---
title: "三國遺事 · 卞韓　百濟"
description: "三国遗事由高丽时代僧侣一然所撰，是朝鲜半岛重要佛教历史文献。该书成书于13世纪，在高丽王朝佛教兴盛的背景下，补充了三国史记未收录的古代新罗、高句丽、百济历史传说与佛教事迹。内容涵盖王系编年、佛教传播、高僧轶事及灵异故事，尤其记录了阿道、墨胡子等早期传法者的事迹与佛国寺创建等史实。作为朝鲜佛教史核心典籍，它融合历史与宗教叙事，对研究韩国古代文化、佛教发展及民间信仰具有不可替代的权威价值。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmcwe55xr05zyjx04fa72r01q"
---

### 卞韓　　百濟亦云。南扶餘。即泗泚城也

> 卞韓・百済<note>また南扶余ともいう。すなわち泗泚城である</note>

新羅始祖赫居世即位十九年壬午。卞韓人以國來降。新舊唐書云。卞韓苗裔在樂浪之地　後漢書云。卞韓在南。馬韓在西。辰韓在東　致遠云。卞韓。百濟也　按本記。溫祚之起。在鴻嘉四年甲辰。則後於赫世東明之世。四十餘年。而唐書云。卞韓苗裔在樂浪之地云者。謂溫祚之系出自東明故云耳。或有人出樂浪之地。立國於卞韓。與馬韓等並峙者。在溫祚之前爾。非所都在樂浪之北也。或者濫九龍山亦名卞那山。故以高句麗為卞韓者蓋謬。當以古賢之說為是。百濟地自有卞山。故云卞韓。百濟全盛之時。十五萬二千三百戶。

> 新羅の始祖・赫居世が即位してから19年目にあたる壬午の年、卞韓の人々が国ごと新羅に帰順してきた。『新唐書』と『旧唐書』には、「卞韓の子孫は楽浪の地にいた」と記されている。また『後漢書』には、「卞韓は南に、馬韓は西に、辰韓は東にあった」とある。崔致遠（최치원）は、「卞韓とは百済のことである」と言っている。 ところで『三国史記』の本紀を調べてみると、温祚（おんそ）が国を興したのは鴻嘉（こうか）4年、甲辰の年であり、これは赫居世や東明聖王の時代より40余年後のことである。それなのに唐書に「卞韓の苗裔は楽浪の地にいた」とあるのは、温祚の系統が東明聖王から出ていることを指して言ったものである。 あるいは楽浪の地から出た者が卞韓の地に国を立て、馬韓などと並んでいたこともあったが、それは温祚よりも前のことである。その場合も都が楽浪の北にあったわけではない。 また、ある者は九龍山が卞那山とも呼ばれたことから、高句麗を卞韓とする説もあるが、これは誤りである。やはり昔の賢人の説（卞韓＝百済説）が正しい。百済の地にはもともと卞山があり、そのことから卞韓と呼ばれたのである。 百済が全盛の頃には、その戸数は15万2300戸に達した。