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阿毘達磨倶舎論 (阿毘達磨俱舍論)


阿毘達磨俱舍論卷第十一

阿毘達磨倶舎論 巻第十一

尊者世親造

尊者世親造

三藏法師玄奘奉 詔譯

三蔵法師玄奘奉詔訳

分別世品第三之四

第三分別世間品 第四節

如是已說有情世間。器世間今當說。頌曰:

かくのごとく衆生の世界について述べました。 次に、器の世界(物質的な環境世界)について説きましょう。 偈頌に曰く:

安立器世間, 風輪最居下,
其量廣無數, 厚十六洛叉,
次上水輪深, 十一億二萬,
下八洛叉水, 餘凝結成金,
此水金輪廣, 徑十二洛叉,
三千四百半, 周圍此三倍。

安立された器世間、 その最下には風輪がある。 その広さは数えきれず、 厚さは十六洛叉。

その上に水輪あり、深さは 十一億二万洛叉。 下の八洛叉は水、 残りは固まって金となる。

この水輪と金輪の広さは、 直径十二洛叉に 三千四百半を加えたもの。 その周囲は、この三倍である。

論曰:許此三千大千世界如是安立形量不同。謂諸有情業增上力,先於最下依止虛空有風輪生,廣無數、厚十六億踰繕那。如是風輪其體堅密,假設有一大諾健那,以金剛輪奮威懸擊,金剛有碎風輪無損。又諸有情業增上力,起大雲雨澍風輪上,滴如車軸積水成輪。如是水輪於未凝結位,深十一億二萬踰繕那。如何水輪不傍流散?有餘師說:一切有情業力所持令不流散。如所飲食未熟變時,終不流移墮於熟藏。有餘部說:由風所持令不流散,如篅持穀。有情業力感別風起,搏擊此水上結成金,如熟乳停上凝成膜,故水輪減唯厚八洛叉,餘轉成金,厚三億二萬。二輪廣量其數是同,謂徑十二億三千四百半。周圍其邊數成三倍,謂周圍量成三十六億一萬三百五十踰繕那。頌曰:

論じていわく、この三千大千世界がこのように安立し、形状や大きさが異なると許される。すなわち、諸々の有情の業の増上力によって、まず最も下において虚空に依止して風輪が生じる。その広さは無数、厚さは十六億ヨージャナである。このような風輪はその体が堅固で密であり、たとえ一つの大きな諾健那(ナーガ)が金剛の輪を奮って力強く打ち付けようとも、金剛は砕けても風輪には損傷がない。また、諸々の有情の業の増上力によって、大いなる雲雨が起こり風輪の上に注ぐ。その滴は車軸のようで、水が積もって水輪となる。この水輪はまだ凝結していない段階において、深さ十一億二万ヨージャナである。どうして水輪は傍らに流れ散らないのか? ある他の師は説く、「一切の有情の業力によって支えられているから、流れ散らないのである。例えば、飲食したものが未だ熟して変わらないうちは、決して流れ移って熟蔵に落ちないようなものである。」 ある他の部派は説く、「風によって支えられているから流れ散らないのである。例えば、穀物を囲いで支えるようなものである。有情の業力によって別の風が起こされ、この水を打ち叩いて上に金を凝固させる。まるで熟した乳が止まって上に凝って膜を張るように。それゆえ水輪は減じて厚さ八洛叉(ラークシャ)のみとなり、残りは金に転じて厚さ三億二万となる。二つの輪の広さの量は同じであり、すなわち直径は十二億三千四百半である。その周囲の長さは三倍となり、すなわち周囲の量は三十六億一万三百五十ヨージャナとなる。」 偈頌にいわく、

蘇迷盧處中, 次踰健達羅,
伊沙馱羅山, 朅地洛迦山,
蘇達梨舍那, 頞濕縛羯拏,
毘那怛迦山, 尼民達羅山,
於大洲等外, 有鐵輪圍山,
前七金所成, 蘇迷盧四寶,
入水皆八萬, 妙高出亦然,
餘八半半下, 廣皆等高量。

須弥山が世界の中心にあり、その次に倶健達羅山、 さらに伊沙駄羅山、朅地洛迦山、 蘇達梨舍那山、頞湿縛羯拏山、 毘那怛迦山、尼民達羅山がある。

大きな洲などの外側には、鉄でできた輪囲山がある。 先の七つの山は金でできており、須弥山は四種の宝からなる。 水面下にいずれも八万由旬あり、妙高山(須弥山)の高さも同じく八万由旬である。 残りの八つの山は、その高さが半分ずつ減っていき、 広さも高さと同じである。

論曰:於金輪上有九大山,妙高山王處中而住,餘八周匝繞妙高山。於八山中前七名內,第七山外有大洲等。此外復有鐵輪圍山,周匝如輪圍一世界。持雙等七唯金所成。妙高山王四寶為體,謂如次四面北、東、南、西,金、銀、吠琉璃、頗胝迦寶。隨寶威德色顯於空,故贍部洲空似吠琉璃色。如是寶等從何而生?亦諸有情業增上力。復大雲起雨金輪上滴如車軸,積水奔濤,其水即為眾寶種藏。由具種種威德猛風鑽擊變生眾寶類等。如是變水生寶等時,因滅果生,體不俱有,非如數論轉變所成。數論云何執轉變義?謂執有法自性常存,有餘法生、有餘法滅。如是轉變何理相違?謂必無容有法常住,可執別有法滅法生。誰言法外別有有法?唯即此法於轉變時異相所依名為有法。此亦非理。非理者何?即是此物而不如此,如是言義曾所未聞。如是變生金寶等已,復由業力引起別風,簡別寶等攝令聚集成山成洲,分水甘醎令別成立內海外海。如是九山住金輪上,入水量皆等八萬踰繕那,蘇迷盧山出水亦爾。餘八出水半半漸卑,謂初持雙出水四萬,乃至最後鐵輪圍山出水三百一十二半。如是九山一一廣量,各各與自出水量同。頌曰:

論じられるには、金輪の上に九つの大山がある。その中で妙高山王が中央に位置し、残る八つの山々が周囲を巡って妙高山を囲んでいる。八つの山のうち、前の七つは内側の山とされ、第七の山の外側に大きな洲などがある。さらにその外側には鉄輪囲山があり、輪のように周囲を巡って一つの世界を囲んでいる。持双山など七つの山は、ただ金のみで成っている。妙高山王は四つの宝を体としており、それは順に四面の北・東・南・西に応じて、金・銀・瑠璃・頗胝迦の宝である。宝の威徳に従ってその色が空に現れるため、贍部洲の空は瑠璃色のように見える。このような宝などは、どこから生じるのか?また、諸々の有情の業の増上力によるのである。さらに大雲が起こり、金輪の上に車軸のような滴の雨を降らせ、水が積もって奔る波となり、その水が即ち衆宝の種々の蔵となる。様々な威徳を具えた猛風が鑽って打ち、変化して衆宝の類などを生じさせるのである。このように水を変化させて宝などを生じさせる時、因が滅し果が生じ、体は同時に存在しない。これは、数論が説くような転変によって成るものではない。数論はどのように転変の義を執着するのか?謂わく、有法の自性は常に存し、余りの法が生じ、余りの法が滅すると執着する。このような転変は、どのような道理に違反するのか?謂わく、法が常住であることは決してあり得ず、別に法が滅し法が生じると執着することはできない。誰が法の外に別に有法があると言うのか?まさにこの法が転変する時、異なる相の所依であることをもって、有法と名付けるのである。これも理ではない。理ではないとは何か?すなわち、この物であるのに、このようではないという、そのような言い方は、曾て聞いたことがない。このようにして金の宝などを変生させた後、さらに業力によって別の風を引き起こし、宝などを選別して集め、山や洲を成すようにさせ、水を甘いものと塩辛いものとに分けて、内海と外海とを別々に成立させる。このように九つの山は金輪の上にあり、水中に入る量はすべて等しく八万由旬であり、須弥山が水面上に出ている量もまた同じである。残る八つの山は、水面から出ている量が半分ずつ次第に低くなる。すなわち、最初の持双山は水面から四万由旬出ており、最後の鉄輪囲山は水面から三百十二由旬半出ている。このように九つの山は、それぞれの広さの量が、各々自身の水面から出ている量と同じである。偈頌に曰く、

山間有八海, 前七名為內,
最初廣八萬, 四邊各三倍,
餘六半半陿, 第八名為外,
三洛叉二萬, 二千踰繕那。

山の間には八つの海がある。 最初の七つを内海と名付ける。 最初の海は広さ八万由旬。 その四方はそれぞれ三倍の広さ。 残りの六つは、順に半分ずつ狭くなる。 八つ目を外海と名付ける。 その広さは三十二万二千由旬である。

論曰:妙高為初、輪圍最後,中間八海,前七名內。七中皆具八功德水:一甘、二冷、三軟、四輕、五清淨、六不臭、七飲時不損喉、八飲已不傷腹。如是七海初廣八萬,約持雙山內邊周量,於其四面數各三倍,謂各成二億四萬踰繕那。其餘六海量半半陿,謂第二海量廣四萬,乃至第七量廣一千二百五十。此等不說周圍量者,以煩多故。第八名外,醎水盈滿,量廣三億二萬二千。頌曰:

論じて曰く:妙高山を最初とし、輪囲山を最後として、その中間に八つの海がある。前の七つを内海と名付ける。この七つの海には、すべて八功徳の水が備わっている。一に甘、二に冷、三に軟、四に軽、五に清浄、六に臭くなし、七に飲む時に喉を損なわず、八に飲み終えて腹を傷めない。このように七つの海のうち、最初の海の広さは八万由旬である。これは持双山の内側の周囲の長さに基づいて、その四面のそれぞれが三倍であることから、各々二億四万由旬となる。残りの六つの海は、半分ずつ狭くなる。すなわち、第二の海の広さは四万由旬、そして第七の海の広さは千二百五十由旬となる。これらについて周囲の長さを説かないのは、煩雑になるのを避けるためである。第八の海を外海と名付け、塩水で満たされている。その広さは三億二万二千由旬である。偈頌に曰く、

於中大洲相, 南贍部如車,
三邊各二千, 南邊有三半;
東毘提訶洲, 其相如半月,
三邊如贍部, 東邊三百半;
西瞿陀尼洲, 其相圓無缺,
徑二千五百, 周圍此三倍;
北俱盧畟方, 面各二千等,
中洲復有八, 四洲邊各二。

四大洲のすがたをいえば、 南瞻部洲(南の洲)は牛車のような形。 三辺はそれぞれ二千由旬、 南の一辺だけが三百五十由旬。

東毘提訶洲(東の洲)は半月のような形。 三辺は南瞻部洲と同じで、 東の一辺だけが三百五十由旬。

西瞿陀尼洲(西の洲)は完全な丸い形。 直径が二千五百由旬、 その周囲は直径の三倍。

北俱盧洲(北の洲)は四角く、 一辺がすべて二千由旬で等しい。

さらに八つの中洲があり、 四大洲のわきにそれぞれ二つずつある。

論曰:於外海中大洲有四,謂於四面對妙高山。南贍部洲北廣南陿,三邊量等,其相如車。南邊唯廣三踰繕那半,三邊各有二千踰繕那。唯此洲中有金剛座,上窮地際下據金輪,一切菩薩將登正覺皆坐此座上起金剛喻定,以無餘依及餘處所有堅固力能持此故。東勝身洲東陿西廣,三邊量等,形如半月。東三百五十,三邊各二千。西牛貨洲圓如滿月,徑二千五百,周圍七千半。北俱盧洲形如方座,四邊量等,面各二千。等言為明無少增減。隨其洲相人面亦然。復有八中洲,是大洲眷屬,謂四大洲側各有二中洲。贍部洲邊二中洲者,一遮末羅洲、二筏羅遮末羅洲。勝身洲邊二中洲者,一提訶洲、二毘提訶洲。牛貨洲邊二中洲者,一舍搋洲、二嗢怛羅漫怛里拏洲。俱盧洲邊二中洲者,一矩拉婆洲、二憍拉婆洲。此一切洲皆人所住。有說:唯一邏剎娑居。頌曰:

論じていわく、外なる大海の中に、四つの大きな洲がある。これらは、妙高山を四方から取り囲んでいる。南の贍部洲は、北が広く南が狭く、三辺の長さは等しく、その形は車のようである。南辺のみが広さ三由旬半、他の三辺はそれぞれ二千由旬である。ただこの洲の中にのみ金剛座があり、上方は地表に達し、下方は金輪に至る。一切の菩薩が正覚に登ろうとするとき、皆この座に坐して金剛喻定を起こす。なぜならば、無余依および他の場所には、これを支える堅固な力がないからである。東の勝身洲は、東が狭く西が広く、三辺の長さは等しく、その形は半月のようである。東辺は三百五十由旬、三辺はそれぞれ二千由旬である。西の牛貨洲は、満月のように円く、直径二千五百由旬、周囲は七千五百由旬である。北の倶盧洲は、方形の座のようで、四辺の長さは等しく、各辺はそれぞれ二千由旬である。「等しい」と言うのは、少しの増減もないことを明らかにするためである。それぞれの洲の形に従って、人の顔もまた同じである。

さらに八つの中洲がある。これらは大洲の眷属であり、すなわち四大洲の側にそれぞれ二中洲がある。贍部洲の辺にある二中洲とは、第一に遮末羅洲、第二に筏羅遮末羅洲である。勝身洲の辺にある二中洲とは、第一に提訶洲、第二に毘提訶洲である。牛貨洲の辺にある二中洲とは、第一に舍搋洲、第二に嗢怛羅漫怛里拏洲である。倶盧洲の辺にある二中洲とは、第一に矩拉婆洲、第二に憍拉婆洲である。これらのすべての洲は、人が住むところである。ある説には、唯一の羅刹が住むとも言われる。

頌に曰く、

此北九黑山, 雪香醉山內,
無熱池縱廣, 五十踰繕那。

この北にある九つの黒山と雪香醉山の内側には、 広さが五十由旬もある無熱池がある。

論曰:此贍部洲從中向北,三處各有三重黑山。有大雪山在黑山北,大雪山北有香醉山。雪北香南有大池水,名無熱惱,出四大河:一殑伽河、二信度河、三徙多河、四縛芻河。無熱惱池縱廣正等,面各五十踰繕那量,八功德水盈滿其中,非得通人無由能至。於此池側有贍部林,樹形高大其果甘美,依此林故名贍部洲,或依此果以立洲號。復於何處置㮈落迦、大㮈落迦?何量有幾?頌曰:

論じて曰く、この閻浮提(贍部洲)は、中央から北に向かって、三箇所にそれぞれ三重の黒い山々が連なっている。その黒山の北には大雪山があり、大雪山の北には香酔い山がある。雪の北、香の南には、悩みのない大きな池が広がっている。その名を無熱悩池といい、四大河を生み出している。すなわち、ガンジス川、シンド川、シータ川、オクサス川である。無熱悩池は、縦横の長さが等しく、各面の長さは五十由旬もある。八つの功徳を備えた水が満ち満ちており、神通力を得た人でなければ、そこに至ることはできない。この池のほとりに、閻浮樹の林がある。樹は高く大きく、その果実は甘くて美味である。この林に因んで、この洲を贍部洲と名付けたのであり、あるいはまた、この果実に依って洲の名を定めたのである。では、地獄や大地獄はどこに位置しているのか。その大きさや数はどのくらいなのか。偈頌に示そう。

此下過二萬, 無間深廣同,
上七㮈落迦, 八增皆十六。
謂煻煨屍糞, 鋒刃烈河增,
各住彼四方, 餘八寒地獄。

この下、二万を過ぐれば、 無間地獄、深さ広さ同じ。 その上に七つの奈落迦あり、 八増はみな十六。

煻煨・屍糞・鋒刃・烈河の増、 それぞれその四方に住す。 残りの八つは寒地獄。

論曰:此贍部洲下過二萬,有阿鼻旨大㮈落迦。深廣同前,謂各二萬故。彼底去此四萬踰繕那。以於其中受苦無間,非如餘七大㮈落迦受苦非恒,故名無間。且如等活㮈落迦中,諸有情身雖被種種斫刺磨擣,而彼暫遇涼風所吹還活如本,由斯理故立等活名。阿鼻旨中無如是事。有餘師說:阿鼻旨中無樂間苦故名無間,餘地獄中有樂間起,雖無異熟而有等流。七㮈落迦在無間上重累而住。其七者何?一者極熱、二者炎熱、三者大叫、四者號叫、五者眾合、六者黑繩、七者等活。有說:此七在無間傍。八㮈落迦增各十六,故薄伽梵說此頌言:

論じて曰く、この閻浮提(インドの大地)の地下、二万由旬を下がったところに、阿鼻地獄(無間地獄)がある。その深さと広さは、前の地獄と同じく、それぞれ二万由旬である。その底は、この大地から四万由旬の距離にある。

この地獄では、苦しみを受けることに途切れがないため、他の七つの大地獄のように苦しみが常に続くわけではないものではない。だから「無間」と名づけられたのである。

例えば、等活地獄では、生きとし生けるものの体は、様々に切られ、刺され、磨かれ、搗かれているが、たまたま涼しい風に吹かれると、元のように生き返る。このような理由から「等活」と名づけられたのである。阿鼻地獄にはこのようなことはない。

また、ある師は説く。「阿鼻地獄には、苦しみの間に楽しみが挟まることがないので『無間』と名づけられた。他の地獄には、苦しみの間に楽しみが生じることがある。それは、異熟果(直接的な業の報い)としての楽しみはなくとも、等流果(性質の似た副次的な結果)としての楽しみがあるからである。」

七つの大地獄は、無間地獄の上に重なって存在している。その七つとは何か?第一に極熱地獄、第二に炎熱地獄、第三に大叫地獄、第四に号叫地獄、第五に衆合地獄、第六に黒縄地獄、第七に等活地獄である。

ある説では、これら七つは無間地獄の側に存在すると言う。

八つの大地獄には、それぞれ十六の小地獄が付属している。それゆえに、尊き仏は次の偈を説かれたのである。

此八㮈落迦, 我說甚難越,
以熱鐵為地, 周匝有鐵牆,
四面有四門, 關閉以鐵扇,
巧安布分量, 各有十六增,
多百踰繕那, 滿中造惡者,
周遍焰交徹, 猛火恒洞然。

この八つの地獄は、私は超え難いものだと説く。 焼けた鉄を敷き詰めた大地で、周囲には鉄の壁が巡らされている。 四方に四つの門があり、鉄の戸で閉ざされている。 巧みに配置され、それぞれに十六の副地獄が増えている。 数百由旬にもわたって広がり、悪行を積んだ者で満ちている。 いたるところから炎が吹き出し、激しい火が絶え間なく燃え続けている。

十六增者,八㮈落迦四面門外各有四所:一煻煨增,謂此增內煻煨沒膝,有情遊彼纔下足時,皮肉與血俱燋爛墜,舉足還生平復如本。二屍糞增,謂此增內屍糞泥滿,於中多有娘矩吒蟲,𭪿利如針身白頭黑,有情遊彼皆為此蟲鑽皮破骨𠯗食其髓。三鋒刃增,謂此增內復有三種:一刀刃路,謂於此中仰布刀刃以為大道,有情遊彼纔下足時,皮肉與血俱斷碎墜,舉足還生平復如本。二劍葉林,謂此林上純以銛利劍刃為葉,有情遊彼風吹葉墜,斬刺支體骨肉零落,有烏駁狗摣掣食之。三鐵刺林,謂此林上有利鐵刺長十六指,有情被逼上下樹時,其刺銛鋒下上鑱刺,有鐵𭪿鳥探啄有情眼睛心肝爭競而食。刀刃路等三種雖殊,而鐵杖同故一增攝。四烈河增,謂此增量廣,滿中熱醎水,有情入中或浮或沒,或逆或順或橫或轉,被蒸被煮骨肉糜爛。如大鑊中滿盛灰汁置麻米等,猛火下燃,麻等於中上下迴轉舉體糜爛,有情亦然。設欲逃亡,於兩岸上有諸獄卒,手執刀槍禦捍令迴,無由得出。此河如塹,前三似園,四面各四增,故言皆十六。此是增上被刑害所,故說名增,本地獄中適被害已重遭害故。有說:有情從地獄出更遭此苦,故說為增。今於此中因論生論。諸地獄卒是有情不?有說:非情。如何動作?有情業力,如成劫風。若爾,云何通彼大德法善現說?如彼頌言:

十六の増獄について:八つの奈落の四方の門の外に、それぞれ四つの場所がある。

第一に、煻煨増(とうかいぞう)である。この増獄は、煻煨が膝まで浸かるほどに満ちており、有情がそこを歩こうとして足を下ろすと、皮も肉も血も共に焼け爛れて落ちてしまう。しかし足を上げると元通りに平らに再生する。

第二に、屍糞増(しふんぞう)である。この増獄は、死体の糞便の泥で満ちており、中には多くの娘矩吒虫(にゃくたちゅう)がいる。その虫は針のように鋭く、体は白く頭は黒い。有情がそこを歩くと、この虫たちが皮を破り骨を穿って、その髄を吸い食う。

第三に、鋒刃増(ほうじんぞう)である。この増獄にはさらに三種類がある。

一つ目は、刀刃路(とうじんろ)である。ここには大道一面に刃が上向きに敷き詰められている。有情が歩こうとして足を下ろすと、皮も肉も血も共に断ち切られ砕けて落ちる。しかし足を上げると元通りに再生する。

二つ目は、剣葉林(けんようりん)である。この林の木々には、すべて鋭利な剣の刃が葉として生えている。有情がそこを歩くと、風に吹かれて葉が落ち、身体を斬り刺し、骨肉が散り落ちる。すると烏駁狗(うばくく)という犬が現れ、それらを引き裂いて食べる。

三つ目は、鉄刺林(てっしりん)である。この林の木には、長さ十六指の鋭い鉄の刺が生えている。有情がそこに追われて上下に木を登り降りすると、その鋭い刺が下から上へ、上から下へと突き刺す。さらに鉄嘴鳥(てっしちょう)という鳥が現れ、有情の目玉や心臓や肝臓を啄み出し、奪い合って食べる。

刀刃路など三種類は異なるが、すべて鉄の杖による苦しみであるため、一つの増獄にまとめられている。

第四に、烈河増(れつがぞう)である。この増獄は広く、熱く塩辛い水で満ちている。有情が中に入ると、浮いたり沈んだり、逆らったり順流したり、横になったり回転したりしながら、蒸され煮られて骨肉が爛れてしまう。ちょうど大きな釜に灰汁を満たし、麻や米などを入れて、下から猛火で煮ると、麻などが釜の中で上下に回転しながら全体が爛れるのと同じである。有情もまた同様である。もし逃げ出そうとしても、両岸には地獄の獄卒たちがいて、刀や槍を手に防ぎ押し戻すため、出ることはできない。

この烈河は堀の役割を果たし、前三者は庭園のようなものである。四方にそれぞれ四つの増獄があるので、合わせて十六と説かれる。これらは苦しみを増大させる刑罰の場であるため「増」と名づけられ、本地獄においてすでに害を受けた者が、さらに再び害を受ける場所だからである。また、ある説では、有情が地獄から出てさらにこの苦しみに遭うため「増」と説かれる。

ここで、議論が派生する。地獄の獄卒たちは有情なのだろうか?ある説では、有情ではないという。ではどのように動作するのか?有情の業の力によるものであり、例えば世界が成立する時の劫風のようなものである。そうだとすれば、どうしてあの大徳である法善現(ほうぜんげん)の説と一致するのか?彼の偈頌にこうある。

心常懷忿毒, 好集諸惡業,
見他苦欣悅, 死作琰魔卒。

常に心に怒りと毒を抱き、 さまざまな悪い行いを積み重ねる者は、 他人の苦しみを見て喜ぶ。 そんな者は、死後には閻魔の手下となる。

琰魔王使諸邏剎娑擲諸有情置地獄者名琰魔卒。是實有情非地獄中害有情者,故地獄卒非實有情。有說:有情。若爾,此惡業何處受異熟?即地獄中,以地獄中尚容無間所感異熟,此何理遮?若爾,何緣火不燒彼?此定由業力所隔礙故,或感異大種故不被燒。熱㮈落迦已說有八。復有餘八寒㮈落迦。其八者何?一頞部陀、二尼剌部陀、三頞唽吒、四臛臛婆、五虎虎婆、六嗢鉢羅、七鉢特摩、八摩訶鉢特摩。此中有情嚴寒所逼,隨身聲變以立其名。此八并居贍部洲下,如前所說大地獄傍。此贍部洲其量無幾,下寧容受無間等耶?洲如穀聚,上尖下闊,是故大海漸陿漸深。如上所論十六地獄,一切有情增上業感。餘孤地獄各別業招,或多或二或一所止,差別多種、處所不定,或近江河山邊曠野,或在地下空及餘處。諸地獄器安布如是,本處在下、支𣲖不定。傍生住處謂水陸空,本處大海,後流餘處。諸鬼本處琰魔王國,於此贍部洲下過五百踰繕那有琰魔王國,縱廣量亦爾,從此展轉散居餘處。或有端嚴具大威德,受諸富樂自在如天,或有飢羸顏貌醜陋,如是等類廣說如經。日月所居量等義者,頌曰:

閻魔王が諸々の羅刹を遣わし、有情を地獄に投げ入れる者を閻魔卒と呼ぶ。これらは実在の有情であり、地獄の中で有情を害する者ではない。故に地獄卒は実在の有情ではない。また説くものは「有情である」と。もしそうなら、この悪業はどこで異熟の果報を受けるのか。即ち地獄の中でである。地獄の中では、無間地獄が感ずる異熟すらも受け入れる余地があるのに、どうしてこの理が遮られようか。もしそうなら、なぜ火は彼らを焼かないのか。これは必ず業力によって隔てられているからか、あるいは異なる大種を感得しているために焼かれないのである。

熱地獄は八つあるとすでに説いた。さらに別の八つの寒地獄がある。その八つとは何か。一に頞部陀、二に尼剌部陀、三に頞唽吒、四に臛臛婆、五に虎虎婆、六に嗢鉢羅、七に鉢特摩、八に摩訶鉢特摩である。この中の有情は厳寒に苦しめられ、その身に伴う声の変化によって名が付けられている。これら八つは全て、瞻部洲の下にあって、先に説いた大地獄の傍らにある。この瞻部洲の大きさは限られているのに、どうしてその下に無間地獄などを収められるのか。洲は穀物の束のように、上が尖り下が広がっている。それゆえ大海は次第に狭く深くなっていくのである。

以上に論じた十六の地獄は、全ての有情の増上業によって感得される。残る孤地獄は各々別々の業によって招かれるもので、多く集まるもの、二つ、または一つだけのものなど、差別は多種多様で、場所も定まらない。あるいは河や山のほとり、荒野に近く、あるいは地下や虚空、その他の場所にある。

諸々の地獄の器はこのように配置されている。根本の場所は下にあり、枝分かれした場所は定まっていない。

傍生の住処は水中、陸上、空中にある。根本の場所は大海であり、後に他の場所へと流れ広がっていく。

諸々の鬼の根本の場所は琰魔王国である。この瞻部洲の下、五百由旬を過ぎたところに琰魔王国があり、その縦横の広さもまた同じである。ここから転々として他の場所に散らばって住む。あるいは端正な容姿で大いなる威徳を備え、諸々の富楽を受けて天人のように自在なるものがあり、あるいは飢え痩せて容貌醜いものがある。このような種類のことは、広く経典に説かれている通りである。

日月の住する所の量などの意義について、偈頌に曰く、

日月迷盧半, 五十一五十,
夜半日沒中, 日出四洲等。
雨際第二月, 後九夜漸增,
寒第四亦然, 夜減晝翻此。
晝夜增臘縛, 行南北路時,
近日自影覆, 故見月輪缺。

日月や須弥山の半分が、 五十一と五十のように経過する。 夜中や日没、正午、 日の出は四つの洲で等しい。

雨季の第二の月の後、 九夜から徐々に夜が長くなり、 寒季の第四の月も同様に、 夜が短くなり、昼はその逆となる。

一日の長さが一臘縛ずつ増えるのは、 太陽が南北の道を進む時である。 太陽に近づくと、自らの影が覆うため、 月の輪が欠けて見えるのである。

論曰:日月眾星依何而住?依風而住。謂諸有情業增上力共引風起,繞妙高山空中旋環,運持日等令不停墜。彼所住去此幾踰繕那?持雙山頂齊妙高山半。日月徑量幾踰繕那?日五十一,月唯五十。星最小者唯一俱盧舍,其最大者十六踰繕那。日輪下面頗胝迦寶火珠所成,能熱能照;月輪下面頗胝迦寶水珠所成,能冷能照。隨有情業增上所生,能於眼身果花稼穡藥草等物,如其所應為益為損。唯一日月普於四洲作所作事、一日所作事為四洲同時不?不爾。云何?北洲夜半東洲日沒,南洲日中西洲日出。此四時等,餘例應知。日行此洲路有差別,故令晝夜有減有增。從雨際第二月後半第九日夜漸增,從寒際第四月後半第九日夜漸減,晝增減位與此相違。夜漸增時晝便漸減,夜若漸減晝則漸增。晝夜增時一晝夜增幾?增一臘縛。晝夜減亦然。日行此洲向南向北,如其次第夜增晝增。何故月輪於黑半末白半初位見有缺耶?世施設中作如是釋:以月宮殿行近日輪,月被日輪光所侵照,餘邊發影自覆月輪,令於爾時見不圓滿。先舊師釋:由日月輪行度不同現有圓缺。日等宮殿何有情居?四大天王所部天眾。是諸天眾唯住此耶?若空居天唯住如是日等宮殿,若地居天住妙高山諸層級等。有幾層級?其量云何?何等諸天住何層級?頌曰:

論じます。日や月、星々は何に依って留まっているのか?風に依って留まっている。すなわち、あらゆる有情の業の増上力によって、共に風を引き起こし、それが妙高山の周りを空中で旋回し、日などを運び支えて落ちないようにしているのである。

それらが留まっている場所は、ここからどのくらいの距離か?持双山の頂上は、妙高山の半分の高さに等しい。

日と月の直径はどのくらいか?太陽は五十一由旬、月は五十由旬である。星の最小のものは一俱盧舎のみで、最大のものは十六由旬である。

日輪の下面は玻璃宝の火珠でできており、熱を発し照らす。月輪の下面は玻璃宝の水珠でできており、冷気を生じ照らす。有情の業の増上力によって生じたものであり、眼や身体、果実や花、農作物や薬草などに対して、それぞれに応じて利益や損害をもたらす。

一つの太陽と月は、四つの洲すべてに対して同時にその働きをするのだろうか?そうではない。ではどうか?北俱盧洲が真夜中である時、東勝神洲は日没、南贍部洲は正午、西牛貨洲は日出である。この四つの時刻が同時に成立する。他の場合も、これに準じて知るべきである。

太陽がこの南贍部洲を運行する道筋には違いがあるため、昼と夜に増減が生じる。雨季の第二月の後半の第九日から夜が次第に長くなり、寒季の第四月の後半の第九日から夜が次第に短くなる。昼の増減はこれと反対である。夜が次第に長くなる時は昼が次第に短くなり、夜が次第に短くなる時は昼が次第に長くなる。昼夜が長くなる時、一昼夜にどれだけ長くなるか?一臘縛だけ長くなる。昼夜が短くなる時も同じである。太陽がこの洲を南に運行するか北に運行するかに従って、それぞれ夜が長くなり、昼が長くなる。

なぜ月輪は、黒月の後半の終わりと白月の前半の初めに、欠けたように見えるのか?世間の教えでは、次のように説明されている。すなわち、月の宮殿が太陽の輪に近づくため、月が太陽の光に照らされ、その余った側面が影を生じて自らの月輪を覆い、その時に満ち欠けがないように見えるのである。古い師匠たちの解釈では、太陽と月の運行の度合いが異なるため、現在のように満ち欠けが現れるのだという。

太陽などの宮殿にはどのような有情が住んでいるのか?四大天王の配下の天の衆である。

これらの天の衆は、ただここだけに住んでいるのか?空に住む天は、ただこのような太陽などの宮殿に住み、地に住む天は、妙高山の様々な層などに住む。

幾つの層があるのか?その大きさはどのくらいか?どのような天がどの層に住むのか?偈頌に示す。

妙高層有四, 相去各十千,
傍出十六千, 八四二千量。
堅手及持鬘, 恒憍大王眾,
如次居四級, 亦住餘七山。

妙高山には四つの層があります。 それぞれの間隔は一万由旬です。 そこからさらに、横に広がるものもあります。 一万六千、八千四百、二千という大きさです。

堅手(ケンジュ)や持鬘(ジマン) さらに恒憍(ゴウキョウ)や大王の眷属たちも この順に四つの層に住み、 さらに他の七つの山々にも住んでいます。

論曰:蘇迷盧山有四層級,始從水際盡第一層相去十千踰繕那量,如是乃至從第三層盡第四層亦十千量。此四層級從妙高山傍出圍繞盡其下半,最初層級出十六千,第二、第三、第四層級,如其次第八、四、二千。有藥叉神名為堅手住初層級,有名持鬘住第二級,有名恒憍住第三級,此三皆是四大天王所部天眾,第四層級四大天王及諸眷屬共所居止故,經依此說四大王眾天。如妙高山四外層級四大王眾及眷屬居,如是持雙、持軸山等七金山上亦有天居,是四大王所部封邑,是名依地住四大王眾天。於欲天中此天最廣。三十三天住在何處?頌曰:

論じて曰く、須弥山には四つの層がある。水面から第一層までの距離は一万由旬、同様に第三層から第四層までも一万由旬である。この四層は妙高山の側面から張り出して、その下半分を取り巻いている。第一層は一万六千由旬張り出し、第二、第三、第四層はそれぞれ八千、四千、二千由旬である。

堅手という名の薬叉神は第一層に住み、持鬘という神は第二層に、恒憍という神は第三層に住む。これらは全て四大天王に属する天衆である。第四層には四大天王とその眷属が共に住んでいる。よって経典ではこれを四大王衆天と説く。

妙高山の四つの外側の層に四大王とその眷属が住むように、持双山や持軸山などの七つの金山にも天の住処があり、それらは四大王の領地である。これらを地に依って住む四大王衆天という。欲界の天の中で、この天が最も広い。

では、三十三天はどこに住むのか。偈頌に曰く、

妙高頂八萬, 三十三天居,
四角有四峯, 金剛手所住。
中宮名善見, 周萬踰繕那,
高一半金城, 雜飾地柔軟。
中有殊勝殿, 周千踰繕那,
外四苑莊嚴, 眾車麁雜喜。
妙池居四方, 相去各二十,
東北圓生樹, 西南善法堂。

妙高山の頂上は八万由旬あり、そこに三十三天の天人が住んでいます。 その四隅には四つの峰があり、金剛手(執金剛神)がおられます。

中央の宮殿は「善見城」と名づけられ、周囲は一万由旬あります。 高さは半分が黄金でできた城壁で、さまざまな宝で飾られ、地面は柔らかです。

その中には特別に素晴らしい「殊勝殿」という殿堂があり、周囲は千由旬です。 外には四つの苑(庭園)が荘厳に飾られています。それは「衆車苑」「麁悪苑」「雑林苑」「喜林苑」です。

四方向には美しい池があり、それぞれの間隔は二十由旬です。 東北には「円生樹」という大きな樹があり、西南には「善法堂」という立派な堂があります。

論曰:三十三天住迷盧頂,其頂四面各八十千,與下四邊其量無別。有餘師說:周八十千,別說四邊各唯二萬。山頂四角各有一峯,其高廣量各有五百。有藥叉神名金剛手,於中止住守護諸天。於山頂中有宮名善見,面二千半,周萬踰繕那,金城量高一踰繕那半,其地平坦亦真金所成,俱用百一雜寶嚴飾,地觸柔軟如妬羅綿,於踐躡時隨足高下,是天帝釋所都大城。於其城中有殊勝殿,種種妙寶具足莊嚴,蔽餘天宮故名殊勝,面二百五十,周千踰繕那。是謂城中諸可愛事。城外四面四苑莊嚴,是彼諸天共遊戲處:一眾車苑、二麁惡苑、三雜林苑、四喜林苑,此為外飾莊嚴大城。四苑四邊有四妙池,中間各去苑二十踰繕那,是彼諸天勝遊戲處,諸天於彼捔勝歡娛。城外東北有圓生樹,是三十三天受欲樂勝所。盤根深廣五十踰繕那,聳幹上昇枝條傍布,高廣量等百踰繕那,挺葉開花妙香芬馥,順風熏滿百踰繕那,若逆風時猶遍五十。順風可爾,云何逆熏?有餘師言:香無逆熏義,依不越樹界故說逆熏。理實圓生有如是德,所流香氣能逆風熏,雖天和風力所擁遏。然能相續流趣餘方,漸劣漸微近處便歇,非能遠至如順風熏。如是花香,為依自地隨風相續轉至餘方、為但熏風別生香氣?此義無定,諸軌範師於此二門俱許無失。若爾,何故薄伽梵言:

論じて曰く、三十三天は須弥山の頂上に住む。その頂上の四面は、それぞれ八十千由旬あり、下方の四辺とその広さに違いはない。しかし、他の師は言う、「周囲は八十千由旬だが、別に一辺ごとにそれぞれ二万由旬に過ぎない」と。

山頂の四隅には、それぞれ一つの峰がある。その高さと広さは、それぞれ五百由旬である。そこに金剛手という名の薬叉神が住み、諸天を守護している。

山頂の中には、善見という名の宮殿がある。一辺は二千五百由旬、周囲は一万由旬である。黄金の城壁の高さは一由旬半、地面は平らで、やはり純金で作られている。全てに百一種の様々な宝が施され、地面の感触は柔らかく、まるで綿のようで、歩くと足の踏み込みに応じて沈み込む。ここは帝釈天の都である大城である。

その城中には、殊勝殿という殿舎がある。様々な妙なる宝が完全に荘厳されており、他の天宮を凌駕することから、殊勝殿と名付けられている。一辺は二百五十由旬、周囲は千由旬である。これが城中にある、愛すべき数々の事物である。

城外の四方には、四つの苑が荘厳されており、諸天が共に遊戯する場所である。すなわち、一に衆車苑、二に麁悪苑、三に雑林苑、四に喜林苑である。これらが大城を外側から飾っている。四苑の四方には、四つの妙なる池がある。それぞれ苑から二十由旬の間隔を置いてあり、諸天の優れた遊戯の場である。諸天はそこで競い合い、喜び楽しむ。

城外の東北には、円生樹という木がある。三十三天が欲楽を享受する、優れた場所である。根は深く広く、五十由旬に及び、幹は高く聳え立ち、枝は四方に広がる。その高さと広さは、共に百由旬である。葉を茂らせ花を開き、その妙なる香りは馥郁として、風に順えば百由旬に薫る。逆風の時でも、なお五十由旬に及ぶ。

順風ならばともかく、どうして逆に薫ることがあり得ようか。他の師は言う、「香りに逆風に薫る道理はない。木の界を超えないという意味で、逆風に薫ると説くのだ」と。

しかし、理の上では、円生樹にはこのような徳がある。すなわち、発する香気は逆風にも薫ることができる。天の和風の力が押し留めるとしても、それでもなお、相続して他の方へと流れていく。次第に劣り、次第に弱まって、近くで止んでしまい、順風の薫りのように遠くまでは至らないのである。

このような花の香りは、自らの地に依って風に随い、相続して他の方へと転じて至るのであろうか。あるいは、ただ風を薫じて、別に香気を生じるのであろうか。この義は定まっていない。諸々の軌範師は、この二門のいずれを許しても、失うところはないと認めている。

もしそうであるならば、なぜ薄伽梵は言われるのか。

花香不能逆風熏, 根莖等香亦復爾;
善士功德香芬馥, 逆風流美遍諸方。

花の香りは風に逆らって運ばれない。 根や茎の香りもまた同じである。

しかし、善き人の徳の香りは、 風に逆らっても、世界のすみずみまで広がり、美しく薫る。

據人間香故作是說,以世共了無如是能。化地部經說此香氣,順風熏滿百踰繕那,若無風時唯遍五十。外西南角有善法堂,三十三天時集於彼詳論如法不如法事。如是已辯三十三天所居外器,餘有色天眾所住器云何?頌曰:

人間の香りをもとにそのように説かれているのは、世間一般にそのような能力があるとは考えられていないからである。化地部の経典には、この香りは風に乗って百ヨージャナにまで漂い、風のない時はわずか五十ヨージャナにしか広がらないと説かれている。外側の南西の角には善法堂があり、三十三天の者たちがそこに集まって、正しい行いと正しくない行いについて詳しく議論する。以上で三十三天が住む外界の器界について述べた。残りの色界の天の者が住む器界はどのようなものか。偈頌に曰く、

此上有色天, 住依空宮殿。

この上に色界の天があり、虚空にある宮殿に住んでいる。

論曰:此前所說三十三天上有色諸天,住依空宮殿。云何名上有色諸天?謂夜摩天、覩史多天、樂變化天、他化自在天。及前所說梵眾天等有十六處,并前合有二十二天,皆依外器。如是所說諸天眾中,頌曰:

論曰:先に述べた三十三天の上に存在する色ある天とは、虚空に依って宮殿に住む者たちである。では、どのような天を「色ある天」と呼ぶのか。それは、夜摩天、覩史多天、楽変化天、他化自在天である。また、先に述べた梵衆天などの十六の天処と、これらを合わせて二十二の天が存在し、すべて外なる器世間に依っている。このように説かれた諸天の中において、偈頌で述べる。

六受欲交抱, 執手笑視婬。

六つの欲の対象に触れ、抱き合い、 手を握り、笑い合い、見つめ合い、婬(みだらな行為)に及ぶ。

論曰:唯六欲天受妙欲境,於中初二依地居天,形交成婬與人無別。然風氣泄熱惱便除,非如人間有餘不淨。夜摩天眾纔抱成婬,覩史多天但由執手,樂變化天唯相向笑,他化自在相視成婬。毘婆沙師作如是釋:六天皆以形交成婬。世施設中說相抱等,但為顯彼時量差別。以上諸天欲境轉妙、貪心轉捷故使之然。隨彼諸天男女膝上,有童男童女欻爾化生,即說為彼天所生男女。初生天眾身量云何?頌曰:

論じて曰く、ただ六欲天においてのみ、妙なる欲の境を受ける。その中でも初めの二天は地に依って住む天であり、形の交わりによって婬を成すことは人間と変わらない。しかし、風気が泄れて熱悩が除かれるだけで、人間のように余りの不浄があるわけではない。夜摩天の衆は、抱き合うだけで婬が成る。睹史多天は、手を握るだけでよい。楽変化天は、ただ互いに笑い合うだけである。他化自在天は、見つめ合うだけで婬が成る。毘婆沙師はこのように釈する。「六天はいずれも形の交わりによって婬を成す。世施設の中に抱き合うなどを説くのは、ただ彼らの時間の量の差別を示すためである。」以上の諸天は、欲の境がますます妙であり、貪りの心がますます速やかであるがゆえに、そうなるのである。それらの天の男女の膝の上に、童男・童女が忽然として化生する。これを、その天が生んだ男女であると説く。初めて生まれた天の衆の身の量はどのようであるか。頌に曰く、

初如五至十, 色圓滿有衣。

はじめは五歳から十歳まで、 姿は美しく、衣服をまとっている。

論曰:且六欲諸天初生,如次如五六七八九十歲人,生已身形速得成滿。色界天眾於初生時,身量周圓具妙衣服。一切天眾皆作聖言,謂彼言詞同中印度。欲樂生別云何應知?頌曰:

論じて曰く、六欲天(ろくよくてん)に生まれた者は、次第に人の五、六、七、八、九、十歳ほどの姿となり、やがてすぐに身体は完全に成長する。色界天(しきかいてん)の者たちは、生まれたときから身体は満ち足り、見事な衣を身にまとっている。すべての天人は聖なる言葉を用いる。すなわち、その言語は中インドの言葉と同じである。欲楽(よくらく)の違いについては、どのように知るべきか。偈に曰く、

欲生三人天, 樂生三九處。

三つの天に生まれたいと願い、三つの九つの場所に生まれることを喜ぶ。

論曰:欲生三者,有諸有情樂受現前諸妙欲境,彼於如是現欲境中自在而轉,謂全人趣及下四天。有諸有情樂受自化諸妙欲境,彼於自化妙欲境中自在而轉,謂唯第五樂變化天。有諸有情樂受他化諸妙欲境,彼於他化妙欲境中自在而轉,謂第六他化自在天。依受如生現前欲境故,依受如樂自化欲境故,依受如樂他化欲境故,於欲界中分別欲生差別三種。樂生三者,三靜慮中於九處生受三種樂,謂彼安住離生喜樂、定生喜樂,離喜樂故,長時安住、長時離苦、長時受樂,故名樂生。生靜慮中間都無喜樂應思,何故亦號樂生天?所說諸天二十二處,上下相去其量云何?頌曰:

論じて述べる。「欲の生まれ」には三種ある。現前の妙なる欲の境を楽しみ受ける有情がいる。彼らはその現前の欲の境において自在に振る舞う。これは全人趣と下の四天である。自ら化作した妙なる欲の境を楽しみ受ける有情がいる。彼らは自ら化作した妙なる欲の境において自在に振る舞う。これはただ第五の楽変化天である。他者が化作した妙なる欲の境を楽しみ受ける有情がいる。彼らは他者が化作した妙なる欲の境において自在に振る舞う。これは第六の他化自在天である。現前の欲の境をそのまま受けることにより、自ら楽しむように化作した欲の境を受けることにより、他者が楽しむように化作した欲の境を受けることにより、欲界において欲の生まれの差別を分別して三種とする。

「楽の生まれ」には三種ある。三静慮において九つの処に生まれ、三種の楽を受ける。彼らはそこに安住し、離による生の喜楽、定による生の喜楽、そして離喜の楽を受ける。そのため、長く安住し、長く苦を離れ、長く楽を受ける。ゆえに楽の生まれと名づける。

静慮の中間に生まれる場合、喜楽は全くないと考えるべきである。なぜ楽生天とも呼ばれるのか。

説かれたところの諸天の二十二処について、上下の間隔はどれほどか。

偈頌に曰く、

如彼去下量, 去上數亦然。

下部の距離をもって上部の距離とせよ。数もまた同じ。

論曰:一一中間踰繕那量,非易可數,但可總舉彼去下量,去上例然。隨從何天去下海量,彼上所至與去下同。謂妙高山從第四層級去下大海四萬踰繕那,是四大王本所住處,從彼上去三十三天,亦如彼天去下海量。如三十三天去下大海,上去夜摩天其量亦爾。如是乃至如善見天去下大海踰繕那量,從彼上去色究竟天亦與彼天去下海等。從此向上無復所居,此處最高名色究竟。有餘師說:彼名礙究竟天。彼謂礙名目積集色至彼礙盡,得究竟名。於下處生昇見上不?頌曰:

論じて曰く。 一々の間の由旬の量は、容易に数えられるものではない。ただ、総じて、その下方への距離と上方への距離が同じであることを示すことができる。 どの天から下方の海までの距離も、その天から上方へ至る距離も、下方へのそれと同じである。 すなわち、須弥山の第四層から下方の大海までの距離は四万由旬であり、そこは四大王天の本来の住処である。その場所から上方の三十三天までの距離も、三十三天から下方の大海までの距離と同じである。 三十三天から下方の大海までの距離と、その上方の夜摩天までの距離も同様である。 このように、善見天から下方の大海までの由旬の量と、その上方の色究竟天までの距離も、善見天から下方の海までの距離と等しい。 これより上方には、もはや住む場所はない。この最も高い場所を色究竟天という。 また、他の師は説く。「これは礙究竟天と名づけられる。礙とは、積集された色を指す名称であり、その色が尽きるところに至って、究竟(きわまり)の名を得る。」 下の場所に生まれた者は、上方を見ることができるだろうか。 偈頌に曰く、

離通力依他, 下無昇見上。

神通力に頼らず、他に依ることもなく、 下の者は上の境地を見上げることもない。

論曰:三十三天由自通力,能從本處昇夜摩天;或復依他,謂得通者及上天眾接往夜摩。所餘諸天昇上例爾,若來若至下見上天。然下眼不能覩上界上地,非其境界故。如不覺彼觸,是故從上地來下地時非自身來,要作下地化。有餘部說:彼下地天隨樂亦能見上地色,如生此界下見上天。夜摩等天宮依處量有幾?有餘師說:此上四天依處,量同妙高山頂。有餘師說:上倍倍增。有餘師言:初靜慮地宮殿依處等一四洲,第二靜慮等小千界,第三靜慮等中千界,第四靜慮等大千界。有餘師言:下三靜慮如次量等小中大千,第四靜慮量無邊際。齊何量說小中大千?頌曰:

論じて曰く。三十三天は、自らの神通力によって、本来の居所から夜摩天に昇ることができる。あるいは他に依ることもある。すなわち、神通を得た者や上天の衆が迎えに来て夜摩天に連れて行くのである。その他の諸天が上位の天に昇る場合も、これと同じである。来ることも、至ることも、下から上を見ることもできる。しかし、下の眼は上の界を見ることができない。上の地は、その者の境界ではないからである。例えば、上の地の触れ合いを感じ取ることができないのも同じである。それゆえ、上の地から下の地に来る時は、自らの身体で来るのではなく、下の地に合わせた変化(化身)を作らなければならない。異なる部派の中には、「下の地の天も、楽しみに応じて上の地の色を見ることができる。例えば、この界に生まれた者が、下から上の天を見るように。」と説く者もいる。

夜摩天などの天宮の依処(基盤)の大きさは、どれほどか。異なる師の中には、「これより上の四つの天の依処の広さは、妙高山(スメル山)の頂上と同じである。」と説く者もいる。また異なる師は、「上に行くごとに倍々に増える。」と説く。さらに異なる師は、「初禅(初静慮)の地にある宮殿の依処は、一つの四大洲と同じ広さである。第二禅の地は、小千世界と同じ広さである。第三禅の地は、中千世界と同じ広さである。第四禅の地は、大千世界と同じ広さである。」と説く。さらに異なる師は、「下の三つの禅定(静慮)の地は、順に小千、中千、大千世界と同じ広さである。第四禅の地は、その広さに限りがない。」と説く。

どのような基準で、小千、中千、大千と言うのか。偈頌に曰く、

四大洲日月, 蘇迷盧欲天,
梵世各一千, 名一小千界;
此小千千倍, 說名一中千;
此千倍大千, 皆同一成壞。

四大洲や太陽と月、須弥山、そして欲界の天、 梵天界までをそれぞれ千集めたものを、一つの小千世界といいます。 その小千世界を千倍したものを、一つの中千世界と説きます。 さらに、その中千世界を千倍したものが一大千世界であり、これらはすべて同じように生成され、壊れていきます。

論曰:千四大洲乃至梵世,如是總說為一小千,千倍小千名一中千界,千中千界總名一大千,如是大千同成同壞。同成壞相後當廣辯。如外器量別,身量亦別耶?亦別。云何?頌曰:

論じます。千の四大洲から梵世に至るまで、これらを総称して一小千世界といいます。この小千世界の千倍を一中千世界といい、中千世界の千倍を一大千世界といいます。この大千世界は、すべて同時に成立し、同時に壊れるものです。その「同時に成立し、同時に壊れる」という様相については、後で詳しく説明します。

さて、外の器世界の大きさが異なるように、身体の大きさもまた異なるのでしょうか。 ――そうです、異なります。 どのように異なるのか。次の偈で示します。

贍部洲人量, 三肘半四肘;
東西北洲人, 倍倍增如次。
欲天俱盧舍, 四分一一增;
色天踰繕那, 初四增半半;
此上增倍倍, 唯無雲減三。

閻浮提の人の身の丈は、三キュビット半から四キュビットです。 東勝身洲、西牛貨洲、北倶盧洲の人は、それぞれ倍々に増えていきます。 欲界の天人は、一俱盧舎の四分の一ずつ増えていきます。 色界の天人は、一由旬が基本で、初めの四つの天では半由旬ずつ増えます。 それより上の天では、倍々に増えていきます。ただし、無雲天だけは三由旬減ります。

論曰:贍部洲人身多長三肘半,於中少分有長四肘。東勝身人身長八肘,西牛貨人長十六肘,北俱盧人三十二肘。欲界六天最下身量一俱盧舍四分之一,如是後後一一分增,至第六天身一俱盧舍半。色天身量初梵眾天半踰繕那,梵輔全一,大梵一半,少光二全,此上餘天皆增倍倍,唯無雲減三踰繕那,謂無量光天倍增二至四,乃至色究竟增滿萬六千。身量既殊,壽量別不?亦別。云何?頌曰:

論曰:閻浮提の人の身長は、多くは三肘半であり、その中でごく一部に四肘の者もいる。東勝身洲の人の身長は八肘、西牛貨洲の人は十六肘、北倶盧洲の人は三十二肘である。欲界の六天のうち、最も低い天の身長は一倶盧舎の四分の一であり、その後、天が一つ上がるごとに四分の一ずつ増え、第六天では身長が一倶盧舎半となる。色界の天の身長は、初めの梵衆天が半踰繕那、梵輔天が一踰繕那、大梵天が一踰繕那半、少光天が二踰繕那である。それより上の天は、すべて倍々に増える。ただし、無雲天だけは三踰繕那減じている。すなわち、無量光天は倍の二から四となり、最終的に色究竟天では一万六千踰繕那に達する。このように身長に違いがあるが、寿命にも違いがあるのだろうか。ある。どのように異なるのか。偈頌に示す。

北洲定千年, 西東半半減,
此洲壽不定, 後十初叵量。
人間五十年, 下天一晝夜,
乘斯壽五百, 上五倍倍增。
色無晝夜殊, 劫數等身量,
無色初二萬, 後後二二增,
少光上下天, 大全半為劫。

北洲の寿命は千年と定まり、 西と東は半分ずつ減り、

この南閻浮提の寿命は定まらず、 終わりは十歳から始まりは無量である。

人間の五十年が、 下の天の一日一夜となり、

それをもとに五百歳の寿命があるが、 上の天は五倍ずつ増えていく。

色界の天には昼夜の区別はなく、 その劫数は身の丈と等しい。

無色界の最初の二天は二万劫、 その後は二劫ずつ増えていく。

少光天から上の天々では、 大劫と半劫がそれぞれの劫数となる。

論曰:北俱盧人定壽千歲,西牛貨人壽五百歲,東勝身人壽二百五十歲,南贍部人壽無定限。劫減最後極壽十年,於劫初時人壽無量,百千等數不能計量。已說人間壽量長短。要先建立天上晝夜,方可算計天壽短長。天上云何建立晝夜?人五十歲為六天中最在下天一晝一夜,乘斯晝夜三十為月,十二月為歲,彼壽五百年。上五欲天漸俱增倍,謂人百歲為第二天一晝一夜,乘此晝夜成月及年彼壽千歲。夜摩等四隨次如人,二四八百千六百歲為一晝夜,乘此晝夜成月及年,如次彼壽二四八千萬六千歲。持雙以上日月並無,彼天云何建立晝夜及光明事?依何得成?依花開合建立晝夜,如拘物陀、鉢特摩等。又依諸鳥鳴靜差別,或依天眾寤寐不同,依自身光明成外光明事。已說欲界天壽短長。色界天中無晝夜別,但以劫數知壽短長。彼劫壽短長與身量數等,謂若身量半踰繕那,壽量半劫;若彼身量一踰繕那,壽量一劫;乃至身量長萬六千,壽量亦同萬六千劫。已說色界天壽短長。無色四天從下如次壽量二四六八萬劫。上所說劫其量云何?為壞為成?為中為大?少光以上大全為劫,自下諸天大半為劫。即由此故,說大梵王過梵輔天壽一劫半。謂以成住壞各二十中劫,六十中劫為一劫半,故以大半四十中劫為下三天所壽劫量。已說善趣壽量短長。惡趣云何?頌曰:

論じます。北倶盧洲の人々の寿命は必ず千歳、西牛貨洲の人々は五百歳、東勝身洲の人々は二百五十歳、南瞻部洲の人々の寿命は決まっていません。劫が減る最後の時にはわずか十歳となり、劫の初めには寿命は無量で、百千などの数では計り知れません。

以上で人間の寿命の長短について説きました。まず天界での昼夜の長さを明らかにしなければ、天の寿命の長短を計算することはできません。天界ではどのように昼夜を定めるのでしょうか。

人間の五十年が、六欲天の中で最も下の第一天の一昼夜となります。この昼夜を基準に三十日で一か月、十二月で一年とし、その天の寿命は五百年です。上の五つの欲天は徐々に倍になります。すなわち、人間の百年が第二天の一昼夜となり、この昼夜で月と年を積み、その寿命は千歳です。夜摩天などの四天は順に、人間の二、四、八百、千六百年が一昼夜となります。この昼夜で月と年を積み、順にその寿命は二、四、八、千、六千歳です。

持双山より上の天には日月はありません。それらの天では、どのように昼夜や光明を定め、何によって成立するのでしょうか。花の開閉によって昼夜を定めます。例えば、拘物陀華(クムダ)や鉢特摩華(パドマ)などです。また、鳥の鳴き声の有無の違い、あるいは天人の眠りと目覚めの違いによります。また、天人の自らの光明によって外部の光明が成立します。

以上で欲界天の寿命の長短を説きました。色界天には昼夜の区別はなく、ただ劫の数によって寿命の長短を知ります。その劫の寿命の長短は、身体のサイズと同じです。すなわち、身体が半由旬(ユージャナ)なら寿命は半劫、身体が一由旬なら寿命は一劫、そして身体が一万六千由旬に至るまで、寿命もまた同じく一万六千劫です。

以上で色界天の寿命の長短を説きました。無色界の四天は、下から順にその寿命は二、四、六、八万劫です。

先に述べた劫の長さはどのようなものでしょうか。それは壊劫でしょうか、成劫でしょうか。中劫でしょうか、大劫でしょうか。少光天以上は大劫を劫の単位とし、それより下の諸天は中劫の大部分を劫の単位とします。このことにより、大梵天王は梵輔天より一劫半の寿命が長いと言われます。すなわち、成・住・壊のそれぞれ二十中劫、合わせて六十中劫が一劫半だからです。したがって、下の三天の寿命の劫の単位としては、中劫の大部分である四十中劫が用いられます。

以上で善趣の寿命の長短を説きました。悪趣はどうでしょうか。偈に曰く。

等活等上六, 如次以欲天,
壽為一晝夜, 壽量亦同彼。
極熱半中劫, 無間中劫全,
傍生極一中, 鬼月日五百,
頞部陀壽量, 如一婆訶麻,
百年除一盡, 後後倍二十。

「等活」から始まる六つの地獄の寿命は、 それぞれの地獄に相当する欲界の天界の一日を単位とし、 その寿命も天界の寿命と同じ長さです。

極熱地獄の寿命は半中劫、 無間地獄の寿命は一中劫の全体です。

畜生の寿命は最大で一中劫の一部であり、 餓鬼の寿命は人間の五百年を一日とする計算で、五百日間です。

頞部陀地獄の寿命は、 例えば一ベーサの胡麻の粒があるとすれば、 百年ごとに一粒ずつ取り除いて、最後の一粒がなくなるまでの長さで、 その後、次の地獄ではその二倍、さらに次の地獄では前の二十倍と、倍々に増えていきます。

論曰:四大王等六欲天壽,如其次第為等活等六㮈落迦一晝一夜,壽量如次亦同彼天。謂四大王壽量五百,於等活地獄為一晝一夜,乘此晝夜成月及年,以如是年彼壽五百。乃至他化壽萬六千,於炎熱地獄為一晝一夜,乘此晝夜成月及年,彼壽如斯萬六千歲。極熱地獄壽半中劫,無間地獄壽一中劫。傍生壽量多無定限,若壽極長亦一中劫,謂難陀等諸大龍王。故世尊言:大龍有八,皆住一劫能持大地。鬼以人間一月為一日,乘此成月歲壽五百年。寒那落迦云何壽量?世尊寄喻顯彼壽言:如此人間佉梨二十成摩揭陀國一麻婆訶量,有置巨勝平滿其中,設復有能百年除一。如是巨勝易有盡期,生頞部陀壽量難盡。此二十倍為第二壽,如是後後二十倍增,是謂八寒地獄壽量。此諸壽量有中夭耶?頌曰:

論じて曰く、四大王天などの六欲天の寿命は、その順に従って、等活地獄などの六つの奈落迦における一昼夜に相当し、その寿命もまた、同じく彼の天と同じである。すなわち、四大王天の寿命は五百年であり、これが等活地獄における一昼夜となる。この昼夜をもって月と年をなし、そのような年で彼の寿命は五百年となる。さらに、他化自在天の寿命は一万六千年であり、これが炎熱地獄における一昼夜となる。この昼夜をもって月と年をなし、彼の寿命はこのように一万六千歳となる。極熱地獄の寿命は半中劫、無間地獄の寿命は一中劫である。

傍生(畜生)の寿命は、多くは一定の限度がない。もし寿命が極めて長ければ、やはり一中劫にもなる。すなわち、難陀などの諸々の大龍王である。ゆえに世尊は言われる。「大龍には八種がおり、皆一劫に住して、よく大地を支える」と。

鬼は、人間の一月をもって一日とし、これを積んで月と年とし、寿命は五百年となる。

寒那落迦(寒地獄)の寿命はどのようなものか。世尊は譬えによって、その寿命を示して言われる。「この人間界における佉梨二十杯が、摩掲陀国における一麻婆訶量となる。そこに大量の胡麻を平らに満たし、さらに百年に一粒ずつ取り出す者がいたとしても、その胡麻は尽きる時があるかもしれないが、頞部陀(寒地獄)に生まれた者の寿命は、尽くすことが難しい。この二十倍が第二の寿命となり、このように後後は二十倍ずつ増える。これが八種の寒地獄の寿命である。」

これらの寿命には、中途で死ぬものがあるのか。

偈頌に曰く、

諸處有中夭, 除北俱盧洲。

あらゆる場所に中途での死はあるが、北倶盧洲を除く。

論曰:諸處壽量皆有中夭,唯北俱盧定壽千歲。此約處說,非別有情,有別有情不中夭故。謂住覩史多天一生所繫菩薩,及最後有佛記佛使隨信法行菩薩輪王,母懷彼二胎時,此等如應皆無中夭。

論じよう。それぞれの世界には寿命があるが、ほとんどは途中で夭折するものだ。ただ、北倶盧洲だけは寿命が千年と定まっている。これは世界の種類について述べたものであり、特別な生き物についてではない。なぜなら、ある特定の生き物には途中での夭折がないからである。すなわち、兜率天に住む「一生補処」の菩薩や、最後の身体を得た者、仏が成仏を予言した者、仏の使者、信や法によって修行する者たち、転輪聖王、そして母親がその子を二度の妊娠期間に宿す場合など、これらに該当する者は、それぞれに応じて途中で夭折することがないのである。

說一切有部俱舍論卷第十一

説一切有部俱舎論 第十一巻


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