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妙法蓮華経 (妙法蓮華經)


妙法蓮華經卷第五

妙法蓮華経 巻第五

後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯

後秦の亀茲国三蔵法師鳩摩羅什が詔を奉じて訳す

安樂行品第十四

第十四章 安楽行品

爾時文殊師利法王子菩薩摩訶薩白佛言:「世尊!是諸菩薩,甚為難有,敬順佛故,發大誓願,於後惡世,護持讀說是法華經。世尊!菩薩摩訶薩於後惡世,云何能說是經?」

その時、文殊師利法王子(もんじゅしりほうおうじ)菩薩摩訶薩が仏に申し上げました。「世尊よ、これらの菩薩方は、本当に稀有な存在です。仏を敬い従うがゆえに、大きな誓いを立てて、未来の悪しき世においても『法華経』を守り、読み、説こうとされています。世尊よ、菩薩摩訶薩は未来の悪しき世において、どのようにしてこの経を説くことができるのでしょうか?」

佛告文殊師利:「若菩薩摩訶薩,於後惡世欲說是經,當安住四法。一者、安住菩薩行處及親近處,能為眾生演說是經。

仏が文殊師利に告げられた。「もし菩薩摩訶薩が、後の悪しき世においてこの経典を説こうと思うなら、四つの法に安住しなさい。第一に、菩薩の行処および親近処に安住して、衆生のためにこの経典を説くことができること。」

「文殊師利!云何名菩薩摩訶薩行處?若菩薩摩訶薩住忍辱地,柔和善順而不卒暴,心亦不驚;又復於法無所行,而觀諸法如實相,亦不行不分別,是名菩薩摩訶薩行處。云何名菩薩摩訶薩親近處?菩薩摩訶薩不親近國王、王子、大臣、官長,不親近諸外道梵志、尼揵子等,及造世俗文筆、讚詠外書,及路伽耶陀、逆路伽耶陀者;亦不親近諸有兇戲、相扠相撲,及那羅等種種變現之戲;又不親近旃陀羅,及畜猪羊鷄狗,畋獵漁捕諸惡律儀。如是人等,或時來者,則為說法,無所悕望。又不親近求聲聞比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,亦不問訊。若於房中,若經行處,若在講堂中,不共住止。或時來者,隨宜說法,無所悕求。

文殊師利よ、では何をもって菩薩摩訶薩の「行處(ぎょうじょ)」というのでしょうか。もし菩薩摩訶薩が忍辱の地に安住し、柔和で善く従順でありながら、決して荒々しくなく、心も動揺しない者であり、さらにまた法に対して何も執着して行うことなく、諸々の法をあるがままの姿(実相)として観察し、「分別しない」という考えにも執着しない、これを菩薩摩訶薩の行處といいます。

では、何をもって菩薩摩訶薩の「親近處(しんごんじょ)」というのでしょうか。菩薩摩訶薩は、国王、王子、大臣、役人には近づかず、様々な外道の修行者や尼乾子(にけんし)などにも近づかず、世俗の文章や詩歌を書き、外典を称賛する者、さらには路伽耶陀(ろかやだ、順世派)や逆路伽耶陀(ぎゃくろかやだ)の者にも近づきません。また、様々な乱暴な遊びや格闘技、相撲、さらには那羅(なら)などの様々な見せ物をする者にも近づきません。また、屠殺人や、豚・羊・鶏・犬を飼う者、狩猟や漁労など悪い行いをする者にも近づきません。しかし、このような人々がもし来たならば、彼らに法を説き、何の見返りも望みません。

また、声聞の道を求める比丘、比丘尼、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)にも近づかず、挨拶も交わしません。彼らと房の中、経行の場所、講堂の中で共に住むこともありません。しかし、もし彼らが来たならば、その機会に応じて法を説き、何の見返りも求めないのです。

「文殊師利!又菩薩摩訶薩不應於女人身,取能生欲想相而為說法,亦不樂見。若入他家,不與小女、處女、寡女等共語。亦復不近五種不男之人以為親厚,不獨入他家,若有因緣須獨入時,但一心念佛。若為女人說法,不露齒笑,不現胸臆,乃至為法猶不親厚,況復餘事。不樂畜年少弟子、沙彌、小兒,亦不樂與同師。常好坐禪,在於閑處,修攝其心。文殊師利!是名初親近處。」

文殊師利よ。また、菩薩摩訶薩は、女性の身体に対して、欲望の念を起こさせるような見方をもって法を説いてはなりません。また、女性を好んで見ることもしてはなりません。もし他家に入る時は、幼い娘や未婚の娘、やもめなどと共に語ってはなりません。また、五種の不男(男性でも女性でもない者)にも親しく近づいてはなりません。独りで他家に入ることは避け、どうしてもやむを得ず独りで入る時は、ただ一心に仏を念じなさい。もし女性のために法を説く時は、歯を見せて笑ったり、胸元を見せたりしてはなりません。たとえ法のためであっても親しく近づくべきではありません。ましてやそれ以外のことではなおさらです。年少の弟子や沙弥、幼い子供を養うことを好まず、また彼らと師を同じくすることも好みません。常に坐禅を好み、閑静な場所において心を修め摂(おさ)めなさい。文殊師利よ、これを初めの親近処というのです。

「復次,菩薩摩訶薩觀一切法空,如實相,不顛倒、不動、不退、不轉,如虛空,無所有性。一切語言道斷,不生、不出、不起,無名、無相,實無所有,無量、無邊,無礙、無障,但以因緣有,從顛倒生故說。常樂觀如是法相,是名菩薩摩訶薩第二親近處。」

さらに、菩薩摩伽薩は、あらゆる存在が「空」であると観じます。それは、ものごとの真実のすがた(実相)にかなっており、誤った見方(顛倒)がなく、動かず、退かず、変わらないものです。まるで虚空のように、本来どんな固定的な性質ももっていません。言葉による表現はすべて絶たれ、生じることも、現れることも、起こることもなく、名前もすがたもなく、実際には何一つ実体として存在しません。また、それは量り知れず、果てしなく、何ものにも妨げられず、障られることもありません。ただ、さまざまな条件(因縁)によって仮に存在しているように見え、誤った認識(顛倒)から生じたものとして説かれるにすぎません。菩薩はこのような法のすがたを絶えず喜んで観じます。これを「菩薩摩訶薩の第二の親近処」と名づけ

爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:

その時、世尊はこの意味を重ねて説き明かそうとして、偈を唱えられた。

「若有菩薩, 於後惡世, 無怖畏心,
欲說是經, 應入行處, 及親近處。
常離國王, 及國王子、 大臣官長,
兇險戲者, 及旃陀羅、 外道梵志。
亦不親近, 增上慢人, 貪著小乘、
三藏學者, 破戒比丘, 名字羅漢,
及比丘尼, 好戲笑者, 深著五欲,
求現滅度, 諸優婆夷, 皆勿親近。
若是人等, 以好心來, 到菩薩所,
為聞佛道。 菩薩則以, 無所畏心,
不懷悕望, 而為說法。 寡女處女,
及諸不男, 皆勿親近, 以為親厚。
亦莫親近, 屠兒魁膾, 畋獵漁捕,
為利殺害, 販肉自活, 衒賣女色,
如是之人, 皆勿親近。 兇險相撲,
種種嬉戲, 諸婬女等, 盡勿親近。
莫獨屏處, 為女說法, 若說法時,
無得戲笑。 入里乞食, 將一比丘,
若無比丘, 一心念佛。 是則名為,
行處近處, 以此二處, 能安樂說。
又復不行, 上中下法, 有為無為,
實不實法, 亦不分別, 是男是女。
不得諸法, 不知不見, 是則名為,
菩薩行處。 一切諸法, 空無所有,
無有常住, 亦無起滅, 是名智者,
所親近處。 顛倒分別, 諸法有無,
是實非實, 是生非生。 在於閑處,
修攝其心, 安住不動, 如須彌山。
觀一切法, 皆無所有, 猶如虛空,
無有堅固。 不生不出, 不動不退,
常住一相, 是名近處。 若有比丘,
於我滅後, 入是行處、 及親近處,
說斯經時, 無有怯弱。 菩薩有時,
入於靜室, 以正憶念, 隨義觀法。
從禪定起, 為諸國王、 王子臣民、
婆羅門等, 開化演暢, 說斯經典,
其心安隱, 無有怯弱。 文殊師利!
是名菩薩, 安住初法, 能於後世,
說法華經。

もし菩薩が 後の悪世において 怖れる心なく この経を説こうと欲するならば 入るべき行処と 親しむべき処とを知るべし

常に王や 王子や 大臣・役人 凶悪な道化師や 屠殺者・外道・梵志から遠ざかれ

また増上慢の人や 小乗に執着する者 三蔵を学ぶ者・戒を破る比丘・名ばかりの阿羅漢

そして比丘尼で 戯れを好み 五欲に深く執われ 現世での滅度を求める者や 優婆夷らにも 近づいてはならない

たとえそうした人々が 善心をもって菩薩のもとに来て 仏の道を聞こうとしたなら 菩薩は恐れることなく 期待を抱かずに 法を説くべきである

寡婦や処女 そして男性でない者たちにも 親しく近づいてはならない

また殺生を業とする者や 狩猟・漁猟を営み 利のために殺し 肉を売って生きる者や 女色を売る者 そうした者たちにも 皆近づいてはならない

凶暴な格闘技や 様々な遊戯 淫らな女たちにも 一切近づいてはならない

ひそかに女性と二人きりで法を説いてはならず 法を説くときには 戯れがあってはならない

村に托鉢に入る時には 一人の比丘を連れよ もし連れる比丘がいなければ 一心に仏を念じよ

これを行処・近処と名づける この二つの処によって 安らかに説法できるのである

またさらに 上の法・中の法・下の法も行ぜず 有為・無為・実・不実の法をも行ぜず 男・女の区別も分別しない

諸々の法を得ず 知らず 見ないこと これを菩薩の行処と名づける

一切の諸法は 空にして何もなく 常住なるものはなく 生じも滅しもしない これを智者が親しむべき処と名づける

諸法の有無や 実か非実か 生か非生かを 顛倒して分別することなく 閑かな処にあって 心を修め調え 須弥山のように安住し動かない

一切の法を観じて すべて無所有であり 虚空の如く堅固なものはないと知る

生ぜず 出でず 動かず 退かず 常に一相に住する これを近処と名づける

もし比丘が 私の滅後において この行処と親近処に入り この経を説くならば 臆することはない

菩薩は時に 静かな部屋に入り 正しく憶念し 義に従って法を観ずる

禅定から起きて 諸々の王・王子・臣民 バラモンなどのために この経典を開き演暢すれば その心は安らかで 臆することがない

文殊師利よ これを菩薩が初めの法に安住し 後の世において 『法華経』を説くことができると名づけるのである

「又,文殊師利!如來滅後,於末法中欲說是經,應住安樂行。若口宣說、若讀經時,不樂說人及經典過。亦不輕慢諸餘法師,不說他人好惡、長短。於聲聞人,亦不稱名說其過惡,亦不稱名讚歎其美,又亦不生怨嫌之心。善修如是安樂心故,諸有聽者不逆其意,有所難問,不以小乘法答,但以大乘而為解說,令得一切種智。」

さらに、文殊師利よ、如来の滅後、末法の世においてこの経を説こうと思う者は、安楽行に住むべきである。口で説いたり、経を読誦する時には、他人や経典の過ちを語ることを好んではならない。また、他の説法者を軽んじたり侮ったりしてはならず、他人の善悪や長短を語ってはならない。声聞(しょうもん)の者に対しても、その名を挙げて過ちや悪事を語ってはならず、またその名を挙げて美点を褒め称えることもしてはならない。さらに、怨みや嫌悪の心を起こしてはならない。このように安楽心をよく修めるからこそ、聴く者すべてがその意に逆らうことなく、もし疑問を問われても、小乗の法をもって答えることなく、ただ大乗をもって解説し、一切種智(いっさいしゅち)を得させることができるのである。

爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:

その時、世尊はこの意味を重ねて説き明かそうとして、偈を唱えられた。

「菩薩常樂, 安隱說法, 於清淨地,
而施床座。 以油塗身, 澡浴塵穢,
著新淨衣, 內外俱淨, 安處法座,
隨問為說。 若有比丘, 及比丘尼,
諸優婆塞, 及優婆夷, 國王王子、
群臣士民, 以微妙義, 和顏為說。
若有難問, 隨義而答, 因緣譬喻,
敷演分別。 以是方便, 皆使發心,
漸漸增益, 入於佛道。 除嬾惰意,
及懈怠想, 離諸憂惱, 慈心說法。
晝夜常說, 無上道教, 以諸因緣、
無量譬喻, 開示眾生, 咸令歡喜。
衣服臥具, 飲食醫藥, 而於其中,
無所悕望。 但一心念, 說法因緣,
願成佛道, 令眾亦爾。 是則大利,
安樂供養。 我滅度後, 若有比丘,
能演說斯, 妙法華經。 心無嫉恚,
諸惱障礙, 亦無憂愁, 及罵詈者,
又無怖畏 加刀杖等, 亦無擯出,
安住忍故。 智者如是, 善修其心,
能住安樂, 如我上說。 其人功德,
千萬億劫, 算數譬喻, 說不能盡。

菩薩は常に喜びをもって、 心安らかに法を説き、清らかな場所に 床座を施します。 油を身に塗り、塵や汚れを洗い流し、 新しい清らかな衣をまとい、 内外ともに清めて、法座に安らかに座り、 問われるままに説き明かします。 比丘や比丘尼、 優婆塞や優婆夷、国王や王子、 臣下や一般の人々に対しても、 深い意味を優しい表情で説きます。 もし難しい質問があれば、その意味に沿って答え、 因縁や譬えを用いて 詳しく解説します。 このような方法で、皆に発心させ、 徐々に成長させて、仏道へ導きます。 怠ける心や 気の緩みを除き、様々な悩みや憂いを離れて、 慈しみの心で法を説きます。 昼夜絶えず、最高の教えを、 様々な因縁や無数の譬えを用いて 人々に示し、皆を喜ばせます。 衣服や寝具、食べ物や薬についても、 その中で何の見返りも求めません。 ただ一心に、法を説く因縁を思い、 自らも仏道を成就し、人々もそうなるように願います。 これこそが大きな利益であり、 安楽をもたらす供養なのです。 私が滅度した後、もし比丘が この素晴らしい『法華経』を説き、 心に嫉妬や怒り、 様々な煩悩や障害がなく、 憂いや悲しみもなく、罵る者もなく、 さらに刀や杖などによる恐れもなく、 追い出されることもなく、 忍耐に安住するならば。 賢者はこのように、心をよく修め、 私が先に述べたように安楽に住むことができます。 その人の功徳は、 千万億劫の間、 計算や譬えを用いても、説き尽くせないのです。

「又,文殊師利!菩薩摩訶薩,於後末世法欲滅時,受持、讀誦斯經典者,無懷嫉妬諂誑之心,亦勿輕罵學佛道者,求其長短。若比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,求聲聞者、求辟支佛者、求菩薩道者,無得惱之,令其疑悔,語其人言:『汝等去道甚遠,終不能得一切種智。所以者何?汝是放逸之人,於道懈怠故。』又亦不應戲論諸法,有所諍競。當於一切眾生起大悲想,於諸如來起慈父想,於諸菩薩起大師想,於十方諸大菩薩,常應深心恭敬禮拜。於一切眾生,平等說法,以順法故,不多不少,乃至深愛法者,亦不為多說。」

また、文殊師利よ。菩薩摩訶薩は、後の世で教えが滅びようとする時に、この経典を受持し読誦するならば、妬みや偽りの心を持ってはなりません。また、仏道を学ぶ者を軽んじて罵り、その長所短所を探ってはなりません。

比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷であって、声聞を求める者、辟支仏を求める者、菩薩道を求める者に対しても、彼らを悩ませて疑いや悔いを生じさせてはなりません。「あなたたちは道から遠く離れており、決して一切種智を得ることはできない。なぜなら、あなたたちは放逸な者であり、道に対して怠惰だからだ」などと言ってはならないのです。

また、諸々の法について冗談めかして論じたり、争ったりすべきではありません。すべての衆生に対しては大悲の想いを起こし、諸々の如来には慈父の想いを起こし、諸々の菩薩には大師の想いを起こし、十方の大菩薩たちには常に深い心で敬い礼拝すべきです。

すべての衆生に対して平等に説法し、法に従うがゆえに多くも少なくもせず、たとえ深く法を愛する者に対しても、多く説くことはありません。

「文殊師利!是菩薩摩訶薩,於後末世法欲滅時,有成就是第三安樂行者,說是法時,無能惱亂,得好同學共讀誦是經,亦得大眾而來聽受,聽已能持,持已能誦,誦已能說,說已能書、若使人書,供養經卷,恭敬、尊重、讚歎。」

文殊師利よ、この菩薩摩訶薩は、後の末世、法が滅びようとする時に、この第三の安楽行を成就している者であれば、この経典を説く時、誰にも悩まされることなく、良い仲間を得て共にこの経典を読誦し、また大勢の聴衆が集まって来て聽聞し、聽聞してからはよく保ち、保ってからはよく誦し、誦してからはよく説き、説いてからはよく書き、あるいは人に書かせ、経巻を供養し、恭敬し、尊重し、讚歎するのである。

爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:

その時、世尊はこの意味を重ねて説き明かそうとして、偈を唱えられた。

「若欲說是經, 當捨嫉恚慢、
諂誑邪偽心, 常修質直行。
不輕蔑於人, 亦不戲論法,
不令他疑悔, 云汝不得佛。
是佛子說法, 常柔和能忍,
慈悲於一切, 不生懈怠心。
十方大菩薩, 愍眾故行道,
應生恭敬心, 是則我大師。
於諸佛世尊, 生無上父想,
破於憍慢心, 說法無障礙。
第三法如是, 智者應守護,
一心安樂行, 無量眾所敬。

この経典を説こうと思うなら、 嫉妬や怒り、慢心を捨て、 へつらいや偽りの心を離れ、 常に真っ直ぐで質素な行いをせよ。

人を軽んじてはならず、 また教えをいたずらに論じず、 他人に「あなたは仏になれない」と言って、 疑いや悔いを抱かせてはならない。

仏の子が法を説くときは、 常に柔和で忍び、 すべてを慈しみ、 怠りの心を起こさない。

十方の大菩薩たちは、 衆生を哀れんで道を行く。 彼らに敬いの心を起こせ、 これこそがわが大師である。

諸仏世尊に対しては、 無上の父と思う心を起こし、 驕りの心を破れば、 説法に障りはなくなる。

これが第三の法である。 智慧ある者はこれを守り、 一心に安楽に行ずれば、 無量の衆生の敬いを受ける。

「又,文殊師利!菩薩摩訶薩,於後末世法欲滅時,有持是法華經者,於在家、出家人中生大慈心,於非菩薩人中生大悲心,應作是念:『如是之人,則為大失。如來方便隨宜說法,不聞不知不覺、不問不信不解,其人雖不問不信不解是經,我得阿耨多羅三藐三菩提時,隨在何地,以神通力、智慧力引之,令得住是法中。』文殊師利!是菩薩摩訶薩,於如來滅後、有成就此第四法者,說是法時,無有過失,常為比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、國王、王子、大臣、人民、婆羅門、居士等,供養恭敬、尊重讚歎。虛空諸天,為聽法故亦常隨侍。若在聚落、城邑、空閑林中,有人來欲難問者,諸天晝夜常為法故而衛護之,能令聽者皆得歡喜。所以者何?此經是一切過去、未來、現在諸佛神力所護故。文殊師利!是法華經,於無量國中,乃至名字不可得聞,何況得見受持讀誦?」

また、文殊師利よ。菩薩摩耶訶薩は、後の世、仏法が滅びようとする時、この法華経を護持する者があれば、在家者や出家者に対して大いなる慈しみの心を起こし、菩薩でない人々に対して大いなる悲しみの心を起こすべきです。そして、こう思うべきです。「このような人々は、実に大きな損失を被っている。如来が人々に合わせて方便を用い、適宜に説かれた法を、彼らは聞かず、知らず、悟らず、問わず、信じず、理解しない。たとえ彼らがこの経を問わず、信じず、理解しなくとも、私が無上正等覚(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得た時には、どんな場所であっても、神通力と智慧の力によって彼らを導き、この法の中に留まらせよう。」と。

文殊師利よ。この菩薩摩耶訶薩が、如来の滅後において、この第四の法を成就するならば、この法を説く時に過失はなく、常に比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、国王、王子、大臣、人民、バラモン、居士などから、供養され、敬われ、尊ばれ、讃えられます。また、虚空の天々も、法を聞くために常に従い侍ります。もし集落や城邑、あるいは閑静な林の中にいるとき、誰かが訪れて問い詰めようとしても、天々が昼も夜も法のために彼を護り、聞く者たちを皆、喜ばせることができるのです。なぜなら、この経は、すべての過去・未来・現在の諸仏の神力によって護られているからです。

文殊師利よ。この法華経は、無量の国々において、その名前さえ聞くことができないほどであり、ましてや見たり、受け持って読誦することなど、なおさら難しいのです。

「文殊師利!譬如強力轉輪聖王,欲以威勢降伏諸國,而諸小王不順其命,時轉輪王起種種兵而往討罰。王見兵眾戰有功者,即大歡喜,隨功賞賜,或與田宅、聚落、城邑;或與衣服、嚴身之具;或與種種珍寶:金、銀、琉璃、車𤦲、馬腦、珊瑚、虎珀,象馬車乘,奴婢人民。唯髻中明珠,不以與之。所以者何?獨王頂上有此一珠,若以與之,王諸眷屬必大驚怪。

文殊師利よ、たとえば力強い転輪聖王が、その威光をもって諸国を従えようとしたが、小さな王たちがその命令に従わなかったとしよう。その時、転輪王は様々な軍勢を起こして征伐に向かう。王は兵士たちの中に戦功を挙げた者を見れば、大いに喜び、その功績に応じて褒美を与える。ある者には田畑や屋敷、村や町を与え、ある者には衣服や身を飾る品々を与え、またある者には様々な宝物―金、銀、瑠璃、車渠、瑪瑙、珊瑚、虎珀、象や馬の引く車、召使いや民を与える。しかし、髻の中にある明珠だけは決して与えない。それはなぜか。ただ王の頂上だけにこの一つの宝珠があるからだ。もしこれを与えれば、王の眷属たちは必ずや大いに驚き怪しむであろう。

「文殊師利!如來亦復如是,以禪定智慧力得法國土,王於三界,而諸魔王不肯順伏。如來賢聖諸將與之共戰,其有功者,心亦歡喜,於四眾中為說諸經,令其心悅,賜以禪定、解脫、無漏根力、諸法之財,又復賜與涅槃之城,言得滅度,引導其心,令皆歡喜,而不為說是法華經。

文殊師利よ。如来もまた同じである。禅定と智慧の力によって、真理の国を得て、三界の王となるのだが、魔王たちはそれに従おうとしない。そこで如来は、聖なる賢者の弟子たちを率いて彼らと戦う。功績を挙げた者たちには、心から喜び、四衆の中であらゆる経典を説いて、彼らの心を喜ばせた。また、禅定や解脱や無漏の根力といった様々な真理の財産を与え、さらには涅槃の城を与えて「滅度を得た」と言って、その心を導き、皆を喜ばせた。しかし、この『法華経』については、まだ説かなかったのである。

「文殊師利!如轉輪王,見諸兵眾有大功者,心甚歡喜,以此難信之珠,久在髻中不妄與人,而今與之。如來亦復如是,於三界中為大法王,以法教化一切眾生。見賢聖軍,與五陰魔、煩惱魔、死魔共戰,有大功勳,滅三毒,出三界,破魔網,爾時如來亦大歡喜。此法華經,能令眾生至一切智,一切世間多怨難信,先所未說而今說之。文殊師利!此法華經,是諸如來第一之說,於諸說中最為甚深,末後賜與,如彼強力之王久護明珠,今乃與之。文殊師利!此法華經,諸佛如來祕密之藏,於諸經中最在其上,長夜守護不妄宣說,始於今日乃與汝等而敷演之。」

文殊師利よ。例えば転輪聖王が、兵士たちの中に大きな功績を立てた者を見て、心から喜び、この信じがたい宝珠を、長い間髻の中に納めて決して他人に与えなかったものを、ついにその者に与えるようなものだ。

如来もまた同じである。三界において大いなる法の王として、法をもって一切の衆生を教化しておられる。そして、聖なる弟子たちの軍団が、五蘊の魔、煩悩の魔、死の魔と戦い、大きな功績を挙げ、三毒を滅し、三界を出て、魔の網を破るのをご覧になると、その時、如来もまた大いに喜ばれる。

この法華経は、衆生を一切智に至らしめることができる。しかし、一切の世間の人々は疑い恨みを抱き、信じることが難しい。それゆえに、これまで説かれることのなかったものを、今、説くのである。

文殊師利よ。この法華経は、諸の如来にとって最も優れた教えであり、諸々の説の中でも最も深遠なものである。最後に授け与えられるもので、あたかもあの力強い王が長く守護してきた明珠を、ついに与えるようなものなのである。

文殊師利よ。この法華経は、諸仏如来の秘密の宝蔵であり、諸々の経典の中でも最も優れたものである。長い夜の間、守護して軽々しく説くことなく、今日初めて、あなたたちのために詳しく説き明かすのである。

爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:

その時、世尊はこの意味を重ねて説き明かそうとして、偈を唱えられた。

「常行忍辱, 哀愍一切, 乃能演說,
佛所讚經。 後末世時, 持此經者,
於家出家, 及非菩薩, 應生慈悲,
斯等不聞, 不信是經, 則為大失。
我得佛道, 以諸方便, 為說此法,
令住其中。 譬如強力, 轉輪之王,
兵戰有功, 賞賜諸物, 象馬車乘,
嚴身之具, 及諸田宅, 聚落城邑,
或與衣服, 種種珍寶, 奴婢財物,
歡喜賜與。 如有勇健, 能為難事,
王解髻中, 明珠賜之。 如來亦爾,
為諸法王, 忍辱大力, 智慧寶藏,
以大慈悲, 如法化世。 見一切人、
受諸苦惱, 欲求解脫, 與諸魔戰。
為是眾生, 說種種法, 以大方便,
說此諸經。 既知眾生, 得其力已,
末後乃為, 說是法華。 如王解髻,
明珠與之。 此經為尊, 眾經中上,
我常守護, 不妄開示, 今正是時,
為汝等說。 我滅度後, 求佛道者,
欲得安隱, 演說斯經, 應當親近,
如是四法。 讀是經者, 常無憂惱,
又無病痛, 顏色鮮白, 不生貧窮、
卑賤醜陋。 眾生樂見, 如慕賢聖,
天諸童子, 以為給使。 刀杖不加,
毒不能害, 若人惡罵, 口則閉塞。
遊行無畏, 如師子王, 智慧光明,
如日之照。 若於夢中, 但見妙事。
見諸如來, 坐師子座, 諸比丘眾、
圍繞說法。 又見龍神、 阿修羅等,
數如恒沙, 恭敬合掌, 自見其身,
而為說法。 又見諸佛, 身相金色,
放無量光, 照於一切, 以梵音聲,
演說諸法。 佛為四眾, 說無上法,
見身處中, 合掌讚佛, 聞法歡喜,
而為供養, 得陀羅尼, 證不退智。
佛知其心, 深入佛道, 即為授記,
成最正覺: 『汝善男子! 當於來世,
得無量智, 佛之大道。 國土嚴淨,
廣大無比; 亦有四眾, 合掌聽法。』
又見自身, 在山林中, 修習善法,
證諸實相, 深入禪定, 見十方佛。
諸佛身金色, 百福相莊嚴,
聞法為人說, 常有是好夢。
又夢作國王, 捨宮殿眷屬,
及上妙五欲, 行詣於道場。
在菩提樹下, 而處師子座,
求道過七日, 得諸佛之智。
成無上道已, 起而轉法輪,
為四眾說法, 經千萬億劫,
說無漏妙法, 度無量眾生。
後當入涅槃, 如烟盡燈滅。
若後惡世中, 說是第一法,
是人得大利, 如上諸功德。」

常に忍辱を行い、 全ての者に哀れみの心をかければ、 初めて説き示すことができる、 仏が讚えたこの経典を。

後の世の末法の時、 この経を護持する者は、 在家も出家も、また菩薩でない者も、 慈悲の心を起こすべきだ。 これらの者がこの経を聞けず、 信じなければ、それは大きな損失である。

私は仏の道を得た後、 さまざまな方便を用いて、 この法を説き、彼らをその中に留まらせる。 例えば、力強い転輪聖王が、 兵士に戦功があれば、 象や馬、車といった様々な物を与え、 身を飾る道具、田畑や家屋、村や城、 あるいは衣服や種々の宝、奴婢や財物を、 喜びをもって与える。 もし勇敢で、困難な業を成し遂げた者がいれば、 王は髻の中の明珠を解いてそれを与える。 如来もまた同じである。 如来は諸法の王であり、 忍辱という大力と智慧の宝蔵を持ち、 大いなる慈悲によって、法のままに世を教化する。 すべての人々が様々な苦悩を受け、 解脱を求め、諸々の魔と戦うのを見て、 彼らのために様々な法を説き、 大いなる方便によって諸々の経を説く。 そして、众生が力を得たことを知った後、 最後に初めてこの法華経を説く。 王が髻の明珠を解いて与えるように、 この経は尊く、諸経の中でも最上である。 私は常にこれを護り、安易に開示せず、 今こそ、その時が来たので、 あなたがたに説くのだ。

私が滅度した後、仏の道を求める者が、 安穏を得ようとしてこの経を説くなら、 以上の四つの法に親しむべきである。 この経を読む者は、常に憂いや悩みがなく、 また病や痛みもなく、顔色は鮮やかで白く、 貧しく、卑しく、醜い者とはならない。 众生は彼を見ることを喜び、まるで賢聖を慕うように、 天の童子たちが彼に仕える。 刀や杖も加えられず、毒も害することができない。 もし人が悪口を言おうとしても、その口は閉ざされる。 旅をしても無畏であり、獅子王のようであり、 智慧の光明は太陽の照らすようである。 もし夢の中では、ただ素晴らしいことだけを見る。 諸々の如来が獅子の座に座り、 多くの比丘たちが周りを取り囲んで説法しているのを見る。 また、龍の神や阿修羅などが 数えきれないほどいて、恭敬して合掌し、 自分自身が彼らのために説法しているのを見る。 また、諸仏の身は金色で、 無量の光を放ち、すべてを照らし、 梵音の声で諸法を説き示すのを見る。 仏が四衆のために無上の法を説く中、 自分がその中にあって合掌し仏を讚え、 法を聞いて喜び、供養し、 陀羅尼を得て、退転しない智慧を証するのを見る。 仏はその心を知り、深く仏道に入っていると見て、 即座に授記して、最も正しい覚りを成就させると告げる。 「汝、善男子よ。未来の世において、 無量の智慧、仏の大道を得るであろう。 国は厳かに清められ、広大で比類なく、 そこには四衆がいて合掌して法を聞くであろう。」 また、自分が山林の中にあって善法を修行し、 諸々の実相を悟り、深い禅定に入り、 十方の仏を見るのを見る。 諸仏の身は金色、百福の相で荘厳され、 法を聞いて人のために説く、常にこのような良い夢を見る。 また、夢に国王となり、宮殿や眷属を捨て、 殊勝な五欲を捨てて、道場に向かう。 菩提樹の下にあって、獅子の座に座り、 道を求めること七日を過ぎ、諸仏の智慧を得る。 無上の道を成就した後、立ち上がって法輪を転じ、 四衆のために法を説くこと、千万億劫もの間、 無漏の妙法を説き、無量の众生を救う。 その後、涅槃に入る。煙が尽き灯が消えるように。 もし後の悪世において、この第一の法を説くならば、 その人は大きな利益を得、以上の功徳を得るのである。


13 勸持品
15 從地踊出品

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