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title: "正法念處經 · 4"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm9tojlem075ahj0vwtvpw431"
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## 正法念處經卷第二十八

> 正法念処経 第二十八巻

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品第六之七三十三天之四

> 観天品 第六の七<note>三十三天の四</note>

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：三十三天第十一地名離險岸。眾生何業生於彼處？彼聞知見：若人持戒利益眾生，福德熏心，或功德人持戒智慧，或復病人施其一食。自不殺生：若空樹中或有蟲蟻、種種細虫，若種種放牧牛羊、象馬駝驢之人，或冬寒時氷雪霜降，於曠野中放火焚燒，若有善人或以水土滅此燒火，見作勸止，自不故作，設作改悔，不生隨喜，為說恐怖，令住善法。令彼眾生住於善法，自不偷盜亦不教人。如是之人命終生於離險岸天。其地金銀、種種赤寶以為廁填，如是種種金銀雜寶雜業莊嚴，種種眾寶種種廁填，種種寶樹以為莊嚴，種種禽獸莊嚴其地，處處皆有禽獸之類遍險岸地，一切園林無量七寶以為莊嚴。離險岸天住此林中，莊嚴之具如融金聚，百千天女以為圍遶受五欲樂。隨其住處，身出光明，岸樹光明亦如天身，於此林中遊戲受樂。與諸天女往詣河林，其河兩岸多諸金樹，黃金為葉，以樹光明令水黃色，悉無白色。其流駛疾，不見白色。於園林間天子天女遊戲受樂。天作是念：『今此樹中應出美飲。』以善業故，隨其所念，即時流出種種美飲，色香味具，以諸寶器而用飲之。飲天上味，受天快樂。見諸天女愛火所燒，以樂覆故，而不覺知。天子復念：『我今欲聞種種音聲。』以善業故，隨其所念，有風動樹出妙音聲，勝五樂音。天子復念：『今此樹上應當出於須陀之味。』以善業故，隨其所念，即於樹上，猶如大器盛物瀉之，從上而下，石蜜之味不得為比。天子食之，歌眾妙音，往詣寶地，諦觀瞻視，常樂念欲，至寶地中受五欲樂。捨此地已，復詣普林，其普林中有七種鳥，真金七寶以為鵝鳥，因陀青寶以為鸚鵡，翅多赤寶以為鴛鴦，毘琉璃寶以為鳧鴨，青寶車𤦲以為孔雀，大青七寶為命命鳥，珊瑚銀寶為迦陵頻伽。其聲美妙如婆求鳥音，眾所樂聞，翱翔空中遊戲自娛，其音美妙如天女音。於蓮花池，眾蜂莊嚴遊戲其中，復於陸地翱翔遊戲。復有金樹，種種葉影映飾鳥身，天見眾鳥，發歡喜心，耳聞其音心意悅樂。天子行空與鳥遊戲，或於水中與鳥遊戲，或於陸地共鳥遊戲。如是天眾共鳥遊戲，天子天女互相娛樂，天鳥仇匹遊戲受樂。

> また、比丘たちよ、業の報いを知り、三十三天の住む地を観察せよ。彼は聞慧によって見る。三十三天の第十一地は「離険岸」と名づけられる。衆生は何の業によってその地に生まれるのか？彼は聞いて知る。 もし人が戒を保ち、衆生に利益を与え、福徳が心を薰じ、あるいは功徳ある人が戒と智慧を持ち、あるいは病気の人に一食を施すならば。自らは殺生せず、もし空の木の中に虫や蟻、さまざまな細かい虫がいても、あるいはさまざまな牧畜（牛・羊・象・馬・駱駝・驢馬）を行う人々がいても、あるいは冬の寒さで氷雪が降り積もる時、荒野で火を放って焼き払うことがあっても、もし善き人が水や土でその火を消し止め、それを見ては止めるよう勧め、自らは故意に火をつけず、もしつけてしまっても悔い改めさせ、それに随喜せず、恐怖を与えて善法に住まわせるならば。その衆生を善法に住まわせ、自らも盗まず、また他人にも盗ませない。このような人は命終の後、離険岸天に生まれる。 その地は、金・銀・さまざまな赤宝で敷き詰められ、このように種々の金・銀・雑宝で雑多に荘厳され、さまざまな宝樹で飾られ、さまざまな禽獣がその地を荘厳する。至る所に禽獣の類が険岸の地に満ちている。すべての園林は無量の七宝で荘厳されている。離険岸天に住む者はこの林の中に住み、荘厳の具は溶けた金を集めたようであり、百千の天女に囲まれて五欲の楽しみを受ける。その住むところに従って、身から光明を放つ。岸の樹の光明もまた天の身のようであり、この林の中で遊戯して楽しみを受ける。そして諸天女と共に河の林へ行く。その河の両岸には多くの金の樹があり、黄金の葉で、樹の光明によって水は黄色く染まり、白色は全くない。その流れは速く、白色は見えない。園林の間で天子・天女は遊戯し楽しみを受ける。 天はこう思う。「今、この樹からは美しい飲み物が出るべきだ。」善業の力により、その思いのままに、さまざまな美しい飲み物がすぐに流れ出る。色・香り・味が整い、さまざまな宝の器でそれを飲む。天上の味を飲み、天の楽しみを受ける。諸天女が愛の火に焼かれているのを見るが、楽しみに覆われているため、それを自覚しない。 天子は再び思う。「私は今、さまざまな音声を聞きたい。」善業の力により、その思いのままに、風が樹を動かして妙なる音声を出し、五楽の音にも勝る。 天子はまた思う。「今、この樹上からは須陀の味が出るべきだ。」善業の力により、その思いのままに、樹の上から、大きな器が物を注ぐように、上から下へと流れ出る。石蜜の味も比べるべくもない。天子はそれを食べ、さまざまな妙なる音を歌いながら、宝の地へ行き、詳しく観察し眺め、常に欲望を楽しみ、宝の地の中で五欲の楽しみを受ける。 この地を捨てた後、また普林へ行く。その普林には七種の鳥がいる。真金の七宝で鵝鳥とし、因陀青宝で鸚鵡とし、翅多赤宝で鴛鴦とし、毘琉璃宝で鳧鴨とし、青宝車𤦲で孔雀とし、大青七宝で命命鳥とし、珊瑚銀宝で迦陵頻伽とする。その声は美しく、婆求鳥の音のようで、衆が聞くことを楽しむ。空中に舞い上がり遊戯し自らを楽しませ、その声は美しく、天女の音のようである。蓮華の池では、衆蜂に荘厳され、その中で遊戯し、また陸地でも舞い上がり遊戯する。また金の樹があり、さまざまな葉の影が鳥の身を飾り映す。天は衆鳥を見て歓喜の心を起こし、耳でその音を聞き、心は楽しみ悦ぶ。 天子は空を行き、鳥と共に遊戯し、あるいは水の中で鳥と遊戯し、あるいは陸地で鳥と共に遊戯する。このように天の衆は鳥と共に遊戯し、天子と天女は互いに楽しみ合い、天の鳥も互いに対となり遊戯し楽しみを受ける。

「比丘觀鳥受天樂已，而說頌曰：

> 比丘が鳥の天の楽しみを受けるのを見て、偈を説いた。

「『畜生行欲，癡力所作，天若如是，畜生無異。人受富樂，不著放逸，是智慧人，愚者相違。放逸將天，至於地獄，智者所說，放逸如毒。愚癡放逸，著現在樂，放逸果熟，後生大悔。觀於放逸，無少利益，若捨放逸，常無憂惱。放逸大苦，不放逸樂，舉要言之，應捨放逸。若人愛苦，應行放逸，樂行放逸，終無樂報。樂不放逸，至不退處，不行放逸，常無苦報。此諸天眾，與鳥遊戲，天與畜生，等無差別。界道身意，一切皆壞，天人非人，地獄餓鬼。意差業別，業別道分，諸業分異，道亦如是，種種雜業，生於天中，樂著放逸，不覺退沒。死相既至，汝當自知，於天中退，受大苦惱。為癡所害，放逸所誑，諸天渴愛，墮於地獄。戲樂自誑，墮於地獄，受天樂已，後受大苦。為心所惑，不厭生死；為愛所欺，從苦入苦。』

> 「畜生が欲情にふけるのは、愚かさによるものだ。天人が同じようなことをするなら、畜生と何ら変わらない。人は富みや楽しみを得ても、それに執着せず、心を放縦にしないことこそ、智慧ある者である。愚か者はこれに反する。放縦は天人の身を地獄へと導く。智者が説くように、放縦は毒のようなものだ。 愚かであり放縦にふける者は、目先の楽しみに執着する。しかし、その放縦の果実が熟す時、後に大きな後悔が生まれる。放縦をよく観察すれば、少しの利益もないと知る。もし放縦を捨てれば、常に憂いや悩みはない。放縦は大きな苦しみであり、放縦しないことは楽しみである。要点を言えば、放縦を捨てるべきである。 もし人が苦しみを愛するなら、放縦にふれるがよい。しかし、放縦を楽しんでも、最終的に楽しい報いはない。放縦しないことを楽しむ者は、退転しない境地に至る。放縦を行わなければ、常に苦しみの報いはない。この天の者たちは、鳥と遊び戯れている。天人が畜生と遊ぶのは、何の違いもない。 境界や心、身体、意識のすべてが壊れてしまう。天人も人間も、そうではない者も、地獄や餓鬼も。心の働きによって業は異なり、業の違いによって道は分かれる。様々な業が混ざり合って、天界に生まれる。しかし、放縦に執着して楽しめば、退き没することに気づかない。 死の相が現れた時、あなたは自ら知るだろう。天界から退き、大きな苦しみを受けるのだと。愚かさに害され、放縦に欺かれ、天人は渇愛にかられて地獄に堕ちる。遊び戯れて自らを欺き、地獄に堕ちる。天の楽しみを受けた後に、大きな苦しみを受けるのだ。 心に惑わされ、生死を厭わない。愛欲に欺かれ、苦しみから苦しみへと進むのである。」

「比丘如是以是偈頌呵責放逸諸天子等，貪於五欲，不知厭足，如火得薪。乃至愛善業盡，從天還退，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若有善業，生於人中，常受安樂，飲食充足，國土豐樂，五穀熟成，或為王者或為大臣。以餘業故。

> 比丘はこのように偈頌をもって、放逸な天子たちを戒めました。彼らは五欲に執着し、まるで火が薪を得て燃え盛るかのごとく、満足することを知りません。そして、彼らの善業が尽きる時、天界から堕落し、その業によって輪廻を流転し、地獄・餓鬼・畜生の道に堕ちます。もし善業があれば、人間として生まれ、常に安楽を受け、飲食も満ち足り、国土は豊かで楽しみに満ち、五穀も豊かに実ります。あるいは王となり、あるいは大臣となるでしょう。これらはみな、残された業によるものなのです。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：三十三天第十二地名谷崖岸。此諸眾生以何等業生於彼天？彼聞知見：若人善心修行福德，施坐禪人得初禪者。自施其食，教人施食，施已隨喜，教他隨喜，是名布施。不殺不盜：若人道行，井泉池流施水之處，施其瓶罐飲水之器供給行路。復有異人教他盜取持度曠野：『汝若不取，必當渴乏。』爾時，其人雖知渴死，畏犯罪故，不受其教，不盜財物亦不隨喜，勸人不取，令住善道，乃至失命不犯偷盜。云何不殺？自行不殺，勸人不殺，毀呰殺法。若屋窓牖、若戶扇間、若屋樑上有微細蟲，若然火時，懼傷其命，不閉戶牖，是名不殺。復教他人，令行不殺，住於善道。如是之人命終生於三十三天峪崖岸天，受善業報。有一林樹名隨時低，其林種種眾寶光明，青毘琉璃清淨無垢，種種眾鳥出妙音聲，花常開敷，流泉河池以為莊嚴，青毘琉璃以為蓮花，莊嚴金峯如融金聚。雜色眾鳥遊戲其中，或於水中或於陸地，或於山峯、險岸山窟出眾妙音。善業所化，受善業果。種種天女之所圍遶，天鬘天衣以為莊嚴，色相威德端嚴殊特，於此林中歌舞遊戲。以善業故，林中天鳥而說頌曰：

> 「さらに、比丘たちよ、業の報いを知り、三十三天の住む地を観察せよ。彼は聞慧によって見る。三十三天の第十二の地を、谷崖岸という。いかなる業によって、この者たちがその天に生まれるのか。彼は聞いて知る。 もし人が善心をもって修行し、初禅を得た坐禅者に食物を布施する。自ら食物を施し、他人にも施すよう教え、施した後に共に喜び、他人にも共に喜ぶよう教える。これを布施という。 また、殺さず、盗まない。もし人が道を行くとき、井戸や泉、池や流れのある水を施す場所で、瓶や罐、飲み水の器を施し、旅人に供給する。 さらに、別の人が彼に盗ませようと誘い、荒野を越えさせようとして言う。「もしお前が取らなければ、必ず渇きに苦しむだろう。」 その時、その人は渇きで死ぬと知っていても、罪を犯すことを恐れ、その教えを受け入れず、財物を盗まず、また共に喜ばず、他人にも取らないよう勧め、善道に留まらせ、命を失うことになっても、盗みを犯さない。 どのようにして殺さないのか。自ら殺さず、他人にも殺さないよう勧め、殺す方法を非難する。もし家の窓や扉の間、屋根の梁に微細な虫がいて、火を灯す時、その命を傷つけることを恐れて、戸や窓を閉めない。これを不殺という。また他人にも教え、殺さないように行わせ、善道に留まらせる。 このような人は、命終の後、三十三天の峪崖岸天に生まれ、善業の報いを受ける。 そこには「隨時低」という名の林がある。その林は種々の宝の光を放ち、青く清らかな琉璃（るり）のような輝きで、汚れがなく、種々の鳥が妙なる声を響かせ、花は常に咲き誇り、流れる泉や池が飾りとなっている。青く清らかな琉璃の蓮華があり、金の峰を飾って、溶けた金が集まったように見える。色とりどりの鳥たちがその中で遊び戯れ、水の中や陸地、あるいは山の峰や険しい岸辺、岩窟で妙なる声を奏でる。善業によって変じたものであり、善業の果報を受ける。 種々の天女たちが囲み、天の鬘（かんむり）や天の衣で飾られ、姿かたち、威徳、端厳（たんごん）なこと、特に優れている。この林の中で歌い舞い遊ぶ。善業の故に、林の中の天の鳥が詩（うた）を詠んで言う。

「『眾生造善業，天中受快樂；若造不善業，地獄受苦報。既生於天中，而能自覺悟，從樂得樂果，不為愛所惑。業繩縛眾生，長在三有獄，業力自在轉，如轂轉眾輻。輪轉於三有，八方及上下，業力風所吹，如塵遊虛空。因緣之所生，如蓮花莊嚴，如是天莊嚴，皆從善業生。譬如清淨水，如虛空無塵，如是清淨心，能至安樂處。解脫三縛人，能護於五根，遠離一法人，天中受安樂。無慚無愧人，不調惡知識，如毒亦如火，智者應捨離。實語行施人，常應樂親近，常慈心眾生，此道生天中。直心不諂曲，布施修正念，以是自業因，來生此天中。世間一切命，皆由法非法，救護無過法，是故應行法。若人捨離法，樂行不善業，為惡之所燒，受苦無窮盡。既得生天已，若縱放逸心，其人善業盡，退時乃自覺。究竟樂為勝，無生亦無死，死網縛眾生，無有安樂處。隨其受樂處，愛心轉增長，愛火燒眾生，地獄受苦報。勿得行放逸，諸天所不應，放逸過所壞，退失於天處。』

> 「衆生が善い行いを積めば、天上で楽しみを受け、 もし不善な行いを為せば、地獄で苦しみの報いを受ける。 ひとたび天に生まれて自ら悟りを得れば、 楽しみからさらに楽しみの果報を得、愛に惑わされることはない。 業という縄が衆生を縛り、長く三つの生存界の牢獄に留め、 業の力が自在に働き、車輪が多くの輻（や）を回すように巡る。 三つの生存界を輪廻し、八方と上下にわたり、 業の力の風に吹かれ、塵が虚空を遊ぶように漂う。 因縁によって生じるものは蓮華の荘厳のようであり、 このように天の荘厳も、すべて善い業から生まれる。 例えば清らかな水や、虚空に塵がないように、 このような清らかな心こそ、安楽の場所に至ることができる。 三つの束縛から解き放たれた人は、五つの感覚の根を守ることができ、 一つの誤った法を遠ざける人は、天の中で安楽を受ける。 恥じる心も慎む心もなく、調伏できない悪い知識は、 毒のごとく、火のごとく、賢者はこれを捨て去るべきである。 真実の言葉を語り、布施を行う人には、常に喜んで近づくべきであり、 常に慈しみの心で衆生を見る人、この道が天に生まれる道である。 直ぐな心で曲がった心がなく、布施を施し正しい念を修める、 これが自らの業の因として、この天に生まれてくる。 世の中のすべての命は、法と非法によって決まり、 救い護るものに法より勝るものはない、ゆえに法を行うべきである。 もし人が法を捨てて、不善の業を好んで行えば、 悪に焼かれ、苦しみを受けて尽きることがない。 ひとたび天に生まれたなら、もし心を放逸にしてしまえば、 その人の善い業は尽き、退く時に自ら悟る。 究極の楽しみが最も勝れており、生もなく死もない、 死の網が衆生を縛り、安楽の場所はない。 その楽しみを受ける場所に従って、愛の心はますます増大し、 愛の火が衆生を焼き、地獄で苦しみの報いを受ける。 放逸を行ってはならない、それは天人が為すべきことではない、 放逸という過ちに壊されて、天の境地を失ってしまう。」

「如是天鳥說此法時，天子心亂，念諸天女，於利益法不聽不受，渴愛五欲，心意耽著，於蓮花池遊戲之處歡娛受樂。復往山峯名樂遊戲山峯，有鳥名曰戲樂，遊戲池中互相娛樂。時天見鳥，作如是念：『奇哉！此鳥種種眾色、種種音聲，勝一切鳥。』是時天子復作是念：『我今乘鳥遊觀林池。』天既念已，即時鳥身自變麁大，爾時天子以手摩捫，乘之遊空，翱翔受樂。天子復念於鳥背上化七寶殿，園林花池皆悉具足，種種眾鳥以為莊嚴，上乘虛空，與諸天女種種莊嚴，處處遊戲受種種樂，遍觀諸天所住之處。既觀察已，轉增愛著，足百千倍，不可為比。如是愛火，六欲熾然，不可調伏，妄愛為樂，實為大苦。乘鳥遊空，五樂音聲歌頌之音，其聲美妙不可譬喻。遍見一切天子天女於須彌山，園林池流、山谷樹林蓮花遍覆，多有眾鳥，皆悉見之。一一住處，無量百千諸天所住，處處觀之，猶不厭足。諸根愛著貪著五欲，歡喜無厭，愛心增長。如是多時乘鳥遊戲，觀須彌山王六萬諸山，善業諸天之所住處，無量寶焰光明莊嚴，甚可愛樂。須彌四面有四種色，謂毘琉璃、白銀、黃金、頗梨之色。此天遍行觀須彌山，乘於鳥殿還其所止，至其住處，如天所念，色相莊嚴。是時天子復乘鳥殿至摩時多池，其池周匝廣五由旬，青毘琉璃種種蓮花以為莊嚴。鳥至此池與諸天女受五欲樂，猶如眾蜂貪嗜花味，飲於摩偷、食須陀味，色香美味皆悉具足，服天寶衣，與諸天女遊戲受樂。乃至愛善業盡，從天命終，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若有善業，得生人中，常受富樂，多有乘騎遊戲之處，或為王者或為大臣，人所敬愛。以餘業故。

> かくて天の鳥がこの教えを説いた時、天子は心乱れ、天女たちを想い、利益の法を聞かず受け入れず、五欲に渇き、心はそれに執着し、蓮華池の遊戯の場で楽しみに耽った。また、楽遊戲山という山頂へと向かい、そこには戯楽という名の鳥がおり、池の中で遊びながら互いに楽しみ合っていた。天子はこの鳥を見て、「なんと見事な鳥だ！様々な色、様々な声で、すべての鳥に勝っている」と心に思った。 さらに天子は思った。「我、今この鳥に乗って林や池を巡り遊ぼう」。そう思うとすぐに、鳥は自ら姿を大きく変えた。天子は手で鳥を撫でながらこれに乗り、空中に遊び、翔けめぐって楽しんだ。さらに天子は思い描いた。鳥の背上に七宝の殿閣を出現させ、園林や花池をすべて備え、様々な鳥たちで荘厳しようと。そうして虚空に乗り、様々に飾りたてた天女たちと共に、あちらこちらで楽しみ、様々な楽を受けて、あらゆる天人の住むところを遍く観て回った。 一度観た後も、愛着はますます増し、百千倍にもなり、比べるものがないほどであった。このように愛欲の火は六欲に燃え上がり、調伏することができず、虚妄の愛を楽しみとしながら、実は大いなる苦しみである。鳥に乗って空中を遊び、五つの楽器の音や歌声の響きは美しく、譬えようもない。須弥山にいるすべての天子や天女たち、園林や池の流れ、谷間や樹林、蓮華が覆うところ、多くの鳥たちを、すべてありありと見渡した。それぞれの住処には無量百千の天人が住み、その一つ一つを見ても飽きることがなかった。 諸々の感官は愛着に絡め取られ、五欲に執着し、歓喜して満足を知らず、愛欲の心は増長していく。こうして長い間、鳥に乗って遊戯し、須弥山王の六万の山々、善い行いの天人が住むところ、無量の宝焔の光明が荘厳し、甚だ愛らしいのを観て回った。須弥山の四面には四種の色があった。すなわち、瑠璃、白銀、黄金、水晶の色である。この天人は須弥山を遍く巡り観て、鳥の殿閣に乗って自分の住処に帰り、自分の思い描いた通りの色相の荘厳を得た。 さらに天子は鳥の殿閣に乗って摩時多池へと向かった。この池は周囲が五由旬あり、青瑠璃の様々な蓮華で飾られていた。鳥はこの池に至り、天女たちと共に五欲の楽を受けた。あたかも多くの蜂が花の味を貪り好むように、摩偷を飲み、須陀の味を食み、色・香・味がすべて備わっていた。天の宝衣をまとい、天女たちと遊戯して楽しんだ。 ついに善い業の功徳が尽きると、天子は命終わり、業に従って流転し、地獄・餓鬼・畜生に堕ちた。もし善い業があれば、人間に生まれ、常に富と楽を受け、多くの乗り物や遊戯の場を持ち、あるいは王者となり、あるいは大臣となって、人々に敬愛された。これが余った業の報いである。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：第十三地名摩尼藏。眾生何業而生此天？彼聞知見：若有善人利益眾生，不殺不盜，亦教他人令住善道，自不殺生，乃至見於酒蜜之中有濕生蟲，若不漉治，終不故飲。不教他作亦不隨喜，知不善業，捨而不作，見他作惡，捨不親近，勸令修善，是名不殺生。云何不盜？乃至入於塔廟，若有供養佛塔燈明，不以此光營作眾事，亦不取煙以為書墨，微細之罪悉皆畏懼，是名不盜。復有不殺及不偷盜：不殺生者，乃至蚊蟻惱觸於人亦不殺害，心不念殺，若見他殺，勸令放捨，語其人言：『若殺生者，是不善業，命終當墮活地獄中。』如是教他令不作惡，安住善法。如是善人自持禁戒，令他住戒。若行曠野、若飢饉世，以飲食施。若其飢餓困逼之時，不盜他食。於曠野中，貧窮飢困乏少糧食者，能減己食，施諸貧人。以思心、福田二事勝故，得大果報，以時施故。何以故？病之大者，無過飢饉，是故施食得大果報。如是二種持戒之人，自利利他，善心直行，第一善人，乃至小罪常懷大懼，以眾寶珠施於父母，或以珠瓔施如來像。是人命終生三十三天摩尼藏地。生彼天已，受第一樂，五欲自娛。是善業人威德光明皆悉普照五百由旬，譬如日出普照眾山，此天光明照一切地亦復如是。其眾寶地先具光明，如是天子身光既照，百倍轉勝。其諸光明青黃朱紫如天虹色，其身光明百倍轉勝，莊嚴殊妙。以善業故，身如電光，勝諸天眾。如眾星中月最第一，此天之身亦復如是。遍身光焰，自觀寶地，其地皆以種種摩尼以為莊嚴，種種間錯，分齊分明，一切光明猶如百日一時同照。天子見之，生大歡喜。復觀異處，見諸天女妙色具足，以不可譬喻種種眾寶以為莊嚴，受諸欲樂，鼓樂絃歌、笙笛箜篌，如是種種歌眾妙音。或有舞戲，天鬘莊嚴，或於花池與鳥遊戲，或食天果。復於意樹取諸花果，歌欲樂音，令眾歡喜。天子既至，見諸天女為諸欲境惡蛇所螫，從坐迴顧向諸天女。諸天女等，天鬘莊嚴，天子見之，欲火燒心，迴顧天女。

> さらに、比丘は業の果報を知り、三十三天の住む地を観察する。彼は聞慧によって、第十三天が「摩尼蔵」という地であることを見る。では、どのような業によって、衆生はこの天に生まれるのだろうか。彼は聞いて知る。もし善人がいて、衆生を利益し、殺さず、盗まず、また他の人々を善道に留まるよう教え、自らは殺生をしない。さらに、酒や蜜の中に湿生の虫がいるのを見れば、漉さずに飲まず、他人に作らせず、またそれを見て喜ばない。不善の業を知り、それを捨てて行わず、他の人が悪を行うのを見れば、それに近づかず、善を修めるよう勧める。これを不殺生という。では、不盗とはどういうことか。それは、寺院や塔廟に入った時、もし仏塔の灯明を供養するものがあれば、その灯明の光で他の仕事をせず、またその煙を取って墨としない。微細な罪をもすべて恐れ慎む。これを不盗という。さらに、不殺生と不偷盗について。不殺生とは、蚊や蟻が人を悩ませることがあっても、殺さず、心にも殺そうと思わないこと。もし他の人が殺すのを見れば、やめさせて放すよう勧め、その人に言う。「命を奪うことは不善の業であり、命終われば活地獄に堕ちるだろう」と。このようにして、他の人に悪をさせず、善法に安住させる。このような善人は、自ら戒律を守り、他の人にも戒律を守らせる。もし荒野を歩いたり、飢饉の世にあれば、飲食を施す。もし飢えや渇きに苦しみ困っている時でも、他人の食べ物を盗まない。荒野の中で、貧しく飢え、食物が乏しい者がいれば、自分の食べ物を減らして貧しい人に施す。思心と福田という二つのことが優れているから、大きな果報を得る。時機に適って施すからである。なぜか。病の中で飢えほど大きなものはない。ゆえに、食べ物を施すことは大きな果報を得る。このような二種の持戒の人は、自らを利し他を利し、善心を持ち、まっすぐに行動し、第一の善人である。小さな罪ですら常に大いに恐れ、多くの宝珠を父母に施し、あるいは宝玉の瓔珞を如来の像に施す。この人は命終わって三十三天の摩尼蔵の地に生まれる。その天に生まれてから、最高の楽しみを受け、五欲を楽しむ。この善業の人は、威徳と光明がすべての地を照らし、五百由旬に及ぶ。例えば、太陽が昇ってすべての山々を照らすように、この天人の光明がすべての地を照らすのもまた同様である。その宝の地はもとより光明を備えているが、この天子の身の光が照らすと、その光は百倍も勝る。その光は青、黄、朱、紫で、天の虹の色のようであり、天の身の光は百倍も増し、荘厳で殊勝である。善業のゆえに、身は電光のようで、他の天衆よりも勝れている。例えば、多くの星の中で月が最も優れているように、この天人の身もまたそうである。全身に光炎が満ち、自身の宝の地を見ると、その地はすべて種々の摩尼で荘厳され、様々に交錯し、区別が明らかで、すべての光明は、まるで百日の太陽が同時に照らすようである。天子はこれを見て大喜びする。さらに別の場所を見ると、諸々の天女がいて、その妙なる姿は完全で、譬え難い種々の宝によって荘厳されている。様々な欲望の楽しみを受け、鼓楽、弦歌、笙、笛、箜篌など、様々な美しい音を歌う。あるいは舞い戯れ、天の鬘で飾られ、あるいは花の池で鳥と遊び、あるいは天の果実を食べる。また意のままになる樹から様々な花や果実を取り、愛欲の楽しい音を歌い、皆を喜ばせる。天子が来ると、天女たちは欲望の対象という悪蛇に刺されている。天子は座から顧みて天女たちに向かう。天女たちは天の鬘で飾られ、天子は彼女たちを見て、欲望の火に心を焼かれ、振り返って天女を見る。

「時諸天女見其丈夫命將臨終，五死相現，猶如眾蜂捨於萎花，赴新開花。諸天女等，捨本所事，趣此天子亦復如是。種種天鬘、種種天衣以自莊嚴，以愛欲心娛樂天子，令心喜悅。是退天子，以無始來習諸愛欲，見其天女背叛異趣，心生熱惱。如阿鼻獄猛火燒身，見諸天女背己趣他，其心熱惱亦復如是。從天命終，以嫉妬心自害其身，有報將盡，取緣濁心，更無所見，退墮地獄、餓鬼、畜生。以何因緣，見諸天女叛己趣他，生大苦惱？以於前世人中之時，邪行非禮犯他婦女。以作善業生於天中，侵他妻故，見斯惡業。如是善業之中惡業成熟，是故微少惡業所不應作。若能奉持七種之戒，不缺不漏，則有餘果。夜摩諸天見退沒相，則不如是，未來世報略而說之，不復廣說。

> 時に、天女たちは夫である天子の命がまさに尽きようとし、五つの死相が現れているのを見た。それはちょうど、多くの蜂が萎れた花を捨てて新しく咲いた花へと赴くようなものであった。天女たちもまた、本来仕えていた者を捨てて、この天子のもとを去ろうとするのである。 彼女たちは様々な天の花飾りや天の衣で自らを飾り、愛欲の心をもって天子を楽しませ、その心を喜ばせようとする。しかし、この退かんとする天子は、無始の昔から習い染みた愛欲のために、自分の天女が他の者に背を向けて去っていくのを見て、心に激しい苦しみが生じる。それはあたかも阿鼻地獄の猛火が身を焼くかのようであり、天女たちが自分を捨てて他の者のもとへ行くのを見て、その心はこの上なく熱く悩むのである。 そして天界での命が終わる時、嫉妬の心によって自らを害し、報いが尽きようとして濁った心に縁を取り、もはや何も見えずに地獄・餓鬼・畜生の道に堕ちていく。 なぜ天女たちが自分を裏切って他の者へ行くのを見て、これほどの大苦悩が生じるのか。それは前世において人間であった時、非道な行いで他人の婦女を犯したからである。善業によって天界に生まれたとしても、他人の妻を侵したがために、このような悪業の報いを見ることとなるのだ。このように善業の中にあっても悪業の報いは成熟するのであるから、たとえ微少な悪業であっても、決して行うべきではない。 もし七つの戒めをよく保ち、欠けることも漏れることもなければ、残りの果報はある。しかし、夜摩天の者は退没の相を見てもこのようなことはない。未来世の報いについては、簡略に述べるにとどめ、詳しくは説かない。

「諸天女眾天鬘莊嚴，速往詣於初生天子，以諸天鬘而用上之，令其莊嚴。花鬘香氣色香具足無有萎變，令初生天子著此花鬘。天子著之，心生歡喜，即相親近共遊園林互相娛樂。於此地處天眾所住，見清淨水毘琉璃花，真金為葉，金剛為鬚，百千眾蜂以為圍遶。其蜂或以真金為翅，毘琉璃身，白銀為翅，真金為身，赤寶為翅，雜色為身，珊瑚為翅，常於如是不萎不變蓮花池中遊戲娛樂，其聲清妙如天女音。如是眾蜂以為莊嚴。天子天女入蓮花池遊戲受樂，歌詠戲笑，久於池中娛樂受樂。復往詣於金鬘樹林，二樹彌覆。既至林中，種種伎樂出妙音聲，見須彌峯如融金聚，見諸天眾在於山峯與諸天女伎樂自娛，天鬘天衣以為莊嚴，閻浮檀金以為瓔珞莊嚴其身。於蓮花池優鉢羅池種種香味皆悉具足，天子天女遊戲受樂。鵝鴨鴛鴦、大力師子悉為行列，諸天在中遊戲受樂。復見天眾行於虛空，與諸天女猶如明燈，歌頌美音以自娛樂，雨眾妙花，受天快樂，五樂音聲歌戲娛樂。復見天眾飲天美味，無有醉失，各說愛語以相娛樂，令心喜悅。復見天眾食須陀味，以自善業所得果報，色香味觸皆悉具足。復見天眾於七寶樹採七寶花以自莊嚴。復見天眾採花摘果，或有食者，或相打擲以為戲笑，共相娛樂。復見天眾乘於天鳥，眾雜七寶以為莊嚴，乘此鵝鳥遊於虛空，互共遊戲。復見天眾歌眾樂音，於天子前，諸天女眾舞戲娛樂，以天蓮華互相打撲，以生欲心言說調謔，增愛境界。

> 多くの天女たちは天の花飾りで身を飾り、生まれたばかりの天子のもとへ急ぎ向かいます。そして、その天の花飾りを捧げて、天子の身を飾ります。その花飾りの香りと色は完全に備わり、決して枯れたり変色したりすることがありません。生まれたばかりの天子がこの花飾りを身に着けると、心から喜びを生じ、天女たちと親しく交わり、共に園林を巡り歩き、互いに楽しみ合います。 この地にある天人の住まいには、清らかな水と瑠璃の花があり、真金で葉をつくり、金剛石で蕊とし、百千もの群れの蜂がその周りを囲んでいます。その蜂はあるものは真金の翅を持ち、瑠璃の体をしています。あるものは銀の翅、真金の体。あるものは赤い宝の翅、様々な色の体。あるいは珊瑚の翅を持つものもいます。そして常に、このような枯れることのない蓮華の池の中で遊び戯れ、その声は清らかで美しく、天女の声のようです。これらの多くの蜂が、そのようにして荘厳となっています。 天子や天女たちは蓮華の池に入り、遊び楽しみます。歌を歌い、戯れ笑い、長い間その池の中で楽しみ、喜びを受けます。その後、金の花飾りの林へと向かいます。そこには二本の樹が覆い被さっています。林の中に入ると、様々な楽器から妙なる音が響き、須弥山の峰が融けた金の塊のように輝いているのを見ます。多くの天人がその山の峰で天女たちと共に音楽や舞楽に興じ、天の花飾りや天の衣で身を飾り、閻浮檀金の瓔珞で身を飾っているのを見ます。 蓮華の池や優鉢羅の池には、様々な香りと味が完全に備わっており、天子や天女たちはそこで遊び、楽しみます。鵝、鴨、鴛鴦、大力の獅子たちも整然と列をなし、その中で天人は遊び戯れて楽しみます。また、虚空を行く天人の群れを目にします。彼らは天女たちと共に、まるで明るい灯りのように、美しい音声を歌って楽しみ、たくさんの妙なる花を降らせ、天の楽しみを受け、五つの楽の音声で歌や戯れに興じています。 さらに、天人が天の美味を飲む様子を見ます。しかし、酔って乱れることはなく、互いに愛しい言葉を語り合って楽しみ、心を喜ばせています。また、天人が須陀味を食している姿を見ます。これは自身の善業によって得た果報であり、色・香り・味・触感のすべてが完全に備わっています。 また、天人が七宝の樹から七宝の花を採り、自らの身を飾っているのを見ます。天人が花を摘み、果実を採り、あるものはそれを食べ、あるものは互いに投げ合って戯れ笑い、共に楽しんでいる様子も見られます。さらに、天人が天の鳥に乗っている姿を見ます。様々な七宝で飾られたこの鵝鳥に乗って虚空を遊行し、互いに戯れています。 また、天人が多くの楽の音を歌い、天子の前で天女たちが舞い踊って楽しみ、天の蓮華で互いに打ち合い、欲望の心を生じて言葉を交わし、からかい合い、愛欲の境地を増長させている様子も見られます。

「初生天子見如是等種種天眾、種種業化，心自思惟：『我雖見此，眼不知足。聞種種聲，耳亦無厭。種種眾香，鼻亦如是。種種六味，舌無厭足。身貪細觸，天衣妙服莊嚴塗身亦復如是，不知厭足。一切愛法，心常隨順，我今愛樂，當受斯樂。』既思惟已，互相愛樂，如天所應受五欲樂。如是天子六愛著心，一切愛火圍遶焚燒。譬如有人於盛夏日極熱之時，行於曠野，大火卒起，燒諸乾草、樹葉枝條，山谷林樹一切火起，慞惶怖走逃避無地；其火焰熾，四面圍遶同為一焰燒一切林，隨其所趣，煙焰俱起為火所燒不能免離。世間一切愚癡凡夫亦復如是，乾草樹枝愛火所燒。將至天中造業之人，結使癡風吹大愛火。修禪習觀，得世俗禪，喻乾枯樹、山谷草葉，愛火所燒。猛熾火者，喻六種愛。處處走者，喻於諸根染著境界。其焰熾然，憶念境界，猛風所吹，愛火所燒，破壞天、人世間。火者喻於愛火。天善業故，受於無量百千種樂，乃至愛善業盡，從天還退，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若生人中，住於寶地，一切眾寶以為莊嚴而生其家，或為大王或為大臣，常受安樂，眾人所愛，子孫具足，豐饒資具。以餘業故。

> 「初めて天に生まれた天子は、このような様々な天の衆生や、様々な業の力による変化を見て、心の中でこう思いました。『私はこれを見ているが、目は満足することを知らない。様々な音を聞いても、耳も飽きることがない。様々な香りに対しても、鼻も同じである。様々な六つの味に対して、舌も満足することを知らない。体は細やかな触れ合いを貪り、天の衣や素晴らしい飾りで身を飾ることもまた同じで、飽きることを知らない。すべての愛しい対象に対して、心は常に従い、今私はこれを愛し楽しみ、この楽しみを受けよう。』こう思った後、互いに愛し合い楽しみ合い、天にふさわしく五つの欲の楽しみを受けました。このように天子は六つの愛に執着する心を持ち、すべての愛の火に囲まれて焼かれます。 例えるなら、ある人が真夏の非常に暑い時に、広い野原を歩いていて、突然大きな火が起こり、乾いた草や木の葉や枝を焼き、谷や林のすべての木々に火が燃え移り、恐れ慌てて逃げ惑っても逃げ場がないようなものです。その炎は勢いよく、四方を取り巻いて一つの炎となり、すべての林を焼き尽くし、どこへ向かおうと煙と炎が立ち上り、火に焼かれて逃れられません。 世の中の愚かな凡夫もまた同じです。乾いた草や木の枝のような愛の火に焼かれます。やがて天に至る業を造る人は、煩悩という愚かさの風が大きな愛の火を吹き起こします。禅定を修め、観察を学び、世俗の禅定を得ることは、乾いた枯れ木や谷の草の葉のようなもので、愛の火に焼かれます。激しく燃える火とは、六つの愛のことを例えています。あちこちに走ることは、諸々の感覚器官が対象に染まり執着することを例えています。その炎が燃え盛るのは、過去の対象を思い出すことであり、激しい風に吹かれて愛の火に焼かれ、天や人の世界を壊します。 火は、愛の火を例えています。天の善い業のゆえに、無量の百千の楽しみを受け、愛や善い業が尽きるまで楽しみ、その後天から退いて、業に従って流転し、地獄、餓鬼、畜生に堕ちます。もし人に生まれるなら、宝の地に住み、すべての宝で飾られた家に生まれ、あるいは大王となり、あるいは大臣となり、常に安楽を受け、人々に愛され、子孫に恵まれ、財産に豊かです。これは残った業のゆえです。」

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：第十四地名曰旋行。眾生何業生於彼地？彼以聞慧見：有眾生不殺不盜，見他作者，勸令不作，說不善業得惡果報。云何不殺？乃至菜葉，若於水中見微細蟲，護之不食。若不漉水，終不故飲。漉水之蟲，不棄乾地，還置水中令蟲安隱，不失其命，亦教他人令住善道。云何不盜？若甘蔗田、若果若菜、若菴婆羅，他所攝物，不起盜心，亦教他人令不偷盜。自持禁戒，教他持戒。云何持戒？不殺不盜。乃至失命，不飲蟲水，亦不受用，亦教他人令其不作，是名不殺生。云何不盜？乃至草葉，亦不故盜。行於布施，若見病人，施其醫藥令得安樂，亦復不以殺蟲之藥與他治病。是善布施，乃至涅槃，其福不盡。是人命終生三十三天旋行之地。

> さらに、比丘は業（ごう）の報いを知り、三十三天の住む地を観察する。彼は聞慧（もんえ）によって、第十四の地が「旋行（せんぎょう）」という名であるのを見る。どのような業によって、衆生はその地に生まれるのか？彼は聞慧によって、ある衆生が殺さず、盗まず、他の者がそれを行うのを見れば、行わないように勧め、不善の業は悪い報いをもたらすと説くのを見る。 「殺さない」とはどういうことか？例えば、葉っぱに至るまで、あるいは水中の微細な虫を見つければ、それを守って食べない。水を漉さなければ、決してわざと飲まない。漉した虫を乾いた地面に捨てず、再び水の中に戻して、虫を安らかにし、その命を失わせない。また、他の人にも善道に留まるよう教える。 「盗まない」とはどういうことか？例えば、甘蔗（さとうきび）の畑、果物、野菜、アンブラ（果実）など、他の者が所有する物に対して、盗む心を起こさず、他の人にも盗まないよう教える。自らは戒律を守り、他の人にも戒律を守るよう教える。 「戒律を守る」とはどういうことか？殺さず、盗まないことである。たとえ命を落とすことがあっても、虫のいる水を飲まず、またそれを使用しない。他の人にもそのようなことをさせない。これを「不殺生（ふせっしょう）」という。 「盗まない」とはどういうことか？草や葉に至るまで、決してわざと盗まない。布施を行い、病人を見れば、その人に薬を与えて安楽を得させる。また、殺虫剤を他の人の治療に使うこともない。このような善い布施は、涅槃に至るまでその福徳が尽きることはない。この人は命を終えた後、三十三天の旋行の地に生まれるのである。

「既生之後，以善業故，一切眾寶光明旋轉，殊勝天女以為供養。既供養已，詣光輪林，種種音樂，林中有鳥，名莊嚴樹，充滿林中。以鳥勢力，隨其心念，欲有所至，飛於虛空，林亦隨行。若諸天子在於樹下，亦隨林行。隨所到處生蓮花池，眾雜蓮花以為莊嚴，毘琉璃葉，真金為莖，白銀為鬚。蓮花臺上諸天女等，歌眾妙音。以善業故，其蓮花中流出摩偷摩偷者美飲，俗名為酒也，天女飲之，與蓮花臺諸天子等住蓮花臺，天女圍遶共飲摩偷，久受樂已，從空而下，與鳥相隨，及天女眾，詣優鉢羅殿。其殿縱廣滿二由旬，如是百千優鉢羅花，一一天女住一葉端，歌舞伎樂。復有青色優鉢羅花，以花青光，令諸天女皆作青色，若在赤色，令諸天女皆見赤色，身莊嚴具亦復如是。天子天女坐蓮花臺，以善業故，與諸天女而共圍遶坐蓮華鬚，手擎種種雜色寶幡歌舞遊戲，久受天樂。從花臺下，見雞娑羅殿，河名樂見，兩岸多有眾寶之樹，枝葉具足，莖幹成就，種種眾鳥，嘴翅端正，婆求之音莊嚴河岸，隨天所念，從河而出。其河莊嚴，天女歌舞甚可愛樂，互相娛樂。天子來詣如是愛河，天女見之，皆大歡喜，歌舞戲笑作眾伎樂。有異天女作眾伎樂來詣天子，是時天子見諸天女顏色妙美，百倍愛著，走趣天女，與此天女及優鉢花諸天女等河岸遊戲。諸天女等，一切同集，作眾伎樂出妙音聲，其歌音聲遍滿須彌山王寶峯之中。時山峯中一切天眾聞是妙音，皆來集會，心意戀著天女歌音，天子天女大眾和合，不起嫉妬，歌舞遊戲。復往詣於遊戲園林，久受無量百千種樂。乃至愛善業盡，從天命終，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若生人中，常受安樂，常樂澡浴，塗香末香，愛眾蓮花、優鉢羅花、拘牟頭花、俱迦那陀花，質直聰慧，愛樂正法；或為國王或為大臣，或作長者或主城戍，或為導師；治生諧偶。以餘業故。

> 生まれた後は、善業の力により、あらゆる宝の光が回転し、殊勝な天女たちが供養を行う。供養を終えると、光輪林へと向かう。そこでは様々な音楽が流れ、林の中には「荘厳樹」という名の鳥が満ちている。この鳥の力によって、思いのままに、行きたい場所があれば虚空を飛び、林もそれに従って移動する。もし天子たちが木の下にいれば、林と共に移動する。到着した場所ごとに蓮華の池が生じ、様々な雑多な蓮華が荘厳し、瑠璃の葉、真金の茎、白銀の蘂を持つ。蓮華の台座の上では、天女たちが様々な妙音を歌う。善業の力により、その蓮華の中から摩偷（うまい飲み物。俗に酒という）が流れ出る。天女たちはそれを飲み、蓮華の台座の上の天子たちと共にその台座に留まり、天女たちに囲まれて摩偷を共に飲む。長く楽しんだ後、虚空から降り、鳥と共に、そして天女たちの群れと共に、優鉢羅殿へと向かう。その殿舎は縦横に二由旬あり、このような百千の優鉢羅花がある。一人ひとりの天女が一つの花びらの端に立ち、歌舞や楽器を奏でる。また、青色の優鉢羅花があり、その花の青光によって、すべての天女たちは青色に見える。もし赤色にあれば、すべての天女たちは赤く見え、身の荘厳具もまた同じである。天子と天女は蓮華の台座に座り、善業の力により、天女たちに囲まれて蓮華の蘂に座り、手に様々な雑色の宝の幡を持ち、歌舞や遊戯を楽しむ。長く天の楽しみを受けた後、花の台座から降り、雞娑羅殿を見る。そこには「楽見」という名の川があり、両岸には多くの宝の木が生い茂り、枝葉は完全に備わり、茎や幹は立派にできている。様々な鳥たちが嘴や翼を整え、婆求の音（美しい歌声）で川岸を荘厳している。天の思いに従って、川から現れる。その川は荘厳で、天女たちの歌舞はとても愛らしく楽しく、互いに楽しみ合っている。天子がこのような愛すべき川に来ると、天女たちはそれを見て皆大喜びし、歌舞や笑い戯れ、様々な楽器を奏でる。別の天女が様々な楽器を奏でて天子のところに来る。この時、天子は天女たちの色艶が美しいのを見て、百倍もの愛情を抱き、天女のところへ走り寄り、この天女や優鉢羅花の天女たちと共に川岸で遊戯する。すべての天女たちが一堂に集まり、様々な楽器を奏でて妙音を発する。その歌声は須弥山王の宝の峰々に満ち渡る。その時、山の峰々の中のすべての天の衆はこの妙音を聞き、皆集まって来る。心は天女の歌声に恋着し、天子と天女の大衆は和合し、嫉妬を起こさず、歌舞や遊戯を楽しむ。さらに遊戯の園林へと向かい、長く無量百千の種類の楽しみを受ける。やがて愛しい善業が尽きると、天の命終わり、業に従って流転し、地獄・餓鬼・畜生に堕ちる。もし人間に生まれれば、常に安楽を受け、常に沐浴を好み、塗香や末香を愛し、多くの蓮華、優鉢羅花、拘牟頭花、俱迦那陀花を愛する。性質は正直で聡明であり、正法を愛好する。あるいは国王となり、あるいは大臣となり、あるいは長者となり、あるいは城塞を守る主となり、あるいは導師となる。生計を営み、調和よく事を成す。これは残りの業の力による。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：第十五地名曰金殿。眾生何業生於彼處？彼以天眼智慧觀察見：持戒人不殺不盜。云何不殺？若見怨家欲來害己，或有他人侵其妻室，雖捉擒獲，不打不害，放捨令脫，軟言慰喻。或見有人欲害怨家，以財贖命，令其得脫。復有惡人已捉擒獲，放之令去而不加害。如是惡人復至其家，欲侵欲害，而復擒獲，還即放之而不加害，以護持戒、畏業果故。怨家持刀欲來殺人，護彼怨家，令其得脫，不被殺戮。畏破戒故，自捨身命，不害他人，是名不殺。云何不盜？不盜幾種？此持戒人，乃至小罪生大恐怖，畏業果報，不造惡業，修行善業。復有不盜，見於小罪乃至微塵，心生恐怖。或詣塔寺或至園林，閑靜讀誦、經行之處，或至水邊，不取他物，種種鞋屣悉不故取。他所不聽，亦不受用。以護戒故，若晝若夜，不起盜心，是名不盜。是名不殺不盜。云何住戒？捨於不淨，不愛、不樂不善之法，持戒清淨，善人所愛，如實不虛。如是持戒，生於天中，必至涅槃，隨心所願成三菩提。是持戒人若行曠野，若獨若伴，若行道路、若行非道，若見惡獸懷妊產子，為飢所逼，欲噉其子。是人見之，自捨其身與此惡獸，欲令殺己，不食其兒。是持戒人為續其命，憐愍眾生，自捨身命。孝養父母。云何布施？若持戒人貧窮困乏，勤苦得物，順法持戒。或有沙門起於滅定，來至其家，從其乞求。如是貧人減於妻子所食之分，有少飯食施此比丘，自屈一日。見其食已，心生歡喜，復教他人不殺不盜，住於善道，見作隨喜。是持戒人自利利他，命終之後生三十三天，猶如香氣生於金殿。是善業人生彼天已，受欲樂地，黃金為殿，一切眾寶以為莊嚴。

> さらに、比丘よ、業の果報を知り、三十三天の住む地を観察せよ。彼は聞慧によって見る。第十五の地は、名を金殿という。いかなる業によって、衆生はその地に生まれるのか。彼は天眼の智慧によって観察し、見る。戒を保つ人は、殺さず、盗まず。どのように殺さないのか。もし怨家が自分を害そうと来るのを見たり、あるいは他人が自分の妻を犯そうとするのを見ても、捕まえても打たず、害さず、放して逃がし、優しい言葉で慰める。あるいは、人が怨家を害そうとするのを見て、財貨で命を贖い、逃がしてやる。また、悪者が既に捕まえられていても、放してやり、害を加えない。そのような悪者が再びその家に来て、害を加えようとしても、また捕まえても、すぐに放して害を加えない。戒を護り、業の果報を畏れるからである。怨家が刀を持って人を殺しに来る時、その怨家を護って逃がし、殺されないようにする。戒を破ることを畏れ、自ら身命を捨てても、他人を害さない。これを不殺という。どのように盗まないのか。盗まないことには幾種類があるのか。この戒を保つ人は、小罪でさえも大いなる恐怖を生じ、業の果報を畏れ、悪業を作らず、善業を修行する。また、盗まないことには、小罪、微塵に至るまで恐怖を生じることも含まれる。あるいは塔寺や園林に至り、閑静に読誦し、経行する場所、あるいは水辺に至っても、他人の物を取らず、様々な履物も故意に取らない。他人の許可なくして、また使用しない。戒を護るからであり、昼夜を問わず、盗む心を起こさない。これを不盗という。これが不殺・不盗である。どのように戒に住むのか。不浄を捨て、不善の法を愛さず、楽しまず、戒を清浄に保ち、善人に愛され、如実で虚偽がない。このように戒を保つ者は、天に生まれ、必ず涅槃に至り、心の願うままに三菩提を成す。この戒を保つ人が、もし荒野を歩く時、独りであれ伴侶と共であれ、道を行く時も、道ならざる所を行く時も、もし妊娠して子を産んだばかりの悪獣が飢えに迫られ、その子を食べようとしているのを見る。その人はこれを見て、自らの身をこの悪獣に差し出し、自分を殺させて、子を食べさせない。この戒を保つ人は、その命を繋ぐため、衆生を憐れみ、自らの身命を捨てる。父母を孝養する。どのように布施するのか。もし戒を保つ人が貧しく困窮し、苦労して得た物を、法に従って戒を保つ。あるいは沙門が滅尽定から起きて、その家に来て、乞うことがある。その貧しい人は、妻や子の食べる分を減らし、わずかな飯をこの比丘に施し、自らは一日空腹に耐える。彼が食べるのを見て、心に歓喜を生じ、また他人に不殺・不盗を教え、善道に住まわせ、見て善に従う。この戒を保つ人は、自らを利し他を利し、命終の後、三十三天に生まれ、香りのように金殿に生まれる。この善業の人は、その天に生まれた後、欲楽の地を受け、黄金の殿、一切の衆宝をもって荘厳される。

「帝釋見已，生希有心，百倍受樂，以偈頌曰：

> 帝釋天はそれを見て、希有の心を生じ、百倍の楽しみを受けて、偈を唱えて言った。

「『上上之樂，善業善果，諸天所受，先世業故。四輪之殿，駕以象馬，智慧為鉤，殿光如日。持戒之善，遊於天上，憐愍眾生，如母愛子。慈悲之人，能至天中，行慈悲者，饒益眾生，常應供養，後生天中，悲愍調伏，利益眾生。是人如天，諸天敬仰。慈悲之人，端嚴如月，覆護眾生，離於憂惱。是故勤加，修行求樂。』

> 「最も優れた楽しみとは、善い行いがもたらす素晴らしい結果です。それは天の人々が享受するもので、前世の行いによるものです。四輪の車には象や馬がつながれ、智慧がそのかぎとなります。その車の輝きは太陽のようです。戒律を守るという善行によって、天の世界を遊覧し、生きとし生けるものをあたかも我が子を愛する母のように慈しみます。 慈しみの心を持つ人は、天の世界に至ることができます。慈悲の行いを実践する人は、生きとし生けるものを利益し、常に供養を受けるにふさわしく、後には天の世界に生まれます。悲しみの心で調え導き、生きとし生けるものを利益する人――その人はまるで天の神のようであり、天の人々も敬い仰ぎます。 慈しみ深い人は、満月のように端正で清らかであり、生きとし生けるものを覆い守り、憂いや苦しみから遠ざけます。それゆえに、努め励んで楽しみを求める修行をせねばなりません。」

「時天帝釋說此偈已，入其金殿坐柔濡敷，種種形相以為莊嚴，與諸天眾俱坐其上。天女圍遶，久時受樂。種種色身、種種莊嚴而相娛樂。時天帝釋復出金殿，詣一切樂林，種種天眾百千圍遶，種種伎樂出眾妙音。其諸天眾出大光明隨天帝釋。去林不遠，見遊戲處無量百千光明莊嚴，金毘琉璃以為其樹，光明赫焰周遍莊嚴，其遊戲林種種莊嚴不可譬喻，今說少分。譬如七日俱時竝出，其林光明亦復如是。其諸光明有種種色，青黃朱紫、白色諸光。其林莊嚴遊戲之處，光明赫焰，帝釋見已，告諸天眾：『汝等見是一切戲樂遊戲之處園莊嚴不？』『唯然，已見。』時天帝釋語諸天眾：『過去之世，頂生大王於此林中，與天帝釋分座而坐，遊戲受樂。無量天女之所圍遶。主四天下。時二天王受於無量百千萬億五欲之樂，猶不知足，從天還退。時頂生王以善業故，於此林中光明威德端正勢力。我今說之，汝當善聽。於過去世有頂生王，主四天下，不加刀杖亦無刑罰，欲無厭足。以先世善業，來上此天。其身光明勝須彌山過踰十倍，一切天光至其光中皆滅不現。時四天王見頂生王，即出奉迎，白頂生言：「善來，大王！我今故出奉迎大王，應修供給。」時頂生王受其供已，復上三十三天。是時頂生光明威德，猶如日光，人中最勝，在此天中亦復如是。時四護世天自見光明悉不復現，怪未曾有，告諸天曰：「此頂生王至此三十三天，或是其身威德之力，或是輪力，非餘天力，亦非人力，勿起怖意。此人順法，為轉輪王。」護世說已，時頂生王到三十三天。爾時，帝釋遊戲在於一切樂林娛樂受樂，遙見頂生，即分半座，命之令坐。爾時頂生即與帝釋共坐一床。二王久時受五欲樂，業盡還退。爾時，三十三天遊戲之處無有及此一切樂林。其林殊妙，無量眾寶以為莊嚴，光明如日。』

> 「時に天帝釋はこの偈を説き終えると、金の殿に入り、柔らかな敷物の上に座った。様々な形相で荘厳され、多くの天部の者たちと共にその上に座った。天女たちに囲まれ、長い間楽しみを受けた。様々な色の身体、様々な荘厳で互いに楽しみ合った。時に天帝釋は再び金の殿を出て、一切楽林へと向かった。そこでは百千の様々な天部の者たちに囲まれ、様々な伎楽が素晴らしい音を奏でていた。その天部たちは大いなる光明を放ち、天帝釋に従った。林から遠くない場所に、無量百千の光明が荘厳された遊びの場所があった。金や瑠璃でできた木々が、赫々たる炎のような光明を放ち、周囲を飾り立てていた。その遊びの林の荘厳さは譬えようもないが、今その一端を語ろう。例えば七つの太陽が同時に昇ったかのように、その林の光明もまた同じであった。その光明には様々な色があり、青、黄、朱、紫、白の光があった。その林の遊びの場所は光明赫々としており、帝釋はそれを見て天部たちに告げた。 『お前たちは、この一切の遊楽の場所、園の荘厳を見るか？』 『はい、見ています』 時に天帝釋は天部たちに語った。 『過去の世に、頂生大王がこの林で、天帝釋と席を分け合って座り、遊び楽しんだのだ。無量の天女たちに囲まれ、四つの天下を治めた。その時、二人の天王は無量百千万億の五欲の楽しみを受けながらも、なお満足せず、天界から退いてしまった。あの頂生王は善き行いの報いにより、この林において光明、威徳、端正、勢力を得たのだ。私は今それを語ろう、お前たちはよく聞きなさい。 過去の世に頂生王という者がいて、四つの天下を治めた。刀や杖を用いず、刑罰もなかったが、欲に満足することがなかった。前世の善い行いの力により、この天に登って来たのだ。その身体の光明は須弥山を超え、十倍以上も勝っていた。あらゆる天の光も、その光の中に入ると全て消え隠れて現れなかった。時に四天王は頂生王を見て、すぐに出迎え、こう申し上げた。 「ようこそおいでくださいました、大王よ！ 私は今、わざわざ大王をお迎えに参りました。ご供養を尽くすべきです」 時に頂生王はその供養を受け、さらに三十三天へと昇った。この時、頂生王の光明と威徳は、太陽の光のようであり、人の中で最も勝れていたが、この天においてもまた同じであった。時に四つの護世天は、自分たちの光明が全く現れなくなったのを見て、未曾有のことと怪しみ、天部たちに告げた。 「この頂生王がこの三十三天にやって来た。これは、彼の身体の威徳の力か、あるいは輪の力であって、他の天の力でも、人の力でもない。恐れる心を起こしてはならない。この人は法に従う者で、転輪王となるのだ」 護世天がそう言うと、時に頂生王は三十三天に到着した。その時、帝釋は一切楽林で遊び楽しんでおり、遥かに頂生を見つけると、すぐに座を半分に分けて、座るように命じた。時に頂生は帝釋と同じ床に共に座った。二人の王は長い間、五欲の楽しみを受けたが、善行の報いが尽きて退いたのだ。 その時、三十三天の遊戯の場所で、この一切楽林に匹敵するものはなかった。その林は殊勝で微妙、無量の宝で荘厳され、光明は太陽のようであった。」』

「時天帝釋說是語已，與百千天女而自圍遶，入一切樂林。既入林已，天子天女娛樂受樂，食於種種須陀之味。既飯食已，昇七寶殿，其殿光明威德端嚴猶如日光，種種樂音，還善法堂。帝釋去已，舊住諸天受五欲樂，乃至愛善業盡，墮於地獄、餓鬼、畜生。若生人中，常值善世，不值刀兵，生好國土，園林具足，稻麥甘蔗、花果具足，大富之處，常值正法，或為大王或作大臣，為一切人之所愛敬，端正第一，諸根成就，子孫具足。以餘業故。

> 時に、帝釈天はこの言葉を語り終えると、百千の天女たちに囲まれながら、「一切楽林」に入った。林の中に入ると、天子や天女たちは楽しみ戯れ、様々な「須陀の味」を味わった。食事を終えると、七宝の殿舎に昇った。その殿舎の光明は威光と端厳さを備え、日光のようであり、様々な楽の音が響く中、善法堂へと戻った。 帝釈天が去った後、元からいた天々は五欲の楽しみに耽り、やがて善業が尽きると、地獄・餓鬼・畜生に落ちた。もし人間に生まれることがあれば、常に善き時代に出会い、刀兵の災いに遭わず、良い国土に生まれ、園林が整い、稲・麦・甘蔗・果物・花が満ち足り、大いなる富のある場所で、常に正法に出会う。あるいは大王となり、あるいは大臣となり、すべての人々から愛され敬われ、端正で第一であり、諸根が成就し、子孫も満ち足りている。これは余業によるものである。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：第十六地名曰鬘影。眾生何業而生彼天？彼以聞慧見：此眾生善業善心，不殺不盜。云何不殺？云何不盜？幾種不殺？幾種不盜？不殺生者，自不殺生。若種種魚鼈、若珂若貝，不取不賣。見殺生者，教令住戒，見他作者，心不隨喜，勸令安住善道之中，是名不殺生。云何不盜？若此善人以清淨心、直心持戒，不以貪心。或佛塔廟或於僧中燒香之處，不嗅香氣，不以方便令薰其衣。若香至鼻，心不貪著，是名微細不偷盜戒。見他作者，勸令不作，令住善道。如是眾生自利利人。以何等心利益眾生？見殺生者，如殺己兒，觀諸蟲蟻亦復如是，亦教他人令住善道。云何布施？若貧窮人勤苦得財，以用布施持戒行人、得初禪者；在器之食，分半施之，亦教他人令行布施。如是之人自利利他，命終之後生鬘影天。

> さらに、比丘よ、業の報いを知り、三十三天の住む地を観察せよ。彼は聞慧によって見る。第十六の地は「鬘影」と名づけられる。いかなる業によって、衆生はその天に生まれるのか。彼は聞慧によって見る。この衆生は善業と善心を持ち、殺さず、盗まない。 どのように殺さないのか。どのように盗まないのか。いくつかの種類の不殺生があるのか。いくつかの種類の不盗があるのか。 不殺生とは、自ら生き物を殺さないことである。様々な魚や亀、あるいは貝殻や螺貝を、取ったり売ったりしない。殺生する者を見れば、戒めを保つように教え、他の者が行うのを見ても心から喜ばず、善い道に安住するよう勧める。これを不殺生と名づける。 どのように盗まないのか。もしこの善人が清らかな心と直心で戒を保ち、貪りの心を持たないならば、あるいは仏塔や寺院、あるいは僧の中での香をたく場所で、香りの匂いを嗅ごうとせず、方便を用いて自分の衣を香らせない。香りが鼻に触れても、心に執着しない。これを微細な不偷盗戒と名づける。他の者が盗みを行うのを見れば、行わないように勧め、善道に安住させる。 このように、この衆生は自らを利し、他者を利する。どのような心で衆生を利益するのか。殺生する者を見れば、わが子を殺すかのように思い、虫や蟻に対してもまた同じように考える。さらに他の者にも善道に安住するよう教える。 どのような布施か。もし貧しい人が苦労して得た財物を用いて、戒を保つ修行者や初禅を得た者に布施する。器の中の食べ物を半分に分けて施し、また他の者にも布施を行うよう教える。このように自他を利する人は、命終の後に鬘影天に生まれる。

「既生天已，樹名鬘影，其光明輪周遍園林。其樹花香滿一由旬，勝餘花香。其花修長，若以一花則成首鬘，其花雜色種種莊嚴，青黃赤白繁茂鮮榮。復於園林受五欲樂，伎樂音聲，欲樂具足，隨心所念皆悉成就。種種殊異無量成就，以善業故，一切成就。復於林中有蓮花池，名曰雜花，有大勢力生諸蓮花，花常開敷，七寶色蜂以為莊嚴。蓮花池中種種眾蜂出妙歌音，天子天女聞蜂歌音皆大歡喜，共相謂曰：『奇哉！此蜂出妙歌聲令我心悅。』如是眾蜂歌眾妙音。復有鵝鳥皆以其翅扇蓮花池，令花勃起如黃金色遍覆池水，鳧鴨見之，歡喜走趣，出妙音聲。如是花池多有眾鳥，天子天女以歡喜心，捨眾樂音，往詣眾鳥遊戲受樂。復往詣於行列宮殿遊戲之處，其諸宮殿七寶為柱，金銀琉璃、車𤦲頗梨以為莊嚴。其地多有種種天女遊戲受樂，天寶莊嚴，天栴檀末以塗其身，共相娛樂，不起嫉心，互相愛樂，離於妬心，受自業果。種種地中，以種種業而生其中，受自業果，遊戲受樂。復往詣於如意之樹，其樹勢力隨天所念，悉皆得之。於此林中飲食河流，第一色香眾味具足，以歡喜心遊戲河中，食須陀味。既飲食已，百倍悅樂，復往詣於青蓮花林。其花第一色香味具，於花葉中流出摩偷美味之飲，猶如酒糟，酒流而出。其色青綠如分陀利，黃分陀利出黃色飲，琉璃色華出琉璃色飲，頗梨色花出頗梨色飲，車𤦲色花出車𤦲色飲，雜色之花出雜色飲。雜色葉花，毘琉璃莖，金剛為鬚。如是種種諸飲從花流出，香味第一。諸天飲已，復往詣於一切觀林遊戲娛樂，到此林中，悉見一切三十三天所住之地。一切觀林甚可愛樂，於此林中有蓮花池，名曰普流，廣三十里，清淨之水湛然充滿如琉璃色，鵝鴨鴛鴦周匝圍遶。一切眾鳥皆如金色，七寶為背，珊瑚為足，赤寶為目，雜寶莊嚴。其音美妙，遊戲舞弄。時諸天子詣遊戲處，金色之鳥出妙音聲，天子昇於金殿之上，其殿光暉如融金聚，各相謂曰：『汝見諸天遊戲之處令諸天眾其身光明，黃色轉妙過踰兩倍。』於此殿中遊戲自娛，受五欲樂。貪愛境界而無厭足，如火益薪，轉更增熾，諸天愛於色聲香味觸亦復如是不知厭足。於此天中受五欲樂，乃至愛善業盡，命終還退，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若有餘業，生於人中，常受快樂，花鬘塗香以為莊嚴，坌以末香，心常歡悅，或為王者或為大臣，大富饒財，為一切人之所愛敬，無有怨敵亦無病惱。以餘業故。

> 天に生まれると、「マンエイ（鬘影）」という名の木があります。その光明の輪は園林全体に広がっています。この木の花の香りは一由旬も届き、他の花の香りよりも勝れています。花は細長く、一輪で頭飾り（花鬘）となります。花の色は青・黄・赤・白と様々で、美しく鮮やかに咲き誇っています。 園林の中では、五欲の楽しみを受け、音楽や舞踏もあり、欲望の楽しみがすべて備わっています。心に思うままに、すべてが叶えられます。善業の力によって、様々な素晴らしいことが無限に実現します。 さらに林の中には「ゾウゲ（雑花）」という蓮華の池があります。大きな力を持ち、数々の蓮華を生み出します。蓮華は常に開き、七宝の色をした蜂が飾りとなっています。池の中の様々な蜂たちは優しい歌声を奏で、天女や天子たちはこの歌声を聞いて大いに喜び、互いに言い合います。「なんと素晴らしい！この蜂の歌は私の心を喜ばせる」と。 このように、多くの蜂が様々な妙なる音を奏でます。また、鵝鳥たちは羽で蓮華の池を扇ぎ、黄金色の蓮華の花が池の面を覆います。鴨たちはそれを見て喜び、走り寄り美しい声をあげます。こうした花池にはたくさんの鳥が集まり、天子や天女たちは喜びの心で音楽をやめ、鳥たちと遊び楽しみに向かいます。 次に、列をなす宮殿の遊び場に向かいます。宮殿は七宝の柱でできており、金・銀・瑠璃・車渠（シャク）・玻璃で飾られています。その地には様々な天女たちが遊び楽しみ、天の宝で身を飾り、栴檀の粉を塗って遊び戯れます。妬み心がなく、互いに愛し楽しみ、それぞれの業の果報を受けています。様々な土地に、様々な業によって生まれ、自らの業の果報を受けながら遊び楽しみます。 さらに如意樹のもとへ向かいます。この木には、天の心のままにすべてを得させる力があります。この林の中には飲食の川があり、第一の色・香り・味がすべて備わっています。喜びの心で川で遊び、スダ（須陀）の味を食べます。飲食の後、百倍の喜びを得て、次に青蓮華の林に向かいます。 その花は第一の色・香り・味を持ち、花びらの中から摩偷（マトウ）という美味しい飲み物が湧き出ます。まるで酒かすから酒が流れ出るようです。青色の花からは青色の飲み物、黄色の分陀利華からは黄色の飲み物、瑠璃色の花からは瑠璃色の飲み物、玻璃色の花からは玻璃色の飲み物、車渠色の花からは車渠色の飲み物、雑色の花からは雑色の飲み物が流れ出ます。葉や花は様々な色で、茎は毘瑠璃、花の蘂（しべ）は金剛です。こうした様々な飲み物が花から流れ出て、その香りと味は第一です。 天たちはそれを飲んだ後、一切観林（いっさいかんりん）へ向かい遊び楽しみます。この林に来ると、三十三天のすべての住む地を見ることができます。一切観林はとても愛らしく、この林には「プリュウ（普流）」という蓮華の池があります。広さは三十里、清らかな水で満たされ、瑠璃の色のように澄んでいます。鵝や鴨、鴛鴦が周りを取り巻いています。すべての鳥は金色で、背中は七宝、足は珊瑚、目は赤宝、様々な宝で飾られ、美しい声で遊び戯れます。 その時、天子たちは遊び場に集まり、金色の鳥たちが妙なる声を奏でます。天子たちは金殿の上に昇ります。その殿の光は溶けた金の塊のように輝き、互いに言い合います。「天の遊び場をご覧ください。天の衆の体の光は黄色く、二倍も増して美しくなっています」と。 この殿で遊び楽しみ、五欲の楽しみを受けます。しかし、貪りの心は決して満足せず、薪に火を足せばさらに燃え上がるように、天たちも色・声・香・味・触を愛して飽きることがありません。この天で五欲の楽しみを受け、善業の尽きるまで過ごし、命終われば退転し、業によって地獄・餓鬼・畜生へと流れて行きます。 もし余った善業があれば、人間に生まれ、常に快楽を受けます。花鬘や塗香で身を飾り、末香をまぶし、心は常に喜びに満ちます。あるいは王となり、あるいは大臣となり、大いなる富を持ち、すべての人に愛され敬われ、怨み敵もなく、病気の苦しみもありません。これが余業の報いです。

## 正法念處經卷第二十八

> 正法念処経 第二十八巻