---
title: "大莊嚴論經 · 27"
description: "大莊嚴論經是古印度著名佛教論師馬鳴菩薩所造的一部重要佛教經典，由後秦時期高僧鳩摩羅什翻譯為漢文。該經成書於公元1-2世紀，屬於大乘佛教早期論典，以詩偈與散文相間的形式闡述佛法要義。內容主要圍繞佛陀本生故事與菩薩修行展開，通過生動譬喻闡明因果業報、六度波羅蜜等核心教義，強調發菩提心與積累功德的重要性。作為大乘佛教重要論著，該經對漢傳佛教思想發展產生深遠影響，被歷代高僧視為修學菩薩道的重要指南，在佛教典籍中具有崇高地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cm9u0s89x07folb0vwbr19n4r"
---

### （二七）

> 第二十七章

復次，病苦篤時言教不行，漫現強健，所可作事宜應速作。

> また、病が重くなって言葉による教えが行えなくなった時には、無理に元気を装い、なすべきことは速やかに行うべきです。

我昔曾聞，法王阿育身遇重患，得諸財物，盡用施僧。又從諸臣索種種寶，時諸臣等不肯復與，唯得半菴摩勒果欲以奉僧，便集臣相而告之言：「即於今日誰為王者？誰言教行？」諸臣答言：「唯有大王威德所領，遍閻浮提言教得行。」王說偈言：

> 昔々、私は聞いたことがあります。法王アショーカは重い病に罹り、手に入れた財物のすべてを使い、僧侶に施しました。さらに、家臣たちから様々な宝を求めましたが、家臣たちはそれ以上与えようとはしませんでした。ただ、半個のアーマラの果実だけを得て、それを僧侶に捧げようとしました。そこで王は家臣たちを集めて言いました。「今日、この場で誰が王であるのか？誰の命令が行き渡るのか？」家臣たちは答えました。「大王の威光と徳のみが、閻浮提全体に及び、その命令が行き渡っております。」王は偈を唱えました。

「汝稱我為王，教令得行者，將順於我意，故作如是說。汝等作斯言，悉皆是妄語，我言教已壞，一切不自由。唯有此半果，於中得自在，富貴是凡鄙，咄哉可呵責。譬如山頂河，瀑疾不暫停，吾雖為人帝，貧窮忽至我，貧窮世所畏，速疾至我所。」

> 〈汝、我を王と称し、教えに従い行ずる者となれと言うが、〉 〈それは我が意を慰めんがための、そのような言葉に過ぎない。〉 〈汝らのその言葉は、ことごとく虚偽である。〉 〈我が教えの命令は既に破れ、一切が自由ならず。〉 〈ただこの半つの果実のみ、その中に自らを得る。〉 〈富貴は凡庸で卑しいものであり、ああ、なんと嘆き責めるべきか。〉 〈譬えば山の頂の川のごとく、奔流は急速で一瞬も止まらず。〉 〈我、人の帝王といえども、貧窮が忽然と我に至る。〉 〈貧窮は世に畏れられるもの、速やかに我が許に至るのである。〉

說是偈已，又復讚歎世尊所說真實不虛，復說偈言：

> この偈を説き終えて、さらにまた世尊の説かれたことが真実で虚偽のないことを讃嘆し、再び偈を説いて言った。

「富貴雖熾盛，會必有衰滅，富貴人希樂，衰滅世憎惡，此言不虛妄，瞿曇之所說。我於往日時，設有諸言教，心念而發言，言必不墜落，鬼神奉承命，遍於四海內，聞者咸受用，無有違逆者。如河衝大山，激水還迴流，衰敗如大山，遮吾都不行。我昔有言教，無敢有逆者，未曾有姦惡，寇難見拒違，覆蓋於大地，無能違逆者，男女與大小，無敢不敬從，設有違教者，我悉能摧伏。諸有苦難者，安慰救濟之，病苦及貧窮，無不療治者。我今福德盡，貧窮忽然至，困厄乃如斯。我是阿育王，云何遭此苦？如阿輸伽樹，斫根令斷絕，花葉及枝莖，一切皆萎乾，我今亦如是。」

> 富貴はたとえ盛んであっても、必ず衰え滅びる時があります。 富貴の時は人は喜びますが、衰え滅びれば世の中から嫌われます。 これは偽りのない言葉で、釈尊のお説きになった通りです。 かつて私は、様々な教えを述べ、心に思ったことを言葉にすれば、その言葉が外れることはありませんでした。 鬼神も私の命令を承り、四海の内に広まり、 聞いた者は皆それを受けて使い、逆らう者はありませんでした。 川が大きな山にぶつかれば、激しい水は逆行して流れ返るように、 衰えと敗北という大きな山が、私の行く手を遮って進めなくなりました。 昔、私に教えを説いた者で、逆らおうとする者はいませんでした。 かつては邪悪な者や、敵が困難をもって拒み逆らうこともなく、 大地を覆うように、誰も私に逆らえませんでした。 男女や老若を問わず、敬い従わない者はいませんでした。 たとえ教えに背く者がいても、私は全てを打ち負かすことができました。 苦しみ悩む者があれば、慰め救い、 病の苦しみや貧しさにあった者も、治療しない者はありませんでした。 しかし今、私の福徳は尽き、貧しさが突然訪れ、 このような苦難に陥っています。私はアショーカ王です。 どうしてこのような苦しみに遭わねばならないのでしょう？ まるでアシュカの木が、根を断たれて、 花や葉、枝や茎がすべて枯れていくように、 今の私もまた、同じなのです。

「富貴幻化不得久停。」顧見傍醫而作是言：「咄可惡賤富貴暫有，猶如電光，如焰速滅又如象耳動搖不停，亦如蛇舌鼓動不息，又如朝露見日則乾。曾從他聞說如是偈：

「『富貴利難止，輕躁不暫停，智者應善知，無得憍放逸，此身及後世，宜當求自利。若得富貴者，雖復慳守護，百方皆毀敗，富貴猶在行，如蛇行不直。若善觀察者，於其強健時，宜速作福德。若復遭病苦，心應常修福，不必在形骸。其家親屬等，若知必死者，己雖有財物，不得自在施。安利獲錢財，值遇福田處，便可速施與。若於身強健，及己病苦時，宜常修布施，等無有別異。然此諸財物，唯有過患耳。若當臨死時，親戚及婦兒，雖是己財物，若欲用惠施，護遮不肯與，危惙在須臾，所願不自由。』」

爾時阿育王剃髮時過，著垢膩衣參差不整，羸瘦戰悼喘息麤上，向於如來涅槃方所，自力合掌憶佛功德，涕淚交流，而說偈言：

「今合掌向佛，是我最後時，佛說三不堅，貿易於堅法。我今合指掌，用易堅牢法，如似融石山，求取於真金。不堅財物中，日夜取堅法，我今餘福利，持用奉最上。今我此福業，不求帝釋處，及與梵果報，況復閻浮王？以此布施果，及恭敬信向，願得心自在，無能割截者，得聖淨無垢，永離眾苦患。」

阿輸伽王以半菴摩勒捨施眾僧，喚一親近而語之言：「汝頗憶我先畜養不？取我今者最後之教，持此半果奉鷄頭末寺眾僧，稱我名字，阿輸伽王最後頂禮比丘僧足，如我辭曰：『於閻浮提得自在者，果報衰敗失自在力，唯於半果而得自在，願僧憐愍，受我最後半果之供，令我來世得報廣大，願餘人等莫令如我，於最後時不得自在。』」爾時侍人即奉王命，齎此半果詣僧坊中，集一切僧禮僧足已，叉手合掌白眾僧言：「阿輸伽王禮眾僧足。」作是語已，涕泣盈目哽噎氣塞，持此半果示眾僧已，即說偈言：

「一蓋覆天地，率土言教行，譬如日中時，遍炙於大地。福業既已消，崩落忽來至，為業所欺弄，敗壞失榮貴，如日臨欲沒。信心致禮敬，又以此半果，用奉施眾僧，以表無常相，示豪貴遷動。」

爾時諸上座聞是偈已，慘惻不樂生悲愍心，受其半果以示大眾，而作是言：「我等今可生厭離心。佛婆伽婆於修多羅作如是說：『見他衰患，應當深心生於厭離。』諸有心者見如此事，誰不憐愍生厭患心？」即說偈言：

「勇猛能施者，諸王中最勝，牟梨中大象，名曰阿輸伽。富有閻浮提，一切皆自由，今為諸群臣，遮制不自從。一切皆制止，唯半菴摩勒，於此得自在，用施於眾僧。富有極廣大，一切得自在，生於自高心，今日安所在？凡愚應觀此，速疾改易心，富利都敗失，唯有此半果，令諸比丘僧，皆生厭患心。」

時僧上座言：「末此半果著僧羹中。」而作是言：「大檀越阿育王最後供養，何故說此一切財富悉不堅牢？以是之故，佛婆伽婆說：『不堅之財易於堅財，不堅之身易於堅身，不堅之命易於堅命。』檀越！應生歡喜，以不堅之財隨逐於己至於後世，宜常修施莫使斷絕。」