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title: "正法念處經 · 4"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
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## 正法念處經卷第三十九

> 正法念処経 巻第三十九

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品之十八夜摩天之四

> 観天品第十八<note>夜摩天・その四</note>

「又彼比丘知業果報，觀夜摩天所有地處。彼見聞知：夜摩天中復有地處，名為積負。眾生何業生彼地處？彼見聞知：若行善業精勤持戒，常不惱他，持戒和合，成就不缺、不孔、不穿，堅固不壞，能閉一切惡道之門，清涼一切惡道熱惱，能作歸依，猶如父母於未來世。隨順而行三種功德具足相應。何等三種？所謂不殺、不盜、不婬。不殺、不盜如前所說。不邪行者：若行道邊、若四出巷，巷巷而行，或乞食行或時餘行，若見婦女種種歌舞莊嚴音聲，不生愛念，心不願樂，見他所作，心不隨喜，慶他作善，教他懺悔，說其過失，言此婦女第一過因，所謂邪行，以此因緣，能令眾生墮於地獄。如是持戒，梵行清淨，身壞命終生夜摩天積負地處。

> また、かの比丘は業と果報の道理を知り、夜摩天にあるすべての地処を観察した。彼は見聞きしたことにより、次のように知った。夜摩天の中に、「積負」という地処がある。どのような業をなした衆生が、その地処に生まれるのか。彼は見聞きしたことにより、次のように知った。 善行を実践し、精進して戒律を保ち、常に他者を悩ませず、戒律を完全に身につけ、欠けも穴もなく、堅固で壊れることなく、あらゆる悪道の門を閉ざし、悪道の熱悩を清め、未来世において父母のように帰依の対象となる修行を、三つの功徳を備え、互いに調和させながら行う者がいる。その三つとは何か。殺さないこと、盗まないこと、邪婬しないことである。殺さないことと盗まないことは、先に述べた通りである。 邪婬しない行いとは、例えば、道端や四つ角の路地を歩くとき、托鉢の途中や他の用事で出かけるとき、婦女が様々に歌舞し、飾り立て、美声を奏でていても、愛着の念を起こさず、心から楽しもうとせず、他人がそうした行為をするのを見ても心から喜ばず、むしろ善行を讃え、彼らに懺悔を勧め、その過ちを説き、こう言う。「この婦女こそ、第一の過ちの因である。すなわち邪婁行為である。この因縁によって、衆生は地獄に堕ちる」と。このように戒律を保ち、清らかな行いを実践し、身が壊れ命が終わるとき、夜摩天の積負地処に生まれるのである。

「既生彼已，善業力故，於中受樂。謂積負山五百由旬，滿中諸鳥音聲可愛，跋求之聲山中甚饒，普彼山中，音聲可愛。然彼天子初生之時，七寶樹下如是而生，如閻浮提睡眠之人，他人拍手聞聲覺者，彼天如是聞鳥音聲可愛故覺。彼天之身所有光明，勝於秋時山頭出日所有光明。彼日光明則為不如少分相似，天光明勝。而彼天子忽然覺已，善業力故，令使彼鳥為說善業相應偈言：

> 彼の地に生まれた後、善業の力によって、そこでの楽しみを受ける。すなわち、積負山（しゃくふせん）は五百由旬（ゆじゅん）あり、その山いっぱいに鳥たちの声が愛らしく響き、跋求（ばつぐ）の声が山の中に満ちている。その山全体に、音声が愛らしい。しかし、その天子が生まれる時、七宝の樹の下にこうして生まれる。閻浮提（えんぶだい）の眠っている人が、他人の手拍子の音を聞いて目覚めるように、その天子もまた、鳥の愛らしい声を聞いて目覚める。その天子の身体の光明は、秋の山頂に昇る太陽の光明よりも勝っている。その太陽の光明は、わずかに似ることもなく、天の光明は勝れている。そして、その天子はたちまち目覚めた後、善業の力によって、その鳥たちに善業に相応する偈（うた）を説かせる。

「『離筋羂所縛，屎尿唾等處，如是婦人身，故來生此中。閃誑曲不直，見男心歡喜，心迷不定住，汝不識故來。不實語誑他，莊嚴令人樂，彼巧誑婦女，善能誑男子。婦女猶如蜂，樂種種花中，種種男子處，如是生愛樂。如蜂嗽花已，然後異處去；婦女亦如是，嗽男異處行。得物如賢善，常瞋不可調，誑惑男子已，復行於異處。以誑幻器仗，如惡毒不異，此婦女殺男，能作不利益。猶如風空火，不可執持取，種種多方便，婦女不可護。不利益病死，作不善業等，女第一因緣，能壞涅槃行。若在種種處，隘迮怖畏處，世間男得苦，皆因於婦女。非少非中年，非未老寂靜，婦女性心動，如日之光明。婦女非常友，如燈焰不停，彼則是常怨，猶如畫石文。唯親近富者，無物則厭人，有物婦女近，無物婦女捨。與物與供養，作種種功德，其心如火焰，而不可秉執。男如是隨順，如心之所欲，彼如是婦女，恒常誑男子。如蛇花所覆，如灰土覆火，色如是覆心，婦女亦如是。猶如見毒樹，悅眼而不善；婦女如毒花，智者應捨離。悕望見婦女，復樂於境界，彼恒不得樂，非此世他世。若普樂放逸，懈怠動諂誑，近惡友貪食，彼則不見賢。精勤大力勇，福德捨婦女，恭敬信因果，此人自得善。諸過網婦女，在於世間行，若能離婦女，則生夜摩天。』

> 「筋を離れ、罠に縛られ、 糞尿や唾などの場所。 女の身もまたかくの如し。 それ故に、この世に生まれ来る。 偽り、惑わし、曲がって直ならず、 男を見れば心に喜び生じ、 心は迷い、定まらず住することなし。 汝はこれを知らずして来たる。 真実の語なく他を欺き、 飾り立てて人を楽しませる。 彼らは巧みに女を欺き、 よくもて男を欺く。 女は蜂の如し。 様々の花を楽しみ、 様々の男のところにおいて、 このように愛着の楽しみを生ずる。 蜂が花を舐め終えた後、 また別の場所へ去るように。 女もまたしかり。 男を舐めては別の場所へ行く。 物を得れば賢善の如く振る舞うも、 常に怒り、調御すること能わず。 男を惑わし欺いた後、 また別の場所へと行く。 欺き幻想の道具をもって、 悪しき毒と異なることなし。 この女は男を殺し、 不利益をなす。 風や虚空や火の如く、 捉え持つこと能わず。 様々な方便をもっても、 女を護ることは能わず。 不利益、病、死、 不善の業などをなす。 女は第一の因縁として、 涅槃の行を壊す。 様々な場所において、 隘路や恐怖の場所において、 世の男が苦しみを得るは、 すべて女に因る。 若くなく中年にあらず、 未だ老いずして寂静ならず。 女の心性は動きやすく、 日の光の如し。 女は常の友に非ず。 灯の炎が止まらざるが如し。 彼は常の怨なり。 石に刻んだ絵の如し。 ただ富裕な者に親しみ、 物なければ人を厭う。 物ある時は女は近づき、 物なければ女は捨て去る。 物を与え、供養し、 様々な功徳を積んでも、 その心は火の炎の如く、 執持すること能わず。 男がこのように随順し、 心の欲するままになれば、 その女は常に男を欺く。 花に覆われた蛇の如く、 灰に覆われた火の如く。 色が心を覆うように、 女もまたしかり。 毒の樹を見れば、 目には美しくとも善ならず。 女は毒の花の如く、 智者はこれを捨て離れるべきなり。 望みに想うて女を見、 また境界を楽しめば、 彼は常に楽を得ず。 この世にも他世にも。 もしも放逸を楽しみ、 懈怠にして動き諂い欺き、 悪友に親しみ、貪り食らう者。 彼は賢きを見ることなし。 精進し、大力勇猛にして、 福を施し、女を捨てて、 因果を敬い信ずる者。 この人は自ら善きを得る。 諸の過失の網である女。 世の中に行じてあり。 もしも女を離れることができれば、 夜摩天に生まれるであろう。」

「如是彼天聞彼鳥聲，如夢所聞，無量種種勝妙功德皆悉具足，說如是偈，能作兩朋利益善事。始生天子如是聞聲，如是聞已，因緣生智。彼智能念何處生來：善持三種可愛戒來。憶念來處，既憶念已，而說偈言：

> このように、その天人はその鳥の声を聞き、まるで夢の中で聞くかのように、無数の様々な優れた功徳をすべて具えていた。そして、このような偈（うた）を説き、双方に利益をもたらす善い行いを成し遂げた。 生まれたばかりの天子は、このように声を聞き、その声を聞いたことによって、因縁によって智慧が生じた。その智慧によって、自分がどこから生まれて来たのかを思い出すことができた。つまり、三種類の愛すべき戒めをよく守って来たことを思い出したのである。来たところを思い出し、その記憶に基づいて、次のような偈を語った。

「『持戒來生此，婦女不可捨，勇者離婦女，則到涅槃城。非火亦非刀，非火刀非鋸，能割婦女縛，更無異方便。我本已常捨，勤心毀厭來，捨故得此樂，夜摩天勝處。異此樂之外，更復有大樂，當得不退處，必到於涅槃。』

> 「戒律を守ってここに生まれたが、 女を離れることはできなかった。 しかし勇者は女を離れれば、涅槃の境地に至る。 火も刀も鋸も、 女への執着を断ち切ることはできない。 それに代わる特別な方法もない。 私はすでに、心から厭い、 女を捨ててきた。 そのゆえにこの楽を得て、 夜摩天という素晴らしい場所にいる。 この楽のさらに先に、 もっと大きな楽がある。 退くことのない境地に達し、 必ず涅槃に至るだろう。」

「爾時，如是始生天子既聞鳥語，見鳥色已，心生歡喜觀彼天處。見積負山多有無量百千諸樹，光明圍遶，復見流水百千莊嚴，聞天鳥眾種種音聲。彼鳥則有種種寶翅。多有妙池，種種蓮花而為莊嚴，蜂眾如烟如是群出，莊嚴端正。如是諸事，本皆未見，無異相似。夜摩天處如是觀已，如所見聞，如是歡喜。既歡喜已，從樹下起，如是起已，觀察自身。觀自身已，自身所有威德光明，種種無量。見身威德諸光明已，即生色慢，次復更生第二慢心，謂如是念：『我更無比，隨所憶念一切皆得。』此第二慢。次復更生餘五慢心，所謂五根著五境界。生如是等七種慢故，令心破壞，本所作法不得相續，一切不念。以心動故、多放逸故。彼心放逸而行放逸，五境界羂繫縛愛頸，即便上彼積負山上，為受樂故。

> その時、この新たに生まれた天子は、鳥の声を聞き、鳥の姿を見て、心に喜びを生じ、その天の世界を眺めました。すると、積負山には無数の百千の樹木が、光に囲まれて多く見え、さらに百千の荘厳を備えた流水があり、天の鳥たちの様々な音声を聞きました。その鳥たちは、様々な宝の翼を持っていました。また、多くの美しい池があり、様々な蓮華が荘厳し、蜂の群れが煙のように現れ出て、端正で美しく荘厳されていました。これらの様々な事柄は、元々は見たことのない、比べるもののないものでした。夜摩天の世界をこのように観じてから、見聞きしたことに従って、このように喜びました。喜び終えて、木の下から立ち上がり、立ち上がってから、自分の身を観察しました。自分の身を観察すると、自分の身の全ての威徳と光明は、様々で無量でした。身の威徳と諸々の光明を見て、すぐに「色の慢」（容姿に対する慢心）を生じ、次いでさらに第二の慢心、「私は他に比べる者がない。思いのままに、全てを手に入れられる」という慢心を生じました。これが第二の慢です。続いてさらに、他の五つの慢心を生じました。すなわち、五根（眼・耳・鼻・舌・身）が五つの境界（色・声・香・味・触）に執着するものです。このような七つの慢心を生じたことにより、心は破壊され、本来行うべき法は相続できず、一切を顧みなくなりました。心が動き、多く放逸になったからです。その心は放逸となり、行動も放逸となり、五つの境界という羂（わな）に束縛され、愛という首紐に繋がれ、楽しみを受けるために、その積負山へと上っていったのです。

「彼山三地，所謂下地、中地、上地。彼下地中有五園林：一名香漂；二名焰勝；三名光明；四名常樂；五名高聚。彼香漂林若有物生，一切香勝，彼香普熏五千由旬。彼焰勝林無量種焰，諸色光明，一切皆勝過百千日所有光明。彼光明林，天身光明，在其中行五欲功德，皆悉具足。彼常樂林，流水河池，無量百千天香味色皆悉具足。彼高聚林第一高峯，七寶光明。如是已說下地園林。第二中地：百千曠野無量七寶，蓮花水池，無量百千眾鳥可愛，種種異聲，觸味色香甚可愛樂，清淨無垢滿彼地中。第三上地：山頂之巔，彼處有城百由旬量，諸天滿中。城名寶林，有種種河，河中水流滿中飲食，多有天樹妙蓮花池，樹有花果無量百千具足莊嚴。多有歡喜諸天女眾，無量百千滿彼城中。須夜摩天牟修樓陀往到彼城，於彼城中五欲功德，受天快樂，可愛聲味色香和合，增長愛火。如是彼天積負山上種種受樂，遊行嬉戲種種境界，種種受樂，因果差別。

> かの山には三つの地がある。すなわち、下地、中地、上地である。その下地には五つの園林がある。一つ目は香漂林、二つ目は焔勝林、三つ目は光明林、四つ目は常楽林、五つ目は高聚林である。 その香漂林には、生えるものすべてがすべての香りに勝り、その香りは五千由旬にわたって広がる。焔勝林は無数の炎を放ち、様々な色の光明があり、百や千の太陽の光をすべて凌ぐ。光明林では、天人の身の光がその中にあって、五欲の功德をすべて満たしている。常楽林には、流れる水や池があり、無数の天の香りや味、色がすべて備わっている。高聚林は最も高い峰を持ち、七宝の光を放つ。これが下地の園林の説明である。 第二の中地には、百千の広大な野原があり、無数の七宝、蓮華の池、愛らしい無数の鳥たち、様々な声、触れ合い、味、香りが非常に愛しく楽しめるものとして清らかで汚れなく、その地に満ちている。 第三の上地は山頂の頂上であり、そこには百由旬の大きさの城があり、天人が満ちている。その城は宝林という名で、様々な川があり、川の流れには飲食物が満ちている。多くの天樹や美しい蓮華の池があり、木々には花や実が無数にあり、見事に飾られている。多くの喜びに満ちた天女たちが、無数にその城に満ちている。須夜摩天の牟修楼陀はその城に至り、その城中で五欲の功德により、天の楽しみを受け、愛しい声、味、香りが調和し、愛の火を増大させる。このように、かの天は積負の山で様々に楽しみ、遊び戯れ、様々な境地で様々に楽しみ、因果の違いがあるのである。

「爾時，如是始生天子以心悕望境界樂故，向彼山上，獨一無侶。有一舊天既見如是始生天子，心生歡喜，即前近之，語餘舊天作如是言：『此天子者是始生天。』餘舊天言：『天今云何知其始生？』時彼大天答餘天言：『此始生天有五種相，所謂一者光明覆身，身無衣服，心作是念：「勿令他天見我裸露。」即於念時，他見有衣而實無衣，此是初相。始生天子又復更有第二之相，所謂見物生希有心。於園林等未曾見來，見則遍看，此第二相。始生天子又復更有第三之相，謂見天女弱顏羞慚，心生疑慮，未敢正看，此第三相。始生天子又復更有第四之相，若見餘天，雖前近之，心生疑慮，意志不定，此第四相。始生天子又復更有第五之相，欲昇虛空，心生怖畏，設飛不高，安詳不速，去則不遠，近地而遊，或傍城壁或依附城，此第五相。始生天子具有此相，我共汝等相與往詣始生天子。』

> 「さて、このようにして生まれたばかりの天子は、心に望む楽しみを追い求めて、ただひとりで山へと向かいました。そこにいた一人の古い天人が、この新しい天子を見て喜び、近づいて別の古い天人にこう言いました。『この天子は、新しく生まれた方だ。』すると、その古い天人が尋ねました。『あなたはどうして、その方が新しく生まれたと知るのですか？』すると、先の大天が答えました。『この新しい天子には、五つの特徴があるのです。まず第一に、その身は光に包まれているのに衣服がありません。そして心の中で、『他の天人が私の裸を見ませんように』と思った途端、他の者には服があるように見えるのです。しかし実際には着ていない。これが第一の特徴です。次に第二の特徴として、物を見て珍しそうな目をします。庭園などに初めて来たかのように、あちこちを見回すのです。これが第二の特徴です。さらに第三の特徴として、天女たちを見ると、恥ずかしそうにうつむき、ためらいながらも真っすぐに見ようとしません。これが第三の特徴です。第四の特徴として、他の天人が近づいても、心に疑いがあり、落ち着かない様子を見せます。これが第四の特徴です。そして第五の特徴として、虚空に昇ろうとすると怖がり、たとえ飛んでも高くはなく、ゆっくりと落ち着かず、遠くへは行かず地面近くを遊び、城壁や建物に寄り添って動くのです。これが第五の特徴です。この新しい天子にはこれらの特徴があります。さあ、私たちは一緒にその方のもとへ参りましょう。』」

「彼時天眾圍遶大天，一切皆詣始生天子，到已語言：『大仙當知！我等諸天見汝始生，相與共來。以善業故，善修學戒，不毀不缺、不孔不穿，離垢清淨，汝得生此。』如是語說，為始生天如是說已，為放逸故，次上彼山，飛空而去。在虛空中種種樂音，心生歡喜，迭共受樂。彼時如是始生天子既如是見，即便思念：『我今獨自步行而去上積負山。』既思念已，即爾步行入彼山所，見有大眾、諸天女等，無量衣服莊嚴其身，有無量種樂聲而歌。

> そのとき、天の眷属たちは大いなる天を取り囲み、皆集まって新たに生まれた天子のもとへと向かった。そして到着するとこう語りかけた。 「大仙よ、知るがよい。我々天衆は、あなたが新たに生まれたのを見て、共にやって来たのだ。善行を積み、戒律をよく学び、それを毀らず、欠けず、穴も開けず、汚れから離れて清らかであったがゆえに、あなたはここに生まれたのである。」 このように語りかけた後、天の眷属たちは遊び心のままに、次の山へと飛び立っていった。 虚空の中では様々な楽器の音が響き、心は喜びに満ち、互いに楽しみ合っていた。 そのとき、先ほどの新たに生まれた天子はこの様子を見て、こう思った。 「私は今、独りで歩いて行き、積負山（しゃくふざん）に登ろう。」 そう思うとすぐに、歩いてその山の中へと入っていった。するとそこには大勢の天の女たちが集まっており、無数の衣でその身を飾り、様々な楽器の音に合わせて歌っているのが見えた。

「彼諸天女見始生天，各各歡喜，競共前走向始生天。既見其眼，生希有心而觀察之，復生是心：『我應供養，應為其婦。』復更近之，以本未見，初始見之，生希有心，白天子言：『我於今者樂見天子，為天子來。天子今者，自業果故，共我受樂。於園林中有種種林，種種林中有種種山高峯㵎谷。復有種種異異天處，七寶莊嚴，光明圍遶，諸樹花果遍滿山中，處處皆有樹枝堂舍。彼堂舍中多有種種歌樂音聲，其地處色如火洋金，如是妙色地處受樂。復有異處，流水河池種種蓮花莊嚴其處。又虛空中有百千堂，種種莊嚴第一可愛。我共天子在如是處受諸快樂。』爾時，如是始生天子本善業力，語彼天女作如是言：『我今如是共汝受樂。此天地處，一切欲樂不可厭足。』

> 彼の天女たちは、新たに生まれた天の子を見るやいなや、それぞれが喜び勇んで競うように駆け寄っていった。そして、その天の子の目を見ると、得難い思いを抱きながらじっと見つめ、またこう思った。「私はこの方に仕え、妻となるべきなのだ。」さらに近づき、これまで見たことがなかった初めての姿に稀有な心を起こし、天子に告げて言った。「私は今、天子をお見受けできて幸せでございます。天子のために参りました。天子は今、ご自身の業の果報により、私と共に楽を受けておられます。この園林には様々な林があり、その林々の中には様々な山、高い峰、渓谷がございます。さらにまた、様々で異なる天の場所が、七宝に飾られ、光明に囲まれ、あらゆる木々や花々が山一面に満ちており、至る所に枝で編まれた堂舎がございます。その堂舎の中では多くの歌や楽の音が響き、その土地の色は熔けた金の火のようで、そのような美妙な色の場所で楽を受けております。また別の場所には、流れる川や池があり、様々な蓮華がその場所を飾っています。さらに虚空には、百千の堂があり、様々に飾られて最も愛すべきものです。私は天子と共に、そのような所で様々な楽しみを受けてまいりましょう。」その時、こうして新たに生まれた天の子は、自身の善業の力によって、その天女にこう言った。「私は今、このようにしてあなたと共に楽しみを受けよう。この天の場所では、あらゆる欲望の楽しみも決して満たされることはないのだ。」

「爾時，彼處諸天女眾共向異林，名雜殿林。於彼林中種種樂聲，聞彼樂音心生歡喜，善業成就，受樂果報。彼林具足妙色境界，甚可愛樂。如是無量可愛之味，種種勝味，如是無量可愛之香，如是無量可愛之觸——其地柔軟故有此觸。非縷所成，種種天衣，其觸軟滑。如是種種皆甚可愛。有種種鳥妙好音聲，種種歌音甚可愛樂，無量種聲，受如是等五境界樂。共諸天女，種種莊嚴美妙之者，以無量種受諸快樂。爾時，彼林有如是等功德具足，無量天眾、諸天女眾滿彼林中。彼天見已，則生第一希有之心。見種種已，處處遍行，於彼處處園林之中皆是車𤦲及青寶等莊嚴地處。復有綠地，鳥在中行，鳥有種種七寶之色間錯其身，彼鳥迭互遨戲受樂，出跋求聲，共彼雌鳥在其綠地。如是而見綠地見已，復於水中見種種鳥，多有鴛鴦諸鵝鴨等，種種異色間錯莊嚴，彼鳥普有第一音聲。如是見已，復見天子共諸天女在園林中，彼園樹林有六時花，一時俱生，彼樹各各爭出勝花。彼樹光明，或攝或放如眼開合，彼諸天子、諸天女眾見已歡喜。復見異處，有青林行種種雜色，見已心動，心既動故，種種欲樂。上看虛空，見有無量百千天女滿虛空中，第一衣服而自莊嚴，遍滿虛空，種種間雜，譬如壁上種種畫色，或在絹上或㲲等上，種種異見，歌舞喜笑，種種遊戲。彼天見已，心則轉動，種種分別。空中見已，而復迴面，即時見有蓮花池林，種種蓮花滿彼池中，種種形相，種種妙色謂青黃赤，有種種鳥在彼池中。彼天如是既觀察已，生歡喜心。爾時天眾一切處見，間無空處，遍滿虛空，無處不有鳥及天眾，亦遍水中，亦遍虛空，間無空處如微塵許。以於往時修善業力，如是見已，而說偈言：

> その時、かの場所にいた天女たちは共に別の林へと向かいました。その林は「雑殿林」と呼ばれています。その林の中では様々な楽の音が響き、その音楽を聞いて心に歓喜が生まれ、善い業が成就し、楽しい果報を受けていました。その林は素晴らしい色の境界（風景）を具えており、非常に愛らしいものでした。このように、数えきれないほど愛らしい味わい、様々な優れた味わい、数えきれないほど愛らしい香り、数えきれないほど愛らしい触り心地がありました。その地面は柔らかいからです。糸で織られたものではなく、様々な天の衣は、その触り心地が柔らかで滑らかでした。このように様々なものが皆、非常に愛らしいものでした。様々な鳥が美しい声で鳴き、様々な歌声が非常に愛らしく楽しげで、数えきれないほどの種類の音があり、このような五つの境界（五感の対象）の楽しみを受けていました。様々に輝く美しい天女たちと共に、数えきれないほどの種類の楽しみを受けていました。 その時、その林にはこのような功徳が備わっており、数えきれない天の衆や天女たちがその林に満ちていました。彼ら天人がそれを見ると、第一の希有の心が生じました。様々なものを見て、あちこちを巡り歩き、そこかしこの園林の中は、すべて車渠（貝の一種）や青い宝石などで飾られた地面でした。また、美しい緑地があり、鳥がその中を歩いていました。鳥は様々な七宝の色がその身に斑に表れていて、それらの鳥は互いに戯れ遊び楽しみ、美しい声を出し、雌鳥と共にその緑地にいました。このように緑地を見てから、また水中で様々な鳥を見ました。多くの鴛鴦（おしどり）や様々な雁や鴨などがいて、様々に異なる色が斑に輝いて飾られ、それらの鳥はみな第一の音声を持っていました。このように見てから、さらに天の子たちが天女たちと共に園林の中にいるのを見ました。その園の木々には六時の花が、すべて同時に咲き、それらの木々はそれぞれ際立った花を咲き競っていました。それらの木々の光は、吸い込まれたり放たれたりするのが、まるで目が開いたり閉じたりするようでした。それらの天の子たちや天女たちはそれを見て歓喜しました。さらに別の場所では、青い林があり様々な色が混ざっているのを見て、心が動きました。心が動いたので、様々な欲楽が生じました。上を見上げると虚空には、数えきれない百千の天女たちが虚空に満ちているのを見ました。第一の衣服で自らを飾り、虚空に満ち、様々に交じり合っている様は、まるで壁に描かれた様々な絵のようであり、また絹や木綿の布などに描かれた絵のようでもありました。様々に異なる様子が見られ、歌い、舞い、笑い、様々に遊戯していました。彼ら天人がそれを見ると、心はさらに動き、様々に分別しました。虚空でそれを見た後、顔を戻すと、すぐに蓮華の池や林があり、様々な蓮華がその池に満ちているのを見ました。様々な形や様子、様々な素晴らしい色、すなわち青、黄、赤があり、様々な鳥がその池の中にいました。彼ら天人はこのように観察した後、歓喜の心を生じました。 その時、天の衆は至る所でそれらを見ました。少しの空白もなく、虚空に遍く満ちていて、鳥や天の衆がいない場所はどこにもありませんでした。また、水中にも遍く満ち、虚空にも遍く満ち、微塵ほどの隙間もありませんでした。過去に善い業を修めた力によって、このように見て、偈を唱えました。

「『此見之大海，不可得滿足，舌愛味亦爾，無有滿足時；鼻貪嗅諸香，如見不可滿，身著於善觸，不知足亦然；耳貪著妙聲，亦不曾知足，意念種種法，一切不可滿。六境界中動，離知足光明，患渴常行轉，欲地無量種。不知厭足天，猶如火投薪；若不知厭足，自體無處住。如是六火惡，起念風所吹，此常燒世間，癡者不曾覺。此放逸者地，非修行法道，放逸今破我，入受樂境界。』

> 『この見の大海は、満たされることがなく、 舌が味を愛するのもまた、満たされる時がない。 鼻が香りを貪るのも、見ることのように満たされず、 身が良い感触に執着するのも、足ることを知らないのは同じ。 耳が美しい音に貪るのも、決して足ることを知らず、 心が様々な思いを抱くのも、すべて満たされることがない。 六つの境界の中で動き、足ることを知る光明から離れ、 渇きに苦しみながら常に巡り、欲望の地は数えきれない。 満足を知らない天は、まるで火に薪を投げ込むよう。 もし満足を知らなければ、その体はどこにも留まれない。 このように六つの火は悪く、起こる思いの風に吹かれ、 これは常に世の中を焼くが、愚かな者は気づかない。 これは放逸な者の領域であり、修行の道ではない。 放逸よ、今や私を打ち破り、楽しみの境地に入らせるのだ。』

「如是彼天念本善業，憶念業故，說偈已竟，法爾更復染著境界，多有愛聲觸味香色，無量種種功德相應，念念增長。既增長已，共天女眾處處遊行，五欲功德有無量種，無量分別，種種受樂。復共天女異處園林，山谷之中多有無量百千眾鳥出妙音聲，七寶莊嚴甚可愛樂。到異天處，欲共彼處諸餘天眾、諸天女眾同受樂故。到彼處已，彼此迭互美聲相問，如是語說，如是一心迭共遨戲，遊行受樂。若餘劣天有萬天女而圍遶之，常受欲樂未知厭足，而彼天女常樂遊戲，亦能以欲復供無量百千諸天。如是天女愛樂欲樂。「以何因緣，彼天之中多女少男？此有因緣：天世間中欲染強勝，癡則為中。若生彼天，住中有時，已見彼處天女具足。既見彼已，欲心增長，著彼天女，即便迴心取天女身。彼中有者悕望樂故，以心取故，即便受彼天女之身。以此因緣，於諸天中天女則多，男天則少。如是有天一萬天女，復有餘天二萬天女，復有餘天三萬天女，復有餘天四萬天女，復有餘天五萬天女，復有餘天六萬天女，如是次第乃至百千萬天女者，或有強者，天女如是多少差別。

> そこで、あの天人は自らの善業を思い起こす。その業を憶念して偈を唱え終えると、自然と再び境遇に染まり、多くの愛する声・触れ合い・香り・色、無量・種々の功徳を伴ったものが、刹那ごとに増大する。それが増大すると、天女たちと共に方々を遊行し、五欲の功徳の無量・種々の分別、様々な楽しみを受ける。また、異なる園林や、多く無量百千の鳥が妙なる音声を発し、七宝で荘厳され、非常に愛すべき山谷にいる天女たちと共に、他の天人の住処に赴いて、そこにいる天衆や天女たちと共に楽しみたいと思う。 そこに到着すると、互いに美しい声で問いかけ合い、一心に遊戯し、巡り歩いて楽しみを受ける。もし他の劣った天人で、万の天女に囲まれている者がいても、常に欲望の楽しみを受けながらも厭うことなく、その天女たちもまた常に遊戯を楽しみ、その欲をもって無量百千の天人を喜ばせることができる。そのように、天女たちは欲望の楽しみを愛好する。 「なぜ、あの天界では女性が多く、男性が少ないのか。これには因縁がある。天の世間では欲望への執着が強く、愚かさは中程度である。もしそこに生まれる時、中有の際には、すでにその場所の天女たちの充実した姿を見る。それを見た後、欲望の心が増大し、その天女に執着して、心を天女の姿に向ける。中有の者は楽しみを望むゆえに、心でそれを取るゆえに、すぐにその天女の身を受ける。この因縁により、諸天の中では天女が多く、男天は少ない。 このように、ある天人は一万の天女を持ち、また他の天人は二万、三万、四万、五万、六万の天女を持ち、このように順を追って百千万の天女に至る。あるいは強いものは、天女がこのような多少の差別がある。」

「彼依地天行欲之法，如人不異。四天王欲，如此人中男女二身迭互交合，迭相觸逼，無有不淨。三十三天行欲之時，彼此相抱，根不相觸。夜摩諸天行欲之時，語笑則成。兜率陀天相視成欲。彼化樂天，語說、聞聲、聞香成欲；迭遠處者，若聞其香、若聞語聲，欲則究竟具足成就。如是他化自在諸天與化樂天一法不異。若一天子，一切天女之所愛念，大生敬重，心不疲惓亦無病患，離肉骨蟲汗等皆離。天天之中有增上力和合相應，彼一切時力常不壞，勢力光明皆悉具足。以是因緣，唯一天子共多天女，無量百千極相愛樂，常行欲事。彼天之心不守一女，於一切女心皆樂見，隨意所行，一切天女又復如是第一欲染，迭共受樂不相妨礙，如心憶念如是受樂。又復彼天共彼天女如意所欲，有無量種無量分別。如天相似，自業相似。積負地處，於長久時，無量種種五欲功德遊戲受樂，多饒天眾、諸天女眾次第巡行。復到異林，名嚴風林，為欲受樂遊行嬉戲。

> 彼ら地天が欲を行う方法は、人間と変わりません。四天王天の欲は、この人間界のように男女二つの身が互いに交わり合い、接触し合って、不浄なものが一切ないということはありません。三十三天が欲を行う時は、互いに抱き合いますが、生殖器は接触しません。夜摩天の天人が欲を行う時は、言葉を交わし笑い合うだけで成立します。兜率天は互いに見つめ合うことで欲が成立します。化楽天の天人は、語り合うこと、声を聞くこと、香りを嗅ぐことで欲が成立します。互いに遠く離れていても、その香りを嗅ぎ、あるいはその話し声を聞けば、欲は完全に満たされます。このように他化自在天の天人は、化楽天と全く同じ方法です。ある一人の天子がいれば、すべての天女がその方を愛し慕い、深く敬い尊重します。心は疲れることもなく、病や患いもなく、肉や骨や虫や汗などは一切ありません。天の中には、高められた力が和合し対応するものがあり、常にその力は衰えることなく、勢力と光明はすべて完全に備わっています。このような理由から、ただ一人の天子が多くの天女と、数限りない百千もの極めて深い愛と楽を共にし、常に欲の行為を行います。彼らの心は一人の天女に執着せず、すべての天女に対して心から愛でたいと望み、心のままに行動します。すべての天女もまた、まさにこのような第一の欲の染まりをもって、互いに楽しみを共にしても妨げることがなく、心が念じるままにこのような楽を受けます。また、それらの天人は天女と共に、心の欲するままに、無量の種類、無量の分別があります。天に相応しく、自らの業に相応しく、積み重ねに相応しい場所で、長い時を経て、無量の様々な五欲の功徳による遊戯の楽を受け、多くの天の衆や天女の衆が順に巡り歩きます。そしてまた別の林に到ります。その名を厳風林といい、楽を受けるために遊行し戯れます。

「見餘天子本業盡故，天女眾中，時至欲退。彼欲退天有相出現，相如有病。所謂相者：彼天若前近蓮花池，花則不開，此是初相。又彼退天，第二相者，若近林樹、若蓮花池，蜂則離林，離蓮花去，此第二相。又彼退天第三相者，若彼天子共諸天女遊戲之時，聞其歌音則生厭離，此第三相。又彼退天第四相者，若近樹林，彼樹之花一切皆萎，此第四相。又彼退天第五相者，欲在所戲殿舍遊行，不能行空，此第五相。如是五種是夜摩天欲退之相，如彼第二三十三天欲退之時，蠅等所著，汗出則知。三十三天欲退之相，兆狀如是。此夜摩天善業盡故，有此諸相，則知其退。

> 〈他の天子たちは本来の業が尽きて、天女の群れの中から、その時が来れば退くことになる。その退こうとする天には、病のような相が現れる。その相とは、まず第一に、その天が蓮池に近づこうとすると、花が開かないことである。これが最初の相である。次に、退こうとする天の第二の相として、林や蓮池に近づこうとすると、蜂たちがその林や蓮池を離れて去ってしまうことである。これが第二の相である。さらに、退こうとする天の第三の相として、その天子が天女たちと遊戯する時に、その歌声を聞くと厭離の心が生じることである。これが第三の相である。また、退こうとする天の第四の相として、林に近づくと、その木々の花がすべて萎れてしまうことである。これが第四の相である。さらに、退こうとする天の第五の相として、遊戯のための殿舎を行き来しようとしても、空中を歩くことができなくなることである。これが第五の相である。このように五つの相が、夜摩天において退こうとする相である。ちょうど、第二の三十三天が退こうとする時に、蠅などにまとわりつかれたり、汗が出たりすることで分かるのと同じである。三十三天が退こうとする相は、そのような兆しとして現れる。この夜摩天においても、善業が尽きたために、これらの相が現れ、それによって退くことが知られるのである。〉

「彼有十二死之大相，次第見此欲死之相。而彼天子欲退之時，死相即現，所謂彼天欲出光明，光明不出還入身中，猶如日沒。又退相現，所謂彼天見花鬘果，心不愛樂。又退相現，所謂彼天著花在頭，即便墮落。又退相現，所謂彼天水中看身，見自身像非天身像，乃見欲生何道身像——若見地獄、若見餓鬼、若見畜生、若見人色，如是異見，從此退已，生地獄等異生相現。又退相現，所謂彼天水中看身，既見身已，則生怖畏，生怖畏已，身毛皆竪。又退相現，所謂彼天見自處醜而不端嚴。又退相現，所謂彼天於何等處——毘琉璃處、金處銀處、若頗梨處、若青寶處，彼一切處如是處坐，動搖不安。又退相現，所謂彼天若風所吹則大抖擻，其觸堅䩕。又退相現：彼天衣觸重如金剛。如是見已，其心則愁，心既愁已，於可愛聲味觸色香，心則不樂；既如是已，即爾便近無常之火。又復更有異退相現，謂：於處處——若毘琉璃石等壁中，或於鏡中、或於異處——看自身像則不見頭。又退相現：或見自頭乃在於地，見如是相，死近不遠。

> 「天人が退転する際には、十二の死相が順に現れます。光明を出そうとしても出せず、逆にその光が身に戻る、まるで日没のようです。花の飾りを見ても心が喜ばず、頭の花は自然に落ちます。水に映る自分の姿が天人ではなく、地獄・餓鬼・畜生・人間など、次に生まれる世界の姿に変わります。その姿を見て恐怖し、毛が逆立ちます。自分の住処が醜く見えます。瑠璃・金・銀・水晶・青玉など、どこに座っても落ち着かず、風に吹かれて激しく震え、その感触は固く冷たいです。衣が金剛石のように重く感じられ、心は憂い、愛着していた声・味・香り・感触にも心が向かなくなります。こうして無常の火が迫ります。また、鏡や壁に映る自分の姿に頭が映らず、あるいは頭が地面に落ちているのを見れば、死は間近です。」

「彼諸天女如是知已，厭惡棄捨。彼天憂愁，起離別意，有如是苦。生來之苦，不及此苦十六分一。

> 彼の天女たちはこれを知って、嫌悪し、捨て去る。 その天人は憂い悲しみ、別れの思いが湧き起こる。このような苦しみがある。 生まれながらの苦しみも、この苦しみの十六分の一にも及ばない。

「又第十二退相現者，所謂彼天意亂不定，如旋火輪，不念一處其心極動，退愁苦故，彼現命根將欲盡滅，如燈油盡光明微少。如是彼天知見自身將欲退沒，常自隨身所行天女見其如是，皆捨而去。如火燒樹，鳥見則離，而不觀察先本已來所有功德，彼諸天女見欲退天亦復如是捨離而去，其餘天子相隨而行。

> また、第十二の「退相現（たいそうげん）」というのは、いわゆるその天人が心に乱れを生じ、定まらなくなることです。まるで火の輪を回すように、一つのところに心を留められず、心が極度に動揺し、退転の苦しみのゆえに、その命根（みょうこん）が尽きようとして、ちょうど灯明の油が尽きて光がかすかになるように、その天人は自身が退転しようとしていることを知ります。 常に自らのそばに従っていた天女たちは、その様子を見て、皆、彼を捨てて去っていきます。ちょうど火に焼かれた木から鳥たちが離れ去るように、彼女たちはもはや、その天人が昔から持っていた功徳を顧みることはありません。退転しようとする天を見た天女たちもまた、同じように彼を捨てて去っていき、他の天子たちだけが彼のそばに従い続けるのです。

「時彼天子見婦女去如是相已，安心忍耐而說偈言：

> 時、その天子は婦女たちが去っていく様子を見て、心を落ち着けて耐え忍び、次のような偈を唱えた。

「『皆以自業故，如是受果報，婦女見欲退，捨遠而不近。以自業盡故，離於無量樂，天女見退天，則向異天去。此樂無常定，心性亦如是，婦女樂欲惡，友不相信惡。此四種大苦，一切時常逼，是故應捨離，如棄毒火等。因業故得樂，因業故得苦，由業故破壞，業故如是見。如此天大樂，受用五功德，後時福業盡，退天不自在。如是說生死，一切是業幻，示解脫道者，真諦佛所示。若有擾動心，則不見諸過，彼癡有所攝，是故婦女近。日則非闇因，不由火故冷，婦女無愛心，少愛心不住。如地住不動，如風動不住，婦女性無恩，故有如是過。丈夫於久時，多供養婦女，見衰則捨遠，如鳥捨枯池。上行者不墮，石等不能飛，山則不能行，婦女無善友。常能為妨礙，破壞法義名，不饒益納藏，出生一切過。金剛可令軟，日亦可離熱，婦女不捨誑，本性法如是。非種種愛語，非供養非物，而能攝婦女，心如火叵近。得樂共其行，得苦則捨離，無量恩不念，一過計在心。於園林山中，成就無量樂，既得衰惱已，婦女嫌捨去。』

> 「すべては自らの業（ごう）ゆえに、かくのごとく果報を受ける。 女は欲が退くのを見て、遠ざかり近づかない。 自らの業が尽きれば、無量の楽を離れ、 天女は天から退くのを見て、他の天へと向かう。 この楽は無常で定まらず、心の性質もまた同じである。 女は楽と欲に溺れ、友は信頼せず悪しきものとなる。 これら四種の大いなる苦は、常にあらゆる時に迫る。 ゆえに、毒や火を捨てるように、これを離れるべきである。 業によって楽を得、業によって苦を得る。 業によって壊れ、業によってこのように見える。 このような天の大いなる楽、五つの功徳を受用しても、 後には福の業が尽き、天から退く時は自由になれない。 このように生死は、すべて業の幻である。 解脱の道を示す者、真実の教えは仏が示された。 もし心が動揺すれば、諸々の過ちを見ない。 その愚かさに捕らえられるから、女に近づくのである。 太陽は闇の原因ではなく、火によって冷たくならない。 女には愛情がなく、少しの愛情も続かない。 大地は動かずに留まり、風は動いて留まらない。 女の性には恩がなく、ゆえにこのような過ちがある。 夫が長い間、女を多く養っても、 衰えを見れば遠くへ捨て去る、鳥が枯れた池を捨てるように。 上昇する者は堕ちず、石などは飛べない。 山は動けず、女には善き友がいない。 常に妨げとなり、法や義や名を壊す。 利益をもたらさず、あらゆる過ちを生み出す蔵である。 金剛も柔らかくできよう、太陽も熱を離れられよう。 しかし女は欺きを捨てない、その本性は法のごとし。 様々な愛語でも、供養でも物でも、 女を捕らえることはできない。心は火に近づきがたい。 楽がある時は共に歩み、苦を得る時は離れ去る。 無量の恩を覚えず、一つの過ちを心に留める。 園林や山中で、無量の楽を成しても、 衰え悩みを得ると、女は嫌って捨て去る。」

「彼天既見天女如是捨離其身，即便思惟一切世間法皆如是，已說此偈。婦女心堅，本天欲死，即便離去，依止餘天。猶如冬時蓮花乾枯，眾蜂見之即便捨離，去向餘處。爾時，天女離欲退天，向餘天去，又五樂聲歌舞遊戲，種種受樂，在於園林蓮花水池，種種鳥聲名陀念樹，百千莊嚴，忘前常共受樂天子，共餘天子而受諸樂。俄爾間忘如百千生，見前天退，於一念間忘其功德，婦女如是捨恩不念。婦女之性，無所係戀，唯因物故，有所愛念，或有所須，是故近男。而自體性於一切處皆不究竟，一切過去、未來、現在皆無有能知其體性。以心動故，如旋火輪、如乾闥婆城及陽焰等，不可捉持。婦女體性亦復如是不可執持。如是現前，捨退天子，向餘天去。

> かの天は、天女がこうして自らの身を捨て去るのを見て、直ちに「一切の世間の法（現象）は皆このようである」と観じ、この偈を説いた。 「婦女の心は堅く、元の天が死のうとも、すぐに離れ去り、他の天に依り頼む。冬の季節に蓮の花が枯れれば、多くの蜂はそれを見て捨て去り、他の場所へ向かうのと同じである。」 その時、天女は欲を離れて天から退き、他の天の元へ向かった。また、五つの楽の音、歌舞、遊戯、種々の楽しみがあり、庭園や蓮華の池にいて、様々な鳥の声や陀念樹（だねんじゅ）など、百千の荘厳の中、以前共に楽しんだ天子を忘れ、他の天子と共に様々な楽しみを受けた。ほんのわずかの間に、百千の生を忘れてしまうかのようであった。以前の天が退くのを見て、一瞬の間にその功徳を忘れてしまう。婦女はこのように恩を捨てて、顧みることがない。婦女の性質には、繋ぎ止めるものがない。ただ物（利益・必要）によって愛着が生じ、何か必要なものがあるからこそ、男に近づくのである。しかし、その本質はあらゆる場所においても究極のものではなく、過去・未来・現在のすべてにおいて、その体性を知ることはできない。心が動くからであって、火を回す輪（かげろう）のようであり、乾闥婆城（げんだつばじょう）や陽炎などのように、掴むことができない。婦女の体性もまた、このように掴むことはできない。こうして現前して、退いた天子を捨て、他の天の元へと向かっていくのである。

「彼欲退天本業熏故，復說偈曰：

> 「天の本来の業に染まっているから退こうと欲して、また偈を唱えた——」

「『若天搖動心，如放逸欲樂，於退不生怖，必定退天處。若天天處生，後必定有退；如晝日盡時，必定有夜至。晝日則如命，夜分則如退，既知此二種，應念不生死。』

> 「もし天人が心を揺るがせ、勝手気ままな欲望にふけるなら、 退転（ついには天界を失うこと）を恐れず、必ず天界から堕ちる。 たとえ天界に生まれても、後には必ず退転がある。 ちょうど昼が終われば、必ず夜が来るように。 昼は寿命に、夜は退転にたとえられる。 この二つの道理を知ったなら、生死を超えること（涅槃）を心がけなさい。」

「彼天如是念本前生，既生念已，取人中時用以為喻，不取天時而為譬況。何以故？天無晝夜，以自光明是故常晝。爾時，彼天如是久時觀察如是欲退天已，還如天法，決定受用善業果報。又彼天子於園林中遊戲受樂五樂音聲，河坎㵎谷、蓮花林中或在山峯。如是等處，共天女眾、共餘異天受諸快樂。依本善業，受樂果報，乃至所作愛善業盡，善業盡已，退彼天處。既退天已，如行而來，如行而去，墮於地獄、餓鬼、畜生。若有退已，得生人中，常生樂處，隨順修行正法國土，聰明黠慧，一切人愛，若作國王、若作大臣、若作王者，其王國土不畏他國敵陣軍眾，常受快樂。以餘業故。

> あの天人は、前世のことをこのように思い起こす。その思いが生じたならば、人間だった時のことを例えとして用い、天界の時を喩えとしない。なぜか。天には昼夜がなく、自らが光を放つゆえに、常に昼であるからだ。その時、あの天人はこのように長い間、こうした退堕する天を観察した後、やはり天の法則に従い、楽しい善業の報いを確かに受ける。また、あの天子は園林の中で遊び楽しみ、五種の音楽を聞き、河や谷、蓮華の林、あるいは山の峰など、そうした場所で天女たちや他の天たちと共に様々な楽しみを受ける。自らの善業に従い、楽しみの報いを受け、その善業が尽きるまで続く。その善業が尽きれば、その天の処から退くのである。天から退いた後は、来た時のように、去って行く時のようにして、地獄・餓鬼・畜生の道に堕ちる。あるいは退いた後に人間に生まれることもあり、その場合は常に楽しい場所に生まれ、正法の国に従い修行し、聡明で賢く、すべての人に愛される。あるいは王となり、あるいは大臣となり、あるいは王者となる。その者の王国は他国の敵軍を恐れることなく、常に楽しみを受ける。これは残余の業によるのである。

「又彼比丘知業果報，復更觀察夜摩天中所有地處。彼見聞知：彼夜摩天復有地處，名為心相。眾生何業生彼地處？彼見聞知：若行善人善意直心，正見不邪，心常諦知善惡因果，不殺、盜、婬。不殺、不盜如前所說。不邪行者：心不生念亦不隨喜，所謂乃至見畫婦女，不念不觀無不善念，心不樂見，不味不著，無欲愛心而觀察之，亦教他人，遮他人作，自身不作，不教他作。彼能自利，復利益他。彼持戒人得脫熱惱，常行諸善，恒念自身，見身不淨，於自身體，常念不迷，不貪婦女，於婦女羂而得解脫，離婦女欲。一切人信，現前持戒相應和集得如是樂。離欲邪行，不樂不行、不思不念。彼人如是能滅欲火，第一用心、第一樂行。彼善眾生身壞命終生於善道——夜摩天中心相地處。

> さて、その比丘は業とその報いについて知り、さらに夜摩天にある全ての場所を観察した。彼は見聞きしたところにより、夜摩天には「心相」という名の地処があることを知った。では、どのような業によって衆生はその地処に生まれるのか。彼の見聞きしたところによれば、善を行う人が善心を持ち、心がまっすぐで、正しい見解を持ち邪な見解を持たず、心は常に善悪の因果を確かに知り、殺さず、盗まず、淫らな行いをしない。殺さないこと、盗まないことは先に述べた通りである。邪な行いをしないとは、心にそうした思いを起こさず、またそれに随喜しないことである。具体的には、たとえ絵に描かれた女を見ても、心にそれ（女）を思い浮かべず、注視せず、不善の念を起こさず、心は見ることを好まず、味わわず、執着せず、欲愛の心なくして（ただ）それを観察する。また他の人にも教え、他の人が（そうした行いを）するのを防ぎ、自らは行わず、他の人にも行わせない。その人は自らを利し、また他をも利する。その戒を守る人は、悩み苦しみの熱から逃れ、常に諸々の善行を行い、常に自らの身を顧みて、身体を不浄と見なし、自らの身体に対して常に念じて迷わず、女に貪らず、女の束縛から解脱し、女への欲を離れる。全ての人が彼を信じ、現前して戒を守ることと相応して和合し、このような楽しみを得る。欲による邪な行いを離れ、楽しまず行わず、思わず念じない。その人はこのようにして欲の火を滅ぼし、第一の用心、第一の楽行を行う。その善なる衆生は、身が壊れ命が終わると、善き道である夜摩天の心相の地処に生まれる。

「善業眾生生彼處已，無量天樂而受樂行，離肉骨污，自身光明常受勝樂，恒常受用五欲功德，一切欲樂皆悉成就。於彼成就如是功德，受天快樂。多饒百千諸天女等之所圍遶，如須彌山眾星圍遶，光明勝妙而自莊嚴。善業所化，勝光明輪圍遶端嚴，無量光明從身而出。彼天女眾其數甚多，娛樂受樂，五樂音聲，可愛聲觸味色香等，而受快樂。

> 善業を積んだ衆生は、そこに生まれると、無量の天の楽しみを受けながら過ごします。肉体の汚れや骨肉の不浄はなく、自らが光り輝き、常に優れた喜びを味わいます。そして絶えず五欲の功徳を受け、あらゆる欲望の楽しみがすべて叶えられます。その地では、このような功徳を成就し、天の歓びを享受するのです。 数多の天女たちが、まるで須弥山を無数の星々が取り巻くかのごとく、その周りを囲んでいます。その身には輝かしく勝れた光が備わり、善業が生み出した見事な光明の輪が周囲を荘厳し、無量の光が身体から放たれています。天女たちの数は非常に多く、共に遊び楽しみ、五つの音色、愛らしい声・触れ合い・味・香り・形などを味わいながら、喜びを享受するのです。

「彼如是念：『我復更於其餘可愛勝妙處行。』即於念時，善業力故，彼諸天女觀察其心，既觀察已，語言：『天子！我今云何住於此處？異此樂處，復有樂處，今可相隨行向餘處，名為千殿。山峯之上有種種寶之所莊嚴，無量百千天諸住處。今可相隨，共向彼處。』爾時，彼天既聞天女如是語已，如心所念，極生歡喜，作如是言：『今如汝意，我如是行。』

> 彼はこう思いました。「私は他にもっと素晴らしい楽しい場所に行けるだろうか。」そう思った瞬間、善行の力によって、天女たちが彼の心を見抜きました。それを見て、天女たちは言いました。「天子よ、なぜここに留まっているのですか。この楽しい所とは別に、さらに楽しい所があります。今すぐ私たちと共に、『千殿』という所へ行きましょう。山の頂上には様々な宝が飾られ、無数の天人の住まいがあります。一緒にそこへ向かいませんか。」その時、天は天女たちの言葉を聞くと、心に思った通りに大いに喜び、こう答えました。「あなたの言う通りにしましょう。私はそうします。」

「爾時，彼天如是語已，飛行虛空向名千殿山。峯之上有無量寶所莊嚴處，有無量天、無量天女，種種妙聲，歌聲遠聞五百由旬，遍於虛空。多饒諸天及諸天女路傍詠歌，令此天子生歡喜心，向名千殿山峯之上速疾而上。遙聞彼處天眾天女歌舞之聲莊嚴具聲，如是聞已，則生希有歡喜之心，速速前近。時，彼天子即前近彼名千殿山，到已則見種種具足可愛勝處，有無量種。所謂七寶諸妙園林勝蓮花池以為莊嚴，心所樂見，迭共受樂，勝淨水池水流之聲。見園林中種種勝鳥上下來去，種種間雜七寶堂舍皆悉作行。種種雜雜異異諸寶以為莊嚴，彼堂如是甚可愛樂，山谷崖岸種種行林莊嚴殊勝。多有勝妙鵝鴨鴛鴦，是等水鳥，種種音聲皆可愛樂。種種幡幢為風所吹，莊嚴可愛，見者皆勝。於虛空中有行殿舍，若來若去、若合若離，有光明寶而為莊嚴。復更聞有彼此迭共若歌舞等勝妙音聲，聞有勝妙迭互遊戲笑等音聲。有平不平七寶之聚，無量種種勝妙莊嚴，無量種種勝山峯處。無量千種勝妙好花，形相色香。行住走戲，若相抱等，如是種種在彼天處，如是天子、天女之眾而為圍遶。在名千殿山峯之上，住虛空中，下觀彼殿。

> さて、その天人はこう言い終えると、空中を飛びながら、名千殿山へと向かった。 その山の頂上には、無数の宝で飾られた場所があり、無数の天人や天女たちがいた。 様々な美しい声や歌声は、五百由旬もの彼方まで響き渡り、虚空に満ちていた。 多くの天女たちが道端で歌い、この天子を喜ばせながら、その速さで名千殿山の頂上へと向かわせた。 遠くから、そこに集う天人の群れや天女たちの歌声、また装飾品の音色が聞こえてきた。 それを聞くと、天子は稀に見る喜びを抱き、急ぎ足で近づいていった。 やがて、その天子は名千殿山に到着した。 そこには、様々な愛らしい素晴らしい場所が、無数の種類にわたって存在していた。 すなわち、七宝で飾られた美しい林や、見事な蓮池が彩りを添え、心が望むままに共に楽しみ、清らかな池の水音が響いていた。 林の中では、様々な美しい鳥が飛び交い、七宝でできた堂舎が並び、様々な宝が混ざり合って飾られていた。 その堂舎はとても愛らしく、谷や崖、岸辺には様々な林が広がり、荘厳で素晴らしかった。 また、多くの美しい鴨や鴛鴦などの水鳥が、様々な鳴き声で楽しませてくれた。 風に揺れる様々な幢幡は荘厳で、見る者の心を奪った。 虚空には、行き来し、合わさったり離れたりする行殿があり、光輝く宝で飾られていた。 さらには、互いに歌い合い、舞い、遊び、笑い合う声が聞こえてきた。 平らでない七宝の集まり、無数の様々な素晴らしい飾り、無数の種類の美しい山々の峰々。 無数の千種もの美しい花々、その形・色・香り。 歩き、走り、遊び、互いに抱き合うなどの姿が、そこかしこに見られた。 こうした天人の世界で、多くの天女たちに囲まれながら、名千殿山の頂上に立ったその天子は、虚空にとどまり、眼下のその殿を見下ろした。

「如是觀見彼山峯已，生歡喜心告天女言：『汝等看此千殿山峯，此殿如是甚為可愛，一切種種皆悉可愛。』彼天女眾聞其語已，白彼天言：『天今當知！我今已見，我已如是數數見來，或已百到、若已千到，天未曾見。天今善看於此勝處，第一善觀。』

> この山頂をご覧になった御方が、喜びの心を起こして天女たちにお告げになりました。「あなたがたは、この千の宮殿がある山頂を見なさい。この宮殿は実に愛らしく、あらゆる点で愛らしいのだ。」と。 その天女たちはこの言葉を聞いて、その御方に申し上げました。「御方よ、どうかお聞きください。私たちはすでに見ております。私たちはこのように何度も何度も見てまいりました。あるいは百回、あるいは千回も訪れたことがありますが、御方はまだご覧になっていません。どうかこの素晴らしい場所を、よくご覧になってください。何よりもまず、しっかりとご覧ください。」

「彼諸天女如是說已，如是天子共諸天女從空而下，臨近彼殿。於彼殿中有受樂天，見其來已，生歡喜心。有天前迎，近而看之，以彼天子初始生故，如是歡喜以手抱之，而作是言：『今我天朋如是增長，天眾由是則有大力。汝於今者，共多諸天同受快樂。多有諸天，多有光明。牟修樓陀天王之所，多有天眾、多天女眾遊戲受樂。』

> 「天女たちがこう言うと、天子は天女たちと共に空から降りてきて、その殿舎に近づいた。その殿舎の中では楽を受ける天人がおり、彼が来るのを見て、歓喜の心を生じた。ある天人は先に出迎え、近くで彼を見つめた。その天子が新たに生まれたからである。こうして歓喜して、手で抱きしめてこう言った。『今や我らの天の仲間はこうして増え、天の衆はこれによって大いなる力を持つ。あなたは今、多くの天人たちと共に同じく楽しみを受けるのだ。多くの天人がおり、多くの光がある。牟修楼陀天王のもとには、多くの天衆、多くの天女たちが遊戯し楽しみを受けているのだ。』」

「復有餘天見始生天，合掌供養。既供養已，而語之言：『汝今到此山峯之上，此中今有須夜摩天無量天眾、諸天女眾圍遶受樂，復有天王。天善業故，今於無量妙蓮花中迭共遊戲。善業力故，此處受樂。此是好處，汝今來此，汝始生天得來至此。』

> さらにまた、他の天人が、新たに生まれた天人が来たのを見て、合掌して供養し、供養を終えてからその天人にこう語りかけました。 「あなたは今、この山の頂上に来ました。ここには現在、須夜摩天の無数の天の衆生たちがいて、多くの天女たちに囲まれ楽しみ、また天王もおられます。天の善業（善い行いの果報）があるがゆえに、今、無数の素晴らしい蓮華の間で、互いに遊び戯れています。善業の力によって、ここで楽しみを受けているのです。ここは素晴らしい場所です。あなたは今、ここに来ました。新たに天に生まれ、ここに至ったのです。」

「始生天子既聞是語，語自天女作如是言：『夜摩天王何處遊戲，五欲功德而受快樂？』天女聞已，答天子言：『我今共去，向大天主牟修樓陀住受樂處。』彼始生天聞此語已，即共天女去向天王受樂之處。共天女眾歌舞遊行，次前遙見牟修樓陀夜摩天王，赤優鉢羅林中而住。赤優鉢羅有百千葉，彼葉葉中有舍如窟，內有天女，第一妙香，共諸鳥眾種種遊戲。彼諸鳥者是水行鳥，鳥有勝聲種種妙音。彼處如是赤優鉢羅如是莊嚴彼大天王。婦女之身普皆種種妙寶衣服，其寶多有種種光明，赤優鉢羅寶光明故，同一赤色。彼優鉢羅如是赤故，令一切寶光明皆赤。如是勝妙赤蓮花寶，過於秋時初出之日赤色之妙。又復於彼赤優鉢羅諸葉之中共蜂遊戲，如是具受五功德樂。

> 「始めて生まれた天子はこれを聞いて、天女にこう言った。 『夜摩天王はどこで楽しみ、五欲の功徳で快楽を受けているのか？』 天女はこれを聞いて天子に答えた。 『私はあなたと一緒に行き、大いなる天主・牟修楼陀がいる楽しみの場所へ参りましょう。』 始めて生まれた天子はこの言葉を聞くと、すぐに天女とともに、天王が楽しみを受けている場所へ向かった。 天女たちとともに歌や舞を楽しみながら進むと、遠くに牟修楼陀・夜摩天王が、赤い優鉢羅の林の中にいるのが見えた。 赤い優鉢羅には百千の葉があり、その一つ一つの葉の中には窟のような部屋があった。そこには天女がいて、最高の香りを放ち、さまざまな鳥たちとともに遊んでいた。 その鳥たちは水に住む鳥で、美しい声でさまざまな素晴らしい音を奏でていた。 このように、赤い優鉢羅の林は、大いなる天王を荘厳していた。 天女たちのからだはみな、さまざまな美しい宝の衣で飾られ、その宝は多くの光を放っていた。赤い優鉢羅の宝の光のため、すべてが同じ赤い色に見えた。 優鉢羅がこれほど赤いので、すべての宝の光は赤く染まった。 この見事な赤い蓮華の宝は、秋の初めに出る太陽の赤い色よりも美しかった。 また、その赤い優鉢羅の葉の中では、蜂たちとともに遊びながら、このように五つの功徳の楽しみを十分に受けていた。」

「若彼赤色優鉢羅中天子、天女有如是心：『我於今者欲飲天酒。』即心念時，於彼赤色優鉢羅寶花葉之中，勝善色香清冷之觸天酒流出，有無量種，與彼天主牟修樓陀而共飲之，如是受樂。又復彼天更有所念，欲令赤色優鉢羅中歌音聲出。即於念時，則有風吹，而令赤色優鉢羅葉迭互相觸出種種聲。自餘種種五樂音聲，於此音聲十六分中不及其一。聞彼聲已，生歡喜心。既聞彼聲，百倍受樂，共彼天主牟修樓陀在彼赤色優鉢羅葉而受快樂。又復彼天心若憶念遊戲受樂，作如是念：『我今住此赤優鉢羅妙寶葉中，如是遊戲，今欲令此赤優鉢羅行於虛空。』即於念時，彼優鉢羅如鵝鳥飛，在空而行。天子在中，下觀餘處諸園林等，有餘諸天自善業故，遊戲受樂。時，彼天子復共天主牟修樓陀在優鉢羅妙寶葉中遊戲受樂，處處而行。彼所受樂，無量分別，善持戒故，如彼持戒相似得果，而受快樂。以彼持戒有下、中、上，如是受樂有下、中、上。「彼處如是於長久時受快樂已，種種見已，又復行向心相地處千殿山峯。時，彼如是始生天子不可思議種種見已，心生歡喜向彼天主牟修樓陀赤色妙寶優鉢羅中，共多無量諸天女眾彼諸天女歌舞遊戲。彼夜摩地五欲功德，具受第一境界之樂。牟修樓陀夜摩天王赤優鉢羅赤色光明，照耀天主牟修樓陀大王之身亦如是赤。猶如赤色阿舒伽色，於天王身所有赤色十六分中不及其一。如是具受無量種樂。爾時，如是始生天子復更前進，漸近天主牟修樓陀合掌禮拜，低頭未舉。

> その赤い優鉢羅華（うはらげ）の中にいる天子や天女が、「今、天酒を飲みたい」と心に念じるだけで、その瞬間、その赤い優鉢羅の宝の花びらから、勝れた色・香り・清らかな冷たさを持つ天酒が流れ出ます。その天酒には無数の種類があり、彼らは天主・牟修楼陀（むしゅるだ）と共にそれを飲み、このようにして楽しみを受けます。 また、その天人がさらに、「赤い優鉢羅の花びらから歌声を出してほしい」と念じるだけで、その瞬間、風が吹き、赤い優鉢羅の葉が互いに触れ合って様々な音を奏でます。他のあらゆる五楽の音声も、この音声の十六分の一にも及びません。その音を聞いた天人は歓喜の心を生じ、その音を聞いて百倍の楽しみを受け、天主・牟修楼陀と共にその赤い優鉢羅の葉の中で楽しみを享受します。 さらに、その天人が遊戯の快楽を味わおうと心に念じ、「今、私はこの赤い優鉢羅の妙宝の葉の中にいて、このように遊んでいる。さあ、この赤い優鉢羅を虚空に飛ばそう」と願うだけで、その瞬間、その優鉢羅は鵞鳥が飛ぶように空中を進みます。天子はその中にいて、眼下の他の園林などを見下ろし、そこには他天人が自らの善業によって遊戯し楽しんでいます。その時、天子は天主・牟修楼陀と共に、優鉢羅の妙宝の葉の中で遊戯し楽しみながら、あちこちへと進みます。彼が受ける楽しみには無数の種類があり、戒をよく保ったことにより、その持戒の下・中・上の度合いに応じて、得られる果報も下・中・上と変化します。 こうして長い間楽しみを味わい、様々なものを見た後、彼はさらに心相の地にある千殿山の峰へと向かいます。その時、この新たに生まれた天子は、不可思議な様々なものを見て歓喜し、天主・牟修楼陀のいる赤い妙宝の優鉢羅の中へと進みます。そこでは無数の天女たちが歌舞や遊戯に興じ、彼らは夜摩天の五欲の功徳を享受し、第一の境界の楽しみを余すところなく味わっています。牟修楼陀夜摩天王の赤い優鉢羅の赤い光明が、大王・牟修楼陀の御身を照らし、それもまた同じように赤く輝きます。それは、例えば赤い阿舒伽（あしゅが）の花のような色であり、天王の御身のその赤い色は、阿舒伽の花の十六分の一にも及びません。このようにして無数の楽しみを受け取ります。 その時、この新たに生まれた天子はさらに進み、次第に天主・牟修楼陀に近づき、合掌して礼拝し、頭を下げたままの状態です。

「牟修樓陀夜摩天王即說偈言：

> 「牟修樓陀夜摩天王は、次のように詩句を唱えた。

「『前所作善業，修持三種戒，彼業得此報，今者受快樂。莫行於放逸，空受彼業盡，應於餘善業，勤行勿放逸。善業則應行，不善業應捨；善行受勝樂，不善行受苦。若勤不休息，如是作善業，彼則常受樂，後時得涅槃。若行放逸行，則非善轉行，彼善業盡故，則到地獄中。若行清淨業，常勤精進者，則得第一處，彼處無苦惱。若為根所使，復為境界驅，一切縛所縛，常轉行生死。惡法不污者，如已煉真金，彼脫有曠野，一切處安隱。若放逸行者，此不利益本；若捨則為吉，安樂無衰惱。汝今既始生，受樂事相應，生如是心意，慎勿著垢染。放逸能使天，婦女使亦然，婦女火所燒，常受於苦惱。是故天應當，勤捨離婦女，貪欲愚癡者，為心之所縛。如是法非法，不知應作不，丈夫少福德，去涅槃大遠。輕重真實知，行法無遺餘，悕法悕法果，如是者得樂。為心所牽者，根馬不調故，若知足牽心，勇到第一處。知足繩縛心，如心境界爾，勇者能令住，彼是世間智。天無量愛處，得無量種樂，若不貪著欲，則到於善處。汝作善業已，得可愛境界，今得夜摩處，心勿著放逸。如是始生天，億鉢頭摩數，天眾天女眾，自業受果報。業果繩難解，從心而化出，眾生為癡誑，依此而轉行。十二入怨家，巧能誑惑心，置在生死輪，令於世間轉。過去現未來，天處一切退，天處山常爾，眾生流轉行。毘琉璃山峯，園林等可愛，山等常不動，諸天轉不停。園林甚可愛，地處亦如是，恒爾住不壞，諸天轉不停。毘琉璃為莖，真金甚可愛，此蓮花常爾，諸天轉不停。河池可愛樂，多諸鳥莊嚴，常如是不闕，諸天轉不停。堂殿常不異，枸欄亦如是，常爾不破壞，諸天轉不停。為境界所誑，世間如是轉，云何此處天，心不生厭離？心行於生死，以久習故堅，如是受大苦，而猶不覺知。如屠兒縛羊，置之於欄中，一一取而殺，餘者不生怖。』

> 「過去に善行を積み、三種の戒律を守り</row><row>その業の報いとして、今この楽しみを受けている。</row><row>放逸に身を任せて、業の果報を無駄にしてはならない。</row><row>さらなる善行に努め、怠ってはならない。</row><row>善い行いをなすべきであり、悪い行いは捨てるべきである。</row><row>善行は素晴らしい喜びをもたらし、悪行は苦しみをもたらす。</row><row>もし休むことなく努め、このように善行を積めば、</row><row>その者は常に楽しみを受け、ついには涅槃に至る。</row><row>もし放逸な生き方をすれば、善行に邁進することはない。</row><row>善業が尽きれば、地獄に落ちる。</row><row>清らかな行いを実践し、常に精進する者は、</row><row>最高の境地を得る。そこには苦しみはない。</row><row>もし感覚の根に操られ、さらには外界の対象に駆り立てられ、</row><row>あらゆる束縛に縛られれば、生死を繰り返し巡る。</row><row>悪法に汚されない者は、すでに精錬された黄金のようだ。</row><row>その者は荒野を脱し、あらゆる場所で安らかである。</row><row>放逸に生きる者は、利益を失う根源である。</row><row>それを捨てれば吉祥であり、安楽で衰えもない。</row><row>あなたは今、生まれ始め、楽しみと向き合っている。</row><row>このような心を持つならば、汚れに染まらないように慎みなさい。</row><row>放逸は天をも堕落させ、女もまた同様に人を惑わす。</row><row>女という火に焼かれて、常に苦しみを受ける。</row><row>それゆえ天よ、女への執着を精進して捨て去るべきである。</row><row>貪欲と愚かさにとらわれた者は、心に縛られている。</row><row>このように、正しい法とそうでないもの、なすべきこととなすべきでないことを知らず、</row><row>わずかな福徳しか持たない男は、涅槃から大きく遠ざかる。</row><row>軽いものと重いものを真実に知り、余すことなく法を実践し、</row><row>法と法の果報を求める者、そのようにして彼は楽を得る。</row><row>心に引きずられるのは、根（感覚器官）という馬が調御されていないからである。</row><row>もし知足が心を導くなら、勇者は最高の境地に至る。</row><row>知足の綱で心を縛れば、心はその通りの境地に至る。</row><row>勇者は心をとどめることができる。それが世の中の智慧である。</row><row>天は無量の愛着の対象を得て、無数の種類の楽しみを受ける。</row><row>しかし、欲望に執着しなければ、善い境地に至る。</row><row>あなたは善行を積み、愛すべき対象を得た。</row><row>今、夜摩天に生まれたのだから、心を放逸に向けてはならない。</row><row>このように生まれたばかりの天人は、億のハスの花の数ほどいる。</row><row>天の衆や天女たちもまた、自らの業に応じて果報を受ける。</row><row>業の果報という綱は解き難く、心から生み出される。</row><row>衆生は愚かさに惑わされ、これによって巡り続ける。</row><row>十二の感覚の入り口（十二入）は怨敵であり、巧みに心を惑わし、</row><row>生死の輪に置き、世の中に巡らせる。</row><row>過去も未来も、天の境遇はすべて退転する。</row><row>天の山は常にあるが、衆生は流転してやまない。</row><row>毘瑠璃の山頂、園林などは愛らしいが、</row><row>山などは常に動かないのに、諸天は巡り続ける。</row><row>園林はとても愛らしく、大地もまたそのようである。</row><row>それらは永遠に留まり壊れないのに、諸天は巡り続ける。</row><row>毘瑠璃を茎とし、純金でできた蓮はとても愛らしい。</row><row>この蓮華は永遠にあるのに、諸天は巡り続ける。</row><row>川や池は愛楽すべく、多くの鳥で飾られている。</row><row>それらは常に欠けることなくあるのに、諸天は巡り続ける。</row><row>堂殿は常に変わらず、手すりもまたそのようである。</row><row>それらは永遠に壊れないのに、諸天は巡り続ける。</row><row>外界の対象に惑わされて、世の中はこのように巡る。</row><row>どうしてここの天人は、心に厭い離れることを起こさないのだろうか。</row><row>心は生死を巡り歩むが、長く慣れ親しんだために固く、</row><row>このような大きな苦しみを受けながらも、まだ気づかないのである。</row><row>まるで屠畜者が羊を捕らえ、柵の中に入れ、</row><row>一頭ずつ殺しても、残った羊が恐れを抱かないようなものだ。」</row>

## 正法念處經卷第三十九

> 正法念処経 巻第三十九