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中阿含経 (中阿含經)


(八)中阿含七法品七日經第八(初一日誦)

(八)中阿含経・七法品・七日経第八(初一日誦)

我聞如是:

私はこのように聞きました。

一時,佛遊鞞舍離,在㮈氏樹園。

ある時、お釈迦さまはヴァイシャーリーに滞在され、ナータ族の園林におられました。

爾時,世尊告諸比丘:「一切行無常,不久住法、速變易法、不可猗法,如是諸行不當樂著,當患厭之,當求捨離,當求解脫。所以者何?有時不雨,當不雨時,一切諸樹、百穀、藥木皆悉枯槁,摧碎滅盡,不得常住。是故一切行無常,不久住法、速變易法、不可猗法,如是諸行不當樂著,當患厭之,當求捨離,當求解脫。

その時、世尊は比丘たちに告げられた。 「一切の行いは無常であり、長く留まることのない法であり、速やかに変化する法であり、頼りにすることのできない法である。このような諸々の行いに執着して楽しむべきではなく、それを憂い嫌い、捨て離れ、解脱を求めるべきである。なぜならば、雨が降らない時があり、雨が降らない時には、すべての樹木、百穀、薬草の木は皆、枯れ果て、砕け散り、滅び尽くして、常住することができないからである。ゆえに、一切の行いは無常であり、長く留まることのない法であり、速やかに変化する法であり、頼りにすることのできない法である。このような諸々の行いに執着して楽しむべきではなく、それを憂い嫌い、捨て離れ、解脱を求めるべきである。」

「復次,有時二日出世,二日出時,諸溝渠川流皆悉竭盡,不得常住。是故一切行無常,不久住法、速變易法、不可猗法,如是諸行不當樂著,當患厭之,當求捨離,當求解脫。

また、時には二つの太陽が世に現れることがあります。二つの太陽が現れると、すべての溝や川の流れはことごとく枯れ果て、常に留まることはできません。それゆえ、すべての現象は無常であり、長く留まることのない法、速やかに変転する法、頼りにすることのできない法なのです。このような諸々の現象に執着して楽しむべきではなく、むしろそれを厭い離れ、捨て去ることを求め、解脱を求めるべきです。

「復次,有時三日出世,三日出時,諸大江河皆悉竭盡,不得常住。是故一切行無常,不久住法、速變易法,不可猗法,如是諸行不當樂著,當患厭之,當求捨離,當求解脫。

また、ある時には三日の太陽が世に現れ、三日の太陽が現れる時、すべての大河はことごとく枯れ尽き、常住することができません。それゆえに、一切の行は無常であり、久しく住むことのできない法、速やかに変易する法、頼りにすることのできない法です。このような諸行に楽しみ執着すべきではなく、患い厭うべきであり、捨て離れることを求め、解脱を求めるべきです。

「復次,有時四日出世,四日出時,諸大泉源從閻浮洲五河所出:一曰恒伽,二曰搖尤那,三曰舍牢浮,四曰阿夷羅婆提,五曰摩企,彼大泉源皆悉竭盡,不得常住。是故一切行無常,不久住法、速變易法,不可猗法,如是諸行不當樂著,當患厭之,當求捨離,當求解脫。

また、時に四つの太陽が世に現れることがあります。四つの太陽が現れるとき、あらゆる大きな泉の源は、閻浮洲の五つの河から湧き出るものですが、一つは恒伽、二つは搖尤那、三つは舍牢浮、四つは阿夷羅婆提、五つは摩企と言います。その大きな泉の源はすべて尽き果て、常住することができません。それゆえ、すべての行いは無常であり、長く留まることのない法、速やかに変易する法、頼りにすることのできない法なのです。このような諸々の行いに執着して楽しむべきではなく、むしろそれを厭い離れ、捨て去り、解脱を求めるべきです。

「復次,有時五日出世,五日出時,大海水減一百由延,轉減乃至七百由延;五日出時,海水餘有七百由延,轉減乃至一百由延;五日出時,大海水減一多羅樹,轉減乃至七多羅樹;五日出時,海水餘有七多羅樹,轉減乃至一多羅樹;五日出時,海水減一人,轉減乃至七人;五日出時,海水餘有七人,轉減乃至一人;五日出時,海水減至頸、至肩、至腰、至䐀、至膝、至踝,有時海水消盡,不足沒指。是故一切行無常,不久住法、速變易法、不可猗法,如是諸行不當樂著,當患厭之,當求捨離,當求解脫。

さらにまた、時に五つの太陽が現れることがある。五つの太陽が現れる時、大海の水は百由旬減り、次第に減ってついに七百由旬に至る。五つの太陽が現れる時、海水はまだ七百由旬残っているが、次第に減ってついに百由旬に至る。五つの太陽が現れる時、大海の水は一本の多羅樹の高さ分減り、次第に減ってついに七本の多羅樹の高さ分に至る。五つの太陽が現れる時、海水はまだ七本の多羅樹の高さ分残っているが、次第に減ってついに一本の多羅樹の高さ分に至る。五つの太陽が現れる時、海水は一人の身長分減り、次第に減ってついに七人の身長分に至る。五つの太陽が現れる時、海水はまだ七人の身長分残っているが、次第に減ってついに一人の身長分に至る。五つの太陽が現れる時、海水は首まで、肩まで、腰まで、腿まで、膝まで、足首まで減り、時に海水は消え尽きて、指を濡らすほどもなくなる。それゆえ、一切の行いは無常であり、久しく住むことのない法であり、速やかに変易する法であり、頼りとすることのできない法である。このような諸々の行いに執着して楽しむべきではなく、これを厭い離れ、捨て去ることを求め、解脱を求めるべきである。

「復次,有時六日出世,六日出時,一切大地須彌山王皆悉烟起,合為一烟,譬如陶師始爨竈時,皆悉烟起,合為一烟。如是六日出時,一切大地須彌山王皆悉烟起,合為一烟。是故一切行無常,不久住法、速變易法,不可猗法,如是諸行不當樂著,當患厭之,當求捨離,當求解脫。

さらにまた、時には六つの太陽が世に現れることがあります。六つの太陽が現れる時、すべての大地と須弥山王はみな煙を上げ、一つにまとまります。まるで陶芸師がかまどに火を焚き始める時、すべてが煙を上げ、一つにまとまるようなものです。このように六つの太陽が現れる時、すべての大地と須弥山王はみな煙を上げ、一つにまとまります。ですから、すべての現象は無常であり、長く留まることのない法、速やかに変化する法、頼りにできない法なのです。このような諸々の現象に執着して楽しむべきではなく、むしろそれらを厭い離れ、捨て去り、解脱を求めるべきです。

「復次,有時七日出世,七日出時,一切大地須彌山王洞燃俱熾,合為一㷿;如是七日出時,一切大地須彌山王洞燃俱熾,合為一㷿,風吹火㷿,乃至梵天。是時,晃昱諸天始生天者,不諳世間成敗,不見世間成敗,不知世間成敗,見大火已,皆恐怖毛竪而作是念:『火不來至此耶?火不來至此耶?』前生諸天諳世間成敗,見世間成敗,知世間成敗,見大火已,慰勞諸天曰:『莫得恐怖,火法齊彼,終不至此。』七日出時,須彌山王百由延崩散壞滅盡,二百由延、三百由延,乃至七百由延崩散壞滅盡;七日出時,須彌山王及此大地燒壞消滅,無餘栽燼,如燃酥油,煎熬消盡,無餘烟墨;如是七日出時,須彌山王及此大地無餘烖燼。是故一切行無常,不久住法、速變易法、不可猗法,如是諸行不當樂著,當患厭之,當求捨離,當求解脫。

また、時として七つの太陽が世に現れることがある。七つの太陽が現れる時、すべての大地と須弥山は、内部から燃え上がり、一つに溶け合って巨大な炎の塊となる。こうして七つの太陽が現れる時、すべての大地と須弥山は燃え上がり、一つに溶け合って炎の塊となり、風がその炎を煽り、ついには梵天の世界にまで達する。

その時、輝く天界に初めて生まれた天人は、世の成り立ちと滅びを知らず、見たこともなく、理解していない。彼らは巨大な炎を見て、恐怖に震え、毛を逆立ててこう思う。「炎はここまで来ないだろうか? 来はしないだろうか?」

しかし、以前から天界にいる天人たちは、世の成り立ちと滅びを知り、見て理解している。彼らは巨大な炎を見て、新たな天人たちを慰め、こう言う。「恐れることはない。炎はあの場所で収まるもので、決してここまでは来ない。」

七つの太陽が現れる時、須弥山は百由旬の高さから崩れ、散り、壊れ、滅び尽きる。二百由旬、三百由旬、そして七百由旬の高さからも崩れ、散り、壊れ、滅び尽きる。七つの太陽が現れる時、須弥山とこの大地は焼け崩れ、消え去り、何一つ残らない。まるで溶かした酥油が燃え尽き、何の煙も残さないように。こうして七つの太陽が現れる時、須弥山とこの大地は、何一つ残らずに消え去る。

だからこそ、すべての現象は無常であり、長く留まることなく、速やかに変化し、頼りにすることのできないものである。このような現象に執着してはならず、むしろ嫌悪し、捨て去り、解脱を求めるべきである。

「我今為汝說須彌山王當崩壞盡,誰有能信?唯見諦者耳,我今為汝說大海水當竭消盡,誰有能信?唯見諦者耳。我今為汝說一切大地當燒燃盡,誰有能信?唯見諦者耳。所以者何?比丘!昔有大師名曰善眼,為外道仙人之所師宗,捨離欲愛,得如意足。善眼大師有無量百千弟子,善眼大師為諸弟子說梵世法,若善眼大師為說梵世法時,諸弟子等有不具足奉行法者,彼命終已,或生四王天,或生三十三天,或生㷿摩天,或生兜率哆天,或生化樂天,或生他化樂天。若善眼大師為說梵世法時,諸弟子等設有具足奉行法者,彼修四梵室,捨離於欲,彼命終已,得生梵天。彼時善眼大師而作是念:『我不應與弟子等同俱至後世共生一處,我今寧可更修增上慈。修增上慈已,命終得生晃昱天中。』彼時善眼大師則於後時更修增上慈,修增上慈已,命終得生晃昱天中。善眼大師及諸弟子學道不虛,得大果報。

今、私はあなたにこう言おう。須弥山の王が崩れ尽きると、誰が信じられようか。ただ真理を見る者だけが信じるであろう。今、私はあなたにこう言おう。大海の水が枯れ尽きると、誰が信じられようか。ただ真理を見る者だけが信じるであろう。今、私はあなたにこう言おう。すべての大地が燃え尽きると、誰が信じられようか。ただ真理を見る者だけが信じるであろう。

なぜならば、比丘よ、昔に善眼という大師がいた。彼は外道の仙人たちの師であり、欲愛を捨て離れ、如意足を得ていた。善眼大師には無量百千の弟子がいた。大師は弟子たちに梵世の法を説いた。大師が梵世の法を説くとき、弟子たちの中で法を完全に実践しなかった者は、命終わって後、四王天に生まれ、あるいは三十三天に生まれ、㷿摩天に生まれ、兜率天に生まれ、化楽天に生まれ、他化楽天に生まれた。

しかし、大師が梵世の法を説くとき、弟子たちの中で法を完全に実践した者は、四つの梵室を修め、欲を捨て離れた。彼らは命終わって後、梵天に生まれた。

その時、善眼大師はこう考えた。「私は弟子たちと共に後世、同じところに生まれるべきではない。今、私はさらに上の慈しみを修めよう。増上の慈しみを修めたならば、命終わって晃昱天に生まれるであろう。」

そこで善眼大師はその後、さらに上の慈しみを修め、増上の慈しみを修めた後、命終わって晃昱天に生まれた。善眼大師とその弟子たちは、道を学ぶことが無駄ではなく、大きな果報を得たのである。

「諸比丘!於意云何?昔善眼大師為外道仙人之所師宗,捨離欲愛,得如意足者,汝謂異人耶?莫作斯念,當知即是我也。我於爾時名善眼大師,為外道仙人之所師宗,捨離欲愛,得如意足;我於爾時有無量百千弟子,我於爾時為諸弟子說梵世法。我說梵世法時,諸弟子等有不具足奉行法者,彼命終已,或生四王天,或生三十三天,或生㷿摩天,或生兜率哆天,或生化樂天,或生他化樂天。我說梵世法時,諸弟子等設有具足奉行法者,修四梵室,捨離於欲,彼命終已,得生梵天。我於爾時而作是念:『我不應與弟子等同俱至後世共生一處,我今寧可更修增上慈。修增上慈已,命終得生晃昱天中。』我於後時更修增上慈,修增上慈已,命終得生晃昱天中。我於爾時及諸弟子學道不虛,得大果報。我於爾時親行斯道,為自饒益,亦饒益他,饒益多人,愍傷世間,為天、為人求義及饒益,求安隱快樂,爾時說法不至究竟,不究竟白淨,不究竟梵行,不究竟梵行訖,爾時不離生、老、病、死、啼哭、憂慼,亦未能得脫一切苦。

諸比丘よ、どう思うか。昔、善眼大師という者がいて、外道の仙人たちの師と仰がれ、欲愛を捨て去り、如意足を得ていた。その者は別人だと思うか? そう考えてはならない。それはまさにこの私であったと知るがよい。

私はその時、善眼大師と名乗り、外道の仙人たちの師と仰がれ、欲愛を捨て去り、如意足を得ていた。その時、私は無量百千の弟子たちを有していた。私は弟子たちに梵世の法を説いたのである。

私が梵世の法を説いた時、弟子たちの中で法を完全には行じなかった者たちは、命終わった後、四王天か三十三天か焔摩天か兜率天か化楽天か他化楽天に生まれた。

私が梵世の法を説いた時、弟子たちの中で法を具足して行じ、四梵室を修め、欲を捨て去った者たちは、命終わった後、梵天に生まれることができた。

私はその時、こう考えた。『私は弟子たちと共に後世、同じ所に生まれるべきではない。今、私はさらに増上慈を修めよう。増上慈を修めたならば、命終わって晃昱天に生まれることができるだろう』と。

その後、私はさらに増上慈を修め、増上慈を修めた後、命終わって晃昱天に生まれた。

私はその時、弟子たちと共に、道を学ぶことが虚しくなかった。大きな果報を得たのである。私はその時、自らこの道を行じ、自らを益し、また他を益し、多くの人を益し、世間を憐れみ、天と人のために義と益と、安穏なる楽しみを求めた。

しかし、その時の説法は究竟に至らず、究竟の白浄ではなく、究竟の梵行ではなく、究竟の梵行を終えることなく、その時は生・老・病・死・啼哭・憂悩から離れることができず、また一切の苦から脱することはできなかったのである。

「比丘!我今出世,如來、無所著、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師,號佛、眾祐;我今自饒益,亦饒益他,饒益多人,愍傷世間,為天、為人求義及饒益,求安隱快樂;我今說法得至究竟,究竟白淨,究竟梵行;究竟梵行訖,我今已離生、老、病、死、啼哭、憂慼,我今已得脫一切苦。」

比丘よ、私は今、世に現れました。如来であり、執着なく、正しく目覚めた方であり、明行が完成され、善く逝き、世間を解し、無上の士であり、道法を御し、天と人の師であり、仏と号され、衆生を祐ける者です。

私は今、自らを益し、また他を益し、多くの人々を益し、世間を憐れみ傷み、天と人のために義と益を求め、安穏と快樂を求めます。

私は今、法を説き、究竟に至り、究竟に白く清く、究竟の梵行を成し遂げました。究竟の梵行を終え、私は今、生・老・病・死・啼哭・憂慼から離れ、一切の苦から脱し得たのです。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說,歡喜奉行。

このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

七日經第八竟(千七百一字)

七日経 第八巻 終わり(千七百一字)


7 世間福經
9 七車經

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