まれる。 もし諸々の世間がすべて不善を行い、父母に孝行せず、法の行いに従わず、師長や沙門、婆羅門を敬わず、身の戒や口の戒を持たなければ、そのような人は命終わって地獄、あるいは阿修羅の中に堕ちる。それゆえ、阿修羅の軍は増長し大力となり、天の力は減少する。しかしそれでも、私は今、阿修羅の軍に勝つことができる。それは他の天の衆ではない。あなたがたは思惟し、法の行いを行いなさい。もし今の世であれ、来世であれ、正法を守護しなさい。すべての力の中で、法の力が最も勝れており、他のものは及ばない。あなたがたは思惟し、正法を憶念し、努力精進して阿修羅を破りなさい」。 その時、諸天の衆は帝釈天がこのような教えを説くのを聞いて、帝釈天に申し上げた。「天王のお教えの通り、私たちはこれを奉じ行います」。この言葉を言い終えると、甲冑林に向かった。そこでは樹から生まれた、破ることのできない甲冑をもって自らを荘厳した。この甲冑を着ける者は、敵する者がない。その光明の輝きは、まるで太陽が憂陀延山を昇る時のように、その光明もまた同じであった。楽見山に向かい、阿修羅と陣を列べて大戦しようとした。先に述べたように、光明林に住む諸天たちは互いに楽しみ合い、五欲の楽を受け、心は放逸であった。毘琉璃の林、黄金の樹林、赤宝の林の中では、花果が具足し、さまざまな鳥が妙なる音声を発していた。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天中種種鳥獸有種種色、種種莊嚴、種種形相、種種音聲、種種寶翅，遊戲受樂於園林中。如實觀之，知微細業因緣果報。彼以聞慧見：諸眾生為工畫師，雖受雇直，無巧偽心為他營福，圖畫僧房、講堂、精舍明淨彩色，以青黃朱紫種種雜色圖畫佛塔、精舍門閣。或作山樹、人龍鳥獸、師子虎鹿，園林城郭、浴池戲處，蓮華林池，沙門、婆羅門、軍營殿堂，為供養佛莊嚴因緣，圖飾形像。受人雇直，或復刻鏤或以泥木、金銀銅等，如是種種造立形像。諸工匠師命終生天，受眾鳥身，造作雜業而不持戒，作此鳥身或受鹿形、眾蜂之身，常受快樂。如其作業，得相似果。如天受樂，無智造業，雖有思心，以無智故，癡身受樂，於天園林遊戲受樂。山林峯嶺如畫刻鏤，象牙金銀如素所為，如印印物。於天園林生無量色，如本彩色。天復於此光明林中遊戲歌舞，受種種樂此光明天，乃至愛善業盡，命終還退，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若有善業，生於人中，常受安樂，或為國王或為大臣，為無量人之所供養，樂行遊戲，愛於節會，心常歡喜，顏色端正，飲食如意，常受安樂，他不能奪。床褥臥具、園林遊觀、奴婢充足。以餘業故。

> また、比丘よ、業の果報を知って、三十三天にある様々な鳥や獣が、様々な色、様々な荘厳、様々な形相、様々な音声、様々な宝の翼をもって、林の中で遊び楽しむ様子を観察しなさい。 その微細な業の因縁と果報をあるがままに観るとき、彼は聞慧によって次のことを見る。 すなわち、ある衆生は絵師となり、雇われた報酬を受けながらも偽りの心なく、他のために福を積み、僧房や講堂、精舎を鮮やかな色彩で描く。青や黄、朱紫などの様々な色を用いて、仏塔や精舎の門や閣を描く。あるいは、山や木、人や龍、鳥や獣、獅子や虎や鹿、園林や城郭、浴池や遊び場、蓮華の林や池、沙門や婆羅門、軍営や殿堂を描き、仏を供養する荘厳の因縁として、形像を飾り描くのである。 雇われた報酬を受け、あるいは彫刻し、あるいは泥土や木、金銀や銅などで、このように様々な形像を造り立てる。 こうした工匠たちは、命終わって天に生まれ、様々な鳥の身を受け、雑多な業を造りながら戒を持たなかったために、このような鳥の身、あるいは鹿の形、あるいは蜂の群れの身となり、常に楽しみを受ける。 彼らの造った業に応じて、それに似た果報を得るのだ。まるで天が楽しみを受けるように、智慧なくして業を造り、思惟する心はあっても智慧がないために、愚かな身で楽しみを受け、天の園林で遊戯し楽しみを享受する。 山や峰々は、描き彫られた如く、象牙や金銀は、もとからそうであったかのように、印を押すようにして、天の園林に無量の色を生じさせる。もとの彩色の如くである。 天はまた、この光明天の林の中で遊戯し歌舞し、様々な楽しみを受ける。 この光明天においても、愛着ある善業が尽きれば、命終わって退転し、業に従って流転し、地獄・餓鬼・畜生に堕ちる。 もし善業があれば、人間に生まれて常に安楽を受け、あるいは国王となり、あるいは大臣となり、無量の人々の供養を受け、遊戯を好み、節会を愛し、心は常に歓喜し、顔色は端正で、飲食は意のままになり、常に安楽を受け、他者がそれを奪うことはない。 寝具や臥具、園林や遊観、奴婢も充足する。これは残された業の力によるのである。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：第十地名波利耶多。眾生何業而生彼處？彼見聞知：若人淨信，以久捨物。若衣服飲食、床蓐湯藥以用布施，復教他人不殺眾生，乃至蜫蟻不起殺心。若見有果為蟲所食，為護其命，不食蟲果，見人食者，勸令不食。自持禁戒，復教他人。云何不盜？於他所有，乃至不取根食、果食。若於林中、若於空地，自既不取，亦教他人。如是之人，自利利人，命終之後，生於波利耶多樹園。波利耶多樹第一最勝，於此一樹，能示閻浮提人善不善相。若閻浮提人隨順法行，其樹華果則便具足。以閻浮提人順法行故，其華光明照百由旬，三十三天心懷歡喜圍遶而住。如是波利耶多樹華果茂盛，知閻浮提人孝養父母，供養沙門、婆羅門、耆舊長宿，是故此樹華果敷榮。夏四月時，其諸天眾圍繞此樹娛樂受樂。若波利耶多樹，其華半生，則少歡喜，知閻浮提人少分持戒，令此天樹但生半華。若一切人盡行非法，則此天樹波利耶多華皆墮落，其色憔悴無有光明亦失香氣。譬如冬天雲霧障日，光明不了，視不曜目。如是波利耶多拘毘陀羅樹光明微少，香氣損減，相貌憔悴。時諸天眾見是事已，白帝釋言：『天王當知！波利耶多樹光明損減，香氣劣弱，一切威德悉不如本。必是閻浮提人不孝父母，不敬沙門、婆羅門、耆舊長宿。』帝釋聞之，即取寶像，與諸天眾恭敬供養，尊重讚歎如來之像，念佛功德，告諸天眾：『此波利耶多拘毘陀羅樹花葉墮落，我今當往至彼樹下，汝等莊嚴。我今善心，持如來塔世尊形像至彼樹下，以天塗香末香供養世尊。』爾時，諸天聞帝釋教，無量百千諸天大眾詣帝釋所。時天帝釋以如來像置天冠上，頂戴而行，往詣波利耶多樹園。見彼天眾皆無歡悅，以此波利耶多樹葉墮落，失本光明，是故不悅。時天帝釋以如來像，安置樹下七寶之地毘琉璃座，一切天眾皆起信敬，生敬重心，以天摩盧迦華、天曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、拘賒耶舍華，如是眾華以為供養，香水澡浴如來形像。如是供養已，教諸天眾當起信敬，離於慳嫉，離放逸心。『此佛如來，三界大師，正法聖眾。』諸天子等，聞帝釋教，皆起敬信，頂禮如來天尊之像。「爾時，帝釋即以偈頌而讚歎曰：

> 「さらに、比丘たちよ、業の報いを知り、三十三天の住む地を観察せよ。彼は聞慧によって見る。第十の地を波利耶多（パリヤートラ）という。どのような業によって、衆生はそこに生まれるのか。彼らは聞いて知る。もし人が清らかな信心を持ち、長く物を施し続けるならば。衣服や飲食、寝具や薬などを用いて布施し、さらに他の人々に教えて、生き物を殺さず、蟻や虫に至るまで殺す心を起こさない。もし果実が虫に食べられているのを見れば、その命を護るために、虫のいる果実を食べず、それを食べる人を見れば、食べないように勧める。自ら戒律を守り、さらに他の人にも教える。どのようにして盗まないのか。他の者の所有物に対しては、根や果実の食物に至るまで取らない。もし林の中や空地にあっても、自ら取らず、また他の人にも教える。このような人は、自らを利し他人を利し、命終わった後、波利耶多の樹園に生まれる。波利耶多の樹は第一で最も勝れている。この一つの樹が、閻浮提の人々に善悪の相を示すことができる。もし閻浮提の人々が法に従って行えば、その樹の花や果実は完全に備わる。閻浮提の人々が法に従って行うから、その花の光明は百由旬を照らし、三十三天は心に歓喜を抱いて、周りを取り囲んで住む。このように波利耶多の樹の花や果実が盛んであるのは、閻浮提の人々が父母を孝養し、沙門やバラモン、年長者を供養することを知るからであり、それゆえこの樹の花や果実は美しく栄える。夏の四ヶ月の間、天の衆はこの樹を取り囲んで娯楽し楽しむ。もし波利耶多の樹の花が半ばだけ咲くならば、喜びは少ない。閻浮提の人々が一部分だけ戒律を守ることを知り、この天の樹に半ばの花だけを咲かせるからである。もしすべての人が全て非法を行うならば、この天の樹である波利耶多の花はすべて落ち、その色は憔悴し、光明がなく、香りも失う。例えば冬に雲霧が太陽を覆い、光明がはっきりせず、目を照らしても見ることができないようである。このように波利耶多の拘毘陀羅の樹は光明が少なくなり、香りが減り、相貌が憔悴する。その時、天の衆はこの事を見て、帝釈に告げて言う。『天王よ、知るべきです。波利耶多の樹の光明が減り、香りが弱まり、すべての威徳が以前のようではありません。必ず閻浮提の人々が父母に孝行せず、沙門やバラモン、年長者を敬わないからです。』帝釈はこれを聞いて、すぐに宝の像を取り、天の衆と共に恭敬して供養し、如来の像を尊重して賛嘆し、仏の功徳を念じて、天の衆に告げた。『この波利耶多の拘毘陀羅の樹の花や葉が落ちている。我は今、あの樹の下に行くべきである。汝らは荘厳せよ。我は今、善心を持ち、如来の塔である世尊の形像をあの樹の下に安置し、天の塗香や末香をもって世尊を供養しよう。』その時、天の衆は帝釈の教えを聞いて、無量百千の天の大衆が帝釈の所に集まった。その時、天帝釈は如来の像を天冠の上に置き、頂いて戴きながら行き、波利耶多の樹園に向かった。天の衆がみな喜びがないのを見た。この波利耶多の樹の葉が落ち、本来の光明を失ったからであり、それゆえ喜ばないのである。その時、天帝釈は如来の像を、樹の下の七宝の地にある毘瑠璃の座に安置した。すべての天の衆は皆、信敬の心を起こし、敬重の心を生じ、天の摩盧迦華や天の曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、拘賖耶舍華などの様々な花をもって供養し、香水で如来の形像を浴びせた。このように供養した後、天の衆に教えて信敬の心を起こさせ、慳吝や嫉妬を離れ、放逸の心を離れさせた。『この仏如来は、三界の大師であり、正法の聖衆である。』天の子らは、帝釈の教えを聞いて、皆、敬信の心を起こし、如来の天尊の像に頂礼した。その時、帝釈は偈頌をもって賛嘆した。

「『如來解脫恩愛毒，親愛一切諸眾生，久已度於生死海，南無南無一切智。』

> 「如来は愛執という毒から解き放たれ、 すべての生きとし生けるものを慈しんでおられる。 すでに久しく生死の海を渡り終えた、 すべてを知る智恵ある方に、敬礼いたします。」

「爾時，帝釋合掌恭敬向如來像，與諸天眾䠒跪合掌，復以偈頌讚歎如來：

> その時、帝釈天は両手を合わせて敬意を込め、如来の御姿に向かい、天の民たちと共にひざまずいて手を合わせ、再び偈の形で如来を称え讚えた。

「『如來永斷欲貪瞋，永離熱惱不可量，一切眾生無上師，南無南無一切智。』

> 「如来は欲や怒りを完全に断ち、苦しみや煩いから永遠に離れて、その境地は計り知れません。 すべての生きとし生けるものにとってもっとも尊い師である、一切智者のもとに、心から敬礼いたします。」

「偈讚佛已，一切天眾圍遶樹王，敬重如來，生大信根。如是一切天眾以淨善心增長正法，供養佛像。時波利耶多樹即便生嘴，新葉欲出，諸天見已，皆大歡喜。其樹不久次第花葉，如本不異，其光遍照一百由旬，香氣亦爾。葉如雲色，眾蜂圍遶，其影鮮澤，天眾圍遶，如第二日，見光威德：其香普熏一百由旬，其枝遍覆一百由旬，根亦如是。一切天眾皆大歡喜。其天樹王光明香氣如本具足。譬如六萬眾山之中，須彌山王最為第一：種種樹中，波利耶多樹光明莊嚴亦復如是，最為第一。見勝光明威德殊勝充滿具足，明淨顯現具足明焰，三十三天見之歡喜，共相謂曰：『汝等天子！見佛如是大勢力不？此天樹王華葉光明香氣具足，如本不異。』『三十三天見樹勢力光明增勝，皆離疑網。』『閻浮提人順法修行，念法心勝，魔軍損減，非法惡龍及阿修羅不能破壞。』『如法之人，正法增長，天眾不減，於天女中不復劣弱。』『魔軍減少，天眾大力。以樹王相，當知諸天有大威德。』如是三十三天各各說已。爾時，護世從閻浮提詣第二天波利耶多樹王園中。是時護世見三十三天於波利耶多樹下，以清淨心供養如來，身出光明。到已，頭面頂禮帝釋，白天王言：『諸天大眾今應歡喜。今閻浮提一切人民隨順法行，供養父母、沙門、婆羅門，恭敬長宿。』時諸天眾聞其所說，皆大歡喜，供養護世，作如是言：『汝令我喜，汝亦如是常得慶悅。』以說閻浮提人行法行故，如是天眾聞護世天說如是語，復設供養。既供養已，持如來像，詣善法堂。樹王諸天及天帝釋還入波利耶多樹園，夏四月中受天快樂，遊戲娛樂。天女圍遶，於夏四月遊戲受樂。若有天子從此命終，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若有前業，得生人中，顏貌端正，人所樂見，心常歡喜，安樂無惱，眾人愛敬，歌舞戲笑，常自娛樂，一切女人若有見者，皆生愛敬，或為國王或為大臣。以餘業故。

> 偈をもって仏を讃え終わると、すべての天の衆が樹王を取り囲み、如来を敬い重んじて、大きな信の根を生じた。かくして、すべての天の衆は清らかな善心をもって正法を増長させ、仏像を供養した。その時、波利耶多樹はたちまち芽を吹き、新しい葉が出ようとした。諸天はこれを見て、皆大いに喜んだ。その樹はやがて次々と花や葉をつけ、元のまま変わらず、その光は百由旬を照らし、香りもまた同様であった。葉は雲のような色で、多くの蜂が取り巻き、その陰影は鮮やかに潤い、天の衆が取り巻くことは、あたかも第二の太陽の光と威徳を見るかのようであり、その香はすべてを熏じて百由旬に及び、その枝はすべてを覆って百由旬に及び、根もまた同様であった。すべての天の衆は皆大いに喜んだ。その天樹王の光明と香気は、元のまま完全に具わっていた。たとえば、六万の衆山の中では、須弥山王が最も第一であるように、種々の樹の中では、波利耶多樹の光明の荘厳もまたこのように最も第一であった。勝れた光明、威徳、殊勝さを見せ、充満し具足し、明浄に顕現し明るい炎を具え、三十三天はこれを見て喜び、互いに語り合った。「あなた方天子よ！仏のこのような大いなる勢力を見たか？この天樹王の花や葉や光明や香気が、元のまま変わらず具わっているのを。」三十三天は、樹の勢力と光明が増し勝るのを見て、皆、疑いの網から離れた。「閻浮提の人々は法に従って修行し、法を念ずる心が勝り、魔軍は損減し、非道の悪龍や阿修羅は破壊することができない。」「法に従う人々によって、正法は増長し、天の衆は減らず、天女の中でも劣弱になることはない。」「魔軍は減少し、天の衆は大いなる力を持つ。樹王の相によって、諸天が大いなる威徳を持つことを知るべきである。」と、三十三天はそれぞれこのように語った。 その時、護世は閻浮提から第二天の波利耶多樹王の園に赴いた。この時、護世は三十三天が波利耶多樹の下で清らかな心をもって如来を供養し、身体から光明を放っているのを見た。到着して、頭を地につけて帝釈天に礼拝し、天王に申し上げた。「諸天の大衆は、今まさに喜ぶべきです。今、閻浮提のすべての人々は法に従って行い、父母や沙門、婆羅門を供養し、年長者を敬っています。」その時、諸天の衆はその言葉を聞いて皆大いに喜び、護世を供養して、こう言った。「あなたは我々を喜ばせた。あなたもまた、常にこのように慶びを得るがよい。」と。閻浮提の人々が法の行いを行うことを説いたので、このように天の衆は護世天がこの言葉を語るのを聞いて、さらに供養を設けた。供養を終えて、如来の像を携えて善法堂に赴いた。樹王の諸天および天帝釈は、再び波利耶多樹の園に入り、夏の四ヶ月の間、天の楽しみを受け、遊戯し娯楽した。天女たちに取り巻かれ、夏の四ヶ月の間、遊戯して楽しみを受けた。もしある天子がこの世から命を終えれば、業に従って流転し、地獄・餓鬼・畜生に堕ちる。もし過去の業があれば、人として生まれ、顔貌は端正で、人々に見られることを喜び、心は常に歓喜し、安楽で悩みはなく、人々に愛敬され、歌舞や戯笑を常に自らの娯楽とし、すべての女人が見るならば皆愛敬を生じ、あるいは国王となり、あるいは大臣となる。残りの業によるからである。

## 正法念處經卷第二十七

> 正法念処経 第二十七巻