菩提行經卷第四
聖龍樹菩薩集頌
聖なる龍樹菩薩の集頌
西天中印度惹爛馱囉國密林寺三藏明教大師賜紫沙門臣天息災奉 詔譯
西天中インド・ジャランダラ国密林寺三蔵明教大師、紫衣を賜る沙門、臣天
菩提心般若波羅蜜多品第七
菩提心と般若波羅蜜多の章 第七
如來智慧仁, 為一切世間,
令求遠離苦, 是故智慧生。
真如及世間, 今說此二法,
知佛真如故, 說法而智慧。
彼世間凡夫, 見二種相應,
害及勝害等, 乃世相應事。
彼二事見已, 見之乃為智,
智見世間性, 是喻於真如。
此說無去來, 智者無不見,
色等甚分明, 乃世相應事。
不淨而為淨, 智者喻有利,
為知世間故, 是說世間性。
為見於真如, 見以剎那住,
世間行相應, 此行無過失。
知女人不淨, 異世諸害事,
謂佛福虛幻, 使我云何信?
有情若幻境, 云何復生滅?
彼因集和合, 乃得於幻緣。
有情種子生, 云何有真實?
殺彼虛幻人, 無心性等罪。
平等心虛幻, 罪福得生起,
真言力等持, 幻境心無著。
以彼種種幻, 種種因業生,
何有於一人, 得於一切力。
若住於真如, 或住於淨戒,
如是即佛行, 誰云菩提行?
因緣當斷盡, 幻化不可得,
因緣若斷盡, 無生而自得。
若不住疑妄, 幻境而不立,
幻境若彼無, 一切不可得。
如是即真如, 得現於心體,
心如是若分, 虛幻何由見?
心不自見心, 世尊之所說,
如劍刃雖利, 雖利不自斷。
自性由若斯, 復喻如燈光,
破闇然得名, 而不云自照。
又若水精珠, 體本唯清澈,
因青而有青, 影現隨眾色。
非青而現青, 如心而自作,
又如彼燈光, 智者知此說。
智慧此開通, 知者何所說?
雖開而不開, 如人無所覩。
石女義不生, 與此義不二,
亦同無心識, 緣念無所得。
非念而別生, 虛妄念如毒,
謂若因若果, 為法而自說。
有談眼藥方, 見瓶而無藥,
若見聞覺知, 此有而非有。
念斷於苦因, 此實念當念,
念念而無別, 此心當平等。
前塵常惑人, 了之無所有,
如幻而不實, 妄心而自見。
住塵處輪迴, 喻空無所依,
住塵性亦然, 亦無有所得。
若與不善俱, 不善汝所得,
若心有取捨, 施一切如來。
如是用心意, 而有何功德?
幻境一切知, 煩惱云何斷?
於彼幻三毒, 遠離而不作,
知於煩惱心, 彼作而未盡。
於彼得見時, 空有意無力,
煩惱性非盡, 與空而相雜。
至彼無所學, 彼後乃得盡,
彼性而無得, 亦復不能見。
彼性若無住, 云何住此身?
若性而無有, 身住於無性。
是性如去來, 隨現而無著,
劫樹與摩尼, 能如意圓滿。
佛變化亦然, 當為斯行願,
喻法呪林樹, 呪成而枯壞。
毒等雖久害, 彼彼皆消除,
菩薩之修行, 所作諸事業。
菩提行最勝, 佛樹能成就,
以彼平等行, 而住於寂靜。
及作不思議, 供養得何果?
隨彼所行因, 而得於彼果。
供養等真實, 得果而稱實,
云何得法空, 實得解脫法。
不離牟尼道, 當得於菩提,
汝不求大乘, 何法求圓滿?
二乘得成就, 成就非圓滿,
若彼所作因, 怖畏於大乘,
別怖怖非實, 此怖實名怖。
此法要當知, 大乘之所論,
離此為他法, 知彼外道論。
法乃僧根本, 僧知法出離,
心若有著處, 涅槃不可得。
解脫心無著, 煩惱得消滅,
煩惱業消除, 斯由解脫力。
愛取不相緣, 以此無執持,
愛業而羸劣, 是無有癡愛。
受愛得相緣, 此受而有得,
安住有著心, 是得名處處。
若心之不空, 復得名為著,
心性若云空, 如識而無得。
如應正等覺, 所說之妙法,
是義乃大乘, 大乘行平等。
說法之一時, 了一切過患,
一味之平等, 諸佛無不說。
迦葉大尊者, 如言之不知,
彼汝云不覺, 不受當何作?
解脫力若怖, 輪迴得成就,
迷彼苦空事, 而得於此果。
迷空彼若此, 不得謗於法,
此空審觀察, 是故得不疑。
離闇知煩惱, 因法知於空,
欲速一切知, 彼言審觀察。
若物生於苦, 是苦怖得生,
彼苦因空作, 彼何得生怖?
若於彼物怖, 斯即名我所,
如是我無所, 苦怖云何得?
牙齒髮爪甲, 骨肉并血髓,
鼻洟唾膿涎, 脂肪及腸胃,
便痢汗熱風, 九漏并六識,
如是諸法等, 一切皆無我。
說彼智與聲, 聲恒受一切,
若說聲智離, 彼離云何知?
若智之不知, 彼智難知故,
彼智既決定, 乃近於智智。
此智非聲受, 彼聲何以聞?
彼聲近於心, 彼知色如是。
若受於色聲, 而色復何受?
如彼一父子, 思惟無真實。
有情塵所翳, 無父亦無子,
知聲色如是, 亦無於自性。
彼色如是知, 喻樂暫和合,
彼自性如是, 彼一而言有。
餘色咸不實, 此說色下品,
彼一切智心, 煩惱悉清淨。
思惟一覺心, 彼等彼若無,
愛若虛不實, 云何住於見?
無我而無心, 此心喻畫像,
是心智相應, 清淨愚癡破。
如是之自心, 彼作云何作?
彼愚癡無行, 此我而虛作。
有行自出離, 而無惡業果,
破壞業若為, 善果云何得?
此二之行果, 互相破成就,
彼說知不虛, 彼自而無事。
因果定相應, 惡見要不生,
此行而實住, 作受今當說。
過去未來心, 彼我無有生,
此心生我破, 我無復生起。
如芭蕉作柱, 無所能勝任,
我心生亦然, 是得善觀察。
有情若不有, 此行云何為?
彼行今若為, 而為有癡事。
有情何實無, 癡喻其愛事,
若滅於苦惱, 當斷於癡事。
我慢為苦因, 癡是得增長,
彼事心不迴, 觀空為最上。
無足無脛膝, 無腰復無腿,
無臂亦無肩, 無臍無胸背,
無肋兼無脇, 無手亦無鼻,
無項復無頭, 骨鎖等皆爾。
觀此一切身, 不行於一處,
彼行於處處, 何處自安住?
以彼身手等, 一切處皆住,
彼一身如是, 乃至於手等。
無內無外身, 何獨身手等?
手等無分別, 云何彼復有?
彼既無癡身, 寧云意手等?
住已近殊勝, 觀者知人喻。
若彼因和合, 木人此可同,
若了如是相, 彼身同此見。
如是捨足指, 手指亦皆捨,
彼初觀節合, 後見節自離。
此身破已竟, 彼住分別見,
分別見此身, 得喻如虛空。
如是之夢色, 智者何所樂?
設施若無身, 何有男女等?
若喜真得苦, 此者何不解?
觀察此云何, 愛樂深煩惱。
樂者之不實, 如彼無執受,
汝苦復云何? 如彼自無得。
彼有苦微細, 既微而不說,
以彼微細故, 不說令他喜。
因瞋而苦生, 既生而有滅,
若於定有見, 於生自不受。
如是而既知, 如是觀因果,
禪愛或相應, 得生彼疑地。
善根之所利, 皆為於何人?
彼此何和合? 和合而何得?
人喻於虛空, 雖合而無入,
無入而非合, 是無分別行。
不求和合名, 若見而無見,
和合彼不求, 云何名得生?
有物非和合, 如導而先知,
而彼識無相, 不住於和合。
彼觸法如是, 何受而得生?
我今何所為, 而得於苦害?
若不得所受, 苦害而不覺,
此位彼得見, 何愛不遠離?
今見此夢觸, 自心之幻化,
既見彼觸性, 彼受汝亦得。
先世與後世, 念念而無受,
若此觀自身, 受亦無所得。
所受既不實, 彼即知無有,
若此無自身, 云何如是害?
色性之自住, 無根無中間,
無內無外心, 別處亦不得。
身若無異處, 無合無分別,
有情之自性, 寂靜彼無所。
智者若先知, 云何而有著,
智者同智故, 彼生何得著?
是智是後得, 是智云何得?
如是一切法, 雖生而無得。
如是法若無, 是法云何二?
彼餘法若是, 有情皆寂靜。
彼他心有疑, 於自即無有,
彼定彼後有, 此法無彼此。
思惟於自心, 是二互相住,
如得於正住, 一切智者說。
若有諸智者, 獲得於智智,
智者得是智, 彼即是無位。
智者得是智, 有得而無住,
無住即無生, 彼說於涅槃。
若彼之二法, 如是極難住,
若法由於智, 智者何因有?
是智由於知, 知者無所得,
二法互相由, 是有情無性。
無父定無子, 欲子生何得?
有父而有子, 彼二法亦爾。
芽從種子生, 種子得何求?
知從智所生, 彼實何不行?
芽從智種生, 知從智芽有,
若彼知不知, 何得有智智?
一切人因緣, 彼前皆已說,
因果所生起, 等喻如蓮花。
因果何由作, 皆從於過去,
此果云何得? 由過去業力。
世間因自在, 自在彼何說?
如是得後有, 彼彼名何雜?
是事唯不定, 非心非賢聖,
過惡無善報, 彼何得自在?
不見如虛空, 不見自過去,
自在不思議, 此理不應說。
彼主何最上? 彼亦自無定,
善惡各自性, 智者知無邊。
因業有苦樂, 彼說何等作?
先因若不有, 果報誰云得?
云何不作恒? 彼無於別見,
彼作既無別, 何得見彼彼?
若見和合因, 無復云自在,
此和合無主, 彼法乃無主。
彼愛不自愛, 此愛而無作,
所得而由他, 何云自在作?
彼不作過去, 謂若恒不滅,
愛此最上數, 謂世間恒常。
有情塵闇蔽, 住此惡功德,
謂此說最上, 此說世間惡。
一三之自性, 不合而無有,
是德無所有, 彼各各三種。
功德雖無聲, 此聲有還遠,
如衣等無心, 由此生快樂。
色性之亦然, 觀之性無有,
彼等快樂因, 有無若衣等。
此衣等快樂, 此乃性快樂,
彼等之快樂, 不能得久遠。
彼得是微細, 云何彼麁細?
快樂如是實, 思惟何不受?
離麁得微細, 微細不久遠,
一切物亦然, 久遠何不得?
快樂得不麁, 快樂不常定,
彼無有所生, 此說不真實。
彼真實德生, 彼得無欲住,
為食不淨食, 而有於因果。
愛無價之衣, 買覩羅種子,
不愛世間癡, 彼住真如智。
彼智世間有, 云何而不見?
同彼世間量, 若此分明見。
世量而非量, 彼無妄言說,
是故觀真如, 彼空而不生。
知性之不觸, 是性而無執,
彼性實非實, 是故非實性。
是故彼夢覺, 此疑彼無有,
彼性若見有, 乃不實生著。
是故知彼性, 無因即無所,
一切皆無主, 因緣中安住。
由彼無別異, 不住復不去,
於實彼若迷, 返為世間勝。
為從因所生? 為從幻化作?
何來彼何去? 了知而若此?
若此而了知, 乃見彼無性,
云何知假實? 同於影像等。
性若云自有, 是因何所立?
彼若是不有, 彼因故不用。
有無之性相, 因俱胝百千,
彼位云何性? 何得於別性?
彼性無性時, 是性何時得?
無性即無生, 當依彼性行。
性無過去性, 而由性不生,
無有性無性, 喻幻化和合。
一切有無性, 有如是不滅,
此一切世間, 是故不生滅。
知行空不實, 喻夢喻芭蕉,
分別滅不滅, 一切不可得。
性空乃如是, 何得而何受?
不實恒若斯, 彼彼云何得?
何苦何快樂? 何愛何不愛?
彼愛何所愛? 要當知自性。
世間亦可知, 何名為無上?
何人何所親? 何生而何得?
一切喻虛空, 彼此受皆失,
歡喜瞋相對, 因喜或鬪諍。
瞋惱諸邪行, 一切令破壞,
罪惡自愛樂, 是得惡趣名。
死即墮惡趣, 得苦而無悔,
或往來天中, 生生而得樂。
捨於多罪崖, 謂真實如是,
如是真無性, 復互相憎愛。
說彼將來惡, 溺無邊苦海,
色力并壽命, 彼得而唯少。
雖獲於快樂, 而由飢困者,
眠睡災昏迷, 如虛幻和合。
當盡彼虛幻, 若此而難得,
彼學何所作? 何行何斷除?
彼彼諸魔事, 斯為大罪崖,
於彼多正道, 難勝而不行。
復於剎那中, 難得生覺悟,
過去未來苦, 難竭煩惱海。
而於此苦海, 我恨苦求離,
如是此安住, 若自不樂住。
如須臾須臾, 入火而澡浴,
見如是自利, 而受於此苦。
無老死自在, 彼行因如是,
從彼惡法來, 感惡而前死。
苦火熱如是, 我何時得息?
自作於快樂, 福雲生繚繞,
以我何見知, 而說知慧空?
稽首具足知, 稽首福德重。
如来の智慧と慈悲は、 一切の世のため、 苦しみから遠く離れることを求めさせんがために、 ここに智慧が生まれる。
真如と世間、 今この二つの法を説く。 仏の真如を知るゆえに、 法を説き智慧となる。
世の凡夫たちは、 二種の相応するものを見る。 害と勝害など、 これが世の相応する事柄である。
その二つの事柄を見て、 それを見ることが智慧となる。 智慧をもって世間の本性を見れば、 それは真如に譬えられる。
これは去ることも来ることもないと説く、 智者は見ないことがない。 色などは甚だ分明であり、 これが世の相応する事柄である。
不浄なるものを浄らかとし、 智者は利益に譬える。 世間を知るために、 これを世間の本性と説く。
真如を見るために、 見ることを刹那の住とせよ。 世間の行いに相応し、 この行いに過失はない。
女人が不浄であることを知り、 異なる世の諸々の害事を知る。 仏の福徳は虚幻であるというなら、 どうして私が信じることができようか?
有情は幻の境のごとし、 どうしてまた生滅があるのか? それらの因が集まり和合して、 幻の縁を得るのである。
有情は種子から生ずる、 どうして真実があると言えようか? その虚幻の人を殺しても、 心の本性などに罪はない。
平等の心は虚幻であり、 罪と福徳は生じ起こる。 真言の力などを持って、 幻の境に心は執着しない。
さまざまな幻によって、 さまざまな因と業が生ずる。 どうして一人の者が、 一切の力を得ることがあろうか。
もし真如に住するならば、 あるいは浄戒に住するならば、 このようにして仏の行いとなる。 誰が菩提行と言おうか?
因縁は断じ尽くすべきであり、 幻化は得ることができない。 因縁をもし断じ尽くせば、 無生のままに自ずから得る。
もし疑いと妄執に住しなければ、 幻の境は立ち現れない。 幻の境がもしなければ、 一切は得ることができない。
このようにして真如は、 心の本体に現れる。 心がこのように分かたれるなら、 虚幻はどこに見いだされようか?
心は自ら心を見ない、 世尊の説かれたところである。 剣の刃が鋭いとしても、 鋭くても自らを断たない。
自性はこのようであり、 また灯火に譬えられる。 闇を破るゆえにその名を得るが、 自らを照らすとは言わない。
また水精の珠のように、 体は本来ただ清らかで澄んでいる。 青によって青となり、 影は衆色に随って現れる。
青でないのに青く現れる、 心のごとく自ら作るのである。 またあの灯火のように、 智者はこの説を知る。
智慧はここに開通し、 知る者は何を説くのか? 開かれていながら開かれず、 人の見ないところのようである。
石女の義は生じず、 この義と二つではない。 また無心識と同じく、 縁と念は得るところがない。
念でないのに別に生じる、 虚妄の念は毒のようである。 もし因ならばもし果ならば、 法のために自ら説くのである。
目薬の処方を語る者がいて、 瓶を見て薬がない。 もし見聞覚知するならば、 これは有るが有るのではない。
苦の因を念い断つ、 この実の念を当に念うべきである。 念念として別なく、 この心は平等であるべきである。
前の塵は常に人を惑わす、 これを了知すれば所有するところがない。 幻のごとく実在せず、 妄心が自ら見るのである。
塵の処に住して輪廻する、 空に譬えて依るところがない。 塵の本性に住するのもまた同じく、 また得るところがない。
もし不善と共にあるならば、 不善が汝の得るところである。 もし心に取捨があれば、 一切の如来に施すのである。
このように心を用いて、 どうして功徳があろうか? 幻の境を一切知りながら、 煩悩はどうして断たれようか?
あの幻の三毒において、 遠く離れて作さない。 煩悩の心を知りながら、 彼は作ってまだ尽きていない。
それを見得する時、 空はあっても意には力がない。 煩悩の本性は尽きず、 空と相雑している。
学ぶところのない彼の境地に至り、 その後になって初めて尽きる。 その本性は得られず、 また見ることもできない。
その本性がもし住するところがなければ、 どうしてこの身に住しようか? もし本性が有るのでなければ、 身は無性に住するのである。
この本性は去来のごとく、 現れるに随って執着しない。 劫樹と摩尼珠のように、 意のままに円満することができる。
仏の変化もまた同じく、 この行願を為すべきである。 法の呪林樹に譬え、 呪が成就して枯れ壊れる。
毒などは久しく害しても、 それらは皆消除される。 菩薩の修行と、 なす諸々の事業である。
菩提行は最も勝れ、 仏樹は能く成就する。 あの平等の行いをもって、 寂静に住するのである。
および不思議を行い、 供養して何の果を得ようか? 彼の行う因に随って、 彼の果を得るのである。
供養などが真実であれば、 得る果も真実に称する。 どうして法空を得て、 真実に解脱の法を得るのか?
牟尼の道を離れず、 当に菩提を得るべきである。 汝が大乗を求めないならば、 何の法を求めて円満しようか?
二乗は成就を得るが、 成就は円満ではない。 もし彼のなす因が、 大乗を怖れるならば、
別の怖れは実在せず、 この怖れこそ真実の怖れと名づける。 この法は要を知るべきであり、 大乗の論ずるところである。
これを離れて他の法とすれば、 彼の外道の論を知るべきである。 法は僧の根本であり、 僧は法の出離を知る。
心にもし執着する処があれば、 涅槃は得ることができない。 解脱は心に執着なく、 煩悩は消滅を得る。 煩悩の業が消除されるのは、 これ解脱の力による。
愛と取は互いに縁とならず、 これによって執持がない。 愛の業は弱く劣り、 これは痴愛がないのである。
受と愛が互いに縁となれば、 この受は有ることを得る。 安住して有に執着する心は、 これは処々と名づけられる。
もし心が空でなければ、 また執着と名づけられる。 心の本性がもし空であるならば、 識のごとく得るところがない。
応供・正等覚のように、 説かれた妙法である。 この義こそ大乗であり、 大乗の行いは平等である。
法を説く一時に、 一切の過患を了知する。 一味の平等を、 諸仏は説かないことがない。
迦葉の大尊者よ、 言葉のごとく知らない。 彼の汝は覚えないというならば、 受けずに何を為そうか?
解脱の力がもし怖れならば、 輪廻は成就を得る。 あの苦空の事に迷って、 この果を得るのである。
空に迷うことがもしこのようであれば、 法を謗ずることはできない。 この空を審らかに観察すれば、 ゆえに疑いを得ない。
闇を離れて煩悩を知り、 法によって空を知る。 一切を知ることを速やかに欲すれば、 彼の言葉を審らかに観察せよ。
もし物が苦から生ずるならば、 この苦の怖れが生ずる。 その苦の因は空から作られる、 彼はどうして怖れを生じようか?
もしその物に怖れるならば、 これすなわち我所有と名づける。 このように我は所有するところがなく、 苦の怖れはどうして得られようか?
歯、髪、爪、甲、 骨、肉、血、髓、 鼻水、唾、膿、涎、 脂肪、腸、胃、 便、汗、熱、風、 九漏と六識、 このような諸々の法等、 一切は皆無我である。
あの智と声を説く、 声は常に一切を受ける。 もし声と智が離れていると説くならば、 その離れをどうして知ろうか?
もし智が知らないならば、 その智は知り難いゆえに、 その智が既に決定すれば、 智智に近づくのである。
この智は声によって受けず、 その声をどうして聞こうか? その声は心に近く、 彼は色をこのように知る。
もし色と声を受けるならば、 色はまた何を受けるのか? あの一つの父子のように、 思惟には真実がない。
有情は塵に翳られ、 父もなく子もない。 声と色をこのように知れば、 また自性もない。
その色をこのように知れば、 楽は暫くの和合に譬えられる。 その自性はこのようであり、 その一を有ると言う。
他の色は皆実在せず、 これは色の下品を説く。 彼の一切智の心は、 煩悩は悉く清浄である。
一つの覚りの心を思惟し、 彼らはもし無ければ、 愛がもし虚しく実在しなければ、 どうして見解に住しようか?
無我であり無心である、 この心は絵像に譬えられる。 これは心と智が相応し、 清浄にして愚痴を破る。
このような自心を、 彼はどうして作るのか? 彼の愚痴には行がなく、 この我は虚しく作られる。
行があって自ら出離し、 悪業の果がない。 破壊する業がもし為されるならば、 善果はどうして得られようか?
この二つの行いの果は、 互いに破って成就する。 彼の説く知は虚妄でなく、 彼は自ら事がない。
因果は定めて相応し、 悪見は生じないようにすべきである。 この行いは実在して住し、 作と受を今説くべきである。
過去と未来の心、 その我には生じることがない。 この心が生じて我を破れば、 我は再び生起しない。
芭蕉で柱を作るように、 何も勝任することができない。 我の心が生ずるのもまた同じく、 これは善く観察すべきである。
有情がもし存在しなければ、 この行いはどうして為されようか? その行いが今もし為されるならば、 痴の事があるためである。
有情は何の実在もなく、 痴はその愛の事に譬えられる。 もし苦悩を滅ぼすならば、 痴の事を断つべきである。
我慢は苦の因であり、 痴はこれによって増長する。 その事に心が戻らなければ、 空を観ることが最も勝れている。
足がなく脛がなく膝がなく、 腰がなくまた腿がなく、 腕がなくまた肩がなく、 臍がなく胸と背がなく、 肋骨がなく脇がなく、 手がなくまた鼻がなく、 項がなくまた頭がなく、 骨鎖なども皆同じである。
この一切の身を観て、 一つの処に行かない。 彼は処々に行くが、 どこに自ら安住しようか?
その手と身となどによって、 一切の処に皆住する。 彼の一身はこのようであり、 手などに至るまでである。
内もなく外もない身、 どうして特に手などだけなのか? 手などには分別がなく、 どうして彼がまた有ろうか?
彼に既に痴の身がなければ、 どうして意や手などと言えようか? 住して既に殊勝に近づけば、 観る者は人の譬えを知る。
もしその因が和合するならば、 木人とこれは同じである。 もしこのような相を了知すれば、 彼の身はこの見解と同じである。
このように足の指を捨て、 手の指も皆捨てる。 彼は初めに節の和合を観て、 後に節が自ら離れるのを見る。
この身は破られて既に終わり、 彼は分別の見解に住する。 分別してこの身を見れば、 虚空に譬えられることを得る。
このような夢の色を、 智者は何を楽しもうか? 施設としてもし身がなければ、 どうして男女などがあろうか?
もし真実に苦を得ることを喜ぶならば、 この者はどうして理解しないのか? このことをどう観察するか、 愛楽は深い煩悩である。
楽は実在せず、 あの執受がないようである。 汝の苦はまたどうか? あの自ら得るところがないようである。
彼には微細な苦があり、 微細であるゆえに説かない。 その微細さゆえに、 説かないで他を喜ばせる。
瞋によって苦が生じ、 生じた後に滅する。 もし定まった有の見解があれば、 生に対して自ら受けない。
このようにして既に知り、 このように因果を観る。 禅愛と相応し、 疑いの地に生ずることを得る。
善根の利するところは、 皆何人のためであるか? 彼と此はどう和合するか? 和合して何を得るか?
人は虚空に譬えられ、 合しても入ることがない。 入ることがなくて合わない、 これは無分別の行いである。
和合の名を求めず、 もし見て見なければ、 和合を彼は求めない、 どうして生ずると名づけられようか?
物があって和合せず、 導師のように先に知る。 そして彼の識には相がなく、 和合に住しない。
その触法はこのようであり、 何の受を得て生じようか? 我は今何を為して、 苦害を得ようか?
もし受けるところを得なければ、 苦害を覚えない。 この位に彼が見得すれば、 何の愛を遠く離れないことがあろうか?
今この夢の触を見る、 自心の幻化である。 既にその触の本性を見れば、 その受も汝は得る。
先世と後世、 念念として受がない。 もしこのように自身を観れば、 受も得るところがない。
受けるところが既に実在しなければ、 彼は即ち有ることを知らない。 もしこのように自身がなければ、 どうしてこのように害されようか?
色の本性は自ら住し、 根がなく中間がなく、 内がなく外がない心、 別の処も得られない。
身にもし異なる処がなければ、 合わず分別がない。 有情の自性は、 寂静で彼には所有するところがない。
智者がもし先に知れば、 どうして執着があろうか? 智者は智と同じゆえに、 彼の生はどうして執着を得ようか?
この智は後得であり、 この智はどうして得られようか? このように一切の法は、 生じても得られない。
このような法がもしなければ、 この法はどうして二つであろうか? 彼の他の法がもしこのようであれば、 有情は皆寂静である。
彼の他心に疑いがあれば、 自には即ち有ることがない。 彼は定まって彼の後に有り、 この法には彼と此がない。
自心を思惟すれば、 この二つは互いに住する。 正しく住することを得たように、 一切智者は説く。
もし諸々の智者があれば、 智智を得ることを得る。 智者はこの智を得て、 彼は即ち位がない。
智者はこの智を得て、 得て住するところがない。 住するところがなければ生じない、 彼は涅槃を説く。
もしその二つの法が、 このように極めて難しく住するならば、 もし法が智によるならば、 智者はどうして因があろうか?
この智は知ることによる、 知る者は得るところがない。 二つの法は互いによる、 これは有情に自性がない。
父がなければ定まって子がなく、 子を生じようと欲してどうして得られようか? 父があって子があり、 その二つの法もまた同じである。
芽は種子から生じ、 種子は何を求めて得るのか? 知は智から生じ、 彼の実は何を行わないのか?
芽は智の種から生じ、 知は智の芽から有る。 もしその知が知らなければ、 どうして智智があり得ようか?
一切の人の因縁は、 彼の前に既に説かれた。 因果の生じ起こるところは、 蓮華に等しく譬えられる。
因果はどうして作られるか、 皆過去からなる。 この果はどうして得られるか? 過去の業力による。
世間の因は自在であり、 自在は彼を何と言おうか? このようにして後有を得て、 彼彼は何と雑じると名づけられようか?
この事はただ不定であり、 心でなく賢聖でない。 過悪に善報がなく、 彼はどうして自在を得ようか?
虚空のように見えず、 自らの過去を見ない。 自在は不思議であり、 この理は説くべきではない。
彼の主は何が最も勝れているか? 彼もまた自ら定まっていない。 善悪は各自の本性であり、 智者は辺際がないことを知る。
因と業によって苦楽があり、 彼は何を等しく作ると説くか? 先の因がもしなければ、 果報は誰が得ると言えようか?
どうして作らないことが恒常であるか? 彼には別の見解がない。 彼の作ることが既に別でなければ、 どうして彼彼を見得しようか?
もし和合の因を見れば、 再び自在と言うことはない。 この和合には主がなく、 その法には主がない。
彼の愛は自らを愛さず、 この愛には作がない。 得るところは他による、 どうして自在の作と言えようか?
彼は過去を作らず、 もし恒常に滅しないというならば、 この最も勝れた数を愛し、 世間は恒常であるという。
有情は塵に闇く蔽われ、 この悪い功徳に住する。 これが最も勝れていると説き、 これは世間の悪を説く。
一と三の自性は、 合わずして有ることがない。 この功徳は所有するところがなく、 彼らは各々三種である。
功徳は声がなくても、 この声は有って遠くへ還る。 衣などのように心がなく、 これによって快樂が生ずる。
色の本性もまた同じく、 これを観れば本性は有ることがない。 彼らの快樂の因は、 有るか無いかは衣などのようである。
この衣などの快樂は、