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中阿含経 (中阿含經)


(九)中阿含七法品七車經第九(初一日誦)

中阿含経 七法品 第七 車経

我聞如是:

私はこのように聞きました。

一時,佛遊王舍城,在竹林精舍,與大比丘眾共受夏坐,尊者滿慈子亦於生地受夏坐。是時,生地諸比丘受夏坐訖,過三月已,補治衣竟,攝衣持鉢,從生地出,向王舍城,展轉進前,至王舍城,住王舍城竹林精舍。

ある時、仏陀は王舎城の竹林精舎に滞在され、大比丘衆とともに雨安居を過ごしておられました。尊者満慈子も生地で雨安居をされていました。その時、生地の比丘たちは雨安居を終え、三ヶ月が過ぎて衣の補修を済ませ、衣を整え鉢を持ち、生地を出て王舎城へ向かい、道を進み続け、王舎城に到着し、王舎城の竹林精舎に滞在しました。

是時,生地諸比丘詣世尊所,稽首作禮,却坐一面。

その時、生地にいた比丘たちは世尊のもとを訪れ、礼拝してから一隅に座りました。

世尊問曰:「諸比丘!從何所來?何處夏坐?」

世尊はお尋ねになりました。「比丘たちよ、どこから来たのか?どこで雨安居を過ごしたのか?」

生地諸比丘白曰:「世尊!從生地來,於生地夏坐。」

生地の諸比丘は申し上げました。「世尊よ、生地からお越しになり、生地で夏安居をお過ごしになりました。」

世尊問曰:「於彼生地諸比丘中,何等比丘為諸比丘所共稱譽,自少欲、知足,稱說少欲、知足;自閑居,稱說閑居;自精進,稱說精進;自正念,稱說正念;自一心,稱說一心;自智慧,稱說智慧;自漏盡,稱說漏盡;自勸發渴仰、成就歡喜,稱說勸發渴仰、成就歡喜?」

世尊は尋ねられました。「比丘たちが暮らすこの地において、どのような比丘が、他の比丘たちから称賛されるのでしょうか。自ら少欲であり、足ることを知り、少欲と知足を説く者。自ら閑居を実践し、閑居の意義を説く者。自ら精進に励み、精進の大切さを説く者。自ら正念を保ち、正念の重要性を説く者。自ら心を一つに定め、心を統一することを説く者。自ら智慧を備え、智慧の価値を説く者。自ら煩悩を滅尽し、漏尽の境地を説く者。自ら人々の渇仰を促し、歓喜を成就させ、その教えを説く者。そのような比丘が、比丘たちから共に称賛されるのではないでしょうか。」

生地諸比丘白曰:「世尊!尊者滿慈子於彼生地,為諸比丘所共稱譽,自少欲、知足,稱說少欲、知足;自閑居,稱說閑居;自精進,稱說精進;自正念,稱說正念;自一心,稱說一心;自智慧,稱說智慧;自漏盡,稱說漏盡;自勸發渴仰、成就歡喜,稱說勸發渴仰、成就歡喜。」

生地の諸比丘が申し上げました。「世尊よ。尊者満慈子は、あの生地におりまして、諸比丘から共に称賛されております。自ら少欲であり、知足であり、少欲と知足を説き示し、自ら閑居し、閑居を説き示し、自ら精進し、精進を説き示し、自ら正念を保ち、正念を説き示し、自ら一心であり、一心を説き示し、自ら智慧に満ち、智慧を説き示し、自ら煩悩を尽くし、煩悩を尽くすことを説き示し、自ら人々の渇仰の心を勧め起こし、歓喜を成就させ、渇仰の心を勧め起こし歓喜を成就させることを説き示しておられます。」

是時,尊者舍梨子在眾中坐,尊者舍梨子作如是念:「世尊如事問彼生地諸比丘輩,生地諸比丘極大稱譽賢者滿慈子,自少欲、知足,稱說少欲、知足;自閑居,稱說閑居;自精進,稱說精進;自正念,稱說正念;自一心,稱說一心;自智慧,稱說智慧;自漏盡,稱說漏盡;自勸發渴仰、成就歡喜,稱說勸發渴仰,成就歡喜。」

その時、尊者舎利子は大衆の中に座っていた。尊者舎利子はこのように思った。「世尊は生地の比丘たちに事実に基づいてお尋ねになり、生地の比丘たちは賢者満慈子を大いに称賛している。自ら少欲・知足を実践し、少欲・知足を説き、自ら閑居を実践し、閑居を説き、自ら精進を実践し、精進を説き、自ら正念を実践し、正念を説き、自ら一心を実践し、一心を説き、自ら智慧を実践し、智慧を説き、自ら漏尽を実践し、漏尽を説き、自ら人々の渇仰を勧め発し、歓喜を成就させ、そのことを説いている。」

尊者舍梨子復作是念:「何時當得與賢者滿慈子共聚集會,問其少義,彼或能聽我之所問。」

尊者サーリプトラはさらにこう考えました。「いつになったら、賢者プンナ・マンターニプッタと共に集まり、少しだけ質問することができるだろうか。彼は私の問いを聞き入れてくれるかもしれない。」

爾時,世尊於王舍城受夏坐訖,過三月已,補治衣竟,攝衣持鉢,從王舍城出,向舍衛國,展轉進前,至舍衛國,即住勝林給孤獨園。尊者舍梨子與生地諸比丘於王舍城共住少日,攝衣持鉢,向舍衛國,展轉進前,至舍衛國,共住勝林給孤獨園。

その時、世尊は王舎城で雨安居を終えられ、三ヶ月が過ぎて衣の補修も済ませ、衣を整え鉢を持って王舎城を出発され、舎衛国へ向かわれた。道中を進み続け、舎衛国に到着すると、すぐに勝林給孤独園に滞在された。

一方、尊者舎利子は生地の比丘たちと共に王舎城でしばらく過ごした後、衣を整え鉢を持って舎衛国へ向かい、道中を進み続け、舎衛国に到着すると、勝林給孤独園で共に滞在された。

是時,尊者滿慈子於生地受夏坐訖,過三月已,補治衣竟,攝衣持鉢,從生地出,向舍衛國,展轉進前,至舍衛國,亦住勝林給孤獨園。尊者滿慈子詣世尊所,稽首作禮,於如來前敷尼師檀,結加趺坐。

その時、尊者プーナ・マンターニプッタは生地で雨安居を終え、三ヶ月が過ぎて衣を補修し終えると、衣を整え鉢を持ち、生地を出て舎衛国へと向かった。順々に進み、舎衛国に至り、勝林給孤独園に住した。尊者プーナ・マンターニプッタは世尊のもとに赴き、礼拝し、如来の前に敷物を敷いて結跏趺坐した。

時,尊者舍梨子問餘比丘:「諸賢!何者是賢者滿慈子耶?」

時、尊者舎利子は他の比丘に尋ねました。「皆さん、賢者満慈子とはどなたのことでしょうか?」

諸比丘白尊者舍梨子:「唯然,尊者在如來前坐,白皙隆鼻,如鸚鵡𠿘,即其人也。」

諸比丘は尊者舎利子に申し上げた。「その通りでございます。尊者は如来の御前に座っておられ、色白で鼻筋が通り、鸚鵡の嘴のようでございます。まさにその方でございます。」

時,尊者舍梨子知滿慈子色貌已,則善記念。

その時、尊者舎梨子は満慈子の表情を見て、よく心に留めた。

尊者滿慈子過夜平旦,著衣持鉢,入舍衛國而行乞食,食訖中後,還舉衣鉢,澡洗手足,以尼師檀著於肩上,至安陀林經行之處。尊者舍梨子亦過夜平旦,著衣持鉢,入舍衛國而行乞食,食訖中後,還舉衣鉢,澡洗手足,以尼師檀著於肩上,至安陀林經行之處。

尊者フルナは夜が明けると、衣をまとって鉢を持ち、舎衛国に入って托鉢を行いました。食事を終え、午後になると、衣と鉢を整え、手足を洗い清め、座布を肩にかけて、安陀林の経行の場へと向かいました。

尊者シャーリプトラもまた、夜が明けると、衣をまとって鉢を持ち、舎衛国に入って托鉢を行いました。食事を終え、午後になると、衣と鉢を整え、手足を洗い清め、座布を肩にかけて、安陀林の経行の場へと向かいました。

時,尊者滿慈子到安陀林,於一樹下敷尼師檀,結加趺坐。尊者舍梨子亦至安陀林,離滿慈子不遠,於一樹下敷尼師檀,結加趺坐。

その時、尊者プーナ・マンターニプッタはアンダ林に到り、一本の木の下に敷物を敷き、結跏趺坐をした。尊者サーリプッタもまたアンダ林に至り、プーナ・マンターニプッタから遠からぬところで、一本の木の下に敷物を敷き、結跏趺坐をした。

尊者舍梨子則於晡時從燕坐起,往詣尊者滿慈子所,共相問訊,却坐一面,則問尊者滿慈子曰:「賢者!從沙門瞿曇修梵行耶?」

舎梨子尊者は、午後の静かな時間に座禅を終え、満慈子尊者のもとを訪れました。互いに挨拶を交わし、一隅に座ると、満慈子尊者に尋ねました。「賢者よ、あなたは沙門瞿曇のもとで清らかな修行をなさっているのですか?」

答曰:「如是。」

「その通りです。」

「云何,賢者!以戒淨故,從沙門瞿曇修梵行耶?」

「賢者よ、戒律を清めることによって、沙門ゴータマのもとで清らかな行いを修めるのですか?」

答曰:「不也。」

いいえ、違います。

「以心淨故、以見淨故、以疑蓋淨故、以道非道知見淨故、以道跡知見淨故、以道跡斷智淨故,從沙門瞿曇修梵行耶?」

心が清らかであるから、見解が清らかであるから、疑いの覆いが清らかであるから、道と非道を知見することが清らかであるから、道の跡を知見することが清らかであるから、道の跡を断つ智慧が清らかであるから、沙門瞿曇のもとで清らかな行いを修めるのですか?

答曰:「不也。」

いいえ、違います。

又復問曰:「我向問賢者從沙門瞿曇修梵行耶?則言如是。今問賢者以戒淨故從沙門瞿曇修梵行耶?便言不也。以心淨故、以見淨故、以疑蓋淨故、以道非道知見淨故、以道跡知見淨故、以道跡斷智淨故,從沙門瞿曇修梵行耶?便言不也。然以何義,從沙門瞿曇修梵行耶?」

また尋ねて言いました。「私は先に、あなたは沙門瞿曇のもとで清らかな行いを修めているのですか、とお尋ねしました。すると『はい、その通りです』と答えられました。今、あなたは戒律を清めることによって沙門瞿曇のもとで修行しているのですか、と尋ねると、『いいえ、そうではありません』と言われました。では、心を清めるためですか、見解を清めるためですか、疑いの覆いを清めるためですか、道と非道を知り見極める智慧を清めるためですか、道の跡を知り見極める智慧を清めるためですか、それとも道の跡を断つ智慧を清めるためですか、と尋ねても、すべて『いいえ、そうではありません』と答えられます。では、いったいどのような意味で、沙門瞿曇のもとで清らかな行いを修めているというのですか?」

答曰:「賢者!以無餘涅槃故。」

お答えします。「賢者よ、それは無余涅槃のゆえにです。」

又復問曰:「云何,賢者!以戒淨故,沙門瞿曇施設無餘涅槃耶?」

また、賢者にお尋ねします。「戒を清めることによって、沙門瞿曇は無余涅槃を説かれるのでしょうか?」

答曰:「不也。」

いいえ、違います。

「以心淨故、以見淨故、以疑蓋淨故、以道非道知見淨故、以道跡知見淨故、以道跡斷智淨故,沙門瞿曇施設無餘涅槃耶?」

心が清らかであることによって、見解が清らかであることによって、疑いの覆いが清らかであることによって、道と非道を知る見解が清らかであることによって、道の跡を知る見解が清らかであることによって、道の跡を断つ智慧が清らかであることによって、沙門瞿曇は無余涅槃を説かれるのですか?

答曰:「不也。」

いいえ、違います。

又復問曰:「我向問仁,云何賢者以戒淨故,沙門瞿曇施設無餘涅槃耶?賢者言不。以心淨故、以見淨故、以疑蓋淨故、以道非道知見淨故、以道跡知見淨故、以道跡斷智淨故,沙門瞿曇施設無餘涅槃耶?賢者言不。賢者所說為是何義?云何得知?」

またさらに問いました。「私は先ほど、賢者よ、戒律を清浄にするゆえに、沙門瞿曇(釈尊)は無余涅槃を説かれたのですか、と尋ねました。賢者は『いいえ』と答えられました。では、心を清浄にするゆえに、見解を清浄にするゆえに、疑いの覆いを清浄にするゆえに、道と非道を知見し清浄にするゆえに、道の跡を知見し清浄にするゆえに、道の跡によって断じる智慧を清浄にするゆえに、沙門瞿曇は無余涅槃を説かれたのですか、と尋ねました。賢者はやはり『いいえ』と答えられました。賢者のおっしゃる意味は何でしょうか。どうすればその真意を理解できるのでしょうか。」

答曰:「賢者!若以戒淨故,世尊沙門瞿曇施設無餘涅槃者,則以有餘稱說無餘;以心淨故、以見淨故、以疑蓋淨故、以道非道知見淨故、以道跡知見淨故、以道跡斷智淨故,世尊沙門瞿曇施設無餘涅槃者,則以有餘稱說無餘。賢者!若離此法,世尊施設無餘涅槃者,則凡夫亦當般涅槃,以凡夫亦離此法故。賢者!但以戒淨故,得心淨,以心淨故,得見淨,以見淨故,得疑蓋淨,以疑葢淨故,得道非道知見淨,以道非道知見淨故,得道跡知見淨,以道跡知見淨故,得道跡斷智淨,以道跡斷智淨故,世尊沙門瞿曇施設無餘涅槃也。

賢者よ、もし戒の清浄を以て、世尊沙門瞿曇が無余涅槃を説かれたのならば、それは有余をもって無余と称することになります。心の清浄を以て、見の清浄を以て、疑いの覆いの清浄を以て、道と非道を知見する清浄を以て、道の跡を知見する清浄を以て、道の跡を断ずる智の清浄を以て、世尊沙門瞿曇が無余涅槃を説かれたのならば、それはやはり有余をもって無余と称することになるのです。

賢者よ、もしこの法を離れて、世尊が無余涅槃を説かれたのならば、凡夫もまた涅槃に入るはずです。なぜなら凡夫もまたこの法を離れているからです。

賢者よ、ただ戒の清浄によって、心の清浄を得、心の清浄によって、見の清浄を得、見の清浄によって、疑いの覆いの清浄を得、疑いの覆いの清浄によって、道と非道を知見する清浄を得、道と非道を知見する清浄によって、道の跡を知見する清浄を得、道の跡を知見する清浄によって、道の跡を断ずる智の清浄を得るのです。この道の跡を断ずる智の清浄によってこそ、世尊沙門瞿曇は無余涅槃を説かれるのです。

「賢者!復聽。昔拘薩羅王波斯匿在舍衛國,於婆雞帝有事,彼作是念:『以何方便,令一日行,從舍衛國至婆雞帝耶?』復作是念:『我今寧可從舍衛國至婆雞帝,於其中間布置七車。』爾時,即從舍衛國至婆雞帝,於其中間布置七車。布七車已,從舍衛國出,至初車,乘初車,至第二車,捨初車,乘第二車,至第三車,捨第二車,乘第三車,至第四車,捨第三車,乘第四車,至第五車,捨第四車,乘第五車,至第六車,捨第五車,乘第六車,至第七車,乘第七車,於一日中至婆雞帝。

賢者よ、さらに聞きなさい。昔、コーサラ国のパセーナディ王が、舎衛城にいて、バーケーティのことを考えていた時のことです。王はこう思いました。「どうすれば、一日で舎衛城からバーケーティまで行けるだろうか?」そして、さらにこう考えました。「よし、舎衛城からバーケーティまでの間に、七台の車を配置しよう。」

そこで、王は舎衛城からバーケーティまでの間に、七台の車を配置しました。七台の車を配置し終えると、舎衛城を出発し、最初の車まで行き、その車に乗って第二の車まで行きました。最初の車を降り、第二の車に乗り、第三の車まで行きました。第二の車を降り、第三の車に乗り、第四の車まで行きました。第三の車を降り、第四の車に乗り、第五の車まで行きました。第四の車を降り、第五の車に乗り、第六の車まで行きました。第五の車を降り、第六の車に乗り、第七の車まで行きました。第七の車に乗り、一日でバーケーティに到着したのです。

「彼於婆雞帝辦其事已,大臣圍繞,坐王正殿,群臣白曰:『云何,天王!以一日行從舍衛國至婆雞帝耶?』王曰:『如是。』『云何,天王!乘第一車一日從舍衛國至婆雞帝耶?』王曰:『不也。』『乘第二車乘第三車至第七車,從舍衛國至婆雞帝耶?』王曰:『不也。』云何,賢者!拘薩羅王波斯匿群臣復問,當云何說?

彼はバーギティにてその務めを果たし、大臣たちに囲まれて王の正殿に座ると、群臣が申し上げた。「いかがですか、天王。一日で舎衛国からバーギティまで行かれたのですか。」王は言った。「その通りだ。」「いかがですか、天王。第一の車に乗って一日で舎衛国からバーギティまで行かれたのですか。」王は言った。「そうではない。」「第二の車、第三の車、第七の車に乗って舎衛国からバーギティまで行かれたのですか。」王は言った。「そうではない。」さて、賢者よ、コーサラ国の王パセーナディの群臣が再び尋ねた。この問いにはどのように答えるべきでしょうか。

「王答群臣:『我在舍衛國,於婆雞帝有事,我作是念:「以何方便,令一日行,從舍衛國至婆雞帝耶?」我復作是念:「我今寧可從舍衛國至婆雞帝,於其中間布置七車。」我時即從舍衛國至婆雞帝,於其中間布置七車。布七車已,從舍衛國出,至初車,乘初車,至第二車,捨初車,乘第二車,至第三車,捨第二車,乘第三車,至第四車,捨第三車,乘第四車,至第五車,捨第四車,乘第五車,至第六車,捨第五車,乘第六車,至第七車,乘第七車,於一日中至婆雞帝。』

王は家臣たちに答えました。 『私は舎衛国にいて、婆鶏帝に用事がありました。そこで私は考えました。 「どうしたら、一日で舎衛国から婆鶏帝まで行けるだろうか?」 私はさらに考えました。 「今、舎衛国から婆鶏帝までの間に、七台の車を用意したらどうだろうか」 そこで私はすぐに、舎衛国から婆鶏帝までの間に七台の車を用意しました。 七台の車を用意した後、舎衛国を出発し、最初の車まで行きました。最初の車に乗り、第二の車まで行くと、最初の車を降りて第二の車に乗り換えました。第三の車まで行くと、第二の車を降りて第三の車に乗り換えました。第四の車まで行くと、第三の車を降りて第四の車に乗り換えました。第五の車まで行くと、第四の車を降りて第五の車に乗り換えました。第六の車まで行くと、第五の車を降りて第六の車に乗り換えました。第七の車に乗り換え、一日で婆鶏帝に到着しました。』

「如是,賢者!拘薩羅王波斯匿答對群臣所問如是。如是,賢者!以戒淨故,得心淨,以心淨故,得見淨,以見淨故,得疑蓋淨,以疑葢淨故,得道非道知見淨,以道非道知見淨故,得道跡知見淨,以道跡知見淨故,得道跡斷智淨,以道跡斷智淨故,世尊施設無餘涅槃。」

かくのごとく、賢者よ。コーサラ国の王パセーナディは、家臣たちの問いにこのように答えたのである。

かくのごとく、賢者よ。戒を清めることによって、心が清らかになる。心が清らかになることによって、見解が清らかになる。見解が清らかになることによって、疑いの覆いが清らかになる。疑いの覆いが清らかになることによって、道と非道を知り見る清らかさを得る。道と非道を知り見る清らかさを得ることによって、道の跡を知り見る清らかさを得る。道の跡を知り見る清らかさを得ることによって、道の跡を断つ智慧の清らかさを得る。道の跡を断つ智慧の清らかさを得ることによって、世尊は残ることなき涅槃を説かれたのである。

於是,尊者舍梨子問尊者滿慈子:「賢者名何等?諸梵行人云何稱賢者耶?」

そこで、尊者舎利子は尊者満慈子に尋ねました。「あなたはどのような名前をお持ちですか?修行者たちはあなたをどのようにお呼びしますか?」

尊者滿慈子答曰:「賢者!我號滿也。我母名慈,故諸梵行人稱我為滿慈子。」

尊者満慈子は答えて言いました。「賢者よ、私は満と呼ばれています。私の母の名は慈であり、それゆえに清らかな修行者たちは私を満慈子と呼ぶのです。」

尊者舍梨子歎曰:「善哉,善哉!賢者滿慈子,為如來弟子,所作智辯聰明決定,安隱無畏,成就調御,逮大辯才,得甘露幢,於甘露界自作證成就遊,以問賢者甚深義盡能報故。賢者滿慈子!諸梵行人為得大利,得值賢者滿慈子,隨時往見,隨時禮拜,我今亦得大利,隨時往見,隨時禮拜。諸梵行人應當縈衣頂上戴賢者滿慈子,為得大利,我今亦得大利,隨時往見,隨時禮拜。」

尊者舎梨子は感嘆して言いました。「善きかな、善きかな!賢者満慈子よ。あなたは如来の弟子として、知恵と弁舌に優れ、明らかに物事を決定し、心安らかで畏れることなく、調御を成就し、大いなる弁才を得て、甘露の幢を得、甘露の境地において自ら証し成就して遊んでいる。深遠な意義を問うに、ことごとくよく答えることができるからである。賢者満慈子よ。清らかな行いをなす者たちは、大いなる利益を得る。賢者満慈子に値い、時を選ばずに会いに行き、時を選ばずに礼拝することができる。私も今、大いなる利益を得た。時を選ばずに会いに行き、時を選ばずに礼拝することができる。清らかな行いをなす者たちは、衣をまとって頭の上に賢者満慈子を戴くべきである。大いなる利益を得るためである。私も今、大いなる利益を得た。時を選ばずに会いに行き、時を選ばずに礼拝することができる。」

尊者滿慈子問尊者舍梨子:「賢者名何等,諸梵行人云何稱賢者耶?」

尊者満慈子が尊者舎利子にお尋ねになりました:「賢者よ、あなたはどのようなお名前で、修行者たちはあなたをどのようにお呼びになるのですか?」

尊者舍梨子答曰:「賢者!我字優波鞮舍,我母名舍梨,故諸梵行人稱我為舍梨子。」

尊者シャーリプトラは答えました。「賢者よ、私の名はウパティッシャといい、母の名はシャーリーです。そのため、修行者たちは私をシャーリプトラ(シャーリーの子)と呼ぶのです。」

尊者滿慈子歎曰:「我今與世尊弟子共論而不知,第二尊共論而不知,法將共論而不知,轉法輪復轉弟子共論而不知。若我知尊者舍梨子者,不能答一句,況復爾所深論?善哉,善哉!尊者舍梨子!為如來弟子,所作智辯聰明決定,安隱無畏、成就調御、逮大辯才、得甘露幢,於甘露界自作證成就遊,以尊者甚深甚深問故。尊者舍梨子!諸梵行人為得大利,得值尊者舍梨子,隨時往見,隨時禮拜,我今亦得大利,隨時往見,隨時禮拜。諸梵行人應當縈衣頂上戴尊者舍梨子,為得大利,我今亦得大利,隨時往見,隨時禮拜。」

尊者満慈子は感嘆して言いました。「私は今、世尊の弟子と共に論じても分からず、第二の尊い方と共に論じても分からず、法の大将と共に論じても分からず、法輪を転じ再び転ずる弟子と共に論じても分かりません。もし私が尊者舎利子のことを知っていたなら、一句さえ答えることができなかったでしょう。ましてやこのような深遠な論議など、とても及びません。善きかな、善きかな!尊者舎利子よ。あなたは如来の弟子として、智慧の弁舌に優れ、聡明で確固たるもの、安らかで畏れることなく、調御を成就し、大いなる弁才を得て、甘露の幢を手にし、甘露の境地において自ら証し成就して遊行しておられます。尊者がこのような甚深なる問いをされたからです。尊者舎利子よ、清らかな行いをなす者たちは、大きな利益を得ました。尊者舎利子に値遇し、いつでもお会いし、いつでも礼拝することができるのです。私も今、大きな利益を得ました。いつでもお会いし、いつでも礼拝することができます。清らかな行いをなす者たちは、衣を頭に戴き、尊者舎利子を頂くべきです。大きな利益を得るためです。私も今、大きな利益を得ました。いつでもお会いし、いつでも礼拝することができます。」

如是二賢更相稱說,更相讚善已,歡喜奉行,即從坐起,各還所止。

この二人の賢者は互いに称え合い、互いに讃え合い、喜び勇んで教えを実践し、座から立ち上がり、それぞれの住処へと帰っていきました。

七車經第九竟(二千五百八字)

七車経第九終了(二千五百五十八字)


8 七日經
10 漏盡經

CBETA コード: T0026

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