金光明最勝王經依空滿願品第十
金光明最勝王経 空に依って願いを満たす品 第十
爾時,如意寶光耀天女於大眾中,聞說深法,歡喜踊躍,從座而起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬而白佛言:「世尊!惟願為說於甚深理修行之法。」而說頌言:
その時、如意宝光耀天女は大衆の中にあって、深遠な法を聞き、歓喜し踊り上がり、座より立ち上がり、右肩をあらわにし、右膝を地につけ、合掌して恭敬し、仏に申し上げた。「世尊よ、どうか甚深なる理に基づく修行の法をお説きください。」そして、次の偈を述べた。
「我問照世界, 兩足最勝尊,
菩薩正行法, 惟願慈聽許。」
佛言:「善女天! 若有疑惑者,
隨汝意所問, 吾當分別說。」
「世界を照らす方に尋ねます、二足の最勝なる尊き方よ、 菩薩の正しい行いの法を、どうか慈悲をもってお聞きください。」 仏は言われた、「善き女天よ、もし疑いや迷いがあるならば、 お前の思うままに問うがよい、私は詳しく説いてやろう。」
是時天女請世尊曰:
その時、天女が世尊に申し上げました。
「云何諸菩薩, 行菩提正行,
離生死涅槃, 饒益自他故?」
「菩薩たちはどのようにして、菩提の正しい行いを実践し、 生死と涅槃を離れ、自他ともに益をもたらすのでしょうか?」
佛告善女天:「依於法界,行菩提法,修平等行。云何依於法界,行菩提法,修平等行?謂於五蘊能現法界,法界即是五蘊,五蘊不可說,非五蘊亦不可說。何以故?若法界是五蘊,即是斷見;若離五蘊,即是常見;離於二相,不著二邊,不可見,過所見,無名無相,是則名為說於法界。善女天!云何五蘊能現法界?如是五蘊不從因緣生。何以故?若從因緣生者,為已生故生?為未生故生?若已生生者,何用因緣?若未生生者,不可得生。何以故?未生諸法即是非有,無名無相,非校量譬喻之所能及,非是因緣之所生故。善女天!譬如鼓聲,依木、依皮及桴手等故得出聲,如是鼓聲過去亦空,未來亦空,現在亦空。何以故?是鼓音聲不從木生,不從皮生及桴手生,不於三世生,是則不生。若不可生,則不可滅;若不可滅,無所從來;若無所從來,亦無所去;若無所去,則非常非斷;若非常非斷,則不一不異。何以故?此若是一,則不異法界。若如是者,凡夫之人應見真諦,得於無上安樂涅槃;既不如是,故知不一。若言異者,一切諸佛菩薩行相即是執著,未得解脫煩惱繫縛,即不證於阿耨多羅三藐三菩提。何以故?一切聖人於行非行,同真實性,是故不異。故知五蘊非有非無,不從因緣生,非無因緣生,是聖所知,非餘境故,亦非言說之所能及,無名無相,無因無緣,亦無譬喻,始終寂靜,本來自空。是故五蘊能現法界。善女天!若善男子、善女人欲求阿耨多羅三藐三菩提,異真異俗,難可思量,於凡聖境,體非一異,不捨於俗,不離於真,依於法界,行菩提行。」
仏が善女天に告げられた。「法界に依って、菩提の法を行じ、平等の行を修めなさい。どうすれば法界に依って、菩提の法を行じ、平等の行を修めることができるのでしょうか。それは、五蘊によって法界を現じ、法界はすなわち五蘊であり、五蘊は説くことができず、五蘊でないものも説くことができないということです。なぜなら、もし法界が五蘊であるなら、それは断見であり、もし五蘊を離れているなら、それは常見だからです。二つの相を離れ、二辺に執着せず、見ることができず、見られるものを超え、名も形もない、これを法界を説くと言います。善女天よ、どうして五蘊が法界を現じることができるのでしょうか。この五蘊は因縁から生じるものではありません。なぜなら、もし因縁から生じるなら、すでに生じたから生じるのか、まだ生じていないから生じるのか。もしすでに生じたから生じるなら、因縁は何の役に立つのでしょうか。もしまだ生じていないから生じるなら、生じることはありえません。なぜなら、まだ生じていない諸法は存在せず、名も形もなく、比喩や比較で表せるものではなく、因縁によって生じたものではないからです。善女天よ、たとえば太鼓の音は、木や皮、そしてばちや手などによって音が出ますが、その太鼓の音も、過去は空、未来は空、現在も空です。なぜなら、この太鼓の音は木から生じるのでも、皮から生じるのでも、ばちや手から生じるのでもなく、三世から生じるものでもないからです。そうであれば、生じることはありません。もし生じることがなければ、滅することもありません。もし滅することがなければ、どこからも来たわけではありません。もしどこからも来たわけでなければ、どこへも行きません。もしどこへも行かなければ、常でもなく断でもありません。もし常でもなく断でもなければ、一でもなく異でもありません。なぜなら、もしこれが一であるなら、法界と異なることはないはずです。もしそうであるなら、凡夫の人も真諦を見て、無上の安楽涅槃を得られるはずです。しかし、そうではないので、一ではないとわかります。もし異であると言うなら、一切の諸仏菩薩の行相は執着となり、煩悩の束縛から解脱できず、阿耨多羅三藐三菩提を証することはできません。なぜなら、一切の聖人は、行と非行において、同じ真実性を体得しているからです。ですから、異ではありません。したがって、五蘊は有でもなく無でもなく、因縁から生じるのでもなく、無因縁から生じるのでもない、聖者のみが知る境地であり、言葉で表せるものではなく、名も形もなく、因も縁もなく、比喩もなく、始めから終わりまで静寂で、もともと空であることがわかります。だからこそ、五蘊は法界を現じることができるのです。善女天よ、もし善男子・善女人が阿耨多羅三藐三菩提を求めようとするなら、真と俗を異なるものと考えるのは難しく、凡夫と聖者の境地において、その本質は一でもなく異でもなく、俗を捨てず、真を離れず、法界に依って、菩提の行を行じなさい。」
爾時,世尊作是語已,時善女天踊躍歡喜,即從座起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬,一心頂禮,而白佛言:「世尊!如上所說菩提正行,我今當學。」
その時、世尊がこのように説き終えられたとき、善女天は踊り上がらんばかりに歓喜し、すぐに座から立ち上がりました。そして右肩をあらわにし、右膝を地に着け、両の掌を合わせて敬意を表し、一心に礼拝して仏に申し上げました。 「世尊よ、先ほど説かれた菩提の正行について、私は今、学び実践いたします。」
是時索訶世界主大梵天王於大眾中,問如意寶光耀善女天曰:「此菩提行難可修行,汝今云何於菩提行而得自在?」
その時、索訶世界の主である大梵天王は、大衆の中において、如意宝光耀善女天に次のように問いました。「この菩提の行を修行することは、極めて困難なことです。あなたは今、どのようにして菩提の行において自在なる境地を得られたのでしょうか。」
爾時,善女天答梵王曰:「大梵王!如佛所說,實是甚深。一切異生不解其義,是聖境界微妙難知。若使我今依於此法得安樂住,是實語者,願令一切五濁惡世無量無數無邊眾生,皆得金色三十二相,非男非女,坐寶蓮花,受無量樂,雨天妙花,諸天音樂不鼓自鳴,一切供養皆悉具足。」時善女天說是語已,一切五濁惡世所有眾生皆悉金色,具大人相,非男非女,坐寶蓮花,受無量樂,猶如他化自在天宮,無諸惡道,寶樹行列,七寶蓮花遍滿世界,又雨七寶上妙天花,作天伎樂。如意寶光耀善女天即轉女身,作梵天身。
その時、善女天は梵王に答えて言いました。「大梵王よ、仏が説かれた通り、この教えはまことに深遠です。すべての凡夫はその真意を理解できず、これは聖者の境地で、微細で知り難いものです。もし私が今、この教えに依って安楽に住することができるなら、その言葉が真実であることを願って、一切の五濁悪世の無量無数無辺の衆生が、皆、金色の三十二相を得て、男でも女でもなく、宝の蓮華に坐し、無量の楽しみを受け、天の妙花が降り注ぎ、諸天の音楽が自ら鳴り響き、一切の供養がすべて具わりますように。」
善女天がこの言葉を語り終えると、一切の五濁悪世のすべての衆生は皆、金色となり、大人の相を具え、男でも女でもなく、宝の蓮華に坐し、無量の楽しみを受けました。それはあたかも他化自在天宮のようで、あらゆる悪道はなく、宝の樹木が列をなし、七宝の蓮華が世界に遍満し、また七宝の上妙な天の花が降り注ぎ、天の伎楽が奏でられました。如意宝の光が輝き、善女天はたちまち女の身を転じて、梵天の身となりました。
時大梵王問如意寶光耀菩薩言:「仁者!如何行菩提行?」
その時、大梵王は如意宝光耀菩薩に次のように尋ねました。「仁者よ、どのように菩提行を修めるべきでしょうか。」
答言:「梵王!若水中月行菩提行,我亦行菩提行;若夢中行菩提行,我亦行菩提行;若陽焰行菩提行,我亦行菩提行;若谷響行菩提行,我亦行菩提行。」
答えて言いました。 「梵王よ、もし水に映る月が菩提の修行を行うならば、私も菩提の修行を行います。もし夢の中の者が菩提の修行を行うならば、私も菩提の修行を行います。もし陽炎が菩提の修行を行うならば、私も菩提の修行を行います。もし谷のこだまが菩提の修行を行うならば、私も菩提の修行を行います。」
時大梵王聞此說已,白菩薩言:「仁依何義而說此語?」
その時、大梵王はこの説法を聞き終えて、菩薩に向かって言いました。「あなたはどのような道理に基づいて、このようなことをおっしゃるのでしょうか。」
答言:「梵王!無有一法是實相者,但由因緣而得成故。」
答えて言いました。「梵王よ!実相であるような法は一つもありません。ただ因縁によって成り立っているだけなのです。」
梵王言:「若如是者,諸凡夫人皆悉應得阿耨多羅三藐三菩提。」
梵王は言いました。「もしそのようなことであるならば、諸々の凡夫は皆ことごとく阿耨多羅三藐三菩提を得ることになってしまいます。」
答言:「仁以何意而作是說?愚癡人異,智慧人異?菩提異,非菩提異?解脫異,非解脫異?梵王!如是諸法,平等無異。於此法界真如,不一不異,無有中間而可執著,無增無減。梵王!譬如幻師及幻弟子善解幻術,於四衢道,取諸沙土草木葉等,聚在一處作諸幻術,使人覩見象眾、馬眾、車兵等眾,七寶之聚種種倉庫。若有眾生愚癡無智,不能思惟,不知幻本,若見若聞,作是思惟:『我所見聞象、馬等眾,此是實有,餘皆虛妄。』於後更不審察思惟。有智之人則不如是,了於幻本,若見若聞,作如是念:『如我所見象、馬等眾,非是真實,唯有幻事,惑人眼目,妄謂象等及諸倉庫,有名無實,如我見聞,不執為實。』後時思惟,知其虛妄。是故智者了一切法皆無實體,但隨世俗,如見如聞,表宣其事,思惟諦理,則不如是,復由假說,顯實義故。
答えて言いました。「あなたはどのような意図でそのようなことを言われるのですか。愚かな者と智慧ある者とが異なり、菩提と菩提ではないものとが異なり、解脱と解脱ではないものとが異なるとでも言うのでしょうか。梵王よ、これらの諸々の法は平等であり、異なることはありません。この法界の真如においては、一つでもなく異なってもおらず、執着すべき中間など存在せず、増えることも減ることもないのです。
梵王よ、譬えば幻術師とその弟子が幻術をよく心得ていて、四つ辻で砂や土、草木の葉などを集め、一箇所で幻術を行い、人々に象の群れや馬の群れ、戦車や兵士などの集団、あるいは七宝の山や様々な倉庫を見せたとします。もし愚かで智慧のない衆生がいて、深く考えることもできず、幻術の根本を知らなければ、見たり聞いたりした時に、『私が見聞きした象や馬の群れなどは実在するものであり、他のものは虚妄にすぎない』と思い込み、後になっても詳しく観察して考えることをしません。
しかし、智慧ある人はそうではありません。幻術の根本を理解しているため、見聞きした時に、『私が見ている象や馬の群れは真実ではなく、ただ人々を目眩ませる幻術の事柄にすぎない。象や倉庫といったものには名前だけで実体がない。私が見聞きする通りであり、実在するものとして執着しない』と心に留めます。後で改めて考えても、それが虚妄であることを知っているのです。
ですから、智慧ある人は一切の法に実体がないことを理解しています。ただ世俗の慣習に従って、見たり聞いたりした通りに事柄を言葉で表現しますが、真理を観察するにおいてはそうではありません。あくまで仮の言葉を用いることによって、真実の意義を明らかにしているのです。」
「梵王!愚癡異生,未得出世聖慧之眼,未知一切諸法真如不可說故。是諸凡愚,若見若聞行非行法,如是思惟,便生執著,謂以為實,於第一義不能了知諸法真如是不可說。是諸聖人,若見若聞行非行法,隨其力能不生執著以為實有,了知一切無實行法、無實非行法,但妄思量行非行相,唯有名字,無有實體。是諸聖人,隨世俗說,為欲令他知真實義。如是梵王!是諸聖人,以聖智見,了法真如不可說故,行非行法亦復如是,令他證知,故說種種世俗名言。」
梵王よ、愚かな凡夫は、世間を超えた聖なる慧の眼を得ておらず、あらゆる法が真如(あるがままの真実)であり、言葉では言い表せないということを知りません。これら愚かな凡夫は、行の法であれ非行の法であれ、見聞きするとそのように考え、すぐに執着を生じて、それを実在するものだと思い込みます。第一義において、あらゆる法の真如は言葉にできないということを、彼らは正しく知ることができません。
これに対して聖者たちは、行の法であれ非行の法であれ、見聞きしても、自らの力の及ぶ限り執着を生じさせず、それらを実在するものとは見なしません。あらゆる法は実体のない行の法であり、実体のない非行の法であることを知り尽くしており、行や非行という姿かたちは単なる誤った思量によるもので、ただ名目があるだけで、実体などないことを悟っています。
これら聖者たちは、世俗の言葉に従って説きます。それは他者に真実の義を知らせるためです。梵王よ、このように聖者たちは、聖なる智慧の眼をもって、法の真如は言葉では言い表せないものであることを知っているからこそ、行や非行の法もまた同様であることを他者に証明させ、悟らせようとして、様々な世俗の名前や言葉を用いて説くのです。
時大梵王問如意寶光耀菩薩言:「有幾眾生能解如是甚深正法?」
その時、大梵王が如意宝光耀菩薩に問いかけて言いました。 「どれほどの衆生が、このような甚深正法を理解することができるのでしょうか。」
答言:「梵王!有眾幻人心心數法,能解如是甚深正法。」
答えて言いました。「梵王よ!諸々の衆生が抱く心や心の働き(心所法)の中には、このように甚深な正法を解することのできるものが存在します。」
梵王曰:「此幻化人,體是非有,此之心數從何而生?」
梵王は言いました。「この幻のように化現した人の身体は、実在するものではありません。では、この人の心や心の働き(心数)は、いったいどこから生じたのでしょうか。」
答曰:「若知法界不有不無,如是眾生能解深義。」
答えて言いました。「もし法界というものが、有るでもなく、無いでもないと知ることができたなら、そのような衆生こそが、この深い意味を理解することができるのです。」
爾時,梵王白佛言:「世尊!是如意寶光耀菩薩不可思議,通達如是甚深之義。」
その時、梵王は仏に次のように申し上げました。「世尊よ、この如意宝光耀菩薩は不可思議であります。これほどまでに甚深な義を通達しておられるのですから。」
佛言:「如是!如是!梵王!如汝所言,此如意寶光耀,已教汝等發心修學無生忍法。」
仏はこのように仰せになりました。 「その通りです、その通りです、梵王よ。あなたの言う通り、この如意宝の光耀は、すでにあなたたちに発心させ、無生忍の法を修学するように導いたのです。」
是時大梵天王與諸梵眾,從座而起,偏袒右肩,合掌恭敬,頂禮如意寶光耀菩薩足,作如是言:「希有!希有!我等今日幸遇大士,得聞正法。」
その時、大梵天王は諸々の梵衆と共に座から立ち上がり、右肩をあらわにして、恭しく合掌し、如意宝光耀菩薩の足もとにひれ伏して礼拝し、次のように言いました。「希有でございます、希有でございます。私たちが今日、幸運にも大士(菩薩)にお会いし、正法を聴聞することができたのは、誠に希有なことでございます。」
爾時,世尊告梵王言:「是如意寶光耀,於未來世當得作佛,號寶焰吉祥藏如來、應、正遍知、明行圓滿、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊。」
その時、世尊は梵王に告げて言われました。 「この如意宝の光耀は、未来の世において仏となるであろう。その名は宝焰吉祥蔵如来、応、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊である。」
說是品時,有三千億菩薩於阿耨多羅三藐三菩提得不退轉,八千億天子、無量無數國王臣民遠塵離垢,得法眼淨。
この品を説き終えた時、三千億の菩薩たちが阿耨多羅三藐三菩提において不退転の境地を得ました。また、八千億の天子たちと無量無数の国王・臣民たちが、煩悩の塵を離れ、清らかな法の眼を得ました。
爾時,會中有五十億苾芻,行菩薩行,欲退菩提心,聞如意寶光耀菩薩說是法時,皆得堅固不可思議滿足上願,更復發起菩提之心,各自脫衣供養菩薩,重發無上勝進之心,作如是願:「願令我等功德善根悉皆不退,迴向阿耨多羅三藐三菩提。」
その時、法会には五十億の比丘がおり、菩薩行を実践していましたが、菩提心を退転しようとしていました。如意宝光耀菩薩がこの法を説かれたのを聞いて、彼らは皆、揺るぎない不可思議な満足と、至上の願いを得ました。そして再び菩提心を起こし、各自、衣を脱いで菩薩に供養し、無上の勝れた進む心を新たに発して、このように願いました:「どうか私たちの功徳と善根がすべて退転することなく、阿耨多羅三藐三菩提に向けて回向されますように。」
「梵王!是諸苾芻,依此功德如說修行,過九十大劫,當得解悟,出離生死。」爾時,世尊即為授記:「汝諸苾芻過三十阿僧祇劫,當得作佛,劫名難勝光王,國名無垢光,同時皆得阿耨多羅三藐三菩提,皆同一號,名願莊嚴間飾王,十號具足。
「梵王よ、これらの比丘たちが、この功徳を依りどころとして教えの通りに修行を積むならば、九十もの大劫を過ぎたのち、必ずや悟りを開き、生と死の繰り返しから脱出することでしょう」
その時、世尊は彼らに授記を授けられました。
「汝ら諸々の比丘は、三十阿僧祇劫を過ぎたのち、必ず仏となるであろう。その劫の名を『難勝光王(なんしょうこうおう)』といい、国名を『無垢光(むくこう)』という。皆、同時に阿耨多羅三藐三菩提を成就し、皆同じ名を名乗り、『願荘厳間飾王(がんしょうごんけんじきおう)』と号し、仏の十号をすべて具足するであろう」
「梵王!是《金光明》微妙經典,若正聞持,有大威力。假使有人於百千大劫,行六波羅蜜無有方便;若有善男子、善女人書寫如是《金光明經》,半月半月專心讀誦,是功德聚於前功德百分不及一,乃至算數譬喻所不能及。梵王!是故我今令汝修學,憶念受持,為他廣說。何以故?我於往昔行菩薩道時,猶如勇士入於戰陣,不惜身命,流通如是微妙經王,受持讀誦,為他解說。梵王!譬如轉輪聖王,若王在世,七寶不滅,王若命終,所有七寶自然滅盡。梵王!是《金光明》微妙經王若現在世,無上法寶悉皆不滅,若無是經,隨處隱沒。是故應當於此經王,專心聽聞,受持讀誦,為他解說,勸令書寫,行精進波羅蜜,不惜身命,不憚疲勞,功德中勝,我諸弟子應當如是精勤修學。」
梵王よ。この『金光明』という微妙なる経典は、正しく聞き、心に留めて持つならば、大きな威力があります。仮に、ある人が百千大劫もの長い間、六波羅蜜を修行したとしても、そこに適切な方便がなければどうでしょう。もし善男子、善女人が、この『金光明経』を書写し、半月ごとに専心して読誦するならば、その功徳の集まりは、先の功徳の百分の一にも及びません。それどころか、算数や譬喩をもってしても及ぶことはできないほどです。
梵王よ。それゆえに、私は今、あなたにこの経を修学させ、心に留めて受持し、人々のために広く説くよう命じるのです。なぜかというと、私がかつて菩薩道を修行していた時、まるで勇士が戦陣に入るかのように、身命を惜しむことなく、このような微妙なる経の王を流通させ、受持し読誦し、人々のために解説したからです。
梵王よ。例えば転輪聖王がいれば、七宝は滅びることはありませんが、王が命を終えれば、すべての七宝は自然と滅び尽きてしまいます。梵王よ。この『金光明』という微妙なる経の王がこの世に存在すれば、無上の法宝はすべて滅びることがありません。もしこの経がなければ、いたるところで法宝は隠れ失せてしまうでしょう。
それゆえに、この経の王を専心して聞き、受持し読誦し、人々のために解説し、書写するように勧め、精進波羅蜜を行い、身命を惜しまず、疲労をも恐れてはなりません。これこそが功徳の中で最も勝れたものです。私の弟子たちは、このように精勤して修学すべきなのです。
爾時,大梵天王與無量梵眾,帝釋、四王及諸藥叉,俱從座起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬而白佛言:「世尊!我等皆願守護流通是《金光明》微妙經典,及說法師若有諸難,我當除遣,令具眾善,色力充足,辯才無礙,身意泰然,時會聽者皆受安樂。所在國土,若有飢饉、怨賊、非人為惱害者,我等天眾皆為擁護,使其人民安隱豐樂,無諸枉橫,皆是我等天眾之力。若有供養是經典者,我等亦當恭敬供養,如佛不異。」
その時、大梵天王は無量の梵衆と共に、また帝釈天、四天王、そして諸々の薬叉たちと共に座から立ち上がりました。そして右肩をあらわにし、右の膝を地に接して合掌し、恭しく仏に申し上げました。
「世尊よ。私たちは皆、この『金光明』の微妙なる経典を護り、広く伝わっていくように努めたいと願っております。もし説法師に様々な災難があれば、私がそれを取り除き、あらゆる善根を具足させ、色身と力に満ちあふれさせ、無碍なる弁才を得させ、心身ともに安らかになるようにいたします。そして、その場に集まり説法を聞く人々にも、皆それぞれ安楽を与えましょう。
もし、説法師のいる国土において飢饉や怨敵、あるいは非人などによる悩まされる事態があれば、私たち天の衆は皆でこれを擁護いたします。その国の人々が平穏で豊かに楽しみ、不慮の災難にあうことがないようにするのは、すべて私たち天の衆の力によるものです。また、もしこの経典を供養する者がいれば、私たちはその者を、まるで仏を供養するのと同じように、恭しく供養いたしましょう。」
爾時,佛告大梵天王及諸梵眾乃至四王諸藥叉等:「善哉!善哉!汝等得聞甚深妙法,復能於此微妙經王發心擁護及持經者,當獲無邊殊勝之福,速成無上正等菩提。」時梵王等聞佛語已,歡喜頂受。
その時、仏は大梵天王および諸々の梵衆、さらには四大王衆天の諸々の夜叉たちに告げられました。「善いかな、善いかな。汝たちがこの甚深の妙法を聞くことができ、しかもこの微妙なる経の王を護持し、経を説く者を守護しようという発心をしたことは。汝たちは、計り知れないほど勝れた福徳を得て、速やかに無上正等菩提を成就するであろう。」その時、梵王たちは仏の言葉を聞き終えて、歓喜し、謹んで承りました。