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title: "成實論 · 133 二取品"
description: "成实论由印度高僧诃梨跋摩所著，鸠摩罗什于姚秦时期译成汉文，是小乘佛教向大乘过渡的重要论典。该论以四谛为核心，系统阐述苦、集、灭、道真谛，批判说一切有部观点，主张人法二空思想。其内容涵盖五蕴分析、业报理论及修行次第，结构严谨，逻辑清晰，被视为部派佛教思想的集大成者。在中国佛教史上，成实论曾形成成实学派，对南北朝佛学发展影响深远，为三论宗等宗派提供了理论基础，是研究早期佛教哲学的重要文献。"
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### 二取品第一百三十三

> 二取品 第百三十三

於非實事中生決定心，但是事實，餘皆妄語，是名見取。及先說非勝法中定生勝想，亦名見取。

> 実在しないものに対して「これこそが真実だ」と固く思い込み、他はすべて偽りだと考えること、これを「見取（けんじゅ）」と言います。また、先に述べたとおり、本当は優れていない教えに対して「これは優れている」と誤って思い込むことも、同じく「見取」と呼ばれます。

問曰：見取有何過？答曰：是人得少功德自以為足。又是人唐勞其功。所以者何？是人於非善事中生妙善想，勤加精進，以是因緣後則心悔。又是人為智者所笑，以非勝中生勝想故。又若人非勝謂勝是愚癡相，猶如盲人於瓦礫中生金銀想，為有目者之所輕笑。見取有如是等過。若人捨智，以洗浴等戒望得清淨，名為戒取。問曰：不以戒故得清淨耶？答曰：以智慧得清淨戒，為智慧根本。

> 問う：見取にはどのような過失があるのか。答え：この見解を執する人は、わずかな善い行いを得ただけで自分が満足してしまう。また、こうした人はその努力を無駄にしてしまう。なぜなら、この人は善くない事柄の中に妙なる善い考えを生み出し、熱心に精進するが、そのために後になって心に後悔が生じるからである。また、この人は賢者から笑われることになる。勝れていないものの中で勝れているという思いを起こすからである。さらに、もし人が勝れていないものを勝れていると見なすのは、愚かさの表れであり、まるで盲目の人が瓦礫の中に金や銀があると思い込み、目のある人に軽く笑われるようなものである。見取にはこのような過失がある。もし人が智慧を捨て、沐浴などの戒めによって清らかさを得ようと望むならば、これを戒取と呼ぶ。問う：戒めによっては清らかさを得られないのか。答え：智慧によって清らかさの戒めを得るのであり、戒めは智慧の根本なのである。

問曰：戒取有何過？答曰：所說見取之過，以下事為足等，皆是此過。又戒取因緣唐受諸苦，謂受寒熱、臥灰土木刺棘等上、投淵赴火自墜高等，後世亦受劇苦果報。如經中說：持牛戒若成則還為牛，若不能成則墮地獄。又此人從冥入冥，以受此法現世得苦、後亦苦故。又此人得深重罪。所以者何？以非法為法，毀壞真法，亦謗行正法者，令多眾生背真淨法、墮罪中故，積集大罪，必受阿鼻地獄果報。寧止不行勿行邪道。所以者何？若本不行，易令行道，邪行敗心故難入道。又雖是怨賊，不能令人衰惱，如生邪見。所以者何？怨賊不能污人，如隨逐邪見，受外道所行種種邪戒，裸形無恥、灰土塗身、拔髮等故。又此邪見人，皆失世間一切利樂，現在失五欲樂，後失生善處樂及泥洹樂。若人求樂得苦、求解得縛，不名狂耶？所以者何？以施一飡因緣可得生天，此人行邪行故，雖施身命無所利益。

> 問い：戒取にはどのような過失があるのでしょうか。 答え：先ほど述べた見取の過失、すなわち「劣った行いで足りる」と満足してしまうことなどは、すべてこの戒取の過失でもあります。さらに、戒取によって無駄に多くの苦しみを受けることになります。すなわち、寒さ暑さに耐え、灰や土の上に寝そべり、木の枝や棘の上に横たわり、深い淵に飛び込み、火の中に身を投じ、高い所から自ら落ちるなどの苦行を行うのです。来世においても、激しい苦しみの報いを受けます。 経典にはこう説かれています。「牛の戒律を守りきれば牛に生まれ変わり、守りきれなければ地獄に堕ちる」と。また、このような人は闇から闇へと入るようなものです。なぜなら、このような行いをすることで現世で苦しみを受け、来世でも苦しむからです。さらに、この人は深く重い罪を犯すことになります。なぜなら、正しくない法を正しい法と誤って見なし、真実の法を破壊し、正しい法を行う者を誹謗し、多くの衆生を真実の清らかな法から遠ざけて罪の中に陥らせるからです。そのため、大いなる罪を積み重ね、必ず阿鼻地獄の報いを受けることになります。 むしろ、何も行わない方がましであり、邪道を行ってはなりません。なぜなら、もしもともと何も行っていなければ、正道に入るよう導くのは容易ですが、邪な行いをして心を壊してしまうと、正道に入ることが難しいからです。 また、たとえ怨みの盗賊であっても、人に衰えや悩みをもたらすことはできませんが、邪見が生じることは、そのような害をもたらします。なぜなら、怨みの盗賊は人の心を汚すことができませんが、邪見に従い続けると、外道のさまざまな邪な戒律を受け入れてしまうからです。すなわち、裸で恥じることがなく、灰や土を体に塗り、髪を引き抜くなどの行いをするのです。 また、この邪見の人は、世間におけるすべての利益や安楽を失います。現世では五欲の楽しみを失い、来世では善い場所に生まれる楽しみと涅槃の安楽を失うのです。もし人が安楽を求めて苦しみを得、解脱を求めて束縛を得るとしたら、それを狂人と言わずに何と言いましょうか。なぜなら、たった一度の食事を施す縁によって天に生まれることができるのに、この人は邪な行いをしているがゆえに、自らの身や命を施しても何の利益も得られないからです。