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title: "大莊嚴論經 · 37"
description: "大莊嚴論經是古印度著名佛教論師馬鳴菩薩所造的一部重要佛教經典，由後秦時期高僧鳩摩羅什翻譯為漢文。該經成書於公元1-2世紀，屬於大乘佛教早期論典，以詩偈與散文相間的形式闡述佛法要義。內容主要圍繞佛陀本生故事與菩薩修行展開，通過生動譬喻闡明因果業報、六度波羅蜜等核心教義，強調發菩提心與積累功德的重要性。作為大乘佛教重要論著，該經對漢傳佛教思想發展產生深遠影響，被歷代高僧視為修學菩薩道的重要指南，在佛教典籍中具有崇高地位。"
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### （三七）

> （三七）

復次，施為解脫不為財物，若為財物不名為施，若為解脫則得無生及涅槃樂，是故智者應為解脫而行布施。

> また、施しとは解脱のために行うものであり、財物のためにするものではありません。もし財物のために施しを行うならば、それは真の施しとは呼べません。しかし、解脱のために施しを行うならば、無生の境地と涅槃の安楽を得ることができます。それゆえ、智慧ある者は解脱を目指して布施を行うべきなのです。

我昔曾聞，有一檀越詣僧房設會，檀越知識道人語上座言：「今日檀越飲食精細，好為檀越耐心說法。」是時上座已得三明六通具八解脫，善知他心深觀察之，為何事故而設此會，乃知此會為財利故。爾時上座為此檀越說三惡道苦，而作是言：「善哉善哉！檀越汝今所設供養，極是時施，色香美味皆悉具足，極為清淨，三惡道中無所乏少。」時知識道人語上座言：「何以為他呪願三惡道中都無所乏？」時僧上座語彼道人子：「我雖年老倒錯說法，然此檀越不習於戒，結使所使，我觀彼心故作是說，此檀越為五欲樂及財寶畜生。」即說偈言：

> 昔々、こんな話を聞いたことがある。ある在家の信者が寺院で供養の会を開いた。その信者の知り合いの修行者が上座に言った。「今日の信者の供養はとても丁寧です。どうかその信者のために心を込めて説法してください。」その時、上座はすでに三明六通を成就し、八解脱を具えていた。彼は他人の心を深く観察し、この会が何のために開かれたのかを知った。そして、この会が財や利益のためであると悟った。 そこで上座は、この信者に三悪道の苦しみについて説き、こう言った。「善きかな、善きかな。今あなたが設けた供養は、まさに時宜にかなった布施です。色・香り・味、すべてが十分に備わり、非常に清らかです。三悪道においても、何一つ欠けるものはありません。」 その時、知り合いの修行者が上座に尋ねた。「なぜ、彼のために三悪道には何も欠けるものがないと祈ったのですか？」 すると、僧の上座はその修行者に答えた。「私は年老いて、説法を間違えたように見えるかもしれません。しかし、この信者は戒律に慣れず、煩悩に支配されています。私が彼の心を観察した上で、あえてこう言ったのです。この信者は、五欲の楽しみと財宝に執着する畜生のようなものだと。」そこで、次のような偈を説いた。

「施者所生處，財寶極廣大，以恃財寶故，能令起憍慢。憍慢越法度，盲冥愚凡夫，以越法度故，則墮三惡趣。處於三惡道，猶如己舍宅，若生人天中，如似暫寄客。是故戒施伴，俱受於涅槃，戒能得生天，施能備眾具，所作為解脫，必盡於苦際。譬如種藕根，花葉悉具得，其根亦可食。修行於施戒，親近解脫林，快樂喻花葉，根喻於解脫。是故修戒施，必當為解脫，不應為世利。」

> 布施をする者の生まれるところでは、 財宝は極めて広大である。 財宝を恃むがゆえに、驕り慢心を起こすことができる。 驕り慢心が法度を越えれば、 盲目で愚かな凡夫は、 法度を越えるがゆえに、三悪趣に堕ちる。 三悪道にいることは、あたかも自分の家の如くであり、 もし人天に生まれても、それは一時の客のようなものである。 ゆえに、戒と布施は相連れ立って、共に涅槃に至る。 戒により天に生まれることができ、布施により様々な備えを満たす。 なすところは解脱のためであり、必ず苦しみの果てを尽くす。 たとえば、蓮の根を植えれば、花や葉もすべて得られ、 その根もまた食べられるように、 修行者が施しと戒を修め、 解脱の林に親しめば、 楽しみは花や葉にたとえられ、 根は解脱にたとえられる。 ゆえに、戒と施しを修めるならば、 必ず解脱のためにすべきであり、世の利得のためであってはならない。