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title: "中阿含經 · 26 瞿尼師經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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## 中阿含經卷第六

> 中部経典 第六巻

東晉罽賓三藏瞿曇僧伽提婆譯

> 東晋・罽賓三蔵・瞿曇僧伽提婆 訳

### （二六）舍梨子相應品瞿尼師經第六初一日誦

> 瞿尼師経第六

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊王舍城，在竹林迦蘭哆園。

> ある時、仏陀は王舎城の竹林精舎におられた。

爾時，瞿尼師比丘亦遊王舍城，在無事室，調笑、憍慠，躁擾、喜忘，心如獼猴。瞿尼師比丘為少緣故，至王舍城，是時尊者舍梨子與比丘眾俱，中食已後，因小事故，集在講堂。瞿尼師比丘於王舍城所作已訖，往詣講堂。

> その時、瞿尼師比丘もまた王舎城に遊行し、無事室に住んでいたが、ふざけたり、おごり高ぶったり、そわそわと落ち着きなく、すぐに忘れてしまい、心はまるで猿のようであった。瞿尼師比丘は用事があって王舎城に来ていたが、ちょうど尊者舎利子が比丘たちとともに昼食を終え、ちょっとした用事で講堂に集まっていた。瞿尼師比丘は王舎城での用事を済ませ、講堂へと向かった。

尊者舍梨子遙見瞿尼師來已，因瞿尼師告諸比丘：「諸賢！無事比丘行於無事，當學敬重而隨順觀。諸賢！若無事比丘行於無事，多不敬重，不隨順觀者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，多不敬重，不隨順觀，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學敬重，令隨順觀。

> 尊者サーリプッタは、遠くからグニシがやってくるのを見て、グニシを通して比丘たちに告げました。 「皆さん、何もすることがない比丘が、何もせずに過ごすときは、敬いの心を持ち、よく観察しながら過ごすことを学ばなければなりません。 皆さん、もし何もすることがない比丘が、何もせずに過ごすとき、敬いの心を持たず、よく観察しないならば、他の比丘から非難され、問い詰められることになります。『この人は何もすることがないのに、なぜ何もせずに過ごしているのか？なぜなら、この人は何もすることがないのに、何もせずに過ごし、敬いの心を持たず、よく観察していないからです。もし僧団の中に来ても、やはり比丘たちから非難され、問い詰められるでしょう。』 ですから、皆さん、何もすることがない比丘が、何もせずに過ごすときは、敬いの心を持ち、よく観察することを学ばなければなりません。」

「諸賢！無事比丘行於無事，當學不調笑而不躁擾。諸賢！若無事比丘行於無事，多行調笑而躁擾者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，多行調笑及於躁擾，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學不調笑，令不躁擾。

> 諸賢よ、無事の比丘が無事の境地を歩むならば、戯れを慎み、心を乱さぬことを学ばねばなりません。諸賢よ、もし無事の比丘が無事の境地を歩みながら、戯れにふけり心を乱すならば、他の比丘たちからこう咎められ、責められるでしょう。『この賢者は無事の身でありながら、なぜ無事の境地を歩むのか？なぜなら、この賢者は無事の身でありながら無事の境地を歩み、戯れにふけり心を乱している。もし修行僧の集いに臨んでも、やはり比丘たちから咎められ、責められることになるだろう』と。ですから、諸賢よ、無事の比丘が無事の境地を歩むならば、戯れを慎み、心を乱さぬよう学ばねばなりません。

「諸賢！無事比丘行於無事，當學不畜生論。諸賢！若無事比丘行於無事，多畜生論者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，多畜生論，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學不畜生論。

> 諸賢よ、無事の比丘が無事の境地に住むならば、畜生の論議をしないことを学ばねばなりません。諸賢よ、もし無事の比丘が無事の境地に住みながら、多く畜生の論議をするならば、その比丘は他の比丘たちから叱責され、詰問されることになるでしょう。『この賢者は無事であるはずなのに、なぜ無事の境地に住みながら、畜生の論議を多くするのか。なぜなら、この賢者は無事でありながら無事の境地に住み、多く畜生の論議をするので、もし僧団の中に来ても、やはり比丘たちから叱責され、詰問されることになるからである。』それゆえ、諸賢よ、無事の比丘が無事の境地に住むならば、畜生の論議をしないことを学ばねばなりません。

「諸賢！無事比丘行於無事，當學不憍慠及少言說。諸賢！若無事比丘行於無事，多行憍慠，多言說者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，多行憍慠及多言說，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學不憍慠及少言說。

> 諸賢よ、無事の比丘が無事の境地に住むならば、驕り高ぶらず、多くを語らぬことを学ぶべきである。諸賢よ、もし無事の比丘が無事の境地に住みながら、しばしば驕り高ぶり、しばしば多くを語るならば、その比丘は他の比丘たちから咎められ、責められることになるであろう。『この賢者は無事の境地にありながら、なぜ無事の行を為すのか？その理由は何か？この賢者は無事の境地にありながら、驕り高ぶり、多くを語る。もし僧伽の中に至れば、やはり比丘たちから咎められ、責められるであろう。』それゆえ、諸賢よ、無事の比丘が無事の境地に住むならば、驕り高ぶらず、多くを語らぬことを学ぶべきである。

「諸賢！無事比丘行於無事，當學護諸根。諸賢！若無事比丘行於無事，多不護諸根者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，多不護諸根，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學護諸根。

> 皆さん、何もせずにいる比丘が何もせずにいるならば、諸々の感覚器官を守ることを学ばなければなりません。皆さん、もし何もせずにいる比丘が何もせずにいるのに、諸々の感覚器官をあまり守らないならば、他の比丘たちからこう非難され、責められることになります：『この方は何もしていないのに、なぜ何もせずにいるのですか？どうしてそう言えるかというと、この方は何もしていないのに何もせずにいて、諸々の感覚器官をあまり守っていないからです。もし僧団の中に来たとしても、やはり比丘たちから非難され、責められることになるでしょう。』ですから、皆さん、何もせずにいる比丘が何もせずにいるならば、諸々の感覚器官を守ることを学ばなければなりません。

「諸賢！無事比丘行於無事，當學食知止足。諸賢！若無事比丘行於無事，貪餘多食，不知足者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，貪餘多食，不知止足，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學食知止足。

> 諸賢よ、無事に生きる比丘は、食において知足を学ばねばなりません。もし、無事に生きる比丘が、余分な食べ物に貪り、満足を知らなければ、他の比丘たちからこう咎められるでしょう。『この人は無事に生きているのに、なぜ無事に生きようとするのか。なぜなら、この人は無事に生きながら、余分な食べ物に貪り、満足を知らないからだ。もし彼が僧伽の中に来れば、比丘たちから咎められるだろう』と。 ですから、諸賢よ、無事に生きる比丘は、食において知足を学ばねばならないのです。

「諸賢！無事比丘行於無事，當學精進而不懈怠。諸賢！若無事比丘行於無事，多不精進而懈怠者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，多不精進而反懈怠，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學精進而不懈怠。

> 諸賢よ、無事の比丘が無事の境地に住むならば、精進を学び、怠けずに励まねばなりません。諸賢よ、もし無事の比丘が無事の境地に住みながら、精進せずに怠けがちであるならば、その比丘は他の比丘たちからこう咎められ、責められるでしょう：『この賢者は無事の境地にありながら、なぜ無事の行いをしないのか。なぜなら、この賢者は無事の境地にありながら、無事の行いをせず、精進もせず、かえって怠けているからだ。もし僧伽の集いに臨んでも、やはり比丘たちから咎められ、責められることになるだろう。』それゆえ、諸賢よ、無事の比丘が無事の境地に住むならば、精進を学び、怠けずに励まねばなりません。

「諸賢！無事比丘行於無事，當學正念及正智也。諸賢！若無事比丘行於無事，多無正念，無正智者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，多無正念及無正智，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學正念及正智也。

> 諸賢よ、静かな場所に住む比丘は、静かな場所で修行するにあたり、正しい気づきと正しい智慧を学ぶべきです。諸賢よ、もし静かな場所に住む比丘が、静かな場所で修行するとき、正しい気づきも正しい智慧も欠いているならば、他の比丘たちから非難され、問い詰められることでしょう。『この方は静かな場所に住む者でありながら、なぜ静かな場所で修行するのか？なぜなら、この方は静かな場所に住み、静かな場所で修行しながら、正しい気づきも正しい智慧も欠いているからです。もし僧団の中に来たとしても、やはり比丘たちから非難され、問い詰められるでしょう。』それゆえ、諸賢よ、静かな場所に住む比丘は、静かな場所で修行するにあたり、正しい気づきと正しい智慧を学ぶべきです。

「諸賢！無事比丘行於無事，當學知時及善時也。不早入村而行乞食，亦不晚出。諸賢！若無事比丘行於無事，早入村邑而行乞食，又晚出者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，早入村邑而行乞食，又復晚出，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學知時及善時也。

> 皆さん、何もせずにいる修行僧が何もしない状態でいるなら、時を知り、良い時をわきまえることを学ばねばなりません。早すぎる時間に村に入って托鉢をしてはいけませんし、遅すぎる時間に出て行ってもいけません。皆さん、もし何もせずにいる修行僧が何もしない状態でいながら、早すぎる時間に村や町に入って托鉢し、さらに遅く出て行くなら、それは修行僧たちから叱られ、責められることになります。『この方は何もしていないのに、なぜ何もしない状態でいるのですか？どうしてそう言えるかというと、この方は何もしていないのに、何もしない状態でいて、早すぎる時間に村や町に入って托鉢し、さらに遅く出て行くからです。もし修行僧の集まりの中に来たとしても、やはり修行僧たちから叱られ、責められることになるでしょう。』ですから、皆さん、何もせずにいる修行僧が何もしない状態でいるなら、時を知り、良い時をわきまえることを学ばねばなりません。

「諸賢！無事比丘行於無事，當學知坐及善坐也，不逼長老坐，為小比丘訶。諸賢！若無事比丘行於無事，逼長老坐，為小比丘訶者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，逼長老坐，為小比丘訶，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學知坐及善坐也。

> 皆さん、何もせずに過ごす比丘は、何もせずに過ごすならば、座り方を知り、上手に座ることを学ばなければなりません。年長の比丘の座席を奪ったり、若い比丘を叱ったりしてはいけません。皆さん、もし何もせずに過ごす比丘が、何もせずに過ごしながら、年長の比丘の座席を奪い、若い比丘を叱るようなことがあれば、その比丘は他の比丘たちから叱られ、責められることになるでしょう。『この方は何もせずに過ごしているのに、どうしてそんなことをするのですか。なぜなら、この方は何もせずに過ごしながら、年長の比丘の座席を奪い、若い比丘を叱るからです。もし僧団の中にいれば、他の比丘たちからも叱られ、責められるでしょう。』だからこそ、皆さん、何もせずに過ごす比丘は、何もせずに過ごすならば、座り方を知り、上手に座ることを学ばなければならないのです。

「諸賢！無事比丘行於無事，當學共論律、阿毘曇。何以故？諸賢！無事比丘行於無事時，或有來問律、阿毘曇。諸賢！若無事比丘行於無事，不知答律、阿毘曇者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，不知答律及阿毘曇，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學共論律、阿毘曇。

> 皆さん、何もすることがない比丘が何もせずに過ごすときは、律と阿毘曇について学び、議論すべきです。なぜなら、皆さん、何もすることがない比丘が何もせずに過ごしていると、誰かが律や阿毘曇について尋ねてくることがあるからです。皆さん、もし何もすることがない比丘が何もせずに過ごしていて、律や阿毘曇について答えることができなければ、他の比丘たちから叱られ、責められることになります。『この方は何もすることがないのに、なぜ何もせずに過ごしているのですか。なぜなら、この方は何もすることがないのに何もせずに過ごし、律や阿毘曇について答えることができないからです。もし集会の場に出れば、やはり比丘たちから叱られ、責められることになるでしょう。』ですから、皆さん、何もすることがない比丘が何もせずに過ごすときは、律と阿毘曇について学び、議論すべきなのです。

「諸賢！無事比丘行於無事，當學共論息解脫，離色至無色定。何以故？諸賢！無事比丘行於無事時，或有來問息解脫，離色至無色定。諸賢！若無事比丘行於無事，不知答息解脫，離色至無色定者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，不知答息解脫，離色至無色定，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學共論息解脫，離色至無色定。

> 諸賢よ、無事に過ごす比丘は、無事に過ごす中にあっても、共に論じ合うべきことを学ばねばならない。それは、色を離れ、無色の定に至るまでの、息解脱についてである。なぜならば、諸賢よ、無事に過ごす比丘が無事に過ごしている時、誰かが訪ねてきて、色を離れ、無色の定に至るまでの息解脱について問うかもしれないからだ。諸賢よ、もし無事に過ごす比丘が無事に過ごしながら、色を離れ、無色の定に至るまでの息解脱について答えられないならば、その比丘は他の比丘から非難され、詰問されることになるであろう。『この賢者は無事に過ごしているというのに、何のために無事に過ごしているのか。なぜなら、この賢者は無事に過ごしながら、色を離れ、無色の定に至るまでの息解脱について答えられない。もし僧団の中に出ても、やはり比丘たちから非難され、詰問されることになるからだ。』 それゆえ、諸賢よ、無事に過ごす比丘は、無事に過ごす中にあっても、共に論じ合うべきことを学ばねばならない。それは、色を離れ、無色の定に至るまでの、息解脱についてである。

「諸賢！無事比丘行於無事，當學共論漏盡智通。何以故？諸賢！無事比丘行於無事時，或有來問漏盡智通。諸賢！若無事比丘行於無事，而不知答漏盡智通者，則致比丘訶數詰責：『此賢無事，何為行無事？所以者何？此賢無事，行於無事，而不知答漏盡智通，若至眾中，亦致比丘訶數詰責。』是故，諸賢！無事比丘行於無事，當學共論漏盡智通。」

> 諸賢よ、閑静な境地に住む比丘は、漏れ尽きる智慧の通達について学び、互いに語り合うべきです。なぜならば、諸賢よ、閑静な境地に住む比丘がそのような生活を送っていると、時には漏れ尽きる智慧の通達について尋ねられることがあるからです。諸賢よ、もし閑静な境地に住む比丘が、漏れ尽きる智慧の通達について答えることができなければ、他の比丘から非難され、問い詰められることになるでしょう。『この方は閑静な境地に住んでいるのに、なぜそのような生活を送っているのか。この方は閑静な境地に住みながら、漏れ尽きる智慧の通達について答えることができない。もし大衆の中に至ったとしても、やはり比丘たちから非難され、問い詰められることになるだろう』と。ですから、諸賢よ、閑静な境地に住む比丘は、漏れ尽きる智慧の通達について学び、互いに語り合うべきなのです。

是時，尊者大目揵連亦在眾中，尊者大目乾連白曰：「尊者舍梨子！但無事比丘行於無事，應學如是法，非謂人間比丘耶？」

> その時、尊者マハー・モッガラーナもまた大衆の中におられました。尊者マハー・モッガラーナは申し上げました。「尊者サーリプッタよ、ただ無事の境地に住む比丘のみが、このような法を学ぶべきであり、人間の世界に住む比丘はそうではない、ということでしょうか？」

尊者舍梨子答曰：「尊者大目乾連！無事比丘行於無事，尚學如是法，况復人間比丘耶？」

> 尊者シャーリプトラは答えられました。「尊者マハーマウドガリヤーヤナよ、世俗を離れた修行者が世俗を離れた境地でさえ、このような教えを学ぶのです。ましてや、人間界に住む比丘たちにとってなおさらのことではありませんか？」

如是二尊更相稱說，讚歎善哉，聞所說已，從座起去。

> このように二尊は互いに称え合い、善きかなと讃嘆し、説法を聞き終えると、座から立ち上がって去っていきました。

敬重、無調笑 不畜生論、慠護根、食知足 精進、正念智知時、亦善坐 論律阿毘曇及說息解脫 漏盡通亦然

> 尊敬と重んじること、軽々しい笑いを慎むこと、 畜生のような議論や傲慢さを避けること。 感官を護り、食は足るを知ること、 精進し、正念と智慧を保つこと。 時を知り、また善く坐すること、 経律論の教えを学び、 解脱への道を説き示すこと、 煩悩の尽きた境地に通じること。

瞿尼師經第六竟千七百四十字

> 瞿尼師経　第六巻　終わり<note>千七百四十字</note>