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title: "大莊嚴論經 · 41"
description: "大莊嚴論經是古印度著名佛教論師馬鳴菩薩所造的一部重要佛教經典，由後秦時期高僧鳩摩羅什翻譯為漢文。該經成書於公元1-2世紀，屬於大乘佛教早期論典，以詩偈與散文相間的形式闡述佛法要義。內容主要圍繞佛陀本生故事與菩薩修行展開，通過生動譬喻闡明因果業報、六度波羅蜜等核心教義，強調發菩提心與積累功德的重要性。作為大乘佛教重要論著，該經對漢傳佛教思想發展產生深遠影響，被歷代高僧視為修學菩薩道的重要指南，在佛教典籍中具有崇高地位。"
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## 大莊嚴論經卷第七

> 大荘厳論経 巻第七

馬鳴菩薩造

> 馬鳴菩薩作

後秦三藏鳩摩羅什譯

> 後秦の三蔵法師鳩摩羅什訳

### （四一）

> （四一）

復次，利養亂於行道，若斷利養善觀察瞋。

> さらに、利益や供養を得ようとする心は、修行の道を乱すものです。もし、利益や供養への執着を断ち切るならば、怒りの心もよく観察して克服できるでしょう。

我昔曾聞，有一比丘在一園中，城邑聚落競共供養，同出家者憎嫉誹謗。比丘弟子聞是誹謗，白其師言：「某甲比丘誹謗和上。」時彼和上聞是語已，即喚謗者善言慰喻，以衣與之。諸弟子等白其師言：「彼誹謗人是我之怨，云何和上慰喻與衣？」師答之言：「彼誹謗者於我有恩，應當供養。」即說偈言：

> 昔、私はこう聞いたことがあります。ある比丘が一つの園に住んでいると、町や村の人々がこぞって彼に供養をしました。すると、同じく出家している他の比丘たちが、嫉妬と憎しみから彼を誹謗しました。その比丘の弟子たちがこの誹謗を聞いて、師に申し上げました。「あの比丘が師匠を誹謗しております。」師はこれを聞くと、誹謗者を呼び寄せ、優しい言葉で慰め、衣を与えました。弟子たちは師に申しました。「あの誹謗者は我々の敵です。どうして師匠は彼を慰め、衣を与えられるのですか？」師は答えました。「あの誹謗者は私に恩がある。それゆえ、供養すべきなのだ。」そして、次の偈を唱えました。

「如雹害禾穀，有人能遮斷，田主甚歡喜，報之以財帛。彼謗是親厚，不名為怨家，遮我利養雹，我應報其恩。雹害及一世，利養害多身，雹唯害於財，利養毀修道。為雹所害田，必有少遺餘，利養之所害，功德都消盡。如彼提婆達，利養雹所害，由彼貪著故，善法無毫釐，眾惡極熾盛，死則墮惡道。利養劇猛火，亦過於惡毒，師子及虎狼。智者觀察已，寧為彼所傷，不為利養害。愚者貪利養，不見其過惡，利養遠聖道，善行滅不生。佛已斷諸結，三有結都解，功德已具滿，猶尚避利養。眾中師子吼，而唱如是言：『利養莫近我，我亦遠於彼。』有心明智人，誰當貪利養？利養亂定心，為害劇於怨，如以毛繩戮，皮斷肉骨壞，髓斷爾乃止。利養過毛繩，絕於持戒皮，能破禪定肉，折於智慧骨，滅妙善心髓。譬如嬰孩者，捉火欲食之，如魚吞鉤餌，如鳥網所覆，諸獸墜穽陷，皆由貪味故。比丘貪利養，與彼亦無異，其味極尠少，為患甚深重。詐為諂侫者，止住利養中，親近憒閙亂，妨患之種子，如似疥搔瘡，搔之痒轉增，矜高放逸欲，皆因利養生。此人為我等，遮於利養怨，我以是義故，應盡心供養。如是善知識，云何名為怨？由貪利養故，不樂閑靜處，心常緣利養，晝夜不休息。彼處有衣食，某是我親厚，必來請命我，心意多攀緣。敗壞寂靜心，不樂空閑處，常樂在人間，田利毀敗故。不樂寂定法，以捨寂定故，不名為比丘，亦不名白衣。」

> 雹が穀物を害するのを、誰かが防ぎ止めるならば、 田の主は大いに喜び、財布で報いるであろう。 その人を、彼は親しい者と呼び、怨み敵とは呼ばない。 我が利養という雹を防いでくれたのだから、私はその人に恩を報いるべきだ。 雹の害は一生に過ぎないが、利養の害は多くの生に及ぶ。 雹はただ財産を損なうだけだが、利養は修道を破壊する。 雹に害された田にも、必ずわずかな余りは残る。 しかし利養に害されたなら、功徳はことごとく消え尽きる。 あの提婆達多のように、利養という雹に害された者がいる。 彼がそれに執着したために、善法は微塵もなく、 あらゆる悪が極めて盛んとなり、死んで悪道に堕ちた。 利養は激しい火よりも猛く、また悪毒や、 獅子や虎狼よりも過ぎている。賢者が観察すれば、 むしろそれらに傷つけられても、利養に害されはしない。 愚か者は利養に貪着し、その過ちを見ない。 利養は聖なる道を遠ざけ、善行を滅ぼして生じさせない。 仏はすでに諸々の結び目を断ち、三有の結びをことごとく解き、 功徳はすでに満ち足りているが、なおも利養を避けられる。 衆の中であたかも獅子吼のごとく、このように言われた。 「利養よ、私に近づくな。私もまた、それを遠ざけよう。」 心ある賢明な人で、誰が利養を貪るだろうか。 利養は定まった心を乱し、その害は怨み敵よりも激しい。 例えば毛の縄で（手足を）切れば、皮が断たれ、肉や骨が壊れ、 髄までも断たれてようやく止む。利養は毛の縄にも過ぎて、 戒律を守る皮を断ち、禅定の肉を破り、 智慧の骨を折り、妙なる善心の髄を滅ぼす。 例えば幼子が火を掴んで食べようとしたり、 魚が針の餌を飲み込んだり、鳥が網に覆われたり、 獣が罠に落ちるのも、すべて味を貪るからである。 比丘が利養を貪るのも、それと何ら変わらない。 その味は極めて少ないが、それによる患いは非常に深く重い。 偽ってへつらう者たちは、利養の中に留まり、 騒がしい混乱に親しむ。それは妨げや患いの種である。 例えば疥癬（かいせん）のできものが痒く、掻けば痒みがますます増すように、 高ぶり、放逸となり、欲が生じるのも、すべて利養から生まれる。 この人は私たちのために、利養という怨みの敵を防いでくれる。 私はこのような理由から、心を尽くして供養すべきである。 このような善い知識を、どうして怨みと呼べようか。 利養を貪るからこそ、閑静な場所を喜ばず、 心は常に利養に縛られ、昼も夜も休むことがない。 「あそこには衣食がある」「あの人は私の親しい者だ」 「きっと私を招いてくれるだろう」と、心は多くに執着する。 静かな心を壊し、閑静な場所を喜ばず、 常に人間社会に留まるのは、田地の利益が心を壊すからである。 静寂の定まる法を喜ばず、静寂を捨てるがゆえに、 比丘とも呼ばれず、また在家とも呼ばれない。