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title: "正法念處經 · 8"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
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## 正法念處經卷第四十三

> 正法念処経 第四十三巻

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品之二十二夜摩天之八

> 観天品 第二十二<note>夜摩天の八</note>

「爾時，彼天漸更前近牟修樓陀夜摩天王，若歌若舞種種嬉戲，共受第一勝業果報。彼一切天種種供養牟修樓陀夜摩天王，既供養已，坐在一處。一切坐已，歡喜語說。既語說已，天王告言：『汝一切天樂行放逸，相隨而來。自今以後，護命護法，勤行精進。以護法故，常受快樂，乃至涅槃捨身已後，永無苦惱，常受天樂。』

> 「そのとき、その天人は次第に牟修楼陀夜摩天王のもとに近づき、歌い、舞い、様々に遊び戯れながら、共に最も優れた果報を受けていた。彼らすべての天人は、様々な方法で牟修楼陀夜摩天王に供養をささげ終えると、それぞれの席に座った。皆が座り終えると、喜びに満ちた語らいが始まった。その語らいが終わると、天王はこう告げた。 『あなたがた天人は皆、放逸な楽しみにふけりながら、連れ立ってやってきた。しかし今日からは、自らのいのちと教えを守り、怠ることなく精進しなさい。教えを守るゆえに、常に安楽を受け、やがて涅槃に至り、この身体を捨てた後には、永遠に苦しみ悩みはなく、絶えず天の楽しみを受けるであろう。』」

「爾時，彼處一切天眾皆共和合，夜摩天王為說偈言：

> その時、その場所にいた天の衆はすべて集まり、夜摩天王（夜摩天の王）が次のように偈を説かれました。

「『世間種種界，種種業自在，天種種道來，善業生此處。有中如是來，有中如是去，如彼來時業，如來去亦爾。諸有和合事，諸有意不亂，皆是善業作，精進勿放逸。長久時受樂，此後必定退，退為第一苦，當有則無疑。彼如是之義，我召汝為說，汝等一切聽，如如來所說。』

> 「世の中には様々な世界があり、様々な業が自在に働いている。 天にも様々な道筋があって、善い行いにより、ここに生まれてくる。 迷いの世界では、このようにして生まれ、このようにして去っていく。 その人が来たときの業のように、去っていくときもまた同じである。 様々に存在が結びつく事柄も、心が乱れることのない事柄も、 すべて善い行いが作り出すもの。だからこそ、努め励み、怠ってはならない。 長く楽しみを受けたとしても、そのあとには必ず退いてしまう。 退くことは最高の苦しみであり、そのことは疑いなく存在するのだ。 そのような大切な意味を、私はあなたに告げようと招いた。 如来が説かれたとおり、あなたがた全員、よく聞きなさい。」

「夜摩天王如是普為彼一切天和合利益已說此偈，告天眾言：『汝等樂行境界所迷，然不覺知，天則減劣而不增長。此境界樂，一切無常，當不寂靜，得不饒益。所謂何者？一切皆聽！如汝所見，六正覺知者，七寶塔廟種種七寶莊嚴成就。所謂六者：一是尸棄正覺知者；二、毘婆尸正覺知者；三、毘舍婆正覺知者；四、迦那迦牟尼如來正覺知者、五、迦羅迦居村陀佛正覺知者；六、迦葉佛正覺知者。此六佛塔，天中久作，次第耳聞，我今供養。以何因緣？一切如是，我不曾見，我少心故。彼諸世尊利益安樂諸世間故，往世曾來到此世間，我以如是次第聞來，得如是法。

> 夜摩天王は、このようにあらゆる天人のために、彼らが和合し利益を得るように説いて、この偈を唱え終えた後、天の衆に告げました。 「あなたがたは、自らの境遇の楽しみに迷い、それに気づかずにいます。そのため天の力は衰え、成長することがありません。この境遇の楽しみはすべて無常であり、決して安らかではなく、本当の利益をもたらしません。では、それは何か？皆、聞きなさい。あなたがたが見るとおり、六人の正覚者（完全に悟った方々）のための七宝の塔廟が、さまざまな七宝で荘厳され完成されています。その六人とは、第一に尸棄（シキ）正覚者、第二に毘婆尸（ビバシ）正覚者、第三に毘舎婆（ビシャバ）正覚者、第四に迦那迦牟尼（カナカムニ）如来正覚者、第五に迦羅迦居村陀（カラカカシュンダ）仏正覚者、第六に迦葉（カショウ）仏正覚者です。この六つの仏塔は、天界に昔からあり、私は順に耳にしてきました。私は今、それらを供養します。なぜか？これらのすべてを私はかつて見たことがありません。私の心が未熟だからです。それらの尊い世尊方は、世の中を利益し安楽にするために、過去にこの世に来られました。私はそのように順に聞いてきて、この法を得たのです。」

「『彼迦羅迦居村陀佛，為夜摩天作大利益。謂利益者，一佛塔化，是大希有如來境界，令住此間。若此世界不敬沙門、婆羅門者，天朋則減。此減劣相於此佛塔光炎之中，我皆現見，若減若退，唯我獨見。汝等放逸，放逸行多，是故不見，以著境界受欲樂故。我以歌聲召汝等來，為利益故。汝等放逸，放逸而行即是死退。我恐汝等食善業盡，墮於惡道，故召汝來。六佛世尊利益無量諸眾生故，已所說經。彼諸如來於此塔中，皆悉書之，我已誦得。天今善聽，我為汝說，勿後退時而生悔心。』

> 「あの迦羅迦村陀仏は、夜摩天に大きな利益をもたらしました。その利益とは、一つの仏塔を出現させたことです。これは極めて希有な如来の境地であり、この塔をここに留め置かれました。もしこの世界で沙門や婆羅門を敬わなければ、天人の仲間は減ってしまいます。この衰退の様子を、この仏塔の光の中ではっきりと見ることができ、私は一人だけがそれを見ました。あなたたちは放逸に過ごし、放逸な行いが多いため、それを見ることができません。それは、見る対象（境界）に執着し、欲望の楽しみを受け入れているからです。私は歌声であなたたちを呼び集め、利益のためです。あなたたちは放逸に、放逸な行いを続ければ、それは死すなわち退転です。私は、あなたたちが善業を食べ尽くして悪道に堕ちるのを恐れ、あなたたちを呼び寄せました。六人の仏陀世尊は、無数の衆生に利益を与えるために、すでに経典をお説きになりました。あの如来方の教えは、すべてこの塔の中に書き記されており、私はすでにそれを暗唱して得ています。天よ、今よく聞きなさい。私はあなたたちのために説きます。後に退転してから悔いることのないように。」

「爾時，彼天第一敬重，專心思念，一切默住，二種敬重：一、敬天王；二、敬重法。諦意正住，其心不動。

> そのとき、その天人は第一の敬重をもって、心を集中して静かに全てを念じ、ただ二つの敬いの心だけを抱いていた。すなわち、一つは天王を敬うこと、二つは法を敬うことであった。その心は真実の教えにしっかりととどまり、動くことがなかった。

「天王既見天眾如是善調伏故，普告之言：『汝等始入初如來塔，尸棄如來壁上書經，饒益天眾、利益天眾、安樂天眾。』彼最勝天共其天王牟修樓陀最初入塔，見尸棄佛毘琉璃像，在青寶床加趺而坐，於其壁中自書經言：

> 天王は、天の衆生たちがこのように見事に調伏されたのを見て、皆に告げて言った。「あなたたちは初めて如来の塔に入った。尸棄如来が壁に書き記した経典は、天の衆生たちを豊かにし、利益し、安楽にするものである。」その最勝天は、天王牟修楼陀と共に最初に塔に入り、尸棄仏の瑠璃色の像が青い宝の床の上に結跏趺坐しているのを見た。その壁の中には、自ら書かれた経典の言葉があった——

「『諸比丘！若天、若人有八種法障礙善法。何等為八？諸比丘！所謂一者，若天、若人為放逸壞，不能作善——若世間善、出世間善。世間法者，若心懈怠、若心放逸，行放逸行，彼世間法一切皆壞。若放逸者，於善友所不能看視，則為中人；若是怨家，怨則增長，求覓其便。此是放逸妨世間法；諸有懈怠放逸行者，不能成就如是之業。彼人業盡，知友亦盡，怨家熾盛增長大力，室家皆失，貧窮無物，為他輕賤。第一凡鄙，所謂貧窮。諸有貧窮凡鄙丈夫，善友知識、親舊兄弟，貪瞋邪見一切增長。彼愚癡者最為凡鄙。何以故？不善行故。天所棄捨，一切侵陵，為他侵己或時致死，或時商賈亡失財物，以其放逸，放逸行故。若諸比丘、若比丘尼、若優婆塞、若優婆夷如是放逸；常勤修行無記禪定，不得盡漏；唯貪食味，占相食時，妨亂其心。如是放逸，放逸行者，常一切時心不清淨，貪著食味猶如畜生食吐之者，其心如狗，亦如受持烏狗戒者。如是之徒常放逸行，不讀誦經，於眷屬中、於多聞中，是少智者是為凡鄙，為諸檀越之所輕賤，離無所畏。第一無畏，所謂多聞，能思惟法；第一凡鄙，所謂少聞。彼少聞者，為他輕賤，不知自過，而於他所多貪瞋癡；於多聞者、真實知者，若於尊長、若於檀主有善根者，以愚癡故、放逸多故，生瞋心瘡。不善業故，身壞命終墮於惡道，生地獄中。放逸行者，如是人中行放逸故，於世間義、出世間義以為妨礙。

> 「比丘たちよ、天や人には、善い法を妨げる八つの障りがある。どのような八つか。比丘たちよ、すなわち第一に、天や人が放逸に陥って善を行うことができないことである。善には世間の善と出世間の善とがある。 世間の法について言えば、もし心が懈惰であり、心が放逸であり、放逸な行いを続けるならば、その世間の法はすべて壊れてしまう。放逸な者は善き友のもとを訪ねることもなく、ただ中途半端な者となる。もし怨みを持つ者であれば、その怨みはさらに大きくなり、機会をうかがうようになる。これが放逸が世間の法を妨げる様子である。懈惰で放逸な行いをする者は、このような業を成就することができない。その人の業は尽き、友人知己も尽き、怨みの家は盛んとなり力が増し、家族も失い、貧しく無一物となり、他人から軽く見られる。 最も卑しいのは貧しさである。貧しくて卑しい男には、善き友人・知識・親戚・兄弟までもが、貪り・怒り・邪見をことごとく増長させる。その愚か者は最も卑しい。なぜか。善い行いをしないからである。天にも捨てられ、すべての者に踏みにじられ、他人から害を受けて死に至ることもあり、あるいは商いで財物を失う。みな放逸、放逸な行いのゆえである。 比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷がこのように放逸であれば、常に無記の禅定を修行しても煩悩を尽くすことはできず、ただ食べ物の味に貪り、食事の時を占い、心を乱す。このように放逸に生きる者は、常に心が清らかでなく、食べ物の味に執着して、まるで吐いたものを食べる畜生のようであり、その心は犬のようであり、烏や犬の戒律を受けた者のようである。このような者は常に放逸で、経典を読誦せず、その眷属の中でも、多聞の人々の中でも、智恵の少ない者であり、卑しい者であり、施主たちから軽んじられ、無畏の境地から遠ざかる。 第一の無畏とは多聞であり、法を思惟することである。第一の卑しさとは少聞である。その少聞の者は他者から軽んじられ、自分の過ちを知らず、かえって他者に対して多くの貪り・怒り・愚かさを持つ。多聞で真実を知る者、あるいは尊長や善根ある施主に対して、愚かさゆえに、放逸が多いゆえに、怒りの傷を心に生む。善ならざる業のゆえに、命終わって悪道に堕ち、地獄に生まれる。放逸に行き続ける者は、このように人の中で放逸により、世間の義も出世間の義も妨げられるのである。」

「『諸比丘！云何天中放逸，破壞此天？自性行於放逸，放逸行天其心愛樂觸味色香而行放逸，不見老至、不見破壞、不見退沒，心不思惟善業盡滅，不習作法，不敬重佛及法、眾僧。彼離善心，行於放逸，佛出世時，不見不知，心不生信。怖畏近至、衰禍近至、死苦近至，離別之苦近至不遠，天女棄捨。大怖近至，如在嶮岸而墮墜者，於先境界所受樂事不具足見，於異世中不隨順行，於臨死時，不與其樂亦不安慰。如是境界皆悉破壞，無有氣勢，於諸有中異處去時，不共相隨。若作放逸，放逸行業——彼於有中則隨逐行。彼境界渴，心未厭足，放逸而死。一切天捨，心生驚怖，迷於境界如是而死，彼時相應，或生地獄、餓鬼、畜生三惡之處。是故天人一切不應行於放逸。』

> 「比丘たちよ。天人はどのように放逸に陥り、自らを滅ぼしてしまうのか。彼らは自らの性質として放逸に生き、心から快楽に執着する。すなわち、美しい触感・味・香り・色を愛し、それらに耽ることで放逸な行いを続ける。老いること、壊れること、退転することを見ようとしない。心は善行が尽きることを考えず、善い行いを積まず、仏・法・僧を敬わない。彼らは善き心を捨てて放逸に生き、仏が世に出ても見ることも知ることもなく、心に信仰が生まれない。恐れが迫り、不幸が近づき、死の苦しみが迫り、別れの苦しみが遠からず訪れ、天女たちは彼らを見捨てる。大いなる恐れが迫り、あたかも危険な崖から落ちる者のように、かつて味わった楽を完全に見ることもできず、次の世へと従順に進むこともできず、死の間際には楽をもたらさず、慰めも与えない。こうした境地はすべて崩れ去り、勢いを失い、様々な生存の間を異なる場所へ去るとき、何ひとつ共に従ってはくれない。放逸な行いを積んだならば、それは生存の間を追いかけてくる。彼らは境地に渇き、心は満たされることなく、放逸のままに死ぬ。すべての天人は見捨てられ、心に恐怖が生じ、境地に惑わされてこのように死ぬ。そのとき、彼らは地獄・餓鬼・畜生の三つの悪い場所に生まれることもある。ゆえに天も人も、すべての者は放逸に振る舞うべきではない。」

「『尸棄如來當爾之時，而說偈言：

> 尸棄如来はその時に、次のように偈を説かれました。

「『「若天一切時，成就境界樂，彼天既破壞，諸業隨逐行。樂不可常保，業聚集不失，樂所誑癡天，由業不自在。境界現生樂，後能作衰惱，染著境界天，心常亂不定。不知善福業，是生死病藥，如藥燈亦爾，為歸亦為救。有中之善業，隨逐於眾生，是故黠慧者，常應勤精進。修福德為吉，捨境界為善，若有智眼者，知畏未來世。黠慧預生怖，愚則至時畏，智者如是知，心常慮破壞。若意常愚癡，則喜樂境界，為境界所迷，後則心生悔。諸有身和合，智常不濁者，皆作福德業，無福德則苦。」』

> 「もし天が常に、境界の楽しみを成就するなら、 その天はすでに打ち破られ、諸々の業がその身に従って行く。 楽しみは永遠に保てず、業の集まりは失われない。 楽しみに欺かれた愚かな天は、業によって自在ではない。 境界（対象）が現れて楽しみを生むが、後に衰えや悩みをもたらす。 境界に執着する天は、心が常に乱れて定まらない。 善い福徳の業が、生と死の病の薬であることを知らない。 それは薬や燈明のようなものであり、よりどころであり救いでもある。 迷いの世界における善い業は、衆生に従い続ける。 それゆえ賢明な者は、常に努め励むべきである。 福徳を積むことが吉祥であり、境界を捨てることが善である。 もし智慧の眼を持つ者がいれば、未来の世を畏れることを知る。 賢明な者は前もって恐れを生じ、愚か者はその時になって恐れる。 智者はこのように知り、心は常に破壊を慮る。 もし心が常に愚かであれば、境界の楽しみを喜び、 境界に惑わされ、後に心に悔いを生じる。 様々な身と和合しても、智慧が常に濁らない者は、 みな福徳の業を行う。福徳がなければ苦しみがある。」

「牟修樓陀夜摩天王如是示彼一切天眾，尸棄如來所說偈頌壁上書字最初法已，次第復示其餘七法，作如是言：『我復為汝說餘七法。次謂傲慢無時㝭𡩺。傲慢行者，常不㝭𡩺，於天人中恒為妨礙，常妨一切世間之法、出世間法。云何名為妨世間義、出世間義？身傲慢者，亂其心意；一切法義，意為前導，是故轉行。彼亂心意，行不善處、非所應處，非時而行，行邊嶮處近惡知識。不自測度亦不知他，不知自力、不知他力。以傲慢故，不能作業，於自家事不知籌量，如狂不異。不行正行，一切眾中最為凡鄙，又於諸親兄弟等中最為下劣。彼不應作而便作之，所應作者則不能作。彼所應作、所不應作，一切不知，亦復不知作與不作。於法、非法亦不能知，又亦不知應說不說、應行不行，亦復不知是處、非處。如是一切悉皆不知。以傲慢故，而不能知持戒之法。又慠慢故，不知時節、不知方處、不知住心及不住心。以傲慢故，不知樂時、不知輕重又不知真、不知非真，戴面而行，無所畏忌。

> 牟修樓陀夜摩天王は、こうして天の衆生たちに、尸棄如来が壁に書き記した偈頌に示された最初の教えを説き示した。そして、続けて残りの七つの法を次のように示された。 「次に、あなたがたに残りの七つの法を説こう。それは、傲慢（おうまん）という心の働きについてである。傲慢な行いをする者は、決して目を覚ますことがない。天や人の世界において常に妨げとなり、世の中のすべての事柄や、世を超えた真理にも妨げとなる。では、世の中の意味や世を超えた意味を妨げるとは何か。身体的な傲慢は、心を乱す。すべての真理や意味は、心が先導するものであり、そのために心に従って行動が生じる。その乱れた心は、善くない場所や、ふさわしくない場所へと向かい、時ではない時に行動し、危険な場所へ行き、悪い知恵者に近づく。自身を測ることもなく、他者を知ることもなく、自分の力も他者の力も知らない。傲慢のために、仕事を成し遂げることができず、自分の家のこともよく考えず、まるで狂った人のようで、正しい行いをしない。すべての者の中で最も平凡で卑しく、また親族や兄弟の中でも最も劣っている。彼はしてはいけないことをしてしまい、なすべきことはできない。なすべきこととなすべきでないこと、すべてを知らず、またなすこととなさないことも知らない。正しい法とそうでない法も知らず、また話すべきことと話すべきでないこと、行うべきことと行うべきでないことも知らず、さらに道理のあるところとないところも知らない。このようにすべてを知らないのである。傲慢のために、戒めを守る方法を知ることができない。また傲慢のために、時節を知らず、場所を知らず、心を留めることと留めないことも知らない。傲慢のために、楽しむ時を知らず、軽重を知らず、真実と真実でないことも知らず、顔を上げて歩き、恐れやはばかりを持たないのである。」

「『又此傲慢於出世間法義妨者，云何為妨出世間義？為此傲慢所妨亂者，不知業因、不知果報、不知善道及不善道，不知威儀、不知方處、不知時節、不知裁量足與不足、不知大眾。雖得聞法，不能修行；於未聞法，心不欲聞，無心訪問。凶頑不畏，語不依理，心意動亂如風動塵分散處處，彼心如是常亂不定。彼心意亂傲慢行者，不修禪定、不能攝心，見色則著，樂於境界。或時著欲，眼常動轉，如是㦜者，不正眼故，行於傲慢，或因著欲或是醉亂，或時禍祟或時狂病，一切時爾，更不餘異。彼如是故，為諸世間之所詳指。如是指故，則為一切之所輕賤，不知自過。彼非饒益又非利益，亦非安樂，彼則於義皆不成就。

> 「さらに、この慢心が、世を超えた真理の実践の妨げとなるのはなぜか。それは、慢心に乱された者は、原因を知らず、結果を知らず、善い道と悪い道を知らず、正しい行いを知らず、ふさわしい場所を知らず、時を知らず、十分か不足かの判断を知らず、集団の中での振る舞いを知らないからである。たとえ教えを聞いても、実践することができない。まだ聞いていない教えについては、聞こうとせず、尋ねようともしない。強情で恐れることなく、言葉は道理に従わず、心は風に舞う塵のように乱れ、あちこちに散らばる。その心は常に乱れて定まらない。心が乱れた慢心の実践者は、静かな瞑想をせず、心を集中できない。色を見れば執着し、感覚の対象に喜びを求める。あるいは欲に執着し、目は常に落ち着きなく動く。このように落ち着かないのは、正しい見方がないからである。慢心に振る舞い、あるいは欲に執着し、あるいは酔って乱れ、あるいは災いに遭い、あるいは狂気に陥る。常にそのような状態であり、それ以外のことはない。そのため、世間の人々から指さされる。指さされることで、すべての人から軽く見られ、自分の過ちにも気づかない。それは、真の豊かさをもたらさず、真の利益にもならず、真の安らぎにもならない。その人は、真理の意味をまったく成就できないのである。」

「『云何傲慢於出世間法律為妨？云何復於傲慢者中以為妨礙？謂彼人中有出家人，傲慢之行最為鄙劣。此法毘尼能離傲慢，一切端嚴；不離傲慢則不端嚴。彼傲慢人不能修禪，不知住止，常行城邑聚落等中，不行好處，不能說法調伏檀越，唯貪飲食床臥敷具，唯不善觀。如是之人身壞命終墮於惡道，生在地獄、餓鬼、畜生。如是之人非世間道、出世間道二處安隱。

「『傲慢有七：一者色慢；二者財慢；三者生慢；四者服飾莊嚴等慢；五者為王供養故慢；六者婦女親近故慢；七者他妻亂心故慢。此總為慢，減句、殘句或復滿句。此一切法，彼慢為妨。如是人中少有富樂，微少命行，微行慠慢，何況天中此則是慢。彼天愛聲觸味香色，念念之中增長傲慢。傲慢行故，命則稍減，不覺命行，不知命盡、不知行盡、不知善業若不善業。彼一切時常恒如是，乃至命盡，慠慢不止。次第乃至善愛業盡，業盡則退，臨至退時爾乃覺知，起如是心：「境界誑我，令我生染。」如是慢誑，身壞命終墮於惡道，生在地獄、餓鬼、畜生。如是慠慢妨世間道。

> 「傲慢には七つある。第一に外見の慢、第二に財産の慢、第三に生まれの慢、第四に服装や装飾品などの慢、第五に王から供養されることによる慢、第六に女性に近づかれることによる慢、第七に他人の妻に心を乱されることによる慢。これらを総じて慢という。句を欠いたり、一部だけ残ったり、あるいは完全な句となることもある。あらゆる法において、この慢が妨げとなる。人間の中でも、わずかな富や楽しみ、わずかな寿命、わずかな行いで傲慢になる者がいる。ましてや天界においては、まさにこれが慢である。あの天人は、愛する音・感触・香り・色に対して、刹那ごとに傲慢を増大させる。傲慢を行うゆえに、命は次第に減り、命の行いを自覚せず、命の尽きることを知らず、行いの尽きることを知らず、善業か不善業かも知らない。彼らは常にそのようにして、命が尽きるまで傲慢をやめない。次第に善い愛の業が尽き、業が尽きると退転する。退転しようとする時にようやく気づき、こうした心を起こす。『境界が私を欺き、染まりを生じさせたのだ』と。このように慢に欺かれて、身が壊れ命が終わると、悪道に堕ち、地獄・餓鬼・畜生に生まれる。このように、傲慢は世の中の道を妨げるのである。」

「『又復天眾以慠慢故，妨出世道。彼一切天愛善業故，以正法故於此天處夜摩中生。以天慢行，不知自業，不近其餘少慢行者，不近一切不慢行天，不樂見佛及法、眾僧，於正法中不信不入。以於正法不隨順故，行於惡道。不能觀察十二因緣，不敬尊長亦不親近有智慧天。為欲所誑，貪著境界。於此天處臨欲退時，乃生悔心。是故天人應捨放逸，應離慠慢。若不捨離，則如熾火燒胡麻等。

「『尸棄如來當爾之時，而說偈言：

> 尸棄如来はその時に、次のように偈を説かれました。

「『「放逸則破壞，為慢所迷惑，若天若丈夫，不得寂靜樂。若樂放逸行，是則名為死；諸放逸樂過，退墮地獄中。不正道行過，是則名放逸；放逸誑心天，則入於地獄。憙樂於不實，於實不憙樂，放逸垢闇故，天為欲所誑。欲所迷癡天，放逸慢亦爾，不能真實見，如生盲於道。」

> 「放逸に身を任せれば、自らを壊す。 おごり高ぶり迷わされれば、 天の人であれ、人間であれ、 静かな安らぎを得ることはできない。 放逸な行いを楽しむならば、 それはまさに死に等しい。 放逸の楽しみの果ては、 地獄に堕ちることである。 正しくない道を行く過ち、 これを放逸という。 放逸は心を欺き、 天をも地獄へ導く。 虚偽のものを喜び、 真実を喜ばない。 放逸という汚れと闇のゆえに、 天人は欲望に欺かれる。 欲望に迷わされ、愚かな天人は、 放逸とおごりにも同様に囚われる。 真実をありのままに見ることができず、 あたかも生まれつきの盲人が道を知らぬかのようである。」

「『尸棄世尊如是已說放逸慢心妨礙世間、出世間法，又復第三示破戒過。如是之事，彼佛世尊悉知無餘，如實諦知破戒過患，塔中壁上次第書之。』

> 尸棄世尊はこのように、放逸と慢心が世間と出世間の法を妨げることを説かれました。また第三に、戒を破ることの過ちを示されました。これらのことを、その仏世尊は余すところなく全て知っておられ、ありのままに戒を破る過ちの患いを真実に了知され、塔の中の壁に順に書き記されました。

「爾時，天王牟修樓陀示彼天眾，塔中壁上不持戒過書畫文字：

> その時、天の王・牟修樓陀は天の衆たちに示した。塔の中の壁に、戒律を守らなかった過ちが、絵や文字として描かれていたのである。

「『不持戒者，是諸天人第三過患，非是利益，非世間道、非出世道，世出、世道一切皆非。何者？人中不持戒故，妨世間道。所謂受戒愚癡之人，既受戒已，應作、不作一切不知，亦復不知是處、非處。作過患已，覆藏在心。兄弟因緣，如是破戒專為兄弟諸親舊等，不顧念戒或不取戒，受已則犯，不生忌難。以如是故，為諸親舊兄弟眷屬一切人等皆悉輕賤，作如是言：「此不持戒，不勤精進，身口意戒一切不持。」如是諸親至兄弟等嫌賤輕薄。以輕賤故，時節吉凶皆不看視，不與往還。吉凶等會，不請不喚、不信不敬，以如是人不受戒故、不持戒故、不攝戒故。本善友者，則為中人；若先怨者，則求其便；若非怨親，則不攝之以為朋侶。如是之人如樹根斷，風吹倒地，如是倒已，一切物失，諸親等離。彼人自心本性輕動，以輕動故，內則懷惡，於一切人多貪多瞋，心邪疑慮，分別悕望欲為惱亂，其心常瞋一切眾生，面色不好，無有威德，心亂不定，恒常貧窮。如是之人不受戒故、不持戒故，身壞命終墮於惡道，生地獄中。是故常應念作利益，受戒持戒，不妨世法。

> 戒を守らないことは、天人の衆にとって第三の過患であり、利益にはならず、世間の道でも、出世間の道でもなく、世間と出世間のすべての道において、正しいものではありません。なぜか？人間において戒を守らないことが、世間の道を妨げるからです。つまり、戒を受けながらも愚かな人は、戒を受けた後、なすべきこととなすべきでないことの一切を理解せず、また、正しいことと正しくないことも知りません。過ちを犯しては、それを心に隠します。兄弟といった縁故のために、このように戒を破り、兄弟や親類、旧友らのために専らになり、戒を顧みず、あるいは戒を受け入れず、受けた後には犯してしまい、忌避することも困難としません。このような理由から、親類や旧友、兄弟、眷属などすべての人々から軽んじられ、「この者は戒を守らず、精進も怠り、身・口・意の戒をすべて守らない」と言われます。このように親類や兄弟たちからも嫌われ、軽んじられ、卑しめられます。軽んじられるゆえに、時節の吉凶も顧みられず、交際もされません。吉凶の集まりにも招かれず、呼ばれず、信頼されず、敬われません。この人が戒を受けず、戒を守らず、戒を保たないからです。もと善き友であった者は中程度の関係になり、以前に怨みがあった者は機会をうかがい、怨みでも親でもない者は、仲間として受け入れません。このような人は、木の根が断たれて風に吹かれて倒れるようなもので、倒れてしまえば、すべてのものを失い、親類たちも離れていきます。その人の心は本来、軽薄で動きやすく、軽薄で動きやすいがゆえに、内心には悪を抱き、多くの人に対して貪欲で怒りが多く、心は邪であり疑い深く、分別して期待し、悩ませようと望み、常にすべての衆生に対して怒りの心を持ち、顔色は良くなく、威徳もなく、心は乱れて定まらず、恒常的に貧しいのです。このような人は戒を受けず、戒を守らないがゆえに、身が壊れ命が終わると悪道に堕ち、地獄に生まれます。ですから、常に利益を念じ、戒を受けて戒を守るべきであり、それによって世法も妨げられることはありません。

「『是持戒人以戒因緣，心意堅固，常正憶念，信於善友。若王大臣信彼人故，以大貴價金寶銀寶，種種寶物一切委之，若隱密語信而向說，若王、王等寄物不侵，密語不露。以護戒故，為人所信。又復諸親兄弟眷屬一切時人信愛供養，皆悉敬重過於尊長，持七種戒，王亦供養，知識親等皆悉供養。如是之人一切人信、一切人愛，財物具足常不貧乏，皆不能與作不饒益，第一大富。以大富故，能行布施，能作福德，正意善住不壞智慧。以是因緣，身壞命終生於善道天世界中。

> ここにおいて、戒を守る者は、戒をよりどころとするゆえに、心が堅固であり、常によく正しく念を保ち、善き友を信じる。もしも王や大臣がその人を信じるならば、高価な金銀の宝や種々の宝物をすべて委ね、秘密の話も信じて打ち明ける。王や王に準ずる者が預けた品物を侵すことなく、秘密の話も漏らさない。戒を守るがゆえに、人々から信頼されるのである。また、親族や兄弟、眷属など、あらゆる人がその時どきに、信じ、愛し、供養し、みな敬い重んじて、目上の者をも超える。七種の戒を保つ者は、王もまた供養し、知己や親しい者たちも皆、供養する。このような人はすべての人から信頼され、すべての人から愛され、財物も十分に備わり、常に貧しさに乏することはなく、誰もその人に不利益をもたらすことはできない。最も大きな富を得る。大きな富があるがゆえに、布施を行うことができ、功徳を積むことができ、正しい心でよく安住し、智慧も損なわれることがない。このような因縁によって、命終わりの後に善き道、天の世界に生まれるのである。

「『彼人如是微少破戒，則為輕劣，何況修行出世間道。如是之人意動不住，於業果報，盲無智眼。或不持戒或破多戒，唯一戒在或全無戒，他謂比丘：「彼人唯有比丘形服，猶如貝聲。」心常諂曲，誑諸檀越，作如是言：「我持佛戒。」如是之人實不持戒，聖所愛戒實不成就。彼是誑賊，誑諸世間、諸天及魔、一切沙門、若婆羅門、諸天人等，自他俱誑，不如說行。如是之人內空無物，不實不堅，如水沫聚，誑一切人，第一諂曲。彼人多求床臥敷具病藥所須，處處多取。彼人常沒生死泥中，或生地獄，若地獄等諸惡趣中。彼人破戒，取不應取，以破戒故，不善分攝。如是之人，乃至不應於僧地中行至一步，以不相應、非所應故。何因緣爾？以諸檀越修治彼地，為持戒者諸比丘等，不為無戒、破戒比丘，不為一切無善心者。如是之人於彼地中行至一步亦所不應，何況敷具病藥所須，及餘一切諸受用物。「『尸棄如來當爾之時，而說偈言：

> 「その人は、このようにわずかな戒律を破るだけでもすでに劣っているのに、ましてや出世間の道を修行するなどありえません。このような人は心が落ち着かず、業と果報に対して盲目で智恵の目を持ちません。あるいは戒律を守らなかったり、多くの戒律を破ったりし、ただ一つの戒律だけが残っているか、あるいは全く戒律がないのに、他人からは比丘と呼ばれています。『その人はただ比丘の形だけの服装をしているに過ぎず、まるで貝の音のようです。』心はいつも曲がっていて、檀越を欺いて、こう言います。『私は仏の戒律を守っています。』このような人は実際には戒律を守っておらず、聖者が愛する戒律を本当に成就していません。彼は欺く盗人であり、世間や天、魔、あらゆる沙門や婆羅門、天や人々などを欺き、自分も他人も欺き、言葉通りに行動しません。このような人は内側は空っぽで何もなく、実もなく堅固でもなく、水の泡の塊のように、すべての人を欺き、第一の曲がった心を持っています。その人は多くの寝具や椅子、薬や必要なものを求めて、あちこちで多く受け取ります。その人は常に生と死の泥の中に沈み、あるいは地獄や地獄などの悪趣に生まれます。その人は戒律を破り、取るべきでないものを取ります。戒律を破ったからには、不善の分け前を得ます。このような人は、僧伽の土地の中を一歩も歩くことさえ許されません。相応しくなく、そうすべきではないからです。なぜそうなるのでしょうか？すべての檀越がその土地を整えるのは、戒律を守る比丘たちのためであって、戒律のない比丘や戒律を破る比丘のためではなく、善心のないすべての者のためではないからです。このような人はその土地の中を一歩歩くことさえ許されないのです。ましてや寝具や薬や必要なもの、その他すべての受用物はなおさらです。」 「尸棄如来はその時、偈を説かれました。

「『「若比丘無戒，是賊中之賊；內滿爛膿等，外披服袈裟。一切虛不堅，猶如水沫聚，如是空無戒，妄說是比丘。破戒屬地獄，僧寶所不攝，為心所誑故，身壞墮地獄。遠離法毘尼，自業故墮墜，垢闇之所覆，常受大苦惱。不著善法衣，裸露善人棄；以離善業故，惡將至地獄。聚集不善業，苦門則開張，生死縛堅牢，破戒故如是。為破戒火燒，彼則為極燒；如是缺戒者，必定入惡道。意受持戒故，師則能與戒；無心諂受戒，必定入地獄。彼人於日夜，常增長不善，若能持戒寶，則能壞破戒。若人空無法，唯有闇和集，彼無一念時，而暫不破壞。為破戒所羂，垢故善人捨，破戒羂常牽，捨戒不善者。無戒若破戒，親附惡知識，若習近欲者，此地獄因緣。無戒愚癡人、或復㦜動人、惡業相應人，去地獄不遠。業有相似果，此云何不知？癡故自為患，而著遊戲樂。日日常增長，惡河不可渡，苦波滿其中，如是漂眾生。彼人非生善，彼人非善心；若捨離法者，則攝不善法。若身攝善法，是第一善道；行彼句之人，則到不退處。受持戒讀經，愛樂善法者，正行常調伏，彼則離苦惱。此不持戒垢，則能令穢污，彼以壞學故，為地獄所攝。如是一切知，應勤心取戒，一切生死海，無戒是因緣。」

> もしも比丘が戒律を守らなければ、それは賊の中の賊である。 内側は腐った膿で満ちているのに、外側には袈裟をまとっている。 すべては虚ろで堅固ではなく、まるで水の泡の集まりのようだ。 このように空しく戒律のない者が、比丘であると偽って言う。 戒を破る者は地獄に属し、僧宝の仲間とはされない。 心に惑わされたがゆえに、身が壊れて地獄に堕ちる。 法と律（毘尼）から遠ざかり、自らの業によって堕ちていく。 汚れと闇に覆われて、常に大きな苦しみを受ける。 善い法の衣をまとわず、裸で善人から捨てられる。 善い業から離れたがゆえに、悪が地獄へと導いていく。 不善の業を集めれば、苦しみの門が開かれる。 生と死の束縛は堅く、戒を破るからこそこうなる。 破戒の火に焼かれて、その者は激しく焼かれる。 このように戒を欠く者は、必ず悪道に入る。 心から戒を受けるからこそ、師は戒を与えることができる。 心なく偽って戒を受ける者は、必ず地獄に入る。 そのような者は昼夜にわたって、常に不善を増やしていく。 もし戒という宝を保つことができれば、破戒を打ち壊すことができる。 もし人に法がなく、ただ闇だけが集まっているなら、 その者には一瞬たりとも、破壊されない時はない。 破戒の網にかかり、汚れのゆえに善人から見捨てられる。 破戒の網は常に引き寄せ、戒を捨てた不善の者を導く。 戒がなく、あるいは戒を破り、悪い知識に親しみ、 もし欲望にふけるなら、これが地獄への因縁となる。 戒のない愚かな人、あるいは乱れた心の人、 悪業に染まった人は、地獄から遠くない。 業には似たような結果がある、これをどうして知らないのか？ 愚かさゆえに自ら災いを招き、遊びに夢中になる。 日々に増えていく悪の川は渡ることができず、 苦しみの波がそれに満ち、このように衆生を漂わせる。 その者は善を生み出す人ではなく、善い心を持つ人でもない。 もし法を捨て去るなら、不善の法を受け入れることになる。 もし身で善い法を受け止めるなら、それが第一の善き道である。 その教えを実践する人は、退かない境地に至る。 戒を受け持ち、経を読み、善い法を愛する人は、 正しく行い、常に心を整えている。その人は苦しみから離れる。 この戒を保たない汚れが、まさに穢れをもたらす。 その人は学びを壊したがゆえに、地獄に引き込まれる。 このようにすべてを知って、心を尽くして戒を受け取るべきである。 あらゆる生死の海において、戒がないことが因縁なのである。

「『如是所說一切人等出世間道，無戒故妨。云何天中無戒為妨？此世間中業果之地，若於此中持七種戒，攝取和集，天中受樂，久行放逸，乃至樂盡，然後退墮。如燈油盡，燈炷盡故，光明亦盡。

> ここで説かれたすべての人々は、世間を超える道において、戒めがないために妨げられる。では、天の世界では戒めの欠如がどのような妨げとなるのか。この世の世界では、業とその報いが生じる場所である。もしここで七つの戒めを保ち、それを身につけ積み重ねれば、天の世界で楽しみを受ける。しかし、長く放逸にふけるならば、その楽しみが尽きるとき、そこから堕ちてしまう。それはちょうど、灯りの油が尽き、灯心が尽きれば、光もまた尽きてしまうのと同じである。

「『云何妨礙出世間道，謂不持戒？彼持戒人生於天中，生彼處已，如是心念：「我於人中持七種戒，生於此處，與天平等。」此始生天以著境界，愛欲樂故，一切皆忘。若其餘天不忘持戒，則示此天持戒業果，為其說言：「汝本人中持戒具足，生在此處。」彼始生天以心動故，著境界樂，不聞語聲，不入不取、不信持戒，故不能取善業果報。境界勢力動其意故，彼不持戒、不隨法行。彼如是天，破壞善法，是故退墮。如是持戒，生於天中，或生世間或出世間。彼世間者，以持戒故，此是一種。出世間者，則是菩提。此第三法，不持戒妨。

> 『何が悟りの道を妨げるのか。それは戒律を守らないことである。戒律を守った人は天界に生まれ、その場所に生まれると、このように心に思う。「私は人間の世界で七種の戒律を守り、この場所に生まれた。天の人々と等しい存在である。」この新たに生まれた天人は、境界（対象）に執着し、愛欲の楽しみに夢中になるため、すべてを忘れてしまう。もし他の天人が戒律を忘れていなければ、この天人に戒律を守ったことによる業の結果を示し、こう語りかける。「あなたは以前、人間の世界で戒律を完全に守り、この場所に生まれたのだ。」しかし、新たに生まれた天人は心が動揺しているため、境界の楽しみに執着し、その声を聞かず、受け入れず、戒律を信じない。そのため、善い業の報いを受け取ることができない。境界の力がその心を動かすため、その天人は戒律を守らず、法に従って行動しない。このような天人は善い法を壊してしまうので、そこから堕落するのである。このように戒律を守ることは、天界に生まれたり、世俗的な世界や出世間の世界に生まれたりする原因となる。そのうち、世俗的な世界に生まれるのは、戒律を守ることによるものであり、これが一つの種類である。出世間の世界とは、菩提（悟り）のことである。この第三の法は、戒律を守らないことによって妨げられるのである。』

「『何者第四，天人妨礙？所謂懈怠。樂懈怠人、若染著人，如是之人，一切普遍於一切種一切世間所有諸法皆不成就。彼懈怠人七種法劣。何等為七？若人懈怠，無增上果，則是二劣。以是劣故，供養則劣，財富亦劣，境界智劣。如是劣故，一切世間正士不近，世間人情問訊則劣。彼人如是一切世間諸事皆劣，是故頑鈍，一切所作皆悉失壞。如是人中世間法義，懈怠為妨。

> 第四に、「天人を妨げるものは何か」というと、それは「怠け心」です。 怠けることを好む人や、何かに執着する人は、あらゆる場合、あらゆる種類、あらゆる世の中のあらゆることがらにおいて、どのようなことも成し遂げることができません。 この怠け心のある人には、七つの点で劣ったところがあります。その七つとは何か。 もし人が怠け心を持つならば、優れた結果が得られません。これが第一の劣りです。 そのため、人からの供養も劣り、富や財産も劣り、状況を正しく見極める智慧も劣ります。 このように劣っているので、世の中の立派な人々も近づかず、世間の人々からのあいさつや敬意も劣ったものとなります。 このように、怠け心のある人は世の中のあらゆることが劣ってしまうので、能力も鈍くなり、なすことすべてが失敗に終わります。 このように、人の世の中において、世俗のことや真理に関しても、怠け心が妨げとなるのです。

「『云何人中而能妨礙出世間法？以懈怠故。此懈怠人一切家事作業皆畏，是故出家，作如是言：「我出家已，多有敷具病藥所須，飲食豐樂。我於晝夜無所為作。」彼懈怠故，如是出家。既出家已，不讀誦經、不能止惡、不行善法、不修禪定、不持禁戒，常為懈怠之所覆蔽。彼人多利，多得供養食用豐足，不樂持戒、不樂智慧。少智過故，身壞命終墮於惡道，生地獄中。「『尸棄如來當爾之時，而說偈言：

> 「『なぜ人が世の中にいながら、世を離れる教えを妨げてしまうのか。それは怠惰のゆえである。この怠惰な人は、家の仕事もすべての用事もおっくうに感じる。そこで出家して、こう言うのだ。「私は出家したので、多くの寝具や薬、必要なもの、飲食の豊かさがある。昼夜、何もすることがない」と。彼はその怠惰のゆえに、そうして出家する。出家した後は、経典を読誦せず、悪を止めることもできず、善い行いをせず、禅定を修めず、戒律を守らず、常に怠惰に覆われている。そういう人は多くの利益を得て、多くの供養を受け、食べ物や飲み物も豊かで足りているが、戒律を楽しまず、智慧も楽しもうとしない。智慧が乏しいという過ちのゆえに、命終わって悪道に堕ち、地獄に生まれる。』 『その時、尸棄如来は偈を説いて言った。』

「『「懈怠少福德，癡能破壞心，一切親等薄，善道不可得。懈怠及惡業，或為癡所覆，妨礙涅槃道，得不善惡果。無羞無慚愧，㦜動惡知識，皆是苦惱因，智者則捨離。邪及慢大慢，如是我慢等，常捨此一切，受苦惱因緣。若為懈怠覆，不憶念發動，出氣與死等，空得命無果。懈怠所患者，有命亦同死，如是懈怠人，心念死為勝。若溺懈怠泥，沒苦海不出，若人勤精進，則渡生死海。少力懈怠人，如愛飲食羊，命未盡如死，若死入地獄。貧窮癡如羊，或為苦所攝，若人食他食，懈怠是因緣。若有懈怠者，多依他活命，多貪著美味，心惑常樂欲。彼則不知諦，唯貪著食味，死時既到已，悔火自燒心。諸有忍寒熱，乃至飢渴等，如是身受苦，後時得寂靜。莫起懈怠意，懈怠則怯弱，不能忍生死，不得脫苦惱。懈怠空在世，善人中凡鄙，未來世亦空，不曾得寂靜。」

> 「怠け者は福徳が少なく、愚かさが心を壊す。 すべての親族との縁も薄く、善き道を得ることはできない。 怠け心と悪い行い、あるいは愚かさに覆われ、 涅槃の道を妨げ、不善の悪い結果を得る。 恥じる心もなく、反省もなく、落ち着きのない悪友たち、 これらはすべて苦しみの原因であり、賢者はこれらを捨て去る。 邪見、慢心、大いなる慢心、そして我慢などの思い上がり、 これらすべてを常に捨てよ、苦しみの因となるものだから。 もし怠け心に覆われれば、善いことを思い起こし励むことがなく、 ただ息をしているだけ、死んでいるのと同じで、空しく命を無駄にする。 怠け心に悩まされる者は、生きていても死んだも同然、 そのような怠け人には、心の中で死を願うほうがましである。 もし怠け心という泥沼に溺れれば、苦しみの海から出られず、 人が勤め努めて精進すれば、生死の海を渡ることができる。 力の弱い怠け人は、食べ物を愛する羊のようだ。 命が尽きないうちから死んだようであり、死ねば地獄に落ちる。 貧しく愚かで羊のようであり、あるいは苦しみに捉えられ、 人が他人の施しの食べ物を食べるのは、怠け心が原因である。 怠け心のある者は、多くは他人に頼って生き、 美味しいものに強く執着し、心は惑わされて常に欲望を楽しむ。 その者は真理を知らず、ただ食べ物の味に執着し、 死ぬ時が来れば、後悔の火が自ら心を焼き尽くす。 寒さや暑さ、飢えや渇きなどを耐え忍ぶ者、 そのように身に苦しみを受けても、後に静かな安らぎを得る。 怠け心を起こしてはならない。怠け心は臆病で弱く、 生死の苦しみに耐えられず、苦しみから脱することができない。 怠け心は世に空しくあり、善人の中でも平凡で卑しく、 未来の世も空しく、決して静かな安らぎを得ることはない。」

「『懈怠之人除此過已，復有異過，所謂遠離出世間道。懈怠之人是不善人、是退沒人。

> 「怠けている人は、この過ちを除いても、また別の過ちがある。すなわち、世を超えた道から遠ざかってしまうことである。怠けている人は善くない人であり、退いてしまう人である。」

「『云何諸天失於世間及出世間法律毘尼？云何諸天妨世間道？謂此懈怠復有餘業，若緣善故，得生天中。彼天復為懈怠所壞，一切愛聲觸味香色，心復不樂，不樂園林、天可愛處，不飛不走，不聽歌聲，自亦不作。不飛虛空，不從山峯至異山峯，不在河中，不涉波鬘乘鳥遊戲。如是樂者夜摩天王有如是樂，彼懈怠天亦不往詣，夜摩天王所有一切諸境界樂皆悉不受。普彼一切如毒如怨，一切是垢。此是懈怠妨礙世間。

> 「『なぜ天人が、世間と出世間の法（ダルマ）と律（ヴィナヤ）を失ってしまうのか。なぜ天人は世間の道を妨げられてしまうのか。それは、この怠け心（懈怠）によるものであり、他にも因縁がある。もし善を縁として天に生まれることができても、その天人は再び怠け心に破壊されてしまう。あらゆる愛しい音、触れる感触、味、香り、色に対して、心が楽しみを感じなくなり、美しい園林や天の素晴らしい場所も喜ばなくなる。飛び回ることもなく、歩き回ることもなく、歌声を聴くこともなく、自らもまた歌わない。虚空を飛ぶこともなく、ある山の頂から別の山の頂へと渡ることもなく、川の中にいることもなく、波や花の飾りを渡って鳥のように遊ぶこともない。夜摩天の王が持つこのような楽しみも、その怠け心の天人はそこに赴くことすらしない。夜摩天の王が持つあらゆる境界の楽しみを全て受け入れない。それらの全てを毒や怨みのように思い、全てを汚れ（垢）と見なす。これこそが、怠け心が世間を妨げるものである。

「『云何懈怠而復妨礙出世間道？若復餘天常聞正法，愛樂正法，彼不能近。遠離正法，於未聞法，無心欲聞，設聞不持，又亦不習，不近尊長，不學智學，離一切法、離一切善，常樂生死，常受苦惱。何以故？彼離道故，則於有中而不得脫。彼為懈怠之所壞故，生於地獄、餓鬼、畜生。彼則常為生老死等之所籠繫，受諸苦惱，世間流轉。彼懈怠者如是懈怠，則是一切不饒益事，亦是一切惡道之本、生死種子，是故世間一切苦惱由之而生。是故世間若有欲脫生死縛者，則應精勤，捨離懈怠。諸有一切不饒益事，皆此為本，此如是等一切懈怠，則於苦海不可得渡。此之懈怠有無量過。

> 「どうして怠け心が、世の中を超える道を妨げるのでしょうか。 もしある天人が、常に正しい教えを聞き、その教えを愛し喜んでいても、その怠け心によって教えに近づけなくなります。 正しい教えから遠ざかり、まだ聞いたことのない教えに対しては聞こうとせず、たとえ聞いても心に留めず、さらにそれを実践しません。 目上の人に近づかず、智慧を学ぼうとせず、すべての教えや善から離れ、常に生死の世界に執着し、常に苦しみ悩みます。 なぜなら、彼は道から離れてしまったので、迷いの世界から抜け出せないからです。 彼は怠け心に破壊されて、地獄・餓鬼・畜生の世界に生まれ落ちます。 彼は常に生・老・病・死などに縛られ、さまざまな苦しみを受け、迷いの世界を転々とします。 その怠け者は、このようにして、すべての不利益や悪いことの根源となり、すべての悪い世界に生まれる種、生死の世界に留まる種となります。 ですから、世の中のあらゆる苦しみは、この怠け心から生じるのです。 それゆえ、世の中で生死の束縛から逃れたいと思うならば、努力を精進し、怠け心を捨て去るべきです。 あらゆる不利益なことの根本はこれであり、このようなすべての怠け心があるならば、苦しみの海を渡ることはできません。 この怠け心には、数えきれないほどの過失があるのです。」

「『又復除此四種過已，有第五過，諸天人等，妨礙世間、出世間道，所謂惡貪。一切世間、出世間法，普為妨礙。云何天人於世間道、出世間道惡貪障礙？所謂俗人以貪心故，行於非法，常樂財物，愛物之心如河水旋亦如獼猴。心愛物故、欲取物故，設諸方便，如是如是，惡貪增長。如是思惟：「我今當設何等方便、何等欺詐誑惑他人？」心常如是欺詐誑惑，復為他人如是教示欺詐誑惑。

> さらに、これらの四つの過ちを除いた後、第五の過ちがあります。それは、天や人などの衆生が、世俗の道や出世間の道を妨げるもの、すなわち「悪い貪り（悪貪）」です。この悪貪は、あらゆる世俗の法や出世間の法を普遍的に妨げます。 では、どのように天や人が、世俗の道や出世間の道に対して、悪貪によって妨げられるのでしょうか？ 例えば、一般の人は、貪りの心のために、正しくない行いをし、常に財物を愛し求めます。物を愛する心は、川の水が渦巻くように、また猿のように落ち着きがありません。心が物を愛するゆえに、それを得たいと思うゆえに、さまざまな方便を巡らせ、このようにして悪貪は増大していきます。 そして、こう思います。「今、私はどのような手段を巡らせ、どのような欺きや偽りを用いて、他人を惑わすことができるだろうか？」と。心は常にこのように欺き惑わすことで満ちており、さらに他人にもそのような欺き惑わす方法を教えます。

「『如是之人多作非法，以如是法復教他人。如是之人貪心則多，如是思惟：「他所有物，皆悉屬我。」彼人如是心思惟已，復教他人。教他人已，即共相隨欺詐誑惑，設諸方便誑惑他人，取其財物。如是誑已，心生歡喜作如是念：「我善能作！我能欺詐誑惑他人，得其財物。本是他有，今則屬我。」起如是心，是故歡喜，得其滋味，如是次第樂行多作，令他苦惱。惡貪覆意，破壞城郭、村邑聚落多人住處，或燒城郭、村邑聚落多人住處。為一切人之所棄捨，一切善人之所嫌賤。是諸國土之大棘刺，城之棘刺，聚落棘刺。破壞國土、破城、破村、破壞屋舍，壞他種族，常一切時，樂如是惡，令他衰惱。如是惡人身壞命終墮於惡道，生在地獄。是世間中惡貪之人，是惡貪人妨礙世間。惡貪既集，又復增長，如火得薪。如是如是惡貪增長，如是如是惡貪方便，如是如是得他財物，如是如是轉復增長。是故修行福德之人勤捨惡貪。何以故？第一垢者，所謂貪心取他財物。彼垢壞者，入於地獄。

> このような人は、多くの不善の行いをし、そのような教えをさらに他人にも説きます。 このような人は貪りの心が強く、こう思います。「他の者が持っている物は、すべて我が物としよう」と。 その人はこのように心に思ってから、さらに他人にも教えます。他人に教えた後で、互いに連れ立って欺き、惑わし、様々な方便を設けて他人を惑わし、財物を奪い取ります。 このように欺いた後、心から喜び、こう考えます。「私は上手くやった！私は他人を欺き惑わして、その財物を得ることができた。元は他人の物だったが、今は我が物となった」と。 このような心を起こすからこそ喜び、その味わいを得て、こうして次第に楽しんで多く行い、他人を苦しめ悩ませます。 悪しき貪りに心を覆われ、城や村、集落、多くの人の住まいを破壊し、あるいは城や村、集落、多くの人の住まいを焼き払います。 こうした人は、全ての人に見捨てられ、すべての善人に嫌われ軽んじられます。 彼らは諸国の大きな棘であり、城の棘、集落の棘です。国土を壊し、城を壊し、村を壊し、家屋を壊し、他者の種族を破壊し、常にいついかなる時も、このような悪を好み、他人を衰退させ悩ませます。 このような悪人は、身体が壊れ命が終わると、悪道に堕ち、地獄に生まれます。 世の中における悪しき貪りの人とは、この悪しき貪りの人が世間を妨げるのです。 悪しき貪りが積まれ、またさらに増大します。まるで火が薪を得るかのように。このように悪しき貪りは増大し、このように悪しき貪りの方便によって、このように他人の財物を得て、このようにますます増大するのです。 だからこそ、福徳を修行する人は、精進して悪しき貪りを捨てるのです。 なぜならば、第一の汚れとは、すなわち貪りの心で他人の財物を取ることだからです。その汚れに破壊された者は、地獄に入るのです。

「『尸棄如來當爾之時，而說偈言：

> 尸棄如来はその時に、次のように偈を説かれました。

「『「若人行欺詐，方便取他物，則是大貪心，常行不善行。彼人於晝夜，心常不清淨，為貪覆其心，常悕望他物。彼人如劫火，自體本性惡，一切所怖畏，猶如惡毒蛇。若人為惡貪，常覆其心者，恒入於地獄，及在餓鬼等。大地獄火中，熱處既脫已，若生得為人，五百世貧窮。毀面而皺口，常受於苦惱，為貪壞心者，皆如是受苦。若人捨離貪，常悕求智慧，恒有神通力，則行於善道。除却心中貪，猶如閉蛇窟，若為貪蛇齧，必定受苦惱。若懷貪心者，念念轉增長，如火得乾薪，熾然而增長。愛樂財物人，恒常悕求物，死時既到已，有物皆捨離。若作惡業已，終竟不捨失，彼人為貪縛，將入地獄去。財物則屬他，自得惡業污，非財見為財，非樂謂為樂。惡貪住心中，見怨如善友，貪火能燒人，智者不集貪。為貪所燒人，後時入地獄，世間財如山，一切皆無常。云何為財物，如是作惡業？唯有愚癡者，能作如是惡。」

> 「もし人が偽りを働き、方便を用いて他人のものを奪えば、それは大きな貪りの心であり、常に善からぬ行いをなす。 その人は昼も夜も、心が常に清らかではなく、貪りに心を覆われ、常に他人のものを望む。 その人は劫火の如く、自らの本質は悪であり、すべてのものに恐れられ、まるで猛毒の蛇のようである。 もし人が悪しき貪りによって、常に心を覆われるならば、常に地獄に入り、さらに餓鬼などの道に堕ちる。 大地獄の火の中、熱苦の場所を脱した後、もし人として生まれても、五百世の間貧窮する。 顔は醜く皺だらけで、常に苦しみ悩みを受ける。貪りに心を壊された者は、皆このように苦しみを受ける。 もし人が貪りを捨て離れ、常に智慧を求め、常に神通力を有するならば、善き道を行く。 心の中の貪りを除き去ることは、蛇の穴を塞ぐようなもの。もし貪りという蛇に噛まれれば、必ず苦しみ悩みを受ける。 もし貪りの心を抱くならば、その思いは刻々と増大し、まるで乾いた薪に火がつき、燃え盛って増大していくようである。 財物を愛し楽しむ人は、常に物を求め続けるが、死の時が来れば、持っている物はすべて離れ去る。 もし悪業を作ったならば、ついにはそれを捨て失うことはない。その人は貪りに縛られて、地獄へと連れて行かれる。 財物は他人のものとなり、自らは悪業の汚れを得る。財でないものを財と見なし、楽でないものを楽と謂う。 悪しき貪りが心に住み、怨みを善き友のように見る。貪りの火は人を焼くゆえ、智者は貪りを集めない。 貪りに焼かれる人は、後に地獄に入る。世の中の財は山の如くあっても、すべては無常である。 どうして財物のために、このような悪業をなすのか？ ただ愚か者だけが、このような悪を行うのである。」

「『如是惡貪皆勿自作，莫令他作。如是惡貪妨礙世間。集惡貪者，日日增長，如火得薪，如是如是熾然增長。如是惡貪得財物故，如是增長，共貪慳嫉增長熾盛，是故諸有福德之人應當捨離。汝等天眾當如是知：有治生人賤買飲食、若餘物等，若作齋會布施沙門、若婆羅門，為令他知，謂是福人，真實可信；知人信已，然後自物貴賣與他。此雖布施，非清淨心，為令他信，治生求利，賤買貴賣。如是方便，以少物施，得物更多，或得十倍或得八倍。如是惡貪，善人則捨。

> 「このような悪い貪りの心は、自ら起こしてはならず、他人に起こさせてもならない。この悪い貪りは、世の中を妨げるものである。悪い貪りを積む者は、日々増長し、まるで薪に火がつけば燃え広がるように、盛んに増長していく。この悪い貪りは、財物を得ることによってこのように増長し、貪り・吝嗇・嫉妬と共に盛んに大きくなる。それゆえ、福徳ある人はこれを捨て去るべきである。あなたがた天人は、次のように知るがよい。世渡りの上手な人が、食料やその他の品を安く買い、もし斎会を営んで沙門やバラモンに施すことがあっても、それは他人に知らせるためであって、『この人は福徳のある人だ、真実に信用できる』と思わせようとするのである。相手が自分を信用したことを知ると、その後で自分の物を高く売りつける。これは布施ではあるが、清らかな心からではない。他人に信用させようとして、商いで利益を求め、安く買って高く売る。このような方法を用いて、わずかな物を施しながら、より多くの物を得ようとし、時には十倍や八倍もの利益を得るのである。このような悪い貪りを、善人は捨てるのである。」

「『又捨惡貪。言惡貪者，所謂法師說法取物，得如是物，非三寶用，此是惡貪，則應捨離。又捨惡貪。言惡貪者，謂出家人，或白象牙所作佛像，或刺繡像，或㲲等上畫作佛像，或刻木像或銅等像，賣如是像。彼是惡貪，既得物已，非法中用。人中則有如是惡貪妨世間法、出世間法，智者呵毀，智者捨離。

> 「さらに、悪しき貪りを捨てなさい。『悪しき貪り』とは何か。それは、説法をする者が説法の見返りとして物を受け取り、その物を仏・法・僧の三宝のためではなく自分のために使うことです。これが悪しき貪りであり、捨て去るべきものです。 また、悪しき貪りを捨てなさい。『悪しき貪り』とは何か。出家者が、白い象牙で作られた仏像や、刺繍の仏像、あるいは布などに描かれた仏画、木彫りの仏像、あるいは銅像などを売ることです。これらは悪しき貪りです。そうして得た物を、仏法にかなわない目的で用いるからです。 人の中には、このような悪しき貪りが存在し、それは世俗の善行をも、出世間の修行をも妨げます。賢者たちはこれを非難し、これを捨て去るのです。」

「『云何名為天中惡貪？汝等天中如是大樂，猶故惡貪。如是現見此金銀山、毘琉璃山、青寶之山、大青寶山、頗梨山中，汝等一一遊戲受樂，於一山中既受樂已，復向餘山共諸天女種種受樂，天眾圍遶。如是一切由貪故爾，非餘所作。汝等天眾愛共貪縛，墮於惡道而不覺知，不生怖畏，不畏死苦，不畏所愛眷屬等離。不覺退時，種種衰苦。汝等天眾以貪心故，不畏不覺。汝等天眾如是貪心無量無邊，魔業貪心，不知厭足、不畏離別、不畏死苦。如是惡貪妨世間道。

> 「『天界における悪しき貪りとは何か？　あなたがた天人は、このような大きな楽しみを得ていながら、なおも悪しき貪りを持つのです。目の前にあるこの金山、瑠璃山、青宝の山、大青宝の山、水晶の山々の中で、あなたがたは一人残らず遊び楽しみ、一つの山で楽しんだ後は、また別の山へと移り、天女たちとともに様々な楽しみを受け、天人の群れに囲まれています。このすべては貪りの心によるものであり、他の何かによるものではありません。あなたがた天人は、愛欲と貪りの束縛に絡め取られながら、悪道に堕ちることも気づかず、恐れもせず、死の苦しみを怖れず、愛する者や眷属との別れをも怖れません。衰退の時、様々な衰えや苦しみが訪れても、それに気づくこともありません。あなたがた天人は、貪りの心によって、怖れもせず、気づきもしないのです。このように、あなたがた天人の貪りの心は限りがなく、これは魔の業による貪りの心であり、満足することを知らず、別離を怖れず、死の苦しみを怖れません。このような悪しき貪りは、世間の道を妨げるのです。

「『云何天中貪心妨礙出世間道？此愛聲觸味色香等，憙樂受樂。貪心諸天不就其餘少貪天所聽法聞法、求法學法，不欲聞法令心白淨。一切善法勝根本者，所謂覺法。一切法覺，要由聞法，若不聞法，於法不覺。何故不覺？以放逸故。復以何法是放逸根？所謂貪心。是故應當捨離貪心，若捨貪心，則到涅槃。貪所覆者，流轉生死。

> 「では、天人の間での貪りの心は、どのようにして世を超えた道を妨げるのでしょうか。それは、この声、触れられるもの、味、香り、色などを愛し、楽しみや喜びの感覚を好むことです。貪りの心を持つ天人は、他のあまり貪らない天人が説く法を聴かず、法を求めず、学ぼうともしません。心を清らかにしようと法を聞くことを望みません。すべての善い法のすぐれた根本とは、すなわち法を覚ることです。すべての法を覚るには、必ず法を聞くことによります。もし法を聞かなければ、法を覚ることができません。なぜ覚ることができないのでしょうか。放逸であるからです。また、何が放逸の根なのでしょうか。すなわち、貪りの心です。それゆえ、貪りの心を捨て去るべきです。もし貪りの心を捨てれば、涅槃に至ります。貪りに覆われた者は、生死の輪廻を流れ転がり続けます。」

「『天眾當知！出世間道，天人之中惡貪妨礙，是故智者常應精勤，捨離惡貪。施有三種：一、資生施；二、無畏施；三為法施。彼資生施，生報天果，不能布施；此人勝天，非天勝人。如是人身第一難得，若得人身不行布施，則為虛生。如商賈人得值寶洲，不知取寶而便空還，若得人身不知捨財而布施者亦復如是。

> 「天の衆生よ、知るがよい。世を超えた道において、天上の世界であっても悪しき貪りが妨げとなる。ゆえに智者は常に精進し、悪しき貪りを捨て去るべきである。施しには三つの種類がある。第一に、生活に必要な物を施す財施、第二に、恐怖から救う無畏施、第三に、教えを説く法施である。財施によって天界の果報を得るが、布施を行わなければ、人間の方が天人に勝り、天人が人間に勝ることはない。このように人間の身は第一に得難いものである。もし人間の身を得ながら布施を行わなければ、それは空しく生きたことになる。ちょうど商人が宝の島にたどり着きながら、宝を取ることを知らずに空しく帰ってしまうようなものだ。人間の身を得ながら、財を惜しまずに布施することを知らない者もまた、同じである。」

「『何者復是無畏布施？凡有幾種無畏布施？無畏布施，凡有三種：一者救命，施其無畏；二者妻子為他拘執，方便救攝，施其無畏；三者防護畏失物者，施其無畏。彼救命者，生人天中，報得長命。護失物者，生則大富，所有財物，王賊水火不奪不壞；若為國王或為大臣，以彼業故，有大力勢、有大名稱，在所生處恒常大富。救妻子者，若生人中，善攝妻子；天上退時，天女不捨。如是三種無畏布施。

> 「では、無畏施とは何でしょうか。無畏施には、いくつかの種類があるのでしょうか。無畏施には、主に三つの種類があります。第一に、命を救うことで、相手に安心を与える布施です。第二に、他人に拘束された妻や子供を、方便をもって救い守り、安心を与える布施です。第三に、物を失うことを恐れる人を守り、安心を与える布施です。 命を救う布施を施した者は、人や天に生まれ、長寿という報いを得ます。物を失うことを恐れる人を守る布施を施した者は、現世で大いに富み、所有する財産を王や盗賊、水害や火事から奪われたり壊されたりすることがありません。そして、その生まれが国王や大臣であるなら、その業により大きな権力と名声を得て、生まれるところ常に大いなる富に恵まれます。妻や子供を救う布施を施した者は、もし人間に生まれれば、よく妻や子供を養い導きます。また、天界から退く時にも、天女たちは彼を見捨てることがありません。このように、三つの種類の無畏施があるのです。」

「『何者法施？法施二種：一、世間法用以布施；二、出世法用以布施。彼世間法用布施者，謂以四禪、世間中智和集布施。於人天中受世間樂，天人中生則生邪見。出世間法而布施者，以不瞋故生天人中，或生欲界或生色界。若生欲界，彼或在於一百九十八地上生，隨願生彼。若生色界，則得解脫，以果勝故、大智慧故、依處勝故，則得解脫，生淨居處。若因願力為轉輪王，主四天下，有金輪寶。寶有十四，所謂七寶、七相似寶。善願力故，盡滅諸漏，得緣覺道。以願勝故，則成如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊。以法布施因緣勝故。此三種施，汝等天眾一切皆無。如是義故，人則為勝。天為報地，人為業地、業因緣果。如是人中，天因緣生，業果則勝。如是人勝，天為不如。

> 「法施とは何か。法施には二種類ある。第一に、世間の法を用いて施すこと。第二に、世を超えた法を用いて施すことである。 世間の法を用いて施すとは、四禅や世間における智慧を積み重ねて施すことである。すると人の道や天の道において世の中の楽しみを受けるが、天や人の世界に生まれると、そこでは誤った見解を生じてしまう。 世を超えた法を用いて施すとは、怒らないことによって天や人の世界に生まれることである。あるいは欲の世界に生まれ、あるいは色の世界に生まれる。もし欲の世界に生まれるなら、その者は百九十八の世界のどこかに生まれ、願いに従ってそこに生まれる。もし色の世界に生まれるなら、解脱を得ることができる。その果報が優れているからであり、大きな智慧があるからであり、依って立つ場所が優れているからである。そうして解脱を得て、清らかな住まいである浄居天に生まれる。 もし願いの力によって転輪聖王となれば、四つの天下を治め、金の輪宝を持つ。宝は十四種類あり、いわゆる七宝と七つの似た宝である。善い願いの力によって、すべての煩悩を滅ぼし尽くし、縁覚の道を得る。願いが殊勝であることによって、如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊となる。法施の因縁が勝れているからである。 この三種の施しは、あなたがた天の衆にはまったくない。こうした道理によって、人間の方が勝れているのである。天は報いを受ける場であり、人間は行いを積む場である。行いの因縁によって結果が生じるのである。このように人間の世界では、天の因縁によって生まれ、行いの結果が勝れている。このように人間が勝れており、天はそれに及ばないのである。」

## 正法念處經卷第四十三

> 正法念処経 第四十三巻