六業品第一百一十
六業品 第百十
業有六種,地獄報業、畜生報業、餓鬼報業、人報、天報、不定報業。
業には六つの種類があります。地獄の報いを受ける業、畜生の報いを受ける業、餓鬼の報いを受ける業、人間の報いを受ける業、天の報いを受ける業、そして定まらない報いを受ける業です。
問曰:何者是耶?答曰:地獄報業,如六足阿毘曇樓炭分中廣說。又殺生等罪皆為地獄,如經中說:喜殺生者生地獄中,若得為人則受短命。乃至邪見亦如是。
問い:何がそれにあたるのでしょうか。答え:地獄の報いとなる業です。『六足阿毘曇』や『楼炭経』の分の中で詳しく説かれている通りです。また、殺生などの罪はすべて地獄の原因となります。経典に説かれているように、殺生を好む者は地獄に生まれ、もし人として生まれることがあれば短命の報いを受けます。邪見に至るまで、これも同じです。
問曰:已知十不善道受地獄報,亦生畜生餓鬼及人道中,而汝但說生地獄及人中,今當別說何業但受地獄報耶?答曰:即此罪業最重者受地獄報,小輕則受畜生等報。又若具足三種邪行則為地獄,餘不具足業為畜生等。又故作重罪則為地獄,又破戒破見人所造惡業則為地獄。又深心為惡心壞行壞,是人造惡則為地獄。又造不善業以不善助則為地獄。又若於賢聖造不善業則為地獄。又起不善業不善修集,如人起不善業,後讚快樂不欲捨離,則為地獄。又以憎恚心而造罪業則為地獄,若為財物則受餘報。又以邪見心起不善業則為地獄。又破戒者所作罪業則為地獄。又無慚愧者所作罪業則為地獄。又惡性人所作罪業則為地獄,譬如濕地小雨成泥。又常行不善者所作惡業則為地獄。又若無急緣而造惡業則為地獄。又若人不得空無我分,深染著故,所造罪業則為地獄。又若人不修身戒心慧,所造惡業則為地獄。又若凡夫人所作罪業則為地獄。所以者何?是人不知陰、界、諸入、十二緣等,以不知故,不應作而作、應作而不作,不應語而語、應語而不語,不應念而念、應念而不念,是人所作罪業雖少,亦為地獄。又若不見不善中過,是人則能起重罪業受地獄報。又若人為罪、不依於善,則為地獄,如負債人不依恃王,債主則得便。又若人善業劣弱,所作少罪亦為地獄,如人身中火勢微少,得難消食則不能消。又若人但行不善,無善業雜,則為地獄,如人為賊輕重悉繫。又若捨離一切善根,如象戰時不護惜手,是人作罪則為地獄。又若行小法、受學小師,是人作罪則為地獄,如貧賤負債為富貴所牽。又若人常長不善,如負債日息,猶如屠兒獵師等業,則為地獄。又若覆藏罪則為地獄,如瘡內漏。又若人不善久住心中,不能疾滅,則為地獄,如被治毒即能殺人。又若人自作不善亦以教人,開多眾生苦惱門故,則為地獄,如諸國王,及多知識人行惡邪行令多人學,如富蘭那等。又若所作業多惱眾生,如燒林等。又教他人令墮非法,如田獵等。又若人以惡業活命,如賊魁膾屠獵師等。又畢竟破戒人所作罪業則為地獄。至死不捨故名畢竟,如偈說:畢竟破戒人,如藤蔓樹枝,是人身造惡,自令怨得願。又無事而忿,以此忿心而為罪業,則為地獄;若有事而忿罪則不爾。又以瞋起業,是結重故,則為地獄。如經中說:瞋為重罪而易除滅。又若惡心成性則為地獄,若以因緣而起罪業是則輕微。又若縱逸人所造惡業則為地獄,若為知識所護則得生天上,如莎婆魁膾臨命終時,舍利弗到其所,是人即以惡眼視舍利弗,不能令異,呼小來前,更以氣噓之,見舍利弗光色益榮,便生念言:此人勝我,不可殺也。即以淨心七反上下視舍利弗,以此因緣七生天上七生人中,後得辟支佛道。又如鴦掘魔羅多起罪業,將欲殺母,佛為善知識故即得解脫。又如施越以火坑毒飯欲中害佛,佛為善知識故亦得解脫。如是等人雖有惡業,不墮地獄。故說若縱逸人所作惡業則為地獄。又若斷善根不可復治,如調達等,猶如病人死相已現,是人作罪則為地獄。又若人不數為善,將命終時善心難生,是人心悔故墮地獄。又若臨死時起邪見心,是人以先不善為因、邪見為緣,故墮地獄。如是多有諸業為地獄報。又論師言,一切不善皆是地獄因緣,是不善之餘生畜生等中。如經中說,佛語比丘:汝等所見眾生身邪行口邪行意邪行者,當知便為見地獄人。
問:すでに十不善道が地獄の報いを受け、また畜生・餓鬼および人道の中に生まれることも知られています。しかし、あなたはただ地獄と人中に生まれることだけを説かれました。今、別にどのような業がただ地獄の報いだけを受けるのかを説くべきでしょうか。
答え:すなわち、この罪の業の中で最も重いものが地獄の報いを受け、少し軽いものは畜生などの報いを受けます。また、三種の邪行を具足すれば地獄となり、残りの具足しない業は畜生などとなります。また、故意に重罪を犯せば地獄となり、また戒を破り見解を破った人が造る悪業は地獄となります。また、深い心で悪を為し、心が壊れ行いが壊れた人が悪を造れば地獄となります。また、不善の業を造り、不善によって助ければ地獄となります。また、賢聖に対して不善の業を造れば地獄となります。また、不善の業を起こし、不善を修め集めることがなければ――たとえば人が不善の業を起こし、後に楽しみを讃えて捨てようとしないような場合は――地獄となります。また、憎しみの心で罪の業を造れば地獄となり、もし財物のために造れば残りの報いを受けます。また、邪見の心で不善の業を起こせば地獄となります。また、戒を破る者が作る罪の業は地獄となります。また、慚愧のない者が作る罪の業は地獄となります。また、悪性の人が作る罪の業は地獄となります。たとえば湿地に小雨が降れば泥になるようなものです。また、常に不善を行なう者が作る悪業は地獄となります。また、急な事情がなくて悪業を造れば地獄となります。また、人が空・無我の分を得ず、深く染まり執着しているために造る罪の業は地獄となります。また、人が身・戒・心・慧を修めなければ、造る悪業は地獄となります。また、凡夫が作る罪の業は地獄となります。なぜでしょうか。この人は陰・界・諸入・十二縁などを知りません。知らないために、為すべきでないことを為し、為すべきことを為さず、語るべきでないことを語り、語るべきことを語らず、念ずべきでないことを念じ、念ずべきことを念じません。この人が作る罪の業は少なくても、やはり地獄となるのです。また、不善の中に過ちを見なければ、この人は重い罪の業を起こして地獄の報いを受けることができます。また、人が罪を為し、善に依らないならば地獄となります。ちょうど借金の人が王に頼らなければ、債主がつけ込む隙を得るようなものです。また、人の善業が劣り弱く、作る罪が少なくても地獄となります。ちょうど人の身の中の火の勢いが微かで少なく、消化しにくい食物を得れば消化できないようなものです。また、人がただ不善だけを行ない、善業が混じらなければ地獄となります。ちょうど人が賊となれば軽重を問わずすべて縛られるようなものです。また、一切の善根を捨て離れるならば――ちょうど象が戦う時に手を惜しまないように――この人が作る罪は地獄となります。また、小さい法を行じ、小さい師に学ぶならば、この人が作る罪は地獄となります。ちょうど貧賤の者が借金して富貴の者に引かれるようなものです。また、人が常に不善を長く続けるならば――ちょうど借金の日利のように、また屠殺者や狩人のような業のように――地獄となります。また、罪を覆い隠せば地獄となります。ちょうど瘡が内に漏れるようなものです。また、不善が久しく心の中に住み、速やかに滅ぼせなければ地獄となります。ちょうど毒を治そうとしてかえって人を殺すようなものです。また、人が自ら不善を為し、また教えて多くの衆生の苦悩の門を開くならば地獄となります。ちょうど諸国の王や多くの知人が悪しき邪行を行ない、多くの人に学ばせるようなものです。富蘭那などのようにです。また、作る業が多くの衆生を悩ませるならば、林を焼くようなものです。また、他人に教えて非法に堕とすならば、田猟などのようなものです。また、人が悪業で命を養うならば、賊の首領・刽子手・屠殺者・狩人などのようなものです。また、究竟して戒を破る人が作る罪の業は地獄となります。死に至るまで捨てないので究竟と呼びます。偈に説く通りです。
究竟して戒を破る人は、藤蔓が樹枝にまとわるように、この人は身に悪を造り、自ら怨みに願いを叶えさせる。
また、事もなく忿り、この忿りの心で罪の業を為せば地獄となります。もし事があって忿るならば罪はそうではありません。また、瞋りによって業を起こすことは結びが重いので地獄となります。経の中に説く通りです。瞋りは重い罪だが除き滅ぼしやすいのです。また、悪心が性となれば地獄となります。もし因縁によって罪の業を起こすならば、それは軽微です。また、放逸な人が造る悪業は地獄となります。もし知識に護られれば天上に生まれることができます。ちょうど莎婆魁膾が命終の時、舎利弗がその所に到り、この人は悪い目で舎利弗を見て、異ならせることができず、小さく呼んで前に来させ、さらに息を吹きかけ、舎利弗の光色がますます栄えるのを見て、念を生じました。この人は私に勝っており、殺すことはできない、と。すぐに清らかな心で七度上下に舎利弗を視ました。この因縁によって七生天上に、七生人中に生まれ、後に辟支仏の道を得ました。また、鴦掘魔羅は多くの罪業を起こし、まさに母を殺そうとしましたが、仏が善知識となられたので即座に解脱を得ました。また、施越は火坑と毒飯で仏を害そうとしましたが、仏が善知識となられたので同じく解脱を得ました。このような人々は悪業があっても地獄に堕ちません。だから、放逸な人が作る悪業は地獄となると説くのです。また、善根を断ち再び治すことができなければ、調達などのように、ちょうど病人に死相がすでに現れたようなもので、この人が作る罪は地獄となります。また、人がしばしば善を為さなければ、命終の時、善心が生じにくく、この人は心が悔いるために地獄に堕ちます。また、臨終の時に邪見の心を起こせば、この人は先の不善を因とし、邪見を縁とするために地獄に堕ちます。このように多くの業が地獄の報いとなります。また、論師が言うには、一切の不善はすべて地獄の因縁であり、この不善の残りは畜生などの中に生まれます。経の中に説く通りです。仏が比丘たちに告げられました。あなた方が見る衆生で、身に邪行し、口に邪行し、意に邪行する者は、まさに地獄の人を見ているのだと知りなさい。
問曰:已知地獄報業,畜生報業何者是耶?答曰:若人雜善起不善業,故墮畜生。又結使熾盛故墮畜生,如婬欲盛故生於雀鴿鴛鴦等中,瞋恚盛故生于蚖蛇蝮蠍等中,愚癡熾盛故生猪羊等中,憍逸盛故生於師子虎狼等中,掉戲盛故生猨猴等中,慳嫉盛故生狗等中,如是等餘煩惱盛故生種種畜生中。若有少施分者,雖生畜生於中受樂,如金翅鳥龍象馬等。又口業報多墮畜生,如人不知不信業果報故起種種口業,如言是人輕躁猶如猨猴,則生猨猴中。若言貪𡝢如鳥、語如狗吠、騃如猪羊、聲如驢鳴、行如駱駝、自高如象、惡如逸牛、婬如鳥雀、怯如猫狸、諂如野干、便如羖羊、多毛如牛,起如是等惡口業故,隨業受報。又眾生以貪樂故發種種願,如樂婬欲則生鳥等中,若聞諸龍金翅鳥等有勢力故願生其中。又經中說:若於迮狹處死,願得寬處,則生鳥中。若渴死,求水故,生水中。餓死,貪食故,生廁等中。又從愚癡起輕微業,以雜善故,生於蚤虱虫蟻等中。又若教他人令墮邪法,則生無智處,盲生盲死,作死尸中虫。又行雜業故生畜生中,如經中說:諸畜生隨種種心,得種種形。又若起應食草業,如人妄語,自呪誓言:若食此食令我食草、或言食土,如是等。又若人惡口罵言:汝何不食草食土。是人隨語受生食草土等。又人行不淨施得草等報。又若人觝債不償,墮牛羊麞鹿驢馬等中償其宿債。如是等業墮畜生中。
問:地獄の報いの業についてはすでに知りましたが、畜生の報いの業とはどのようなものでしょうか。
答:人が善と不善を混ぜた業を起こすと、畜生に堕ちます。また、煩悩が激しいために畜生に堕ちます。たとえば、婬欲が盛んなために雀や鴿(はと)、鴛鴦などに生まれ、瞋恚が盛んなために蚖蛇(げんじゃ)や蝮、蠍などに生まれ、愚癡が盛んなために猪や羊などに生まれ、憍逸(きょういつ)が盛んなために師子や虎、狼などに生まれ、掉戯(じょうけ)が盛んなために猿や猴などに生まれ、慳嫉が盛んなために狗などに生まれます。このように、その他の煩悩が盛んなために、さまざまな畜生の中に生まれるのです。少しでも施しの分がある者は、畜生に生まれてもそこで楽しみを受けます。金翅鳥や龍、象、馬などのようにです。
また、口の業の報いによって多くは畜生に堕ちます。人が業と果報を知らず信じないために、さまざまな口の業を起こすからです。たとえば、あの人は軽躁で猿猴のようだと言えば、猿猴の中に生まれます。貪り争いが鳥のようだと言い、語りが狗の吠えるようだと言い、愚かさが猪や羊のようだと言い、声が驢(ろば)の鳴き声のようだと言い、歩き方が駱駝のようだと言い、自尊心が象のようだと言い、悪さが逸牛のようだと言い、婬が鳥雀のようだと言い、臆病が猫狸のようだと言い、諂いが野干のようだと言い、便(ふん)が羖羊のようだと言い、毛深いことが牛のようだと言えば、このような悪口の業を起こしたために、業に従って報いを受けます。
また、衆生は貪り楽しむために、さまざまな願を起こします。婬欲を好む者は鳥などの中に生まれ、諸龍や金翅鳥などに勢力があると聞けば、その中に生まれたいと願います。また経典にはこう説かれています。狭い所で死ねば、広い所を得たいと願って鳥の中に生まれます。渇きによって死ねば、水を求めるために水中に生まれます。飢えによって死ねば、食べ物を貪るために便所などの中に生まれます。
また、愚癡から軽微な業を起こし、善を混ぜているために、蚤(のみ)や虱、虫、蟻などの中に生まれます。また、他人を教えて邪法に堕ちさせれば、無知な所に生まれ、盲(めしい)で生まれ盲で死に、死屍の中の虫となります。また、雑な業を行うために畜生の中に生まれます。経典に説かれているとおりです。諸畜生は種々の心に従って、種々の形を得ます。
また、草を食べるべき業を起こすことがあります。たとえば、人が妄語をして、自分で呪いの誓いを立てて「この食べ物を食べるならば、私を草を食べさせよ」と言い、あるいは「土を食べさせよ」と言うような場合です。また、人が悪口で「おまえはなぜ草や土を食べないのか」と罵れば、その人は言葉に従って生まれ、草や土などを食べる報いを受けます。また、人が不浄な施しを行えば、草などの報いを得ます。また、人が借金を返さずにいれば、牛や羊、麞鹿(しか)、驢馬などの中に堕ちて、その宿債を償います。このような業によって畜生の中に堕ちるのです。
問曰:已知畜生報業。以何業故墮餓鬼中?答曰:於飲食等生慳貪心,故墮餓鬼。
問い:畜生の報いの業についてはすでに知りました。どのような業によって餓鬼の中に堕ちるのでしょうか。答え:飲食などに対して慳貪の心を生じるため、餓鬼に堕ちます。
問曰:若人自物不與,何故得罪?答曰:是慳人,若人從乞,以貪惜故則生忿怒,以此罪故生餓鬼中。又此慳人,若人從乞,有而言無,以妄語故墮餓鬼中。又此人久來修集慳結,見他得利生慳妬心故墮餓鬼。又此慳人,見他行施則憎恚施主言:此乞者以慣得故,必當復來從我乞。又從久遠來修集慳心,既自不施亦遮他與。又若共有物,如寺中僧物及天祠中諸婆羅門物,有人獨惜不欲與人,故墮餓鬼。又若人劫奪壞他飲食故,生無飲食處。又若人無布施福,隨所生處報無所得,兼有呵罵乞者業故於中受苦。又此慳者,見人飢渴無憐愍心,故所生處常受飢渴。如以慈悲得生天上,如是以恚恨故生惡道中。又深著親屬愛樂住處,故墮迦陵伽等餓鬼中生,以貪愛是生因緣故。如是等,如《業報經》中廣說。
問:人が自分の物を他人に与えないなら、なぜ罪を得るのでしょうか。
答:この人は物惜しみする者です。人が物を乞うと、貪り惜しむために怒りが生じます。この罪によって餓鬼の中に生まれます。
またこの物惜しみする者は、人が物を乞うと、有るのに無いと言います。妄語によって餓鬼の中に堕ちます。
またこの者は久しく物惜しみの煩悩を積んできて、他人が利益を得るのを見て妬む心を生じるため、餓鬼に堕ちます。
またこの物惜しみする者は、他人が施しを行うのを見ると、施主を憎み怒って言います。「この乞食者は慣れているから、きっとまた私のところへ物を乞いに来るだろう」と。
また久遠の昔から物惜しみの心を積んできて、自分が施さないだけでなく、他人が与えるのをも妨げます。
また共有の物、たとえば寺の中の僧物や天祠の中の諸婆羅門の物を、ある人が独りで惜しんで人に与えようとしないため、餓鬼に堕ちます。
また人が奪い取って他人の飲食を壊すなら、食べ物のない所に生まれます。
また人が布施の福がなければ、生まれる所ごとに報いとして何も得られず、さらに乞う者を罵る業があるため、その中で苦しみを受けます。
またこの物惜しみする者は、人が飢え渇いているのを見ても憐れむ心がないため、生まれる所で常に飢え渇きを受けます。
慈悲によって天に生まれるように、同じように怒りの心によって悪道に生まれます。
また深く親族や愛楽の住処に執着するため、迦陵伽などの餓鬼の中に生まれます。貪愛が生の因縁だからです。
このようなことは、『業報経』に詳しく説かれています。
問曰:已知三惡報業。以何業故生人天中?答曰:若布施持戒修善等業,上者生天中、下者生人中,有利根者則生人中,以能行人法故名為人。又雜善業故生人中。此業有上中下、一心不一心、淨不淨等。何以知之?以人有種種差品不同故。如經中說:殺生則短命、盜竊則貧窮、邪婬則家不貞良、妄語則常被誹謗、兩舌則眷屬不和、惡口則常聞惡聲、綺語則人不信受、貪嫉則多婬欲、瞋恚則多惡性、邪見則多愚癡、憍慢則生下賤、自高則矬短、嫉妬則無威德、慳則貧寒、瞋則醜陋、惱他則多病、雜心布施則嗜不美味、非時布施則不得隨意、疑悔則生邊地、行不淨施則從苦得報、非道行婬則得不男形。人中有如是等雜不善業;善業亦與此相違,如不殺得長壽等。人道中有如是等種種不同,故知是雜業報。又以願故得生人中,有人不樂放逸亦不多欲,好樂智慧發人身願,則生人中。又若人好樂供養父母及諸所尊,亦知供養沙門婆羅門等,喜為事業亦好修福,則生人中。於人中若淨業因緣生欝單越。又若人憎惡田宅舍廬我所差別,生欝單越。又若人正行白業不惱他,取財而以布施,亦不貪著,自持戒行又不破戒前後眷屬,則生欝單越。是善小劣生拘耶尼,又小不如生弗于逮。天報業者是施戒善上淨故生天。又若人得智慧分,折伏諸結,故生天上。又亦隨雜業故有差別,如人中說。又以願故,若聞天上受樂因緣,所作善業皆願往生,如八福生處中說。若行慈悲喜捨,則生梵世乃至有頂。是中禪定有差品故,報亦差別。若不善斷睡眠調戲等,是人身光則濁,若善除滅光則明淨。又上善業報則生天,以諸所欲隨念即得故。若離色相得無色定,則生無色處。如是等名天報業。不定報業者,下善不善業,是業或地獄、餓鬼、畜生、人天中受。
問:三悪の報いの業についてはすでに知りました。では、どのような業によって人や天の中に生まれるのでしょうか。
答:布施や持戒、善行などの業において、程度の高いものは天に生まれ、低いものは人の中に生まれます。利根の者は人の中に生まれます。人の法を行じることができるので、これを人と名づけるのです。また、種々の善業が混じり合っているので人の中に生まれます。この業には上・中・下があり、一心であるか一心でないか、清浄であるか清浄でないかなどの違いがあります。
なぜそうと知れるのでしょうか。人には種々の異なった階層があるからです。経の中で説かれているように、殺生をすれば短命になり、盗みをすれば貧しくなり、邪淫を行えば家庭が貞淑でなくなり、妄語をすれば常に誹謗され、両舌であれば眷属が和合せず、悪口であれば常に悪い声を聞き、綺語であれば人に信じてもらえず、貪り嫉む者は淫欲が多くなり、瞋恚の者は悪性が多くなり、邪見の者は愚かになり、驕慢な者は下賤の家に生まれ、自らを高くする者は背が低くなり、嫉妬する者は威徳がなくなり、物惜しみする者は貧しくなり、怒る者は醜くなり、他を悩ませる者は病が多くなり、雑な心で布施をすれば美味しいものを好まなくなり、時をわきまえずに布施をすれば思うままにならず、疑い悔いる者は辺地に生まれ、清浄でない布施を行えば苦しみから報いを得て、道に外れた淫行を行えば男として生まれることができません。
人の中にはこのような種々の不善の業があります。善業もまたこれと反対であり、たとえば殺さなければ長寿を得るといった具合です。人道の中にはこのような種々の異なりがあるので、これが混ざり合った業の報いであると知られるのです。
また、願によって人の中に生まれることもあります。放逸を好まず、欲も多くなく、智慧を好んで人身の願を起こす人は、人の中に生まれます。また、父母や尊敬すべき人々を供養することを好み、沙門や婆羅門などをも供養することを知り、事業を喜んで行い、また福を修めることを好む人は、人の中に生まれます。
人の中でも、清浄な業の因縁によって鬱単越に生まれます。また、田や宅や舎や廬など、我の所有という区別を憎む人は、鬱単越に生まれます。また、正しい白業を行じ、他を悩ませず、財を取ってもそれを布施し、また貪り執着せず、自ら戒を持ち、戒を破らず、前後の眷属もまた同じである人は、鬱単越に生まれます。この善が少し劣れば拘耶尼に生まれ、また少し劣れば弗于逮に生まれます。
天の報いの業とは、布施と戒の善が上品で清浄であるため天に生まれるものです。また、智慧の分を得て諸々の結を折伏した者は、天に生まれます。また、雑業に従うためにも差別があり、人の中について説いたのと同じです。また、願によって、天の楽しみの因縁を聞いて、行った善業をすべてそこへの往生を願うならば、八福生処の中で説かれるとおりです。慈悲喜捨を行えば、梵世ないし有頂に生まれます。この中でも禅定に段階の違いがあるため、報いにも差別があります。不善でありながら睡眠や調戯などを断じなければ、その人の身の光は濁り、よく除き滅すれば光は明浄になります。また、上の善業の報いは天に生まれることで、諸々の欲するものが思いに従ってすぐに得られるからです。色相を離れて無色定を得れば、無色処に生まれます。このようなものが天の報いの業と名づけられます。
不定の報いの業とは、下品の善業・不善業であり、この業はあるいは地獄、餓鬼、畜生、人、天の中で受けます。
問曰:餘四道中可得受善業報,地獄云何?答曰:若小地獄中暫有停息。如從火地獄得脫,遙見樹林心喜往趣,入此林中,涼風動樹刀劍未墮,爾時暫樂。或見醎河謂是清水,馳走往趣亦得暫樂。如是等是地獄中善業報分。是名不定報業。
問い:残りの四道では善業の報いを受けることができますが、地獄ではどうでしょうか。答え:小さな地獄の中では、しばらく休息が得られることがあります。たとえば火の地獄から脱け出した者が、遠くに樹林を見て心に喜びを抱き、そこへ向かって進みます。この林の中では、涼しい風が木を揺らし、刀剣はまだ落ちてきません。そのとき、しばらくの楽しみを得ます。あるいは塩辛い河を見て、それを清水だと思い、走ってそこへ向かい、これもまたしばらくの楽しみを得ます。このようなものが、地獄における善業の報いの一部です。これを不定報業と名づけます。